2020年2月8日土曜日

ブログ要員

「ブログ要員」…、この間思いついた言葉で、自分でもなかなか上手い表現だと思っている。

英訳でヒイヒイ言っていても、友達や知人の返信メールが気になっていても、その他の自分がやる必要のあることが山積みでも、イケメンの不可解な行動の方が私の中の考えるテーマとしては大きい。

具体的にイケメンがいつから私のブログに気付いて読んでくれるようになったのかは知らない。

しかも最初なんかはどうやって辿り着いたのだろうと思う。

おそらく「武士俣史子」と検索してくれたのだと思うけれども、そうであったとしても検索しても良いと少なからず思ってもらえたんだろう…と想像している。

私のブログはこの通り長いし起承転結は基本的にないし、読んだ後読了感がすこぶる良いとかでもなければ、何かためになるのとも違う。

何を思って何を感じているのか、生きているうちに聞いてみたいと願っている。

それはそうと、イケメンがブログを日常的に読んでくれてると知って、
ーーー1/21 その数日前から書いていた。




上の続きから書こうかと当初思っていたけれども、あまりにも仕事で気になることがありすぎて、そちらの文章ばかり書いていたら、上の文章の続きを忘れた( ̄∀ ̄;)。

だから仕切り直しで、今のことを。

自分自身が重症だと思った件。

仕事で態度超イケメンくんとやりとりしてわかったこと。

紛らわしいけれども、この文章の中には「イケメン」と「態度超イケメンくん」とが出ている。

わかりにくいけれども、「イケメン」と一言で言う時は別人の話。

「態度超イケメンくん」は、今の職場のエンジニア。

態度超イケメンくんとやりとりした時、私は全然違うあさっての方向に気持ちが勝手に動いていた。

態度超イケメンくんが調べ物をした後に私の席に来て、社内のシステムのどの場所にその調べ物の内容を入れたかを説明してくれた時だった。

態度超イケメンくんの手が腕ごと後ろから伸びてきて、ここですよと言いながら教えてもらった時。

胸キュンな状況なはずなのに、実際にたしかにこの状況おいしすぎる(♡´艸`)♡とかいうのも思っていたけれども、だけど冷静な部分の自分は態度超イケメンくんの手を見て全く別のことを考えていた。

指の形が違う。

そして、態度超イケメンくんの手はとても白かった。

ピンとこない手の形だな…、なんて過去に一度も思ったことのない感想を瞬時に抱いていた。

頭の中では、今ではない過去のある瞬間に飛んでいた。

たった一度だけ、イケメンに資料が挟まれたファイルをイケメン席に持って行ったことがあった。

分厚い資料ならまだしも、数枚の資料のファイルで、私はそれを渡して終わりにするのがいいのか、その場でイケメンが見終わるのを待つのがいいのか、定かではなかった。

だけど、私は少しでもイケメンの近くにいたくて、勝手にその場で待機することにした。

そしてイケメンが資料に目を落としているのをいいことに、私はイケメンの手をじっと見ていた。

今の会社と違って、至近距離でやりとりするなんて一切なくて、ましてや仕事の絡みもゼロで、イケメンに近づくチャンスは常々なかった。

そのファイルは、千載一遇のチャンスが巡ってきて、私はその時していた他の仕事を即座に止めて脇に置いて、イケメンに近づくためにささっとファイルを作って、それでイケメンの席に持って行った。

ちょっとぐらいいいよね!?と思って、どさくさに紛れて私はその場に待機した。

通常の事務机の向かい側ぐらいの位置に私はいたから、近くとは言い難かった。

だけど、普段絡みがなさすぎるから、その距離でさえも至近距離認定できるくらいに近付けた。

そして、ずっと見たかったイケメンの手をイケメンと目が合わない状況を逆手に取って、私は見ていた。

イケメンはすごくきれいな手の人なんだけど、今回態度超イケメンくんの手を見たことで気付いた。

イケメンの手はたしかにきれいなんだけど、きれいだから見惚れていたのとは違った。

私の中で知っている手、何の違和感も覚えず、これこそが自分の中の何かにフィットする手だということをあの時の私は感じていた。

何基準なのかも知らない。

指の形や肌の色なんて今となっては薄ぼんやりとしか覚えていない。

だけど、手を見て、本当に食い入るように手をじっと見つめて、その手を見て色も形も何も違和感なく「あー、〇〇さんの手だ」ととにかく全身全霊で見ていたその感覚と、その手が何か私の中でドストライクというか何の違和感も感じないどころか「完璧」と思ったくらいに何かが心の琴線にかっちりとはまっていて、そうした瞬間、それは時間にして1分とかせいぜい2分とかだったと思うけれども、私の記憶に深く刻まれた。

私は元々自分の手の形にコンプレックスを抱いていて、だから男女問わずやたらと相手の手を見てしまうクセが元々あるけれども、今回態度超イケメンくんの手を見るまで気付かなかった。

私はてっきり全身全霊でイケメンの手を見てしっくり来ていたのは、単に好みの形の手だからだとずっとずっと思っていた。

だけどそうじゃない。

見た瞬間に何かがカチッとはまった何かというのは、好みとか理想とかそういう人間がいかにも考える小さなことじゃなくて、もっと言うなら、「魂が揺さぶられるほど」の何かという感じだった。

魂って言うと毎度大袈裟だと思うけれども、本当に私にはそんな風に見えた。

あの何の違和感もなく手を見ていたことに全然気付かなかった。

色も形も大好き♡とかいう感覚よりも、「しっくりくる」という謎の基準の上にある感覚が最初から最後まであった。

だから態度超イケメンくんの手を見た時に、「何かが違う」と思った。

鼻息荒くなりそうなおいしい状況よりも、手を見て感じた違和感と、その違和感の基準となっているイケメンの手を見た時の0(零)点1コンマもずれていないフィット感を思い出した。

態度超イケメンくんが去った後に、今度はとっ散らかった資料を片付け始めた。

そこに態度超イケメンくんのところに最初行った時に書いてもらったメモ用紙が出てきた。

そもそも態度超イケメンくんのところに最初行ったのは、英訳以前にパソコン通信系の超マニアックな単語がわからなさすぎて、それの参考資料があれば教えて欲しいと聞くためだった。

言葉さえわかればすぐに英訳できるのに、言葉を調べるのに1枚あたり3時間以上かかっていて、その調子だと10枚強の資料の英訳は何時間かかるのか?って話で、それならさっさと資料の有無を聞いた方が早いと思った。

態度超イケメンくんは、その場で参考となる資料のタイトルを適当な裏紙にささっと手書きで書いて私にその紙を渡してくれた。←ちなみにこのやりとりは、今の会社基準だと、超イケメン行動認定される( ̄∀ ̄;)。

その紙はずっと持っていたし、実際にすぐに資料検索のために使ったものだけれど、見返すことはほぼほぼなかった。

ましてやじっくりと見るなんてしたこともなかった。

それでハッとした。

イケメンの時は、何せ本当にやりとりがなさすぎて、どうやったってイケメンの手書きの文字を本人がいた頃は見たことがなかった。

ある時イケメンの後輩くんと事務さんたちとが手書きの文字について歓談していた時があった。

イケメンの後輩くんはきれいな字を書く。

それを事務さんたちに言われた後、イケメンの文字の話にもなって、イケメンは「かわいい字を書く」と言われていた。

その時はまだイケメンの手書き文字を見たことがなかった私は「ずーるーいー!!!!!」と思いながらその話を聞いて、どこを見たらイケメンの手書き文字を見れるのか教えて欲しいとさえ思った。

で、その願いはイケメンが転勤でいなくなった後から時々ご褒美のようにやってきた。

イケメンの手書き文字を初めて見た時も、その後ちょいちょい資料整理や資料探しなんかの折に見た時も、毎回ドキドキしながらその文字を見ていた。

私はどうしてもそれが欲しくて、しれっとその手書きの名前の部分だけコピーしたものが今も手元にある。(機密なものじゃなくて、本当に名前の署名部分だけ)

字のきれいさとかではなく、イケメンが自らの手で書いたものだということが私には大事だった。

本当は原本が欲しかったけれども、そして中には一生誰の目にも止まらない永久不要な紙だというのもわかっていたけれども、さすがにそんなの持ち帰れないから、だから渋々コピーで我慢した(苦笑)。

そんなことを態度超イケメンくんの手書きのメモを見て思い出した。

態度超イケメンくんは本当に素敵男子だけど、そういう気持ちになる相手とは違う。

そんなこと思い出しても、手元のメモ用紙にはチラリと目をやって終わりだったし、当時みたいに書庫的な部屋に行くたびにわざわざ毎回イケメンの手書き文字を見るために特定のファイルを開くなんていうようなことはしない。

態度超イケメンくんのメモ用紙はやっぱり単なるメモ用紙で、それ以上でもそれ以下でもないんだなと思った。

そして、イケメンの時は手書きの名前ひとつ超特別で、私はそれを見て毎回萌えまくっていた。

記憶バッチリだから、例えば本人の名前を何人かの人が書いたものと本人の書いたものとを混ぜて、どれが本物でしょう?ってやったら私当てる自信がある。

それぐらい覚えた手書きの文字だった。

そんなこんなのことを回想していたら、「私超重症だ」と思った。






イケメンがどうして私のブログを読むのかは知らない。

イケメンさえも、何で読んでいるのかわかってないかもしれない。

態度超イケメンくんとやりとりして、こういう普通のやりとりをイケメンともしたかったなぁと思った。

英語の話をちょっとしたり、世間話みたいに会社のやり方の「これって…」みたいなことを2人で変だよねと言ってみたり。

関係ないけれど、初回態度超イケメンくんを訪ねた時に、彼の首のところにイボなのか肌色のホクロなのかがあるのを見つけた。

自分じゃ絶対に見えない場所にあるから、そんなの第三者じゃなきゃ見つけられない。

その首のイボなのかホクロなのかを見て、こういうものを知りたかったと改めて思った。

この間、本だったと思うけれども、大人になって希少な関係は「なんてことないおしゃべりができる人」ってあった。

これはものすごいよくわかる。

仕事に行けば、仕事の用事が中心に話される。

せいぜいあとは愚痴くらい。

家でも用件中心の話が多い。

どうでもいいこと、何の実りもない起承転結もない話、そういうものを私は本当にイケメンとやりとりしたかった。

そういう意味では、このブログはまさにそんな毛色のものだから、しかもやたらと変にマニアックだったりするわけだから、私は勝手にイケメンと私は意外にもそういうくだらない話を共有できる者同士だったのかもしれないなと思う。

私は自分の趣味嗜好が世間ズレしてるのはわかっているから、相手の人もマニアックな趣味嗜好の人だと助かる。

大体そういう人というのは、普段の生活から自分のマニアックさや浮いてる感を随所で感じているだろうから、そういうところを共有できたり、話のネタや切り口がなんか似ていたり、けっこう面白い。

イケメンは私のブログ内でも特にマニアックな内容を選り好んで読んでるみたいだから、それ読めるなら相当マニアックな感覚の持ち主だよね?と思って見ている。





読み返していて思い出したからもう1つ。

イケメンの手を見ていた瞬間のこと。

今思い出すとわかる。

その時、私の中で時が止まったようになった。

ドラマとかで手術の待合室とかにいて、時計の秒針がカチッ、カチッとゆっくり音を刻むみたいな、あの手のゆっくりな時間の流れになって、そんな風な時間の流れにあの時の私はいた。

このまま時が止まってくださいと思ったのも、そう思いながら目に映るイケメンの手をガン見していたこともよく憶えている。

日々色んなことが起こるし、今の仕事は毎日ブログ書けるくらいのネタをいくらでも持て余してる状態だけど、どんなに新しいことが人生にあれこれ起こってきても、イケメンの手をガン見していたことや、そこに1秒でも長くいたいと思った自分の気持ちや、そしてその時は確実に私の目の前にイケメンがいたこと、私の日々の人生の中にイケメンがいたこと、そういうのは絶対に忘れないんだと知る。

忘れないより忘れられないの方が近いかもしれない。

ブログ要員のような立ち位置に私はいるけれども、イケメンももしかすると何か忘れられないほど何かを感じ取っていたのかもしれない。

恋とか恋愛とはおおよそ違うものでも、何か体験したことのない気持ちや感覚を覚えて、それの確認作業が私のブログを読むことなのかもしれないし、はたまたそんなこと関係なしに何か読んでいるのかもしれない。

今思うと不思議な時間の流れ方だったなぁと思う。

いつのどんな時も、イケメンがいた時間の記憶部分はものすごく鮮明で、そしてゆっくりゆっくり何かを確認するかのように時間が流れていた。

他の人たちの時には起こらない。

あれはイケメンがいる時にしか起こらなくて、それが気持ちの問題でそうなっているのか、本当に何か磁場的なものが変化してそうなるのかは知らない。

もし本当の本当に魂同士の繋がりがあると立証されて、そしてそれにより磁場が化学変化のごとく変化するなんてことが科学的に認められることがあれば、是非ともサンプルとして見てもらいたいくらい。

もしそうならそういうことが起きてもおかしくない。

魂同士の再会だとするなら、時空間ぶっ飛ばして今ここに互いにいるわけだから、そりゃ磁場も歪むなり時間もくねくねと独特の刻み方をしても何ら不思議じゃないなぁと思う。





「ブログ要員」、ブログ始めた当初はそれさえも叶いそうにない状況を前に、何でもいいから繋がりたいと思っていた。

今はブログ要員的立ち位置になったらそれでは物足りなくなった。

私もイケメンと同じ趣味でも始めたらいいんだろうか( ̄∀ ̄;)。

っていうか、いつまでこんなこと自分が続ける気なんだろうと時々思う。

何かをきっかけに思い出されるのは、イケメンとのわずかな時間の、それも私の超独りよがりの記憶や感想部分で、それが勝手に自動再生されてしまう。

お願いしなくとも、ものすごい記憶力と共に当時のことやイケメンのことがよみがえる。

これこそ神々の審議会の領域なのではと思うほど。
ーーー2/4  4:57am





ずっと書きたくて、気付けば書き始めてから3週間くらい経った。

3日節分の月曜日から昨日7日金曜まで怒涛の1週間だった。

ちょいちょいブログを書いてはアップしていたけれども、仕事では笑えないことやなんならうぅっとなって涙がにじむようなこともある中で(←ちなみに昨日金曜に一気に良い方向に話が向かったから、とりあえず落ち着いた。近いうちに車窓の窓ならぬ社窓の窓を書きたいと思う)、ふと「ブログ要員」について仕事中歩きながら思ったことがあった。

さっとハイライトを言うと、
・故障の問い合わせなのに、超適当にぞんざいに扱われた英訳と私
・私は依頼されている側なのに、なぜか依頼主が私の質問を適当にあしらって、なんなら私への対応も無礼に当たるぐらい酷かった件
(誰の仕事で誰が責任者なんだという話)
・最後は、「余計なことをしている。仕事が遅い」と本当にこの言葉のまんま言われた件(←目の前では普通に対応したけれど、昼休み心折れて涙がにじんだのはここ)

最後の案件は、本気で派遣会社通して話をしないとまずいかもと思ったけれども、なんと思わぬ形で解決して、そして私の信じた方向がきちんと通ることになったから、とりあえずは良くなった。

派遣とは思えない日々ヘビーなものがやってきている中で、そして連日10時間11時間勤務して頭のネジが何十本と飛びそうな中で、「ブログ要員」という言葉が外は雪が降っている窓の方を見ながら出てきた。

「ブログ要員もずっとずっとやれるわけじゃなくて、いつかは終わるものなんだな」

そう思った。

私はブログを書き続ける気がするけれど、私が書き続けるからと言って相手も読み続けるとは限らない。

いつ飽きたり、徐々に見なくなるなりいきなり見るのを断ったり、はたまたもう全てから撤退してプツンと繋がりが切れたり…、そんなことが未来のどのタイミングで起きたっておかしくない。

繋がりって言葉として適切か知らないけれども、他に適当な言葉も思いつかずそう書いてみた…。

そんなことを思った時に、ブログ要員さえもやりたくてもやれなくなる時がくるとするなら(「くるとするなら」じゃなくて、間違いなく「くる」と思う)、本当に今だけなんだなと心の底から思った。

それをやりたくてもやれない、そういう時が必ずくる。

そう思ったら、今は今で特別なんだと思った。





連日色んなエンジニアの人たちとやりとりしている。

人数数えてみたら、そろそろ20人に達する。

理系男子あるあるなのか、男社会あるあるなのか、はたまた大企業あるあるなのか、その辺はわからないけれども、普段やりとりしない同士で挨拶することは基本ないし、やりとりしてもその後継続して挨拶する人というのもこれまたいない。

例外の人はいても、基本スタイルはそちら。

イケメンの職場がどんな風なのかは知らないけれども、理工系には変わりなく、そして男の人も多いと思う。

もし今の職場みたいなところで出会ったとするなら、「派遣の人」くらいなもので、武士俣さんと認識さえしてもらえなかったんじゃないかと思ってる。

そして、理工系の会社に派遣で行くのは、イケメンのところを含めて4社目になるけれども、ここに来て1つ気付いたことがある。

イケメンがいたところは地方の事務所ゆえに、その事務所自体は規模が小さくて、大型事務所に比べたらアットホームだったということもあるけれども、それでも今行っているところも含めて違いに気付いた。

今のところは特別顕著なのかもしれないけれども、明らかに「人」の扱い方がおかしい人たちがいる。

ただ人として普通に挨拶したり仕事の話をすればいいのに、挨拶も横柄、仕事の態度も横柄、もしくは自分の方が年齢なり立場なり上だと思うから無礼に振る舞って当たり前とか、一部のおかしな人たちがいる。

とかいうことに当たったから余計とわかった。

イケメンは基本的に静かなタイプだし、積極的に挨拶するようなタイプでもないし、自ら自己開示的なおしゃべりをするタイプでもない。

なんだけど、イケメンは人によってコロコロ態度を変えるとか、失礼になるような態度をとるとか、無責任な対応をするとか、そういうことは絶対にしない人だった。

私がごはんに誘った後の私に向けるものは急降下して私は撃沈していたものの、私さえ余計なことをしなければ、おそらくイケメンは最後まで温厚で柔和な対応をしてくれただろうと思う。

仕事ももちろん立場があって事務所の最高責任者だったのもあるにしても、イケメンはいつの時も仕事を真面目にしていて、人が見てない部分もやる人だった。

嫌な言い方だけど、職場内の名簿を作ったのなら、イケメンは当然トップにくるし、私はその中の最下部にくる。

だけどイケメンはそんなこと気にならないのか、私にもごく普通に接してくれてたんだなと改めて思った。

イケメンはズルイぐらいに、容姿端麗だけじゃなく態度も素敵な人だった。

言葉は少ないし自分をアピールするような人じゃなくて本当にほとんど何も知らなかったけれども、発してる空気がとても良い感じで、その空気がさらにイケメン度合いをアップさせていた。

人が良い感じで、私はイケメンの控えめだけど発してる空気感が本当にツボで、今となれば普通に仲良くできたら良かったのになと思う。




怒涛の1週間を経て、こんな風にどんどんイケメンとは生きる世界が違って、交わらないところにしか私は行けないんだろうかと思ったら、ものすごく悲しくなった。

いつか終わりがくるブログ要員についても、この1週間本当に仕事がカオスすぎるところにいた時に、私はいつか何者でもなくなるんだな…と思った。

今の職場にいると、色んなことが変なしきたりや清流からは程遠いおかしな慣習にまみれて、態度が変な男性とかいつも疲れてる男性たちとか、そういう姿もあちらこちらで見かけているけれども、私もそれとは別の意味で浮いてるんだろうなぁと思った。

どこかの組織に属しているイケメンからして、私は異端だったかもしれないし、でもその職場ではずっと静かにしていたから、何の存在感もない人だったかもしれないけれども、どちらにしてもそんな風にイケメンの日々の生きる場所に自分も居合わせるなんてもうできないんだなと思ったら、どこまでも悲しくなった。

今はかろうじてブログが接点みたくなっているけれども、それにはいつか終わりがやってくるし、そして交わらない人生の中で私はイケメンの人生の中からも消えるんだなと思ったら、自分のいる今という時間も足で立っている場所もわからなくなった。

ブログ要員とは自分でも上手い表現を考えたと今でも思っているけれども、終わりを意識し出したら、素直に喜べなくなった。

私もブログだけチェックする人たちというのがいる(その人たちとは面識がないからちょっと違うけれども)。

自分が飽きたり相手の人がブログやめたりすると、それっきりになる、当たり前だけど。

私はいつまで経ってもその域の人で、降格や消滅はあっても昇格はないだろうと思っている。

心の中では、連絡くれたらいいのになといつもいつも思っている。

私の初動のおかしさがなければ、もう少し明るい形の人間関係が築けたかもしれないなぁ…なんて思う。

書いててわけがわからなくなってきたけれども、このままアップしよう。
ーーー2/8 夕方

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