2019年6月9日日曜日
特別な日付印〜時を刻む〜
本当は今日どうしてもアップしたい文章があった。
今も途中まで書いたけれど、書き終わりそうにもない。
今日中に終わらせることよりも、丁寧に言葉を紡ぐことをしたいと思って、とりあえず今日のアップは見送ることにした。
今日という日にこだわるよりも、中身にこだわりたい。
そういう判断ができるようになった自分に、また1つ良い感じになったなぁと思う。
この数日間、過去と今とを何回も行き来した。
その中で湧いて出てきたものを中心に綴っている。
今はまだ書けるんだと知って、書けるうちに書いている。
いつかは気持ち的に書けなくなる…、そういう感覚がどうしてもあるから、だから書ける時に書いておきたい。
私の元にやってきて3年目を迎えた。
他の人から手渡されたことで私の人生の中に入り込んで来てくれたもの。
たとえそれが普通にどこにでもある光景でも、特殊なものではなく誰でも目にしたことがあるものでも、私の人生にやってきてくれたというだけで私には特別なものになる。
さっき実物を手に取って眺めた。
これ本当に手渡されたものだよね!?と、不思議な気持ちで眺めた。
相手から私の元へと旅立ってきた唯一のもの。
ある時私はそこに日付印を押したくなった。
日付は365種類ある。
初志貫徹ということで、はじまりの刻(とき)を選んだ。
グーグル先生いわく、「刻む」というのは「切り込んで跡を付ける」ことを指すらしい。
その日、跡が付いた。
一生忘れることのない跡が刻まれた。
渡した人もまさか私がこんな風に持ち続けているなんて全く思わずに手渡してくれたと思うけれど、いつからかこのスタイルが定着した。
その刻に合わせて日付印を押した。
観光スポットや駅なんかによく置いてあるスタンプと同じ感覚で、記念に押したくなって押した日付印だった。
その時もすでに見通しがついていて、いつかの未来に、同じように日付印を押したくてももうそのものさえ私の前から消える…。
それをかなりはっきりとした感覚で思って、それで「(ものがある)今のうちに…」と1人でいた時にささっと押した。
ちなみに終わりの刻の選択肢もあったけれど、それは候補から外した。
その日付を見て「終わりの刻」という感覚が私の中に生まれるかと言ったら、それはなかった。
しかも当時の私はその日が終わりだと信じられなかった。
そんな日をわざわざ選んで押す必要もないと判断して候補から外した。
今、はじまりの刻だけの日付にして本当に良かったと思っている。
最後の日もそらでスラスラ言えるぐらい日付を覚えているけれど、やっぱりしっくりこないまま今に至るから、それを思うとそちらの日付印は押さなくて良かった。
私のささやかな夢は、いつかそのものを手渡してくれた人に私の手元にある実物を見せること。
もう少し書きたい気もするけれど、強烈な睡魔には勝てないからこれでアップして、そして書ききれなかった…と思ったことは、その今書き途中の文章の中に含んでしまいたいと思っている。
何の変哲もなかったある日のある瞬間が、全く別の意味を持って私の人生に流れ込んできた。
私は今でもその瞬間に、その起こった奇跡に、感謝している。
そして引き合わせてもらえたことの幸運を思う。
その出来事は、いつでもどこでも「愛」と「感謝(ありがとう)」に溢れている。
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