夏の空
仕事の駐車場近く
おいせさん手帳第28回目
担当:私
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8月8日
寂しさをしっぽりと愉しむ。
立秋翌日
暦の上では昨日立秋を迎えました。夕空を見上げると、いつのまにか日が短くなって秋に近づいています。見ていると、寂しい気持ちが湧いてくるかもしれません。その時は、その寂しさにしっくりくる音楽や本を用意します。真夏の夜に寂しさを味わうのも粋な出来事としてあなたの中に残るでしょう。
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毎年この時期になると、きまって寂しくなる。
昼下がりセミがミンミンと鳴いていても、空が少しずつ夏の空から秋の空に変わっている。
夕刻になると、まだ暑いのに日は沈み始めてる。
もう夏が終わるんだな…と思う。
その感じはいつも胸の辺りにやたらと響いて、何がどうということはなくても寂しくなる。
これが秋になると、私なんかは逆にその空気に馴染んで秋を愉しむくらいの余裕まで出てくるけれど、その前の夏の終わりくらいが何か終わってしまう感じがしていつも寂しい。
だから今日のメッセージは、思いつきとか想像じゃなくて、私自身の原体験をまんま言葉にしている。
「湧いてくるかもしれません」なんて書いたけれども、実際は「超湧きまくるし!!!」ぐらいな気持ちで、あれは一応そうは感じない人もいるだろうから、ちょっと気遣ってやんわりと書いてみたに過ぎなかった。
今年の夏は、残業終わり、大きな建物を出て駐車場までの30メートルくらいの距離を歩く時にそれを感じる。
暑いのになんだか寂しい。
外が暗くなるのはあっという間で、今年なんかは梅雨が長かったから、夏の気配もイマイチ感じない頃から、その夏特有の寂しさだけが先に来てしまって、もうそんな時期なんだと驚いた。
この1年くらい、もしかしたら2年くらい。
「寂しさ」を愛でれるようになりたいと思う気持ちが出てきた。
寂しさはそんなに積極的に愛でたいものとは違うけれども、それを悪者みたく扱うと、そちらの方が色々厄介だと知って、それなら逆に寂しさと仲良くした方がいいよね!と思うようになった。
寂しさだって立派な感情の1つなんだから、それを味わうくらいの余裕が生きているうちに持てたら素敵だなと思う。
10年以上経ったかなと思うけれど、感情を味わうことの意味や醍醐味が経験と共にわかるようになってきた。
最初の頃は、「寂しさ」は苦手な感情の1つだったけれど、その頃に比べたら苦手度は確実に下がった。
得意にはならなくても、苦手すぎて無視したくなるみたいにはなっていない。
寂しい時はどうやったって寂しいから、もう時間が過ぎるのを待つしか基本できないけれど、それでも邪険にはしなくなった。
先日このブログで読まれた記事を、私も何を書いたのか気になって見てきた時に見つけた「寂しさ」についての自分の見解。
2年前の夏に書いたブログで、自分で読んでしびれたくらい自画自賛した(笑)!
引きこもり全盛期の頃の言葉だから、より一層言葉がよく響く。
人間は生まれてから死ぬまで基本のベースは孤独だと思っている私にとって、実は寂しさというのは特別な条件が揃わないと持つことのできない感情なんだと知ってハッとした。
数ある感情の中でも、ある種贅沢な感情かもしれない。
贅沢というのは、そういう条件を持つことができてる、という意味で。
*
引きこもってた時だったのか、いつだったのかは忘れたけれど、「寂しい」ってすごい感情だなと感動したことがある。
そもそも誰かがいなくて寂しいとなるには、そのそもそもの誰かと出逢っていないといけなくて、そしてその人が寂しさを連れてくるぐらいに自分の中で特別でないといけない。
だから、これは誰かがいないと成立しない感情なんだなと思った。
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