「史子〜 新潟に住んでるんだっけ?? わたし今日に行くんだけど…。急に史子を思い出した!」
仕事が終わって携帯を見るとのんちゃんからメッセージが入っていた。
私の記憶の中ののんちゃんは大阪にいるはずで、その大阪ののんちゃんがどうして新潟に!?と思った。
しばらくメッセージのやりとりをしてわかったのは、のんちゃんはオリンピック聖火リレーに携わる仕事をどうやらしていて、それで新潟に入ってきたらしい。
これがコロナの時でなければ多少の違和感はあってもそこまで感じなかったと思うけれど、このコロナの渦中に新潟にわざわざ来れるというのはどんな事情なのかと想像しても全くわからなかったけれども、聖火リレーと聞いて納得した。
(コロナはなる時はなるくらいに思っているから気にならないけれども、それよりもそういう社会情勢の中でわざわざ新潟を選んではるばる来ることが驚きのことだった。)
で、仕事を午後早退することを決めて、60キロ以上離れた新潟に行って、のんちゃんと午後落ち合える時間から落ち合おうと決まった。
至急案件をちょうど持っていないのと、仮に朝仕事に行って至急で入ってきても早退すると申し出れば避けられる。
それよりも何年ぶりになるのかわからないのんちゃんとの再会の方が楽しみで仕方ない。
*
のんちゃんは、高校を卒業する間際からアメリカに行って語学クラスを大学入学前に取るまでに一緒に英語を学んだ仲間であり、さらには最初は東京の阿佐ヶ谷というところで英語のクラスを取るにあたって関係者の方の横浜のマンションに3ヶ月ほど下宿料を払って住まわせてもらっていたけれども、その時に共同生活を共に送った友達でもあった。
のんちゃんと私ともう一人とで当番を決めて、毎日ごはんを炊いておかずを作って、本当に文字通り同じ釜の飯を食べた。
途中からのんちゃんと私とは同じクラスになって、その時は通学も一緒にした。
私鉄線で横浜駅まで出て、横浜から渋谷まで東急東横線、その後JRで山手線で新宿まで、新宿からは中央線で阿佐ヶ谷まで通うということを3ヶ月ほどした。
私が今でも迷路のような新宿駅を難なく移動できるのは、その時の感覚があるから。
のんちゃんは18歳の私のことを知る数少ない友達の1人になる。
毎日2人で文句を言いながら宿題をしたり、どうでもいいことをゲラゲラと笑ったり喋ったりしながらリビングのようなところで過ごしていた。
いつもなかなかスイッチが入らない宿題のノートなりテキストなりが広げられていたことは記憶に今でも残っている。
アメリカでは別々の大学に行ったけれども、のんちゃんの住んでいるところも私の住んでいるところも互いに行き来した。
日本に帰ってからはしばらくお互いに不通だった気がするけれど、ドミニカから戻った時、2009年に当時は大阪の実家に住んでいたのんちゃんを訪ねて泊まらせてもらった。
2人で恋愛成就と呼ばれる京都にある鈴虫寺に出かけた。
その後ももう1回くらい大阪で会ったような気がするけれど、とにかく10年ぶり以上な気がする。
のんちゃんとのメッセンジャーのやりとりでは、お互いに大阪や名古屋にいた頃は話していたけれども、私は新潟に戻ったことはその中では言ってなかったようで、でもなぜかのんちゃんが私が新潟にいると思って連絡してくれたのはものすごい確率の下で起こっているとしか言いようがない。
すごい久しぶりでも、そしてのんちゃんと出会ってから25年近く経ったという、その25年という時間にビックリするけれども、久しぶりという感じはあまりしない。
18歳19歳だった2人がいきなり未来の今にタイムトリップしてきたみたいに感じる。
のんちゃんはコロナの今、PCR検査で陰性だったことをわざわざ教えてくれたけれども(東京に住んでるようだった)、私はそんなことよりものんちゃんと最後に会ったのが仮に鈴虫寺の時ならそれから15キロ〜20キロ近く太った今の体型で会うことの方が気になるなどと書いたら、こんな風に返してくれた。
「あはは、最後にあったのいつだろうね〜。大丈夫だよ🙆♀️ 同じだけ年取ったり、変わったのはお互い様だから。😊それより史子に会える方がうれしい🧡」
つかの間の時間を互いに共有できるのが嬉しい。
もう生涯を通じてのんちゃんと同じ屋根の下に住むことはなくても、こうして何かのタイミングが合った時に会えることがうれしい。
40代になった2人は、ここから先いつどのタイミングで死んだっておかしくない。
多分最後の時は互いに知ることがないと思う。
そんな風に考えるとあと何回時間を共にできるのかわからないけれども、今回みたいにふとチャンスが巡ってくる時が2人のために用意された時なんだと思う。
あと半日もするとのんちゃんと落ち合えるかと思う。
そのために今からもう一度眠ろうと思う。
(最近の睡眠パターン:23時台に寝ると真夜中の2時くらいに目が覚めて、そのあとは今日みたいに起きてブログを書いたりネットサーフィンすることもあれば、また眠りに戻ることもある。いずれにしても、この後は1時間おきに目覚めるのが最近の体内時計の模様。
関係ない話だけれど、眠りについてはどんどん不思議なスタイルが続くから、とりあえず寝られたらOKということにしているおかげで、こんな風に変な時間に起きてその後も変な睡眠サイクルでも気にしないのが一番自分が楽チンなんだとわかった。
眠りについて小さな夢というか希望は、せめて5時間くらい目覚めることなく眠り続けること。
8時間くらい寝通すなんてもう今の仕事が始まってから一度も体験していない。
常にアドレナリン放出じゃないけれど、見えないところで色んなプレッシャーを感じていたり消化しきれない情報を消化しようと必死なんだろうなぁと思っている。)
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