2018年8月27日月曜日

野うさぎ→リュック→月→?

連想ゲーム:野うさぎ→リュック→月食前の真っ赤な月。

5月の終わり、まだ肌寒い時間に出発した夜中の運転。

耳をピンと立てた可愛らしい野うさぎを道中で見た。

キャンセル待ちが取れて行けることになったホロスコープの初級講座だった。

真夜中の高速バスに乗るためにバス停まで向かう途中で見た。

何百回と通った道だけれど、野うさぎを見たのはその時が初めてだった。

うさぎの耳というのは、自分にとって良い情報とそうではない情報を聞き分ける機能があるとのこと。

暑くなった6月の夜中には、今度バス停で見覚えのあるリュックを見た。

ある人が使っている仕事用のリュックと同じメーカーの同じ形をしたリュックだった。

この自宅からバス停までの道のりで見かけるものたち、野うさぎ→リュックときて、面白い連なりを発見した。

私は「私に必要な情報をリュック=自分の心に詰め込む」と解釈した。

7月は、月だった。

月食の2日前?だったかなと思う。

日付は変わっているから、本来月は天空高くあるはずなのに、なぜかとても低い位置で真っ赤になっていた。

スーパームーンの時みたいな、真っ赤な月で、私はその月をひたすら見ながら運転した。

しかもこれはその後毎日月を眺めたからわかったことだったけれど、そんなにも赤くなっていたのは、なぜかその満月ではないその日だけだった。

満月の日の月が色も形もあまりに普通すぎて逆に驚いた。

「野うさぎ→リュック→月」ときて、実はこの月の読み解きはまだできていない。

今書いていて「一期一会」と出たけれど、まだ半信半疑。

これは明日というか水曜に変わったらわかる気がする。

今回、8月の夜中に見るものが、前回の月の意味を教えてくれる気がしている。



リュックの時以降今に至るまで、私はほぼほぼ人に会わなかった。

会ったのは、ホロスコープの講座メンバーやヒーリングの勉強のためのOさん、ホロスコープ鑑定のS先生、お盆で会った妹と姪っ子、そして親族になる。

その他に会ったのは友達とその娘。

他は本気で1人の世界にどっぷりと浸かってた。

この友達の娘とは、けっこう真面目に人生の話をした。

今年高校受験を控えている。

中1の秋か冬の始まりぐらいから不定期に英語を見ている。

見ているのは英語だけど、多分英語は手段でしかないと思ってる。

この間会った時に話したのは、どうやって高校を選ぶかだった。

第一子だから、上に見本がいない。

私が同じ年だった頃に比べて断然情報は多い。

それでもその年である程度の進路を定めるには情報が少ないと思う。

情報というよりも、進路を考える時の考え方の見本があまりないという感じ。

そこは25年前も今もさほど変わっていなくて、自分の学力に対してどこに行けるのか、みたいなのが今も主流になっている。

そこで私はどうしたかと言うと(本人は優秀でかなり選べる)、2つのタイプの違う学校を出して、それぞれ行った時の2年後、3年後に何をしてるのかというイメージを本人に出してもらった。

1つは安定に繋がる進路。

だけど、そこに興味がないのはわかってた。

だけどそんなの私が口を挟むことじゃないから黙っていつも聞いてた。

今回は本人が自分でイメージして気付いた!

「それしたくない」とはっきりと言った。

とりあえずもう1つの方であれば、その「したくない」道も含めてどういう道もまだ選べるから、それが何が何でもしたい!ということでなければ、選択肢がある方がいいかもね、とは伝えた。

そしてもう1つ、超絶お節介なのは知っていたし、お父さんやお母さん、塾の先生、学校の先生は誰もそんなこと言わないかもしれないけれど…と前置きした上で1つだけ伝えた。

今時代が大きく変わりつつあって、さらにもっと変化することがその子たちが大人になった時には予想できることも伝えた上で、これから何かを決める時に「私が」大事にしたら良いと思うこととして「自分の『好き』を見つけるといいよ」と伝えた。

大企業も倒産する時代、AIが人間に代わって働く時代、お金の価値観も変わる、そんな風にめまぐるしく色んなことが変わるのは、中学生でもわかる具体的な例を出したら、本人もそれはすごく納得していた。

そうした時に最後確実に残れるのは、自分がどうしたいかということ、それは好きなものなら本当にいざという時も踏ん張れると思う、と伝えた。

本人も思うことがあったのか、「好きなこと…」と呟いてた。

そして続けた。

今はわからなくてもいいこと、まだまだいつの時も変更できること、そして少なくとも「好きなことって何だろう?」と考え始めるだけでも大きな一歩でそれはこれから何年もかけて見つけていったらいいことを伝えた。

私はものすごいお節介なことも、友達夫婦の考え方も知っていたけれど、単純にその子が今ある情報だけで何かを決めていくのは「危ない」と感じたから、余計なことを口出しした。

15歳の子が何かを自分で考えて選ぶ時に、もうその基準では絶対に通用しない時代に入っていて、そして当の本人がその基準で心からの納得をしていない。

何を選ぶかはもちろん本人だけれど、その時に考え方の選択肢はある程度あった方がいいと思う。

塾で色んな受験生たちを見ていてもいつも感じてた。

進路の選択肢はどうしても学力的なものも関係するからそこは無限の選択肢とはいかなくても、自分の人生の選び方や向き合い方は1つじゃないことを知っていた方が絶対にいい。

自分の生き方を前に偉そうなことは一切言えないけれど、これは少なくとも私がもっと若い時に知っていたら良かったなぁとは思っていることだから、押しつけにならない程度には伝えたいと思ってる。



これを書いていた途中、1通のメールが来た。

メールの中で1つ質問をされた。

この人も不安な時間を過ごしてきたんだろう…というのはわかった。

長い歴史の中で初めてされた質問だった。

私は私が知る限りの答えを書こうと決めた。

それでその人が癒されたり元気になるのなら、ありったけの言葉を綴りたいと思った。

大人になればなるほど、自分の生きてる意味がわからなくなった。

そんなすごく大きな意味はいらない。

だけど、一瞬でも自分の存在価値がわかるとホッとする。

しかもそれを自分以外の誰かから与えられるとより一層気持ち的に救われる。

私はまさかその質問を自分が受けるとは思わなかった。

そしてその人のことだから、そんなこと誰にでも聞かないことも何となく想像がつく。

その人じゃなくても、9割以上の大人たちは聞けない。

怖くて聞けない。

自分を丸裸にして「自分ってあなたから見てどう?」と聞くようなものだから。

だから私はその役割を与えてもらえるだけでも、ものすっごく光栄だった。

その人がどれだけの勇気を振り絞って聞いているかがわかるから、余計とすごい大役をもらえたと思っている。

私は私でその役割を与えてもらえて嬉しい。

その役を通じて元気をもらったのは私の方だった。

だから、もらった分、それ以上にお返しをしたいと思う。



それとは別に、さくらももこが亡くなったよというグループラインが入ってきた。

携帯ニュースで確認したら53歳だった。

53歳…今の私からしたら約13年後になる。

もしあと13年の命なら、私は何を選ぶんだろう。

今日さっき与えてもらえたみたいな役割をやりたい。

自分以外の誰かが「生きてていいんだ」とわかる、それを一瞬でも感じられる、その何かを伝える役割っていいなと思う。

今回そんなすごい役割が回ってきてわかった。

その役割を与えてもらう方が元気が出るということ。

連想ゲーム:野うさぎ→リュック→月→?(29日になってすぐに見る予定のもの)。

今回の役割とさくらももこさんの死によって見えてきた残りの時間、そして29日に見るものがヒントになる気がする。

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