「日常に溶けこむ」
この言葉がするりと出てきた時、ウットリとした。
得意の自画自賛(笑)。
ブログが日常の中にあること。
すごく光栄なことだとしみじみと味わっている。
1年前に書いた記事たちが読まれていたから、自分も開いて読んでみた。
1年前も激務でさらには今年の5月も去年とは違う激務具合で、今日(5/19)は久しぶりに完全に体がダウンして、夕方の6時過ぎくらいから早々と布団に入って寝た。
激務でもブログを書いていた私には、ブログは日常のルーティンとは言わないけれど、例えば日用品を買うとか、車のガソリンを詰めるとか、毎日することとは違うけれども確実に日常を営むために必要だからすることと同じ立ち位置にある。
いつからその人が転勤になったのかその具体的なタイミングは知らないけれど、Sさんの言い方だとコロナが確認されて外出自粛を国が言い出した頃にはもうすでに今の土地みたいな内容を口にしていたから、ちょうど今くらいは少なくとももうすでに移り住んでいたんじゃないのかなと思う。
私は私で多忙ではあったけれど、その合間合間にブログは書き続けた。
それが私の日常だった。
それと同時に、色々ライフステージが変化していても、その人もその人で私のこのブログを日常的にチェックしてくれてたんだ…と今になって初めてそこまで思いが及んだ時、それは本当にうれしいことで、そしてこのブログがその人の日常に普通に溶けこんでる…と思ったらさらに喜びは増した。
喜びが増し増し。
なんて良い響きなんだろう、とウットリする。
日常のルーティンに入れてもらえる、というのは言葉にはならないくらいに嬉しすぎる。
日常って人間の本能として、奇をてらうんじゃなくて、なるべく波風立てず安心安全第一になる。
だから、ザワザワするようなものは極力排除しようとするのが一般的な人の心理だと思うし、なるべくおだやかに落ち着いて過ごしたいと思う。
その「おだやか」とか「安心安全」を求める日常の中に、私のブログが普通にあるってどんなに光栄なことだろう。
時間がずっとずっと欲しかった。
どうあがいてももらうことのできなかったものが時間だった。
相手の時間をもらうことは叶わなかった。
それは私一人の意志ではどうにもできないことで、自分がこの現実を受け入れる他なかった。
だから、ブログを再開していつからチェックしてくれるようになったのかはわからないけれど、少なくとも去年の今頃のすでに新天地での生活の中にこのブログは在ることができたんだとわかって本当の本当にうれしかった。
昨日の仕事の中で、イレギュラーなメールを書いて関係者に出すことになった。
それが私が余計なことを書きすぎてる、メールというのは相手の時間をもらうことなんだから、要点をまとめて余計なことを書かないようにと注意を受けた。
それはそれとして、そう、何か自分の書いたものを読んでもらうというのは、相手の時間をもらうことになる。
特にこの長くて要点が何かもわからない、何を意図しているのかもわからない、この色々わからなさすぎる文章を読んでもらえるというのは、相手の時間がそこに注がれるわけで、それは相手の意志によって初めて成り立つ。
それをしてもらえたことがとにかくとっても嬉しくて、そしてそれが「日常に溶けこむ」の言葉に繋がって、それでウットリとした(笑)。
同じ事務所にいた時は、私の予測不能な行動は大いに悩みの種だっただろうし、ただでさえ多忙極まりない時にとんでも爆弾を次々に投下されて、気も休まらなかったんじゃないかと思う。
でも物理的距離ができたことで、とりあえず直接の接触は避けられて、当時のような全く読めない私の行動に振り回されることもなく、その人はその人のペースで日常を営むところにさらにその人の好きなペースでブログを見たり見なかったりできるわけだから、そういう意味で今の距離感や状態は良いものなんだろう…と想像する。
*
金曜日(5/21)、急遽有休を取って休んだ。
ゴールデンウィーク明けから明らかにおかしな風が吹きまくっていて、気の休まらない仕事が続きまくっている((°Д°;))))。
今月中に取らないと無くなってしまう有休があと1日あって、どこで取ろうかとずっと考えていた。
ところが仕事の状況が読めなくて、そんなの「知りません」と言って休むのはできてもその休んだ分を誰かがフォローしてくれるならいいけれど、休んだ分の穴は我が身にそのまま降りかかるから、それでどこなら休んでも確実に大丈夫かをずっと探っていた。
木曜の時点で、まだ納期まで時間があってとりあえず未完な仕事があるから新規英訳依頼が来てもそれを盾にして「すぐには取りかかれない」と言い訳できる、尚且つ手持ちの未完の英訳はある程度終わりが見込める状態にまで仕上げて休んでも納期は間に合う、という状態を作って、それで急な休みを申請して金曜日休んだ。
体調もイマイチで家でゴロゴロすることを予定にして、文字通りゴロゴロした。
そして、午前はしっかりと寝て体力を回復させた私は、友達のノムに午後電話できないかと連絡した。
それで久しぶりにノムとゆっくり5時間もの長電話ができた。
夜は寝落ちするし週末の休みは寝て過ごすことが多いしで、4月から5月にかけて電話できたのは2回ないし3回程度になっている。(それまでは週に2回とか多いと3回とか普通に電話できてた。)
前置きが長くなったけれども、その電話の時にノムが私のブログを初めて読んだ時の違和感というか驚いたことを初めて教えてくれた。
今ではすっかり慣れているけれど、最初に私のブログを読んだ時というのは「これは何を書いたものなんだろう?」という感覚がものすごく強くあったらしい。
ちなみにノムが最初に読んだのは、山で行方不明になったおじいちゃんにまつわる色んなことをシリーズ化して書いたものの途中の文章だった。
私の書いた文章の中でも特に異質なものにノムは最初当たっていて、プロのライターをしていたノムは一般的な人よりもうんとたくさんの文章に慣れ親しんできた中でも、私の書いた文章に最初はこれまでに読んだことのない不思議な感覚を感じたと教えてくれた。
その延長で、「ぶっしーのブログを定期的に読んでくれる人というのは相当なコアなファンだよね。だってぶっしーの書く文章は世の中を見てもぶっしーにしか書けないもので、そしてそのぶっしーの書くものは他の誰にも類を見ない書き方をしている。だからそこにピタッとハマった人はそれに惹きこまれて読んでいく」と言ってもらえた。
ノムからそのように話を教えてもらって、果たしてその人の目にはどんな風に私のブログは映っているんだろう?と思った。
たしかに言われてみれば、私の書くものは他にあまりというか実際に見たことのないタイプの文章かもしれない。
多くのブログにある「何をした」ということはあまり書かず、それよりも自分の内面を観察して書いたものや何か見聞きした風景を自分の視点で描写することが多い。
ノムが他にないという言い方をするくらいだから、相当マニアックなんだろうけれど、そのマニアックなものをその人も好きこのんで見てくれてるのかと思ったら、好きこのまなくてもとりあえず選んで日常の中に置いてくれてるんだと思ったら、この上なく嬉しくなった。
面白いことも書いてないし、起承転結もないし、なんなら結論もない。
「だから何?」と言われるのが私は苦手な言葉の1つだけれど、まさにその「だから何?」をふんだんに盛り込んだのがこのブログだし、もしそのように聞かれても「なんだろうね〜」としか答えられないようなものだけれど、そのようなものにその人はきちんと自分の意志を伴ってあえて「見る」選択をしてくれてる。
物理的には去年の転勤でさらに何百キロと西へと行ったわけで、どこまでも遠くへ遠くへとなったわけだけど、違う部分はほんの少しだけ近付けたのかもしれないなと思う。
私側は近付くも何もできないから、
2017年:BーーーーーーーーーーーA
2021年:BーーーーーーーーーーA
(B=私、A=イケメン上司)
という感じで、ほんのわずかばかり向こう側から近付いてもらえた感じがする。
むしろ物理的距離が助けてくれたのかもしれない。
絶対的にその人の日常に私が近寄ることはないから、だから安心してブログを開くことができるのかもしれない。
逆に今、お互いに新潟にいたとして当時のように同じ事務所にいて毎日顔を合わせていたのなら、私もこんな風には書けなかっただろうし、仮に書いたとしてもその人も今みたいにはチェックしなかったと思う。
距離があってちょうどいいなんて皮肉なものだけれど、それでもそれによって相手の日常に溶けこめるんだと思うとそれもそれで悪くない。
物理的距離が助けとなったり良きものをもたらすこともあるんだなと知った。
その人が小説も読むらしいと当時一緒の職場だったSさんから聞いたことはあったけれど、そもそもこんなにも長くて私的なこと満載の文章を読む趣味があるかどうかは知らない。
しかもストーリーが確立してるんじゃなくて、なんだかよくわからないままに終わるものも多い、というかほとんどがそちらの方。
ノムが教えてくれた初めて私のブログに触れた時の感想によって、その人の場合は最初はどんな感想でそして今はどうなんだろう…?と聞けるものならぜひとも聞きたい疑問が湧いた。
そういうことを聞ける機会も巡ってはこないだろうけれど、今は日常の中に自分のブログが存在できてることにやたらと満足していて、それ以上手に入らなくても「まぁしかたないか…」とヤケにあっさりと受け入れてる自分がいる。
有休のくだりのあたりに書いた、仕事上のおかしな風が吹きまくりの件に関して、なんと二度(2日)ほど仕事中ポロリと涙が出たくらいに、相当追い込まれて真面目に何で私がこんなにもやらなきゃいけないのか全く理解できなかった時があった。
人間関係でもない、何か言われたとかでもない、人の命が左右されるような重たいものでもない(別の意味でスーパーヘビーだったけれども)、単に仕事のことだけでそこまで追い詰められて泣くなんて人生で初めてのことだった。
仕事で泣くなんてありえないし(誰にも見られてない)、すぐに涙は拭いてやるしかないからひたすら歯をぎゅっと食いしばって淡々とやり続けたけれども、とにかく地獄絵図みたいな状況が二たび、三たび続いて本当に心身共々強烈だった。
そうした時に私はどうしたかというと、その人がいた風景を心に浮かべて、そのおぞましい状況で本当に心がおかしくなりそうだった状態をなだめようとした。
仕事の地獄絵図的な状況は、私は冗談抜きで巻き込まれただけで自ら蒔いた種とは違った。
自分のせいでもないのに、積年+組織全体の後回しにされた全てのシワ寄せが私のところに来て本気で納得がいかなかったし、過去最高に酷いと言ってもいいくらいの状況でやるせなかった。
色々どうにもならなかったその状況で、私は他の誰でもない他の何でもない、その人のことを色々思い浮かべて心の平穏を取り戻すことをした。
人間、究極の状況になるとどんな風にでも何とかしようとするんだなぁ…と今になって思うけれども、あの時私がとっさに無意識にしたことは、その人のいる過去のシーンをいくつも思い出すことだった。
それをしたからと言って何がどうなるわけじゃなくても、そうやって窮地に追い込まれて心が悲鳴を上げる時に、その人の存在があるのとないのとでは雲泥の差で、それがあるからこそ繋がる繋がらないはもはやどちらでもよくなって、そうした時にすっと現れてもらえるのだから(私の心の中で勝手にそうなってるだけでも)それで十分だと感じる自分がいる。
物理的にはいないけれども、心理的にはスーパーマンのようにどこからともなくやってきてくれる。
それは私の心が勝手に仕立ててるものであっても、その人の存在に救われている自分がいる。
私の日常には溶けこみすぎなくらいに見事に溶けこんでいて、何もお願いしなくてもきちんといてくれる。
色々おかしいし痛々しいのもわかっているけれども、今回のような熾烈な状況下で本当に涙が出てきてしまうくらいの緊急事態を前に、その人の存在によって自分が救われて窮地から脱することができるのだから、それだけの人物に巡り合わせてもらえた私は超絶ラッキーだと思っている。
相手側の日常はさておき、私側の日常は平穏のみがもたらされているのじゃなく、緊急時には心の何よりもの救い・支えとして現れてくれる。
日常と緊急時の二刀流で大活躍してくれてる。
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