2019年8月14日水曜日

ホロスコープ鑑定2019【前編】


 

2019/08/14の夜明けの様子

下2枚は別の日の朝焼け






その機会は、突然降って湧いた。

ノムの方から「ぶっしーのホロスコープを読んで文にしようと思う」と言ってくれた。

てっきりそれは後日送られてくるのかと思いきや、ノムはその場で私のホロスコープをノムの感覚でどんどん読んでいってくれた。

それこそ音源に撮ったら良かった!、とそれは今でも悔やまれるけれど、突然ノムは電話の向こうで私のホロスコープを読み解いてくれた。

さらにそこから1週間ほどすると、ノムからメールが送られてきた。

私は電話越しのホロスコープの読みだけで大満足していて、まさか本当に口頭で伝えてもらった以外に文章でも鑑定文を送ってもらえるとは思ってなくて、ものすごく驚いた。

しかも、口頭の内容と文章の内容はまるっと違う。

ホロスコープというのは無限大に着眼点があるから、実際のところ、どこからどう読んでもいい。

読み方は読み手のセンスや生き方がものすごく表れてる気がする。

ノムが読んでくれたのが実質人生で3回目のホロスコープ鑑定になるけれど、それは初回と2回目とも全く違う様相のものだった。



>>>1回目(2018年2月)

この時は、「ホロスコープ入門」というタイプの鑑定だった。

生まれた時の星の配置で色んなことがわかることにとっても感動したし、「入口」として入るには十分な情報量だった。

この時の鑑定士さんが授けてくれた一番の情報は、ペンジュラムと私の関係が今世だけではなく過去世からもたらされているだろうことと、その時の過去世で近くにいただろう人物と今世でも再会できていて、その人物と私との関わりを教えてもらえたこと。

その時教えてもらったことは、ホロスコープ鑑定とは全く別で、鑑定士さんの体質で必要に応じて私が教えてもらったような情報をキャッチするということだった。

鑑定士さんからは「見ようと思って視れる情報ではないので、関わる人たちの魂側から必要と判断されない限りは視えません」というような説明を受けて、聞かせてもらえたことだった。

今思うと、魂的なご縁たるもの、ありえない現実を引き起こす、とはっきりと知った初めての出来事でもあった。

余談だけど、この人物に関して、私はこの鑑定士さん含めてなんと4人もの人たちから何かしら情報を提供されていて(4人ともその人との面識は一切なし)、この鑑定士さんがその中で初めて何の前情報もなくいきなり私にその人に関する情報を伝えてきてくれた人だった。

それによって、私の中のバラバラのピースだった人生のポイント・ポイントが1つの線に初めて繋がった。

鑑定よりもむしろそのペンジュラムの過去世を持つ自分や、その過去世の中でとても近しい間柄にあった人物と今世でも再会したと知り得たことがとても大きかった。



>>>初回鑑定の2ヶ月後から私は独学で自分のホロスコープを読み始めた。自力で読むにはあまりにも特殊で難解な形をいくつも含んだ自分のホロスコープは、素人にはすべて読めないと判断して、2回目の鑑定を申し込んだ。



>>>2回目(2018年7月)

この鑑定は、完全に学術的且つ超がつく専門的な鑑定になった。

1回目とは全然違っていて、私のよくわからない人生の流れや、どうしてそうなるの?の部分をくまなく解読してもらえた。

初回が簡易な健康診断だとするなら、2回目はフルオーダーの人間ドックみたいな感じだった。

この鑑定によって、自分のホロスコープをもっと立体的に見ることができたし、自分取扱説明書的に自分の人生をより深く知ることができた。




(☆☆☆)
そうした過去2回を経て、私の方はもうホロスコープ鑑定はしばらく受けなくていいかなと思っていた。

個人的に受けてみたい占術家の方は何人かいるけれど、早急に申し込んで受けたいというのとは違って、まぁいつかは受けたいかな…という感じだった。

受けたい理由も、何かを相談したいとかではなく、どんな風に他の方たちが私のホロスコープを読み解くのか、そこに興味がある。

2回目に受けた時、ある意味、自分の人生に対してあきらめて受け入れるしかないと悟ったら、もうそれ以上深い内容なんて手にしないだろう…なんて高をくくっていた。

「悟った」と言えるほどではないけれど、もうそれしかない、というタイプの認識は生まれた。

ノムとは普段からあれこれ占星術の話題を互いに思いついたタイミングで情報交換している。

実際に講座も一緒に受けたから、先生がサンプルとして時々私たちのホロスコープを読んでくれたけれど、それも同じ内容を聞いている。

その時はもちろんノムの好意で私のホロスコープを読んでくれたけれど、今思うとノムは「神々の審議会」的なメンバーから遣わされて私のものを読んだんじゃないかな…なんて思う。

ノムのアトリエで『光の書』という本の中で「神々の審議会」という言葉を見てからというもの、私の中でその言葉は一大ブームとなった。

意味不明でカオスな出来事は、すべて「神々の審議会」の一言で説明がつくv(ΦдΦ)v。

ノムがしてくれたことは、意味不明でもカオスでもなくとってもありがたくて嬉しいことだったけれど、よくよく考えたら色々イレギュラーすぎて、それが起こること自体、すごい非日常だった。

ノムに聞いても「なんとなく読もうと思った」と言うし、ノムだって直前まで私のホロスコープを読むなんて全く意図なんかしていなかったと思う。

それが突然ノムは「読むね」と言って始めて、そしてノムの読み解きを聞いた後、それが絶対的に必要なことだとわかった。

ちょうど1年前に受けた2回目の鑑定で、自分の人生の設定がおおよそわかったし、その設定に関しては自分の方にほとんど選択肢がないこともわかった。

オカルト体質的なものもオカルト的な要素のある人生の性質も、自分ではどうにもならないことだとわかった。

自分が知りたかった学術的に難しい部分も、先生の方で細かく読み解いてくれた。

もうそれで十分だとずっと思っていた。

ノムは2回目の鑑定も踏まえて、さらにもっと踏み込んで、ノムから見た私の性格や特徴と実際のホロスコープとを重ね合わせて、色々と話をしてくれた。

ノムがしてくれたのは、私側が自分の人生に対してもっと深く向き合えるように、そのために私がすっと素直に受け取れるものをメッセージとして伝えてくれた。

ノムは本当に踏み込んで話をしてくれた。

ノムは基本的に自ら相手の領域に踏み込むタイプの人ではないし、踏み込む時は相当気をつけて言葉を選んで相手の感じ方を常に気にしながら伝えようとするタイプの人。

なんだけど、今回はその普段のスタイルよりも、もっと何かに促されるように、私の星を読んでくれた。

ある種、神がかった流れの中でそのようになったという感じに私には見えた。

この時のことを、何個か前のブログで私はこんな風に書いている。


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何でノムだったのかはわかる。

ノムは私を絶対に傷付けないというのがわかるから。

傷付けないけれど、それは何かを避けたりもしない。

傷付けない方法で確実に大切なメッセージを伝えてくれる。

それが本能レベルでわかっているから、だから私は無意識にノムにその係をお願いしたんだと思う。

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私は自分でもわかるけれど、自分の人生のコアな部分に迫れば迫るほど、怖くなったり逃げたくなったりする。

いい加減な気持ちで向き合えないし、逃げても逃げられないということもわかっている。

これが自分の頭の中で思い描くことと合致しているなら私も超やる気になってスイスイと動き出したと思う。

私の場合、もう何が怖くて何から逃げたいのかもわからないけれど、とにかく「やる気満々」とはとても呼べない自分のモチベーションと、人生そのものに対する怖さや逃げたい気持ちとを持っている。

1年前の夏に、ぐうの音も出ない私の人生の方向性をホロスコープ鑑定により知った。

信じる信じないのレベルじゃない。

否定したくてもできないぐらいの内容のものをいくつも伝えられた。

もう腹を括るしかない、と思っても、腹はやっぱりいきなりは括れない。

行きつ戻りつしながら、徐々に受け入れていく、そんな風にして1年が過ぎた。

私の中で、去年の鑑定以降ホロスコープ鑑定にもうそこまで熱を上げなかった理由は、1年前の鑑定があまりにも高度な内容で、それと同じレベルで読み解ける人などいないと思ったからだった。

だけど、ノムから読み解いてもらって、ノムの読み解きはもはや全く別次元の内容で、そしてそこはこの1年の行きつ戻りつの状態を思うと、絶対的に必要不可欠なメッセージだったと今ならわかる。




2019/08/14  真夜中の1時台

3歳の姪っ子メイが来てからというもの、日々遊び相手をしていておば業に勤しんでいるけれど(←本当に「お勤め」という感じ( ̄∀ ̄;))、そのテンションだととにかく文章が書けないことになっていた。

相変わらず、ぬいぐるみたちの声優も兼ねた色んなごっこ遊びや各種不思議な遊びに精を出しているけれど、そのテンションとこのブログのテンションとは宇宙と地球の中の日本の新潟県内の某田舎町ほどの差があって、脳みそが全く書くモードに切り替わらなかった。

上に書いたことも、(☆☆☆)以降がメイが来てから書いたもので、そこから先が本当に手が進まなかった。

とにかく言葉にできなくて何なのかと思っていたら、ようやくその理由を知るところに来た。

ノムが私の星を最初に読んでくれた日からそろそろ3週間ほどになる。

そして、今さっき、やっとやっと着手して何とか期限ギリギリに提出した占星術講座の最後の課題の添削が先生からメールで送られてきて、それが真夜中寝ぼけた頭で最初に読んだもんだから、そのインパクトたるや凄いものがあった。

だいぶ気付いてはいたけれど、私の星読みのあり方は、致命的に欠点を持っていて、今回そこをもろに先生から指摘された。

5月から延び延びのままになっている、占星術鑑定デビューの話とも連動していて(こちらも超大切な出来事と出会い(再会)だったから、きちんと書き足していつかアップする予定)、私がどんな風に星読みをしているのかそれも書きたいと思っているから、今は致命的な欠点については深くは書かないけれど、とにかくここ3週間ほどのノムとのやりとりと、私の人生の超大事なポイントと、その中で起こった小さな出来事たちが色々交差している。

先に言うと、もし今の私の手元にあるメッセージが先生からの宿題の添削だけなら、私は100%この先占星術をすることは絶対になかった。

先生が指摘してくれたことは、本当の本当に「占星術」という言葉を使って表に看板を出すことはできない、と私は思うぐらいのものだった。

それぐらいの致命的欠点を私は星読みをする時に持っている。

ある程度訓練して補完することは可能だけど、それは「意図的に訓練」が常に必要だし、それこそチェックリストでも作って1つ1つ見てやらないと自力で自然にはできないことだった。

しかも、仮にチェックリストを作ってやったとして、それで完璧かと言えばそんなこともなく、さらなる不足感や欠落感、劣等感に苛まされたりしたと思う。

こんな自分が星読みなんかしちゃいけないとか、自分のことや趣味の範疇でやるのは良くても有料で仕事として携わるのはどうかと疑問に思って、得意の逃げ技に転じて、自分のできることから目を背けたに違いない。

先生からの添削メールを見て、私は今反対のことを思っている。

今後自分の説明を文章に起こしていく必要があるけれど(有料サービスに向けて)、私はできることと同時にできないことややらないことも明文化しようと思っている。

その致命的欠点もそのまま書こうと思っている。

頭の中がまとまらないから、出てきたまま書こうと思うけれども。

ノムがしてくれたことというのは、私の超独特な感性について言葉にして伝えてくれたことと、そしてその唯一無二の素晴らしさやそこにある可能性だった。

この3週間ほどの間で、ノムは私の星から読み取れるメッセージを伝えてくれただけじゃなく、もっと他の現実的な可能性についても形にするべくヒントやチャンスを与えてくれていて、そこで私が手にしたことは一生の間で一度しか手にできないような、自分自身との出会いみたいな感じだった。

自分はこんなことも実はできるんだ!と気付くこともあったし、それこそ新しい脳内の回路が開いた風にも感じた。

これは自分が生まれてくる時に持たされた資質・才能の1つだと思う。

当たり前だけど、使うために持っているものであって、そのまま宝の持ち腐れのごとく隠したままにはできないと思う。

ただ、ここが「ザ・武士俣史子」だなぁと思うのは、宝に気付いてもそれを素直にすぐに外に表現できない自分もいる。

自分の中に常駐している自己否定感や外に向けて表現することへの怖さと常に表裏一体で、「こんなこと表に出して大丈夫かな…」とか「自分がこんなことしていいのかな…」とか、まぁ出てくる出てくるネガティブな考えやネガティブな自分が。

そして資質や可能性に気付いても怖さがまだ先の私は、とりあえずまた色んなことを先延ばしにすべく、妹と姪っ子が帰る翌日から、1ヶ月程度の短期の仕事に行くことが決まった。

何をするのかいまいちわかっていないけれど、稲刈りの終わったお米を引き取る倉庫のようなところに行って、伝票書いたりそれに付随する仕事をするらしい。

この日本という国で、「雨の日はお休み」という、ドミニカ共和国以来の素晴らしいオプション付きの仕事をする。

目下は日焼け対策や水分補給のあり方、ストレスにならない弁当作り(多分面倒だからおにぎりになると思う)、短期と言えどもストレスにならない人間関係なんかに力を使うと思う。

ちなみに、この仕事も即刻決まったから、何か表の経済的理由ではなく別の理由で行くんだろうなぁと思っている。
(神々の審議会的レベルで行くことが許されないものは、どんなにありえないことでも引き起こされて、そこに行かれないように全力で阻止される。はっきり言って、私側の意志なんか全く関係ない感じがするし、毎回細かな希望を一切出さない私には、何の仕事なら通って何の仕事なら通らないのか、その見えない部分の神々の審議会的な条件がわからない。)

話が少し逸れたけれど、何か自分の中の資質に気付いても、私は一度以上は必ず抵抗するし、それを受け取ることにもためらったり、受け取ってからもまた否定したりと、色々自分の中は忙しい。

またちぐはぐなことを少しの間するわけだけど、とにかく、先生からの添削メールだけがもし今の私のところに寄せられた全てのメッセージなら、私は占星術を使うことからも自分の人生からも逃げたと思う。

だけど、私はそれを読んで、「自分だからできること」にも気付けたし、そして致命的な欠点については公表して、その私でも良ければ来てください、って今なら言えると思った。

私の致命的欠点をきちんとやれる人もたくさんいるし、それこそそれを求める人がいるなら自分の先生を紹介をすれば良い話なわけで、そこは積極的に先生なり他のサービスなりを紹介しまくろうと思っている。

そこではなく、私が自分の持っているものを本当に活かしていこうと小さな覚悟を今少しずつ積み立てていられるのは、ノムがこの3週間ほどでしてくれた色んなことがものすごく大きい。

そして、ノムを通じて出会わせてもらったノムの大家さんのレイさんやノムのパートナーのミッチーとのやりとりも大きい。

それぞれ役割が違っていて、他に良い例も思いつかないから、あえてその例を使わせてもらうと。
(批判は一切受け付けません( ̄∀ ̄;))。

AKB48しか思い浮かばなかったから、批判非難覚悟で言うと、私がAKB48的な立ち位置にいるとするなら(パフォーマー)、ノムは秋元康(才能発掘係・才能プロデュース担当)、レイさんとミッチーはAKB48のファンで、私の存在そのものやグッズ(ぶっしーグッズ)を手にして純粋な感想や感じたことを教えてくれる存在みたいな…。

先生の添削メールは、AKB48の運営管理会社的立場で、パフォーマーがパフォーマンスを滞りなくできるように長所も短所もきっちりと伝えてくれる感じ。

AKB48自体は、昔の超可愛いアイドルではなくて、どこにでもいそうなちょっと可愛い程度の庶民派アイドルみたいなのを目指した、というような話を聞いたことがあるけれど(その割に可愛い子が多すぎやしないか?と思うけれども)。

あの投票でセンターを決める制度もいいなぁと思うのは、センターはさておき、各自に入る票というのは、ファンである人たちがどの人に一番惹かれているかを投票できるところ。

それは言い換えると、個人が持っている魅力に対して、各々の人が自分の好きを選べるということだと思う。

私が森山直太朗が好きでも、他の人は直太朗が好きとは限らないのと一緒だと思う。

みんなそれぞれの好きセンサーや個人の感性に合わせて、その好きを選べるのはとってもいい。

私の星読みを含めた資質に関してもそうで、それを好きじゃない人ももちろんいるし、必要としない人もたくさんいる。

だけど、それを必要と感じてくれた人もいたし、それはそれで一部の人から見て魅力にもなるんだと知った。

私の資質的なものは、はっきり言って見えないし、ものすごくわかりにくい。

自分でさえわからないわけだから、それを他人に説明するなんて、ずっと至難の業で出来ずにいた。

それに加えて、私はその資質的なところに対して、超懐疑的だった。

私の感覚が世間一般的な価値観と異なるのは、わりかし早い年齢で気付いていた。

20代の頃から流行に疎かったし、さらに子どもの頃から30歳ぐらいまで特殊な環境に身を置くことが多くて、世の中の価値観だけでは計れない世界にいることが多かった。

世の中の正しさや一般認識から離れたところにいると、本当に何が良くて何が悪いのかわからなくなる。

でも私は自分のそうした中で積み重ねられた価値観がズレてるだけじゃなく、物議を醸し出したり、はたまた攻撃の対象にもなりやすいことを知っていた。

私はズレてる自分を出して何か不要な攻撃を受けるのも嫌だったし、理解されなくて傷付くのも嫌だったし、とにかく少しでも一般社会で生きていくのに迎合されやすい自分を作るのに必死なところがあった。

私には魅力というよりも、色んなことが自分の足を引っ張る要素にしか見えないこともたくさんあって、隠そう、隠そうとして生きてきたところもたくさんあった。

その部分を、ノムはできる限りたくさんの言葉で私にそれが私の魅力や才能だとわかるように言葉にしてくれた初めての人だった。

これまでだって、周りの人たちから色んな言葉で私の良きところを言葉で伝えてもらってきた。

そうなんだけど、ノムのそれはこれまでとは全然違っていた。

ノムが口にしてくれたことは、私がひた隠しにしていたようなところにスポットライトを当ててくれて、それこそが私の持っている才能で魅力なんだと伝えてくれた。

欠点や不具合となってばかりいて、私からしたらありがたみを感じられなかったところに、ノムは注目した。

そして、そこを引き上げてくれただけじゃなく、それも含めての私の人生や私自身であることを、1つ1つものすごく丁寧に伝えてくれた。

これは、初回と2回目のホロスコープ鑑定には全くない側面だった。

さらに言えば、2回目の鑑定で自分の人生の流れを理論的に理解できるようになったのは良かったけれど、それと同時に心も伴うとは限らない。

私なんかは心にある自分の想いと人生の流れとを擦り合せるのに必死なところがある。

心がついていけない自分のこともたくさん知っているし、その自分だからゆえ葛藤することも見てきている。

だから、知ったことで全部が全部OKじゃない。

その部分の自分を救い上げてくれたのがノムで、私がどうしたって自信が持てなかった自分の感性を本当にわかりやすい言葉で説明してくれたのもノムだった。

「自信」というのは、自分を信じるという意味で、私は自分の感性をいつも疑ったり「これはあまり大きな声で言えない」と思ったり、とにかく否定したりすることがとっても多かった。

感性は自然体のもので、その自然体の自分に対してずっとOKが出せなかったわけで、どうしてそうなったのかは一言では説明できないほど沢山のことがあった。

ノムとやりとりするようになって、自信のない自分や自分の感性を信じられない自分さえもそれでいいんだと本気で思えた。

そして、そうしたたくさんの経験、特に負の経験が本当の財産で、それこそが私が外に向けて出せる最大のアピールポイントなんだと、ノムが本当の本当に丁寧に伝えてくれたことで徐々にその部分を受け取れるようになった。

だから、3回目となる今年のホロスコープ鑑定は、これまでの2回とは全く異なる内容になっている。

今年は、星からの情報というよりも魂からのメッセージという印象が強い。

そして、私が受取拒否しないように、これ以上ない鑑定士からこれ以上ない情報を伝えてもらえた。

とりあえず長いから、今回は2部ないし3部構成にする予定。

この後、下にノムが口頭で伝えてくれたことの内容を載せる。

次回は、その1週間後ぐらいにノムから来た鑑定メールと、それに対して感じたこと。

それで終わりにするかもだし、もう1つ付け足して、自分の心情や最近の出来事を組み合わせて書くかもしれない。

予定になかったホロスコープ鑑定は、こんな風にして幕を開けた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・表現することに関して、きっちり正確にやる。言語に落とし込むのが不可能なものをあえて言語化する。そして、そうしたものを感じられない人にもわかるように示していく。
通訳のようなもので、そのためにはたくさんの事例が必要。
事例というのは、様々な人・環境・経験・痛みなんかを指している。ぶっしーはその事例を経験することでたくさん持っている。

例えば、ある心の痛みを表現しようとした時、その事例、要は自分自身もその体験を持っていないとどう伝えていいかわからない。
それを伝えていくには、相当色んなことをやって知っていかなきゃいけない。
ぶっしーが人生で色んなことを体験するのは、そういう意味があって体験していると思う。


・スピリチュアルな力に関して。
自分がちゃんと現実を経験していないと、その経験に対して誰かには伝えられない。
例えばぶっしーがブラック企業で働いてたとか派遣に行ってたとかいうのは、実際に経験したことですごい強みになっている。
ぶっしーの経験から伝えられるものは、普通の人がもっと簡単に触れられるもの。ぶっしーは、それを言葉で伝えてあげられて、言葉を使って相手に寄り添える。


・無駄なことは1つもなくて、コーチングや傾聴のスキルを身につけて、他にも色んなことを経験して、それらを全部合わせてこれから晴れて反転していく。
遅咲きでも、それまでにそれ相応の経験を積む必要があって、そうなっていたと思う。


・これまでが「潜る時代」なら、これから先は「外に出て行く時代」。陰極まり陽となる。違うことが始まっていくフェーズ。そして、ここから先、自分がこれまで身につけたものを(世の中に)還元していく本番が始まっていく。


・来年2020年大きく天体も動いて色々変わっていく。その変わっていく時というのは、自分の中のアンテナを研ぎ澄ますことがとっても大事!
その時に、僕もぶっしーも同じことをする。
メッセージを受信して、ぶっしーは言語にする、僕はビジュアルで物体化する。それぞれのオリジナルの回路でメッセージを表現していく。


・(アセンションに関して)結局何が起こっているかって、1人1人が宇宙との調和を促されていて、そのための覚醒や自分を取り戻す作業が今急ピッチで進んでいる。ぶっしーはその覚醒のためのお手伝いとか、自分を取り戻すための補助だったり、はたまたご先祖様からの言葉を届けたりする人。(「ご先祖様」というのはあくまで「言葉」に対しての一例)


・(ぶっしーが見せてくれた去年のホロスコープ鑑定の文を読んで)
ぶっしーは当てはまるものがないから自分で作らなきゃ行けない人。何か新しく始めて積み重ねても最後は色々続けられなくなる理由は、「どうやったら生きやすくなるか」ということに繋がっている。
オリジナルな肩書き、働き方、社会との繋がり方を作っていく。


・ぶっしーは「ないもの」をもたらす。存在しないものを生み出す、いわばフロンティア的な生き方。それは完全にNEWなものを(世に)もたらす。
そのために、破壊と創造が繰り返される。それは自分の衝動に向かっていくと言ってもいい。
それは自分の顕在意識から見ると「望んでない」ように見えても、実際は深い魂の部分では望んでいること。


・ぶっしーにとって、「人生の神秘に気付くこと」が喜び。よくよく目を凝らした時に、宇宙のサインが示されてわかるようになる。
そうだとするなら、自分の思い通りになる人生とはいかない。色んなことを経験して、それでようやく「人生の神秘」が見えてくる。


・自分のホロスコープは、自分が選んでいる。今はまだそう思えなくても、ぶっしーは最後は「それが好き!」って絶対になってくよ。


・僕のアトリエで僕のペンジュラムの扉びらきにぶっしーに立ち会ってもらったけれど、あれは僕だけじゃなく、ぶっしーにとっても僕たち(ノムとミッチーとレイさん)との出会いとか巡り合わせ、さらには自分の人生の扉びらき的なことになった、そうじゃない?
それは、次のステージに向けて扉が開いた、僕はそう思っている。


・逸れたことをしても駄目だけど、ぶっしーにとって(人生の目的に)適ってることはどこまでも能力を発揮する。


・(占星術講座の先生も言っていたけれど)2020年年末までにぶっしーは肩書きをゆっくりと定めていく時期。


・これまでが土の中で根を張る時間で、これからが芽を出して上に伸びていく時間。100万人に役立つものを提供するなら、それ相応の根を張らないと。
根を張る作業を先祖代々で脈々と張られ続けてきて、それぐらい時間をかけて、ぶっしーがこの世に送り出された。無事にバトンを繋げて、今のぶっしーが生きている。みんなで継承してきたものが、ぶっしーの人生の中で花開くように加勢している。

(注釈:ノムに「家系的にものすごく護られている」と去年の鑑定でも占星術の先生からも言われたけれど、ピンとこないと話したら、上に書いたことを教えてくれた。)


・たしかに人間関係において揺さぶられるものが色々人生に持ち込まれるかもしれない。でもそれっていうのも、ぶっしーが(ホロスコープ上)人生の目的として掲げてきた「深い事情は聞かないから誰でもいいからいらっしゃい」というところに繋がっていると思う。
ご先祖様からもたらされているものも、このぶっしーの人生の目的に繋がっている。


・無意識や子どもの自分でもある月の部分が、パーソナル的には痛くても、別のところでは栄養になっている。


・相容れない魚座太陽(みんなと一体化)と獅子座月(自己表現をして自分を出す)は、時間をかけて違うところのエネルギーを持ってるもの同士を連動して働くように訓練している。
別個のもの同士が繋がれば、公私の差がなくなる。(太陽:公、月:私)
仕事のことがプライベートのことで癒されたり、プライベートのことが仕事に役立つ。別個にあった入口が繋がって、良い作用が生まれる。


・メッセージが来ることと自分の生きた経験と感情が上手く組み合わさった時にもっと広くなる。そして、もっと広いものを伝えられる。


・人として、社会人としての軸があって、生きた経験を持っているから、生きたものが相手に伝わる。


・常識を超えた、五感を超えた情報が来た時。そういうことに対して素直に聞けない、キャッチできない人に対して、ぶっしーみたいに経験のある人が語ることで伝わる。


・自分の経験とメッセージとを融合させている。自分の話をしたり、自分の経験や普通の話をする中で、違う要素がシュッと入ってくる。相手は、色んな話をされるうちに、自分の中の色んなことに気付いていく。


・ぶっしーは、負の経験を財産にできる人。そして傷に寄り添っていける人。


・eat LOVE聖地で星トリオ(ノム・ミッチー・レイさん)と会った時の一連のことは、「ありのままの自分を許す、ありのままの自分を肯定する」最大で究極の癒しを体験する場だった。そこは自分でいていい場所。
ありのままの自分でいいと思えたら、完了する。

「そのまんまで何も間違っていません」というハンコを自分で自分に与えた、いわば卒業式のようなものだった。
それはこれまでのハードな体験全て含めて、何1つ間違えていなかったということ。

ぶっしーはこれからは、そのハンコを他の人のために押していく。これまでの自分の経験を回収して、それを何かに、人に還元していく。

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