2020年8月25日火曜日
㉚【おいせさん手帳】星読み
おいせさん手帳第30回目
担当:私
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8月25日
自分自身を整理してみる。
太陽が乙女座へ
乙女座は緻密さや細かさ、正確さを12星座中一番大切にする性質があります。
秋分まで、自分の心の中や家の中を整理するのに適した時間です。
整理する際の基準は「自分にとっての快・良・美・真」で選びましょう。
自分の価値基準にとことんこだわってみると、自分のことをまた1つ知れます。
自分を整理することは、自分を知る=自分を大切にする行為に繋がります。
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久しぶりに手帳制作のウラ話なんかを。
「野村さん」「武士俣さん」と呼び合うような頃、月に1回、銀座の一等地に構えたビルの1階のセミナールーム的な場所で占星術の初級講座を取っていた。
私たちの先生は、基礎という基礎を徹底して教えてくれて、でもその基礎の面白みがさっぱりわからなかった当時の私は、毎回膨大な量の情報を前にうろたえて、自分がいつか星に興味を持って星読みをするとか、星占い的なメッセージをどこかの媒体に掲載するとか、そんなことはちっとも想像していなかった。
東京に行くことだけが楽しみみたいなもので、肝心要の講座は自分の中でいつも二の次三の次な優先順位だった。
記憶違いでなければ、ただの一度も講座が楽しみー!!!なんて気持ちで講座に行けた試しがない。
それほどに興味があるんだかないんだかわからない状態で行っていた。
そしてノムは先生から星読みのセンスがあると最初の頃から言われていたけれども、私は解釈に非常に偏りがあるのと見方が狭いのとで、もう少し他の解釈も思慮に入れて読むといいです、とほぼ毎回言われていた。
自分の何がどうおかしいのかイマイチ理解できなくて、それもまた星読みへのやる気が下がる1つの原因だった。
そんな風だったから、まさか自分が星読みのメッセージを公の媒体の中で披露するなんて、想像さえしていなかった。
一応、この手帳は『おいせさん手帳』という名前の通り、神社仏閣を中心としたメッセージが多い。
ノムが編集者のAさんから話を聞いた時、そしてそれを私に伝えてくれた時、2人とも真っ先に「それって僕たちには無理だよね」という話になった。
ノムも私も神社仏閣について、ほぼほぼ何の知識もない。
私が神社と寺の差を知ったのはここ2、3年だし、しかも知ったことも「神社が結婚式、寺が葬式担当」という、そんなことくらいなもので、本当に細かいことを何も知らない。
1週間とか情報集めに精を出しても大した内容を書けないことは、火を見るより明らかだった。
だからノムと私とは賭けに出た。
自分たちがどんな文章なら書けて、反対に手帳の本流的な神社仏閣系は書けないことを伝えよう!となった。
そしてその見本となるメッセージを、ノムといくつか書いて、たしかノムが星読みメッセージの見本を書いてくれてたと思う。
日本古来の和の文化に対して、ノムと私は真っ向から「西洋占星術」を中に入れられないかと聞いてみることにした。
これは出版社の意向とは違うだろうから、吉と出るか凶と出るか最後までわからなかった。
その最後まで自分たちの在り方や考えを変えずに「自分たちはこうです」と明言したものが採用された。
そして、第1回目の依頼された分を提出した後、編集者のAさんから、一部の星座があって12星座全部がないのは違和感があるから、それも追加で書いて欲しいと頼まれた。
そうやって追加で書いたものの一部が今日のこのメッセージだったりする。
見ての通り私は、星座の情報と自分のためにできることを組み合わせて書くスタイルにした。
ノムが最初その原型モデルをいくつかの星座で書いてくれたから、私もそれに倣った。
ちなみに、星座の時もそうでない時も、私はどちらの時も基本的に自分の内面に目が向くように、または自分を大切に扱うことができるように、そういう内容を数多く取り入れた。
星読みを学んで思ったことの1つに、社会のものさしに合わせると私はズレまくりの異端児みたいなところが多々あるけれども、自分が生まれた瞬間の星配置を見ると、星の通りに、それも100点満点と言ってもいいような、そういう人生を歩んでいる。
だから、決して間違えてなんかいないんだな…と気付いた。
個性を埋没されるような教育が、日本の場合戦後長らく敷かれてきて、それは私だけじゃなく多くの人たちが物的な豊かさとは引き換えに大きく別の何かを失ったような状態になったわけだけど、本来なら1人1人全く違う設定を持って生まれてくるわけだから、その違う設定を各自が生きたら、無限大に人の種類も生き方もあるようになるのが普通だと思う。
教育論や政治に言及しても仕方ないし、そんなことしていきなり何かが変わるとは思ってないから、だからせめて自分の手が伸ばせる自分のことだけでも何かできることを発信したい、そういう気持ちで書いていた文章だった。
【整理する際の基準は「自分にとっての快・良・美・真」で選びましょう。
自分の価値基準にとことんこだわってみると、自分のことをまた1つ知れます。
自分を整理することは、自分を知る=自分を大切にする行為に繋がります。】
今自分で読んでもうっとりする(笑)。
「自分にとっての正解」と言うと難しいと感じたから、あえて「自分にとっての快・良・美・真」とした。
自分にとって何が快なのか
自分にとって何が良きことなのか
自分にとって何が美しいのか
自分にとって何が真(真実)なのか
具体的な言葉を添えることで、「自分にとっての正解」に近付ける気がした。
そして、自分を整理することが自分を知ることになって、そしてそれがズバリ自分を大切にすることに繋がっていく。
1年前からそこに着眼していたんだなとわかる。
ひたすら自分を見つめること、自分を至上最高のものとして扱うこと、そういうことが本当に大事なんだと気付き始めた自分がいる。
それは今もっと強くなった。
周りや世間の意見ではなくて、「自分はどうしたい?何を信じてる?」を常々聞く習慣が定着しつつある。
そして、それをすればするほど、自分が生きやすくなるってわかった。
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