2017年6月28日
「では明日29日の日程を確認。
東経◯度、北緯◯度、日本某所
天気は快晴、間違っても雨など降らさぬように。
予定通り屋外の倉庫の掃除を決行。
周りの者に協力させ、武士俣史子は最初の当番に割り当てること。
間違えても準備万端などにはさせず、いつも通りのうっかりをやらかすように仕向けること。
そして彼女の職場の男性上司にだけ彼女がうっかり抜けていることを目撃させ、それにフォローを働かせるように仕向けること。
皆の者、異議はないかね?
では本日の審議会を終了とする」
なんてことが本当に天上界では審議されてたんじゃないのかと思う。
その日も私には昨日と変わらない今日で、今日と変わらない明日の1日前の予定だった。
自分の人生にこれから特別なことが起こるなんて全く想像もしていなかったし、まさかその時を境に自分でもはっきりとわかるくらいに人生が大変貌を遂げるなんてさらに想像できなかった。
*
これを29日に合わせてアップすることは、6月に入る前あたりから、ひっそりと計画していた。
今も書きながら何を書くつもりだろう…?と自分でもわかっていない。
この2ヶ月、もっと言うと4年くらいかけて、ほぼほぼ余すことなくイケメン上司とのやりとりや回想や心の整理について書き続けてきたから、今さら目新しい何かは何も書けないと思っている。
実際に新しいネタは何もない。
私がこれを書くのは、完全に自分が満足するためだと思っているし、これを目にするだろうイケメン上司には何のメリットもないだろうことも想像はついてる。
だけど、書かずにはいられないし、何か書きたい気持ちは1ヶ月近くずっとあったわけで、書いているうちに何かしら思い当たるだろうと予想している。
*
イケメン上司と出逢った意味を思う時、真っ先に「癒し」という言葉が出てきた。
そんなこと考えたことはこれまでなかったけれども、今ふと、繋がりもしない、だけど強力な印象だけ残して立ち去ったイケメン上司という存在が私の人生に現れてくれた意味を思った。
人生には必要なことしか起こらない。
あの日のあの瞬間は、決して私のうっかりが目的でもイケメン上司のイケメン行為が目的でもなかったと思う。
そうした緻密なパズルを通して1つの大きな人生ストーリーに仕立てる時に必要なことを、あの瞬間はもたらしたんじゃないのかなと思う。
そしてその1つの大きな人生ストーリーの中には「癒し」が大きなテーマとして裏側にあったんじゃないのかな…と今は思う。
人は誰しもが色んなことに悩むし、答えのない何かに対して延々とグルグル思考する癖も持っている。
悩んだところで答えなんか何もないことは日常茶飯事だし、仮に明確に答えが出たからと言ってじゃあもう全てスムーズに動けるよね、じゃあ全て解決だね、めでたしめでたしとはならない。
イケメン上司と出逢う前と後とでは私の生きる世界は色彩が変わった。
それは文字通り、本当に目に映る世界の色がクリアに鮮明にオクターブ級にビビッドになったことももちろんあるけれども、私の内面でも大きな変化を迎えた。
もうイケメン上司を知らなかった頃にはもちろん戻れないけれども、もし知らずにいたとするなら、もしくは知っていてもあの日のようなことが何も起こらなければ、今の私の人生はまるで違うものになっていたと思う。
イケメン上司が現れたことで、私は彼の存在そのものによって自分がどんどん癒されていった。
今考えても何でそこまで悩んだんだろう…と思うくらい、私は自分の人生に対して悩み、何で今日も生きなきゃいけないのか?と毎日のように思っていたし、もう特に何がしたいわけでもないから生きることから解放されたい、とそんなことを思って生きる30代だった。
30歳になる頃にはもうキャリアというものにもしくは社会生活というものに興味がない風になってからは、本当にどこに行こうとしてるのかもどうしたいのかも全くわからなかった。
自分の人生なのに、全てを投げ出したくなるくらいの気持ちだった。
そして大袈裟に聞こえるかもしれないけれども、もう傷という傷がいくつも重なりすぎて、自分自身が限界だった。
これは今でも本気で思っているけれども、私は30代の中の3年とか4年とか使って引きこもったり社会生活から離れてみて心の底から良かったと思っている。
もし30代も走り抜けて立ち止まらずにいたとするなら、40代の今、もっともっとしんどくて、そして30代で手にした色んな癒しのプロセスをこれからするなんてなったら、自分がもたなかっただろうと思うし、想像しただけでゾッとする。
それはそうと、とにかく私は自分を癒すことにいつの時も必死だったし、いつからかは自分さえ癒すことができれば残りの人生もなんとなく大丈夫だろうと思った。
そうは思っていたものの、実際に何十年と人生の分だけ積み重ねた傷を癒すのは容易ではなかったし、色んなことを長い時間をかけて取り組んだけれども、根底から本当に癒されたとはなかなかならなかった。
それがイケメン上司と出逢ったらガラリと変わった。
まずは「生きたい!」と思った。
イケメン上司に会うためにはまずは元気でいないといけないから、単純に会いたいから会うために生きたいという生きることへの執着が生まれた。
執着というと悪いイメージが浮かぶかもしれないけれども、この限りにおいては全く悪い意味じゃなくてむしろ生きることそのものへの価値を体感しないと持てないものだから、ものすごくプラスの意味で使っている。
イケメン上司は何か特別なことをしてくれたのとは違うけれども(してくれたことももちろんあったけれども)、本当の本当に存在してくれてるだけで私への癒しはどんどん起こった。
これって本当にすごいことだと今でも思う。
何かをしてくれたとか、何か偉業を成したとか、何か価値あるものを提供したとか、そういう社会で賞賛されるものではなくて、ただ在るだけでその場にいてくれるだけで誰か他の人の人生を最大限に引き上げてくれるってどれだけすごいんだろう。
やろうと思って、もしくは目指そうと思ってやれることとは絶対に違う。
イケメン上司も自分がそんなことをしているなんて全く思ってはなかったと思うけれども、実際にそれだけの影響を私に与え続けていた。
生きてることが楽しくて、明日を迎えることが楽しみで、それらの原点はすべてイケメン上司の存在そのものにあった。
そういうものを日々体感していた私は、どんどん癒された。
生きることに対してのこの上ないモチベーションをもらって、こんなにも生きるって楽しいんだ♡\(*ˊᗜˋ*)/♡という感じだった。
だから、イケメン上司の存在というのは、私にとっての癒しで生きる力を引き出すパワーの源だった。
*
2021年6月29日
今日の新潟は雨だった。
夕方くらいからは曇りぐらいに回復したけれども、4年前のように快晴とはならなかった。
今日の仕事中、何回か考えた。
もし4年前の同じ日、今日みたいな天気なら外での作業はなかったと思う。
当時の職場は、技術者たちは基本的にみんな日中現場に出ていたから、みんなの予定を合わせてみんなが事務所滞在にするにはいきなり今日言って明日そうしよう!とはできなかったはず。
予めその日に的を絞って日程調整をしての6月29日になったんだと思う。
そうなると天気は予想できない。
梅雨の季節だから雨の可能性ももちろんある。
そんな中で一か八かで立てられた計画だったんじゃないかと思うけれども、それが本当に雲ひとつないくらいに晴れて、むしろ私はひたすら日焼けの心配しかしてなかったけれども(そちら側は抜かりがなかった)、とにかく晴れて無事に決行となることだってある意味奇跡の1つに数えられる。
もし外掃除が行われなければ、イケメン上司と私とは永遠にすれ違って、いてもいなくても互いに気にならない、時間が経てば簡単に忘れ去ってしまう、そんな状態に陥ったのではないかと思う。
だから冒頭に書いた神々の審議会の模様を妄想しながら書いたものも、あながち嘘ではないと思う。
見えないところで信じられないくらいの数の調整が為されて当日を迎えられたように感じる。
そんなことを感じながら、今日は何回か仕事中にも自由に振り返っていた。
本当はもっと濃い中身を書く計画だったけれども、今日中にアップするとなると書き終わらないことが簡単に予想できたから、癒しの他に思い浮かべたことはまた近いうちに書き上げてアップしたいと思っている。
一応忘れないようにメモ書きは残した。
濃い中身は書けなかったけれども、代わりというか面白いものを家の日めくりカレンダーで発見した。
今日というのは「星の王子さまの日」らしい。
朝は気付かなかったけれども、家に帰ってからカレンダーを改めて見て気付いた。
調べたら、『星の王子さま』を書いたアントワーヌ・ド・サン・テグジュペリの誕生日が由来とのこと。
『星の王子さま』を何回か挑戦したものの一度も最後まで読破できたことのない私は具体的なストーリーをよく知らないけれども、とりあえずその本は人生で大事なことを物語を通して伝えているらしい。
何てピッタリの表現だろう!!!と思った。
今日という日は、私にとって人生で本当に大切なものを届けてもらえた日だった。
生きることの喜び、そのスイッチをイケメン上司が届けてくれた。
イケメン上司の意志とは全く違う解釈かもしれないけれど、私側からするとそうなる。
とても素敵なプレゼント(イケメン行為)をイケメン上司からもらって、その瞬間から今に至るまで私は本当にたくさんの素晴らしい体験と色んな心を授けてもらった。
もちろん良いことばかりじゃなくてしんどいことも思い通りではないことも五万とあったわけだけど、それでも私はこうして今「素晴らしい」と感じている。
本当に素晴らしい人生の贈り物だった。
そのように当時も今も変わらずに思えることがさらに素晴らしい。
イケメン上司の方にはこんなに強く記憶に残っていなくても、私がこれだけ騒がなければ忘れ去られていたとしても、イケメン上司の記憶に関係なく私はこんな風に素敵に記憶しているからそれで十分。
星の王子さまの名に相応しい贈り物を私は4年前の今日もらった。
そしてどうやらその贈り物は一生モノらしい。
例えば来年、再来年、10年後、20年後…と時間を経ることに日にちは忘れるかもしれない。
けれど、どんなことが起こってどんな素敵な気持ちにさせてもらえたかは一生忘れない自信がある。
それくらいに素晴らしいものを私は受け取った。
そしてその時から着火した生きる力は今もずっと継続している。
おかげさまで本当に末長く続いてくれてる。
改めてイケメン上司の存在の凄さを思う。
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