2019年11月29日金曜日

決意表明する夜中ナウ

〜ナウなつぶやき 11/29 1:39〜

珍しく声を殺して肩が震えるほどに泣いた。

本当に悔しくて頭にもきて、そんなことではなく事務的なことの伝達をするために電話をしたのだけれど、相手の声を聞いたら気が緩んで声が出なくなって、喋れなくなってしまった。

伝達する相手は「今度は何来た?」と最初はケタケタと笑っていたけれど、私の様子が尋常じゃないと知って、「えっ!?どうした?どうした?」と聞いてくれた。

第一声を発したけれど、声が震えて、話にならなかった。

しばらく相手に声が漏れないように声を押し殺しながら、だけど喉の奥から嗚咽が漏れるみたいになって、受話器からわざと離れたぐらいにして、ようやく1つ2つと呼吸できるようになってから話した。

何が悔しかったのかも言った。

全力で伝えても、伝わらない。

身の危険が相手に迫っていると知って、それを黙って見過ごすことが私にはどうしてもできなかった。

いつかは言われるとは思ったけれども、もう関わってくれるなと言われた。

それだけならまだ良かった。

多分本当に悔しかったのは、心からの言葉が伝わらないことだったと思う。

言われた。

「ぶっしーは専門家じゃないでしょ?素人でしょ?」

専門家の適当な意見の方が強いことがものすごく悔しかった。

専門家3人は、私がぎゃあぎゃあ1人で騒いでいることに関して「大丈夫、よくあることだから」と言ったらしかった。

だからその子も安易に捉えている。

私は全く違う捉え方をしている。

専門家は「大丈夫、法的にきちんと対応できるから」という意味だけで言っているのがわかる。

私が大丈夫じゃないと言うのは、本当に些末なことだけれども、それが社会的にアウトなことで、そのアウトなことが公になった場合、法的に対処はできても、一度付いた汚点は本人から消えない。

そこに真っ当な理由があろうとも、世間の目は汚点にどうしても目が向かいやすい。

そうした大衆心理が選手生命を絶たれるきっかけになりかねない。

専門家3人は、その事案だけを見ている。

私は相手の人生を見ている。

なんだけど、私は専門家じゃないでしょ、ぶっしーそれ専門的に知らないでしょ、それってぶっしーの主観でしょ、と言われた。

心よりも専門知識が勝ったことが、ものすごく悔しかった。

主観と言われようが専門家じゃないと言われようが肩書がなかろうが、そんなことは全く構わなかった。

そこではなく、気持ちが勝てないことが悔しかった。

専門家3人のその子を大切に思う気持ちよりも、私1人のその子を大切に思う気持ちの方が絶対に負けないのに、専門家の安易な「大丈夫」発言が勝ってしまった。

だから肩が震えるくらいに私は泣いた。

泣きたいわけじゃないのに、生理反応のように喉の奥の方からカーッと熱くなった。

電話の向こうの友達は、ぶっしーありがとうとまずは言ってくれて、その後も私が今超個人的に好きに首を突っ込んでいることに関してもその気持ちを本当にそのまま受け取めてくれた。

私の名もなきお節介をきちんと公正に判断してくれる人がいるというのはものすごく心強かった。

肩書もない、専門知識もない、私の場合は完全に自分の感覚1本で動いているから、何の後ろ盾もない。

だけど、私がしていることを、肩書や社会的に通用するものではなく、心で感じたまま見てもらえることは本当に心強かった。

30歳の時から何回か通った戦争を体験した占い師のおばちゃんの言葉が頭をよぎった。

「あなた、絶対に嘘ついちゃダメよ!正直に生きなさい」

単なる励ましの言葉ではなく、ズルいことをすると私の場合、それが強烈アタックとして跳ね返ってくる星の下にいるらしかった。

だから素直が一番、誠実が一番と言われた。

今日のこのことかもしれない…と思った。

電話の向こうの友達に「何でそこまで言われてもまだきちんと付き合おうとするの?」と聞かれた。

自分で答えようとしたら、うっと詰まって涙が出てきた。

声を振り絞って言った。

「私、決めてることがあるの。
今みたいにオカルト体質になってから、そりゃ嫌なことを伝える役回りもやたらとくる。
言いたくなくても言わなきゃいけないことだったりする。
できるなら言いたくない。
だけど、言いたくないから言わないのは大間違いで、相手から何かしら情報が来ている以上は言わなきゃいけない、そう思っている。
相手から嫌われようが、言うことで縁を切られようが、言わなきゃいけない。
その覚悟でいつも伝えている」

今回もそうだと言った。

今回は私も絶縁覚悟で臨んでいる。

私との縁が1つ切れるぐらい何てことない。

私と縁切ってもらってもいいから、本当にやるべきことをやって本人が自分の身をきちんと守ることをしてくれたのなら、何でも良かった。

私を切ってでも、その友達が関わる何千人何万人というような人たちの人生に何か良きことがもたらされるなら、私1人切ることなんか本気で構わなかった。

そのために今は必要なことを訴えているわけで、それは人生の汚点になりかねないから言っているのに伝わらなかった。

電話の向こうの友達は言った。

「本人(=私)の得に全くならないし、お金もらえるわけでもないし、何一ついいことがあるわけじゃないのに、そこまで言ってくれる人の気持ちが伝わらないって、それってすーごい残念なことだよね。
そんな風に言ってくれる人を大事にしなくて、どうすんだろうね…」

もう十分だった。

わかる人にはわかる。

伝わる人には伝わる。

自分の心がまたひとつ決まった。

生き方不器用ではあっても、絶対に自分の中で大事にしたいものは曲げないようにしようと思った。

その自分で勝負して、それでも理解されないとか嫌われたりとか疎まれたりとかしても仕方ない。

自分の信じるものを中心に据えて、それで1人でも理解者が現れたのなら、それは奇跡になる。

私はたくさんのフォロワーが欲しいのでも人気者になりたいのでもない。

自分に正直に生きていたいだけ。

現場は事件起こりまくりだけど(今後は事件は起こっても見守るしかなくなったから、直接関与はしない)、自分はひたすら正直にいく他ない。

ちなみに、これには続きがある。

電話の向こうの友達が、「ぶっしーにお願いがある」と言って、私に1つ役割を与えてくれた。

それは、私がずっとぎゃあぎゃあ騒いでいることを文字に起こして欲しいというものだった。

私の名前は伏せたままそれを書類にして、そしてそれを私がずっと提案していることに繋げていくというものだった。

名前を伏せるのは私の方からお願いした。

私は引っ込むことには表上なっているから、そこを崩すとまた面倒くさい。

だから、完全に裏方に回る。

それで大切な人たちが守れるなら、私はいくらでも裏方を喜んでする。

眠くなってきたから読み返さずこのままアップしよう。

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