2014年9月21日日曜日

断捨離=過去との決別

しばらく時間ができたことで、やりたいこと・気になっていたものをリストにした。

その中にいくつか「整理」という言葉が出てきた。

靴箱の整理
服の整理
紙の整理


最近、父親から譲り受けた1~2泊用のキャリーバッグがクローゼットに仲間入りした。

元々スペースがないに等しいクローゼットにそのキャリーバッグを収めることになり、

ということは、キャリーバッグと引き換えに何かを処分する他ないわけで、

ここ数日、のらりくらりと断捨離も兼ね、片付けにいそしんでいる。

まだ、途中経過だけれど、今回思いきり大きなものを処分した。

正しくは、サイズは小さいけど、処分するのにものすごい勇気を要すという意味で、

「大きなもの」たちだ。

いくつかあるけれど、代表的な物は2つ。

自分の名刺。
単価が一番高かったセミナーの資料。



自分の名刺・・・。

過去に100枚単位で作った名刺。

ネットサーフィンして、自分が本当に気に入ったところへ作成をお願いした。

デザインは、今でもすごく好きだし、気に入っている。

申し分ない。

でも、そこに記載されている自分の肩書(職業名)が嫌だ。

自分で付けた肩書(職業名)だったけど、自分でぴんときていなかった。

その肩書(職業名)が自分を表すものだとは到底思えなかった。

でも、何かしら名乗らなければ何をしている人かわからないから、

何かしらは名乗る必要がある、と当時は思い込んでいた。

それは今でも思っているけれど、でもわたし自身が納得できないものを名乗っても仕方ない。

代わりの名も思い付かずに今に至るけど、

もうこの名刺を誰にも渡したくない、とはっきりと思った今回。

捨てることに決めた。

今手元にある名刺は、全部ゴミ袋に入れた。



もう一つの、単価が最も高かったセミナーの資料。

これは、単純に「いらない」と思った。

多分3年ほど手元に置いてあると思うけど、

これまで一度たりとも見直したことがない。

当時の自分のメモがちょこちょこ書いてあるけど、

それを見直そう、という気分にもいまいちならない(よって、見直していない)。

ふと。

自分がいきなり明日ぽっくりいきました、なんてことになったら、

これらぜ~んぶ「ゴミ」になるんだ・・・

どんなに高価だろうが、そこにどんな思い入れがあろうが、

わたし以外の人から見たら「ゴミ」以外の何物でもない。

ぽっくりだとあまりにもスケールがでかすぎるけど、

これが引っ越しだったらどうだろう。

引っ越しだとしても、やはり次の場所へ持ち込むものではないんだ、とはっきり悟った。


もっと安いセミナーの資料の方がむしろ捨てれずにまだ手元にある。

大量の資料は、今回断捨離にかけるべくリストにアップされている。

これからまた気が向いた日に手元に残すもの、残さないものを分別する。

なんで安い資料を残して、高い資料を捨てたのか。

その差を知りたくて、今明後日のゴミ出しにスタンバイしている高い資料を

袋から取り出してめくって見た。

なぜかわかった。

ひとつは、きれいごとを並べている自分が嫌だから。

当時の思いや考えがメモされているけれど、

どうも周りの目を気にした自分や

セミナーそのものの雰囲気にのまれた自分というものになっている。

「本音」「心からの叫び」という感じではなかった。

もうひとつは、単価は高くても、高い=自分にとって有益な情報ではなく、

値段に関係なく、自分にとって有益がどうかというのは、わたしにしかわからない。

その資料について言えば、3年近く見直さない位に有益ではなかったということ。

それが瞬時にわかったから、すぐにゴミ袋へ入れられたんだと納得した。


名刺も、資料も、どちらも共通しているのは、過去のものだということ。

過去の自分を否定するでも打ち消すでもなく、

過去に体験したことは体験したことのまま、

でももう今の自分には必要でないから、不要な「物」は処分する。

そういう割り切りが今できている。

あさってのゴミ出しの日に、多少は後ろ髪引かれる思いが湧き上がるかもしれないけど、

やっぱり手放したい気持ちが大きいから手放す。

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