2019年6月7日金曜日

裏で支える人たち



去年から度々させてもらっている単発の仕事。

単発なのは何も私だけじゃなくて、相手方企業にとっても単発でイレギュラーな仕事だったりする。

前回もだし今回もだけど、働き盛りの世代の男性たちが担当する仕事のお手伝いで、その方たちの仕事の姿勢にとても感動する。

今回の担当者はぱっと見、子どもたちが一番お金がかかる大学進学中なんじゃないかと思う。

私の今回の仕事の異例な高給時給を思うと、その方の給料は確実に高いだろうことはわかる。

お金の出所は企業なわけで、その金額を出せるだけの資本があるということ。

なんだけど、そのおじさんは、根っからの節約家なのか、はたまた奥さんかお母さんからの教育なのか筋金入りの倹約家で、それは至るところや会話の中でわかった。

初日お昼をどうするか聞かれたから、私は元々外出不可だから必ず用意して持参するように指示が出ていたから持ってきたと言うと、「今日はわからなくて合わせられるように何も持ってこなかったけれど、明日からはまた弁当持ってきますね」と言われた。

毎日外食や買って食べることを続けては財布がもたないと言っていたから、あぁ小遣い制なんだろうなぁと感じながら聞いていた。

何でこんな話をしたかと言うと、このおじさんの心遣いが本当に素晴らしいから。

初日は移動する関係でおじさんの車に乗った。

その時に「これ適当に飲んで下さい」と言って、小さなクーラーボックスを渡された。

それが私も一応家事をするからわかるけれど、主婦目線じゃないと気付かない、すごい細かな配慮をされてるのがわかった。

「主婦目線」なんて書くと、セクハラとか男女差別などと言われそうだけど、わかりやすく今はそう書いてる。

男の人でも家事をガンガンこなす人はたくさんいるけれど、ここではわかりやすくするためにあえて「主婦目線」としている。

まず渡されたクーラーボックスというのが、長いこと使っているのがわかるし、中はプラスチックの容器製の保冷剤が入っていて、それだけで、そういうものをささっと用意できるのが凄いと思った。

中に入っていた飲み物、お茶とコーラが24缶入りの箱買いで買ってるものだとパッケージ見てわかった。

家を建て直した時に大工さんの休憩用茶菓子として、時々頼まれて私も仕事帰りに大型スーパーに寄ってそうした飲み物を箱買いしていたからわかる。

初日の終わりに、もしかして飲み物を自分で用意されてましたか?と聞かれたから、持ってきてましたと言うと、次の日もそうしてくださいと言われてまたきちんと持って行くと、2日目の午後の休憩の時もおじさんはまた1本ソーダの炭酸飲料をくれた。

また同じように用意してくれたんだなぁとわかった。

ちなみに最終日3日目もキンキンに冷えたソーダを用意してくれた。

冒頭の写真はそのソーダ。

水滴の感じでキンキンに冷えていることが伝わるかと思う。

絶対に会社持ちではなく、個人で用意してくれたんだなとわかった。

会社は資本のでかい企業だから、多分そういう気遣いはおそらくだけど教えない。

大企業がダメだとか言うつもりは全くないけれど、大手企業にいくつか派遣に行ってわかったのは、そうした気遣いは習わない。

長年勤務の人ほど、本気で気が利かない人はけっこうな割合でいる。

下手すると、色々もらい慣れているから、もらったものにケチをつけたり評価したりする人たちまでいる(←私的に超下品だと感じる)。

毒を吐くと、もらうことは一丁前でも自分たちが与えるという行為をほとんどしたことがないから、そういう気を利かせる的な機転はまず期待できない。

ましてや今回は派遣を雇っている時点で企業はお金を払っているわけで、普通ならそこで終わり。

私も気遣いを期待もしてなければ、そもそも私だってお金を目的として労働力を提供するわけだからそこでトントンになる。

だけど、今回のおじさんはきめ細やかに対応している。

店舗の人たちとも仲良しみたいで、本当に良好なコミュニケーションを取っている。

時々私だけに聞こえるように毒を吐いていたけれど、それだって本当にかわいい毒だった。

とにかくめちゃくちゃ優しくて、家だと奥さんに尻敷かれて居場所なさそうと思ったり、会社なら会社で優しいから自分で積極的にガンガンリーダーシップを発揮して統率なんてタイプとは真逆だと思う。

長いものに巻かれて、そうでない時はのらりくらりとやる、そんな感じを印象としては持った。

だけど、そのおじさんは本当に根からの人の良さが滲み出ていた。

作業してる時もそれは感じた。

この間も書いたけれど、75型という畳1畳ほどの大きさのテレビを筆頭に大型テレビを陳列棚に並べる。

毎回けっこうな重さがあって、物によっては本当に重たい。

おじさんは、そうしたものを上に持ち上げたり、どこかに移動させる度に「ありがとうございました」と言う人で、私の方が恐縮しそうなぐらいだった。

そして、作業工程の中には、私が最も苦手とする見て真似して同じことをするという、もしくは特定のやり方があってその通りにしないと完成しないタイプのものがあって、私が一番できないことがそのまま露呈してしまうだけにとどまらず、足手まとい+私のミスによる余分な仕事を増やすという、最悪な状況も何個か生み出したΣ(꒪◊꒪; )))) 。

例えば、テレビを入れる箱を固定するためにプラスチック製のストッパーのようなものがある。

こいつが本当に曲者で、何とか取り外すことはできるようになったけれど、それを元通りはめることは何をどう説明されてもできずにいた。
(最終日5個それをはめられた時、超感動した!!!ちなみにおじさんは、本来なら1分で終わるような作業を私が5個もぞもぞと要領悪そうにしている隣りで、大型テレビの陳列を1つ完成させてた←もちろんこちらの方が超大変)

おじさんはあまりの私のできなさを責めることなく、「こういうの覚えたところで、テレビを箱にしまうとか取り外すとかなければ絶対に使うことないから、覚えなくて大丈夫だよ!」と言ってくれる。

どれだけ優しいんですか(涙)と思いながら、おじさんにすべてお願いすることにした。

あと初日、テレビの上の装飾物の組立をお願いされた。

すごい簡単な手順+説明書も多分普通の人は読み解けるレベルだと思うけれど、組立全般苦手、説明書の読解もっと苦手の私は、その手順書を前に多分15分20分は手が止まったままブツブツと小声で何度も読んでいたと思う。

説明書はA3サイズ1枚、わかりやすいイラスト付き( ̄∀ ̄;)。

そもそも付属品を見つけられなくて、私はまず「物がない!これ不良品じゃない!?」と疑った( ̄∀ ̄;)。

どこをどう見てもなくて、とうとう遠くから気付いただろうおじさんがやってきて「大丈夫ですか?」と聞かれた。

私は「物が見当たらないんですけど…」と言った。

おじさんが探してくれて、ダンボールの仕切りの下から出てきたΣ(꒪◊꒪; )))) 。

すみませんと謝りながらも、おじさんは私のモタモタ具合(と言うよりも作業が1つも進んでいないこと)を咎めることなく、本当に気にかけてきたという感じだった。

元々単発で手伝うわけだから期待値が高くないのもあると思うけれども、これは本当に人柄が出ると私は思う。

この手の作業をものすごく苦手とする私は、子どもの頃から「まだ?」的な相手のイラつきをマックス感じ取る場面はたくさんあった。

これは大人になってからも、苦手作業の時は毎回そう。

今だからわかるけれど、私のできない具合は本当にできない。

年明けに発達障害の子どもを2人持つお母さんのブログを読んだ時、そのうちの1人の症状と私の状態がそっくり、というかそれ私だよね!?と思った。

今なら私もれなく運動機能系の発達障害認定されるんだと思った( ̄∀ ̄)。

そういうレベルだから、普通のことが普通にできないなんて日常茶飯事で、自分のことだけなら適当に何とかするからいいけれど、これが人も関わると、普通にできる人からして私のできない感覚なんて想像できないから、かなりな確率で相手はイライラする。

しかも口は達者というか、対人的なやりとりはスムーズだから、余計とその体を使うことでのできないところが相手には「できる人」目線で見ちゃうから、「何でやれないんだよ!」ってことになってると思う。

なんだけど、そのおじさんは私を責めることなく、本当に確認するだけ、困ったことがあればさっと助け舟を出す、できないことは強要しない…という、どこまでも有難いやり方を採ってくれて、とてもやりやすかった。

そうやってやりやすい方法を毎回さりげなく選んでくれて、そして私のモタモタ具合も適当に見ててくれるし、本当に私は助かった。

こんな風に仕事をして、本当に日本の発展と滞りない日常を支える個人個人の人たちの働きの偉大さを感じる。

例の装飾物の組立をしながら、これをどこかの誰かがデザインしてるんだよね…ということも頭をよぎった。

友達がいつか本格的なカメラを買おうとした時に教えてくれた。

「シオちゃんに各社の製品の良さと問題点を聞くと、電気屋の店員さんたちよりすごい詳しいんだよね」

シオくんは一時期仕事で、某電気メーカーのデザイン部門を担当していて、カメラのカタログを作る係だったらしい。

それで注文を受けたメーカーのものばかりじゃなく、他社メーカーの商品も実際にあれこれ見て、それを比較させてカタログを作ったようだった。

どのメーカー推しでもない立場ゆえ、シオくんは本当に超細かい分析による解説とその分析から見えた強みと弱みの両方をベラベラと喋っていた、と友達は言ってた。

今回の私のはまた違うけれど、日本国内のどこかでシオくんみたいな人がいて、その人が性能の謳い文句を考えながらその販促目的の装飾品を作ったんだろうなぁと思った。

話がぶっ飛ぶけれど、そのシオくんと冬のある日に電話で話した時、私のオカルト体質的なことに関して言ってくれた言葉も思い出した。


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見えない世界やスピリチュアルなこととか抵抗がありそうなシオくんに、私のしていることを、世間一般では怪しいとされることに関わることをどう思っているかを聞いてみた。

「世の中には色んなことがありますよね。そして武士俣さんがすることを必要とする人たちも必ずいますよね。だから、そういうお仕事も大切だと思うし、あって当然だと思います」

この言葉にどれだけ元気をもらえたか計り知れない。

否定どころか肯定、そして肯定以上に「当然」だと言う。

やっぱりこの人すごい!と思った。

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今回もだし前回もだけど、中間管理職的な立場の方たちと仕事をしてみて、本当の本当に自分たちの生活そのものがこういう人たちによって成り立つんだというのがよくわかる。

今回はテレビだから若干嗜好品寄りではあるけれど、例えば目の前にあるテレビが個人宅に届くまでどれだけたくさんの人たちの労力が裏側にあるのかということを見ると、言葉が出なくなる。

しかも小さなことにまで本当にサービスが行き届いていて感動を覚える。

そういう人たち抜きで世の中は成り立たないぐらいに、私も他の人たちも色んなサービスや商品をありがたく使わせてもらっている。

自分のこれからの在り方を考える時、シオんの言葉を思い出す。

私はおじさんみたいに、パッと店内のディスプレイを見て、どこにどんな風にテレビを配置するのかデザインも企画もできない。

だけどおじさんは本気でプロで、見ただけでテレビの置き方や棚の配置をさっと決める。

そしてそのようになるように陳列棚も含めたレイアウトと色んな配置替えと細々とした配慮を執り行う。

競合他社のテレビも隣りに並んでいる。

それらの邪魔にならない、でも自社のものはきちんとアピールするという微妙なラインを完璧に作る。

小さな作業1つ1つは、それがいつかの誰かの購買意欲のスイッチを押すことになるし、そしてそれを買って自分のものにする誰かの文化的生活に繋がる。

裏のさらに裏方みたいな仕事をいくつかして、そうした労働力によって自分の生活が支えられていることを身をもって知った。

ここからがまたすごく話が飛ぶけれど、そしてさっきのシオくんの話とも繋がっていくけれど。

私がこれから形にしていく仕事は、基本的に普通の一般の方たち対象になる。

それが占星術が絡むのかペンジュラムが絡むのか相手の潜在意識や魂から情報をキャッチする自分の体質が絡むのか、それはケースバイケースだし、どんな風になっていくかは予想がつかない。

ただ、自分のところに流れ込んでくるお金の大元は、そうした誰かの労働力の提供によるものである場合が圧倒的に多いだろうと思う。

正直今もまだ私は自分のすることをどう宣伝して、どう人と繋がって、サービスあたりの単価もいまいちわかっていない。

決められていないとも言えるかもしれない。

ただいずれにしても、誰かがこの世に1つ何か貢献したことで得たものを私に使おうと思ってもらうとするなら、それに恥じないことをしよう、それだけは心して忘れずにいたいと思っている。

もちろん、頭で考えてるだけじゃどうにもならないこともわかってはいるけれど、そうした社会の循環を見せてもらえたことで、私の中で色々変わってきた。

これも私の変なこだわりではあるけれど、心理的なセラピーやカウンセリング、スピリチュアルな仕事、占星術のセッション、色んな目には見えないサービスがある中、私から見てサービスの内容と値段が見合っている人というのはすごく少ない。

どちらかと言えば、私からすると「取り過ぎ」なイメージが強い。

1人1人のお金の感覚は違うし、システムを作ってお金を莫大に生み出す人たちがいることももちろん知っている。

だけど、何て言うんだろう…。

価値と価格が見合ってないのは嫌だし、そして目に見えないものだからこそ本気で覚悟がいる。

相手の人生に一瞬でも関わるという覚悟が要る。

その辺を踏み外した時は、私はもうその世界に関わってはいけないと思っている。

上手くは言えないけれど、私は今回の様々な仕事を通して、本当に自力だけでは普通に生きていけないことがわかった。

自分の口に入るもの1つ、自分で作れない中で、それを育ててくれる誰かがいて、お店に運んでくれる誰かがいて、お店の中に陳列してくれる誰かがいて、レジを有人でも無人でも済ますことができるようになって初めて自分の家に持ち帰ることになる。

地方のセルフレジには、まだ必ず誰かしら店員さんが待機してくれてる。

不具合があれば飛んで来てくれる。

今となればそういうことだったのかな…と思うけれど、実はこの1年ぐらいの中で「働く」機会は何度となくあった。

だけど、結局縁あって行けたところは、ペンジュラムがYES出したところだけだったし、NOのところは結局行かずに終わった。

・特定の家への資料配布
・試験監督
・年賀状アルバイト
・某量販店のバックヤードで品出し
・プレート貼り付け
・家電量販店内のテレビの入れ替え

そうだ。

この仕事たちの特徴は、試験監督以外は、見えるものを取り扱うにも関わらず、普段消費者・利用者からは見えない裏方側の仕事だったこと。

見えない部分だけれど、手抜きとかは絶対に許されなかった。

見えてなくてもきちんとやることが当たり前で、ものによってはそこにさらにプラスアルファの補完的仕事まであった。

でも、その裏方をしてくれる人たちがいないと、当たり前だけど、世の中の9割以上の人たちの生活が成り立たない。

これは仮に大金持ちであっても、その人たちの生活の裏を支えてくれる誰かが必ずいて、それはお金さえ払っておけばいいというレベルの話じゃない。

見えない部分だからこそ、逆にきちんとした仕事を求められてる、そんな風だった。

スピリチュアル系の仕事をしてる人たちの中には法外な金額設定の人も、実力不足にも関わらず金額だけがバカ高の人たちもいる。

そういう諸々を見て、私はやっぱり何をするにしても、自分が恥ずかしくないように、誰かの裏側のキッチリとした仕事の姿勢に倣うように仕事をしたいんだとわかった。

まだまだ色々足らないし、形にきちんとなるのがいつかもわからないし、言い出したら色々キリがないけれど、そういうプロセスを大切にしたいことがわかった。

シオくんがいつか言ってくれた
「世の中には色んなことがありますよね。そして武士俣さんがすることを必要とする人たちも必ずいますよね。だから、そういうお仕事も大切だと思うし、あって当然だと思います」
この部分。

私と縁あって知り合って何か個人的なことで依頼をしてくれる人たちが、自分の大切なお金を私のする何かに使って良かったなと思ってもらえるような仕事をしたいと思った。




おじさんとの最後の瞬間は、本当に素敵だった。

色々感じたことがあったけれど、それ書くとこれと同じぐらいの容量の文章になりそうだから、それはまた今度にしよう。

最後はバックヤードの方にいた時間が長かったから、そこにいて気付いたこと。

倉庫的な立ち位置ゆえ人はまばらだし、今日最後の店舗はほぼ無人だった。

なんだけれども、その整理整頓具合が素晴らしくて、本当に芸術的なぐらいにきれいだった。

1日目と2日目の前半は同じ店舗だったけれども、2日目にゴミ捨てに行ったら、段ボール・燃えるゴミ・発泡スチロール…

(多分私、今の今まで「発泡『シ』チロール」って言い続け、ずっと『シ』だと思い込んでたΣ(꒪◊꒪; )))) 。「しちろーる」って打ったら変換しなくておかしい!と思って、「発泡」だけ入れてその後の候補見たら「スチロール」…。
えっΣ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) …。
自分で今口動かしながら言ってみるけれど、「スチロール」って違和感だから、多分これまで「しちろーる」と言い続けてたかと( ̄∀ ̄;)。)

気を取り直して。

とにかくそうした分別されたゴミが2日目に行ったらきれいさっぱり回収されていた。

そういうものも、誰か回収業者がいて、その部分を確実に担ってくれている。

子どもの施設にいた頃、高校生の子どもたちがリサイクル会社にバイトに行っていた。

子どもたちの話いわく、回収されたものは一旦全て再分別に出されて、その作業が大変だし汚いと言っていた。

リサイクルするにも、相当仕分けと除菌と洗浄をしてからでないと、次の工程に行けないらしい。

見ていないところでみんながそれぞれきれいにしたり整えたりしているから、そうやって全部が回っている。

家電量販店のバックヤードもそうで、本当にきれいに整頓されていた。

そして、ゴミ類はまた回収業者の方で動いていることがわかった。

そうやって社会が回っている。

段ボールを見て思い出したけれど、私が最後に行った派遣先でも大量の段ボールが出るところで、なんと段ボールの回収日に段ボールをまとめたり整理したりを一番の長がやっていた。

そんなところに私は全く関係のない話をしに行って、その前後はその話のことで頭がいっぱい過ぎて全然気付かなかったけれども、一番偉い立場の人がそうした部分を担当していることに驚いた。

私はその時までそれがトップが担当してるなんて知らなかった。

しかも私などは初日に「出勤は始まるギリギリでいい」と教えられ、それだけすぐに脳にインプットしたから、私は常に始業時間1〜3分前に到着していた。

当時のトップの人は、重役出勤など一切せずに、というか朝は何時から出てきているのかさえも知らなかったけれど、とにかく段ボール回収日も早く来ていて業者が来るのに間に合うように整理整頓していた。

仕事の難易度で言えば、他の人でも十分対応できると思う。

だけどそうしたものを黙々と取り組む姿を見た時のことと、今回のおじさんや家電量販店の整えられたバックヤードを見てそれらが全て1つの線で重なった。

そういう在り方も今回のおじさんに通じているものがある。

当時の派遣の時の仕事も、私は内勤で全然現場仕事は知らなかったけれど、その企業が取り扱うサービスは現代において絶対に欠かせないものだった。

何かあった時に、人々の生命線に関わる事業で、それに不具合があるだけでニュースになるもの。

私も普段から普通に使っているけれども、そうした人たちの力がないと生活に超支障が出る。

段ボールだけ見たらそれと人々の生活がどう繋がっているのかなんてぱっと見わからないけれど、実際はその中に入っていた機材が人々の生活に超密着したものを裏で支えるものの1つになっている。

当然大量に出るから、それも整理整頓しないとだし、業者から引き取ってもらわないといけない。

まさかそこをトップの人が普段からしてるなんて知らなかったけれど、実際はそうやって仕事を回してた。

その姿と今回見たバックヤードやおじさんの姿には、同じような空気を感じる。

段ボールの整理やゴミの仕分けなんかは私でもできるからお願いされてやったけれども、こうしたことをいつもどこかの誰かがやってくれていて、そしてそこをキッチリとするから次の人にもスムーズに引き継がれる。

それぞれの人たちがそういう仕事も責任を持ってやっているからこそ、そういう流れがきれいに作られている。

裏方仕事は普段見えないけれど、本当はどんな物やサービスもそうやって成り立っている。

その姿に私はすごい感動を覚えた。

そして、それを見たからこそ、自分自身の在り方も再度考えるキッカケになったし、見えてない部分をきちんとやりきることの大切さも教わった。

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