2019年11月8日金曜日

気持ちの声 > 魂の声

 


ノムと電話した時に見えていた景色
2019/11/06




11月1日

ノムよりメール
(ノム…占星術講座のクラスメイト)
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あ、そうだ!
Aさんから今日連絡があって、
手帳をふたりに送りたい、とのことだった(それをメールしようと書き始めたんだった...... )

で、ぶっしーの住所が、すぐにわからなかったから(前にもらった封筒がみつからず)
Aさんに、ぶっしーから直接メールにて住所を伝える、と返事をしてね。

なので、お時間あるときに、Aさんに住所を伝えていただけましたら!!
きっと、ぶっしーから、直接Aさんに伝えたい気持ちもあるだろうしね、と、
そのようにさせてもらったよ。勝手にごめんねー。

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次の日の朝早く恋人ミッチーと北京に旅立つ前に、ノムがこのようなメールをくれた。

このメールが今日11月6日の私の決断にまで話が繋がった。

なんだかあっという間の時間だった。




ノムからこのようなメールをもらったのに、そしてAさんにすぐに書きたいことがパパッと出てきて、それもメールしようと思ったのに、すぐのすぐには書かなかった。

ノムが日本帰国する5日までには何かしらAさんに書いて、住所と一緒にメールしようと思った。

それとは別に、北京にいるノムにメールすることも、海外文通みたいで、それも超楽しみにしていた。

行く前はそこまで大盛り上がりだったのに、その間に父の激痩せ姿とかなり健康状態が深刻なことに気付いて、父の死が近付いてると思ったらすべてはそれどころじゃなくなった。

ちなみにノムには途中まで普段のように書いたメールがあったけれど、父のことが出てきたらもうそれまでのようには書けなくなった。

一度書こうとしたら、書いている間じゅうぼろぼろ泣いてばかりいて、内容がものすごい暗くて重たくて、とてもじゃないけれど北京での旅を楽しんでるだろうノムに送れないと思った。

そこで、そもそも元気に途中まで書いたところと、内容は伏せてノムが行く前と行く後とでは状況がガラリと変わって、行く前のようなテンションでは書けなくなったことなんかを書いて出した。


北京にいるノムに宛てたメールの一部↓
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先生のブログを久しぶりに読んだら、なんと先生骨折して絶対安静の状態で、来春まで鑑定もお休みするくらいの状況だった。
先生に10月の終わりにやっと講座と最後の宿題の添削と質問への回答のお礼メールを出して、その時は知らずにいたから、そして先生も何事もなく返信をくれたから、まさかの骨折での絶対安静の話に驚いた。
そして、それを読んで、あの講座が初級も中級も滞りなくきちんと無事に開催されたことは、ものすごく当たり前みたいだけど、当たり前ではなかったんだと気付いた。
そして、それをきっかけにノムと出会わせてもらえたことの奇跡を思って、それに心から感謝を改めてした。
何一つ当たり前ではないことを改めて思い知った。

ノム、帰ってきて落ち着いたタイミングでまたきちんとメールしたいと思うけれど、ノムが北京に行っている間、生きていることが何一つ当たり前ではないことにものすごく気付かされるようなことが現在進行形で起こっていて。
本当はそれを知る前なら、ノムにもっと冒頭のような北京にいるノムに送るメール、まるで海外文通、やったー!!!のテンションで送れたけれど、そういうテンションにあらず。
命って有限なんだと、当たり前のことだけど、日常に慣れるとそんなこと忘れて生きてしまっていて、それを超真剣に考えさせられるようなことになりつつある今(私は元気)、何もかも全ては本当に奇跡の上に今日という日が来ているんだと、その事実を前に体が震えるぐらいに反応している。

ノムにメールも送りたくて、途中まで書いたんだけど、上手く書けなくてね。
だから、とにかく「北京にいるノム」に宛てられるのは今だけだから、その私の欲を満たすために(笑)、このまま送らせてもらうね。

明日5日だよね?帰国するの。
ミッチーと2人で気をつけて帰ってきてね!

日本の新潟より。
ぶっしー

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ノムにはもっと別の濃い話をしたかったのに(とにかく互いに思いのままを色々吐き出し合ってセラピーのようなことをしている)、上のようなことを書くのが目一杯だった。

父の死期が近いかもしれないと思ったら、Aさんから一刻も早く自分の名前が載った成果物(手帳)を送ってもらわなきゃ!と思って、そしてノムが日本に帰ってくる当日(5日)のその日の直前に、突然スイッチが入ってAさんへのメールを書けるようになった。

何でこのタイミングなんだろう…なんて重たいことも考えつつ、一生に一度しか伝えることはなさそうな内容を全力で書いた。

これが最初で最後の機会かもしれない、そう思ったらありったけのことを伝えたくなった。

ようやく午後に書き終えて、無事発送した後、そうだ、ノムにもAさんにメールしたことを伝えようと思って、そしてもう今日帰ってくるから一言気をつけてねというのも添えてLINEを送った。




それから2時間以上経った頃、ノムからLINEが入った。

今北京近くの空港で、あと少しで帰るとのこと。

私が書くとすぐに既読がついて返ってくるから、私はそうだ、ノムがもしペンジュラムを持っていたらノムに今聞いてもらおうと思って、唐突に切り出した。

その時の私というのは、普段の判断能力などぶっ飛んでいて、まともに思考できなかったし、自分の身の振り方も決められなかった。

ペンジュラムを使っても、私がブレブレだからペンジュラムも本気でブレブレで、もうペンジュラムも普通には扱えないぐらいまでになっていた。

だから何も知らないノムに、そしてノムのペンジュラムに聞いてもらおうと思った。


私:
ノムってペンジュラムも北京に持って行った?

ノム:
ありがとう〜、うん、無事に旅を終えれそう🤗  もちろん、もってたよー、ダイスといっしょに。ペンジュラムは2回やった!

私:
ノム今すぐペンジュラムって出せる⁇
もし出せるなら、2つほどYES NOを見てほしいものがある。

質問は私の方で用意してあるから、
Aに対してYES NO
Bに対してYES NO
それだけを見て欲しい
もしお願いできるならお願いします。

ノム:
いいよ!

(しばらく待機)

ノム:
Aに対しては、イエスにイエス  ノーにノー。Bは、どちらも振れが微妙というか、曖昧なんだよね。無理に出すものでもないかな、と、ひとまずのご報告!

私:
ノムありがとう、本当にありがとう!
何聞いていたのか後からメールするね。
ちょっとヘビーな内容の話が帰国後一発目のメールでも大丈夫?

ノム:
こちらこそ〜〜!  空港でペンジュラムとか、おもしろかった。笑!!  ヘビーなメールも、もちろんオッケーだよー!  それも楽しみにしてる❣️

私:
ノムに対してとかではもちろんなくて、今本当に生き方の方向をある程度出さなきゃいけなくなった。
で、ノムが北京行く前と今とでは全く状況が変わってしまって、私自身も普通の判断能力にない。
そんな中で今ペンジュラムを聞いてもらってたの。
ノムいつも本当にありがとう!!!

ノム:
実はというか、ぶっしーBlogは北京でも読んでたよ!笑  だから、いろいろ変容が押し寄せている感じは伝わっていたよ。こちらこそ、いつもありがとう! でも、すべては最高最善のことが起こっているはず。目の前の今にぜんぶある。よね!
ありがとう、ぼちぼち搭乗いってくるねー。またね!!


こんな風にやりとりを飛行機に乗る直前にさせてもらえた。

ノムが私のブログ(父のことも書いた)を北京で読んでたのは初めて知った。

色々察してくれてるだけではなく、ヘビーなメールもウェルカムであれば、私のこの状況を変容、最高最善と言ってくれてるのも本当に嬉しかった。

すごい難しい状況に私が今現在立っていて、それに対して掛ける言葉というのは、私が逆の立場ならものすごく難しい。

ちなみに、「変容」だの「最高最善」だの、一歩間違えたら変な部分を刺激しかねない言葉となるけれど(だって、対峙してるものは近しい人の忍び寄る死)、ノムはそこを本当に自然に言っていて、さらにはこれは相手への信頼がないとこの状況下では絶対に言えない言葉だから、それを本当に心を込めて言ってくれることが私には本当に嬉しかった。

そして、それを前に頭をもう一度シャキッとさせて考え直した。




ノムに聞いていたAとBの詳細とそれにまつわる諸々をメールにした。

A:
住み込みのスキー場関連のお仕事に
YES→行く
NO→行かない

B:
地元での〇〇の宣伝の仕事(時給や条件申し分なし)
※親に言う必要はあるけれど、この場合なら家を出なくてOK。
YES→行く
NO→行かない


こんなことになる前、スキー場の住み込みバイトには私のペンジュラムはずっとYESだった。

必要なことしか起こらないだろうと思っていたから、それが何か流れを変えるんだろう…と思った。

私を何とか家から出したい両親は、この話をした時、先々の不透明さは指摘はしてきたものの、このまま家にいられるよりも余程良いわけで、そこは喜んでいる風だった。

父のことがわかってからも、スキー場の住み込みバイトはしばらくペンジュラムで聞いてもYESだった。

Bの仕事も見つけたけれど、それには最初NOだった。

だけど、私の方で父の体がどうなるのかわからないとなってからはペンジュラムの答えはどんどん変わったし、私は私でまともに判断できなかった。

だけど、AとBと何も知らないノムがペンジュラムで見たらAのスキー場バイトにYESが出たわけで、そしてそれは当初の私のペンジュラムでもずっとそうだったわけで、そちらなんだなぁと思った。

思ったけれど、本当にそんな訳の分からない選択でいいのかわからなかった。

もし本当にスキー場の住み込み仕事に行ったら、いざという時にきちんと帰ってこれるんだろうかとか、そもそも雪道で通行止めとか大渋滞とかにならないだろうかとか、不安なことは山ほどあった。

そして、もしその間に父が死ぬようなことがあった時、私は今の私の決定を後悔しないだろうか?と思った。

スキー場行きはすごい不確定要素が多すぎて、私にはどうしていいのかわからなかった。

さらに、ノムが飛行機に乗る前後、こんなやりとりがあった。


(帰国後のノムへ宛てたヘビーメールより)
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昨日5日の夕方に母に聞いた。
実は仕事の申込をストップしていること(申し込んでないとは言ってない)、父の状況を4日の日家族3人で紅葉を見に行って1日すぐ隣りで見て本当にスキー場の仕事を申し込むのがいいのかどうかわからないこと、今ならまだ変更が効くから残って仕事もできること、母はどう思うかを聞いた。
私は残って欲しいとかそのような言葉が一言でもあれば、一にも二にも迷わずに地元の仕事(B)を申し込む気でいた。
母は私の話を聞いた後、
「自分たちのことは何とかなる。だからおまさん(おまえさん)には、自分の人生があるから、それを優先して欲しい」
みたいなことを言われた。

母の話を聞いて、本当に私が自分で決めていいこと、自分で決めなければならないことを感じた。canでありmustなんだと思った。
私は正直もっとわからなくなった。

その後、ノムの空港でのペンジュラムの一件があった。
その間にも自分のペンジュラムに聞いた。
最初はスキー場(A)だけYESで(B)はNOだったのに、私がブレ出してからはスキー場がNOになってBがYESになった。
また逆転したり、今度は「行きません」と聞くとこれまた逆転したり。
もう自分の今の精神状態ではペンジュラムを扱えないと知って、それでノムに聞いてもらった。
そうしたらスキー場に行くにYES、スキー場に行かないにNO、Bの動きは微妙だと教えてもらって、母の言う通り、私は自分の人生の方に舵を切らないとなんだな…と思った。

(他のことも諸々説明)

ノム、もし何か感じたことがあればそのまま私に教えてね。ぶっしーを惑わすだけとかそんなこと一切考えなくていいから、そのままを教えてもらえる方が私は嬉しい。
そして見ての通り私はブレブレだから、逆にノムはこの私の件に関しては落ち着いているから、何も感情がはさまらない第三者というよりノムだからこその視点を知れるとありがたい。
これを読んだ後に(ノムの)ペンジュラムが読む前と違う動きをするのも私はそれはその時にまた考えようと思っているし(少なくとも今日中に何かしらノムからペンジュラムに関しての返信もらった時点で決断はしようと思っている)、もしくは全てにNOとか全てにYESが出て私が決めなきゃいけないような事態をノムのペンジュラムから伝えられるかもしれないしね。
本当に何がどう出てきても、それを見据える覚悟でいるから、ノムは気にせずにノムの見たペンジュラムの答えやノムが感じたことがあればそれをそのまま教えて欲しい。
ノムよろしくお願いします。

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[今現在もわかっていないけれど、とりあえずノムが日本行きの飛行機に乗っている頃、我が家では父が10月に受けた会社の健康診断の結果が返ってきて、それをみんなで見た。異常な数値が1つあって、それは実は2ヶ月くらい前にも父が普段行っている内科のクリニックの検査で引っかかって再採血したもので、その再採血の時に数値が下がったから、と言っても元々基準値越えの高めの普段の数値ぐらいになったということでそのまま放置されてたものだった。
その時は母も私も皆が下がったなら良かったと放置し(武士俣家の適当さが滲み出ている( ̄∀ ̄;))、今回さすがに異変に気付いて私がネットで検索して、とりあえず該当する病気の症状にヒットして、それは体重激減も含めて、それなら今すぐどうこうではないのと、ただし癌とか他の病気の可能性ももちろんあるわけで、とりあえず紹介状もらって大きい病院での精密検査をしてもらおうという話まで来た。
そして諸々のことが滞りなく進んでも結果は早くて今月中だから、どちらにしてもそれを待っての私の身の振り方を決めるのでは両親が納得するわけもないから、私のことは決めないといけない状況には変わりなかった。]




11月6日

今後の唯一の用事だった友達とのランチに出かけている時にノムからLINEがきた。

ノム:
ぶっしー、おはよう〜。メール読んだよ。今日電話できたりする?

ノムに3時半頃には解散になるから、その時でも大丈夫かを聞いたら「うん、大丈夫〜(⌒▽⌒)❣️」と返ってきた。

そうだ、もう一つノムにはあらかじめお願いをしたことがあった。

上の空港でペンジュラムで聞いてもらった[AとBの中身が何だったかと父や両親との一連のこととを書いたヘビーメール]を読む前に、もう一度AとBにペンジュラムがどう反応するかを聞いて欲しい、そして読んだ後もどう反応するかを聞いて欲しいとお願いした。




友達と解散した後、冒頭のきれいな紅葉の木の下の駐車場の車内からノムに電話をした。

これは後から思ったことだけど、北京での素敵な旅の話よりも私の超個人的な相談を優先させてくれたのが本当の本当にありがたい。

そしてそのためだけにノムは時間を作ろうとしてくれてるのがひしひしと伝わってきて、それだけで泣きそうだった。

ノムにまずペンジュラムのことを教えてもらった。
(実際は教えてもらったことが完全に記憶から抜け落ちて、後からまた教えてもらった(苦笑))。

たった1日日付が変わっただけで、ノムのペンジュラムの状況も変化していた。

まずは私のメールを読む前にペンジュラムに聞いたら、今度はAもBもどちらも微妙な動きではっきりしなかったとのこと。

読み終えたら、今度はもう完全にペンジュラムは止まってしまって、何も反応を示さなくなったと教えてもらった。

ノムに言われた。

「ねぇぶっしー、僕も逆に聞いてもいい?ぶっしー、今近くにペンジュラムある?」

あるよ、と答えた。

「じゃあAに対してYESになる?NOになる?」

「AはNO、NOで合ってるかを聞いたらYESになったから、やっぱりAはNO」

「今度はBに対してYESになる?NOになる?」

「BはYES。YESじゃありませんって言うとNOが出るから、やっぱりBはYES」

ノムがAとBとを教えてくれた。

Aは「魂の声」…NO
Bは「気持ちの声」…YES

ノムは、今回は魂の道ではなく、気持ちの方を優先してもいいのかもしれない、そういうのもありなのかもしれない、というようなことを本当に言葉を選びながら伝えてくれた。

ノムは「AじゃなくてBがいいんじゃないかな」みたいなことは一切言わない。

自分の感じたことを言いながらも、最後は私が選ぶようにどちらがどうだという話はしない。

しかもこんな風にさらに伝えてくれた。

「あのさぁ、ぶっしーのメールを読んでペンジュラムにも聞いて、そしてぶっしーのメールの内容をかいつまんでミッチーにもどう思う?って聞いてみたの。
そしたらミッチーがね、地元に残れる仕事で気乗りしない仕事以外の他の仕事に就くのもありだよね、だって今ぶっしーにとってお父さんの近くにいることが一番いいなら、どうでも気乗りしないものではない別のものでもいいんじゃない?って、すごく冷静な意見を教えてくれてね。
だから、ミッチーが言うような、スキー場の遠方の仕事でも、地元の気乗りしないBの仕事でもなく、家から通える別の仕事っていうCという新たな選択肢もありかもね」

ノムはお願いもしてないのに、ミッチーに電話の前にさっと相談してくれていた。

そうやって他の人も巻き込んで、さらに良い案はないかと真剣に考えてくれる、その粋な計らいと心くばりに胸がいっぱいになった。




ノムは、自分がゲイであることを母、父、兄弟に伝えた経緯やその当時のやりとり、ミッチーも交えての家族で迎える正月になるまでの色んなプロセスを教えてくれた。

いつだったか(この夏の話だったと思う)、ノムとミッチーとでノムの実家に行って、たらふくごはんを両親とそしてお兄さん夫婦と食べてきたという話があった。

ミッチーはノムの恋人として紹介されていて、すごいなぁなんて思っていたら、そこに至るまでの裏舞台をノムは話してくれた。

時系列的に実際の時間はわからないけれど、ノムが最初お母さんに話したのはかれこれ10年近く経つのではないかと思うし、次にお父さんに伝えたのは6〜7年前、ミッチーを最初に連れて行って、いつかの正月には「友達」として母親が他の兄弟のお嫁さんたちに伝えたこと、それからも色々あって、ミッチーが恋人だとして連れ帰るようになったのはこの2年ぐらいであることをノムはかいつまんで話して聞かせてくれた。

自分を示す要素を周りに知らせないで死ぬのは嫌だとノムは考えていて、そのように家族にカミングアウトし、そして友達や会う人、たとえそれが一度きりの会合の人にでもゲイであることをノムはカミングアウトするようになったと話していた。

ノムにとってそれが第一のカミングアウトで、その後ライターという仕事を辞めて絵を描く方に移行した時、「絵を描いている」こととそれで生計を本気で立てようとしていることを周りに言っていくのが第二のカミングアウトだとノムは言った。

そして今は、霊的な能力部分の言うなればメッセンジャー的な役割をカミングアウトするのが第三のカミングアウトだと言った。

(ずっと記事が滞っているけれど、9月の終わりにノムとミッチーの2人展を見に行って、その時2人の大家さんれいちゃんとれいちゃんの息子次男くんとで集って、その時にノムが何をする人で何ができる人なのかを私は目の当たりにして、それはノムにも伝えた。ノムはいわゆる本当の「メッセージを下ろす人」だった。少し前に私たちの占星術の先生からもノムは個人鑑定を受けて、実はノムというのはそうした霊的な能力を持っていてそれを周りの人たちのために使っていくという相がホロスコープ上に出ている人だと初めて知らされた←ノムは(私も)そんなこと知らなくて、ビックリした。)

全然上手く書けないし、この話と私の自分の身の振り方や父の体のことと何の関係もないように見えるけれど、ノムがしてくれた色んな話は確実に私のゴチャゴチャに絡まった頭の中を紐解いてくれた。

今手元に、ノムと話した時のメモ紙があって、そこに「心残りない選択」と書かれてある。

ノムが私に向けて言った言葉なのか、ノムの自分の話の中で言ったことなのか、もうメモ書きを見ても思い出せない。

だけど、「心残りない選択」でわかった。

今遠くに行くことではなく、父の近くにいて日々父が生きていることを見届けること、それが私が最大に自分のためにしたいことだった。




(帰国後のノムへ宛てたヘビーメールより)
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私今日これから昼間に友達とランチに行くんだけど(これは2週間前に誘われていた)、それが終わると本当にこの先何一つ用事が入っていない。
妹や姪っ子が来るけれども、それは家族だから用事というのとは違う。
本当にそれ以外のことが何にも決まっていなくて、そして先の予定が何一つない。本気で真っ白になっている。
それに対しても私は、自由なんだなと言うよりも、何でこんなに真っ白なんだろう?と思っている。2018年の4月から1年8ヶ月、途中郵便局の年賀状や米の仕事はあったけれど、それ以外は何もないのは今とさほど変わらなかったけれど、ただこれまでは占星術の講座があったり、小さな約束があったりして、何かしら体を拘束するものがあった。今回は本当にない。
「何でも選べる!」なんて気持ちは私にはなくて、この真っ白になったところに何かしらの決断をしていかないといけないことに恐れおののいている。
ちなみに、これまでのように何もせずにずっと家にいたいけれども、それは選択肢にない。

ここまでの状況になって、自分が何ができると知っていても、私はまだ何もしようとしない自分を見て、改めて「やりたいことではない」と静かに思った。
もちろん怖くて避けているだけかもしれない。
なんだけど、これだけ自由な状況で何をしてもいいってなった時に、そのことは私の中の選択肢にならないんだって。
今後徐々に形にするのかもしれないけれど、今度こそやらなきゃ!なんていう腹は据わらなかった。それならとりあえずお金を稼ぐのに働くじゃないけれど、それもまたお金を稼ぐためにするというのも、私の中でそれが理由というのはなんか違うという気持ちもかなりあるけれど、とにかく今確実に気持ち共々動けるのはそれなんだということ。

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ノムは電話の中で、【ここまでの状況になって、自分が何ができると知っていても、私はまだ何もしようとしない自分を見て、改めて「やりたいことではない」と静かに思った。】という部分にも少し触れてくれた。

ノムに言った。

この状況下で、私はそれが言い訳なのか逃げなのかはわからないけれど、とりあえず人の話を聞いて何かメッセージ的なものをキャッチしたら伝えるというのは、とてもじゃないけれど、この精神状況では無理だと言った。

そしてそれを先延ばしにすることが果たしていいのかどうかはわからないけれど、それで食べていくためにがんばるというのも今は絶対に違うし、そのこと自体をそんな風にしたくないということも言った。

自分でもよくわからないけれど、私は自分のその能力的なものを適当には扱えない。

ものすごいこだわりがあって、それを単なるお金を稼ぐ手段みたいなものに私はできないままでいる。

そんな諸々を話したら、ノムは今の私の考え方でいいと思う、というようなことを言ってくれた。

そこを無理に押し進めることはしなくていいようなことも伝えてくれた。

ぶっしーはやらないわけにはいかないとは思うけれども、というのも伝えた上で、ただ今は状況が状況であることと、生きる上でのバランスは大事だからと言ってくれた。

その能力的なものを使っていくのは大事なことだと、ノムは実は電話の冒頭に私にはっきりと伝えてくれている。

やりたいことではないかもしれない、だけどぶっしーのその受信機能はどこまでもぶっしー本人にしかわからないもので、それを使わなくていいからもたらされてるものではなく、使うためにもたらされてるものだと思うということも、ノムはキッチリと伝えてくれた。




他にもたくさん色んな話をノムは聞かせてくれ、私の話も聞いてくれて、それで電話が終わる頃には私の中で1つ結論が出た。

しばらく家に残る方向で調整しようと、両親と話をしようと思った。

そうだ!と思って、ノムにもう1つだけペンジュラムに聞いて欲しいとお願いした。

もうそれがどう出ようと私は自分の中で変わらないものが出ていた。

できるならYESが良いけれど、仮にNOでもそれはそれで、私は私の選びたいように選ぼうと思った。

またノムには何も言わず、ペンジュラムがYESになるかNOになるかを見て欲しいとお願いした。

ノムはしばらく沈黙した後、「YESが出たよ」と教えてくれた。

私が聞いたのは、何を選ぶにしても自分の気持ちで選んでOKかどうかを聞いた。

こうして書いてみると当たり前のことだけど、それさえも私はわからなくなっていた。

そして自分の道から逃げるみたいなことになっているのも気になったし、果たしてそれが本当にいいのかは知らないけれど、優先順位として今は一番上にあるのが「父との時間」だった。

その気持ち一本で私は先々のことを決めたい、そう思った。




11月7日

朝からきれいに晴れた。

6日の晩に父と時間差で母と話をした。

検査を受けてその結果がはっきりするまで家にいたいこと、万が一のことがあればそのまま残りたいこと、何もなければないでその時は春先に家を出るようにしたいこと、今いきなり仕事を始めてすぐのすぐに辞めるというわけにはいかないだろうから、とりあえずここから通える仕事に申し込む予定でいることなんかを伝えた。

父も母も自分たちで何とかするからいい(=私は残らずに家を出ること)と言ったけれど、私もそのことに口を挟む予定はないことも伝えて、ただ何かあった時にすぐに駆け付けられないようなところに今行くのは自分がそうしたくないことも伝えた。

この辺りはまた別の機会に書きたいと思う。

朝になって朝焼けがきれいで、そのきれいな空に向かって、最善のこととなるように祈った。

その後も申し込む前に「不安なこと」を箇条書きでノート1ページ分書き出して、それを見てもしばらく父のことがはっきりするまでは残ろうと決めた。

気乗りしない仕事ではあるけれど、背に腹は変えられぬと思って申し込んだ。

ものすごい面倒な入力作業を終えて(←なんと2時間コース)、最後申し込み終わった後、思った。

「命の時間をもらう」

私にとってのその申し込みは、働くことでもお金を稼ぐことでもなく、命の時間を、父が今日も生きていると確認するための時間をもらうための手段だと思った。

その1時間後ぐらいに今度は電話が来て、諸々確認や説明の後、書類選考に進みますがよろしいですか?と聞かれて、よろしくお願いしますと伝えて、次の日金曜か週明けの月曜にはっきりすることとなった。

6日のノムとの電話の後から申し込むまでの間、そして申し込み終わった後もいくつか大きなことがあったから、それはまた改めてブログに書けるといいなぁと思う。

ただ、明日の朝早くから、大人5人の体力を足してもそれを上回るスーパーキッズ(もうすぐ4歳の姪っ子)がやってくるから、そんなこんなのうちに書けなくなりそうな予感も…( ̄∀ ̄;)。




最後に。

もしかしたらその6日のノムとの電話の後から7日にかけてブログに書かないかもしれないから(because of 姪っ子( ̄∀ ̄;))、これだけ残そうと思う。

7日に申し込んだ後ミッチーに、ノムから話を聞いて、ミッチーも一緒に考えてくれたことへのお礼を言うためにLINEをした。

そのミッチーの返事が本当にとっても素敵で、それを紹介。

ミッチーの言葉の中にすべてが詰まっていた。

読んで私は号泣した。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ぶっしー、落ち着かない時みたいだね。
ぼくは大したことは言ってないけどね。笑
ぼくは家族が亡くなったり(祖父祖母は亡くなったけど)近い存在の人を亡くすとか、ぶっしーみたいな心配をしたことがなくて気持ちはわかりかねるけれど、やはり後悔が残らない道を選んだ方がいいと思う。何事もそうだと思うけど。
ぶっしーが父さんのことをとても心配してるからなおさら。
残ることは今できる最善のチョイスをしたと思う。病状が判明した時にまた道を選んだらいいと思う。先のことはわからなくて不安だと思うけど、今だけを見て、家族で力を合わせて乗りきって!
たくさんぶっしーの愛を注いで、たくさん笑ったら奇跡が起こることだってなくないよ!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




2019/11/07の朝焼け
朝の光に向かって、今後の自分祈願をした。
そして、Bの仕事をその後申し込んだ。


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