今回の一連の気持ち&過ぎ去った時間たちの振り返りをしていた時に、自分の中で猛烈にヒットしたことがあった。
私はずっとずっとその人から「無視」されていると思っていた。
その人が「無視する」と決めて、実際にその通りになっている、そう思っていた。
色んな思考や感覚や想いや気持ちが縦横無尽に出ていた時に、突然「沈黙」という文字が浮かんだ。
「あ!」となった。
そう、「無視」というのはある意味正しい解釈だと思うけれど、なんか少しだけ違う。
マザーテレサだと思うけれど、一番孤独?寂しい?のは、嫌われることなんかじゃなくて無関心であること、みたいな名言があるけれど、本当にそう思う。
これは心理学の昔むかしの研究からもはっきりしている。
オイルショックあたりの時代だったような気がするけれど(私の記憶ゆえ怪しい)、ある時に親のいない乳児だけを世話する孤児院で、ミルクを与えたり毛布なんかで温度調整もしっかりしたりおしめだってきちんと替えてあげて、とにかくそういうことを一通りきちんとやっているのに赤ちゃんが次から次へと死んでいくことが絶えなかったそう。
そこで、赤ちゃんを抱っこするボディタッチを意図的に設けることにして、それで様子を見たら死亡率が大幅に改善された、という研究がある。
(昔は子どもは勝手に育つとか、子どもは小さな大人として労働力と見られたりと今とは子どもの定義や扱いが大きく違っていた。)
好きが1番だとするなら、「嫌い」も真逆の感情であっても少なくとも相手に向けて何かしらの感情は抱いていることになる。
でも「無関心」は文字通り関心が無いわけで、それが一番心に冷たく鋭く突き刺さる。
ものすごく暗い影を落とす。
赤ちゃんが生まれながらにして本能で人肌恋しいとか人肌を感じられないと死んじゃうように、それは大人になっても基本は本能的なところは変わらない、と私は思う。
大人になると「人肌恋しい」からと言ってむやみやたらとペタペタ触ったら、やれセクハラだの性的嫌がらせだのになってしまうから節度ある振舞いは大切になるけれど、それでも精神的に人から関心を向けられるのと向けられないのとでは心の精神衛生上大きな隔たりがあるように思う。
で、その人の場合、私を無視しているかと言えば、それはなんか違う。
ずっと沈黙している。
沈黙を守っているけれども、無視してるのとは違う。
無視するとか無関心であるなら、私のこのブログなんかそもそもチェックしないだろう。
一度本気であからさまに無視されたことがある。
仕事の要件を伝言しているのに、まるで私がそこにいないかのようにガン無視、伝え終わってもうんともすんとも言わない。
私が近付いていると知ったら、猛烈なスピードでキーボードをバンバン叩いて、絶対に私と目を合わせないようにして、本当に子どもがいじけたり拗ねたりして大人を無視するみたいな、それの大人の男バージョンみたいな感じだった。(その人はいじけたり拗ねたりしてるのとは違うけれども…)
でもそれさえも、本当に無視していたかというと、無関心ゆえの無視とは違ったように感じる。
言うなれば、私という個体がその人の領域に入ってくることをものすごくはっきりと感知して、無視してるけれども私が目の前にいるのはわかっている、嫌というほどにわかっている、そんな感じだった。
表面上は「無視」していたけれども、可も不可もない相手だったら普通にいつも通り「わかりました」と目を見ながら返事をして終わったと思う。
しかもその人は普段から顔に表情を出さず淡々と黙々と仕事をこなすタイプの人だから、そんな風に感情を激しく表に出すなんて私は私を目の前にした時にしか見たことがなかったから、そういう姿さえもとても稀なことだったんじゃないかと予想している。
何かにものすごく反応してそのような態度になっていたわけで、当時は本当に心底嫌がられて下手すると私という存在そのものが気持ち悪がられてると解釈したけれど、今はなんか違う風に感じる。
もし本当に嫌で気持ち悪くて近寄りたくないのなら、今もなんだかよくわからない形ではあるもののブログをチェックするなんて絶対にしない。
これは明白なことで、私は有名人でも有名ブロガーでもないから、何かのサイトを見ていたらたまたま私のこのブログがヒットするなんてことはない。
私の名前を検索しない限り、なんなら検索しても普通に出てこないこともけっこうあるみたいだから、そして当時はブログの更新を1年以上止めていたこのブログにたどり着くなんてかなりレアな確率をくぐり抜けないと達成し得ないことだったと思うけれど、その人はいつかのどこかのタイミングでそれをしてくれた。
そしていつからこの状態なのかは具体的に知らないけれど、ブログを再開して3年半、その人はずっと続けてチェックしてくれてる模様。
これって「無視」とは呼べない。
沈黙を続けている。
そう、「沈黙」。
そして私の知らないいつからかは西の地へとさらに転勤となって、生活も大きく変わったと思うけれども、そのことと私のこのブログは全く無関係だったようでこちらは何も変わらなかった。
何があろうともここだけはまるで聖地のごとく(「聖地」とは言い過ぎにも程がある( ̄∀ ̄;))何も変わらず、聖地巡礼みたくなっている。←表現がおかしいのは合点承知の助。読み返したら恥ずかしいものがあったけれど、それがスラスラと最初に出てきた言葉だからこのまま掲載。
さっきのマザーテレサの話や乳児の研究話からすると、「無関心」では絶対にない。
この手の話をする度に、今度こそ本気で嫌がられてブログを見るの止められてしまうかも…と思ってきたけれど、そういうことは連絡を取らなくていいという最大のアドバンテージのおかげなのか変わらずにいてくれるのはありがたい。
ヘンテコなコミュニケーションだけれど、ゼロでも無関心でもない。
れっきとした繋がり的なものがある。
「繋がり」も言葉として適切な感じはしないけれど、類語辞典を見ると「結びつき」とか「絆」とか「団結」とか「結束」とか「相互関係」とか「パートナー」とかよりはまだ許容範囲かと思って選んでいる。
とにかく、「無視」や「無関心」ではなく、そこから一歩も二歩も前進したような今の状態は私から見て「沈黙」だと感じる。
今回のその人の転勤を知らされた不意打ち事件は、私に「沈黙」という新しい定義を与えてくれた。
そして、「沈黙」と思うことで私の中で変化が訪れた。
多分嫌われてはいない。
好かれてるとも思ってないけれども、少なくとも「嫌われてる」選択肢に対して取り消し線が引けるかなというところにまで来た。
今普通にこんな風に書いてはいるけれども、その無視された時やその辺りの3週間くらいとかはたまた最後の日とか、心のご臨終並みに、心には本気で線香を上げなきゃいけないくらいの強烈極まりないダメージだった。
本当に嫌な人とか生理的に無理な人からご飯誘われたらそうなるでしょ!!!というタイプの、その中でもこれ以上ないくらいの打ちのめし方をする凄い態度を目の前で見せられて、いくら人よりかはメンタル鍛えられてると言えどもそんなのに普通に対応できる力なんかないわけで、いなくなったこともショックだったけれども、取られた態度に対しても私の中では特大のつかえものとして喉だけじゃなく全身に突き刺さってそれのショックをなんとかすることにもとっても忙しかった。
だからブログをチェックしてくれてると知っても、私の中の疑念はきれいに晴れたわけじゃなくて、なんかキモいけど気になるからチェックするんだろうか?なんてことも数え切れないくらいに考えた。
しかもきちんとブログの管理画面なるものの存在を知ってそこでチェックできるとわかっても、偶然である可能性も高いし、Googleが誤作動しているかもしれないというのも考えた。
ちなみに実際に私のブログ管理のページは若干壊れてて、ブログ開設当初からの総計の中での読まれてる記事ベスト20は、完全に何かが狂っていて、何年も前から情報が更新されず正しいものがカウントされないままになっている。
そんなこんなで、ブログが読まれてるのもなんか別の意図や理由があるんじゃないかと、かなり疑っていた。
さらにもっと言うと、私がその人がブログを読んでるかもしれない…と思った最初の数ヶ月は、まだブログの集計機能も知らなくて、代わりにアップしてしばらくすると身体側に何かしら痛みやら違和感が出て、それで自分は元気なのにそんなことになるからおかしいと思って、それを確かめるべく今度はペンジュラムにその人が読んでる読んでないを聞いて、身体の諸々の違和感や痛み=その人の行動や心情と連動してる!?(←頭の狂った話みたいに見えると思うけれども、私も疑いまくって超調べまくったら、実際に起こる現象として体験した人たちの体験談を読み漁った)、それで色んなことを総合的に見ると「どうやら読んでるらしい」という結論に至っていた。
だけどその頃の私は、自分の感覚なんか全然と言ってもいいくらいに信じられなかったし、ペンジュラムも時々ホワイトライじゃないけれど必要に応じて白い嘘的なものを私にたれこむし(←毎回ペンジュラムに失礼)、感覚が先だったからその感覚の意味や原因を特定すべく色んなスピリチュアル系のサイトを調べまくってはいたけれども、なんかどれも胡散臭いと感じたり、そんな風だったから、なんだろう…、読まれていたら嬉しいけれどもそれさえも違うかもしれないというのは常々思っていた。
だけど時間が経つにつれ、そしてブログの読まれた記事集計機能のページの存在を知ったことで、徐々に「もしかして」の予想から「そうだ」の確信に変わっていった。
時間はめちゃくちゃかかった。
それこそ、砂時計が落ちるよりもさらに遅いペースで確信0.1%を積み重ねることの何百、何千となって、日数にするとゆうに1000日は超えてるわけで、それくらいの時間をかけて「嫌々読まれてるのとは違う」ことにようやく納得できて、その人も何かしらの意志を持って読んでくれてるだろうことを私もきちんと受け止められるようになってきた。
あの断固拒否みたいな態度も本人にしてみたら何かしら言い訳したいような理由があったんだろうし、諸々よくわからないけれども、その「よくわからない」感覚こそ説明する言葉としては近いのかもしれない。
私がとてつもなく混乱したように、その人も混乱極まりなかったのかもしれない。
おそらく私なんかよりも感情とか気持ちとかいうものに対して苦手意識が強いだろうから、本当にどうしていいのかわけがわからなくて、あんな風だったのかもしれないなとも思う。
私は大真面目に自分の心や過去を見る専門的な訓練をして、心理のことやスピリチュアルなことも色々勉強して、10年弱の馴染んだ下地があってのその人登場だったけれども、そういうのがないままいきなり感情が乱れに乱れまくるなんて、世も末ぐらいの強烈な状況だったんじゃないのかな…と思う。
それも、ドストライクな自分好みの異性が現れて…ならまだわかるけれど、登場してきたのはよりにもよって私で、せめて容姿端麗までいかなくてもその人の好みに近い女の人だったら救いもあったかもしれないけれど、そういうのでもなければ、素性も知らない、妙齢の派遣社員、おしゃべりもしなければどんな人間性の人かもわからない、そんな人からいきなりごはんに誘われてもね…、そりゃ困るよねと思う。
だから、これは超勝手な予想だけど、その人も「魂繋がり」と言われてホッとしたところもあるんじゃないかと思う。
自分を卑下するつもりはないけれども、その人に相応しい女の人は絶対に他にいておかしくないし、っていうかそんな素敵な役割、私じゃないでしょ?と今でも思う。
でも近付いてくるだけで、感情があらわになって何だこれ?となるのは、過去世と呼ばれる今とは別の人生からの繋がりでまた出会ってるとか、魂繋がりゆえに超強烈に自分が反応してしまうとか言われた方が気持ち的に納得したり楽になれたりするんじゃないかと勝手に思っている。
*
2021/05/05
真夜中の3時台
すぐ上に書いたことは途中みたいな感じもするけれど、まぁいいかと思ってちょっと仕切り直しをすることにした。
とうとう連休最終日。
上の「沈黙」に対して、沈黙か否かの判断の前にそもそもブログが存在していて、このブログこそがまさかの自分を助けてくれる超大事なマストアイテムになるだなんて、当時は全く想像していなかった。
今回改めてブログを再開することにした3年半前の秋の自分のことを思い出した。
説明や弁解の余地もないほど、その人と私とは一切話すこともなく、とうとうその人は新潟勤務最終日を迎えて、最後の挨拶も私が探し出して階段の途中でばったり鉢合わせしてそれでようやく最低限の言葉を交わす程度で全ては終わった。
その人は避けられるものなら本気で私を避けたかったんじゃないかと思う。
毎日定時上がりだった私の帰る時間は同じで、本当にピンポイントでそこを外されたようにその人は事務所の中にいなくて、もし私が最後だから挨拶しなきゃくらいに思わなければ、本当に何一つ挨拶なんかせずにお互いに顔も合わせずに終わったと思う。
(挨拶しなきゃ!とは思わなかったんだった。正しくは最後だから「挨拶したかった」。もうこれが最後になるかもしれないなら、きちんと最後に顔を合わせて挨拶しようと思った。)
今振り返ると、絶妙なタイミングだったと思う。
もう少し早かったのなら、人がわちゃわちゃいる中で挨拶をして、そちらの方がもしかしたら穏やかな最後だっただろうけれど、私はその人が最大級に冷たくても拒絶級のすごい態度を目の前にしても、その人がその人のままの素の状態を見ることができたから良かった。
そして何となくの予想だけれど、誰かがいたのなら逆に私の方なんて全く見なかったかもしれないなと思う。
本当に一瞬だけ私のことを見たけれども、あれが何だったのかなんて今も何もわからないけれども、あの瞬間は周りに人がいたらなかったかもしれないなと感じる。
挨拶さえも嫌そうだった相手を前に色んなことの説明なんかできるわけもなくて、もう私はそれで仕方ないとその時は思った。
今回振り返ってみて思ったけれども、「ブログ」を書こうとなった時というのは、あれはもう色んなものが介入して有無を言わせず私がブログを書くように見えない部分では全力でお膳立てされていたと思う。
私もいきなり「ブログを書きたい❣️」なんていう感じで再開したのじゃなく、「えっ!?ブログ!?ブログ書くの!?えっ!?Σ(꒪◊꒪ )))) ?嘘でしょ⁇」みたいな、晴天霹靂状態でのスタートだった。
元々書くのには慣れているから、書くことそのものに抵抗はなかったけれども、書く内容とそしてどう考えても相手が読むなんて万が一にもないような可能性に賭けて書くなんて、はっきり言って愚の骨頂の「愚」以外にも色んな骨頂の極みだった。
絶対的に拒否をしたくて、一切関わり合いになりたくなくて、あんな風な態度の人がどうやって私のブログを読むわけ?と今なら大真面目に思うけれども、当時も思わなかったわけじゃないけれども、その人がいなくなったことで普通の思考回路ではなかったから、あの時の私はスルリとその選択肢を自分の中に取り込んだ。
今みたいにごちゃごちゃ屁理屈も言わずに、少なくとも今よりも100倍は素直に当時の私は受け入れて、即座に書き始めた。
あの日、雨が降っていた中で一瞬雨が上がって月が見えて、555の肉まんじゃなくてナンバープレートが暗くなった中なのに目に飛び込んできて(そんな中でよく見えたと思う)、いつもとは違う道を通って途中の信号待ちで目の前の同じく信号待ちの車はその人の苗字が入った洋菓子屋さんの世界に1台しか存在しない車で(後日洋菓子屋さんであの車が何台あるのかしれっと聞いてきた)、ついでだからその店に寄ろうとその車について行ったらまさかのその人が通い詰めたお店の前で止まって(通い詰めた証拠のポイントカードをその人とプライベートでも仲良くしていたSさんがその人からもらったと言って見せてもらったばかりだった)、それだけでも十分なのに、その車を待つわけにもいかないからそのまま私は通ったことのない小道から大通りに出るために少し先を行ったらちょうど目の前でその人と同じ車がいたなんて、もうどれだけのありえないことのオンパレードだったのかと思う。
こういうのって天が見てるんだなぁなんて思うけれど、もしくは神々の審議会なるメンバーたちが決めてるんじゃないかと思うけれど、私がいきなり従順に「ブログを書こう!」なんてならないことも何となく見越されていて、その私が本気で書くようにこれ以上ない組み合わせのサインをあの短時間(月から世界で1台の車まで正味10分程度、世界で1台の車から同じ車種の車までは3分程度)で見せてもらえたんじゃないかと思っている。
書いて発信すれば可能性は0%ではなくなるというだけで、でも私の中でも0%に限りなく近い気持ちで書き始めていた。
何せ私もブログの存在なんて忘れていたに等しかったから、これが私のブログです、なんて紹介なんかするわけもなければ、色々それ以前のコミュニケーションがあまりにもヤバすぎてブログなんて言える余裕は一切なかった。
今こんな風に普通に書いてはいるけれども、全然普通なんかじゃなかった。
だから、本当に何かになるなんて確信して始めたブログではなくて、「ブログ」と雷に打たれたように出てきて、まぁどうせ書いても届かないだろうけれど書いたのなら0%ではなくなる、そのくらいの気持ちで始めた。
0.0000000000000000……(無限大に0が並んだ後)1%ぐらいの、もはや可能性とも呼べないような可能性しか私の中にはなかった。
そんな中で本当によく書いてアップしたなと思う。
本当に最初なんて、どうやってその人もたどり着いたんだろう…。
だって私を検索したところで私のブログが出てくるなんてそんなの検索しなきゃわからなかったはずだし、仮に私の名前を検索してもすぐにこのブログがヒットするわけじゃないだろうし、いつどのタイミングが最初かはわからないけれども、私が再開する前ならどのブログも1年半以上止まったままで更新されていなかったわけで、そんなタイミングでもし目にされていたのなら全くダメだった。
初回のタイミングがいつかは知らないけれども、少なくとも私がまたブログを再開した後に見つけてもらえたんじゃないかなと思う。
書いてて思ったけれども、やっぱりその人の意志が確実に働かないと私のブログなんてそもそも見つけてもらえなかった。
私は本名を出してブログを書くことをそれこそブログを始めた10年くらい前からこだわってそうしたけれども、これがもしハンドルネームとかで出したのなら絶対にヒットしなかったわけだし、その人もたどり着くことが絶対になかった。
その人の中でももしかしたら興味半分で単に検索したに過ぎないのかもしれないけれど、どんな理由であれ寸分の狂いもなく物事がそのように流れていかないと今の状況には絶対にならなかったわけだから、本当に凄い確率を確実に通り抜けて今があるんだと実感する。
その人だって新潟を離れた時に今のような状況なんか全く想像もできなかっただろうし、それは私も同じように想像できなかった。
書くことはできてもその人にブログの存在を知らせて読ませることはできない。
ブログの存在を知ることとブログを読むことはその人の意志がないと成立しない。
それが積み重ねられた3年半近い時間だったんだと今回初めて認識できた。
物理的な繋がりはなくても、本物の繋がりがあるように私には思える。
ブログを書こうと決断した秋の雨の日の夕方の風景は今でもくっきりはっきりと覚えている。
ドラマなんかでよく回想シーンが出てくるけれど、あれくらい鮮明に私の中でも残っている。
でもその時なんかは当然その選択肢が未来の何に繋がるなんてわからなくて、いつの時も暗中模索だった。
このブログだけはなんだかんだとありながらも、ずっとやり続けたものだった。
がんばろう!とか続けよう!とか思って続けたわけじゃない。
私が唯一心のよりどころとしたのは、その人に届いて欲しい、ただそれだけだった。
それだけの理由で何となく気付けば続いていたという結果になっただけで、その人が読んでないとわかったのなら私なんかは早々とブログを止めたんじゃないかと思う。
たまたまブログが良い意味で待ち合わせのような役割を果たしてくれて、書いている時と読まれている時とで時間差は常にあるし、ブログが読まれたからと言って連絡が来るわけでもないし、相変わらずの距離感と状態ではあるけれども、3年半前の最後の日からしたら超前進したと思う。
しかも今年の初夏にはもうその人に出逢った最初の日から丸4年が経過して5年目を迎えるという、そりゃ姪っ子も5歳になって来年小学生になるわと思うくらい、そのくらいの時間が経過したわけだけど、なんか言葉にできない凄さを感じる。
この色んなことを通して、私は人生そのものを本当に信じられるようになったし、願いの力も実行した時のその後の実現度も信じて大丈夫と思えるようになった。
それって本当に凄いことだと全身全霊で感じている。
1週間前にその人のさらなる転勤の話を知って、その距離感やどんな風にでも繋がらないこの関係とか、気持ちはどこまでも落ちて行ったけれども、一通り心の中を吐き出してこうして書いて、そんなこんなをしているうちに、実はこの3年半の積み重ねというのが凄くて、そこからもたらされた報いというようなものに気付かされた。
その人も私も双方それぞれの積み重ねがないと成り立たない今回のことは、私に最後勝利の女神では言い過ぎだけれど、それくらいの勲章をもらえたくらいな気持ちになっている。
最初から無理を知って、無理しかないことも嫌と言うほどわかって、その上で始めたことだったから、叶うことは全くイメージできなかった。
その気持ちは今でもいつでも思い出せるくらいに私の中には常駐していて、叶うなんて怖すぎて想像できなかった。
叶わないと思いながら始めたから、叶うかも…なんて思ったら自分の後々がさらにしんどくなるだけってずっと思っていた。
でもここまで来て、こんなにも自分が報われることになるだなんて想像さえしていなかった。
先も見えない、ゴールもない、どうであれば自分がしあわせかなんてわからない、何にもない状態でここまでの状態にありつけた。
自信になった。
私が動かなければ当然どうにもならなかったにしても、私1人が動いていてもダメでその人からも強力なバックアップがいる。
沈黙を貫いていてもいいから、私がその人もきちんといてくれると感じられる何かしらのサインがなければ、絶対にこの境地にまでは至らなかった。
常々「こんなこと書いて何になるんだろう?」思考が消えないわけで、いつの時も自己満足で書いていることにしていた。
そうした積み重ねで勝算も理想的なゴールも何も想像しなかった。
怖くて未来は想像できなかった。
それが今、積み重ねた分のものが私のところにやってきた。
目の前にいた頃はどうやっても繋がらなくて、全ては不可能と言わんばかりに無理なこととダメなことと叶わないことしかなかった。
今は叶ったことがある。
私が願ったことは、宝くじで一等3億円を当てるくらいの確率、もしくはそれ以上の確率のものだった。
そういう確率のものを叶える現実を手にするというのは、私の人生最大の贈り物だと思っている。
このまま二度と会えなくても、十分すぎる奇跡を見せてもらっていたんだなと思う。
これまでのことを色々言葉にしてみて初めて少しだけその人側の景色というか動きが見えた。
その人なくしては叶わなかった今なんだとやっとやっとわかった。
その人の社会人人生にはまだまだ転勤がついて回るのか、はたまた今の土地がしばらくの住処になるのかは知らない。
自分は今後も何も知らない世界で生きることになっても、それはそれとどこか割り切っている。
普通に連絡を取り合うとかはなくても、今気付いたような繋がり方がもたらした信じる力を自分は与えてもらったから、それが今後もどこかで自分の中の支えになってくれると思う。
ここまで来たら、形とかにはこだわらなくなった。
望んだ形とは違うけれども、まぁその辺りは私の人生あるあるだから、受け入れていこうと思っているし、仕方ないとも思っている。
雨上がりの月に始まって世界に1台の車とかあるお店の前とか同じ車種の車とか、そういうことをいくつもシンクロさせて私がブログを絶対に書くように仕向ける力みたいなのは人生でガンガン働くけれども、私自身が望んでも人生の予定と合致してないものなのかそれは違うよなのか、そうしたものには全くと言っていいほど力が働かない。
こんなんでその人と私とが本当に連絡取り合ったり会えるようになったら、そんなすごい奇跡も起こるかも٩(ˊᗜˋ*)وなんて思っている方が夢はあっても精神的にしんどいから、私は日々の穏やかさは欲しいから精神的にしんどくない方を選ぶ。
そうやって自分が極力傷つかなくて済む方を選んできたけれど、望みは最小限、その最小限の望みも叶わないことを大前提でそっと自分の中で持つ、そんな風だったのに、その最小限の望みはこの3年半で見事叶えられた。
そしてそれが叶ったと知った今の私、当時にしたら未来の私が今こうしてつらつらと経過を綴っている。
過去から未来の間に起こったことを綴って、綴りながらその喜びを自分の中で噛みしめて反芻している。
*
ちなみに今日の分、真夜中に起きて書いてまた寝落ちしてそして朝に書いた。
その寝落ちした時に見た夢の中に、なんとその人が出てきた。
その夢の中は過去でも未来でもない、見知らぬどこかだった。
でも少なくとも、今か今よりも先の未来なのだけはわかった。
何でわかったかと言えば、今書いてるこのブログをアップした後の話だったから。
このブログをアップした後で、なぜかその人と私とは見知らぬどこかに互いに居合わせた。
他にも何人かいたけれども、とにかくその人と私とは同じ空間にいて話せる距離にあった。
意を決して私の方から話しかけた。
小さなグループ集団が夢の中にはあって、その集団の前で何かの歌だったと思うけれどもそれをワンフレーズだけみんなにも知らせるために歌うというような流れになっていた。
現実にそんな状況が本当にあったとしても、その人は絶対にたかが数人でもその数人の前で歌うことはしないだろうと思う。
それが見知った間柄の人の前でも多分そんなことしないと思う。
そうと知っていても、私はなんとその無茶ぶりを半分ふざけてその人にして!と言っていた。(夢の中の自分のはちゃめちゃさよ…)
その人は嫌がるか無視するかするだろうと思ったら、拍子抜けするくらいにOKして、そしてそのやりとりをしながら私は、今書いてるこのブログがその人からしてセーフな内容だったんだと判断した。
「あんなに色々ぶっちゃけて、さらには色々あまり触れて欲しくないだろうことをつついても大丈夫だったんだ」と夢の中の私は思った。
そして、そのことには互いに触れないけれども、その人の普通な感じの対応を見て「これ、大丈夫のサインだな」と思っている自分がいた。
なんともおめでたい夢だったけれども、それが本当ならいいなと思った。
今回も多分にもれず、かなり、かなーり、踏み込んだことを書き散らして、超好き放題に書いたわけだけど、その人も慣れたのか平気なのかなんだかは知らないけれども、しれっと読み流してくれるというか、少なくとも目の前の生活を私が脅かすわけではないから、サラリと流してくれるんじゃないかと勝手に予想している。
このおめでたさというか開き直りもこの3年半で相当鍛えられた。
そのおめでたさや開き直りがなければ私も書けない。
特技認定してもいい。
でもそうやってでも書き続けて良かった。
本当に良かった。
*
この連休中に、録りためたドラマの1つを見た。
ドラマを引用するにはとてつもなく畏れ多くて(ドラマの中では大切な人が死んでいて、若干実話に近いものがあった)内容やタイトルは伏せるけれども、その中のセリフで
「見えなくてもいる」
というようなものがあった。
私の気持ちにものすごく近い。
その人不在の3年半という時間を過ごしてわかったこと。
・物理的距離は関係ない
(距離は気持ちを薄めてくれる薬にはならなかった)
・取り巻く環境の変化も関係ない
(環境がどんなに変わってもその人はいつの時も私の中で健在)
・時間もさしてあまり効力がない
(時間が経つことでの変化はあるけれども、感覚や気持ちに変化はゼロに近いくらいなかった)
・自分の心の中だけに限定すると、何が変わったのかいまいちわからない
まとめると、ほとんど何も変わってない、ということになる。
おととい、長年の友達がポツリとLINEをしてきた。
弁護士を雇うかどうかのところまで話が進んだけれども、寸前のところで止まったというとんでも案件に友達が当たって(友達は巻き込まれた側)その時の回想を書いて送ってきた。
その時私はできる限りの協力をしたし、今後も必要があればいつでも動くからと言って終わったものだった。
ちなみに回想はとても前向きなもので、当時やったことが最近頼まれたことに対して役立ったから良かった、人生に無駄なものはないんだというようなものだった。
その当時から1年半以上は経過していて、その間に友達は大きな人生一大プロジェクトから卒業して、来月あたりからは準備が整い次第他国へと引っ越して、他国にて本人の専門性を活かす予定になっている。(このコロナ禍で凄いことだと思う。ちなみに行き先では都市のロックダウン中で、どうなることやらとは言っていた。)
1年半前以上の出来事は本当に色々酷かったけれども、最後は真実こそが生き残ってあとのしょうもないことたちは滅びていく、そんなのの典型的なものだった。
その人との間に起きたこと全ては、まさにそのことと似ている。
本物だけが残っていく。
偽物や崩壊させてしまう要素のものは残らない。
たとえそれが無謀で無茶なものでも、本当に大事なものしか残らない。
そして1つとして無駄なものはないどころか、どれもこれも大切なプロセスの一片だということ。
そういうことを感じた時間だった。
そして、その友達が最後に言った。
「楽しんでくる」
その言葉を見てハッとした。
今回のいくつかのブログを書くにあたって、出てきた言葉をとりあえず携帯にメモして残しておいた。
その中の1つに
「生まれてきた時は手ぶら、死ぬ時は思い出というおみやげ付き」
というのがある。
(注釈:この言葉は絶対に今回のブログのどこかで使いたくて、だけどどこで使おうかずっと右往左往して、ようやく今着地点発見というか、無理くり繋げて語ろうとしている。)
思い出を携えて死んでいくという発想は、吉本ばななさんのどこかのエッセイに書いてあったことで、その考えがとても好きでもう何年も私の中にある。
死ぬ時に持っていける唯一のものは思い出だけだから、思い出を生きているうちにたくさん作ろう、みたいな吉本ばななさんが読者というよりも自分に言い聞かせるみたいな書き方で書かれていたと思う。
お金も家も他の有形のものも死ぬ時は何も持っては行けない。
だけど無形の思い出とか愛とかそういうものは自分の中にいっぱい詰めていける。
その人の存在というのは、「見えないけどいる」をまさに体現した究極の在り方で、だから死ぬ時に私が自分の中に詰め込む諸々の中にその人もいるだろう…と今から思っている。
それは残りの人生、私が仮にあと50年生きたとしても、自分の中のどこかにはその人がいるんじゃないかと思っている。
生き残るために「細胞の入れ替え」が一条件だとするなら、その人はまさにその立役者で、その人なくしては私の今は絶対になかったと言い切れるから、その人と私との薄弱なもしくは無に近い関係性はさておいても、なくてはならない人だったと今でも思っている。
だから(と言って無理矢理結びつけてる…( ̄∀ ̄;))、とことん楽しんで思い出を作ったらいい、このプロセスを楽しんだらいい、そんな風に思った。
*
2021/05/05
あと5分で明日(5/6)
数時間前から、日常に戻っていくための準備を少しずつ始めた。
明日の弁当の用意や仕事に持って行くカバンの中の整理(必要なものを出し入れしたから、出したものを戻した)、制服の下に着るユニクロのシャツのタグ取りなんかをした。
明日やる予定の仕事も思い出しつつ、本当に終わっちゃうなぁ、日常に戻るんだなと思った。
その人も今頃は今住んでる町にいるんだろうか?などと想像しながら、とにかく日常に戻るカウントダウンが始まった。
「沈黙」の再定義。
3年半積み重ねたもの。
ブログのはじまりの頃の無に等しかった可能性。
その人が選んでくれたもの。
そういうものたちに気付けて、私の心の中には新しい土台ができたみたいになっている。
不安とか心配とかそんなかわいいレベルのものではなかった。
会えない、そして相手の連絡は一切しないという選択は、絶望以外の何物でもなかった。
絶望にくっついてくるものは、せいぜい哀しみくらいなもので、不安になりたくても心配したくても、それさえも与えてもらえないものだったように、あとは自分の願いとは真逆の現実をひたすら受け入れる、それだけだった。
本当にがむしゃらに突き抜けた3年半だったと思う。
向かう方向もわからなければ、何を望んで何を目指したら自分が満たされるのか、皆目見当もつかないまま今になった。
日々穏やかに過ごすことや自分をとにかく1番にして自分のために選ぶことは、毎日の生活の中でかなり気をつけている。
今に自分を集中させる、というのは本当に大事なことだと思う。
だけど、いつの時だってポッカリと空いた穴は空いたままだったし、どうすることもできないけれどどうにかならないものかと常々思っていたし、でもだからと言って着地点的なゴールはもしくは通過点は想像できなかった。
どこにも行き着きそうになかったし、その行き着かない感覚こそ魂の目指すところなのかも?なんて思ったりもしたし、そもそもすでに一度は会えたし期間限定で同じところで毎日のように顔を合わせられたから今生はそれでもう十分という当初からの計画なのかもしれないとも思った。
自分のネチッこさや切り替えが上手くないのもまぁ仕方ないかとあきらめて、あとは少しでもその人のことを自分なりに消化できたらいいな…と思った。
なんて思ってるのかと思いきや、新天地への転勤を知って、それも去年ということはどんなに少なく見積もっても数ヶ月前にはそうだったのにずっと知らない自分の立ち位置を改めて強烈に痛感して、なんなら仕事中涙出たぐらいの衝撃を喰らって、自分でもゲッ∑(ΦдΦlll)と思って、なんか全然割り切れても無ければ納得もしていない、色々受け入れられていない、むしろ何一つ受け入れられていない…みたいな自分を見て驚いたしゾッとした。
色々衝撃が走ったけれども、こうして何日もの間、ひたすら書いて心の中のぞいて分析して客観視するようにしてみて……。
そうしたらこれまで全く見えなかった視点が手に入って、そのおかげで心のグラグラし続けていたところに芯が初めて通った。
この今の地点が今生の到達点だったとしても、ここまで来れたのならそれもありかなと思う。
個人的には相手側が見ている景色も直接聞きたいところだけれど、それは願えば叶うとかいうレベルの話じゃないと思っている。
その領域になると、魂同士が必要とするかどうかで判断されるだろうから、願えばいいのとは違うと思う。
人生には自分の努力で何とかできることと、何をどうやってもどうにもできないこととがある。
後者に対しては自分ではどうにもできないから、それはもう受け入れる他ない。
欲を出せばいくらでも出てくるけれども、そこは自分の健やかさを保つためにも叶うことは叶うし叶わないことは叶わないと分別の力が欲しいなぁと思う。
何書いてるのか訳がわからなくなってきたけれども、とにかく今の私はこの3年半近い時間の中で一番満たされていて安心できている。
沈黙というキーワードと相手の意志と意志に沿った行動が少しは見えてきたからこそ、自分の中の安心感が増えたのがわかる。
*
これを書いて終わりにしたいと思う。
この1週間近くの時間、色んな感情がドバドバと出てきてあわあわしたけれども、ふと冷静になった時に思ったことがあった。
もしその人と出逢わなかったら、絶対に知らない感情や気持ちだったなぁと。
そして、全然ハッピーエンドでもないこの今現在の結末を見ても、それでも私は知らない人生よりもその人が登場してくれた人生の方が絶対に良い!!!!!と思った。
それは即答できる。
強烈だった無視拒否拒絶攻防戦さえも、それを知らない人生よりも知ってる人生の方が良かったと私は断言できる。
例えば、ブログを書くとか色々振り返るとか、そういうことはどちらかと言うと私の中に主体性があって、主体性に基づいて展開される。
だけどその人を見て何かを感じるとかいうものは、もはや呼吸や心臓の動きなんかと同じレベルのもので、自主的にそうするとかいうものじゃない。
私の中に主体性を持って何かしら感じるのではなく、熱いものを触って「熱っ!」ってなるのと一緒で、ものすごく自然にそして自動発火装置のごとくオートマティックに勝手にそうなる。
ある有名な芸術家の言葉だったと思うけれども、花を見て綺麗と思う気持ちはわかるけれども、その綺麗と感じる気持ちはどこから来るのだろう?、みたいな視点があって、まさにその領域の世界の代表格がその人になる。
色んな気持ちが湧き上がったけれども、それは本当にどこから来ているのだろう?状態だったし、今もそのスイッチの源が何かなんてわからない。
その人がその人だから、という身も蓋もない話になるけれども、本当にそんな感じだったりする。
とにかくその人が私の人生に登場して知った全てのこと全ての感覚は、他にかけがえのないもので、それこそ人間として生を受けて今この世で生きているわけだけど、あの世に行く時イコール死ぬ時は、間違いなくこの思い出を自分の中に詰め込んで次のステージに行くんだと思う。
思い出としてあの世に持っていきたいもの。
かけがえのないものを私はもう十分すぎるほどにもらったから(もらった割にまだまだ欲深き人間性を発揮しているけれども)、これら全てのことを無しにする人生はもう考えられない。
相手にされなかったけれども、そんなことは結果でしかなくて、そういうことよりも生きてることの奇跡や喜び、しあわせを全身全霊で感じていたこと、そしてそれらがその人を通じてもたらされるものだったこと、それを知っている今の人生の方が絶対的にいい。
改めて、その人にはやっぱりありがとうしかない。
◯◯さんありがとう。
ありったけのありがとうを◯◯さんの元に届きますように。
眠くて限界だからこれにておしまい。
2021/05/06 真夜中の1:32
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