【タロットカードの行方】
タロットカードは、1つとても気になっているカードがあって、それは買おうと思ってはいた。
ペンジュラムもYESを控えめに出していた。
なんだけど、どうしても自分の中でモヤモヤと気になることがあって、今ひとつ注文にまで進まなかった。
何でだろう?と引っかかっているものがわかるようでわからなかった時間をなんだかんだで1週間は過ごしたと思う。
週末にタロットカードの調べ物をしていくうちに気付いた。
私が買おうとしているタロットカードは、昔からの正統版の方ではなくて、正統版にある程度基づいた別のスタイルのもので、それは絵柄を見てそれでかなり読めるだろうということはわかったものの(なぜなら2枚3枚はそのカードが何かはわからなくても絵を見ただけでそのメッセージを紐解けるもので、そんなマニアックな読み方は私独自なのは自分でも即にわかった)、いきなりど出発から正統版を外してオリジナル的なタロットからスタートしても良いものかどうかわからなかった。
占星術講座が縁で友達になったノムに、ノムが持っているタロットの本は何なのかを教えてもらったのがたしか金曜日。
ノムは相変わらずすごくて、20代の後半に自らタロットカードとタロットの超専門書を手に入れて、それでタロットを読めるように独学をした人だった。
その本は相当有名らしく、Amazonでも相当数なコメントが付いていた。
そんな本をまだまだ情報の少なかった2000年代初頭に自分の感覚だけで手にするノムには毎回驚かされる。
ノムが教えてくれた本は話を聞く限りとても良さそうで、それでコメントをいくつか読んだ。
コメントを読んでいくうちに、果たして正統版ではないタロットでスタートして大丈夫なのか相当不安になってきた。
コメントを読んで知ったことだけれど、タロットの絵柄の色とか文字とかモチーフとかにも作者の意図がきちんと入っていて、それは正統版ではないデザインになるとあったりなかったりする。
基本的に、タロット関連の本は正統版について延々と解説されているから、それを知らずに進めていいものかどうか迷った。
自分がかなり独自な解釈をするだろうことは目に見えている。
それとそのオリジナルなカードの相性はそこそこ良いと予想できる。
けれども、私は文字の意味とかにも興味があって、それを知らないのは惜しすぎる。
さらに調べ物を続けていくうちに、『絵柄で読むこと』に対して日本のタロットの巨匠2人が対談で話している雑誌があると知って、その雑誌を探したけれど、すでに売り切れで定価以上のなかなかの高値で取り引きされていた。
その2人の話している内容こそ今私が最も知りたいことなのに、なかなかその話がネットで探しても出てこない。
雑誌はメルカリで出てくるのを狙いつつ、とりあえずファースト・タロットカードをどうするか問題は別に考えて答えを出そうと思った。
ちなみに考えれば考えるほどわからなくなってきて、さらにそのことについて調べれば調べるほどドツボすぎて、さらなる迷子になる一方だった。
日曜日の午前中からノムと電話した。
全くの無計画で、今日もし電話できるなら…みたいな感じで連絡したら、ちょうど起きたばかりということで「今から電話しない?」ってノムが言ってくれて、そのまま電話を始めた。
いつも通り、出てくるままにあれこれ話をして、そしてノムのパートナー、ミッチーが今後どういうスタイルで活動するのかという話になった時、そうだ!ノムにタロットカードのことを聞いてもらおうと思っていたんだった!と思い出して、いつものようにまた突然話題を変え(一応ノムに一言断って了解を得てから変えた)、さらにはノムにピンときた方法でカードなりなんなり引いてどういう答えが出てきたか教えてもらえないかとお願いした。
今回は隠す内容でもなんでもないから、とりあえず正統版タロットから始めるか、はたまたオリジナルタロットカードから始めるか、どちらが私に合っているかを見て欲しいとお願いした。
ノムの答えは、これ以上ないベスト且つシンプルなものだった。
「2つ同時に始めたらいいみたいだよ」
最近ノムは天然石のペンジュラムを手に入れていて、そのペンジュラムで聞いたと教えてくれた。
これ以上ない、私にとっても願ったり叶ったり、そして色んな不安を一気に解決してくれるスーパーナイスな答えだった。
本当に知識がないから、真っ新な状態で始められる。
そんな一生に一度のチャンスの時に、正統版でガチガチに基礎を固めてしまうのも、反対に正統版ではないオリジナルデザインで自由に発想して基礎がおろそかなのも、どちらも私的には不安が常について回る感じだった。
だからどちらも一長一短で1つにずっと絞れずにいた。
でも2つ同時なら、それぞれの良さを同時に取り入れられるし、そして違いも常に見比べながら知ることができる。
「ぶっしーの場合、本も手にしてタロットをやろうとしているから、その過程の中で得る学ぶ喜びや面白さもあった方が絶対にいいと思うから、だからこそ2つ同時に始めるのが一番良いんだと思う。
それに、ぶっしーがどうやら生涯で4つタロットを持つって言っていたでしょ。(ペンジュラムを使ってボードに聞いたら、4つと出てきた)それってなんだろう?って僕も思っていたけれど、今の2つ同時にっていう話になって、あ、なるほど!と思ったよ」
私もものすごく納得した。
そして、正統版に至っては、日本語と英語のガイドブックが両方付いているパッケージがたしかあったはずだから、それを買おうと思っている。
自分でも不思議な感覚だけれど、英語で読む時は英語で読む時にしか得られない「気になるワード(単語)」とかやたらと残る印象とかがある。
日本語の時とはまた感じが違う。
ちなみにどうでもいいことだけれど、私が英文を読む時は英語脳で読む。
いちいち日本語に置き換えず、英語で書かれたままをそのままダイレクトに読み解く。
だから、それぞれの言語にしか現れない言葉のあやみたいなのがあるから、せっかく買うなら日本語と英語の両方の解説が付いている方が私には都合が良い。
そして、オリジナルなカードの方は、英語のガイドブック付きとあったから、その作者がどういう意図を持ってそこに様々なモチーフを配置したのかを知れるから、それも良いなと思った理由だった。
それがあったからこそ、基礎を知らないことが長い目で見て良いのかどうか判断がつかず悶々としていたんだなということがよくわかったし、そして2つ同時スタートによってどちらのモヤモヤも解消されるとわかって本当に安心した。
すごい余談だけれど、3年前、そろそろ4年前になる2018年の春から半年ほど、占星術の初級講座に通って本当の本当に良かった、と今回のタロットの一件で改めて思った。
独学開始して1ヶ月するかしないかのうちに初級講座に月1で通って、当時の先生には今でもものすごく感謝している。
私は今でもはっきりと覚えている。
当初私は、もし全然講座が合わないとなれば、1回だけ出てあとはもうそれっきりにしようと思っていた。
そして、その初回で私は本当にあまりにもアカデミックな内容についていけず、面白みも感じられず、本当ならそこですぐにでも辞めたかった。
占星術は自分には合いそうにもないと思った。
なんだけど、その講座は途中で辞めることができない、最後の6回だったか7回まで出続けることが決められていて、というのをその初回に知らされて、そのまさかの強制力抜群の講座だとはその時まで知らなくて、それで最初は泣く泣く東京まで月1で通うということになってしまった。
東京に行けるのは楽しみだったけれど、占星術講座は初回に心折れそうなくらいに難しくて、全く楽しみではなかった。
ちなみに去年から先月までの1年間、同じ先生から別の講座をオンラインで月1で取ったけれども、今回はそんな縛りはなかった。
何で当時の初級講座をそういう設定に先生が意図的にしたのかはわからないけれども、その強制参加の設定のおかげで私は最後まで通うこと、学ぶことができた。
もしその強制力がなければ、そうはいかなかった。
そして、今や本当に色んなものを組み合わせてものすごく自由に星を読み解くスタイルの私には、絶対的に基礎が必要で、その基礎を当時の占星術講座でこれでもか!と仕込んでもらえたことは今となっては強力な武器そして生涯に渡る知的財産となっている。
占星術がそうだったからこそ、タロットも基礎をある程度積み重ねるのはとても大事だと感じている。
だから2つ同時にスタートして、正統版とフリースタイル版とをやれるのは、本当に私には一番ピッタリな方法だと思う。
さらに、ノムが言ってくれた。
「いずれ人にやるとなった時、それぞれの人に合う方のタロットを使えばいいと思うし、両方知っていたらどちらも使えることになるから、それいいねー!」
ということで、月曜日の明日以降、昼休みの調べ物は正統版タロットカードの見比べ。
そちらが定まったら、2つ同時に注文しようと思う。
(追記)月曜、火曜と昼休みにタロットカード探しをしまくった。仕事の時の10倍くらいの速さで時間が過ぎて、気付くと昼休み終了間際で、ものすごく集中してタロットカード探しをしている。(そして仕事は変わらずにローテンションでやる気なし子…)
【ルーン文字・ルーン占い】
この週末は家にこもっていたけれども、思ったほどルーン文字・ルーン占いに向けたグッズ作成が進まなかった。
けれども、ここにきてルーン文字の本を注文できたことは大きかった。
金曜日仕事が終わってから、まずは1パック98円の卵や特売の砂糖、マヨネーズをスーパーに買いに行った後、また来た道を戻ってさらに信濃川を渡っての川向こうにある大きな書店に行って、タロットカードの本を見に行った。
いくつか見てみたいと思う本があればいいなと思って見に行ったついでに、ルーン文字やルーン占いの本もあればいいなと思って見てきた。
タロットの方は多少チェックしたい本もあったけれど、ルーン側は皆無だった。
オカルト&スピリチュアルコーナーに行ってもなかった。
あまりにも気になっていたから、そうだ!と思いついて、駅前の大きな別の書店にも行った。
そこもタロット本は想像以上に充実していたものの、ルーンの本は1冊も置いていなかった。
さらに、2018〜19年にかけての長期引きこもり時代に何回か足を運んだ書店でもあったけれど、当時と店の規模は同じなのにラインナップがかなり変わっていた。
とりあえずスピリチュアルコーナーはなぜか大幅に縮小されていた。
当時の半分以下くらいで、どうしてそんな風にしたのかはわからないけれども、同時にその時にしか出会えなかった本たちが存在していたことだけはよくわかった。
やたらとマニアックで惹かれる本がたくさんあったのに、今はそれがほとんどなくて、話題本やちょっとだけ珍しいけれどもそこまでじゃないみたいな本がほとんどで残念なラインナップになっていた。
それはそうと、そこでもルーンの本がないことがわかった。
家でも相当ルーン文字の書籍をAmazonや書籍検索サイトやらで探しまくったけれども、そもそも相当マニアックなものらしくて、書籍自体が著しく少なかった。
多分、日本で発行されているものは10冊程度なんじゃないかと思う。
どう見ても20冊くらいは総計であるかもしれないけれど、30冊はない、そんな風だった。
ルーン占いをする人たちの中でオススメ書籍を紹介している人たちもいたけれど、ただでさえ少ない書籍がさらには絶版で、ありえない高額転売が為されていて、中身も見れないのにいきなりそんな高額なの買うの嫌だわと思った。
ペンジュラムとサーフィンボードで聞くことにした。
二者いわく、
・もうすでにチェックした本
・日本人ではなく外国人が著者
・外国人著者の本を日本語訳されたもの
・買うのは今日(土曜日)
とのことだった。
ずっとペンジュラム用のボードをなぜ「サーフィンボード」と呼んでいるのか、その理由がこちら。
「ぶっしー、おつかれさまー。そして、おめでとう㊗️㊗️ ペンデュラムボードは新世界へ運んでくれるボードにちがいない(時空間を渡るサーフィンボードのイメージ)」
↑これはボードを手にしてすぐにノムからもらったLINEに書かれてきたメッセージ。(たしか10月のあたまくらい)
そこにサーフィンボードとあって、「まさに!」なイメージ通りの言葉で、だから私はそれ以降ずっと自分の中では「サーフィンボード」になっている。
で、サーフィンボードとペンジュラムが言うように、本当にそんな本があるのか!?と思ったら、本当にあった。
最近発売された本でやたらとマニアックな本があるのは、検索する中で気付いた。
ペンジュラムが一度YESと出していたけれども、私はAmazonの試し読みを見ただけで自分に読解できる気が全くせず、そしてレビューの人で私のような初心者の人がいて、すごく良い本ではあるけれど、目をひん剥きそうな感じの難しさだとあって、私はペンジュラムたちの意見をスルーして別のものを探していたことも後になって思い出した。
それで避けていたものの、色々検索の仕方を変えたら、その本を紹介するブログに行き着いた。
そのブログいわく、著者の外国人は、ルーン文字に関して歴史的背景や文化、神話学、宗教学なんかの学術的分析だけではなくて、ルーン文字と占い、魔術、スピリチュアルとの関わりを紐解いた第一人者的な方らしい。
↑今調べてきたら、本当に冗談抜きで著者はルーン文字も含めた研究でPh.Dー博士号を取っていた。(調べたのは注文した日の翌々日の朝、やる気ナッシングな月曜日)
そんな人が書いていて、さらには訳者の方がルーン文字に元々ものすごく興味があって知識をものすごくお持ちの方のようだった。
訳者の方がTwitterで本について宣伝していた文句も、その本を買ってくれた方たちのTwitterをリプライして取り上げてまたさらなるつぶやきを足していたものも、なんだかとっても感じが良かった。
本当にルーンにまつわるものが好きなことと真摯にずっと取り組まれてきただろうことが伝わってきた。
さらには、そんな本初めてだけれど、今回の本に訳者個人所蔵の資料も添付されていて、本の最後尾に付いている。
訳者の方の資料が付けられているケースは初めてで、とにかく本が大切にされていて愛されてる!と感じた。
それを知ってから改めてペンジュラムとボードに聞いたらYESと力強く出た。
翻訳本の場合、本当に当たりはずれが激しくて、一度は私は編集部に新しい訳者を立てて再出版されることはありませんか?と問い合わせたことが10年くらい前にあるくらい、本当に酷いものは酷い。
スピリチュアル界では有名なホ・オポノポノについての本で、その本は今書店で出回ってるものじゃなくて、まだ今みたいに有名になるうんと前に、その提唱者のヒューレン博士にピッタリとくっついて色々インタビューや見学をして、それをきちんとドキュメンタリーのごとく言葉に起こして本にされた、とっても貴重な本だった。
ヒューレン博士というのは、ホ・オポノポノというハワイに伝わる奥義で、特定の呪文を唱えるのと思考を変えることで、ハワイにあった罪を犯した精神病者が収容されている病棟を最終的に閉鎖させることができたくらいに受刑者を復帰させた人で、とにかくすごい人だった。
そんな意味不明なことがあるのかと疑問に思った、とある著名人が、博士と個人的に連絡をとって博士とやりとりした実録で、本当にとっても希少な内容だった。
私個人もホ・オポノポノを実践した時があって、本当にそれで現実が変わることを実体験で持っているから(私も大変に疑って、それでどうせ唱えるだけならタダだからやってみよう、そんなことで変わるわけない!と思ってやったという相変わらずの疑い深さでやった人)、だからこそその貴重な実録本が適当に訳されたのが心底残念でならなかった。
訳者を調べたら、その訳者はスピリチュアルにはとっても疎いだろう、全く関係のない分野のものしか普段は翻訳しないらしい人だと知った。
名前は覚えてないけれども、スピリチュアル本の翻訳者では聞いたことない人だったから、気になって調べたらそんな風だった。
当時はその本がたしか絶版な上に、訳もボロボロすぎて、だから誰か新しい訳者を立てて再販されないかと思って、それで問い合わせを出版社にした。
残念ながらそのような予定はないというような内容が返信で来たのは覚えている。
そして決して訳者の方を責めるような言い方はしてなかったけれども、少なくとも返信をくれた担当者の方もその日本語訳を良くは思ってないんじゃないかと感じる文面だったこともうっすら記憶がある。
とかいう過去のことも思い出して、今回のルーンの本は私の知識の無さで読解が難しくても少なくとも訳者の方が本当にその内容に真摯に長年向き合ってこられての翻訳本とわかって、それで訳がどうであろうと大切に作られていることだけは確信できたから、それも手伝って取り寄せることを決められた。
で、なぜに「今日(=土曜日)」とペンジュラムとボードが言ったのかもわかった。
最近Amazonで3冊くらい本を取り寄せた。
どういうわけか簡易包装に切り替わったせいなのか、新品到着にも関わらず、表紙が折れてたり切れてたりすることが立て続いている。
そのうちの1冊は人にプレゼント用で買ったおいせさん手帳だったゆえ、人に贈るものがそれで本当にショックだった。
だから今回は楽天とか他のところで取り寄せようと思った。
そうしたら、どういうわけかどこも取扱いなしや在庫なしと出てきて、こういう本あるあるで、もしかしたらすぐに販売休止とかになるのかな…と不安がよぎった。
もはやAmazonの包装で多少本が傷んでいてもいいから、きちんと在庫があるうちに取り寄せようと気持ちが切り替わって、それで即注文した。
ということで、ペンジュラムとボードが言ったように、
・もうすでにチェックした本
・日本人ではなく外国人が著者
・外国人著者の本を日本語訳されたもの
・買うのは今日(土曜日)
の全てをその通りにコンプリートした。
年内に届くんじゃないのかなと思う。
*
余談だけれど、月曜日仕事が終わってからTSUTAYAに寄った。
TSUTAYAに寄るのは何ヶ月ぶりかわからない、もしかしたら1年ぶり以上かもわからないくらいに久しぶりな感じだった。
ダメ元でタロットカード特集の雑誌の在庫がないかなと思って見に行った。
予定通りなかった(T_T)。
ついでにルーンの本もなければその他諸々の本もなかった。
それだけじゃなく、私がニート時代に時々通っていた頃と違って、スピリチュアル系の本でけっこうレアなものも置いてあって充実していたのに、今はうんと軽いものになっていた。
あと驚いたのが、心理関係の本で今ホットなものというのが、「自分を大切にする」的なテーマのものだったこと。
足繁く通っていたからわかるけれど、2年前3年前にはそういうタイプの本はほとんど置かれていなかった。
もっと言うと、私が超ガチで色んな心理ワークを受けまくっていた頃には全くと言っていいほどなかった。
いつのまにか時代は自分を大切にする流れに入っていて、さらには私の中でもここ2年くらいは「自分を一番大切にする」ことだけにとにかく専念していたから、自分が到達した自分を楽にする方法や考えと世のそういった心理ブームとが重なっているのを見て、自分の至った考え方は心理学的にも合っていることだったんだなと知れて良かった。
自分を楽にするというか、生きづらさを減らすためのものがすなわち私にとっては「自分第一」にすることだった。
感じ方や考え方が世間や他人と大きくどんなにずれていようが、誰からも理解されなかろうが、とにかく自分だけは自分の感覚をOKにして自分のためだけの居場所を作ろうと思った。
それが良いと確信してそうしたのではなく、もはや万策尽きたと思って、それでじゃあ今度はその方法を試してみようかと、上手くいくとは全く思わずに始めたら想定外に上手くいって、それこそが私には必要だったんだと気付いた。
さらに話は変わるけれども、TSUTAYAにはもう私が欲しいと思える本がいつのまにか無くなっていることにも気付いた。
私の買う占星術関係でもタロット関係でも、基本はマニアックなものたちばかりで、一般書店には、ましてやTSUTAYAみたいなホームカルチャー、ホームエンターテイメントを軸とするところには、そんなマニアックな本はないんだと理解した。
もちろん自分自らネットであれこれ探していることもあるけれど、それにしたって私は本当にやたらとマニアックなものたちをいとも簡単に探し当てているんだなと知った。
そう思うと、本1冊とったって、それさえも本当に一期一会の出会いなんだと感じた。
本に呼ばれるようにして引き合わせてもらっている本たちばかりが今私の手元に集まっている。
それってとても幸運なことなんだと、本当にラッキー!と心から思った。
【冬至の買物】
22日になって真夜中の1時を回るくらいになると、冬至を迎える。
ホロスコープを出して見たら(実際は、仕事中ちゃっかり出して、またさっきもう一度詳しく出して見た)、自分の方にも大きく影響がありそうな天体配置だとわかった。
冬至からまた少し時間をずらして1時11分に合わせてみた。
そうするとさらに影響大とわかった。(具体的にはアセンダントと呼ばれる東の地平線軸と私の生まれた時の冥王星が完全に重なる)
ということで、その時間に合わせて、ノム推奨のタロットの分厚い事典とタロットカードを置く木製のホルダーを注文することにした。
ノムが実際に本を数ページ写真に撮って送ってくれた。
中身を見たら、さらに良い本だとわかった。
だから迷わずにそれを買おうと決めた。
タロットカードはまだ決まってなくて探している中、先に本とカードホルダーを買うという。
ホルダーなんかは、そこにカードを並べて勉強する自分の時間や状態を思い浮かべて、ウットリとした(笑)。←形から入る人。
ということで、少しだけ夜更かしすることにした。
それか半分眠いから、目覚ましかけて仮眠的に寝ようかとも思っている。
とりあえず、ブログをアップしたいと思う。
ちなみにこの下に書いたこと【メッセージを届けた先のプレゼント】は、既に先に書いてあって、でもそれを最後に配置したくて、先頭から見て時系列があべこべなことになっている。
オカルト日記には関係ないけれども、年内にアップしたいと何ヶ月も前から思っていた2つの記事は、年内アップは無理だと悟り、翌年に持ち込むこと決定。( ̄∀ ̄;)( ̄∀ ̄;)( ̄∀ ̄;)
代わり?ではないけれども、過去を振り返ったのと今とを繋げて見た時に、これについては書きたい!というものが出てきたから、それは年内に書き上げられたらいいなと思っている。
【メッセージを届けた先のプレゼント】
週末の土曜日に、1ヶ月ほど前から約束していた、今のその人向けのメッセージをメールに書いて出したものを、当人と電話で色々と話した。
子育て真っ只中イクメンは、今は子どもの習い事の待ち時間だと言って、その時間に電話をくれた。
メッセージをどうやって出したかというと、今回はペンジュラムとサーフィンボードの仰せの通り、占星術的な星読みはほとんどせずに、サーフィンボードとペンジュラムを頼って、強力タッグのツインズが指し示すものたちからメッセージを取るようにした。
ある時は特定の占星術の天体を調べて、またある時は指し示された本を調べて、とにかくツインズが指すものを1つ1つ見て行った。
それがどう出るかはわからなかったけれども、とにかくやれるだけのことはやって相手に言葉を紡いで渡した。
超優秀な人だけれども(ちなみに私の人生で出会った人の中で5本の指のトップ2、3に入る優秀さ&聡明さ)、仕事もバリバリな様子が話を聞いて伝わってきたけれども(全く偉ぶらず、自分は今の仕事はたまたまみんなが苦手で自分は苦手ではなくできることだから、それで単にやりやすいだけ、と淡々と言う謙虚さ)、そんな風なのにオカルトワールド的なことも否定せずに心を開いているタイプの人。
そういう人と言えども、私は自分のやってることがどう映るかもわからなければ、やっていて自信もなかった。
さらに届けたメッセージがどのくらいどうなっているのかもわからなかった。
いつものことながら、オカルト系の初の体験の時は緊張する。
慣れることもそんなにないから、基本的にいつの時も緊張するけれども、それでも初めての時はさらに一層緊張する。
そんな中、とりあえず終わりの時間に近づいて、そう言えば子どもって何歳になったんだろう?と思って聞いた。
5歳と言っていて、じゃあ来年年長なんだねと言ったら、来年小学生だと返ってきた。
さらに誕生日の月を言われて、その月はたくさんの人たちがその誕生月だし、共通の友人2人もその月だから、誰かと重なっていたら面白いかも!と思って、何日かまで聞いた。
あくまでも私が想定したのは、自分たちの共通の友人の誕生日だった。
ところが返ってきた答えは想像を一切しなかった日にちを言われて、本当の本当に私は驚いた。
子どもの誕生日は、なんとイケメン上司の誕生日と同じ日だった。
それを聞いた瞬間、「守られている」と思った。
山で行方不明になったおじいちゃんをペンジュラムを使って探した日もそうで、とある喫茶店で依頼主の人を目の前に、ペンジュラムでどこでYESが出るかを探っていたら、小さな通路を挟んで向かい側のマダムたちグループの方から、イケメン上司の新潟にいた時の役職名がマダムたちの口から飛び出してきた。
あるようでない役職名で、私は後にも先にもイケメン上司しかその役職名を持った人に会ったことがないし、ましてやその名前を外で聞く、それも人生でたった一度の大きな事をやっている最中に聞いたわけで心底驚いた。
そしてとてもとても心強かった。
今回はおじいちゃんの時みたいな深刻度はないにしても、やっぱり緊張はしたし、後から反省点も色々出てきたし、決して「それすごく良かった!」とは自分の中でならなかったからこそ、まさか最後の最後に、単に子どものところに戻るからそれにちなんでちょっと聞いた話がイケメン上司の何かと重なるだなんて、本当に驚いた。
だって単なる世間話みたいな感じで子どもの年齢を聞いただけで、そうしたら生まれ月が自分の中でヒットして日にちまで聞いて、さらには366日ある中の1日にピッタリと重なるだなんて、何という偶然だろうと思う。
その偶然具合は、幸福度合いにもピッタリと比例している。
毎回ご登壇いただくわけだけれど、もちろんイケメン上司は何にも関係ないけれども、本人もまさかそんなことになってるだなんて想定外過ぎると思うけれど、私にはこういう時こそ1番の安心材料みたいでとても助かっている。
タロットカードだのルーンだのペンジュラムとサーフィンボードだの、とにかく私の人生の中で色んなオカルトが入り込んで自分も興味関心を持ってやっているけれども、そして人様に向ける時は全身全霊でやれるだけのことはやるけれども、やっぱり不安だし心細いし良いも悪いもないものたちを前に悶々とすることもたくさんある。
そうした時にひょっこりと現れるイケメン上司にまつわる何かのサインは、私に何か安心できる感覚を届けてくれる。
それだけは長いことずっとそのようになっていて、おかげさまで今に至れている。
至らない自分なのは相変わらずでも、心のお守りみたいなものをこうしてプレゼントしてもらえるのは本当にいつもいつも救われている。
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