2020年6月3日水曜日

⒆【おいせさん手帳】心の限界の声を聞き届ける




おいせさん手帳第19回目
担当:ノム

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‪6月3日‬
‪自分の心をおしはかる1日に。‬
‪測量の日‬
‪ ‬
‪測量には位置関係を測るという意味と、「おしはかる」という意味があります。‬
‪誰かの心情をおしはかる際にはきっと、五感を使い、‬
‪その人の言動を繊細に捉えることを自然としているのではないかと思います。‬
‪その“おしはかり力”を自分に向けたことはありますか?‬
‪心に聴診器をあてるように耳を澄まし、自分の気持ちに寄り添ってあげて。‬


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書きたい気持ちと疲れた体とせめぎ合いながら書いている。

今日の文章は、最初から「これを書こう!」って決めていたテーマがあった。

今日のテーマは「自殺」。

4月の終わりに、いつもお世話になっている車の整備工場の雇われ代表的存在のNさんが自殺で亡くなった。

それから何度となくNさんのことを思ったし、Nさんの死という名の不在も思ったし、自殺についても考えた。

お願いされて考えてるのとは違って、どうしても考えてしまった。

さらに考えたところで何も変わるものはないし、何がどうなるわけでもない。

もはや何でそんなことを考えるのかもわからずに考えていたけれども、この1ヶ月ちょっとの中で思って、そして今の地点で言うと「考えを改めたこと」について触れたい。

Nさんの死は、私にとって人生哲学的なものの大きな転機となった。

ちょっと楽にもなれたし、今回の気持ちの変化がNさんがもたらしてくれた最後のメッセージなのかな…なんていうのも思っている。





Nさんの死の前も後も、要は今も、基本的に私は自殺はしたくないものだし、自ら命を落とすというのは人としてやっぱりよろしくはないと思っている。

ちなみに私が自殺したくない理由はただ1つ。

もう一度今の人生と同じかもしくはこれ以上辛くて苦しい体験をしたくないから。

自殺願望というよりも、生きていることがしんどくて辛過ぎる時間が数々あった私は、極端なくらいに「生きたい願望」の薄い人だった。

何が楽しくて今日という時間が与えられていて、そして今日という日を全うしなきゃいけないのか、私には色々理解するのが難しかった。

30ぐらいまでは死にたいと思ったことは回数としてたくさんあったし、実際に中学2年生の頃、自殺未遂とまでは言わないけれども、テレビドラマに出てくるみたいに手首を切ってみた。

今なんかのほほんとしているけれども、当時は本気でしんどかったし、あれは人生で5本の指に殿堂入りできる苦しさや辛さだったから、今でも死にたいと考えまくっていた時間を決して忘れたりはしない。

その体験は私にとって大人になった今も1つの大きな通過点だったなぁと感じている。

30過ぎてから私の自殺願望がきれいさっぱりなくなったのは、他のなんでもない、『神との対話』という超有名どころのスピリチュアル本を読んでからだった。

その本の著者はある日突然目に見えない世界の住人とコンタクトが取れるようになって、そこから色んな情報を得て、その得たものを書いたのが『神との対話』だった。

その中で自殺についても取り上げられていて、そこに書かれていた内容が衝撃だった。

もしうっかり自殺して死んだ場合、次の人生はさらに重たいテーマを課せられる、今生よりもさらに生きにくさや辛さが増すとあった。

それ見た瞬間に、ピタッときれいに自殺願望は消え去ってくれた。

生きたいという意思も弱かったけれど、死にたいとはそれ以降思わなくなった。

反対に、絶対の絶対にもう一度今の人生よりきつい人生を送るなんて嫌だから、何が何でも生きようと思った。

それは今も変わらない。

その点に変更はないけれども、自殺に対して思うことが変わった。

Nさんの死を目の当たりにした時、死ぬことさえも人には選ぶ権利があるということを初めて本当に思った。

死ぬことは今ここに書いた理由で薦めないけれども、そしてこれまでの私は生きるのが辛い死にたいと嘆く人がいたのなら、「いや、来世もっときつくなるからやめた方がいいよ」って全力で伝えるけれども、そこはそのままなんだけれど、Nさんのことを見て1つだけ考えが変わった。





Nさんは62歳か63歳だった。

奥さんも子どももいるし、仕事だってきちんとある。

家もあるし、人が持ってるといいなぁと言われそうなものは全部あるように見えた。

町内会長になるくらい人望も熱かったと思う。

仕事だって完全に任せてもらってるようにはたからは見える。

年も年だから、お迎えは早ければ1年としないうちにくる場合だってある。

おそらく前日まで仕事をしていたかと思うから、体の具合が悪かったというのはゼロではなくてもそれが理由というのは考えにくい。

60年以上がんばって生き続けてきて、もう終わりの方が近い年齢に差し掛かっているのに、それでも生きるより死ぬことの方を選ぶことの方が楽な時もあるんだとNさんの死をもって思った。

生きることの方が死ぬことより辛い、苦しい、そういうこともあるんだと、Nさんの死はそれを私に告げた。

そして、本当に限界だと感じるなら、死ぬことも選ぶのはありだと初めて思えた。

私は選ばないけれども(なぜなら次の人生がさらにキツイのは嫌だから)、それでもこれまでの60年分の毎日よりも今日1日をやり過ごすことの方ができないと感じたのなら、死ぬことを選ぶのは仕方ないのかもしれない。

Nさんがもっと若かったら考えも違っていたと思う。

だけど、60年以上生きて、色んなものを手にして、もちろん手にするために色んなことを積み重ねてまたはあきらめて、それで今日という日を日々迎えることをしていたのに、ある日それはもうどうやっても無理になってしまう。

そういうこともあるんだと知った。

寡黙型の人ゆえ、色々自分の中で思うことはあったと思う。

それがもう限界になって爆発してしまって、自分でも自分を止められないくらいの激情が最後は解き放たれたのかと想像したら、Nさんの自殺は本当にどうにもできない、本人が自分に差し出した最後の切り札だったのかもしれない。

だから「死んじゃダメだ」とか「自殺はいけない」とかそんな簡単なことじゃなくて、そうした声が届かないくらいに追い詰められていたとするなら、死ぬことを選ぶのも人間として大切な選択の1つなのかもしれないな…、と本当に初めてそのように思った。

それ以外の生き延びる方法は実際にいくらでもあるけれども、それでも生きてることがあまりにも辛くて何も考えられなくなったら、死はダメなものではなく、本人がその時自分のためにできる最大のことなのかもしれない。

人の辛さや苦しさは推し量れない。

今回亡くなった若い女子プロの方の死は、正直な気持ち、同情もなければ共感もない。

辛かっただろう状況は私の想像に及ぶような範囲を大幅に超えるものだったとは思うし、それは体験した人にしかわからないものも確実にある。

そこじゃなくて、本当に辛かったのなら逃げたら良かろうに…などと全くやさしくないことさえ思っている。

自分の存在を否定されることの惨さ(むごさ)や陰湿さは、本当に強烈だと思う。

だけど、どうしてそこから逃げることをしなかったのか、どうしてその誹謗中傷が全てと思ってしまったのか、私には正直解せなかった。

発信される周りの大人たちのメッセージは、変な意味で死を肯定しているみたいで、私には全く響かない。

当人にしかわからない痛みがあることは重々承知の上で言うと、私は本気であの年齢的なことを思うと「逃げたらいい」と思う。

さらには、色々あっても時間薬が効いてくれたり、心を癒す方法を自分のために取り入れることは残りの人生で可能なことも知っているからこそ、私には解せなかった。

それは自分が全力でやってきたからこそそう思う。

知らない人たちからの誹謗中傷と知っている人たちからの誹謗中傷はもちろん違うし、数としての規模も違う。

だけど、知っている人たちから日々強烈な凶器となる言葉や態度を向けられても(毎日幾つものことを体験することの年単位)、それでも生きる道はきちんとあるし、傷を癒しきれなくても生き延びる方法はある。

本気でそれをくぐり抜けてきたから、厳しいようだけど、私は同情できなかった。

甘ったれてるとは言わない。

だけど、逃げることも傷から離れることも、または癒されなくても笑える日がくることもきちんとあると知り得たからこそ、自分の中でその死は無しだと思っている。

死人に口なしだけど、みんな誹謗中傷や本人を思いやるところの発信が目立つけれども、誰でもいい、「死ぬな」とピシャリと言う人がいないのか、私はあの一件をそんな風に冷めた目で見ている。

だけどNさんのことは違った。

本当にたくさんの日々の積み重ねをひたすらやってきて(それはもちろん誰しもだけど)、それでもどうやっても逃げることも続けることもできなくなってしまう、そんな気持ちを想像したらやるせなくなった。

だから、Nさんのことを「どうして…?」とはあまり思わないけれども、死を選んでまで守りたい自分の中の何かがあったんだろうと想像する。

Nさんは死を通して逃げたと言うよりも、死を選ぶことで自分の何かを守ったのかもしれないと思う。

だって見るからに自分のことは不器用そうだし、その不器用さゆえにこれまでだって生きづらいことなんかたくさんあっただろうと思うから。

一瞬のことでも、死を決意するほどの何かがあって、それは取り返しのつかない選択であっても、もはや過去の60年以上のそれまでの自分のやってきたことでは挽回できないくらいの何かだったんだろうと思う。

色々矛盾しているけれども、そこまで生きて時間的な終わりがある程度見えてきてもおかしくないのに、それでも死ぬことを選んだNさんには、反対に「死ぬな」とは言えない。

死んで楽になったとは思わないけれども、それでももう死ぬことしか見えてなかったくらいの何かが心の内にあったのかと思うと、最後は死を選ぶのもその人の生き様なのかもしれないとさえ思う。

また日を改めてNさんの死の後思った様々なことを書き綴りたい。

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