2021年6月23日水曜日

雨の日の朝、布団より

2ヶ月くらいイケメン上司にまつわる回想を書いている。

私は書き飽きたなんてことはないけれども、書き過ぎて引かれてさらにもう見向きもされなくなるのは怖いと思っている。


だからもう2つないし3つ書いたらそろそろ日常のブログに戻ろうと思う。(2つは書き途中。もう1つは書きたくなるだろうことがある。)


ずっと書いていて、改めて思った。


色んなことがどうにもならなくても、私はせめてイケメン上司に私側の心情や見えている風景を言葉で伝えたいんだと。


知ってて欲しい。


どうやっても時間をもらえなかった私にとって、たとえこんなイレギュラーなブログという形でも、伝えられることは伝えて、真意や真実を知ってて欲しいと思っている。


そんなのは完全に私の自己満足でしかないけれども、そのくらいのわがままを自分が通してもいいかなと思う。


迷惑もかけないし、好きな時に好きな分だけ見たらいいものだから、逆に見てもらえなくても文句は絶対に言わないから、だから小さな願い事を自分のためにひとつくらい叶えてみようと思う。


いつかは書かなくなる時が絶対にくるから、その時まで思いっきり自分を甘やかして書きたいだけ書けばいい、そう思っている。


死んだら何も伝えられなくなる。


その前に飽きて何も書かなくなることだってあるかもしれない。


いずれにしても、書きたい気持ちがないといつかは書かなくなるし、書きたい気持ちがあっても体が亡くなったら書けなくなる。


自分の中にあるものに声を吹き込んで、こうして見える形にして、届くかどうかはわからなくてもとりあえずお店のように言葉を陳列する。


言葉を手に取って見てもらえたら御の字で、それは何が嬉しいのかって、小さなものでも私の中の一部を共有できるところのような気がする。


「共有」なんていう言葉が適当かどうかはかなり微妙だけど、私1人の中にとどめたら私1人のものでしかなかったものが、こうして外に出すことでとりあえず相手も知り得る可能性が出てくる。


知ったところで何がどう変わるわけでもなくても、知られてないより知られている方が良い。


小さなことでも、私という1人の人間がどんな風で何を思ったり考えたりするのか、その中の少しだけでも知り得てもらえたらとても嬉しい。


毎日のように顔を合わせていた当時は、何ひとつ伝えることもできなければ、小さなやりとりさえも叶わなかった。


そして何がなんだかわからないうちにイケメン上司の最終日がやってきて、次の日からは本当にイケメン上司はいなくなってしまった。


頭で理解することと心の理解は全く別物だった。


もう会えないことに対して本当に実感が湧かない気持ちもある一方で、いないことの現実に日々打ちひしがれていた。


信じたくない気持ちと現実とのギャップが凄まじかった。


そうした中でブログが1つの接着剤みたいな役割をしてくれたのは、望外の出来事だった。


「接着剤」も言葉としてなんだかなぁとツッコミどころ満載だけど、とりあえず出てきたからそのまま使う。


昨日と今日で何の変化もない私の中はそのままで、物理的な世界にはイケメン上司がいなくなった。


本人の痕跡はちょこちょこあったけれども、どうやって見ても本人はいなくて、時々仕事の電話で後輩くんとは喋っていたけれど、私がその中に参加できるわけもなく、本当に遠くに行っちゃったんだなと認めたくないけれどもそれが現実だった。


交わらない、関われない、繋がれない、ない、ない、ないのオンパレードの中、私は全てを託してブログを再開した。


「ない」を見えないミクロサイズの点で「1」にできたらいい、ブログが届いたらいい、本気の夢見る夢子状態で始めた。


届くこともだけど、それが4年近く継続されてることの方はもっともっと想像できなかった。


どんどん欲が出てきたというか、自分の欲に対して素直になれるようになってきた。


自分の欲を持つことさえダメみたいに私なんかは思っていたから、今頃になってやっと自分の欲を言葉にできるようになったなと感じる。


知っていて欲しい、それを本当に素直に認めて言葉にできるようになるまでこんなにも時間がかかった。


過去にも一度か二度そんなことを書いたと思うけれど、その時もその時ですごく勇気を持って書いた記憶がある。


「何言ってるんだ?」とか冷たい感じで思われないかななんて悪い方にばかり想像が働いて、それでもようやく口にした、そんな風だった。


今はなんとなく大丈夫な気がするから、そのまま言葉にしている。


ようやく自分の望みをそのまま口に出せるようになった。







最近は、これまで以上にひそかに「いつかは時間を使ってもらえなくなる」と思っている。


それがたとえ単にブログに立ち寄るだけでも、それを今は本人の意思でそれをしてもらえている。


それは単に私が日々お気に入りのブロガーの人のブログを立ち寄るみたいに、意識してというより無意識にそうしてるかもしれない。


それでもいい、少なくともその人に与えられている時間の幾ばくかを私に関わるものに使ってもらえることに意義がある。


だけど、それさえも、大切な人や優先順位の高い何かが現れたら、その時にはこのブログは今と同じように発信していたとしても、もう無いも同然の立ち位置に転落すると思う。


発想の仕方がちょっとズレてるかなと思うけれど、ここ最近の自分の激務具合を見て、しかもそれがしばらくは継続することが確定していてという中で、イケメン上司の仕事の責任はもっと重いのは想像がつくから、仮にも今の私の日々の重圧と責任の重さを見た時に、こんな状態で新規に誰かと人間関係を作るなんて相手に相当入れ込むとかいうことでもない限り絶対にないなと思った。


新しい人間関係に相当なメリットやどうしても相手と仲良くなりたい!!!という強い想いなり意志なりがなければ無理だなと自分を見て思う。


そんな風に考えていくと、首皮1枚で繋がっているような今の状況なんて、あっという間に簡単に切られてしまうだろうなぁと想像できる。


いつかは終わりがくる。


それを思うと、今はとても恵まれていて、そして今じゃなきゃ伝えられないこともある。


書き続けることはできても、イケメン上司の意識と時間をほんの少しでも私の方に向け続けさせることなんか絶対にできない。


弱小過ぎる自分の立ち位置は普通に考えて今後昇格するなんてそうそうないだろうから、望みは捨てなくてもその現実を受け入れる努力は今後も必要になる。


私もこんな風に書き続けることよりももっと大切な誰かに出会ってそちらに全ての時間とエネルギーを注ぐようになりたいと切に願うところだけれど、そんな起きるか起きないかもわからないことよりも、繋がらない現実を真摯に受け止められる自分の中の受け皿を作る方が先決じゃないかと思う。


とにかく奇跡的になぜか今はこのブログがイケメン上司の日常にそっと置かれていてとってもありがたい状況にあるわけで、そのいつまで続くかもわからない未来に対して不安になるよりも今ある機会に注目して伝えられることは伝え切りたい、そう願っている。

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