(↑リンク飛びます…リンク先:ノムのブログ)
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作品展「uni」
渋谷区神山町17−1第二渡辺ビル3A 「maruta 」
電話 03-5738-7083
在廊日:9月21日、22日、23日、28日、29日にいます。13時~20時頃
平日は、基本的にランチタイム(11:30~14:30)の営業時に、
見づらいかもだけど、見ることはできます。
ぼくらの在廊日は、鯖サンドやおつまみプレートなどと、ドリンクがたのしめます。
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久しぶりのeat LOVEシリーズ。
本題に入る前に登場人物の紹介。
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ノム…占星術講座のクラスメイトだったゲイの43歳男性。絵を描いて文を書いている。最近の目覚ましい新能力に関しては後述。
ミッチー…ノムの恋人でつい最近38歳になったばかり。家庭用ミシンで素敵な刺繍作品や手芸品を生み出している。
れいちゃん…ノムとミッチーの大家さん、51歳女性。某国家資格所持者でお堅いお仕事の現在最終章にいつつ、ゲイカップルとお家ごはん食べたり、誕生日祝いに2人を大きな車に乗せて300キロ以上離れた町に星を見に連れて行ったりする。
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自分で3人の紹介文を書いて、内容が素敵☆とウットリしつつ、その素敵なものをたくさん持っている人たちだからこそ、どこを切り取って紹介するのか悩ましいところ…なんていうちょっぴり贅沢な悩み事を体験した。
久しぶりの星トリオたち(3人合わせて星トリオ)との物語。
冒頭の宣伝にあるように、ノムとミッチーの2人展「uni」がこの三連休から始まる。
(注釈:この文章を書き始めた時は秋分の日の三連休前だった…汗)
9月のどこかのタイミングで2人展をすることは、ノムからずっと聞いていた。
懐事情がかんばしくないのは相変わらずではあるけれど、今回訪問するのに十分なお金はある。
そこはクリア。
クリアというか、それにはお金を使うって決めると、優先順位がはっきりして、その後の細かな諸々はまたおいおい何とかするようになる。
次は日程。
基本的に米の仕事は休みは申請すればいつでも基本的に休める。
ただ、米の仕事に行ける日は行きたいのと、いつどの日が最終日になるのかはっきりしてなくて、最終日は逃さずにきちんと行きたい。
表面上は米の仕事だけど、私にとってそこは心の癒しを色んな形で享受できる凄い場所だから、そういう超貴重な時間は極力こぼさず手にしたい。
そうやって消去法で見て(高速バスのチケット料金も日によって変動するから、それもすかさずチェックした)、それで1日なら行けるかもー!と可能性が見えてきた。
在廊日である土日祝は、米の仕事が確実にあるのと、よくよく想像したら在廊日はノムやミッチーとゆっくり話す時間がないと思った。
色々図々しい私でも、さすがに他のお客さんを差し置いて2人を独占するなんてできないし、そうやって周りに気を使いながらそこで過ごすのは避けたかった。
キラーン(ΦдΦ)☆!!!←ひらめいた。
ここは平日を狙って、ノムとミッチーとれいちゃんから時間を作ってもらうのはどうかと思った。
私は展示も見たいけれど、ぶっちゃけそれよりも3人との時間が欲しかった。
しかも、在廊日だとどう考えても3人同時に一緒にいるなんて無理すぎる。
せいぜい数分がいいとこだろうと思った。
そこが決まったら、あとは相談して調整するばかりになった。
ノムと電話で話した。
ノムは喜んでくれて、それなら僕は大丈夫だし、多分ミッチーも大丈夫、それよりもれいさんが大丈夫かどうかを確認した方がいいとなった。
れいさんが仮に仕事で夜しか体が空かない場合、展示の店まで車で行くからぶっしーを迎えに行くよと言われた。
とにかくれいさんと相談して日にちと時間のすり合わせが最優先ということになった。
ノムとの電話を切ると、速攻でれいちゃんにLINEした。
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れいちゃん、突然の提案・相談なんだけど。
25日水曜日に朝6時前到着、夜は23時池袋出発のバスで東京行って、ノムとミッチーの2人展を間に挟んで、その前と後両方、又はみんなの都合で後の方に八王子に寄らせてもらって、あの2人とれいちゃんと(れいちゃんの次男くんも良ければ)4人ないし5人で集ないかと思って!
ノムにさっき言って、展示のところまでは迎えに行くなり、状況に合わせて対応してもらえるとのことで、それよりもれいちゃんと先に日にちの都合がつくつかないを相談した方がいいってなってね。
今、例の監査で忙しいのは聞いたから、せめて夜だけでも都合ついたらいいし、ぶっちゃけ第1希望は、朝着いたら真っ直ぐ八王子目指して、八王子ー渋谷ー八王子ってできたら一番いいなぁって。
れいちゃんの都合はいかがかしら⁇
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ノムと話した時に、私の中で1つの案が浮上した。
ノムとミッチーはどう考えても、用事がなければ朝は早くて10時過ぎにしか起床しない。
朝の早い時間なら、れいちゃんと確実に2人で過ごせる。
朝の7時くらいに駅まで迎えに来てもらってそのまま一緒にいたい…、それを第一希望として言ってみた。
何という暴挙に出たのかと思いつつ、でも本当にそれこそが第一希望で、それが通るのが私には一番だったから、しのごの言わず、どストレートに希望を口にしてみた。
れいちゃんからこんな風に返事が来た。
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おー、そうか。
25日は午前中仕事あるんだ。でも、予定変更はやろうと思えばできる。
色々調整もしてみるから、できるだけ会う時間多くできるよう、考えてみるね。
夜また連絡するよ🙋
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そんな風にして、れいちゃんも調整してくれることになり、細かなことが1つ判明するたびに私は今度ノムにショートメールを打った。
冒頭のショートメールのスクリーンショットはその様子。
連なってはいるけれど、時差がそれぞれあって、ノムはどうやらその都度ミッチーに報告に行ったらしい。
その日の朝ミッチーにブログを書いたよと連絡を入れた時に、こんな風に返信がきた。
「ぶっしー、おはよう☀️
起きてる起きてる。笑。追い込み製作してるー🌀
いまだ何かアイデアが降りてこないか、と、脳と交信中だよ🔃
ブログもありがとう!作業しながら機械に読み上げてもらうね。笑笑」
だから、ミッチーには1日の終わりに連絡しようと思ったら、ノムは知らぬうちに逐一報告してた…笑。
ノムにミッチー忙しかった?と聞いたら、
「うん! あきらかに、ぼくは邪魔者っぽかった。笑」
と返ってきた。
とにかくそんな風に話がトントン拍子に進んだ。
夜になって、れいちゃんからLINEがきた。
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ぶっしーこんばんはー🙋
私は家事が一段落しました。
ぶっしーはどうかな?
もし、良ければ電話で話したいけど、時間的に余裕ある?
大丈夫なら、何時頃かけていいかと、電話番号教えて。
私のスマホは仕事でも使っているから、かけ放題プランになってて、料金気にせずかけられるのよー。
話している時間なければ、ラインでOKだからね😉
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れいちゃんが提案してくれたことで、れいちゃんとの初電話が実現した。
不思議なもので、ノムと初めて電話した時はもはやどんな風だったかかなり記憶が曖昧だけど、れいちゃんと電話するとなったら妙に緊張をし始めた。
れいちゃんはれいちゃん、ノムはノム、ミッチーはミッチー、と三人三様違うし、それぞれの人と私との関係の性質みたいなものもこれまた違っている。
れいちゃんと電話するとなって緊張したのは、れいちゃんにも言ったけれど、それこそ好きな男の子と初めて電話する時みたいな、そういうタイプの緊張感だった。
ノムに電話するのが女友達と電話するみたいな風なら、れいちゃんとの電話は好きな人と初めて電話する風で、普通に考えてあべこべだけど、本当にそんな風だった。
れいちゃんのLINEに返信後、すぐに電話がきた。
電話越しのれいちゃんの声は、当たり前だけど、私が知っているれいちゃんの声だった。
聞くとホッとした。
今思ったけれど、聞くとホッとする声なんてのは、あまりない体験だなぁと思う。
まず出だしは、ここに書いた通り、なぜか緊張してドキドキしているとお互いに言った。
れいちゃんも同じ気持ちと知って嬉しかった。
何が良かったって、れいちゃんの夫婦間のやりとりをネタにして、2人でゲラゲラ笑えたこと。
普通ならそんなこと恐れ多くてできないし、地雷のありかがわからなくて話がおかしな方向に向かうことも十分に考えられるから絶対に避けるけれど、れいちゃんとはそれができる!と感じて、ほんと人様の旦那をネタに超笑い倒すなど普通はできないことも普通にしれっとやった。
私、霊視力でも身に付けたかと思うくらいに、れいちゃんの旦那の行動や考え方が手に取るようにわかった。
れいちゃんも、「ぶっしーが今言った通りだから!」と一緒にゲラゲラ笑いながら話してる。
今日の本題の話に最初から移ったか途中からかは忘れたけれど、れいちゃんは相変わらず嬉しいことを言ってくれた。
「ぶっちゃけ第1希望は、朝着いたら真っ直ぐ八王子目指して、八王子ー渋谷ー八王子ってできたら一番いいなぁって」
本当にぶっちゃけ過ぎなリクエストをしたわけだけど、私もダメならダメでもいいからとりあえず聞いてから決めようと思った。
れいちゃんと2人で過ごそうと思ったら、そこしかそもそも時間的に難しいだろうというのは思った。
だから、それが叶うといいなぁと思って、それならプランは相当おかしなものでもまずは提案しないことには始まらないから、言うだけ言ってみようと思った。
れいちゃんには言える!という自負もあった。
逆に私はノムやミッチーに朝の7時ぐらいに八王子駅に来てなどとは頼めない。
ということは、最低でも6時台の起床と出発がマストなわけで、もしれいちゃんが都合つかないなら、私は午前中適当に過ごして、午後から渋谷でノムとミッチーと合流する気でいた。
そして、れいちゃんとはれいちゃんの都合の良いところから合流…、そんな風に考えてた。
考えてみたら、れいちゃんにはそれが言える!っていう確固たる確信みたいなものがあった。
れいちゃんの返事はこうだった。
「ぶっしーが第1希望をはっきり言ってくれたからすごい良かった!
普通なら言いにくいことかもしれないけれど、はっきり言ってくれた方が私も調整しやすいし、今なら仕事も自分の用事以外は毎日行っているから休みやすい。他のことは明日の朝調整するけれど、それもなんとかなるしね。
私は本当にはっきり言ってもらえる方がいいから、今回みたいな感じが本当に一番良いからね!」
やっぱりはっきり言って良かった。
気遣いって難しくて、人によって同じことしても、それが歓迎されることもあれば非常識になることもある。
だけど、今回は言わない方が何となく双方にとって損になるような気がして、もし後から「私、実は朝から東京にいてね」なんてれいちゃんに言ったら、「えー!!!それなら言ってくれたら仕事休み取ったのに」とかいうことになりかねないと思って、それで提案してみた。
れいちゃんは大喜びで調整してくれて、2人で指折り数えて、目の前に人参ぶら下げてその日まで心待ちにできるね〜なんて話した。
しかも、話の途中でお互いに思いついて、あることをその日の午前中にする計画も立てた。
2人で「あの2人(ノムとミッチー)は多分起きるの遅いから、それならこの計画を実行できそうだよね♪」と、勝手に2人の起床時間が遅いことに賭けて、れいちゃんと2人でする楽しみも追加で計画した。
楽しみがさらに増した!
(順不同で書いていて、この後ノムの回顧録が出てくるけれど、そちらはもっと早くに書いてた)
今朝(9/24)、朝洗濯物を取り込みながら、「あ!明日はもうこの時間、れいちゃんと落ち合っているんだ」と時間を見ながら思った。
不思議な気分だった。
今は新潟の片田舎の自分の部屋の前にある洗濯スペースで乾いた洗濯物を取り込んでいるのに、24時間後はれいちゃんに、そしてもっと時間が進むとノムとミッチーとも合流している。
れいちゃんに前回の八王子駅がどんな風だったかを聞かれて、それを説明したその場所に明日は2人で落ち合っている。
この部分を書いている今、この後に続くノムのホロスコープ鑑定の話(回顧録)はすでに書いていて、私はもう自分の中の心の覚悟みたいなのはできている。
れいちゃんと朝の7時から落ち合ってモーニングするとか、その後2人と合流するまで女同士2人仲良く楽しみを堪能して、その後ノムとミッチーも合流して4人で2人展の会場でランチして展示見てカフェ夫妻にもお会いして、その後また八王子に戻って今度は本気のeat LOVEの晩餐会開催する。
どれも最初で最後だとあらかじめ知って臨む。
よく考えたら、れいちゃんと女2人ですることは、過去にも他の人たちとやったことがある。
でも、それは儀式的というか形式的なもので、楽しんでやったことはない。
今回のそれは、2人で楽しんでやれることがあらかじめわかっている。
なんて素敵な計画なんだろう。
それはれいちゃんも同じ気持ちだと思う。
同じ気持ちで同じように心待ちにできるって、大人社会で生きていたら、それって奇跡だってわかる。
電話の時に、星トリオの由来となった3人が互いに誕生日を祝う発端となった出来事をれいちゃんが教えてくれた。
私はてっきり、れいちゃんが言い出しっぺで2人の友達の誕生日をお祝いしたのが最初なのかと当初思い込んでた。
別に根拠はなくて、最初の話がノムからの話で、こんな風だった。
6月13日付 ノムのメールより
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ぼくはカレと広い敷地の中の貸家に住んでいるんだけど、
敷地に、大家さんがときどきやってきてね、
なんというか、彼と彼女(51歳女性の大家さん)とのトリオは、
ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?
そういう間柄となったのだけど、
先日ぼくの誕生日があり、
大家さんが、ぼくの「星をみたい!」って願いを叶えるべく
プランニングをしてくれ、すべての準備をしてくれ、車もだし運転もしてくれ、
当初、長野に行く予定だったのが、天候の関係で、新潟へ行く運びとなり、
上越のほうに、車で4時間くらいかけて、いってきました。
ぶしまたさんが広い新潟のどこに住んでいるのかわからないけど、
新潟、というだけで、もちろんのことぶしまたさんのことが浮かび、
お茶とかできたらおもしろいなー、なんて想像をしながら、
すばらしい星空を満喫してきました!
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だから私はてっきりれいちゃんの提案で、毎年の誕生日を祝っているのかと思った。
でも、発端は、まさかのミッチーだった!
(「まさか」って言うのは、私の中で星トリオの3人の中での色んな行事は、れいちゃんかノム提案で基本行われていると勝手に思い込んでいて、だからミッチーがその最初の発起人と知って、超驚いた!)
れいちゃんがこんな風に話してくれた。
それはさかのぼること今から2年半前、れいちゃんにしたら今から2歳前の誕生日になる。(今年が3回目のお祝いになった。)
誕生日当日だった日、れいちゃんとミッチーはどういうわけか2人でホームセンターに行ったらしい。
そこでたまたまれいちゃんの旦那さんの車を駐車場で見かけて、旦那さんが仕事で半休を取ったことを知った。
その夜、れいちゃん宅でごはんの終わり頃、旦那さんがれいちゃんに「ケーキは?」と聞いてきたらしい。
その一言でれいちゃんの中で一気に色んなことが爆発した。
その日、旦那さんは仕事で休みを取ったから、本来なら祝う側の旦那さんがケーキを用意してくれてもいい。
その時間ももちろんあった。
なのに、用意してないどころか「ケーキは!?」などと、誕生日本人のれいちゃんに聞いてくる。
その時のことをれいちゃんは、翌日か何かに、庭の草取りをミッチーと一緒にした時にミッチーに愚痴った。
れいちゃんは単に誰かに話を聞いて欲しかっただけで、お祝いして欲しいとかそういうのでは全くなかった、と話していた。
するとミッチーが突然、ちょっと用事があるとか何とか言っていなくなった。
しばらくすると、ケーキを持ったミッチーとノムがれいちゃんの前に現れて、それでれいちゃんの誕生日を一緒にお祝いしたらしい。
何その超感動的な誕生祝いは!!!
私は電話の向こうで目をウルウルさせながら聞いてた。
私も過去に私の誕生日を祝うのが超面倒くさい人といたからわかる。
別にすごいお祝いしてというのじゃない。
私なんかは「誕生日おめでとう」のメールひとつ電話ひとつ、できたらショートケーキでもいいから小さなケーキ1つ用意してもらえるだけで本気で大喜びできるのに、それさえも面倒くさがられて、毎年どうしても来てしまう自分の誕生日が憂鬱で仕方なかった。
毎年具合悪くなりそうなくらい、「誕生日に一言もおめでとうって言われなかったらどうしよう…」と超思い悩んでた。
誕生日におめでとうって一言心を込めて言ってもらえるだけで、私は自分が生きてていいんだとか、生きてる意味があるんだと思えるくらいに単純にできている。
当時は施設に勤めていて、学校から帰ってきた子どもが第一声に
「ぶっちゃん、誕生日おめでとう!」
って笑顔で言ってくれた瞬間なんかは今でも覚えている。
食堂に貼ってある誕生日の表を見て、私の誕生日を事前に調べていた。
そんなことしてるとは全く知らずにいて、だから当日帰ってきたその時がその日初めての顔合わせだったわけだけど、顔を見るなり玄関で「おめでとう」と言ってくれた。
その小さな心づかいが本当に嬉しくて、私は涙が出そうなほどに感動した。
私はプレゼントが欲しいとかどこか美味しいところに連れて行ってというのじゃない。
本当に自分の命があって良かったんだよね、と私がわかればそれで十分で、よくよく考えたら、私は過去に一度も誕生日のリクエストを付き合っていた人たちにしたことがない。
話がそれたけれど、れいちゃんのその誕生日の日の気持ちが自分の過去と重なるようで、ものすごくよくわかった。
だから、それを聞いてすぐにケーキを買いに走ったミッチーの気持ちや行動が、そしてノムと2人で現れて誕生日をお祝いしてくれることが、どれだけ嬉しいことで感動することで一生忘れられないことなのかよく伝わってきた。
ミッチーはたしかに普段静かだけど、そういう人の気持ちや想いに関してはものすごく大切にしてくれる人だと感じる。
それはミッチーといたらわかる。
そんな風にして、3人それぞれの誕生日をお祝いする習慣が始まったのだそう。
その頃から「eat LOVE」してたんだなと知った。
eat LOVEをノムは私に最初こんな風に説明してくれた。
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”ホーム”が、なによりもぼくには大切で、
そして、ぼくだけではなく、「みなさん、ホームって大事じゃない?」
「大切な人といっしょにご飯を食べると幸せじゃない?」ってなことを、伝えてみたいとか思う気持ちがあって。
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色々決まってから、私は「そうだった、そうだった!」と思い出して、ノムから2日前に送られてきたメールを開いた。
ノムはその何日か前に、私たちの占星術講座の先生から個人鑑定を受けて、その時の90分に渡る録音したものを全て文字に書き起こした。
その書いたものを私にも送ってくれた。
少しだけちらっと見た後、長いから全部は読めなくて、それできちんと読みたいと思ったままそのことをすっかり忘れて、それでまた改めて開いて読んだ。
すべて読んだ後、私はわかってしまった。
今が単なる特別ではなく、生涯において多分最初で最後だということ。
7月から始まったノムとのやりとりの話がずっと延び延びになっているけれど、この2ヶ月半くらいの間、私は毎回ノムからセラピーを受けてるかのような時間をもらっている。
ノムと私がそれをする回数は、私からしてものすごく異常で、メール・LINE・電話合わせて、連絡を取っていない日がないぐらいじゃないかと思う回数で、特に電話するとそれが自分の根底から何か変わる、または何か絶対に譲れない大切なものに気付くという感じだった。
私は30代前半の2年間、2時間のコーチングセッションを月1で受けていたけれど、それよりももはや強いエネルギーの化学変化が起きるみたいな感じになっている。
その当時、私は月に1回おしゃべりのような時間を過ごしていただけで(実際は無作為なおしゃべり様相のものの力で、自分の深い意識のところが大きく癒されたり変わったりしてた、と自分で分析している)、毎日服薬が必要なレベルの良性の腫瘍が小さくなって最終的に服薬をやめて良くなったし、仕事は売上と契約率共に上がって安定したし、働き方改革も起こったし(よくは知らないけれど、私が社内初のような新しい働き方の選択肢が与えられた人のようだった)、個人的に待ちわびた人からの連絡が入ったのもその頃だった。
そういうレベルの変化を起こした過去のセラピー的なものと同等のセラピー力を、私はノムとのやりとりの中で感じている。
まずはそれだけ強いエネルギーのものを言うなれば7月から週に2回ないし3回受けてるみたいな感じになって、本来数年、下手したら40年の人生まるごとかかるような心の根底からの癒しをたかが数週間で起こすみたいな感じになっている。
当たり前だけど、そんなの普通に日常的に起こることが異常なのは、私も重々承知している。
そして、その中で私はもう1つ気付いている。
ノム自身も気付いている。
ざっくり言うと、私は自分が他人の潜在意識や魂からメッセージをキャッチすることに関して、初めて自分と全く同じことをする人に出会った。
それがノムだった。
私は自分の体質に気付いて以降、自分と同じものを持つ人に生涯を通じて誰にも会わないと思っていた。
だから、ノムがそうだと知って心底驚いた。
しかも、私はそれをする時に自分の中の細かなルールみたいなのがある。
例えば愛と誠意を持って対応するとか、自分の主観は脇に置いてとにかく真っ直ぐに来たものを伝えるとか、あくまでも主体は伝えられる本人で私がその人の何かを決められるわけじゃないとか。
そのルール、もとい基本的な考え方や価値観までもがノムはそっくりで、そういう部分のすり合わせをすればするほど、2人とも似ていることに気付く。
そんな上で、ノムは私の魂からまさしく伝えられたんだろうなぁと思うことを、普通のおしゃべりのような時間の中で、私が抵抗を全くしないやり方でさらりと伝えてくる。
(私がそこまでできているかは、また別の話…( ̄∀ ̄;))
そもそも今回行こうと決めた1番の理由は、ノムとミッチーが2人だけで本当に始める2人展は初のものだから。
それは生涯において最初で最後の【初回】になるわけで、この後おそらく2人は2人展を相当な回数行うんじゃないかと思うけれど、その中でも【はじめての2人展】は今回だけになる。
そうした記念すべき回に足を運びたい、ましてやその時はそんなことになるとは思ってなかったけれど、タイトルの「uni」に関わるおしゃべりを自分もしたと思ったら、余計と愛着があって、それは足を運んで直接触れたいなぁと思った。
だからあまり深いことは考えず、とりあえず「行けそう!」と思ったから、まずはノムに提案して、即れいちゃんにもその後提案して、星トリオとの超贅沢な時間を、2人展に行くことも含めての時間を過ごすことになった。
今書いてて思った。
れいちゃんは冒頭の写真を撮った人で、ノムとミッチーの2人を普段からよく知っているからこそ撮れたショットだった。
そしてそれが今回の宣伝写真だし、ノムは次回以降もれいちゃんに撮影をお願いしようと考えている。
そのれいちゃんも含めて3人を独占して、そして2人展の会場に行ける人は、多分だけど、私だけだと思う。
しかもれいちゃんが他の用事をすべて動かしてくれたことで、行きも帰りも4人一緒に動けるという、もはやピクニック的な感じで足を展示会場に入れるなんていう、超超超贅沢なプロセスで私は体験できる。
当たり前だけど、そんなの最初で最後の機会なのは間違いない。
3人と集うことはこれからもあっても、そこにノムとミッチーの2人展の初回も組み込んでの会は今回しかありえない。
そういう機会は、もうない。
↑ここまで書いたものは、今書いてて気付いたこと。
これから書くことは、ノムの鑑定を文章に起こしたメールを読んだ時に感じたこと。
私は内容云々よりも、まず真っ先に思い浮かんだことは、「これが最初で最後」ということだった。
私が言う「最後」は、その時はノムと今一緒にしている色んなことが「最後」で、さらにそれは生きている中で、仮にこれからあと50年60年と生きたとしても「今生最後」だということ、なんならもし自分がこの人生が本当に人間としての人生最後なら、もう二度とは訪れない瞬間なんだ、って私にはわかってしまった。
2年前の秋以来だなぁと気付いた。
過去に一度だけ、「これが最後の機会」、人間として生きる中で最後だと感じた場面があった。
それは「わかってしまう」感覚で、どうしてわかってしまうのか私にはわからないけれど、そしてそれは過去に一度しかないから解析できるほどの実体験があまりに乏しいけれど、その感覚は私には本当に強烈で、それは自分の一番深いところで「わかっちゃう」感じが沸き起こることには間違いない。
ノムの鑑定文を読んだ時、私は内容云々よりもそこが強烈に出てきた。
どうしてそう思ったのかは、私たちの先生がノムの未来を予測するようなことをノムに伝えていたから。
話があちこちに飛ぶけれど、今から1ヶ月前、8月の終わりに私はノムにノムの魂からのメッセージとして4通のメールを書いて送った。
10数人目にして、私はこれまでの個人の人たち1人あたりのメッセージの10倍くらいに相当するメッセージをノムに書いて渡した。
これは後から分析してわかったことだけど、書いている時は無我夢中でそんなことには気付かなかった。
話を戻す。
そのメッセージに書いたことは、私の場合は私がキャッチしたまま書くから、根拠なんか何もない。
ただそうだからそう、などという本当に説明の仕様がないから、とにかくわかったままを書く。
そのわかったことは、どういうわけか私は「そうだ」と確信している。
その当時書いたことと、今回先生が超超超マニアックな手法で読み解いたノムの星情報とが重なった。
先生が言う詳細な内容まで私は読み解いてはないけれど、概論は同じだった。
私が概要に触れたとするなら、先生は詳細をこれでもか!というぐらい、ふんだんにノムに伝えていた。
しかも私たちの先生は感覚ではなく、完全にすべてデータから読み解くから、何を言うにしても根拠がある。
先生は、どういうわけか講座内ではノムのホロスコープに関して、私のようなオカルト的な内容については何も触れなかった。
だから、ノムのことをそういう目で見たことがなかった。
見たことがないけれど、7月からの濃密なやりとりによって、ノムは絵や文章だけじゃなく、もっと人の根底をくつがえすような、もしくは人の生き様に触れるメッセンジャー的な役割があるんじゃないかというのは薄々感じていた。
だけど、ノムの目下の活動は、絵であり、そしてこの夏からは書くことも本当の意味で再スタートしたから、とにかく表現活動が先みたいなイメージだった。
だけど、それだけにとどまらないよね!?というのは、頭の片隅にずっとあった。
私では感じていても言葉にできなかったそうした部分を、先生はものすごくはっきりと言葉でノムに伝えていた。
先生というのは、私が山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しいと依頼が入る直前に、「武士俣さんは、人の命、それこそ生死に関わる仕事をしていくようになると思います」と、後から予言としか思えない読み解きをして私に一言ポンと伝えてくれた先生だった。
ホロスコープ鑑定デビューの時だって、先生はその行方不明者の方繋がりのご縁の人が来ると言っていて、それも本当にその通りになった。
(ちなみに鑑定はそれ以降やっていない)
そういう先生がノムの世の中における役割的なものに多数触れていて、だから私にはわかってしまった。
もう今しかないんだろうなぁって。
で、私は猛烈に寂しくなって、色々考えていたら涙まで出てきて、もうその涙が私の中では「絶対」だと確信するレベルのことだと、最後の太鼓判のごとく来てしまった。
ノムが手の届かない人になるとは思っていないけれども、代わりにノムはもっとノムを必要とする人たちに対して自分を使うことになっていくだろうことは想像できた。
それはミッチーも同じで、ミッチーの生む作品はミッチーにしか出せないものを必要とする人たちに応えていく、応えていくのかミッチーはただただ自分の中から出てきたものを表現する先にそれを待ちわびている人たちがたくさんいるのか、最終的なところはわからなくても、少なくとも今ほどにのんびりとした時間の流れ方ではなくなるだろうなぁ…と思う。
現にノムとミッチーは、来月、相手側の招待で海外に行ってくる。
それはわかりやすい例だけど、そういうことが増えてくるのは間違いないと思われる。
れいちゃんも今まさに変遷期にあって、これからますます自分の人生を生きていくことになるだろうから、そうなってくると、単純に今みたいに朝の7時から私を拾ってモーニングするとか、その後も丸っと1日超自由に付き合ってくれるなんてのも、今と同じくらい簡単にできるかと言えば、多分そうではないだろうなぁと思う。
関係性が変わるのではなく、それぞれを取り巻く環境が変化することで、どうしても優先するものが不可抗力的に変更せざるを得ないこともあるんだろうなぁと感じる。
そんなことはないにしても、「不可抗力的」というもののたとえを出すとするなら、ペンジュラムで人を探して欲しいと設定した日に、例えば星トリオの3人も新潟を通過すると連絡が来ても、私は星トリオではなく行方不明者を探す方を優先する、そういうことを私は指している。
先生の鑑定文を読んで、そういうことが瞬時にパッとわかってしまった。
だから、今回、4人で超自由気ままに2人展を堪能しつつeat LOVEな時間も持てるのは、もう今しかない超とっておきの瞬間なんだと感じた。
人生でもう二度とは訪れない、そういう感覚がすぐに自分の中に広がった。
ぶっしー→ノム(9/20 5:47am)
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ノムおはよう😃
昨日は無事に帰れた?
ミッチーが「浩平がまだ帰ってこない」って言ってたから(たしか23時過ぎ)。
そうやってミッチーが心配というか、気にしているというか、そういうの良いなってまた思ったり。
上のものが既読になってるから、ノム帰れたんだろうなぁなんて思ってるよ。
今きりよし先生の鑑定文、途中まで読んだよ。ほんと、「圧巻!」という言葉がピッタリな鑑定内容で1つ1つ色々驚いているところ。
また改めて感想は書きたいと思っているけれど、これだけは先に伝えたいと思ってね。
先生の鑑定を読んで、ノムとこうして今お互いにたくさん時間を意図的に作って、長電話したりメールやLINEするのは、今だけなんだろうなぁ…、ってそれをふと感じてね。忙しくなってもメールも電話もするだろうけれど、今ほどに時間は許されないというか、ふんだんに使える状況とは違う風になっていくのは、それこそもう時間の問題だろうなぁと思ってる。
ノムを独占するようにして、ノムとお互いにセラピーをするように話し込んで、お互いの志を確認するように語り合って…、今はそれが日常の中にあってくれるからそれが特別なことというのが若干薄れているけれど、本当は人生の中でも超特殊で特別で、それこそúnicoの中でもオンリーワン感が強いúnicoみたいなね。
そういう時間を私はノムからもらい続けているんだろうなぁって思った。
それは本当にありがたいことで、ありがたいは綺麗に言い過ぎた(ありがとうとはものすごくたくさん思ってる)。
最初は、いつかそういうことが今ほどにできなくなると思った時、真っ先に「さみしい」と思った。いつかは終わりが来る、終わらないけれど、形態が変わるというかね。
長くなるから、本来メールで書くことだったなぁって今にして思うけれど、このままLINEでね。
先生が言うことにいちいちピッタリするぐらいピンとくるのは、私は私で先生が言う言葉の内容をノムと一緒にいて体験しているから。
だからこそわかる。
ノムのその能力を私が独り占めしていいわけじゃないし、必ずそれは必要とする人たちに次はバトンタッチしていかなきゃいけないって。そのバトンタッチするまでの時間、それがあとどのくらいあるのかはわからなくても、それまでの時間は、私にとって本当に贈り物の時間なんだってものすごく思った。
ノムと話してたらわかる。こんなの私が独り占めしていいことじゃないんだよ。絶対に必要とする人たちがいる。それは私もそうなのかもしれないけれど、私はまだスイッチがオンにならないというか、どこかグズグズしている。それはそうと、ノムはもう既にカードリーディングを展示の時にやっていて、多分それはもう今みたいなノムが自由にやるスタイルでやるのは、いや今後もスタイルは自由でも、多分受けたい人がたくさんいて、それはさすがに人数さばけないから、この間も言ったように人数制限するとか、有料の超本気セッションみたくなるのか、そこはわからないけれど。とにかく、そちらの比重がどうしても増えてしまうだろうから、それはこの風の時代に向けてパラダイムシフトが起こる上で避けて通れないみたいなものだと思っていて。
で、何が言いたいかって。
それがある程度ふつうに見越せてしまうから、だからこそノムとこんな風にできるのは今だけなんだろうなぁって。歯を抜いた話を2人でするなんて、もしかしたらあれが最初で最後の機会かもしれないしね。歯を抜いたとか体のどこかが不具合なんて話はない方がもちろんいいんだけれど、こういう時間を思うと、歯の治療さえもこうした時間に繋がるから本当に貴重というかギフトというかね。
ノムがブレークする前にこんな風に時間をもらえることは、私の中で一生忘れられない出来事になる。
今回、超はちゃめちゃな弾丸ツアーを組んだわけだけど、それを可能としてくれる、ノムとミッチーとれいちゃんには超絶感謝だし、昨日れいちゃんと話してて、わざと在廊日を外して良かった!と心底思った。
れいちゃんが春先のくうこさん含めた3人の展示の時のことを話していたのか、いつの話なのかわからないけれど、展示の在廊日だとやっぱりゆっくりと話す時間を持つのは超難しいと言っていたから、今回在廊日でもなんでもない時にパッと行って、ほぼ1日もらうようなスケジュール組んで、そんな贅沢な過ごし方、今後もそう多くはないだろうなぁと思った。
本当に今回、ピッタリなタイミングで行けて、なぜか良い年した大人たちが4人とも都合がつけられて(れいちゃんはやっぱり仕事や他の用事を移動してまでも時間を作ってくれるらしい。本当は空いてない日を空けてくれる)。ノムが「用事は歯医者だけ」なんて、今限定なんだろうなぁと思う。
全然鑑定の感想になってないけれど、真っ先に私は今ある時間が、6月の終わりに星トリオの3人とeat LOVEの会を開いてから今に至るまで、この濃縮濃密な時間は、本気の人生の命の時間の贈り物で、一生忘れない、一生ここから先の自分の礎になってくれるものだとそこだけは強く強く思っている。
ノムありがとう。
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ノム→ぶっしー(9/20 20:47)
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ぶっしー
こんばんは。
LINEをありがとう〜。
どうも今日は、ほんとに調子悪くって、
寝ては起き寝ては起きで、夕方くらいからようやく活動をはじめたよ。
鑑定からのこと、なんかね、ぼくも、ちょっと寂しくなった。
けど、けれど、忙しいってのは、
どうも桐吉先生は「今」もその状態にあるとさしているし、
そして実際、物理的な時間はあるのだけど、
心的に、あれもこれもというか、ぶっしーも同じだと思うのだけど、
まさに、今のような「雪崩のように展開していく!」みたいな意味の忙しさもあるのかなー、と思う。
実際、44歳からどのような人生に入っていくのかわからないけど、
ただ、先生も43歳のうちに準備をしておけ。
自分がどうありたいかを把握しておけ。
ってなことを言われたけれど、
まさにそれだよなー、って思った。
たとえば社会的になんらか日の目をみることがあったとして、
それに付随して忙しくなるのだとしても、
やはり、心の余裕というのか、
自分にとってのよろこびやら安らぎの時間は大切にしたい。
というか、それをおざなりにしてしまったら、もともこもないような気がする。
あらためてゆっくり電話などで伝えたいなと思っているけど、
きのうのyさんは、まさにそういう感じがした。
悪い意味じゃなくてね、生き急いでるというか、
わからないけど、もう捧げているような感じもしたんだよね。
なんというか、とんでもなく依存してくる人がたくさん彼のところにはきていそうで、
でも、そうした人たちにも、どうやら鑑定ではけっこう厳しいことも言いそうだったけど、
それでも、やさしく接していそうな人でさ。
たった1日の、数時間で、直接会話を交わしたのでもないからあくまでも想像なんだけど、
ぼくの印象でのyさんは、自分の役目というか仕事に、
人生の多くを捧げているんじゃないかなあ、って。実際はわからないけどもね。
もし、そうなら立派だなー、とも思うけど、
ぼくは、やっぱり、自分のための時間を大事にしたい。
友だちと飲んで発散!とかじゃもちろんなく、
それこそミッチーとトーストを食べる時間とか、
ぶっしーとのおしゃべり、れいさんとのご飯や立ち話、そういう時間。
自分を整えるというのか安らがせるこうした時間が人生にあってこそ、
そのほかのこともありがたくとりくめる。
そんなことを思ってるよ。
と同時に、ぶっしーが「今だけの貴重な時期」というのはぼくも思っていて、
ぼくの未来はひとまず、ぼくの中のヴィジョンには、
ぶっしーもまた、その存在や力が誰かからさらに求められるようになって、
気ままに何時間もおしゃべりすることが日常じゃなくなるのかもなあ、とも思うし、
それこそ、この夏、秋とぼくがぶっしー独占状態なのは、
今のふたりにとって、それが必要だからであって、
その時期がすぎたら、ぶっしーを必要とする人のために、
その時間やエネルギーは注がれる日がくるのだろうなあ、と思う。
ま、でも、それはそのとき。
きっと、ぼくたちは、そのときには、その流れの必然をわかっていて、
自然とそれを受け入れているにちがいない! って思う。
とにかく、そんなことも思うと25日、また八王子で過ごせること、とてもうれしいよー。
どんなことがおきるのかな?
その場でそのことを即座にシェアできたりもしそうで、たのしみ!
あ、そうそう、25日は、
martには13時半くらいに到着するくらいがいいかな、って思う。
12時台は混みそうで、落ち着かないし、作品もちゃんと見れないだろうし、
せっかくだから、お店の人にも二人をちゃんと紹介したいしさ。
今日は、れいさんが夕飯を、おにぎりとか作ってくれて、三人で食べてさ、
文化祭の前夜みたいなムードの今だよ。
みっちーはまたアトリエに戻っていき、また作業中。
ぼくもさすがに今日は、ようやく体調も復活したから、追い込みします^ー^!!
また、メールなりLINEなりするね〜。
の
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[出発半日前]
ーー書いてるのは出発4時間前
ミッチーがノムの髪の毛を切るかたわらで、ノムと電話した。
この10数年、ずっとミッチーがノムの髪の毛を切っているとのこと。
ミッチーは、ヘアメイクの仕事を長いことしていて、美容師免許はないけれど髪の毛は切れる。
最初の3日間の2人展の在廊日の話を聞いて、ますます確信した。
出発前だから、これから風呂入ったり荷物の用意したりが控えているからざっくりとしか書けないけれど、ノムの話を聞いてわかった。
ノムはこれからますますメッセンジャーとしての役割が増えていく。
聞いていると、すでに絵の展示のはずなのに、そちらが主だって来ていることがわかった。
3日間で10人か11人の人にメッセージを伝えたらしい。
そして、それがどんな内容かはわからなくても、どんなタイプのメッセージかはすぐにわかった。
その人その人の魂からのメッセージをノムは確実におろしている。
細かく聞かなくてもわかる。
私がさんざんしてもらっていたから、すぐにわかった。
相手への響き方の具合はさておいても、ノムが真っ直ぐに伝えるメッセージは、ノムの意見とかではなく、相手の人生にとって必要なものを伝えている。
それは私がしていることと似ていて、ノムが喋っているようでノムじゃない。
「始まった」
そう思った。
もうそれは二度と引き返せないものだし、ノムがこれからどうなるのかはそれは今後の楽しみでも、もうそうしたメッセンジャーをやらないという選択肢は完全になくなったと感じた。
ミッチーもミッチーで新しい展開にあった。
これはまた帰ってきてから書こうと思う、ミッチーの話を聞いた上で。
だから、これから始まる1日は、「思い出を作りに行く」ことが私の最大の目的になる。
ノムは「僕たちも初めてお客さんとして、自分たちの展示に行く」と言っていた。
行動は「ノム、ミッチー、れいちゃん、私で渋谷の2人展に行く」になるけれど、私の中では生涯でただ一度しか訪れない瞬間を4人で堪能してくると思っている。
そこにはカフェオーナーのご夫婦や、明日(9/25)駆けつけるミッチーのお友達もいるだろうことも知って、ますます人間交差点的なところで思い出を作るんだと確信した。
だからこそ、私はノムとミッチーに提案した。
「八王子出発前の1時間程度、れいちゃんの母屋でミッチーが淹れるコーヒーでみんなでゆったり過ごしたい」
ミッチーがコーヒーを淹れてくれるかどうかをノムに聞いてとお願いした。
ミッチーは電話の向こうじゃ無言でOKしてくれてた風だけど、ノムがそれを代弁するように
「この人やだー、言葉で答えて欲しいのに何も言わないんだもん!」
と苦笑いしながら嘆いていた。
その様子があまりに普段通りすぎて、私はそれがすごく可笑しかった。
明日11時頃、母屋でミッチーのコーヒーでのeat LOVEタイム決定。
電話の後、れいちゃんにも速攻で連絡入れた。
私も千利休になったつもりで、一期一会の教えを大切にしてこようと思う。
一期一会というのは、その時しかないという意味ではなくて、本当の意味は、生涯においてその時しかないかもしれないから、その時を全身全霊で大切にする、その時にできる最大限のこと、利休の場合は茶で客人をもてなすことだったけれど、その最大限のことをやり尽くす、という意味らしい。
星トリオとの一期一会を存分に楽しみ尽くそうと思う。
(写真:明日のミッチーのコーヒーによるeat LOVEタイムのイメージ図)
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