ちょっと気になった話。
立て続けに話題の記事を読んだら、若干具合が悪くなってしまった。
最初は精神病持ちの成人した息子のお母さんの話。
次はアルコール依存症の夫に離婚届突き付けられて、本当に出す段になったら「やっぱりもう一度考えよう」と夫側が言ってきた妻の話。
最後は、どうしても妊娠したくて、好きでもない手も繋いだことのない男の人の精子を使って妊娠した女の人の話。
3人目は最初意味がわからなくて、私はいくつか記事を読んで、事の成り行きを確認したほど 苦笑。
技術の進歩で、それも可能だと知った。
どれもこれも強烈すぎて、不快感マックスになった。
内容が強烈というより、そこに出てくる書き手の人たちの心のぐちゃぐちゃしたところや、自分自身が自分から超ないがしろにされているところとかが、うわぁ……ってなった。
1人目のお母さんも2人目の妻も、「私がいなきゃこの人は生きていけない」と思っている。
もうそれが私には気持ち悪くて仕方なかった。
常にななめな目線な私は、「こんな子を1人にして酷い母親と思われたくない」「私の方がダメ旦那がいないと生きていけない」とはどちらも口が裂けても言わないだろうし、そんな風に自分が思ってるかもしれない可能性なんて全く考えてもいないと思う。
3人目の人は、「〇〇さえあればしあわせになれる」と思っている人のようで、それは構わないけれど、子どもがもし障害持ったり超グレて家庭内暴力振るったり又は精神的にダウンして不登校引きこもりとかになったらどうするんだろう…と思った。
妊娠して子どもさえ産めばしあわせになれると思い込んでいて(←そのように書いてある)、そこがとっても怖い。
先日真ん中の妹が姪っ子一家を訪ねた。
その時のエピソードの1つ、面白いけれど現実は笑えないよね…という内容がこれ。
姪っ子は今3歳、保育園では年少にあたる。
今のハマりものはプリキュアとプリンセスらしい。
一家3人と妹の4人で出かけることになって、妹は眠たかったから助手席に乗った。(←姪っ子の隣りは魔の寝させてもらえない席)
姪っ子はチャイルドシートの関係で後部座席に固定。
最初姪っ子の隣りには母である方の妹が座った。
そうしたら、姪っ子は
「メイ、おかあさんにがてなんだよね」
などとほざいたらしい。
母である妹は小さくふくれて、真ん中の妹は「席替わって!」と言われ、席をチェンジしたらしい。
姪っ子がめったに会えない妹を大好きなのはわかるし、普段はおかあさん第一主義なのもわかるけれど、この子ども特有の残酷さはいつどこで発動するかわからない。
「メイ、ゆうこがとなりがいい」でも良さそうなのに、どうしたら「メイ、おかあさんにがてなんだよね」になるのか…。
しかも「にがて」って、どこでそんな言葉を知ったんだろうねぇと2人でゲラゲラ笑いながら話した。
今は笑い話だけど、その時は一瞬で車内の空気がおかしくなったとのこと。
妹も、たとえ相手は妹でも気まずすぎて嫌だったと言っていた。
とにかくこういう小さな傷や怒りになりそうなことは、子どもだと見境なくあらぬ方向から日常茶飯事に飛び込んでくる。
妊娠できて良かった、元気な赤ちゃんが生まれて良かった、などということだけでは子育ては絶対に済まされない。
ということを、この女の人は考えたり見越したりしたことは一度でもあったのかな…と思った。
どの文章を読んでも、「努力さえすれば、すべて自分の意のままにできる」と考えているタイプのようで(妊娠さえも!)、「思い通り」の反対語のようなことばかりをやってくれる子どもをどう思うんだろう…と思った。
ふと、何年も前に出たセミナーの時の話を思い出した。
手かざしで本当に人の不調を治したり、緩和させることのできる、ヒーラーの先生のセミナーだった。
「手かざしで治す」なんて超絶怪しいけれど、私はその先生の人となりと実際の治療とを見て、本気でそんなことが起こって、本気でそれがその先生が人生を懸けてやっていることなんだと知った。
その先生は名古屋に2回来て、その先生の門下生でもある東京のマッサージするヒーラーさんがわざわざ情報を私にメールで知らせてくれて(そんなことはその時一度きりだった)、それで行ってきた。
2人誘って行って、その2人もものすごい良かったと大絶賛していた。
余談になるけれど、その先生を紹介してくれた方は、超ウルトラスーパー運動音痴の私にある時施術してくれ、その施術の直後、超絶混雑している東京駅の中を誰一人当たることなく猛ダッシュして、それこそ地下鉄一駅分くらいの距離を走り抜ける力を突然引き出してくれた。
今でも忘れない。
私は動体視力とかも怖ろしく低いんだと思うけれど、その時ははっきりと何十メートル先も走り抜ける道が見えていて、その見えている道をひたすら走れば良かった。
予約した新幹線に乗るのに、出発5分前に新幹線口とは真逆の降車口に着いて、もう無理だと思っていたら、そんなすごいことが起こった。
その方が推薦する先生だったからすごく気になって足を運んだら、先生はさらに凄すぎた。
セミナー前半は先生の色んな話で、後半は参加者たちが質疑応答できる時間という配分だった。
質疑応答は何でもOKで、各自が自分の相談を先生に投げかけていた。
50〜60歳ぐらいの女性が質問した。
「私は、仕事もおかげさまで上手くいっていて、夫婦も仲良くて、旅したり自分の好きなことをする時間もあって、本当に今ならいつ死んでもいいぐらい満たされています。
唯一、子どものことだけが気がかりだけど、それ以外は本当に満たされていて日々しあわせで、こんな風な人生でいいのかな…なんて時々思ったりします」
たしかそんな内容のことを言っていた。
相談というよりも、こんなに私はしあわせで大丈夫でしょうか?みたいな話だった。
先生は単刀直入に「子どものこと以外は上手くいっている、子どものことだけが気がかりだということでいいかな?」と確認した。
その女性はそうだと言った。
「まず、あなたは“満たされているしあわせ、いつ死んでもいい”と言いながら、本当は『子どものことが心配で心配で、子どもを残しては死ねない』とどこかで思っている。本当に子どものことがどうでも良ければ、『子どものことが…』という言葉は出てこない。違いますか?」
女性はうんうんと頷いた。
先生はさらに続けた。
「まずは、認めなさい。子どものことが気になって気になってしょうがない自分、他が満たされて上手くいっているではなく、子どものことをおいて死ねないと思うぐらい、子どものことが心配で仕方ないという自分を認めなさい」
女性はさらに頷いた。
図星なんだろう。
はっきりとはわからなかったけれど、泣いている風だった。
「そしてもう1つ。子どもの人生は子どもの人生、あなたの人生じゃない。あなたはあなたの人生を楽しんだらいい。子どもの人生を気にかけることはできても、子どもに代わって子どもの人生を生きることもできなければ、あなたが“しあわせ”と考える在り方が子どもにとってのしあわせとは限らない。子どものことが心配で…、というのは、自分が思う生き方になっていない子どもが心配で…ということで、それは自分の思い上がりだということを知りなさい。
子どもは子どもの人生を生きるんだから、あなたはあなたの人生を生きたらいい、楽しんだらいい」
こんな風に言われていた。
その後、30代と思しき女性2人がそれぞれ出てきて、先生に全く同じ質問をした。
2人共、夫婦共々異常はないのに妊娠できない、不妊治療を数年しているけれど子どもができないという相談だった。
私から見て、2人に差など何もなくて、2人目の人が質問した時に「何でこの人も同じ質問してるんだろう…、他の種類の質疑応答を聞きたいのに」ぐらいに思って、心の中で悪態ついてた。
結果的に2人共聞けて本当に良かった。
1人の人は、先生はその人をパッと見て言った。
「お母さんとの関係、上手くいってないでしょう?
お母さんと自分の関係を見て、自分も母親になったらそんな風になってしまうんじゃないか、きちんと子どもを育てられるんだろうか…とものすごく不安になっている」
その方はそれを聞いた瞬間、泣き出していた。
もう1人の人は、また先生は一瞬だけ相手の全体を見てすぐに話を始めた。
「旦那さんとエッチするの嫌でしょ?
他の男の人たち、なんなら僕とだってあなたはエッチできる人なのに、旦那さんとだけはどうしてもしたくない。
そうじゃない?」
先生は茶目っ気たっぷりに言った。
その女の人は苦笑いしていたけれど、その通りだと言っていた。
お母さんとの関係の人には、まずはお母さんとの間にある自分の気持ちを見ることと言っていたし、旦那さんとの関係の人には、旦那さんに対してどう思っているのか正直にそこを見るようにと言っていた。
その後、3人の人たちも他の質疑応答の人たちもどうなったかは知らない。
だけど、まだそうしたことを学んで1年2年の私には、ものすごく目から鱗の話ばかりだった。
ちなみに、こんなにすごいヒーラーさんには、この先生以外に会ったことがない。
ただ見ただけで体の不調箇所や不健全な思考パターン、人間関係の歪みを見抜く人は、後にも先にもこの先生1人だけだった。
しあわせとか、何を感じたら自分が満たされるかは、人によって全然違う。
30から人生の立て直しのようなことが始まった私は、まずは自分の思い描いていた未来を捨てることから始めた。
叶わないことはどうやっても叶わない。
それは何をどうやっても無理なことで、その現実を受け入れて生きていく他なかった。
時間はものすごくかかった。
多分本当に受け入れ始めるまでに7年8年とかかった。
完全に受け入れるにはさらに時間を要した。
当然その間にも人生は進むわけで、時間だけ進んで自分の中だけはずっと止まったままになっていて、それにもゾッとしていた。
すっごい苦しかったけれども、それがあったおかげで、私は「〇〇したらしあわせ」という思考パターンから抜けられた。
人生にはどうやったって叶わないことがあるというのも学んだ。
好きでもない男の人から精子をもらって妊娠した人の話を読んで、さらに思った。
結婚して家族を持つことを私は普通に夢見た人だった。
それは社会の仕組みを見てそれが当たり前と思ったとか、親からの結婚だけはしてくれとかいう言葉からではなくて、本当に私は好きな人と一緒に人生を送ることが本当にしあわせだと、それは今でも思っているから、それでそういう気持ちをずっと持っていた。
けれども、そこが崩れて、結婚するしないとかよりもそういう人に出会うことさえ難しいと知って、さらには訳の分からないオカルト出来事の参入なんかもあって、自分の人生が自分の心の願望とはおおよそ違うところに流れていってることだけはわかった。
しかも、コントロール不能なぐらい、何か強制力が働いている。
そこで私は、どうやったら自分が自分のことだけで満たされるのかに今度はシフトした。
誰かに愛されたら、結婚したら、妊娠したら、きちんと仕事をしたらしあわせになるとするなら、いつまでもしあわせになれないと思った。
条件が揃わない限りしあわせにはなれないなら、もう一生私はしあわせになれない…、そんなのは嫌だったしおかしいと思った。
だから、そうした条件抜きで自分が満たされたりしあわせを感じることを目指し始めた。
そういうのは本来目指すものとは違うと思うけれど、私みたいに自分で自分に納得しないと息苦しいばかりの人は、最初はがむしゃらに自分を満たすことをあれこれ試しだした。
そうこうしていくうちに、小さなしあわせに気付くのがめちゃくちゃ上手くなり、自分でも自分を満たせるんだと知っていった。
なんだけど、やっぱり不足感や欠乏感や満たされない感が消えなかった。
最初はそうしたものを少なくすることに力を入れていたけれど、ある時からそれもまた自分で、そうした自分を否定すると自分が傷つくとわかって、今度はそういう自分にもなんとか居場所を作ろうと、そういう取り組みを始めた。
今も自分の居場所作りは絶賛取り組み中だけど、10年前の30歳の頃よりももう少し自分と上手く付き合えるようになってきた気がする。
妊娠した女の人の話を読んだ時に、正直ドン引きしたけれども、それを読んで少なくとも自分の気持ちに向き合ってきて良かったと思った。
社会的に不具合すぎた自分は、とりあえず社会の喧騒から離れて、離れても超情報社会、全てから隔離とまではいかなかったけれど(携帯がある限り、メールや電話はくる)、それでも外野の声を遮断して自分の内側にこもった。
こもって自分の大事にしたいものやことを少しずつ確認した。
人や社会とは違っても、自分は全く違うところに大事なものやその基準があった。
今思うと、ひっそりとその自分を大事にする下準備みたいなのをその頃から始めたんだと思う。
意図的にやった気はなくても、やっといて良かったと今は思っている。
妊娠した女の人は、記事のどこかに自分はそれでしあわせになれるのかどうかということを書いていて、さらにそのしあわせ基準が「対・自分の中」ではなく「対・社会の中」や「対・同世代の中」というもので、これだと終わりがないなぁと他人事ながらそう思った。
子どもがいたらしあわせ…なんて考えるのは、私は考えが甘すぎたなぁと思う。(←その女の人ではなくて、私自身が)
まずは、自分で自分がしあわせにならなかったら、何か欲しいものが手に入ったとしても、今度はその状況下でぶうすか文句を垂れてる自分が思い浮かぶ。
自分のことを満たせないまま、後付けのように何かプラスがあっても、今度はそれがなくなったらまたしあわせになれない自分が出てきてしまう。
もしくは、満たされてるのに「まだまだ」なんて思う自分になったかもしれない。
自分だけでも手一杯な私は、元々もだけれど、誰かをしあわせにしようという感覚がものすごく薄い。
同時に、私がいないと誰それが困るなんてのも思わない。
そんな変な重さは困る。
自分でも自分を満たせて、さらにそれで人と繋がっていく、そういうのを目指したい。
逆にそれで自分が繋がれなかったとするなら、もうそれは縁がなかったということなのかな…と思う。
いつかノム(占星術講座のクラスメイト)が言ってくれた言葉が胸に響く。
【ぼくが理想とするのは、だから、独立した個が、個人が独立した同士で時に支え合える関係、場なんだとわかった。それには、個々がまず自分を最優先させること。自分を大切にしまくって、自分だけで満たされるくらいになって、だけど、ときどきどうしようもな孤独や淋しさを、わかるよ、って言い合える。そういう人間関係。】
自分が残りの人生で目指したいことが、とても丁寧に表現されていて、これまでに数回繰り返して読んだ。
やっぱり自分をとにかく満たすこと、そこが鍵だと感じている。
何か役割がないと、何か物がないと、パートナーや子ども・家族を作らないと自分は満たされないじゃなくて、究極何もなくても、ダメダメ星人な自分でも「なんかしあわせ」みたいなのがいい。
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