ホロスコープ鑑定2019【前編】 の続き
(リンク飛びます)
[一言追伸:前回アップした頃から2ヶ月半ほど、なんならそろそろ3ヶ月経つくらいで、だから時系列がやたらと長期に渡ります。]
【ホロスコープ鑑定2019後編】
『eat LOVE de ノム』の第3話「魂からのメッセージ・B面」を書く前に、『ホロスコープ鑑定2019【後編】』の話を先に書いてしまいたい。
時系列で今現在までを話すと。
2018年5月
・ノムのブログに出会う
・占星術講座をノムと一緒に受ける
↓
2019年2月
・ノムに私が書いたブログ『奇跡の果実⑧覚醒』をシェアする
この頃より個人的なやりとりがノムとの間で始まる
↓
2019年5月
・ノムと占星術講座の後にお茶をする
ここで2人ともがとっても気の合う同士だと知る
↓
2019年6月
・ノムに誘ってもらって、ノムとノムの恋人ミッチー(男)が住む場所へ泊まりに行く
泊まりに行った先には、ノムたちの大家さんであるレイさん(女)もいて、3人合わせて星トリオと私とで素敵な時間を過ごす
(泊まったのはレイさんのこれまた素敵な母屋)
↓
2019年7月
・ノムとメールや電話での密なやりとりが始まる
↓
2019年7月25日
・電話越しにノムが私のホロスコープを読んでくれる
まさに私の魂からのメッセージをノムが届けてくれた
(これが『ホロスコープ鑑定2019【前編】になる)
↓
2019年8月2日
>15:48
・『Hello new ぶっしー!』と題されたノムからのメールが届く
それが今回の『ホロスコープ鑑定2019【後編】』のメインの話
>16:27
・ノムから電話がくる
書く仕事を今の今頼まれて、ぶっしーも一緒にやらない?と誘ってもらう
↓
8月16日
・ノムと担当者とで打ち合わせ
(意向を伝えて、あとうちら2人を採用するしないは関係者会議次第になった)
この打ち合わせに向けて、何ならできて何ならできない、どういう想いで今回の書く行為をしたいかなど、ノムとぎっちり詰める
↓
8月22日
・正式に担当者よりノムへ仕事の依頼が入る
↓
8月25日
・ノムにノムからの魂のメッセージを書いてメールで届けた(計4通)
↓
9月2日
・第1回目の仕事成果物提出
↓
9月3日←今ここ
・残りの仕事の準備期間
このブログを書くにあたって改めてノムが送ってくれたホロスコープ鑑定の文章を読んだ時、ノムが面白いことをあらかじめ予想していたことを知った。
今回の書く仕事がノムのところに依頼が入る直前、ノムは私にこんな風に話してた。
「この先、ぶっしーと、誰かをまきこんだ何かができたらおもしろいなー、と思ったりしたよ。
それが何かはまだわからんのだけどもね。」
ノムはその1、2時間後に実際に起こることを予言するかのように、そんな風に言ってくれてた。
私はそこも読んだはずだけど、今回見返すまで気付かずにいた。
1ヶ月前にメールをもらったとは思えないぐらい、あっという間で、且つそこからの日々がとっても濃厚だった。
前編と内容が重なるかもしれないけれど、ノムが私にとって3人目の鑑定士さんになる。
2人目の鑑定士さんは、1万人以上鑑定をされていて、とっても博識で且つ私にはさっぱり読めなかった自分のホロスコープを専門的にものすごく詳細に読んでくれた。
なんだけど、あれから1年経って、この1年は出来事が先に起こって、気持ちは少しずつ後からついていくみたいな感じで来た。
これは私個人の感想だけど、霊界のパワーが注入されると、この世である人間界とはルールが違うようで、パワーもありえないぐらいに強ければ、物事が起こるスピードも最短最速になる。
死者の霊魂が自分の人生に登場するなんて、「あのーすみません、私お願いしてないです。私が願ったのは【大切だと想う人と一緒にいさせてください】で、それ以外願ってないですから!」と言いたくなるぐらいに、お願いした覚えもない。
だけど物事は勝手に起こってくるから、それはもう仕方ない。
世俗的な願いは全く聞き届けられてる感じがしないけれど、魂の願い(←自分のものでも全くわからない)はじゃんじゃん叶う。
お願いした身に覚えは常にナッシングでも、あれよあれよと叶うこのハイスピード!
しかも、魂レベルのものは、色々ありえない、人間の力だけで計画して実行しようとしても起こせないレベルのトンチンカンなことを数々引き起こして、そうまでしてでも叶えてくる。
恐るべし魂!
で、こうしたよくわからない出来事が年がら年中予期もなく勝手にやってくる生活に突入して、わかったことの1つは、「自分の気持ちが追いつかない」ということ。
日本のスタンダードな大人なら、計画・立案、実行、チェック、反省(査定)、いわゆるplan・do・check の順で動く。
私のは、先に結果から始まって(だって勝手に起こってくるから)、そのあと亀のような歩みで自分の心をその結果と照らし合わせてみる、という何とも不思議な形態でここまで来た。
さすがの私も色々変だと認識した。
変と認識したし、色々起こってくることも一応全力で理解を示そうとは奮闘している。
だけど、気持ちたるやそんなに簡単にすぐに右と言われて右を向けるわけもなく、未だにのらりくらりとしながら少しずつ向き合ってる感じ。
そうしたところに、ノムから電話鑑定と鑑定文というか魂からのお手紙のようなメッセージが届いた。
1年前の鑑定とは全く違った。
1年前は私のホロスコープの詳細な情報をもらってきた。
これはこれで超大事で今でも音源と文章共々残してあるけれど、言うなれば情報。
ノムは情報じゃなくて、私の魂の通訳を務めてくれてる風で、私が本当に自分の人生に向き合えるようになるために私に伝わるように話してくれた、「メッセージ」とか「お手紙」という要素が高い。
1年前の鑑定が頭で理論的に理解するものなら、ノムの鑑定は心で知り合っていく・分かり合っていくもの、心で理解するものという感じ。
ここから先は、ノムが実際に送ってくれたメールの原本と、その後に私個人が特にビビッときた部分を抜粋して、心のつれづれなんかを書いていきたいと思う。
ノムのメール 2019.8.2
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ふと、ぶっしーのネイタルを読んでみようと思い、ひらいて、
最初に目にとびこんできたのが、蠍座の天王星だった。
ぼくの愛用しているサビアン集をひらいてしらべると、
蠍座のエネルギーは、「貫ぬく」ってことと感じた。
うそ。いま、書いていたら「貫ぬく」ってでてきた。
ぶっしーは、誰かに、相手に、その人に対して、
ぶっしーそのものであることで、そこに「非常識エネルギー」が発生し、
その強烈な、それこそ感受点・宇宙からの膨大なエネルギーが、
その人の幻想をぶっ壊す。
魂のチャートをみたら、天王星は双子座。
ネイタルの裏側としてその意味を読み、感じたのは、
ぶっしーの天王星エネルギーの意図は、
人類の知識、情報への偏りをもどす、バランスをとるために授けられているのかもしれないと思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[注釈:以下の言葉の意味]
・魂のチャート:人生の深い目的を知るための占星術の1手法
(本当の名前は他にあるけれど、ここでは[魂のチャート]と表記)
・ネイタル:個人が生まれた瞬間のホロスコープ
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つぎに目に飛び込んできたのは水瓶座の金星。
理想の旗をかかげる、ってなシンボルなのだね。
それが10ハウス、頂点にあるなんて、なんともかっこいい!
[注釈:10ハウス=社会的到達点]
そして、天王星のエネルギーととても協調しているというか、つながっているなあ、って思った。
魂のチャートを見たら、獅子座。獅子座なんだねー。
シンボルの解説見たけど、ちょっと笑っちゃった。
ぼくの見ているやつだと、
シンボルが「自分の使命を果たす伝書鳩」、テーマは「自分の能力を人のために役立てる」。
解説として書かれた一部を抜粋すると、
誰かの役に立つ奉仕をする、というはたらきをすることで初めて使命や意味が判明する。
高度なエネルギーが解放される。
それは明確な目的をもっている。
20度は、サイキックな力を呼び出すことだった。
21度は呼び出された力が、われわれの日常的な心に恐怖心を生み出した。
それは22度で目的あるものに使用される、という決着を迎える。
ここで心霊的な諸力は、安定したはたらきにむかうといえるだろう。
とのこと。
ぶっしーの、専業主婦になりたい、みたいなことと、そこへと人生が流れない話は、
10ハウスの金星が、「したかたないよね」とはっきり示しているねえ。
夫のために生きる。というスケールではない人生なのだから、しょうがないのだな。
そして、そのほかに明確な目標や夢がないのも、いたしかたなし。
ぶっしーを必要としている人の求めに応じることで、高度なエネルギーが解放されること、
その媒介になることを目的として、生まれてきたのかもしれないのだもの。
月と木星を読むと、
4ハウスという心理的な基盤の場所にあるそのふたつの惑星のシンボルは、
どちらも、「人間の集団」という意味をもっているものと感じた。
この時代の日本に生まれたことで、その能力は意味をなす。
武士俣の家に、家系に生まれたことで、その能力を得る。
金星の使命のためには欠かせない環境なのだけど、
ふつうの、ある意味平凡で、まっとうな家に生まれるということは、
金星エネルギーを発揮する許可を自分が出せない、そうした葛藤をうむことだろうと思う。
なにもかもがそれなりに豊かな現代日本に生まれて、
だけど、満たされない、生きていることをまるでよろこべない自分に対しての罪悪感のようなものもつきまとうだろう。
でも、だからこそ、いいのだと思う。
ぼくの話だけど、ぼくも芸術家とか作家とかそうした両親のもとに育ったら(ある意味ではそうなんだろうけど)、
自分がしたいことを自分が認められるのに、って何度も思ってきた。
ふつうの、平凡な家に生まれた自分が、どうしてアートをやっていいのだろうか、と。
でも、それは違っていて、
美大もでていない、絵がうまいわけではない、一般的な家族、お金持ちでも貧乏でもない、
ある種、平凡な家に生まれ育ち、それにコンプレックスを感じた人だからこそ、
同じような人たち(”ふつう”とは最大のマジョリティ)に寄り添うことができる。希望となれる。
ぶっしーのチャートの頂点である金星にまつわる葛藤のようなものは、
だからあってしかるべきもの(どうした葛藤があるかはよくわからないけども)。
それがあってこそ、意味がある。
蟹座の木星は、現代、現在地点において、さまざまな人たちをみる、みさせられる拡大のエネルギーなのかもと思う。
月のエネルギーは、自分の価値観に合う人と、おだやかに、人間らしく生きたい。
あるいは、そのような環境に生きた幸福な過去生の記憶なのかもしれない。
拡大を求めていない、ひっそりと平和に生きたいけれど、
自動的に、「いまの人間世界」へとぶっしーの宇宙はあちこちへ広がる。
こんな過酷な人生を生きる人に対して、自分がなにを言えるだろう。言っていいわけはない。
穏便に暮らしたいことと、誰かに対してその人の今を変容させるメッセージを伝えることは相反する。
なのに、メッセージはやってくる。
そのようなことを思った。
月の魂のチャートは魚座1度。魚座の原点、根本のエネルギーの1度。
それを獅子座月のネイタルと合わせて読むに、
ぶっしーの内なる子どもが望むコミュニティ、環境には、差別がない、偏見がない。
人種や国籍や性別や年齢など意味はなく、ただ、志なのか価値観なのか、平和へのセンスのようなものがあえば、
それでいい。そのような懐の深さを感じる。
木星の魂のチャートの水瓶座12度のテーマは「独自の基準で人々を判断」。
ネイタルの、拡大の意図は、自分の”独自の基準”を磨くため、精査するために与えられているのだと思った。
人を、わかりやすいラベルで判断しない経験値を積むということ。
つづいて土星は乙女座。
土星のシンボルを読んで浮かんだのは「悟り」。
悟りのためには、内観が必要。内観とは、自分の闇に光をあてつづけること。
ぶっしーは人生を通じて、ずっとその内観をつづけていくのだろうと思う。
ぶっしーが、自分が設定してきたこの人生における使命において、自分が向き合うべきことは、
自分を見つめ続けることなのだろうと思う。
そして、それを放出する、表現する。そのような自分をプロセスごと外に放つことなのかもしれない。
それは、しんどいことでもあるだろうが、魂のよろこびでもある。
魂のチャートでは土星は魚座の23度。シンボルは「精神(スピリット)の物質化」。
解説を抜粋すると(一部ぼくの意訳 あり)
霊的なエネルギーを物質化することで、目に見えない特別なエネルギーは、持ち主の手もとから失われる。
エネルギーを変換すること、別の姿に変えること。霊的な現実を実体化すること。
自分のものになっている深い、秘密にしたいものを、ほかの人のために公開したり、使ったりすること。
もちろん霊的な事柄に縁が深い人だ。
さまざまな心霊的なあるいは霊的なエネルギーや衝動に対するコントロール力を身につける。
それらを思いのままに扱うことができなくてはならない。
これは、まさにそのままぶっしーのブログというか作文行為があらわしているように感じる。
”魂からのメッセージ”やペンジュラムしかり。
そうしたことを「思いのままに扱うこと」を人生かけて鍛錬していくのだろうと思う。
同じ5ハウスのドラゴンヘッドは乙女座。
サビアンの解説を抜粋すると「個人が今後どう生きるべきか、という難問に正しい解答を探り出すことのできる能力」とある。
ドラゴンテイルは魚座。
サビアンの抜粋をすると「あっと驚かせたいという気持ちが、安易に走ると、詐欺的な要素も含まれてくるようになる」。
両ノードあわせて解釈すると、
無意識や集合意識や宇宙からの情報を正しく使いなさい。
自分を見せることではなく、人のために使いなさい。
そういうことだと感じた。
それこそ「光の書」でひいていた時にぼくが解釈した「清く生きる」ということのような。
ドラゴンテイルとくっつく魚座の太陽は「夕食のために準備されたテーブル」。
まさにeat LOVE!
土星とのアスペクトをからめて考えると、
ぶっしーが生きているかぎり内観を深め、それを表現しつづけていくことで、
魂のご縁がつながっていく。自分を深めた分だけそのような人たちと夕食をともにできる(比喩ね)。
そのご縁は、そもそも縁とはそのようなものだろうけど、自分では選べない。
サビアンのテーマは「来るものは拒まず、去るものは追わず」。
太陽の魂のチャートは天秤座3度。サビアンのテーマは「現状を認識して流れにのる」。
サビアンを読むに、自分が環境を変えようと働くというよりも、
自分が変化した証のように、とりまく環境が変化している。環境の変化で自分の変化を知る。
そのようなエネルギーかな、と思う。
ネイタルのテーマ「来るものは拒まず〜」ともリンクしているように思う。
サレンダー、自分の望みを手放して、宇宙に委ねきることを意味しているのかもしれない。
魚座の火星のサビアンのテーマは「捨て身の覚悟で飛び込む」。
一点集中するエネルギーのよう。
さらにそれが火星なので、そうとうにそのエネルギーは強いにちがいない。
魂のチャートは乙女座の22度。
サビアンを読み、ネイタルと合わせて解釈すると、
神様的ななにかから授かったその力を、どこまでも研ぎ澄ませること。
また、その力には責任や重圧が課せらている。
土星、太陽、火星の配置の意味としては、
人生は、ある自分が望むようにはならない。
魂が、宇宙が望むようにしか動いていかない。
ぶっしーにできることは、それを静かに受け止め、
そうした人生、自分自身とひたすら向き合いつづけること。
自分の闇と向き合いつづけることでしか、授かった能力、回路は磨かれないし、
それを磨き、生かすことを魂は強く強く強く望んでいる。
水星は牡羊座。
サビアンの解説を抜粋すると、
非常に敏感なタイプの人だといえる。
霊的なアンテナがいつも柔軟にはたらいていて、さまざまな目に見えない力に対しての識別力や判断力を鍛えるのがテーマ。
魂のチャートは天秤座の20度。サビアンの解説を抜粋すると、
偉大な宗教家が、その前半生で、大きく傷ついた経歴をもっているように、
この度数は、苦い体験が前提にある。
自己流の知識ではなく、伝統の知恵を借りること。
他の個人が自分と同じ失敗をしないように、アドバイスし、指導すること。
多くの人に信頼される立場。
とある。
ぼくは、水星を、神と人間をつなぐ回路だと思っているのだけど、
ぶっしーの水星は、神の声を聞くためにある度数が高いと感じる(ネイタルで12ハウス!)
[注釈:12ハウス=無意識、精神世界、スピリチュアリティなどの管轄分野]
そして、その力は、やはり、誰かの人生のために使われるようにあるとも感じる。
その水星と金星と火星と土星でブーメランなのだね! どんだけー!!!
神のことばと、真の平和を知る感性は、覚醒のためにあるのだろうね。
さらに本質的な美を、さらに本質的な情報をもたらすために、
自分と向き合いつづけなくてはならない。
覚醒のために必要なすべてを人生は用意している。
平凡な、どこにでもいるような人が、
とくべつではない日々の中に、神聖さをみつづけ、目を覚ましていく。
そのプロセスやエネルギーにふれて、人々も目覚めていく。
太陽という目的のために、月と冥王星という天と地ほど遠いエネルギーが働くYod。
冥王星は天秤座。
サビアンのテーマは「未知の可能性にかける」とある。
サビアンの解説を読むに、
社会という大きなものに対して、集団で反旗をひるがえすようなイメージ。
魂のチャートは牡牛座2度。解説を抜粋すると、
高次の霊的な運命を受け入れるように強制する強い力。
太陽、月のテーマとあわせてYodを読むに、
eat LOVEせざるを得ない!
そのような印象。
*
海王星は、あまり気にならなかったけど、いちおうシンボルを読んだけど、
なんというか、もうそれ以外の情報で、いっぱいいっぱいというか、
十二分に伝わってくるものがあったので、
海王星、アセンダント&MCはさらりと読むにとどめた。
ぼくの感じたこと。
ぶっしーは、もうやるべきことを決めて、定めて今回の人生にやってきているとしか思えない。
みんな、誰しもそうなのかもしれないけれど、
実際はわからないが、多くの人は、余地というものがたくさんある気がする。
たとえば、素材は決まっているけど、
チャーハンにしてもいいし、ドリアでもいいし、おかゆでもいいみたいな自由さがありそう。
けど、ぶっしーは、そういう感じがしない。
というか、Yodというものが象徴しているのだと思うけど、
あることのために、ほかのすべてがある。そのような印象を受けた。
その目的のようなことは、人が言うことではないと思うけども(なにをいまさら!)、
いちおう、ぼくの感じたことを書くと、
ぶっしーは、
さまざまな人を知り、さまざまなことを経験し、
それを自分を知る、知ろうとする道具にしてきた。内観をするように人生に促されてきた。
内観をすることと、内観を深める何かや誰かと出会うことで、自分を純化させていき、
その純化した先には、宇宙からのメッセージを受けとるより精度の高い受信機能を果たす目覚めたぶっしーがいる。
その回路、能力を突出させるには、そのほかのことをある意味では手放さなくてはならないのかもしれない。
いま、パっと浮かんだのは巫女。卑弥呼。天皇陛下とか、そういう人たち。
そうした人って、もしかしたら時代によっては純潔を保たなくてはならなかったかもしれない。
肉も魚もお酒もとることは許されなかったかもしれない。
家族とも離れ、友人もできず、ただひとり洞穴のような神殿のようなところに瞑想し、
ひたすらメッセージの受信に人生を捧げた人もいるのかもしれない。
ぶっしーは、現代で、そのようなことをやろうとしているのかな、と今思った。
現代だから、肉も酒もいいしセックスも友情もありだし、
というか、逆に、そうした一般的な経験をしなくては、ならないのかもしれない。
若いうちから芸能界に入って活躍した人が、
”ふつう”を知らないことを、コンプレックスに感じるというのはよく聞く話で。
役者にとっては、それが致命的と言われることもあるのだそう。
この間、電話でも同じようなことを話したけど、
ふつうのあれこれ(就職とか恋愛とか悩みとか不安とか)がわかることで、
ぶっしーを本当に必要としている”ふつうの人たち”とつながることができる。
どのような言葉を選べば、どのように伝えれば、よいのかがわかる。
どのシンボルも(ネイタルも魂のチャートも)、
本当に一貫して、そのような方向を示していると感じた。
なんというか、バリエーションが少ないというか、散らばっていないと思う。
この先、結婚や出産があるのかはぼくには読めないけど、
でも、eat LOVE的な、魂の家族とは、どんどん出会っていくと思う!
そうして、束になってメッセージを放ち、
たくさんの人の闇に光をあてることになるのではないかと思う。
たぶん、時間の問題なのだろうね。
いまはまだ渦中にあるのかもしれないけれど、
チャートを読むに、今のような悶々状態は、
じきに霧が晴れるように気づいたら過ぎ去っているんじゃないかな。
そんな、しんどいだけの人生なんてないと思うし、
そうした設定を少なくともぶっしーはしていないと思う。
ずっと内観はしていくのかもだけど、
自分の人生の目的というか意味みたいなものに気付き、受け入れるほど、
内観の意味は変わっていくのだと思う。
ばななさんは小説でそれをしている。
ぶっしーは、どういう形でそれをするのだろう?
どんな形であっても、それを必要とする人は、たくさんいる。
もうオープン前にたくさん人が並んでいるくらいな感じがする。笑
なんか、けっきょく、いつも話しているようなことと大差ないかもしれないことを、
長々と書いてしまった。笑
というか、自分のチャート読みまくりのぶっしーにとっては、
なにも目新しいことは書かれていなかったかもだよね。
なのに、最後まで読んでくれてありがとう!
そして、too muchな、越権部分は、スルーするなり、
後日、ここはちょっと違和感あったんだよね、とか言ってね。
言わないでためこむと、毒になるからさ。
自分が自分のチャートをシンボルだけで読むみたいに、
勝手にぶっしーチャートを読ませてもらって、
あらためて、違うんだなあ、って思っている。
ぼくはね、もうちょっとyoungというかな、ミーミー!なんだよね。
「This is me!! あなたは誰?」 みたいなことをしたくて生まれてきたって感じ。
ぶっしーのミーミーは、
人間というもの、生きるということを、自己探求を通じて深く知り、
それを示すことで他者の人生に啓示を与える、みたいなことのためのミーミーって思う。
だけど、ぼくたちは、me meであることが、you youというのかな、
誰かの人生につながっていることを知っていて、わかっていてそれをしている。
この先、ぶっしーと、誰かをまきこんだ何かができたらおもしろいなー、と思ったりしたよ。
それが何かはまだわからんのだけどもね。
とにもかくにも、
ぶっしーが育んでいるものは、とても大切なものです。
早くすることではなく、ちゃんと育て上げる(?)ことが重要なのだと思う!
そして、心配せずとも、それは確実に育てあげられることと思う。
だから、リラックスして、たのしんで、焦らず、いきましょう! おたがいに。
*
花火、もうすぐだねー。
なんか、勝手にワクワクしてる。笑
よき夜を〜!
のむらこうへい
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここからは、ノムからのメッセージを読んで私が思ったことをいくつか紹介。
(本当はもっと細かく書きたかったけれど、そんなことしたらいつまでもこの記事をアップできないから、印象深いところをいくつかピックアップした。)
【ぶっしーの、専業主婦になりたい、みたいなことと、そこへと人生が流れない話は、
10ハウスの金星が、「したかたないよね」とはっきり示しているねえ。
夫のために生きる。というスケールではない人生なのだから、しょうがないのだな。
そして、そのほかに明確な目標や夢がないのも、いたしかたなし。
ぶっしーを必要としている人の求めに応じることで、高度なエネルギーが解放されること、
その媒介になることを目的として、生まれてきたのかもしれないのだもの。】
これは、私からしてある種悲しい側寄りの宣告ではあるものの、ノムの文章には私をその専業主婦側ではなく、魂側の本当に望んでいるものとそれのスケールの大きさに目を向けさせてくれる力があった。
こうした自分の人生のことで、どうやったって納得のいかないことは絶対にある。
私は神聖さもなければ、世俗的な欲にまみれているし、出世とかキャリアみたいなのも興味がない。
こうしたスピリチュアル的なものも心のものも、超ガチでやるんじゃなくて、例えば結婚していて兼業主婦のようにやることを想像した。
今も根強く兼業主婦希望だけど(←夢見るのは自由( ̄∀ ̄;))、自分で言うのも本当にどうかとは思うけれど、多分趣味でやるとか、ちょっとした小遣い稼ぎみたいなレベルではなく、本気でガチでやらなきゃ行けないものだというのは薄々というかだいぶ気付いている。
ノムに言われて、本当に良い意味で「仕方ない」と受け入れ始めた。
受け入れられた理由はここで語り出したら止めどない感じになるからここでは書かないけれど、本当の本当に私はもうそれをやらなきゃいけないとようやく思い始めるようになった。
【過酷な人生を生きる人に対して、自分がなにを言えるだろう。言っていいわけはない。
穏便に暮らしたいことと、誰かに対してその人の今を変容させるメッセージを伝えることは相反する。
なのに、メッセージはやってくる。
そのようなことを思った。】
ノムには、私の葛藤が丸見えなんだろうかと思った。
誰かからのメッセージをキャッチする時、「えっ?それ私が言うの?」ということは、ほぼ毎回のように思っている。
そして、内容的にどぎついものもあるわけで、もし自分がそのメッセージを聞く側だとするなら、いやぁしんどいわ、ないわ、とか思うものもある。
鋭利な刃物みたくならないかとか、それこそ内容によっては相手の人生の方向が大きく今後変わる可能性もあって、より一層ドキドキする。
私の抵抗や緊張なんかおかまいなしに、メッセージたちは勝手にやってくる。
おかしな言い方だけど、私側が「メッセージをください」とお願いしたことは一度もない。
だから、本当にその状況を言い表すなら、
「メッセージたちは勝手にやってくる」
になる。
その辺りの葛藤も色々あるけれど、それをノムがきちんと言葉にしてくれたこと、そしてそれをわかってくれたことは、本当の本当に嬉しいことだった。
ノムの言葉に私は救われた。
ノムが感じているものをそのまま私に伝えてくれたことで、私は大きな味方を得たみたいな気持ちになった。
ずっと孤軍奮闘みたいなところがあったけれど、その孤軍奮闘する様子がなぜかノムには見えている。
こうしたことへの理解者が1人いるというのはとっても大きい。
しかも、そうした部分をそうした知識のある人たちからそれとなく又はダイレクトに否定されたりもしてきたから、余計とノムの言葉は私の心に寄り添った。
私にその状況をストレートに伝えてくれた。
そしてそういうこともあるよね、と多分一番肯定されたかったことをノムはいとも簡単に言葉にしてくれた。
私はこの部分だけではなく、ノムが書いた他の色んな部分も読んで、自分がホッとしたことに気付いた。
自分の感じていることや自分の身の周りで起こっていることが気のせいではなく、本当にそうで、そしてそれをノムもそうだと知ってくれていることは私を本当に安心させてくれた。
【内観とは、自分の闇に光をあてつづけること。
ぶっしーは人生を通じて、ずっとその内観をつづけていくのだろうと思う。
ぶっしーが、自分が設定してきたこの人生における使命において、自分が向き合うべきことは、
自分を見つめ続けることなのだろうと思う。
そして、それを放出する、表現する。そのような自分をプロセスごと外に放つことなのかもしれない。
それは、しんどいことでもあるだろうが、魂のよろこびでもある。
エネルギーを変換すること、別の姿に変えること。霊的な現実を実体化すること。
自分のものになっている深い、秘密にしたいものを、ほかの人のために公開したり、使ったりすること。
もちろん霊的な事柄に縁が深い人だ。
さまざまな心霊的なあるいは霊的なエネルギーや衝動に対するコントロール力を身につける。
それらを思いのままに扱うことができなくてはならない。
これは、まさにそのままぶっしーのブログというか作文行為があらわしているように感じる。
”魂からのメッセージ”やペンジュラムしかり。
そうしたことを「思いのままに扱うこと」を人生かけて鍛錬していくのだろうと思う。】
何せこの鑑定メールをもらってからこれを書いているまでの間、3ヶ月も時間が経過してしまった。
その時はそっかーと思って読んだけれど、この3ヶ月の間に、ノムは本当の本当に私の内観の度合いやそれがどうすごいのか、超具体的に色んな言葉で伝え続けてくれた。
私にしたら、日常の延長にあるようなことだから、それこそごはん作ったり掃除したりするのと何ら変わらない。
でも、ノムはそれにきちんと言葉を付けて説明してくれた。
そして、私が自分の闇に光を当て続けることにも言及してくれた。
私は何も「光の戦士」みたいな、「ライトワーカー」みたいな、スピリチュアル系の世界に出回っているものに憧れたのじゃない。
あまりに自分が苦しいから、そこからの脱出方法として、もしくは軽減方法として、あらゆることを試したに過ぎない。
それが第三者から見ると、そのように美しい物語になるのなら(←ノムはそんな風には言っていない)、そういうことなのだろうと思う。
そして、最後の「鍛錬」という言葉もピッタリで、私の普段からやっている色んなことたちは「鍛錬」という言葉が似合ってる感じがする。
色々やりにくかったり扱いのわからないものだったりするから、そういうのは自分で工夫して自分の中で付き合う方法を探るしかない。
苦節10年(笑)、ここに来てようやく自分が誰よりも自分のことに関しては、自分に合っている方法や自分の内側の感覚を知っていることに気付いた。
だから今は外側からの情報ではなく、自分の中でピンと来たものをしたり、外側の情報も相当限られたもの(最近はもっぱら英語のサビアンと占星術系の用語)だけに絞って、それをまた自分のために応用して使ったりしている。
自分が少しでも楽になるように、それを軸に私はしている。
【無意識や集合意識や宇宙からの情報を正しく使いなさい。
自分を見せることではなく、人のために使いなさい。
そういうことだと感じた。
それこそ「光の書」でひいていた時にぼくが解釈した「清く生きる」ということのような。】
情報を正しく使うこと、人のために使うこと。
この意味はよくわかる。
意味がよくわかるというのは、行動の模範部分をきちんと理解してそう言ったのではなく、自分のところに集まってくる情報を見てそう言っている。
私の元へ集まる情報は、とにかくきちんとした佇まいのものがくる。
今英語で調べ物をしていても、明らかにきちんとしたもので、内容も発信者の人柄も超一流なのがわかる。
いくら日本語で占星術の勉強をしてきたからと言って、そんなにも当たりの人たちばかりに当たるのは確率的におかしいと思う。
過去に学んだことたちも然りで、それらが本当に使えるもの、現実に生かせるものというのは、時間が経てば経つほどにわかる。
私が学んだことたちは、学んだ時期によってはもうそろそろ10年、ものによっては大学の時の学びなら20年以上経つわけだけど、どれも基本色褪せていない。
色褪せていないどころか、学んだことの深みが出始めている。
絶対的に外してはならない基礎や人の道をきちんといく教えをひたすら私は手にしてきた。
日本のスピリチュアル業界の9割以上は詐欺だの欺瞞だのに満ち溢れているけれど、そうしたものをどういうわけか避けて、本当に使えるもの、中身のきちんとしたもの、そういうものにことごとく当たりまくっている。
そして、私のところに来ている情報たちというのは、私の読みが間違えていなければ、100年後もきちんと受け継がれる。
それぐらいきちんとしたものだと私は感じている。
しかも私は自分の興味関心や人からの推薦で、ジャンル問わずにあれこれと手を出してきたから、誰かや何か特定の分野に傾倒したものとは違う。
色んなものを色んな角度から学んできて、1つだけ言えるのは、本物たちにはある種の共通点が存在する。
そこが見えてくるようになってきた。
さすがにそんな情報たちを前に、単なる個人の理由や事情だけでそういうものが来たと考えるのは難しい。
他の人たちと共有することが課されていると感じる。
情報に関してだけは、私は本当に清く正しくありたいと思っている。
情報を発信している人たちというのは、少なくとも私に教えてくれた人たちは、私利私欲のために渡してきたのとは違う。
そうした情報が他の人の人生にも役立つから、それを惜しげもなく伝えてこられたものだったりする。
きちんとしているから、私はノートや資料を見なくても話せるものの方が多い。
そうしたものたちは、意味もなく集まったのとは違うと思っている。
それは、次の誰かに還元するために来ている、と考える方が自然なことだと感じる。
色々私で良いのか!?と思うことは多々あるけれど、少なくとも己の資産を増やすために変な風に使う気は毛頭ないから、そういう意味でも授けられたものだと思う。
正しく、人のために使うーーー、これがこの先の私に求められているものなんだろうなぁと思う。
【ぶっしーが生きているかぎり内観を深め、それを表現しつづけていくことで、
魂のご縁がつながっていく。自分を深めた分だけそのような人たちと夕食をともにできる(比喩ね)。
そのご縁は、そもそも縁とはそのようなものだろうけど、自分では選べない。
神様的ななにかから授かったその力を、どこまでも研ぎ澄ませること。
また、その力には責任や重圧が課せらている。
土星、太陽、火星の配置の意味としては、
人生は、ある自分が望むようにはならない。
魂が、宇宙が望むようにしか動いていかない。
ぶっしーにできることは、それを静かに受け止め、
そうした人生、自分自身とひたすら向き合いつづけること。
自分の闇と向き合いつづけることでしか、授かった能力、回路は磨かれないし、
それを磨き、生かすことを魂は強く強く強く望んでいる。
高次の霊的な運命を受け入れるように強制する強い力。】
私が選べないというのは、なんとなく感じている。
自分で選んでいるようでも違うんだろうなぁというものもある。
『実際はわからないが、多くの人は、余地というものがたくさんある気がする。
たとえば、素材は決まっているけど、
チャーハンにしてもいいし、ドリアでもいいし、おかゆでもいいみたいな自由さがありそう。
けど、ぶっしーは、そういう感じがしない。
あることのために、ほかのすべてがある。そのような印象を受けた。』
と最後の方にノムは自分の思うこととして書いてくれたけれど、まさにそういう感じがする。
ご縁的なものも、内観や表現することも、授かった能力も、そのそれを磨き上げる方法も、自分じゃ何一つ選べない感じがある。
内観について言えば、それをあまり良くない言い方や何になるの?と言われたこともある。
それでも私は超引っかかりは覚えても、無視して自分の気持ちのままを優先した。
もはやここまでくると、呼吸のごとく内観する習慣があるから、やらないなんてことは呼吸を止めてしまうのと同じくらいのことに近い。
今の地点で言えば、最終的に自分の能力には必要不可欠なものでも、そもそも内観をやり出して10年目を迎えるあたりまでは、そのためにやったわけじゃ全くない。
私は自分が楽になりたくて、それでそのためには自分を見ていくこと、見て癒していくのが一番手っ取り早いと気付いたから、それでするようになった。
だから何かの専門家や特別な技術習得を目指したのでは全くなかった。
元々心理には興味はあったけれども、今の着地点は全く想像もしていないものだった。
「内観」って言葉が便利だから今は使いまくりだけど、つい最近まで私はその行為を「内観」と思っていなかった。
そのことを「自分の見たくないもの(闇や傷、超絶受け入れがたい自分、否定したい自分)を見る」行為だと思っていた。
結果的にそれが今ある場所に私を連れてきてくれた。
ノムが言うように、闇に向き合うことでしか開かなかった回路だと思う。
そして続けてノムはこのように言っている。
【ぶっしーは、
さまざまな人を知り、さまざまなことを経験し、
それを自分を知る、知ろうとする道具にしてきた。内観をするように人生に促されてきた。
内観をすることと、内観を深める何かや誰かと出会うことで、自分を純化させていき、
その純化した先には、宇宙からのメッセージを受けとるより精度の高い受信機能を果たす目覚めたぶっしーがいる。
その回路、能力を突出させるには、そのほかのことをある意味では手放さなくてはならないのかもしれない。】
犠牲にしたものは何もないけれど、あきらめざるを得なかったものはあったし、これが自分の人生なのか…と思うと、「受け入れよう」とは思うようになったけれど、果たしてそんな風に生きたいのか?と問われると未だもって微妙だなと感じてる。
だけど、ノムからこのように色々伝えてもらって、それの中に違和感を覚えたり「これ、私の人生じゃない」と思ったものは1つとしてなかった。
私が言語化できない部分も含めて、ノムが伝えてくれたことは、他の誰でもない私の人生そのものだった。
これまでも色んなところに行っては自分の人生の流れを聞いたり、自分が何なのかということを探りまくったけれど、ノムからのこのメールを最後にとりあえず今のところ、そういうことを第三者に聞くことはなくなった。
ノムが伝えてくれたことは、これ以上ない私自身で、これ以上の情報を今後伝えられる人となると、私たちの占星術の先生ぐらいだろうと思う。
仮に先生から鑑定を受けても、これ以上の情報というよりも、ノムが伝えてくれたことをまた別の深い視点から伝えてくれる、内容が大幅に変更するなんてことはないと思う。
ノムから伝えられたものは、私の詳細の取扱説明書や人生計画書で、今のところこれ以上の何かを欲しいとは思っていない。
ここから先は、書かれたことを自分の日々の生き方と残りの人生とに反映していく、その方法を模索する、そんな風に感じている。
ノム以外の3人の占星術家(2回の鑑定と講座の先生)から伝えられたことと、私自身が自分で調べまくった自分の星たち、そしてノムが今回詳細に伝えてくれたノム流の星読み、これらはどれも全部共通している。
迷う段階は終わった。
次はそれを形にする、その自分で生きていく段階に入りつつある。
まだまだ逃げの姿勢が優勢だったりするけれど、ノムのおかげでかなりかなり向き合えるようになってきた。
そして、これこそが私が本当に必要としていたメッセージだったんだろうと思う。
その必要とするメッセージを、私の魂はノムに託したんだと思う。
私がへそを曲げずに真っ直ぐに耳を傾けられる人からでないと私なんかは聞かないから、そうならない人、そして本当に心のこもった魂のこもった言葉を届けてくれる人、イコールノムにお願いしたんだと思う。
《後記ーー2019/11/01》
あっという間に11月になってしまった。
((((;゚Д゚)))))))!!!!!
ずっとずっと気になっている今年書いた文章たちを少しずつアップしようと思っていて(なんだかんだ30個以上ある)、その中の1つ、ノムが鑑定してくれた私の星読みの話がこれ。
ノムから私の星読みをしたメールをもらったのが8月2日、花火大会の日の出かける少し前だった。
あれから3ヶ月時間が過ぎて、その間にもノムとのやりとりは続行していて、3ヶ月前からは信じられない場所に今いる。
ノムがつい最近とても嬉しいことを言ってくれたけれど、ノムはつい最近10月の終わりに6月以来ぶりに長年の友達に会ったらしい。
その友達に「会わないうちにすごいスッとしたね」と言われたとのこと。
余計なものが削ぎ落とされて、内面が整った的な意味合いの言葉で、ノムがそんなこと言われたんだよね〜と教えてくれた。
そして続けて、「これはぶっしーとのこのやりとりのおかげだと思う。ぶっしーとやりとりをすることで知らぬ間に自分の内面が整っていって、それを〇〇〇(ノムの友達)が感じてそんな風に言ってくれたんだと思う」と言った。
それを聞いて私はとっても嬉しかった。
ノムは8月のこの後も、数えきれない回数、私の星を追加で読んでくれたり、私が何をする人なのか第三者の視点で教えてくれたりした。
ノムは言葉に対してものすごい敬意を払っているのと、プロのライターさんでもあるから、本当に細かく丁寧に、一番ぴったりな言葉を選りすぐって伝えてくれてる。
ものすごいたくさんの言葉のシャワーを浴びて今の私がいる。
言葉にして伝えられることで、私は自分が何をする人でどんなエネルギーの人なのかをどんどん知っていっている。
相変わらず亀の歩みのようにゆっくりではあるけれど、それでも少しずつ少しずつ自分を受け入れ始めてる。
ふと、もしノムに出会わなかったら……、と考える。
ノムに出会わない私は、どう考えても今以上に彷徨い(さまよい)まくったし、さらには自分のことを今ほどに受け取ることも理解することも絶対にできなかった。
これは個人的な感想だけど、自分に向き合うことや傷を癒すことも強烈極まりない行為だしすごいエネルギーの要る難しいことだけど、それ以上に難しいのは本当の自分の姿を知ることと、そしてその本当の自分に内蔵されている能力を受け入れることだと最近は感じる。
ある意味、傷の方が扱いやすい。
ノムにも言ったけれど、傷は自分が被害者でいられるけれど、自分の本当のことや能力を知ることはそれができない。
ひたすらそれを受け入れて、今度はそれを使う方向にシフトしていかなきゃいけない。
どうしたって私はいちいちそういうプロセスに過敏に反応するわけで、いちいち疑って、いちいち逃げることを試みて、自分でも嫌になるくらいのことをぐるぐる繰り返している。
ある意味、被害者でい続けることの方が楽だったりする。
けれど、それさえもそのままにして、ノムはひたすら伝えてくれる。
ノムが「越権行為」と呼ぶそれを、ノムは誰でも彼でもにするわけじゃないことを知っている。
ノムは多分、他の人たちに「あなたはこういう人」と言い切りに近い形で何かを伝えるなんておおよそしないと思う。
だけど、ノムは私に「ぶっしーはこれこれこういうことができる人なんだよ」とそれはもう信じられないくらいの情報量を私に伝えてくれてる。
それも私がすぐさまに否定したり受取拒否しないように、最善の言葉と気持ちとで全身全霊で伝えてくれてる。
おかげで私も少しずつ少しずつ自分を受け取り出して、なんとなく今の私がいる。
最近は私の方は英語での占星術用語や定義をあれこれ調べているけれど、その中で「癒しのソウルメイト」という言葉を見つけた。
まさに、ノムと私はこれなんだと知った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【Healer Souls】
互いにリスペクトしていて、共に深く成長する機会を与え合う。そうしたレッスンは他のタイプの魂繋がりメイトたちよりも長く続いて、そして激しくない(穏やかなもの)。
過去世で一緒で近しい魂グループのタイプ。
自然な親密さ、コミュニケートする力、互いに栄養となり魂の成長を生み出す関係が双方向にある。このタイプの関係が、一番の長い付き合いになるベストフレンドになって、お互いにリラックスしてもっともっと自分自身になっていくことを互いに手伝う(と筆者が強く信じている)。
互いに助け合い癒し合う関係だという感覚が時間の経過とともに強まり、同時に互いを信頼する気持ちも高まる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
(参照した英語のサイト↓)
https://www.wildwitchwest.com/single-post/2016/08/20/Saturn-Vertex-Soulmate-Karmic-and-Fated-Relationships
私がこれから先何かを形にするまでまだまだずい分と道のりは長そうだけど( ̄∀ ̄;)、ここに書いた内容も今の私になるまでのプロセスとしてとっても大事なもので、なんとか記録として残したかった。
そして紛れもなく、ノムのこの星読み【ホロスコープ鑑定2019】と私が題したものは、私にとってなくてはならない絶対的に必要不可欠なメッセージだった。
そうだ、最新情報(♡´艸`)♡
☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆
ノムと一緒にした書く仕事が、きちんと刊行された!!!
昨日かおとといくらいに、ミッチー(ノムの恋人)がノムにできたみたいだよ、とFacebookに出ていた投稿を見つけて、そのスクリーンショットがノムから私に送られてきた。
ノムはまだしも、私などはどんな扱いになっているのか、ゴーストライターのごとくなっていても仕方ないなと思っていたら、なんと「武士俣史子」と名前まで載っていた!
ノムが現物を2人分もらってくれるらしいから、それが私の手元に来たら、ここぞとばかりにこのブログで公開しようと計画中!
☆後記の追記☆ー2019/11/02
出版社から直接本を送ってもらえることになった!
とノムから連絡が来た。
正式には「本」とは違うけれど、媒体としては「本」のジャンルに入る。
ということで、これから担当者の方にメールを書いて、刊行された本を送ってもらえるように手続きをする。
到着したら間違いなくドヤ顔で、このブログ内で自慢こきまくりな自分の姿しか想像できない( ̄∀ ̄;)。
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