今朝、友達と友達の赤ちゃんに会いに行く前にブログをアップしといて良かった。
あの後私は年に何回とないおなか絶不調の時を迎えて、どうやらそれは体側の不調ではなく、長年溜め込んだマイナスのエネルギーの解消だったようで(←ペンジュラムで確認)、かなり悶えた後、支度を整えて友達のところに向かった。
感じることはたくさんありつつ、とりあえず出てきたことから書いていこうと思う。
(9/13『赤ちゃんに会う前の心の整理』の続き)
まずは、生きる世界も生きて体験することも、全く違うことを痛感した。
私が結婚子育てをここまでしない人生になったのも、妙に納得してしまう場面があった。
子育てって生き物を育てることで、それはもう超リアリストにならなければ務まらない。
これ以上ない地に足の着いた任務になるわけだけど、それをしながら今の私が獲得したような物の捉え方とかは決して手に入らない。
子育て、特に乳児期は自分の行動1つが小さな命を生かす必須条件になるから、魂がなんだとか言ってる場合じゃない。
四六時中子ども中心の生活で、そこに自分の思考とか価値観を細かく見たり振り返ったりする余裕なんかない。
とにかく目の前の乳飲み子が元気に生き延びられるよう、そのための動きをひたすら提供するのが役割としてでんとあるから、細かいことを見ている場合じゃない。
そうした生活に縁がない代わりに、私は世の中の価値観からはみ出しまくりの方の生活に突入して早10年ほど。
はみ出していることは、色んな人たちからの批難を浴びやすい。
そうした中で、私は徹底的に世の中で言うところの「普通」を捨てることになった。
色々「普通」ではないものをたくさん経験することで、1つ、また1つと「普通」の価値観を手放していった。
手放さないと自分もしんどくなるから、そこから離れる他なかった。
それをしてきたことが自分の今の色んなことに繋がっている。
私が他の人の話を聞く時、その人たちの魂からメッセージをキャッチする時、その「普通」を捨てた私はものすごく役立つことになる。
別に役立つことを目指したわけじゃないけれど、結果として役立つ。
私が聞くことになった誰かの人生の話は、みんな世の中の「普通」からはみ出している。
その「普通」からはみ出したものは、通常外には見えない。
みんな表面的には取り繕って生活しているし、そこをあえてさらけ出すことなんか基本的にしていないと思う。
私が他の人から聞く時は、相手も相手でものすごい勇気を振り絞って私に話してくれてることがよくわかる。
本当は手をぎゅっと握ったり、体ごとぎゅっと抱きしめたり、頭の上に手を置いたり、そういうことをされたいだろうぐらいに弱りまくりなところを出す。
私はその告白する行為がどれだけ勇気の要るものかわかるから、それだけですごいことで、だから極力変なジャッジは避けるようにしている。
その人もその人で一生懸命にやっての今なわけで、それを否定することなんてとってもできない。
そこまでの境地に至るには、当然のごとく私は「普通」を捨てることになった。
捨てなければやっていけないことがあまりに多すぎたし、そして私の場合は「批難」もセットで大体の場合来ていたから、それでものすごく嫌な思いも多々している。
自分のその体験は、他の人にそれをしないように気をつけるためのレッスンになった。
そういう体験こそが私の場合必要だったんだ…、と乳飲み子と姪っ子と同い年の小さな子のお母さんをしている友達を見てそう思った。
私は自分が途中から心を閉ざしたことには気付いた。
赤ちゃんを見に行くのとは別に、私は自分の今をちょっと伝えることもしようとそれも頭に入れて出向いた。
でも私はそれをほとんどしなかった。
言っても伝わらない、それを最初の一言目か二言目に感じたから、もう私は余計なことを喋るのをやめた。
話を聞いて欲しいわけではなかった。
私が欲したものが何かと言えば、色々ある私でも私は私のままだと友達から受け止められたかったんだなぁと今冷静になって思う。
私はかいつまんで自分のこの会っていない2年ないし3年をさっと伝えた。
最後いつ会えたのか覚えていないくらい、少なくとも記憶の中では彼女の今は遠く離れた自宅を訪れた時だから、多分3年近くになる。
記憶があいまいだけど、話をしていて、多分2人でそれくらいぶりだねという話になった。
3年もあれば、それぞれが色々変わる。
私にとってこの3年は、「激動」の一言に他ならない。
仕事は派遣したり単発の仕事だったりはたまた何もしない時間だったりしたわけだけど、それで結婚も妊娠も全くしてないわけだからはたから見て不思議に見えて仕方ないのは理解できる。
そこにさらにオカルト的な出来事も色々あったから、話をされても余計とよくわからないのは、私もなんとなくそこは想像できる。
でも、そこに対して、はなから理解しようとしなくて理解されない感じと理解しようとしてもわからない感じとでは雲泥の差があるのはわかる。
私は理解など求めていなくて、でもせめてわからないけれど理解はしたいよ、というのを私は自分が求めていることにも気付いた。
その部分を得られないと感じて、私はもう話すのを自ら避けた。
正直な気持ち、残念な気持ちでいっぱいだったけれど、これが世間一般の反応かもしれないと思った。
これまでの10数回には渡るだろう自分自身の告白は、恵まれ過ぎていたのかもしれないなぁと思った。
そして自分の色んなことはみんながわからなくていいけれど、私は少なくともそこに理解を示そうとしてくれる人たちと付き合いたいのも本当の気持ちだった。
私のしていることは、表に見えることからはほとんど何をしているのかわからない。
表に見えているのは、社会的価値からしたら、全く価値のないもしくは「あの人何やってるんだ?」と言われてしまうようなことだったりする。
でもいざ蓋を開けると、色んなことがある。
例えば今だって、表向きには米の収穫所での派遣の仕事となるけれど、実際には全く別のことをしに行ってる。
私はそこで癒しや笑いを得たり、自然を相手に仕事をする人たちの本物の生き方、生きた哲学のようなものに触れている。
いつかブログに書けるように、私は今色んなエピソードを日々携帯のメモに一言箇条書きをしている。
多分、これまでの仕事の中で一番笑ってる回数が多いと思う。
本当にくだらないことばかりだけど、くだらないことでゲラゲラ笑えることがたくさんあって、1日の中で何回も笑っている。
そんな仕事に就いたことがないから、すごく新鮮に感じる。
そして笑うたびに私は本当に救われている。
また2回ほど私は、お節介おばさんをする機会に恵まれた。
お節介おばさんは2回ともとても感謝された。
そうしたお節介をやくことも新鮮で、そして自分をそんな風にして使えることが嬉しかった。
その合間合間に、ノムが声をかけてくれた書く仕事をしていたわけで、その書く仕事を通じて私はものすごくたくさんの癒しと自分を解放する機会を得た。
だから、派遣の仕事ですぐに終わってしまうものではあるけれど、内実はすごく色んなことが満載にあって、私はそれによって色んなことを得ている。
そうしたことも私は話さなかった。
書く仕事は少し言ったけれど、それももう説明の途中で私が嫌になって、多くは語らなかった。
仕事の規模としては超小さくても、そこに入れ込んだ情熱は過去最高値を叩き出すくらいのすごいものだった。
そしてそれをキッカケに、想像さえしていなかった癒しが山ほど起きた。
だけど、そうしたものは友達に伝えても伝わらないだろうなぁと私は得意の心閉ざしをして、あとは当たり障りのない話をすることだけに集中した。
新生児は本当に小さくてふにゃふにゃしていた。
大真面目に、これがこのサイズの赤ちゃんを抱っこする人生最後の時かもしれないと思った。
40になった時、妊娠はもう人生の中では起こらないかもしれないなぁと思った。
単純に体が無理なんじゃないかと思った。
我が子を手に抱く体験をしないかも…ということは、自分が思っていた以上にショックではないみたいだった。
ちなみに知識だけは山ほど集まってしまった私は、妊娠中の最大の楽しみとして、おなかの中の我が子と話すというのがあった。
生まれる前におなかの赤ちゃんと本当に普通に会話したお母さんの話を聞いたことがあった。
私はその時の感動が忘れられなかったし、現にその生まれた赤ちゃんは今その赤ちゃんが生まれてくる前に希望した名前が付けられている。
話を聞いた時にすでに10歳ぐらいになっていたその子は、おなかの中でお母さんに色々話しかけていた通りの人生が展開している。
すごく面白いなぁと思った。
そんなことも体験してみたかったけれど、多分もうそういう機会はないだろう…と思い始めている。
1つ前の記事(=『赤ちゃんに会う前の心の整理』」に、占星術講座のクラスメイトだったノムからもらったメールの一部を紹介した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ぶっしーの”オカルト”は特殊部分としても(個性というか)、
それは、ノート何十冊に及ぶ、日々の記録、日々の自分の記録みたいな年月がなければ、
その特殊部分は意味がないというか、発揮されることはなかったんじゃないかな、とか思ったりしてね。
いや、言いたいのはそうじゃなかった。オカルト的部分を抜きにしても、
コツコツ、執念レベルで自分と向き合いまくる、言葉にしまくる、
自分の違和感をつきとめる、
そうしたところは、誰にでもやろうと思えばできる部分ではあって(誰でもできないんだけど)、
そこは、そういう意味では”特殊能力”ではないとも言えるけど、
でも、そこも、やっぱり、ぶっしーの超特殊能力、超特殊性質とぼくは思えていて。
そんな、超特殊な性質を備えた人が(自分でそうしよう、ってしているわけではないでしょう。設定だものね)
ただ、旦那や子どものために、それを使うってのは、割に合わないというか、変。って感じる。
だけど、ぶっしーはそれを10ハウス的(社会的な活躍)なために続けてきたわけではなく、
あくまでも、自分を知りたい、楽になりたいという動機だったり、
動機さえ不明な衝動めいたものだったりしたと思うのね。
それゆえ、その、ぼくからしたら特殊な性質も、本人は特殊ともそう思わないのだろうし、
ゆえに、そのことへそれほど価値を見出していないのかもしれないと思う。
だからして、ぶっしーは、その特殊なものを捨てられるというか、活用しようとも思わない、みたいな感じがして、
そんな人だからこそ、パートナーと平凡平穏な生活は、「no!」となってきたんじゃないかな。
だって、そんな生活を手に入れたら、ぶっしーのその能力、性質を使おうとしないから。
でも、逆にいうと、
ぶっしーが、それを使おうというか、使うってことじゃないのかもだけど、
蓋をしないというか、あ、オープンにしていくことで(自分の中で)、
あ、拒まないというかね、
そういう自分の部分にネガティブなレッテルを貼らないというか(運命的に強いられた、みたいな)、
とにかく、受け入れていったら、
その性質、能力をもつ自分を生きるって覚悟をしたら、
べつに、旦那さんがいたり子どもがいたりする現実だって、OKってなるんじゃないかな、と思った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
引用の一部だけど、私はこの言葉があったから、友達に会いに行けたと思っている。
友達に、私が子どもを産むことだって可能性としてゼロではないでしょ!?と言われた場面があった。
それは、友達の生まれたばかりの我が子を抱っこさせてもらいながら、それがもしかしたら生涯で最後の新生児を抱っこする機会かもしれない…、と友達に言った時に返ってきた言葉だった。
私はそれに対して、そうなったらいいなと思っているのは本当でも、そもそもの自分の人生を何とか生きることが私の場合はおそらく先決で、自分のオカルト的なものを出して生きること、それを使うと決めて初めてパートナーとか子どもとかいう選択肢が生まれるんじゃないかとある人に言われて、言われてみて自分もそうだなぁとそれは腑に落ちた、みたいな話をした。
その話も長くはせずにその程度で収めたけれど、半分強がりみたいな話でも、その話を自分の中に持っているのと持っていないのとでは全く違った。
強がりでもいいから、それが事実でなくてもいいから、小さくても私が心の指針としてそれを持てることが私には大事だった。
私の気持ちの中はまだまだたくさん揺れ動いているし、割り切れないこともたくさんあるし、9月はそろそろ終わるけれど、それはすなわち米の仕事が終わるけれど、来月以降どうするのかもまたさっぱりわからない。
本当に自分の中の不安や怖いと思っていることを吐き出したら1日中でも喋り続けられるぐらいに、たくさんの不安と怖さが常に静かに渦巻いてる。
そんな中で、結婚・妊娠・子育てのすべてを手に入れた友達を前に、なんなら友達は仕事もしっかりキャリアを積んでいるから、今の私とはまるっと正反対の生き方をしているわけで、友達の努力や友達もたくさんたくさん悩んでの今に辿り着いていることはわかっていても、自分の中の不安や怖さが減るわけじゃない。
むしろ、もっと心許なさや自分への不信感を抱きまくるような状況にあったわけで、私とて全く平気!なんてことはなかった。
その平気ではない状況の中で、ノムの言葉は私の中で灯台のような、荒れ狂う波の大海に自分がいるとするなら、遠くの方でほのかに光る建物、そういう役割を担ってくれるものだった。
書こうとした当日の時に書き切らず、数日経った今書いていることで、本当に何が書きたかったのかを忘れた。
ノムの話は最初の1行しか書いてなくて、その後今日(9/18)書いている。
その日から昨日までが5日間あったわけだけど、盆と正月とゴールデンウィークが一気に来たぐらいに色んなことがありまくりだった。
だから、その時の気持ちを取り出して書こうと思っても、今はこれが限界だった。
私はこの後『ソウル・ミーティング』と題してこの5日間にあった中でもピカイチで大きなことを書いてアップする予定にしている。
実際に書き始めていて、そちらはそちらでまた超大作になりそうなぐらい、色んなことがたくさんあった。
友達親子に会った時間は胸が痛んだ場面もあってそれはまたそれで自分の中でも消化していくことになるけれど、それとは対照的に、『ソウル・ミーティング』と題して書くことは自分の心や自分の存在が癒されまくりな場面だった。
1つ前の記事に、これからノムたちカップルの友達夫婦に会ってくるみたいなことを書いたけれど、それがまさにその癒しに繋がるものだった。
そして、今回はおば夫婦といとこの小学校4年生の子どもとも会ってくる展開になって、そちらもまた素敵な時間だった。
その後に、25年の付き合いの別の友達と会って新旧織り混ざったものを色々通過して、自分の今ある状況を再認識してきた。
(友達親子にみんなで出産祝いを渡して、私は1人みんなと一緒に行けなかったから、お金を立て替えてもらって、それを渡しがてらごはんを一緒に食べてきた。)
そうした非日常を経て、今度は今の日常の米仕事に行ってきたわけだけど、またそこでも新たな癒しを体験してきた。
ちなみに米仕事は毎回何かしら面白いことがあったり珍事件があったりして、ネタを欠くことがないし、そして私は毎度毎度何かしら心の癒しを得て帰って来ている。
そんな風で、私は心が痛んだ部分の記憶がかなり曖昧になって、それで今書けるものが上に書いたものが精一杯となった。
まとまらないけれど、このままアップしようと思う。
この下に、友達親子に会った翌日の米仕事での超可笑しかったことを書いている。
セクハラ話で人によっては超気持ち悪く感じる人もいるかもしれないから、そこは自己責任でお願いします、と一言言い添えておこう。
こんな真面目な話の最後に、こんなふざけた終わり方もないけれど( ̄∀ ̄;)、史上最強のセクハラに今日(9/14)遭遇したからここに書こうかと。
(いつか書くと思って書かないのはあまりにもったいないぐらいに可笑しかったから、今日ここで書いてしまうことに!)
どこかにも書いたけれど、私は米の収穫所で農家さんが軽トラに稲刈りした米穀を積んできたものを受付する。
時間が許せば一言二言言葉を交わす。
大体農家のおじさんやじいちゃんたちは、たとえ私が絶世の美女から程遠い容姿でも「女」というだけでOKのようで、本当に良くしてくれる。
今日も今日で「暑いっけん、熱中症気をつけての〜」と言ってくれたおじさんかおじいちゃんがいた。
「怒ってくる農家さんとかいない?」と室内でひたすら機械の管理係のノリの良い30代男性が昼休みに聞いてきた。
基本的に良い人たちしかいないし、その中でも熱中症の話をしたら、「それすげーねー!そんなこと言ってくれるなんて、レアケースだよ!」と言われた。
とにかく態度悪い人には当たっていない。
仮にいても、フォークリフトのおじさんたちや男性職員の人たちがみんな近くにいるから守ってくれるだろうし、実際にフォークリフトのおじさんは陰の番長状態で、多分誰もその人に何か言われたら言い返せない 笑。
それはそうと、今日の一番ビックリした農家さんとのやりとり。
「●▲☆?%$大きいね〜、いくつ?」
方言でよく聞き取れず、私は勝手に身長と思って「166か167です」と答えた。
こちらは伝票の確認で忙しいから目は伝票に手を動かしながら、耳だけで聞いていた。
「いや、胸のサイズだよ!」
Σ(꒪◊꒪; ))))!Σ(꒪◊꒪; )))))!Σ(꒪◊꒪; ))))))!
この場合、何て答えるのが正解なのかわからず、私はとっさに「計ったことないからわからんですて〜」と華麗に答えた!
だってカップ数とかサイズとか言うの、どう考えてもおかしいわけで、っていうか何だこの質問!と私は大爆笑したいぐらいにその状況は面白すぎた。
っていうか、どうやって胸の確認なんかしてた!?
私は立って待機してたのではなく、他のレーンで受付していて、そこから数メートル離れたところから他の軽トラなんかの合間を縫って、そのおじさんの運転席の真横に来た。
おじさんと私がやりとりした時間はどんなにかかっていたとしても2分。
上の会話は最初の1分以内で為されてる。
しかも、私はエプロンをしているし、エプロンというのは体型の全てをすっぽりと隠してくれる最強アイテムで、おなかも隠れるけれど胸も隠れる。(ちなみに隠さなければいけないほどの胸なんかない)
という状態で、どうやって確認したのかわからない。
っていうか、そもそも初対面の人に「胸の大きさいくつ?」などと聞く文化は日本のみならずどこの国にもないと思われる。
下ネタLOVEなおじさんがいるから、毎回出勤のたびに何かしら下ネタ話が炸裂しているけれど、こんなどストレートな質問をいきなり初対面で受けたのは人生で初めてだったし、残りの人生でもそんな機会はないと思う。
(余談だけど、下ネタLOVEなおじさんは、実は超すごい人物だった!ある分野において日本一と評されたものを持っているおじさんだと判明。その話はいつか書きたいなぁと思っている。)
これはさておき、毎日面白いネタ満載だから、日々笑うことに忙しい。
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