ゴールデンウィーク明けからのおかしな暗雲は今もしばらく続いている。
過去の負の遺産が社内の至るところに在るのは知っていた。
色んな企業や団体の記録やデータの保存の仕方を見てきたけれど、今のところはその中でも一番酷いんじゃないかと思うやり方が貫き通されている。
今の仕事に就いて、初めて「疑うことを前提で過去の資料を見ること」を覚えた。
真面目にあてにならない。
あてにならない位ならまだまし。
さらにバージョンアップしたものは、内容の誤記や誤りがてんこ盛りすぎて、内容を知らない私でさえも「えっ∑(ΦдΦlll?」って毎回なる。
自分で1からやり直す方が速いものもあって、そういう時は一言上の人たちに断ってからそれをする。
ほぼほぼそういうものにしか当たらなかったから、毎回何かしらのすったもんだは付き物だし、仕方のないこととして割り切っている。
冗談抜きで、そんな仕事の仕方をしていたのなら、いつかは倒産するんじゃないのかと思う。
そんなこんなのところに最近浮上してきたのが会社の製品catalogue(←カタカナ読みすると、カから始まってグで終わるもの)
それをこの後からはネコ資料とする。
ネコ資料、この度中身を追加して刷新することに決まった。
どうぞどうぞ、というか基本的に会社のなんだかんだの決定には何の興味もないから我関せずの気持ちで聞いていた。
しかも担当者Aさんは私のことが苦手だから私にはよほどのことがなければ頼んでこないだろうから、私はもはや自分はその業務に携わらないものだと思っていた。
実際に4月はほぼほぼ私はそのネコ資料業務から外されていたから、その後もそのままだと思った。
それの風向きが確実に変わったのはゴールデンウィーク明けからだった。
当初はどんな予定でいたのか知らないけれど、何とネコ資料の総合版を全面改訂することになった。
過去にどうやっていたのかはもはや今いるメンバーの誰も詳細は知らないけれども、とにかく今回からは外部の業者の協力も得た上で作られることになった。
業者に出すためのデータはこちらで最初に作ることになっていて、そのデータ作りの英語部分があれよあれよという間に私の業務に成り上がっていった。
何せ総合版だから基本的に総合ラインナップ=膨大な量のデータになる。
Σ(꒪◊꒪; ))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; ))))
薄々気付いてはいたけれども、既存のものの出来映えが及第点どころか超怪しい英訳が満載で、単に過去のデータをそのまま入力して使えばいいものとは違っていた。
相当直さないといけないのは、わかっていた。
だけど、まさかのそんなことたちの修正係が我が身に降りかかるなんて想定外過ぎた。
量が大量になった時点で、確実に残業ができる私に振られるのは仕方ないにしても、量が納期に対して全く間に合わない量で、私は始める前から「無理です、間に合いません」と担当者たちに言いに行った。
しかも修正だけじゃなくて、私の手元に来るまでに色んな人たちも関わっている中で、その人たち1人1人がいい加減な仕事や手抜き仕事をして、それの修正やら確認までもが全て私1人のところにやってきて、何事かと思った。
元々の担当は私ではなかったけれども、色んな事情が組み込まれて最終的に私のところに特大業務がのしかかってきた。
本当に何度も手抜き仕事をした人たちにブチ切れたし、その実情を知らない上の人たちが勝手に業者に提出する締切を決めて完全に手も首も回らない状況になって、そのための説明から調整までありとあらゆることが私が声を上げたり動かなければ誰もやってくれない、という史上最悪な状況になった。
さすがの私も今回は吠えに吠えて、納期が絶対に間に合わないものは「間に合いません」と早々に言って、他の人たちの協力無しではやれないとわかったから方々に協力依頼をして、あとはひたすら時間と自分との戦い状態で、気が狂いそうになりながらやり続けた。
長いこと放置されていたものと誰も手付かずでいたもの、今回の関係者たちの当初は自分さえ良ければいいスタイルの手抜きや無責任乱発の仕事の仕方で、それら全ての負のオーラをまとったとんでも案件が私のところに来て、本気で気が狂いそうだった。
正社員や役職付きの人たちは何してくれてんの?と大真面目に思ったし、何が間違えて派遣の私がそれらの人たちの無責任な仕事を全部最後整える、英訳の他にその整える作業までプラスされるって、その引き継ぎも連絡も不十分で、不十分と知ったそばから都度都度確認に行って、さらにはその無責任だった人たち側にはきっちり時間が与えられていて、私のところは超ウルトラスーパー短納期で納期までマックス残業しても終わりの見通しが立たないってどういうこと!?と思った。
なぜに半分以下の給料の人(=私)が2倍以上もらってる人たちの2倍の仕事をしないといけないのか、本気でこの会社バカなのかと思った。
この一連のことに対して私は要望書を関係者全員に向けて出して、さすがに考慮されるような流れには少しずつなってきたけれども、本当に酷かった。
何か呪いでもかけられてるのかと思ったほどに酷くて、それであまりにもやるせないわ納期縛りはきついわ、その納期縛りを前に私の前の人たちのズボラな仕事ぶりが目の前で発覚するわで、そりゃ涙も出た。
ここまで酷いと、「泣きたい」じゃなくて「泣く」んだとわかった。
みんながなぁなぁにしたことが、まさか私が最後に全てのフォローに回らなきゃいけないなんて、その適当だった人たちは気づかないし言っても理解できないだろうなぁと思った。(ちなみに理解できなくてもいいから、きちんと事の次第を伝えてくださいと文面揃えて担当者にメールでも口頭でもお願いした。それも適当な対応だったけれども、最後は黒幕的な上の人が相当テコ入れしてくれて、とにかくこれまでのやり方ではダメだとなって今少しずつ改善が図られようとしている。)
周りは対岸の火事でも私は自分のところが火事で、何一つ予断は許されなかった。
もちろん協力者も私のフォローをしてくれた人たちもいたけれども、いかんせん全ての負の遺産の最初の確認者が私で、その8割近いものを担当するのも私で、心身共々本気で参った。
・大量のボロボロデータ
・超ウルトラスーパー短納期
・大幅な英訳の直し
・各種確認と調整
・仕事分担の依頼
・変更知らされず途中からの大幅変更
・長い歴史の中で放置されていたもの
・間違えられないプレッシャー
こういうものたちが一気に押し寄せていた。
*
くどいようだけれど、前回書いた『日常に溶けこむ』はそんな渦中と並行してあった。
仕事でここまで酷いものはそうそう当たらないけれど、何か想像を絶する世界にしばらく身を置いていた。
気は休まらない、周りが動くのを待っては締切に間に合わないから自分が動いて調整するしかない、実務も当然進めないといけない、周りは私ほどの危機感が全くない、「私がやらなきゃ」なんていう責任感も気持ちもないけれども私がやらなきゃ完全にアウトになる、やる以外の選択肢がない、完全に神経ギリギリのところでやって、なんなら早く出社したり残業後も注意されない程度に残ったりしながら、本当にそうした日々がずっと続いていた。
今回納期の重圧が半端なかったのは、会社の全体の納期は絶対的に変えられなくて(←これがそもそもおかしかったけれどどうにもならないと説明された)、それだけならまだしも、こちらが遅れることで業者側の時間がその分カットされると知らされて、私一人の遅れがその後の色んな関係者たちにもっと重圧がかかると知ったからだった。
そうじゃなくても社内の調整がボロボロで1日延長してもらったのに、それ以上はもう無理だったから何とかするしかなかった。(なんとこの事態がその後類似案件でもう一度起きて、それでとうとう全てやり終えた後に関係者全員に要望書を出した。)
派遣の私が会社の顔となるネコ資料の一番大事な中身を整えるなんて、本気で間違っていた。
しかも周りの人たちの他の仕事が終わるまで冗談抜きで私1人に全て負わされて、上場一部の企業が扱うものとして本気で対応がお粗末すぎた。(そういう規模の企業のものをまさか派遣の人間がやってるなんて外部は思わないと思う。)
本気で強烈すぎてやるだけのことはやっても終わりが見えなくて、でも何とかする以外の選択肢がなくて、それで半端なく追い込まれて涙が出た。
そんな時に本気で救われた。
どんなに目を凝らしても絶対にいないイケメン上司の存在に救われていた。
前回も少し書いたけれど、その時というのは完全に普段の意識とは違っていて、とりあえず心のキャパはとうに超えていたし、こんな負・負・負のエネルギー満載のことたちをどうしろと!?という色んな意味でフリーズしていて、でもフリーズする時間さえもったいなくて1つでも何かをやって完成に近付けないといけなくて、とにかく尋常ではない心理状態だった。
危機的な状況を前に、意識のある層が普段とは別のレベルにあるなぁ…なんて薄ぼんやり思ったくらいだった。
そんな時になぜか私はイケメン上司がいたシーンを無意識に、でもとても自然に思い返していた。
尋常じゃないストレスにさらされていたその時に思い出したイケメン上司は、透明でキラキラした空気をまとっていた。
向こうは気付いていないけれど、私側の視点でチラチラ見ていた時の姿と同じだった。
目の前の景色は今の巨大オフィスだし、手元の資料もネコ資料のものたちで溢れ返っている。
でも脳内で自然と再生されていたのはイケメン上司と彼特有の空気感と盗み見していた表情だった。
全然大丈夫じゃなかったけれど、その大丈夫じゃない状況を前に心は大丈夫になれるものを求めた、そんな感じだった。
もうそろそろ4年が経つ。
4年前の私がまさかその時目の前にいた人に救われるとか、それがその時だけじゃなくて4年も先のその時とは全く関係のないところで癒されるとか、そんなこと一切想像できなかった。
色んなシーンが鮮明に今も私の中に残っている。
そういう時の心の動きは、意図してそうなるものじゃない。
絶体絶命的なピンチの時は、ありとあらゆる細胞が協力し合って危機から自分自身を全身全霊で守ろうとするんだと思うけれど、そんな時に突如出てきたのはイケメン上司だった。
私が元気になるような言葉をかけてもらったとか何か手伝ってもらったとか、そういうわかりやすいものは何もない。
なんだけど、その存在があるだけで張り詰めていた神経が少し和らいで、無意識にその姿を思い浮かべて目の前の気が滅入る状況から自分を救おうとしていた。
想像でしかないけれど、過去世でイケメン上司と私とが近くにいた者同士だということが本当で、そして同時の私は10歳前後で早々と死んでいたのが本当だとするなら、その時の安心感の種を今も引き継いでいるんじゃないのかと思う。
状況から想像するに、当時の早すぎた私の死を見届けてくれた1人がイケメン上司だと思う。
ネコ資料の酷すぎた惨状は、明らかに意識そのものが普段感じない危険ゾーンを感じていたし、意識の状態が普段とは別の域にあるのも感じ取っていた。
そんな中で本能的に求めた安心感は、もはや知性や理論で導き出せるものではなくて、本当に自分の中にある感覚1本で引き出していたんじゃないのかなと思う。
そしてその本能的に求めた安心感が、気付いたらイケメン上司の姿だった。
これはなんとなくの想像だけれど、具合悪い時は言葉とかがなくてもただそばにいてくれるだけでいい、人の気配が感じられたらいい、ましてや死に行くと感覚でわかっていたのなら尚さらのこと、ただただ今この瞬間に自分を気にかけてくれる人がいたら心強い、そんな感じなんじゃないかと思う。
そこまで究極ではないネコ資料だけれど、しんどさから言うと人生でもわりかし上位に入るくらいの強烈さだったわけで、そのしんどい時に思い出したのがイケメン上司だったのは、何も今の人生だけじゃなくて魂が転生する前の別の人生から引き継いだ感覚なのかもしれないなと思った。
話はすごい変わるけれど、何年も前に私は自分が死に行く夢を見たことがあった。
今思うと、あれは今生の自分が死んでいくいつかの予知夢というよりも、実際に過去世のいつか体験した死の間際の記憶が再生されてたんじゃないのかと思う。
それはもう本当に今でもくっきりはっきりと覚えているくらいにリアルで、とりあえず私は病院なのか自宅なのかはわからなかったけれども、ベッドの上で重たくはない布団が掛けられた状態で仰向けになって寝ていた。
自分はもうそろそろ死ぬことがはっきりとわかっていて、体は完全に弱っているから何もできないんだけれど、表層の意識は朦朧としながらもそのベッドのすぐ横に誰かがいてくれて私の手(右手)をずっと握り続けてくれる人がいた。
自分は死ぬけれど、こうして最期誰かに寄り添ってもらえる人生なんだ、と私の感動ポイントはそこにあって、その場面と感覚だけがやたらとリアルに今もずっと記憶に残っている。
手を握ってくれてる誰かはベラベラ喋らず静かにしていて、でもそこにいてくれるだけで私は本当にしあわせで満たされていて、死ぬとわかっていても怖くなくて穏やかだった。
夢の中でも私という人はかなりおめでたい頭の中をお持ちのようだったけれど、とにかくその感覚は今でも鮮明に覚えているし、今回の大パニック且つ涙が出るくらいの追い込まれ方をした時にイケメン上司がふと出てきたのは、そうした感覚にけっこう近い感じがする。
夢の中では死に行く感じで、ネコ資料を前にした今の自分は単なるしんどさMAXで、それぞれ置かれてるシーンは全く共通項がないけれども、その時にそれぞれ登場してくれた人物によってもたらされたものはどちらも同じタイプのもののように感じている。
平常ではない非常事態の時に、自分が求める心の安らぎや安心を得ようとする、得ようとするその気持ちに応えてくれる誰かがいてくれる、そうした中にイケメン上司がいた。
*
あと数時間すると月曜日が始まる。
今週もかなり怪しげなスケジュールが組まれそうで先週の時点で変な汗が出そうだった。
でもこの2日ないし3日かけてこのブログを書いて、イケメン上司の存在を普段とは違う視点で眺めてそれらを丁寧に思い出して言葉にしたら、そのことをこれから始まる月曜日以降でも自分の中に常に置いておいたらいいんだと思った。
何度も何度も強烈な納期や業務がやってこられては困るけれども、これだけ言葉にしたら自分の中のいざという時の心のお守りが何かわかって安心する。
当初このブログは「社窓の窓」として書く予定でいた。
1つ前のブログを書き終えたその直後にこれの下書きをすぐに始めて、それでもっと仕事を通じて感じた色んなことを書こうとしていた。
だからはじまりは、やたらとリアルな描写になっている。
そして書く内容もイケメン上司のことではなくて、書きながら感じたことをそのまま書いていこうと思っていた。
ところが書けば書くほど、気付けばイケメン上司の話になって、全然違う内容に変わった。
だから「社窓の窓」はやめて「心の窓」にしようと思っている。
ここまで書き終えてみると、今書いてきたことが今の私にとって何よりも必要なことだったとわかる。
仕事について思うこと云々は、たしかに頭の中が整理されるかもしれない。
けれども、しばらく怪しげなスケジュールが予想されてしまう今、頭の中の整理よりももっと大事なのは、そうとわかる時に何か心の支えが自分の中にあるかどうかの確認の方だと感じている。
心の中に灯すものがあれば、色々危なくなってもそこを灯台のように自分の中に抱いてそれでまた乗り越えていったらいい。
私は自分にそういうものを持たせるためにこれを書いたんじゃないかとさえ思っている。
書いている途中、1つすごく気になることが思い出されて、私は数時間前、クローゼットの段ボールを3つほどガサゴソとして、その中から数年前のメモをようやく見つけ出した。
それはイケメン上司に出逢うさらに何年か前のメモで、そこに未来の予言が書かれていて、それが本当にその通りになった。
そのこともここに一緒に書こうと思ったけれども、それを書くと長くなるから、ここで一旦切って未来の予言話はまた別の記事で書いてアップしようと思う。
その未来の予言話は私をとてつもなく勇気づけた。
メモ書きの当時は、年がまだ割り出せていないけれども、2011年から2014年のいずれかの2月だと思われる。
今メールを調べたら2013年とわかった。
その当時の予言めいた話が今に繋がっている。
それはまた改めて書きたい。
*
もうひとつ、全然関係のないことを思い出した。
今とある古書を探していて、その古書名を日曜日の夜に検索したら、どういうわけかイケメン上司の趣味の関連本が多数ヒットした。
どの言葉がヒットしているのか全然わからなかったけれども、ヒットした検索結果を見ていた時に先週会ったSさんとの会話の1つを思い出した。
Sさんとイケメン上司はその趣味で今も繋がっている。
それは一緒に働いていた頃から知っていたけれども、今回会った時にその共通の趣味を持っているSさんがイケメン上司に対してこんな風に言っていた。
「◯◯さんと見るのは、本当に楽しくて面白いんですよね。
もちろんそもそも見るのが好きだから、中身は何であっても楽しいんですけど、『この人と見たら楽しい!とか面白い!』っていう視点で言えば、◯◯さんは断トツで本当に面白くて楽しいんですよ!!!
一緒に見るなら◯◯さんがいいですね」
そんな風に話していたことを思い出した。
思い出した時に「これブログに書こう!」と決めた。
ここからは超お節介ババアになるけれど、イケメン上司にとって誰かから面白いとか楽しいって言ってもらうことは、心の中で多分かなり上位の気にしていることだろうから、それが本人にとって言われたら嬉しいこと、自信に繋がりそうなことなんじゃないかと思った。
Sさんはもしかしたら直接言ってくれてるかもしれないけれど、言ってない可能性も存分にあって、だから私がこの話のメッセンジャーをしようと思った。
直接言われてたとしても、またここで再度言われても悪い気はしないだろうと思う。
そして、誰かから、それは何もイケメン上司じゃなくても、一緒にいて楽しいとか面白いと言われて悪い気はしないどころか嬉しくなると私は思うし、私は実際にそれが何の時でも言われたら絶対に嬉しい。
自分といる時間が楽しいって言ってもらえるなんて、それも他の人たちとの時間を並べて比べた時にその中でも群を抜いて楽しいって言ってもらえるなんて、すごい特別なことだと思う。
この話を直接伝えられる関係にあればいくらでも直接言ったけれども、そうはできないから、突如今回思い出したタイミングの今、ブログに書いて発信しようと思った。
自分がイケメン上司からもらってる力には全く及ばないけれども、せめて少しでも還元できるもの、還元と言っても私発信ではなくてSさん発信のものに単に私が便乗して文字起こししてるに過ぎないけれども、それでも私1人の中に留めておくのはもったいない。
元気の出る言葉や話は本人に届くのが一番良いと私は思ってる人だから、これが伝わるといい。
自分との時間が楽しいと思ってもらえるなんて、それって人生の中でも人からもらえるご褒美的な言葉の1つだと思う。
ましてや大人になればなるほど、あまり言ってもらえない類いの言葉でもあって、言われたら、それが直接でなくても間接的に第三者から聞いても嬉しいなぁと思う。
書くことは書いたし、今週もおかしな風が吹き荒れるかもしれないけれども、いざという時の自分の安心ポイントがわかったから、安心して仕事に行ける。
この強力なお守りは、持てるだけでとってもラッキーなこと。
またひと眠りして今週の戦に備えよう。
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