今日は正真正銘
「くしの日」らしいε-(´∀` )
おいせさん手帳第32回目
担当:私
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9月4日
自分の美の基準。
くしの日
髪の毛を整えるためにくしを使う人は多いでしょう。身の回りを整える行為は、「美」を追求する心に繋がっています。その「美」を誰かや何かの基準に合わせるよりも、自分の心地良さに合わせる方が、うんと自分らしく生きるための指標となってくれることでしょう。あなたならではの「美」に想いを馳せるのもあなたらしさに繋がっていきます。
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「美」について今回は思いつくままに書きたい。
とりあえず、わかりやすいものから、化粧について。
私は今ファンデーションを持っていない。
そのための下地とか仕上げ用パウダーも持っていない。
最後にファンデーションを塗ったのは、多分ちょうど3年前の友達の結婚式の時じゃないかと思う。
その時も、その時だけ塗るためにわざわざ買うのが嫌で、東京の妹宅経由で行ったから、美容師である妹から試供品を分けてもらって、それで何とかした。
ちなみにその時も、式が始まる頃には汗だくですべてがはげ落ちて、全く意味のないファンデーションになった。
私が30代の途中から完全にファンデーションを手放したのは、自分の体質に合わせたからだった。
ファンデーションも塗らないことを失礼だと思う人も普通にいるのは知っているけれど、塗っても汗で流れ落ちて見苦しい感じなのもこれまたお目汚しになるわけで、私は正直どちらが失礼なのか?と思うことがあって、それゆえに塗らない。
とにかく年がら年中、顔だけやたらと汗をかく。
冬でも顔汗をかくなんて信じられないかと思うけれど、私の場合はかく。
代わりに冬は場面がある程度特定される。
急激な温度変化に体が追いつかない時、私は顔から汗が吹き出す。
例えば、マイナスくらいの外気温の外を歩いた後朝の満員電車に乗ったりすると、10数度は違うわけで、そうすると車内で大量の顔汗発生になる。
寒い外から温かい室内も同様だし、辛いものや熱々のものを食べて体内温度がいきなり上がる時もそう。
20代の頃、男友達と久しぶりに会って一緒に友達の個展を見に行った時のこと。
近くのインドカレー屋さんに行って、香辛料の辛さで私の顔は汗だくになった。
友達は私の顔からあまりにも大量に吹き出る汗を見て、引いてるとかいうより先に「すごい汗だけど、大丈夫?」って聞いてきた。
見慣れない人たちからすると、具合が悪いと勘違いされるような様相らしい。
あとここ1〜2年でわかったことだけど、緊張する時も汗をかく。
今の英訳の仕事で、それがたとえ冬でも、心理的にけっこう緊張していると、汗がジワジワと出てくる。
はたから見れば更年期みたく見えるだろうけれど、体質です!と言いたいくらいに汗が出る時がある。
そんなこんなだから、ファンデーションなんか塗った日には、ドロドロと流れ落ちて、本当に汚くなる。
塗らない美醜の問題よりも、塗って流れ落ちてさらに汚いことの方が周りの人たちの目に毒となるから、だから塗らない。
それを自分の中でOKにできた時が一番気持ちが楽になれた。
化粧に関して、同性の女の人たちから何回か指摘されたことがあるけれど、今考えればそれはどれもこれも相手の人の価値観なんだとわかる。
「化粧してるのかしてないのか中途半端でわからない、そんなのダメ」
「化粧しないなら、あの化粧下手な教育係の◯◯のところに化粧教室に通わせるよ」(※)
「化粧しないから支度の時間要らないね」
(※ある会社で働いていた時、本当に化粧も全く上手でなければ服のセンスも超イマイチな女の人が、冗談抜きで後輩相手に化粧教室をしていたらしい)
こうやって書くと大したことないみたいに見えるけれど、私はどれも言われてすごく嫌だった。
きちんと化粧していることが世の中的に正しいことなんて誰が決めたんだろう?と思う。
とにかく、ファンデーションはこれから先の人生でもほとんど塗ることはないだろうなぁと思う。
今はかなり気にならなくなったけれど、私は元々外見コンプレックスがとてもたくさんある人だった。
ちなみに、人は外見コンプレックスをどのようにして持つようになるのかは知らないけれど、私の場合はどれもこれも第三者からの指摘によって生まれたものばかりだった。
今は知らないけれど、私が小学生の頃は毎年夏になると「はだし運動」なるものがあって、校内では全校一斉に数ヶ月に渡ってはだしで過ごす。
衣替えの時期にまんまはだしでい続けるみたいな感じだった。
忘れもしない小学校1年生の時。
それが誰だったのかはわからない。
クラスの男の子が私の足を見て、指がすごい太いと指摘した。
自分の机に座っていた私は隠すこともできず、そのうちに私の周りには私の指を見ようと人だかりができて泣きたくなるくらいに嫌だった。
これが自分の外見で何かを言われた苦い記憶第1号で、その後も色々年を重ねるごとに言われて、根強い外見コンプレックスができあがることになった。
たらこ唇と何百回と言われ続けた小学校中学年。
5年生くらいの頃は、隣りの席同士で互いの顔を描く図工の時間に、ペアになった男の子から私の顔の輪郭が食パンマンと言われ、想定外のことに対応しきれなかった私はその場で涙をポロポロとこぼした。
泣き落としを狙ったとかそんなことではなく、本当に気持ちのまま勝手に涙が出てきてしまったという状態だった。
顔がでかいとか太いとかデブとかブスだとかキモいとか、もう色んな言葉を色んな人たちから浴びせられて、ことごとく自分の外見はダメなんだと思って私は大人になった。
とにかく色んなタイプの外見指摘により、何で自分は色々不具合だらけなんだろう…と劣等感みたいなものを根強く抱いていった。
ちなみに転機というか色々そこから抜け出せたのは、周りの人たちのおかげと断言できる。
年齢を重ねるごとに、とにかく私は人に恵まれるようになった。
そして年齢と共に、外見は人間関係の中で二の次三の次どころか重大な内容ではなくなったから、外見云々を気にしなくてよくなった。
私がどうであっても、それによって人間関係の優劣や親近度が決まることはなくて、むしろ一緒にいて居心地がいいかや楽しいかが大事だから、そちらを軸とした人間関係になるにつれ私は外見コンプレックスから解放された。
ゼロにはならなくても、普段気にせずに日々を過ごせて人と人間関係を作れるのは、私にとってとても楽チンだった。
さらに美人でも可愛いわけでもない私と一緒にいたいとか好きだとか思ってくれる、天然記念物級、絶滅危惧種的に希少な男性に出会えたことも大きかった。
モテることもないし外見で得するようなこともまずないけれど、私のことを本気でかわいいと思ってそれを伝えてくれた数少ない男性たちには心から感謝している。
そういう人たちのおかげで、私は子どもの頃に比べたら外見コンプレックスが大幅に解消されて今の自分の立ち位置までこれた。
自分の外見的なものが好きとは思えなくても、ここまでこれたからわたし的には御の字で、なかなか良い感じで大人になれたと思っている。
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