しばらく時間ができたことで、やりたいこと・気になっていたものをリストにした。
その中にいくつか「整理」という言葉が出てきた。
靴箱の整理
服の整理
紙の整理
最近、父親から譲り受けた1~2泊用のキャリーバッグがクローゼットに仲間入りした。
元々スペースがないに等しいクローゼットにそのキャリーバッグを収めることになり、
ということは、キャリーバッグと引き換えに何かを処分する他ないわけで、
ここ数日、のらりくらりと断捨離も兼ね、片付けにいそしんでいる。
まだ、途中経過だけれど、今回思いきり大きなものを処分した。
正しくは、サイズは小さいけど、処分するのにものすごい勇気を要すという意味で、
「大きなもの」たちだ。
いくつかあるけれど、代表的な物は2つ。
自分の名刺。
単価が一番高かったセミナーの資料。
自分の名刺・・・。
過去に100枚単位で作った名刺。
ネットサーフィンして、自分が本当に気に入ったところへ作成をお願いした。
デザインは、今でもすごく好きだし、気に入っている。
申し分ない。
でも、そこに記載されている自分の肩書(職業名)が嫌だ。
自分で付けた肩書(職業名)だったけど、自分でぴんときていなかった。
その肩書(職業名)が自分を表すものだとは到底思えなかった。
でも、何かしら名乗らなければ何をしている人かわからないから、
何かしらは名乗る必要がある、と当時は思い込んでいた。
それは今でも思っているけれど、でもわたし自身が納得できないものを名乗っても仕方ない。
代わりの名も思い付かずに今に至るけど、
もうこの名刺を誰にも渡したくない、とはっきりと思った今回。
捨てることに決めた。
今手元にある名刺は、全部ゴミ袋に入れた。
もう一つの、単価が最も高かったセミナーの資料。
これは、単純に「いらない」と思った。
多分3年ほど手元に置いてあると思うけど、
これまで一度たりとも見直したことがない。
当時の自分のメモがちょこちょこ書いてあるけど、
それを見直そう、という気分にもいまいちならない(よって、見直していない)。
ふと。
自分がいきなり明日ぽっくりいきました、なんてことになったら、
これらぜ~んぶ「ゴミ」になるんだ・・・
どんなに高価だろうが、そこにどんな思い入れがあろうが、
わたし以外の人から見たら「ゴミ」以外の何物でもない。
ぽっくりだとあまりにもスケールがでかすぎるけど、
これが引っ越しだったらどうだろう。
引っ越しだとしても、やはり次の場所へ持ち込むものではないんだ、とはっきり悟った。
もっと安いセミナーの資料の方がむしろ捨てれずにまだ手元にある。
大量の資料は、今回断捨離にかけるべくリストにアップされている。
これからまた気が向いた日に手元に残すもの、残さないものを分別する。
なんで安い資料を残して、高い資料を捨てたのか。
その差を知りたくて、今明後日のゴミ出しにスタンバイしている高い資料を
袋から取り出してめくって見た。
なぜかわかった。
ひとつは、きれいごとを並べている自分が嫌だから。
当時の思いや考えがメモされているけれど、
どうも周りの目を気にした自分や
セミナーそのものの雰囲気にのまれた自分というものになっている。
「本音」「心からの叫び」という感じではなかった。
もうひとつは、単価は高くても、高い=自分にとって有益な情報ではなく、
値段に関係なく、自分にとって有益がどうかというのは、わたしにしかわからない。
その資料について言えば、3年近く見直さない位に有益ではなかったということ。
それが瞬時にわかったから、すぐにゴミ袋へ入れられたんだと納得した。
名刺も、資料も、どちらも共通しているのは、過去のものだということ。
過去の自分を否定するでも打ち消すでもなく、
過去に体験したことは体験したことのまま、
でももう今の自分には必要でないから、不要な「物」は処分する。
そういう割り切りが今できている。
あさってのゴミ出しの日に、多少は後ろ髪引かれる思いが湧き上がるかもしれないけど、
やっぱり手放したい気持ちが大きいから手放す。
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