2016年9月
〜出逢いの1年前〜
その人に出逢う場所のすぐ近くにて
2019年9月
〜手紙から2年経ったある日〜
太陽が沈むあたりに
ちょうどその人と出逢った場所があった。
大きくもない小さくもない川の対岸にて
〜はじめに〜
この記事がこのブログ『vivir空間』でアップした記事の中で、記念すべき1000記事目になる。
本当は別の記事たちで書こうとしていたものをアップする予定でいたけれど、それらは延期して、これから書くことをちょうど節目のこの回に充てることにした。
1000記事目というのは、一生に一度しかないから、その1000というものに今現在の私が充てたいと思ったものを書くことにした。
本当は順番があって、今回の内容はもう少し後に書いてアップする予定でいたけれど、この「1000回」という数字を見て気持ちが変わった。
999回目も1001回目も一生に一度ではあるけれど、やっぱり1000回目の節目はもっと大きな流れの中にあるような気がしている。
その一生に一度しかない1000回目にちなんで、私も一生に一度しか体験し得なかったこととその意味とを書こうと思う。
書いている今は、9月とは思えない夏の暑さが色濃くて蝉(せみ)がミンミン鳴いていて、クーラーの効いた部屋でアイスコーヒーを飲んでいる。
なんだけど、夏の間はご無沙汰だった蝶々が舞っていて、秋なんだなと思う。
自然を観察するようになって、夏の暑い盛りには蝶々は飛ばないことを知った。
涼しさが空気に交じってくると、蝶々は姿を現す。
秋のはじまりは、毎年少し切ない。
もう二度とその時が訪れることがない、なんて全く考えていなかった自分の姿を思い出す。
今日が9月6日。
明日が7日。
今年は稲刈りを終えた農家さんの受付をしていると思うけれど、2年前の9月7日は違った。
2年前の9月7日は、人生に爆弾が投げ込まれた日だった。
昨日と同じ今日が来るように、今日と同じ明日が来ると私は信じきっていた。
それを無意識に信じてることさえ、その爆弾投下の瞬間まで私は全く気付いていなかった。
2年前の夏、私は恋をした。
正しくは、私の魂が恋い焦がれるぐらいに会いたい人に出逢えた。
そうだと知ったのは、その人が私の人生に現れた時じゃなくて、その人が私の人生から消えた後だった。
2年前の9月7日は、その人が私の人生から消えていなくなることの宣告を受けた日だった。
その宣告の瞬間、どんなに無視されてもどんなに話さえできなくても、お願いだから私をその人のいる場所にいさせてください、そう思った。
今でもその人が私の人生にいたのは幻だったんじゃないかと思う瞬間もある。
こんなにも携帯電話をはじめとする通信システムとSNSとが発達している昨今、何一つ繋がらなかったその人と私は、今の世の中では「縁がない」という一言で片付けられて終わりかもしれないけれど、私には何が何だかわからないぐらいに大きなものをその人は残した。
私は一生分のご縁の運気を使い果たしたんじゃないかと思うほど、その人の存在感は凄まじかった。
2年前の爆弾投下後から私の人生は一変した。
それまでも変なことは色々あったけれど、オカルト系の世界が人生に入ってきたのは、その人と出逢ってからだった。
この2年間の色々と今とが重なり始めた。
その人と私は全く重ならないけれど、当時の色んなことと今とそして過去から続く自分の人生と、さらには何回も輪廻転生を繰り返したと思われる私の魂としての旅路が互いに重なって新しい音を奏で始めた。
はたから見たら引きこもり系の私の生活は同じに見えても、私にはその違いがはっきりとわかる。
どんな風に1000回目の記念すべき記事を進めるか知らない。
思い浮かんだまま、書き綴りたい。
「生きる」ーーーをテーマにしたこのブログらしく、思い浮かんだことをそのまま書く。
2年前の9月7日。
朝から聞き捨てならぬ言葉を耳にした。
週に1回の掃除の日で、勤務歴10年どころか20年とかありそうな事務さんたち2人が送別会の話をしていた。
送別会って当たり前だけど、誰かが異動でいなくなるからする。
幹事は誰がいいかとか言っていて、新卒Yくんでは荷が重すぎて務まり切らないとか言っている。
新卒Yくんが幹事するには、対象者は3人。
消去法で一瞬思い浮かぶ人がいたけれど、そんなわけないと私は聞かなかったことにした。
正しくは聞かなかったことにしておきたかった。
掃除が終わって自分の席に戻ったら、私の教育係の事務さんが私に向かって、
「武士俣さん、〇〇が異動します」
と言ってきた。
私はあまりの衝撃に頭を鈍器で殴られたかのような痛みを覚えた。
しかも役職名でもあだ名でも敬称でもなく、苗字だけでその人のことを事務さんが呼んだのはそれ一度きりだった。
その呼び方が本気のものだという度合いが伝わってきて、どんなにその人の転勤を否定したくても否定できなかった。
私が勤務していた10ヶ月の中で、その時ほど事務さんが真剣な表情と声で私に何かを伝えてきたことはなかった。
しかもその後、私の仕事に直接関与する側の人が2人異動したけれど、その時は事務さんは私にその報告さえしなかった。
報告しなかったのは、多分そんなに重要ではない、という事務さんの判断だったのか、それとも、そういうところにも魂的に必要かどうかの判断において必要と判断されたもの・されなかったものの差なのかはわからなかった。
その人の異動は、私の職務レベルでは何一つ影響がなくて、ある意味職場の中で一番無関係な人なのにきっちりと伝えられて、反対に関与する2人の方はその人たちの事務仕事も私のところへやってきていたからものすごく関係していたけれど、その辺りは超適当な報告を受けた。
目の前の仕事にだけ限定したのならおかしな報告方法だったけれども、魂的にはそのあり方で大正解だった。
映画のワンシーンのようにその時のことを今でもよく覚えている。
当時、私はその人から嫌がられてるとしか思えない状態にあったけれど、私はそれさえも押して、なんとその人にとんでもなく長い手紙を書いて渡した。
当時から色々変だ変だとは思っていたけれど、ここに来て全く別の視点を手に入れた。
あの時のことが今現在の色んなことに繋がっている。
その人はいないし、私の今の生活の中でその人と連絡を取れることもないし、私側は何一つ繋がりなんてないけれど、こうした全く見えない姿かたちもない水面下のことは繋がっている。
余談だけど、私の家から車で20分程度のところに住んでいる、当時の仕事で唯一仲良くしていた女性がいる。
今でもごくたまに連絡を取ることがあって、つい先日、紫陽花の季節の頃、2人で紫陽花の花見に真っ暗な高台のところで夜な夜なおしゃべりをして楽しく会った日があった。
その女性はその人と共通の趣味で繋がっているから、この2年私が切望しても全く叶うことのない、その人と連絡を取ることも会うことも叶えている。
会うことだって距離さえ飛び越えて実現して、なんならこっちに来ない?みたいに誘ってもらったことまで知って、私は1人で撃沈したほどだった。
羨ましすぎて仕方ないけれど、これも後の方に書いたけれど(順不同で書いてて、この記事の後半にある役割の話の段落は書き終わった)、それぞれ役割があるんだと思う。
その人にとってその女性が趣味で仲良くする友達の役割なら、私は見えない部分のさらによくわからない役割なんだと思う。
しかも私の役割は、私にもよくわからないけれど、相手からしたらさらにわからないものになっているんじゃないかと思う。
相手からはキワモノ扱いをされてるんじゃないかと思うほど。
私たちの頭で考えるものと魂が考えるものとでは、全く別物になる。
魂が考えるものは、すごく変だし日本の社会常識にはそぐわないものが多すぎる。
魂の考えは、ある種奇人変人みたいなところがあると私は思っていて、当然魂的にはありでも人間側からすると「はぁー!?」みたいなことにも多々なりかねない。
その「はぁー!?」の部分が私の担当の係なのかもしれない。
近寄るなオーラ半端なかったなぁ(涙)と今でも思い出すこともありつつ、私もその役割じゃなくて趣味で繋がって楽しくやれる係が良かったなぁなんて思う時さえある。
2年前の9月9日と10日の週末、私はその人宛てへの手紙を書いた。
それは、本当に衝撃的なものだった。
私は書く直前まで、その人に手紙を書くことなんか一切頭になかった。
そういう発想もなければ、書きたいなんて思うはずもなかった。
その人の私への日に日に硬化する態度を見て、もう近寄らない、余計なことをしないのが、1番の得策に見えた。
その人の態度を見て、自分が嫌われてる以外に考えられないぐらいに、非常に嫌がられていたようにしか私には見えなかった。
そんな人相手に手紙を書いて渡すなんて、狂気の沙汰かと思った。
しかも、手紙なんて重たすぎる。
携帯電話の普及によって、メールとかならまだしも、時代錯誤な手書きの手紙は、付き合ってもいなければ好きでもない、もしかしたらものすごく嫌いな相手からもらうなんて、単に気持ち悪くて不快なものにしかならないでしょ?と思った。
なのになぜか私は突然雷に打たれたかのように、「手紙を書く」ことを思いついた。
そして、書く内容は何一つ決まってないまま、下書きを始めた。
その時の様子のメモ書きがある。
そこにはこんな風に書いている。
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手紙を書こうと決める。
時間はもらえない、もういつが最後かも知らない、この人生の中でこんな風に想いを伝えるために手紙を書くのは、最初で最後、と自分を奮い立たせて決心する。
すーさんにあの長い手紙で大丈夫かを聞くと、「そういう手紙をぶっしぃが短く書けるはずがないので、「長すぎるかな」と考えたところでそれ以外はないよ。長さは気にせず思うように書けばいいと思うよ。」と1時間後に返信が来た!
すーさんの言葉に励まされてコメダで下書き。
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どんどん長くなる手紙にびびって、私は男友達に連絡をして、長い手紙は敬遠されがちだけど大丈夫かを聞いた。
いつかすーさんに謝罪と感謝を伝えるために長い手紙を書いて出したことがあって、それで聞いた。
今こうして読むと、すーさんの言葉は私がしようとしていることを全面的に推してくれた。
それに大きな力をもらって、私はますます手紙に没頭した。
10数枚ひたすら書き綴った。
すごく不思議な感覚で私は書いていた。
「想いを伝える」と言うと、愛の告白みたいだけれど、その手紙はそういうものじゃなかった。
すごい衝動から書いてはいたけれど、内容はなんとも不思議なことを書いていて、実にヘンテコな手紙だった。
書いている時の内なる衝動は凄まじいものがあった。
内容がどうこうというもの以上に、体の方が勝手に動く感じが、他に類を見ない感覚だった。
言うなれば、内側から何かに突き動かされる、そんな風だった。
体は記憶した。
その時は記憶しているつもりはさらっさらなかったけれど、それと同じ感覚をもう一度再現した時を2年越しに迎えた。
今年の8月の最後の日曜日、占星術講座クラスメイトだったゲイで絵描きでプロのライターのノムに『ファンレター』と題したメールを書いて送り届けた。
このファンレターもその時はよくわからなかったけれど、その後に届いたノムからの返信を読んで、私の書いたものがノムの魂からのメッセージだったと確信した。
ノム自身もそれを読んで、私にこんな風に返信をくれた。
【メールで「神々の審議会で決定された大役」みたいなことを書いてくれていたけど、
ぼくの人生にとって、本当にそうしたレベルのメッセージを伝えてくれたと感じている。
ぶっしー書いていたけど、
こんなことは、「一生に一度しか言われないかもしれない」、そういうメッセージだった。
魂からのメッセージかどうかまだペンジュラムにきいていないけど、
でも、魂からのメッセージなのだろう、って思った。】
余談だけど、この1000記事目となるこの文章の最初の発案はこの部分の話にあって、当初はこれだけを書く予定がこんなにも長くそしてどんどん補足事項が増えた。
ファンレターの話に戻る。
ファンレターが単なる私の個人メールではなくノムの魂からのメッセージだと気付いた時に、私は真っ先にその人のことを思い浮かべた。
その人に出逢えたからこそ、その人が私の人生に現れてくれたからこそ、書けた文章だとわかった。
2年前の手紙とノムへのファンレターは、内容も私の気持ちも全く別のものではあったけれど、唯一、書いた時の体の感覚が同じだった。
そして、それはその人に出逢わなければ、絶対に私の中に開かない回路だったから、その人なくしてはキャッチすることさえ不可能なノムの魂からのメッセージだった。
ノムへのファンレターを書いていた時は、まさにその人に手紙を書いた時の感覚にうりふたつだった。
内側から沸き起こる衝動だけで言葉を紡ぐところなんかはそっくりだった。
そして想いを込めるところも同じだった。
想いの内容は全く違うけれど(少なくとも、ノムの分はノムの書く文章や書く行為に対して私が感じたこと)、熱量と言えばいいんだろうか、それが一緒だった。
ここからは超言い訳のような言葉が羅列するけれど、書くのも恥ずかしければ誤解生みまくりな可能性大の話だから、変な方向に流れないように書きたい。
私の中であの時の衝動はまさに「愛の衝動」だと思っている。
「愛」というととんでもなくたくさんの誤解や偏見を生み出すから、特にこの場で使うのはかなり避けたいけれど、それでも愛の感覚が一番近い。
ものすごく雑なまとめ方をすると、魂の感覚って「愛」が基本の軸にあって、すべての基本は愛です!みたいな感じが私にはする。
愛って日本語でいうと、すぐに「恋愛」に結びつけがちだけど、愛にも色んな種類があるし、恋愛だけがすべてじゃない。
10数人の魂からのメッセージを届けてみて感じたのは、どれも受け取り手であるその個人からその人自身への愛のメッセージで、それは他ならない自分が一番大切だから届くもののように思って見ている。
で、魂ならぬ愛のメッセージをキャッチして書くにあたり、そもそもその「愛の感覚」とやらを知っている必要がある。
これは自分でもはっきりとわかるけれど、その人に出逢う前の私は、誰かを好きになることが本当に怖くてたまらなかった。
傷つくぐらいなら、誰のことも好きにならないのが一番だと私は思うようになった。
無意識のうちに、その辺りの壁がさらに強くなって、私は自分がすべてから閉じようとしていることが自分自身の一番の防衛策ぐらいに思っていた。
天より高い壁を自分の中に築いた私のところに、その人はある日突然現れた。
何せ壁は自分の意識の上でも認識できるぐらいだったから、最初その人と顔を合わせた時も私はその壁を持ったままその人を見ていたから、意識の上では「イケメン」で片付けて、それ以上何を思うこともなかった。
(無意識下で色んなことが起こっていたと知るのはもっと後だった。)
ところがある日のある瞬間を境に、その人の存在がはっきりと輪郭を持つようになった。
イケメンがイケメン行動を起こしたからインパクトがあったんだと当初の私は思った。
だけど、その瞬間を境にその人のことが頭から離れず、私はその自分の心の状況をひとまず全力で否定することから始めた。
私はものすごく混乱したし、色々気のせいじゃないかと思ったし、これはあまりにもそういうことからご無沙汰な自分が勘違いをしたんだと思った。
全力で自分の気持ちを否定した。
ところが時間が進むにつれて、その人は明らかに何かが違っていたし、何をどう気をつけたって頭から離れなかった。
24時間1秒たりとも頭からその人が離れなくて、それがヨガの最中の瞑想タイムみたいな時にわかって堪忍した。
私はそれを最初恋愛的なものだと見ていた。
なぜそう思ったかと言えば、私の人生経験の引き出しの中に、その人に対して感じるものを表す言葉が他になかったから。
一番近いのが恋愛感情で、でも「それは近いようで全く別物」という感じがした。
だから、それが何なのかさっぱりわからなかった。
現に私は、好きとか愛してますみたいなことは一言も手紙に書かなかったし、だから言葉にさえできないものを私は無理くり言葉に何とかしたみたいなことを手紙の上ではひたすらしていた。
当時のメモに書いた【この人生の中でこんな風に想いを伝えるために手紙を書くのは、最初で最後】というのは、愛の告白をしなきゃ!みたいな意味ではなく、何だか知らないけれど伝えなきゃいけない、今を逃したらもう二度とこの機会は与えられない、一生分の後悔をする、死んでも悔やみそうな感じがしたから、だから書いた。
手紙の行方は知らないけれど、手紙は逆効果になっても私が望むような結果は何一つもたらさなかった。
むしろ、最後にその人と挨拶を交わした時、手紙は溝と隔たりばかりを深めて、目の前にその人がいるのにもう永遠に埋まることのない距離感を感じて仕方なかった。
私がその人が私にとって何なのかというのを知ったのは、それから5ヶ月してからだった。
ある種の霊的メッセージをキャッチできるホロスコープの鑑定士さんから、その人と私がペンジュラムを通じての過去世の中で繋がっていたことを知らされた。
その時に私ははっきりと悟った。
あの時の手紙は、魂の叫びだったこと。
やっとやっと巡り逢えたのに、また今生で二度と会えなくなるかもしれないことを察知した私が、今伝えなきゃ永遠に時は失われる、そのぐらいの強い気持ちで書いていたことをようやく客観的に知ることができた。
その強烈な感覚は、どんなに記憶力の怪しい私の脳みそでも、死ぬまで忘れないだろう感覚として私の中に根強く残った。
体中の細胞で覚えている。
そして、相手の魂からのメッセージをキャッチする体質が私の目にもわかるようになったのは、それから7ヶ月後のことだった。
10数人やってみて、そして今ノムにたどり着いて、そこで初めてはっきりとわかった。
ノムのものは最初、魂からのメッセージではなく、私が個人で書くノムへのファンレターかと思った。
それはノムがする【書く行為】に対して私が感じたことをそのまま書いていた。
途中から「うん?」と思う流れがあって、ファンレターならぬ嘆願書のような内容を書き出した。
自分でも何を書いているのかわかるようでわからない不思議な感覚で書いていた。
それはいつかの記事にアップしたいと思っているけれど、私がノムに書いたものは、単なるノムの魂からのメッセージではなく、ノムの生き方、ノムの人生を賭けた内容のものを私は書いていた。
身体中で何かを確信したり感じたりしながら、私のブログの平均的な長さの記事4本分のメッセージを書いたけれど、書けば書くほどにその確信や絶対に伝える必要のあるメッセージだということを強く強く感じた。
そして、それこそがノムがノム自身に向けて放っている愛であって、私はそれをひたすらキャッチして言葉に起こすという行為に徹していた。
その時の感覚は、その人に宛てた手紙を書いている時とそっくりだった。
その人は私に感覚をダウンロードしてくれた。
ノムはその感覚を私にもっと詳細に言語化する回路をダウンロードしてくれた。
感覚のダウンロードについてもう少し触れたい。
私が人様の魂からのメッセージをキャッチする時、1つだけ絶対に決めていることがあって、“愛を持って”そのキャッチするのも言葉に起こすのも相手に伝えるのもすること。
愛なくしてはやってはならないぐらいに思っている。
なぜなら、個人個人に渡るメッセージというのは、多分人生でも1、2を争う超コアな部分を触るもので、だから安易に扱えないし、敬意無くしてそこには向き合えない。
やるならきちんとやることが相手に対しての礼儀だと思っている。
何せ超コアなところを触るから、そこは一歩間違えたら、メッセージを渡す相手に一生の傷となるような酷いものを手渡してしまうことになる。
そうしたものの扱い方は正直私はわかっていないけれども、ただ私個人の感覚で、それをする時は「愛を持って行う」のが正解と思ってやっている。
で、その「愛」だけど、愛から遠のき恐怖心警戒心半端なかった私に、その部分を自然に開いてくれたのが、その職場のイケメンだった。
その人の私を寄せ付けない硬化した態度に私は超超超撃沈したけれど、それでも一度開いた回路はそのままだった。
その人が何をしても(=私がして欲しくないことをしても)、反対に何もしなくても(=私がして欲しいことをしなくても)、気持ちは同じだった。
どこの修行僧かと思うけれども、その人を前にすると、私は本当にとてもシンプルになって、その人がただただいてくれれば良かった。
その人が生きて私の目の前に私の世界に存在してくれたら、本当に私はそれで良かった。
そのぐらいの気持ちを持てたからこそ、私は自分が誰かの大切なメッセージをキャッチできてそしてそれを伝えることができるようになったんだと思う。
もしその人に出逢わずにいたら、私は今誰かの魂からのメッセージをキャッチすることはなかったと思う。
8月の終わりにノムへのファンレターを書いていた時に、その回路がさらに開いて他の人のためにその時持てる100%の力でそのことに臨んでいる自分に気付いた。
これまでももちろん100%ではやっていたけれど、これまでは私自身が枠の中にいてそこでの100%だった。
ノムに向けたメッセージは、枠が取っ払われて、とにかく来たもの全部を全力で書いて渡した。
そして、その書いたものは言うなれば、ノムの生き方、ノムの魂が設定した今世で果たしたい何かというようなものだった。
そういうタイプのメッセージはこれまで一度も書いたことがなかった。
だから、ノムが本当にデビュー戦となる。
そんな風に超個人の生き様に触れるほどのことに私自身が取り組めるのは、紛れもなくその人が人生にいてくれた日々があって初めて成立していることが私にはよくわかる。
その人を通じて私の感覚は本当に開いた。
自分の中の細胞という細胞を感じられるぐらいに、その人の存在は私の閉じていた気持ちを一気に開いた。
これは私の持論だけど、心理系のセラピーで一番凄くて強力なのは、「何もしないで変化を起こすこと」だと思う。
だって何もしていないのに癒しが起きたり気持ちが軽くなったり上向いたりするなんて、本気の神レベルな話で、いっとき流行った言葉「神ってる」状態だと感じる。
そういう癒しが起こるのは本当に奇跡だし、そうした奇跡は人生の中でそう何度も経験はできない。
その人というのは、まさに私にそれをしてくれる人だった。
本人は私を癒そうなんて思ってなかっただろうし、自分がそこにいるだけでそんな神レベルの化学変化、大変容を私にもたらしてるなんて、本人は何一つ知らない知らなかったと思う。
だけど、現実的にそれが起こったし、そしてそれこそが私が言う「感覚のダウンロード」だった。
誰かを大切に想う気持ち、その人がいてくれるだけでハッピーになれる気持ち、自分の内側から感じたこともない烈しく湧き起こる気持ち、色んな気持ちを知った。
私は「愛」という言葉をたやすく使うのも好きじゃないし、ましてやそれを他人に対して使うなんて最も抵抗を覚えるものではあるけれど、その人に感じていたのはそういうことだった。
それは魂レベルで引き起こされてるものだというのはこの2年くらいかけて理解したし、そうまでして起こさなければいけなかった化学反応的な変化だったと思う。
ここでは細かく説明はしないけれど、私の場合、ノムにファンレターと勘違いしながらノムへノムの魂からのメッセージを書いたように、他の誰かの超大事な人生のターニングポイント的なメッセージを伝えるのが人生における役割的なものなんだと思う。
これこそ勘違いであって欲しいけれど、多分これは勘違いじゃなくて、もっともっと自分の中に受け入れていく必要のあることだと徐々に思うようになってきた。
そうした人生の流れにおいて、その人の存在と出逢うというのは私にとって必要不可欠なことだった。
もちろん、そんなお役目的なことを私は目指したのでもなければ、それ目当てにその人に出逢ったのでもなかった。
なんだけど、その人と出逢ったことで、私側の人生の設定がようやくスイッチオンになった感はある。
そして、何せ触るものが誰かの人生の超コアな奥深いところにあるようなもので、それに関わるには並大抵のレベルではできない。
それをするに当たって、それ相応の私側の準備も必要になる。
そうした時に、その人がいたことで開花したのが「感覚の拡大」で、まさに感覚をダウンロードしまくりだった。
私としては「私個人のしあわせを最優先にしてー!!」と思うけれども(今でも思ってる)、どうやらそちらよりもまずは優先させなければいけない謎の流れがあるらしく、謎の流れはどんどんやってくる。
とにかく、感覚の部分を桁違いに癒して桁違いに開いてくれたのは、紛れもなくその人の存在だった。
その人にしても、何の勲章にも名誉やお金にもならない話だとは思うけれど、その人が私に対してしてくれた功労は物凄く大きいし、それこそ神々の審議会が唸るほどの大きなお役目を果たしたと思う。
そんな風に、その人は私の感覚を癒して広げてくれた人だった。
そして「愛」という人間が生きていく上で必要不可欠な感覚も存分に私に授けてくれた。
この2年、私が確認しまくったこともここで触れておきたい。
その人に対して抱いた気持ちと同じでなくても似たような気持ちが誰かに対して少しでも沸き起こるのかを私は徹底して見た。
たくさんの回数はなくても、時々男性に親切にされたり、楽しく会話したりする機会がある。
そういう時に私はこぞって観察している。
そもそも観察する余裕があること自体がおかしいけれど、親切にされたり少しでも面白い話ができるとそれはそれで良い時間だとは思ってもそれで終わる。
当たり前だけど、その人の時みたいな反応は沸き起こらない。
ただただそういう瞬間があって、それで終わる。
その人を前にした時の自分の感覚と同じ感覚は、普通には起こらないんだと悟る。
その感覚こそがその人だからこそもたらされるもので特別だったんだと、その人もいなくなって冷静になれる時間を持てるようになってから知った。
この文章の最後に憧れてやまないシーンを描く予定でいる。
そのシーンから惹かれるものがある。
それを私は自分の人生の中で持てたらどんなにか良いだろうと本気で思っている。
だけど、そのシーンを誰彼かまわず持ちたいわけじゃない。
夢見るのは自由だから言うと、私はその人とそういう瞬間を持ちたかった。
全くイメージできないけれど、私が欲しいものはそういうものだった。
感覚をダウンロードするとか、魂のメッセージのキャッチ能力のアップとか、そんなのは本気で欲しいものでもなんでもない。
私が欲しいものは、もっともっとシンプルなもので、日常にそういうものが溢れていたらどんなに素敵だろうと思っている。
そして、そうしたものをその人と持てたらどんなに良かったかな…と今でも思う。
ノムと1ヶ月近くに渡って取り組んでいる書く仕事の第1稿が先日仕上がって、担当者に提出した。
(9/11現在、全て完成して、それを担当者の方へ送って、あとはそれで直しがなければ終わり)
互いの担当分に関しては、主題だけずれてなければ、あと内容は自由だった。
今回の仕事は、ツイッターみたいな短文をいくつも書くものだった。
その中で私は、1つの文章だけその人の存在感を表すものに仕立てた。
ダメ元で書いて、直しとなれば全文差し替える覚悟で書いた。
読んでも私以外の人が、その短い文章の中にその人が含まれているなんてわからない。
私はその短い限られた世界にその人を登場させて、そしてそこには自分のことも登場させた。
今回の書き仕事は一生に一度だと思う。
少なくとも今回の依頼分は、生涯を通じて一度だけ。
そこにその人のことがどうやったって忘れられない自分自身に向けて、エールのような文章を書いても、バチ当たりとはならないだろうと考えた。
そして、生涯で一度きりのものなら、その一度だけ私だけがわかるようにその人を登場させてもいいだろうと考えた。
[9/11現在:第1稿で出してOKが出たから、最終的にそれはそのまま通る見通し
→これを書いてる途中ノムからメールが来て、その内容で通ることが確定した!(祝)]
今回のものは印刷物として出る。
いつかは有形物に変わって、自分の手元にももらえるのか買うのかはさておいても、来ることになる。
たとえこの人生の中で、ミラクルが起きて誰か他の人と出会ってその人と一緒に生きていくなんていう素晴らしい展開を人生で迎えたとしても、それでも私はその人をその中に登場させたい気持ちは変わらない。
もしかしたら、これが終わりの合図になってくれるかもしれない。
もう私はその人がいなくても、死ぬまで書くことはやめないだろうと思う。
書くことは私の中で息を吐くみたいな領域のもので、書かないと呼吸不全で死んじゃうみたいなものになってきた。
そして、この書く力を必要な人たちに渡す覚悟みたいなのも徐々にできつつある。
その人がきっかけとなって、私は本格的に書くことを再スタートさせた。
これまでだってずっと書かない時間が数ヶ月とか1年単位であって、再開するというのはあった。
なんだけど、そうした過去の再開とその人がきっかけとなった時の再開とは全く様相が異なった。
その人がきっかけとなった再開の時は、魂の書き物だった。
魂が今世で絶対にやろうとしていることをきちんと叶えるための入口で、そのきっかけを作ったのがその人だった。
もしあの時に私が書かなければ、今あるノムと共同作業での書く仕事は絶対に私の人生に現れていない。
1000記事のうち、開始が今から6年前の2013年の9月で、その人が現れる前と後とで数を見ると、前半の4年で350記事、その人がいなくなった後2年で650記事書いている。
しかも、長編の文章をその650記事ではけっこうな頻度で書いている。
そうまでして書き続けた私の1番の原動力はその人だった。
そして、書き続けてみて、もうその人がいなくても私は書き続けるだろう域に入りつつある。
それを表す1つのものが今回の書く仕事だったと今は思う。
だから、そこにその人の存在を私だけがわかる方法で書くことにした。
全部で20数個書く中ですでに10数個書いたけれど、その中でその文章の時だけは違っていた。
魂の衝動みたいなもので、それだけはノートに書き殴るようにして書いた。
他のはiPhoneのメモに書いたけれど、それは最初にパッと出てきた時、紙に書いた。
今思い出した。
あれは試験監督のバイトに行った日に、試験監督中に出てきた言葉だった。
周りの受検生の方たちの後ろで、私は手渡されたマニュアルの余白のところに慌ててメモをした。
後でマニュアル回収となって、私は係の人に大事なメモがあるからそこだけ切り取らせて欲しいとお願いしたけれどダメで、それなら写真に収めさせて欲しいとお願いして、写真だけ撮って帰ってきた。
それをノートに転写したんだった。
その短い文章の中で、私は自分が死ぬ間際の自分を思い描いた。
死ぬ間際に私がその人のことをどう回想するのか、それを想像した。
そういう超具体的なシチュエーションと超具体的な行動、この場合はその人を死ぬ間際に思い返すこと、を心で思い描いて書いた文章はそれだけだった。
壮大すぎるスケールで、その文章は一か八かの勝負だった。
かなりドキドキしていたけれど、それが通った。
ノムにも何も言わず、しれっと渡した。
唯一言ったのは、「“死ぬ時”ってさすがに書けないから言い方を変えた」ぐらいなものだった。
そんな風にして、私は自分の書き物が社会的デビューを果たす中に、その人のことをチラリと入れ込んだ。
その人なくしては、私の書く言葉が社会デビューする機会さえ得られなかったと思う。
(デビューとか言ってはいるけれど、無名で文章だけが出る可能性が高いから、関係者以外、私が書いたとはわからない)
今のこの瞬間、ここまで繋いでくれたのは、紛れもなくその人だった。
その人がいたからこそ、書くことを再開して、たくさんたくさん書いて、色々書く中でノムと繋がって、そしてノムと濃密な対話をメールを通じてもたくさんして、その先に今回の書く仕事の話がきた。
その人は私の魂が魂の旅路をきちんと歩めるようにしてくれる一番の原動力の人となっている。
神ってるレベルの癒しをもたらすだけあって、その人は超だんまり、ずっと沈黙を通しているけれど、その状態で私の書くことのスイッチを押してくれるわけだから、本気で凄い。
書こうと思って書けるものではなく、なんだか知らないけれど、強烈な内的衝動をその人は誘発してくる存在で、だからこそ私はここまで書くようにもなったと思っている。
その証を私は今回の仕事の中に残した。
それは私の生きた証でもあって、そしてその人と出逢えた軌跡でもある。
そうやって残したい人なんだと知る。
もうどうにもならない全てに対して私は超後ろ向きモードではあるけれど、せめて自分の力の及ぶ部分にそうした痕跡を残せるなら残したい。
その人はそういう人だった。
私にとって、唯一無二の言葉では言い表せない何かをもたらす自分史上最強の人物だった。
書いててもう1つ思い出した。
書く仕事の最初の依頼主の人と、そして今人間観察にハマりながら心の癒しがバンバン起きている米の仕事の責任者の人と、全く同じ漢字が名前に入っている。
それはその人の名前と同じ漢字で、今となれば「これで大丈夫だよ」のサインだったんだなぁと思う。
本当に摩訶不思議な現象だけど、魂のテーマにもろにかかる出来事や仕事の場合、それで大丈夫!とわかるようにその人にまつわる何かサインがどこかに潜んでいる。
大事度合いが高ければ高いほど、その人の名前が出てくる可能性が高くなる。
最初はたまたまだと思ったけれど、2年ぐらいすると法則めいたものが見えてきて、ガチなやつになればなるほど、その人の存在を表す何かがサインとして示される。
そして、その人の名前がそうした状況における関係者の誰かと一緒の時は、それだけでその状況で体験することが私にとって絶対に外せない大事なことなんだとわかる。
その人の名前は、今や私にとってお守り的なものになっている。
今日(9/7)の仕事からの帰り道、とんでもないことに気付いた。
4日水曜日の日付変更線を超えてから3時間程度した頃、私は高校時代から愛用している英和辞典を片手に英語での調べ物をした。
(『真夜中の衝動』と題してブログを書こうとしていたけれど、すぐに書かなかったことが悔やまれる。忘れぬうちに、今ざっくりと概要を)
さかのぼること3日の火曜日、仕事は雨で急遽休みになった。
2日の月曜日にそれこそノムと書く仕事の第1稿提出期限として、互いの担当分を書き上げて打ち合わせと題したおしゃべりをした。
その時に、ノムが最近オラクルカードを買った話とそのカードが過去世と今とを繋ぐ情報を引き出せるという話になって、話を聞いて私はものすごく食いついた 笑。
ただそれにはまとまった時間が別途必要だから、日を改めて私の分をやろうとなった。
できれば書き物の残り分に着手する前にやりたいね、そのメッセージが絶対にヒントになるから…なんて話していたら、まんまと次の日火曜日が雨で休みになって、それでそのカードリーディングをした。
それがめちゃくちゃ良かったしその話も別の記事で改めて書きたいと思っているけれど、その時に、カードのガイドブックでどうしてもピンとこない和訳があった。
ノムとその訳がどうしても引っかかるね、などと言いつつ、私もカードガイドブックの原文がネットで見つかるなら調べてみるね〜なんてのんきに話してた。
その電話の2時間後くらい、私は眠れなくて猛烈に目や神経をギラギラさせてた頃、その調べものを徹底的に始めた。
異常なほどの集中力と執念でやっていて、自分でも自分が変なの〜なんて思っていた。
で、話は飛んで7日の仕事帰りの車の話になるけれど、私はそこで「あーーーーーー」となった。
その時の衝動と同じものを私は過去に2回体験していた。
一度は、ノムへの魂のメッセージを書いた時。
もう一度は、2年前その人に手紙を書いた時。
そこで「えっΣ(꒪◊꒪; )))) !?」となった。
ノムの魂からのメッセージを書いた時というのは、最初そうだと知らなくて、後々気付いて、さらにノムのペンジュラムと私のペンジュラム双方で、それが私側ではなくノム側が必要として、ノムの魂からのメッセージが私の手によって書かれたことを知った。
ってことは…。
その人への手紙も、私はずっとずっと私が書きたくて書いたとばかり思っていたけれども、もしかして…と思った。
手紙を必要としたのは、私じゃなくてその人の方だったのかもしれない。
初めてそんな風に思った。
そして、本当にその説があたりなら、当時私も超いっぱいいっぱいだったけれど、その人もその人で自分の人生に悩んでいたり何か違和感めいたものを感じていたのかもしれないなぁ…と思った。
手紙の一部には、その人の良さや人間的魅力について書いた。
今でも非常に不思議な内容の手紙だと思うけれど、そういったこともかなりな長さで書いた。
本人が本当にそこから元気付けられたかは知らないけれど、余計なことさえ脇に置いて見るなら、元気が出る可能性のある文章でもあると思う。
全部が全部そうじゃなくても、その人オリジナルのその人にしかない魅力は、少なくとも他者から知らされて決して悪いものではないと思う。
ありがた迷惑どころか不愉快不快感マックスのものを手渡したんじゃないかと今でも思っていたけれど、実はその人の魂レベルでは手紙を本気で必要としていたのかもしれない。
その人自身は全くそうは思わなくても、魂側は手紙に喜んでいたかもしれない。
そんな風に考えると、私が2年でブログを650記事近く書いたものの中にも、もしかしてその人からオーダーを受けてその人に向けて書かれたものもあったのかもしれない。
衝動的に書いたものもあったし、その人に向けてだけ書いたものもある。
ノムと自分とを見て、お互いの魂の道すじにおいてそれぞれの役割的なものが見え隠れしている。
2人は単なるクラスメイトとか友達とかいう枠を超えて、互いが互いを必要とするものがある。
それはノムにはミッチーという恋人がいても関係なくて、私だからこそできることをするというのが近い。
そうやって考えると、その人と私もそれとは違っても出逢った理由は互いの魂の道すじにおいてそれぞれが必要な存在だったからなのかもしれない。
ノムと私が恋人同士にならないのと同じで、その人と私も恋人同士にならなくて、なんなら私が切望する小さなコミュニケーションさえも持てなくて、私側が欲するものは何一つ叶わないけれど、それと魂の願いは別物なのかもしれない。
魂の願い系は、別に現世的な接触(恋人同士や仲良し友達関係とか)がなくても成立する。
それは私側がどんなに接触を望んでも、魂側の意図と合わないものは、私の場合、バサバサと切り落とされる。
(切り落とすのは、神々の審議会でも天界でも宇宙の采配でも何でもいいけれど、とにかく不可抗力的に切り落とされる。)
私の愚痴はとどまるところを知らないからこれくらいにして、今回思った大切なことに話を戻そう。
もし、私の書くこの文章たちが魂レベルでその人に向けられたメッセージなら、私はその人が好きな時に好きな文章を読んでくれるのが一番いいと思っている。
さんざん色んな人たちのメッセンジャー的にメッセージを伝えてきたからその辺りは私はわかる。
私は単なる通訳でしかないし、メッセージを伝えるのに受け取り手である個人と私とが関係を結ぶ必要はなくて、本当にメッセージさえきちんと相手に伝わるならそれが一番大切なことだというのはわきまえている。
その人に関しては私の私情が動きまくりでそんなにあっさりと線引きは私側は難しいけれども、その人側は私に連絡を取る必要もなくて、本当に好きなものを好きなタイミングでどれだけでも読むので大丈夫だったりする。
だから、ごちゃごちゃ書いたけれど、言いたいことは。
好きな時に好きなもの・必要なもの・読みたいものを読んで大丈夫ということ。
私への連絡はもちろん不要だし、私とどうこうする必要もない。
メッセンジャー(メッセージの伝達者)になる時の私は、もうそれが自分の役回りだと割り切ってやっている。
人間だから当然私情は働く。
だけど、メッセンジャーとしての私は、相手に何かを求めるのではなく、本当にただただ出てきたメッセージを伝えるところまでが私の果たすべき役割で、それ以上は基本必要か不要かの二択なら不要になる。
だから、もし私の過去に書いた文章、これから書く未来の文章の中に、その人宛てへのメッセージが含まれているのなら、それはじゃんじゃん自由に読んでもらえたら私も一番嬉しいし、メッセージたちも喜ぶ。
メッセンジャーをしていて思うのは、特定の個人に向けて託されたメッセージに関しては、その個人の人から読んでもらえることをメッセージ自身も一番望んでいて、それがメッセージ側の喜びでもあると思っている。
だから、私の書く文章の中にその人向けのメッセージが含まれるのであれば、もはや私よりもメッセージが伝えようとしていることがその人に伝わるのが一番だと思っている。
それが私の役回りなら、私はもう本気で仕方ないと思っている。
魂の役割は変えられない。
その人が私とはいたくなくても私の書く文章をどこか必要とするなら、私の書く文章だけが必要とされてそれで役割完了なんてことも十分にあり得る。
私はこの文章の最後に自分が本気で望んでいる風景を書くけれど、そちらではないものばかりがやってくる私の人生は、もう私個人の力ではどうにもできないし、私が泣こうがわめこうがそんなのおかまいなしに色んなことが起こる。
心は無にできないけれど(そもそもそんなの目指してもない)、色々不具合感じまくりの私の気持ちのままでも本当に必要なことにはきちんと向き合えるようにはなりたいと思っている。
書くだけ書いて終わりという役割に対して超不満もあるけれど、それは私側の個人的な感情で、そうではないメッセージを届けることは私はもう私情を挟めないから、だからその人が読みたいものを好きなタイミングで読むのが一番理に適っているし、それが私の役割なら私はその役割的なところでは、その人が好きなタイミングで好きなものを、読みたいものを読んでくれるのが一番嬉しい。
こんな風に色んなことが明るみになって、ふとホロスコープの分析結果が頭をよぎった。
その人との間に起こった小さな出来事から大きな出来事まで、私はその日その瞬間のホロスコープをいくつか出して見てみた時がある。
例のその人と仲良くしている女性からその人の誕生日を教えてもらったことで、いくつかの出来事の瞬間とその人のホロスコープとを重ね合わせて見てみた。
それは6月の終わり頃の話で、その時の私はいくつものホロスコープを分析した。
今でも覚えていることの1つに、「あれ?これ私の気持ちを表してるみたいなものなのに、私のホロスコープじゃなくてその人のホロスコープをこの出来事の日に重ねるとそうなる」というものが幾つかあったことだった。
私からして、すごく変な感じがした。
熱を上げている私よりも私を無視しまくり避けまくりなその人の方がそうした出来事に強く反応するみたいな結果が出てきたから、私は驚いた。
だけど、手紙に始まって色んなことがその人も欲したものだとするなら、私が当時分析したホロスコープの分析結果もそれに準じているなぁと思う。
同じ日同じ瞬間に居合わせていても、私よりもその人のホロスコープへの影響の方が大きいものがいくつかあって、その時はすごく不思議な気持ちで眺めていたけれど、もしその人の魂がそれを強く望んだことならなるほど納得な結果だったりする。
ついでにもう1つ言うと、私はその人の出生時間をペンジュラムで割り出して、その時間でホロスコープを出して見た。
ペンジュラムの正答率は知らないし、ペンジュラムが間違っている可能性も多大にある。
なんだけど、それを出して見た時にひっくり返りそうだった。
基本的に時間のわからないホロスコープを出す時は、昼の12時にして最初は出す。
その12時の時に出すものは、6〜7割の情報を引き出せる。
要は公転周期の遅い天体たちは、数分〜12時間変動したところで変わらないから、それでおおよそのホロスコープは出せる。
12時で出したその人のホロスコープは、私のものと重ねると大したことないどころか、縁があるなんてとても思えない様相だった。
やっぱり色々気のせいなのかもしれない…と思った。
なんだけど、ペンジュラムで出した時間でホロスコープを出してみたら、卒倒しそうなぐらいにすごいことになっていた。
本や講座の資料、自分がまとめたノートなんかを一切見なくても、ホロスコープをただ一目見ただけでその人と私とがものすごく縁があるとわかるものになっていた。
魂のより深い設定を見る特殊な手法のホロスコープの方も出したら、そちらもまた一目見て強いご縁があるとわかった。
ペンジュラムが出してきた時間が本当に合っているのかどうかはわからなくても、もし本当に当たりなら出逢いから始まるこの一連の流れにもものすごく合点がいく。
そんな人他に誰もいないから、その人が初めてそこまでのホロスコープを見ただけでわかる重なりのある人だった。
と同時に、その人にとって私という人物がその人の人生に登場してくるのももはや避けられないような強制力があったと推測するのも容易になった。
本人が望む望まないは別としても、もうそうなるのが自然な流れで、私に対して相当警戒心や防衛心が働きまくりでもそりゃそうだよねー、という内容になっていた。
その人にとって、人生のテーマとなるような部分に私の個人的なホロスコープのテーマが360度のうち1度の誤差なく重なっているわけだから、それは通常版も魂の深いテーマ版もそうなっていて、だから私がいることで心がワサワサする、ザワザワするのも仕方のないことだったのかもしれない。
だからその人が私の人生に登場したように、私もその人の人生に登場したのかもしれない。
ただ違いは感じ方で、私にとってその人はアンパンマン的ヒーローでも、その人にとって私はバイキンマン的天敵ないしお邪魔虫だったんじゃないかな…と想像している。
2年前の夏のある日と同じアームカバーをしている自分の指先を見た。
少しでも涼しくなるようにと水撒きがなされて、その水撒きでできた水たまりには青い空と白い雲と建物の一部が映っていた。
指先の1メートル先に水たまりがあった。
チラチラと自分の指先を何度も見た。
その人の目にはどんな風にあの時の私の姿は映ったんだろう…。
同じような出で立ちを見て、その人の目に映ったものが何かを知りたかった。
あの日何が目に映ったのかは知らないけれど、その時のことがまさか2年先の今に繋がるなんて、その人も私も知らずにいた。
魂だけがあの時にすべてお見通しでいたことと思う。
相手側はさておいても、私側は2年先も何百年も前も多分両方わかっていた、そんな気がする。
そのアームカバーは、私がその人の存在に気付くためには必要不可欠だった。
同じように暑い日で、でももうあの時は永遠にやってこない、そのことを心で確認すると涙が出そうになった。
ノムとしている書く仕事の提出と重なって、ブログの方をしばらく休んだ。
そうしたら何だかんだで数日過ぎてしまった。
一層のこと、2年前にその人に手紙を渡した日と同じ日にアップしようかと計画している。(ここを書いているのは9/10)
2年経つとさらに明らかになる。
その人に手紙を書いたり手紙を渡したりしたのは、人生の中でもとっても特別なことだということ。
昨日のごはんが何だったのかの記憶さえ怪しい人が、2年前のそのシーンを克明に覚えているんだから、その時のことは私にとってものすごいインパクトがあった。
その人にしたって、職場の自分の席に手書きの個人的な手紙を持ってくる人なんて、その人の社会人生活の中でそうそういないだろうと思う。
いくらイケメンでも、そんなことしてくる人なんて普通はいないんじゃないかと予想している。
別に奇をてらったわけでも相手に自分を印象づけようとしたのでもない。
もうそれしか方法も思いつかず、「何この古風なやり方?」と自分だって何百万回と思ったけれども、そうするしかなかった。
死ぬまでに与えられたただ一度の機会となるかもしれない…、そう思ったらやるしかなかった。
あまりに突然な上、しかもあの時はテンパっていたのもあったけれど、たぶん、多分だけど、私は突き返されないように、直接手渡しをするんじゃなくて故意にその人が見ている目の前で机の上に置いたんじゃないかと思う。
その時の傷心具合は本当に人生で一番酷かったから、そんな時に突き返されるなんていうさらなる傷はもう受け止める余裕なんかどこにもなくて、だからそうできない方法をとっさに取ったんじゃないかと思う。
相手が面食らったのか、げっ(ΦдΦlll)と思ったのか、何をやらかしてくれてる!?と思ったのか、そういうのは何一つ知らない。
知らぬが仏とはよく言ったものだと思う。
いずれにしても、その日のその瞬間のことは今でもはっきりと覚えているし、相変わらず何の反応もなかったその人の様子も覚えている。
何の反応もないんだ、ってずっとずっと思っていたけれど、今これ書いてて思った、とっさに反応できなくない!?って。
私は生きているうちにその人が体験したように、仕事中自席にいて誰かが手書きの個人的な手紙を持ってくるなんて体験することもないだろうけれど、よくよく想像したら、そんなことになったら私もとっさに反応なんかできない( ̄∀ ̄;)。
相変わらず無反応などと思っていたけれど、反応する方が難しいわ!と思った。
しかも、典型的な感情表現苦手男子みたいな人だから、そんな高度な反応を求めた私がそもそもおかしいことに今頃気付いた。
私が苦手なのか感情表現が苦手なのか、はたまた両方苦手なのかは最後までわからなかったけれど、その時のことはとにかく一瞬一瞬強く記憶に残った。
私ももちろん覚えているけれど、これは魂が記憶しているんだろうなぁと思う。
そして、誰に何と言われようと何と思われようと、もうそれが私の人生に起こったことだから、私はそれを信じていたらいい、信じる強さをこの2年で育んだ。
否定されたりおかしいと言われたりもしたけれど、そんなの言わせておけばいい、とそこまで開き直るぐらいになった。
私には私が体験していることが全てだし、それが私の真実に他ならないから、他者の受け止め方なんか何でも良くて、何ならその人の中にどう残ったのかも何でもは良くないけれどそれだって究極何でも良くて、でも唯一私だけはそこで体験したこと全てを信じたらいいんだと思っている。
その人の記憶に残らなくても、もうたとえ会わなくても、私は私が一番いいやり方でその人とのことは残りの人生の時間をかけて向き合っていったらいいと思っている。
(この段落は鈴虫の鳴き声を耳にしながら、真夜中の3時半から4時台にかけて書いた。目覚めた瞬間の数字が、その人にまつわるもので、1人でテンションが上がった!)
ノムから、ぶっしーは社会的なものにとんと興味がない、それもちょっとじゃなくて「全く」と言っていいほど、少なくとも自分が知っている人の中でぶっしーほど興味のない人に会ったことがないと、ここ何回か言われた。
職業的な肩書きも、仕事のあり方も、お金を稼ぐとか家を持つとか幸せなパートナーシップを築くとかいうことも、とにかく社会的に良しとされることに本当に興味を示さない、と。
私はどうしてそうしたものに興味がないのかわかる。
そうしたものに興味が湧かないのは、そういうものたちで自分が満たされることはないとわかったから。
その人が私の人生に現れて、日常の中にもその人の姿があった時、私はもうこれ以上ないというぐらいに日々超盛り上がっていた。
毎日ルンルン♪で仕事に行って、仕事には全く興味も湧かなかったけれど、その人に会うことだけが日々の超強力な生きるモチベーションで、「生きるってこんなに楽しいんだー♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪」と頭の中は毎日お花畑に蝶々が大量に舞うぐらいのおめでたさだった。
私はそうした日々がしばらく続くと信じて疑わなかったし、そして欲を出してもう一歩その人と近付けないものかと考えた。
本当に個人的に時間が欲しかった。
自分の内側から純粋に何かを欲するなんて、私の場合、ものすごく珍しいことだった。
だけどそれは叶わないどころか、その人をごはんに誘ったらその人は一気に態度を硬化させて、私のことが嫌なんだとしか思えない状況になった。
欲しい気持ちはものすごく強かったから、それが手に入らないというのは本当にこたえた。
その辺りから私はますます欲しいものが何かわからなくなった。
それは今も同じで、例えば小さな欲しいものはあっても、それが生きるモチベーションになってくれるほどの何かはない。
人は何か手に入らないとなると、他のもので人生を楽しもうとすることが多いと思う。
私もそれができなくはないことも重々承知している。
なんだけど、本当に欲しいものが手に入らない時、それに対しての虚無感は常に付きまとうし、その叶わない現実と欲してる自分の気持ちとのギャップの大きさたるやでかすぎて、ましてや私の場合は生きるモチベーションに直結しまくりだったから、余計とそのギャップは広がる一方だった。
そうした自分の中の受け入れられない気持ちをひたすらなだめたり、自分の気持ちを聞いたりすることにある意味忙しくて、そしてその人の代わりなんてこの世のどこを探してもいないわけで、あとは私はその自分の宙ぶらりんな気持ちと上手に折り合いをつけるぐらいしかやれることはない。
そうした気持ちと社会的な成功云々は全く天秤にかけるほどのことではなく、私の気持ちはそんなことじゃ絶対に埋められないとわかっているから、余計と欲しいとは思わない。
今望むものは、少しでも平穏な日々と少しでも興味を持って人生を生きることだから、とにかくそういう視点でしか自分のことを見ていない。
超勝手な希望をひとつ書いてみよう。
1000という節目の回数に、あえてその人のことを書くことを決めた私の気持ちもだけど、それだけの存在なんだということをその人に知って欲しい。
何で自分にここまで入れ込むのかさっぱり理解できなくても、少なくとも私が選んでそうしているということは、それだけの何かがあるからだと少しでもいいから肯定して欲しい。
他の選択肢としては、ノムがしてくれたホロスコープ鑑定の後編とか、他にも色々な癒しが起こりまくっているからそれについて書くのでも全然良かった。
だけど、節目の回数…と思ったら、書きたいのはここに書いたことだった。
さらに、書いてて思った。
私が「書きたい」と思って書く文章というのは、実はとっても少なくて、その少ない中の1つがその人に宛てるものだということ。
これだけ書いといて「はっ!?」って感じかもしれないけれど、私が書きたい!って本当に感じて書くものはすっごく少ない。
そんなのはひと月に1つあるかないかぐらい。
なんなら、ノムとしていた書く仕事も、あれはお金にさえなるのに、「書きたい!」というのはそこまでなくて(面白いプロセスではあったけれど)。
さらに言えば、そちらを完成させる頃、私はそれよりもこちらの方を一刻も早く書きたくて仕方なかった。
お金にもならない、届くかもわからない、仮に目に入っても反応は期待できない、ないないだらけのこの文章の方が私は書きたかった。
その人に聞いて欲しい、その人に届けたい、ただただそれだけの気持ちで私はここに書いたすべてを書きたかった。
その人は私の数少ない生きるモチベーションだな…と思う。
そして、そこにだけは少し欲があって、本気で届いて欲しい。
本当にその人に届いて欲しい。
今回こんなことをここに書くにあたって、私は自分に確認をした。
もし、これをアップした翌日に運命的な出会いがあってその後あっという間に電撃結婚などという展開になったとして、それでもアップしたいかどうかを。
妄想炸裂な内容はさておき、例えば未来にそういうことが控えていてもアップしたいか、アップしても私が後悔しないかを見たかった。
だからそこを確認した。
私は、仮にそういう展開が24時間後に控えていたとしても、書きたいしアップしたいと思った。
これをアップする時の私が、例えば2019年の9月11日だったとして、その日までにおいて生きてきた人生の中で最重要事項がここに書いたすべてのことで、その人を今も大事だと思う自分のことを記録として残したいと思った。
その後の人生がどんな展開を見せたとしても、ここに来るまでの私の人生の中では、その人に出逢ってからのすべてが何よりも私にとって大事だから、それに堂々としていたい、そう思った。
両想いにもなれず、何も望むような展開にもならず、究極に距離を置かれてそれなのに私は相も変わらずこんなことを言い続けて、頭のかなりいってしまった人だと思う。
でも、私は周りが何と思おうと恥ずかしくもないし、自分の気持ちや自分のプロセスに堂々としていられるぐらいのものをこの2年で身に付けた。
結果はどこを切り取っても思わしくないもののオンパレードだけれど、そもそも高嶺の花というか相手からして私はストライクゾーンから大きく外れた場所にいる人物であっても、だからと言って私は自分の気持ちが変わることもなかった。
その人の気持ちよりも私は自分の気持ちを優先した。
相手にされない私ではなくて、その人を大切に感じている自分を優先した。
一生の中でそんな風に思える人と出逢えることの確率の方がうんと低いわけで、なんなら私はその人がそんな風に感じる人生最後の人かもしれないとかなり危惧さえしているけれど、でも私はこの2年の全くおめでたくない展開を前にしても、その人を知らない人生よりその人を知った人生の方が比較できないぐらいに素晴らしいと感じている。
ノムと電話したある日のこと。
出だしに「今お昼ごはん食べ終わって落ち着いたところ」みたいなノムの挨拶的な話があって、私はそこに速攻食い付いた。
「ねぇねぇ、今日は何のトーストだったの?」
「今日はね〜、この間残ったカレーにチーズをのせた、カレーチーズトーストだったよ」
残り物をのせてチーズトーストにする、というところに私はより一層食い付いた。
残り物ということは、そのカレーを何日か前に食べているわけで、そのカレーチーズトーストを食べながら、何日か前に食べたカレーライスも同時に思い浮かべながら食べるだろうその様(さま)に、私は本気で羨ましくなった。
今日という日だけに存在しているチーズトーストではなくて、過去のいつかにも繋がっている今日のチーズトーストというのが本当に素敵だった。
しかも、ミッチーがミッチー1人だけなら適当にしか食べないのに、ノムがいることでおいしいごはんを作る人だと知っているからこそ、単なる余り物ではなくて、ノムと一緒に食べるために作ったごはんの余り物で、余計とこの話にさらに素敵なスパイスが加わる。
そんな感想を言っていたら、ノムが付け足して教えてくれた。
「ほら、煮物とかすると煮汁が余るじゃない?その煮汁がおいしいと、捨てるのがもったいないのと、それをトーストの隠し味に使いたくなるんだよね。
だからミッチーに『煮物の煮汁をトーストの上にのせて、“これ明日のトーストに良くない?”』とか言って、取っておいたりするんだよねー。
それって【明日も一緒に食べてることが前提の話になってる】。
僕にとって、煮物の煮汁を明日のトーストの隠し味に残そうってミッチーに言うのは、【明日も一緒にごはん食べようね】
っていう暗黙の了解というか、無言の約束みたいなものなんだよね」
私はこの話に完全にノックアウトだった。
明日食べるごはんの話をしたり、そのための何か残り物を上手く活用することを提案する先には、明日も生きて一緒にごはんを食べようね、ということに他ならない。
それって明日生きるのに十分な動機で、生きるモチベーションだなぁって感じる。
明日も一緒にごはんを食べよう。
ただそれだけのことがどれだけ凄いことなのか、これは年を重ねると共にものすごく感じるようになった。
明日も一緒にごはんを食べよう、それを暗黙の了解として誰かと交わすなんて、私からして一番憧れてやまないもの。
私は文章係とか魂のメッセージキャッチ翻訳係とか、そういうのに憧れは基本的にない。
私が欲しいのは、明日のおうちごはんの約束、すなわち明日も一緒に食べようねの暗黙の了解、明日もお互いに元気に生きて顔を合わせようねの無言の約束、そしてそうしたことを繰り返す日常。
そして、その日常を私は自分が本当に一緒にいたくて大切にしたいと思える人と送りたいと思っている。
その人はこれまでの他の誰とも違っていたのはそこだった。
まともに話したことさえない相手なのに、私は何度も何度も思った。
その人が年をとっていく様を隣りでずっと見ていたいって。
その人はめちゃくちゃ仕事のできる人だし、人が見ていないところでもしっかり仕事をする人だし、人としても尊敬するところをたくさん持っている。
なんだけど、私はそういうことよりも、その人がどんな食べ物が好きとか嫌いとか、抜けてるところとか、誰でも彼でもには見せない姿とか、そういう超個人的なことを知りたくて仕方なかった。
日常の中に当たり前にあるもの、同じもの、少しずつ変化するもの、そういうものを共に積み重ねることに私は本気で憧れた。
それって日々一期一会で、たとえ昨日とあまり変わりばえしない今日であったとしても、そこには今日だけの展開や今日の流れだから生まれたおしゃべりや今日だから見られた表情が必ずある。
そうしたことを共にできたらどんなに素敵だろうか、と私は思った。
それが叶わない現実に私はどこまでも落ち込んだし、そして願ってもいないオカルト的出来事がどんどんやってきてしまう自分の人生に本気で嫌になっていた。
でも、シンプルに私はそうしたものを心から望んだ。
ただただ私は明日も今日と同じように会えることを願ったに過ぎなかった。
ここには書かないけれど、ノムが私に私がどうしたらそういう人生を手にできるかもしれないか、その具体的方策を教え説いてくれた。
その内容は私がこれまで聞いたどんな言葉よりも真っ直ぐに私に届いて、万年やる気なし子みたいな私が「それならがんばりたい!」となるぐらいの、超すごいヒントを授けてくれた。
その話はこれからいつかの機会にノムとのやりとりを書く中でアップしたいけれど、とりあえず私はそれを聞いてあきらめるのではなく、その可能性を探る方向に自分を仕向けたいと思った。
ちょっと話がそれた。
私が望んだものは、その人とそういう時間を人生で積み重ねることだった。
明日も会おうね、という小さな約束を日々の会話や暮らしの中で交わすことを私は夢見た。
命あることが本当に本当に嬉しくて、それがその人がいるだけで実現するという、人生の魔法みたいなことが起こりまくっていた。
私にとってその人はそういう人だった。
大切にしたい人…。
それだけの人に巡り逢わせてもらえたのが2年前。
どうにもならない関係はさておいても、その人が大切なのは当時も今も変わらない。
手紙の2年後ー2019年9月11日
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