2020年9月10日木曜日

9月8日のちょびっと回想

3年前シリーズ。

今日の振り返り9月8日編。

この日は下で整理整頓をしていたその人をつかまえて、時間が欲しいと言った日だった。

転勤の話をNさんから聞きましたと切り出した時、「だから何?」とでも言わんばかりの反応が返ってきて、ひるみそうだったけれど、そのまま続けた。

そもそも私がやってきたことも想定外だっただろうし、私ももはや何がどうなってそんなことをしているのか!?状態だった。

細かいことはどこかに書いたからもう書かないけれど、その辺りから私も私でかなり変な動きをいくつも続けた。

即刻断られて、私もわけもわからずたしか「ごめんなさい」とか口走って、逃げるようにその場を去ったと思う。

覚えているのは、その人が「すみません」じゃなくて「ごめんなさい」と言ってくれたこと、そして私の方を見ながら伝えてくれたこと。

「すみません」ではなく「ごめんなさい」と言われたことは良かった。

公人ではなく個人として扱われたみたいで、それだけは唯一救われた。

もちろん私は個人的な話をしに行ったわけだけど、そもそも個人的なやりとりが一切なかったから、どんな風に返されても仕方のないことを私はやっていた。

だからすみませんじゃなくて「ごめんなさい」にほんの少しだけ救われたのとは違うけれど、対個人としての返事で良かったな…と思った。

実際には、イケメンだから断るのも慣れているんだろうなぁと思う方が強かった。

私は超勇気振り絞って話しかけに行ったけれど、イケメンのその人にとっては特段珍しいことでもないのかもしれないな…なんて思った。

今書いてて初めて気付いたことだけれど、その人はそこで何してたんだろう…。

基本その人は現場に行って作業するのではなく、全体の管理やら統括やら調整やら、詳細は知らないけれど、現場に作業のために行きます的なのは数としてそんなになかったと思う。

ましてや異動が決まって事務的な引き継ぎやそちらの整理が色々ありそうなのに、その人は現場に行く用のかばんみたいな中の細かい工具みたいな整理をしていた。

あんなに直前になってまでそんなことしなきゃいけなかったのかはわからない。

たしかにそこに行けば1人になれるし、誰にも邪魔されないところではあったけれど、今思うと不自然な状況だったなと思う。

もしかしたら現場で作業する用事があったのかもしれないけれど、もしくはそこを去るにあたっての整理整頓だったのかもしれないけれど、いずれにしてもそこに1人でいてくれて良かったなと思う。

そうでもなければ、その人と私2人しかいない空間なんてありえないから、その時はそこにいてくれたからこそ話しかけに行くことができた。

それはもう一か八かの賭けみたいな感じで私はその人を探しに行って、それでこれまた人目に全くつかないところにいたところをつかまえた。

私はそもそもその倉庫的な場所で普段何をしているのかも全くもって知らないままだったけれど、どういうわけかそこに1人ポツンといて、誰からも死角みたくなっていて、しかもみんな事務所の方にいるから気付かれることもなく、守られた空間でその人とやりとりできて本当に良かった。

これは今だからわかることだけれど、その人とやりとりする時はいつも守られていた。

他の誰にも邪魔されることなく、本当に時間にして1分にも満たなくても、わずかばかりの隙間を狙って2人だけしかいない時を手にすることができていた。

その人から見て私の行動は読めなくて不可解ではあったと思うけれど、その人がキッパリとできないと言ってくれてその後私は気持ちが吹っ切れた。

そもそも無理に無理を重ねてお願いしていることは重々承知していたし、高嶺の花みたいなその人は手を伸ばせば届く人でもなんでもなく、そして私もその人に限らず基本的に男性ウケがいいのとは絶対に違うから、断られても当たり前だと思っていた。

だからその人が断るだろうことは想定内すぎたし、「うん、そうだよね」という気持ちの方が強かったように思う。

その後ほんの少しだけ冷静になれた自分は、もうこれで終わりだなと真面目に思った。

もういなくなるんだし、元々手の届かない人だったわけだから、これ以上どうしようもない、もう十分やりきったと思った。

相手が色んな面でイケメンすぎたことも手伝って、私は自分が相手にしてもらえるとは全くと言っていいくらいに思わなかった。

あの職場は私以外みんな既婚者で、そもそも独身女は私しかいなかったけれど、普通の一般的な出会いの市場ならその人は非の打ちどころがないみたいなハイスペックな人で、外見含めてモテないなんてことはないように思う。

仮にモテない人だったとしても、私を選んで1回でもいいからごはんに行くなんて、その人にしたら何のメリットもないと断言できそうなくらいだった。

しかも軽いノリで女の人と2人で出かけるなんてその人は多分性格的にできなさそうだから、ますます一緒に出かけられる人となると超狭き門になる。

そんな風だったから、相手が時間を作れないと返してきたことも何ら不思議はなかった。

私に対してかなり不思議な反応をした時もあったけれど、あれは単に慣れてないからだったとその時は思った。

今毎日100人近い男の人たちと顔を合わせてわかったけれど、本当に女の人全般に話しかけられないみたいな超シャイな人もいて、とにかく女性全般が苦手な人もいる。

その人はそこまでではなかったけれど、決して自分からベラベラと話すような人ではなかった。

下の名前で呼んでもらえる事務さんたちが羨ましく、そういうところはスマートな感じに振る舞っていたけれど、私みたいに不意打ちの女の相手は不慣れな感じだった。

不慣れそうではあったけれど、断るのはとってもスムーズだった。

悲しいくらいにスムーズだった。




私は本当にそこからはもう何もしない気でいたし、残りも少ない時間とわかったところにこれ以上色々気まずい要素を自らぶち込むのも嫌だった。

あの時は本気ですべて終わったわけだし、あと残りの日々もなんとかやり過ごせばいい、そんな風に直後は思っていた。

今振り返ってみても、その人は私がごはんに誘ってからというもの、本気で超気まずそうにしていた。

私が目の前で話しかけるのも耐えられなかったとしか思えないくらいの拒絶拒否ぶりだった。

その人の考えてたことや感じてたことは何もわからないけれど、ああした拒絶拒否はその人なりの精一杯の自己表現だったんじゃないかなと思う。

本気で嫌ならば、今ごろ私はとっくにその人の日々の生活の中に一切いなかったと断言してもいい。

今もいるのとは違うけれど、何がそんなに魅力的な文章なのか(魅力的とかそういうことじゃないと思うけれど)、その人はブログを確認している。

当時のその人の態度は、武士俣さんが嫌いです、俺に近づかないでください、の意味にしか私には取れなかったけれども、本当の意味は違う何かだったかもしれないなぁなんて思う。

色々動いた先に今があるのは確かなんだけれども、1つだけ思うことがある。

こんなこと言ったら、本当に頭のとち狂った人みたいだけれど、今の今にまで私を連れてきてくれたのは、私の魂とその人の魂なんだと思う。

魂レベルのことは、人間的事情は待ったなしだし、考慮にさえ入れてもらえない。

その代わり、それが魂の願いや意図なら、そのために全力で物事は動いていくし、なるべき形に事は運ばれていく。

この後も私は動いていくけれど、その時はもう自分でもびっくりするくらいに一気に息つく暇もなく何かに突き動かされるように動いていた。

自分のことなのに自分のことじゃないみたいだった。

今動かなきゃ絶対にダメだと思った。

その感覚が今この瞬間だけを指してるのではなく、過去から未来すべて繋がっている時間の中で今しか無い、そういう感覚だった。

あれは私の中で勝手に「魂の感覚」だと思っている。

そしてそれに反応してくれたのも、その人というよりもその人の魂なんだろうという気がしている。




これは8日に実際に書き始めたけれど、8日は疲れ切って書き切らなくて、昨日9日はイマイチ書く気持ちが薄かった。

何を書いていいのか珍しくよくわからない状態になっていた。

これを書いているのは10日の朝、仕事に行く前だけど、3年前の9月10日はまた全く別のフェーズに私はいた。

その時のことを他に何もせず真っ直ぐに見つめていると、自分がどこにいるのかわからい感覚になる。

当時のことを当時とは少し感覚が違うけれども、それにかなり近い感じをまるで昨日のことのように思い出す。

私はそうなるけれど、その人はどんな感覚なんだろう…。

当時は何を思って、そして3年後の今は何がその人の心の風景に映っているんだろう。

今書いててわかるけれど、理性で抑え込もうとすると何も書けなくなる。

その人のことを書いたりその人に向けて何かを書くことは、頭では絶対に書けない。

心で魂で書いている、そんな風に感じる。

感覚がまるっと違って、手だけひたすら文字を打ち込むために動かしているけれど、考えながら書いてるのとは全然違う。

文字に起こす前に文字にしたい言葉たちが浮かび上がってくる。

それを私はひたすら追いかけて文字に落としたらいい。

私の手やiPhoneは、私の心のもしくは魂の代弁をしてくれてるに過ぎないのかもしれない。

前回の9月7日の話をアップした後、それがどう作用したのかわからないけれど、その人のスイッチを押したようだった。

たまたま8日の日、私は仕事中休みの上司に逐一連絡を入れるために、机の上に携帯を置いていた。

至急性の高い案件がきたらとりあえず一報連絡を入れて、何かあれば指示を出してもらって私が代わりに動いたりする。

そのために携帯を出していた。

上司に連絡したついでに、ブログの閲覧状況もチェックした。

まず閲覧数が見たことのない数字になっていて、度肝を抜かれた。

一瞬システムが狂ったのかと思ったくらいに、とにかく普段どころか過去最高なんじゃないかと思う数字を目にした。

おかしいと思って、それでどの記事が読まれたのかも見た(仕事を差し置いて…)。

その人のことが書かれたものやその人にまつわるエピソードや記憶が記されたものばかりが選ばれて読まれていた。

読んだかは知らないけれど、アクセスは少なくともあった。

私でさえも覚えていない数々の記事がヒットしていた。

それを見て、少しだけその人の心の中を知れたような気がした。

私が私で3年間色んなことを思いながら感じながら過ごしたように、その人もその人で何かを思ったり感じたりしていたんじゃないかなと思った。

だからと言って連絡が来るのでも何でもないけれど、私がずっと気にしているように、その人もその人の中で気になる何かを気にしているんだと思う。

生きている場所は全く違うけれども、共通するものを共有できてるみたいな感覚になった。

その人も私がオンタイムで携帯をチェックしていたなんて知らなかっただろうけれど、私に知られてもいいと思ったというよりも知ってて欲しかったんじゃないかとほんのちょびっとだけ思う。

私はエスパーじゃないからその人の心の中までは読み解けないけれど、仕事でも有休取って休みだったとしても、私のブログの中のその人限定記事みたいなのを探して見るというのは何かしら意識が働かないとそういう行動にはならない。

何かしら思うなり感じたりしているのは伝わってきた。

そしてそれを見て、色んなことが私1人の意志だけで動いてるのとは違う、というのも感じた。

少なくともその人の意志も働いている。

本当はもっと掘り下げて書きたいところだけど、これから起き上がって支度して仕事に行かないとだから、ここで一旦切ってこのままアップする。

もう少し今現在のことを書けたらいいなぁとは今思っているけれど、どうなるかな…(笑)。

明日はおいせさん手帳の日だから、その後に今感じてることを文字に起こす気持ちになれば書けるように思う。

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