2020年9月13日日曜日

㉞【おいせさん手帳】ひと粒のお米が届くまで



大きな建物が米の倉庫



農家さんが運んできた稲刈りした米のコンテナ





おいせさん手帳第34回目
担当:私

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9月13日

一粒のお米があなたに届くまで。
稲刈りの時期。

炊きたての新米は、自然の力と人の力とが協働して初めて食卓に届きます。春先に新緑色の小さな苗たちは田んぼに植えられ、秋には黄金色の稲穂に実り、そしてそこから様々な人たちの手を借りて、私たちの元へ届きます。自然でも人でも、何か1つ狂ったのならお米は届かなかったことでしょう。自然の恵みと人々の力があってのお米だということを忘れずにいたいものです。

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これも思い入れの深いメッセージの1つ。

色んな仕事をしてきたけれど、去年1ヶ月と少しだけ行ってきた米の仕事は、本当にものすごく強く印象に残ったし、過去最高に癒された職場でもあった。

そこに行かなければ上のメッセージは絶対に生まれなかったし、ひと粒の米に想いを馳せるくらいの出会いにも恵まれなかったと思う。

ちょうど米の仕事をしていたかたわらで、1年前の私はおいせさん手帳のメッセージを書いていた。

雨の日と米を受領して保管するまでのプロセスを担う巨大機械の休みの日が私の休みの日だった。

その時にメッセージを書いたりノムと史上最高に楽しい打ち合わせという名のおしゃべりをしていた。

本当に夢のような時間だった。




新潟県民あるあるかは知らないけれど、うちの家は昔から農家の人から直接お米を買っているから、スーパーや米屋で米を買う通常の流通ルートを知らない。

1年前に行った米の仕事の場所は、市場に出回るものが主たるもので、それに登録している地元農家さんが稲刈りの後お米を持ってきて、それを精米したり貯蔵したりする施設だった。

全国的にもかなり珍しいタイプの方式を採用してるとかで、今でも見学の人が県内外から来るし、稼働率は全国1だったかかなり上位に入るだったか、後からそのようなことを教えてもらった。

そこに行ってまずビックリしたのは、稲刈りというのは天気を見てやるものかと思っていたら、農協管理下のものになると事前予約が必要なようで、ある程度の収穫の時期を見越してあらかじめいついつにやりますと申告してやるようだった。

だけど天気相手だから、当然予約した日が晴れならいいけれど、大雨だと延期になる。

延期になったらまた別の日で調整しないといけなくて、天気が良いから今日に変えたいなんて電話も時々あったけれど、予約がいっぱいだとしょっちゅう断られていた。

今は兼業農家の方が多いからどうしても土日の週末に予約は集中する。

各農家さんはコンテナを借りて、そのコンテナに刈ったもみ殻ごと付けたままの米を入れて運んでくる。

ところがみんなが集中する日は、機械のペースがあるのとコンテナも色んな工程を経て空になったものがないと新たな空コンテナを田んぼに持ち帰れないから、そのダブル待ちでものすごい行列になった。

普通に2時間待ちとかになっていた。

そうしたすごい行列の日、私はひたすら農家さんの受付と誘導をしていたけれど、何が驚いたって、誰一人待っている間に怒らないこと。

何十人の農家さんを相手にしたと思うけれど、とにかく誰一人怒らない。

みんな仕方ないと苦笑いしたり豪快に笑ったり天気の話をするくらいのテンションで言って終わりだった。

今の世の中で少しでも遅かったり待たされたりするとイライラする人がけっこうな数でいる中で、全く意に問わない人たちもいることに心底驚いた。

自然相手だから仕方ないと思っているのか、とにかく肝の座り方が半端なかったし、人間ができてるんだなと大真面目に思った。

どの人もみんな心が広くて自然の流れに身を任せていて、ヤキモキしてないのが凄かった。

そして、そんな風にしてみんなで力を合わせてやって、その後の流通経路にのることもその時初めて知った。

私は繁忙期にしか行かなかったからその後のことは知らないけれど、その後も様々な後処理があって、それら全部が終わって初めて市場に出回るようだった。

稲の種を植える人がいて、それを田植えして、田植えした後も色々と春夏と世話をして、そして秋になったら収穫して、そして今度はそれを市場に出す人たちがいて、その後初めて一般消費者の手に入る算段が整う。

こんなにも技術が発展しても、米はまだまだたくさんの人の手を借りないと私たち一般市民の食卓には届かない。

本当に小さな、でも手間暇がものすごくかかるところはすべて人の手を介す。

人の手なくしては、普通に私たちはお米を食べれないんだとわかった。

大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、自分の命というのは、そういう色んな人たちに支えられて初めて成り立つものだと深く実感することができた。




米の仕事で仲良くなったヨシダさんから夏の始まりくらいの時に野菜をもらった。

その少し前にももらって、ヨシダさんに「本当においしかった!!」と言った。

その時ヨシダさんは
「おいしいって言ってもらうのが一番だな」
と言っていた。

なんてシンプルなんだろうと思った。

ヨシダさんというのは並外れた知識と発想を持っている人で、実際に今では誰も取得できないと言われる農業界の特許的なものも毎年ずっと試験をパスして持っている。

本気ですごい人なのに、全然飾らない。

ましてやそんなすごいことも鼻にかけないし、私は色んなやりとりを経て知り得たけれど、普段のヨシダさんはそんなことおくびにも出さない。

でもそんなすごい業績や専門技術を持っていても、そういうことではなく、自分の丹精込めて作ったものをおいしいと言ってもらえる、そのことが何よりも1番だと言う。

本当に敵わないなぁと思う。





1年前からずっと下書きに入っていて、あれよあれよという間に今になってしまったけれど、いつか落ち着いたタイミングでアップしたいことがある。

1年前、米の仕事に行って、私にとっての心の傷の向き合い方が180度変わった。

それまでずっとずっと、傷は癒すものだと思っていたし、それこそが生きやすくなる術だとばかり思っていた。

でも米の仕事で色んなことに触れて、色んな人たちと笑い合う時間をもらって、そして気付いた。

もう傷は癒さなくていいこと。

代わりに、傷と共存していくあり方を探そうと思った。

残りの人生で躍起になって傷を消さなくてもいい、癒し切らなくてもいい。

でもその傷と共に生きていく、自分が受け入れられる形にして共に生きていく、それでいい、ようやくそんな風に思えた。

それは私にものすごく大きな癒しをもたらしたし、そして自分の心の大きな転換点にもなった。

だからなのか、単に本当に楽しかったからなのか、今も米の仕事のことはよく思い出す。

そして「今ごろ受付してるかな?」とか「突然雨が降ってきて、みんな大慌てで中に入ったかな?」とか「今ごろみんなでおせんべい食べてるかな?」とか、とにかく色々思い出す。

そこに行かせてもらえて本当に良かったし、もう二度とそこに行くことはなくても、生涯大切にするものをたくさん分け与えてもらえた。

ひと粒のお米が届くまでの現場は、素晴らしい人生の教えに満ち溢れていた。

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