2013年10月14日月曜日

『ぶれがない』の新定義

わたしは自分のことをとてもぶれぶれの人間だと思っている。

感情のアップダウンは基本的に激しい。
感情の振り幅が大きくてアップアップしてしまうことも多い。

今の自分の状況を見て、
わたしはどうしたいんだろう・・・と思うことはたくさんある。

いつも色んなことを迷っていて、
何かをしていてもこれでいいんだろうか・・・?と不安になり、
いくら年を重ねてもぶれない軸どころかぶれぶれの軸・・・
と自己嫌悪なんてしょっちゅうだ。


この間会った友達に

「ぶっしー(わたし)はぶれてないよ~。ほんとにぶれがない!!」

と断言された。


わたしが見ている「わたし」と彼女が見ている「わたし」が同一人物とは思えないほどのギャップだった。

だから、なぜわたしが彼女の目からして「ぶれてないのか」を聞いてみた。

返ってきた言葉を要約するとこんな感じだった。


たしかに、
向かう方向性を見失った感じはその通りだし、
それに伴って迷いも心の中のぶれもたくさんあるとわたしの話からはうかがえるけど、
それもこれも全部含めて自分にウソがなくて、
とにかくあるがままの自分や
あるがままのその時の感情を「そうだ」と認めている、
そういうところが「ぶれてない」とのこと。


これには、意表をつかれた。


自分の中では、ぶれぶれだ~(涙)となっているのも本当だけど、
たしかにぶれぶれだと感じていることをそうだ、ともうあきらめていることも本当だ。


わたしはこれまで「ぶれてない」というと、
ひとつの軸がしっかりと定まっていて、
何かしらの方向性もしっかりとしていて、
紆余曲折があってもそれに沿って進んだり動いたり生きたりしていることだと思っていた。


有名なサッカー選手が「ぶれない軸」みたいなタイトルの本を出していたと思うけど、
タイトルから勝手に自分の全神経を集中させて結果を出すみたいなイメージを持っていた。


でもそうではない「ぶれがない」という意味、
たとえば友達が言ってくれたみたいに
自分の気持ちにウソがないことや
ありのままをその時その時で受け止めることでぶれない、ぶれがない
というのもありだな~と。


こちんこちんに凝り固まっていた「ぶれない」「ぶれがない」の定義が
少し広がった感じになった。



追記。
この後、じゃあわたしの「ぶれてる」感覚ってどこから来てるんだろう・・・?と考えてたら、
ひょっと答えが出てきた。

これはまた別のブログで。

2 件のコメント:

  1. >「ぶれてる」感覚ってどこから来てるんだろう・・・?

    ・・・の答え、すごーく聞きたい!!
    詳しくは今度会った時に話すけれど、この1ヶ月の間に
    いろいろ考えなくてはならない出来事が起きまして、
    自分なりに かなり一生懸命考えたんだけれど、 

    「そうしたいんだけれど、何かが怖くて進めないでいる」のか、
    「やめたほうがよいと思っているのに、執着しているだけ」なのか、
    自分のことなのに、わからなくなってしまった・・・(^^;)

    「自分がどうしたいのか分からない」
    「クリアしたと思った問題が、また何度も立ち上がってくる」
    「一度見つけたと思った正解に、すぐに自信がなくなる」
    ・・・等々、「ブレブレまっただ中」のわたくし(笑)。

    ぶっしーは「自分のありのままの気持ちを受け止めることに
    ブレがない」ってなるほど! だね。
    悩んだり落ち込んだり を含めて、自分の気持ちから
    目をそらさないで、そしてそれを言葉にして、こういう形で
    伝えてくれている。 
    このブログを始めたことは、35歳(とかもっと先)に向けて、
    ひとつ「種」をまいたような・・・いろいろ迷っているさなか
    だからこそ生まれた、大事な変化かもしれないね♪

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  2. さんごさん
    コメントありがとう♪
    ぶれてる感覚の真相は、すっごく途中まで書いたまま保留してる。
    起承転結のどこにも属さない感じで、
    とりあえず書き出してみたけどなんだかなぁ・・・という感じだから、
    まぁそのうち完成したらアップするね(笑)。

    色々あったんだね。
    なんとな~くあったことを想像してしまうけど(笑)、
    どんな答えをさんごさんが出しても、
    後悔ないとか、1ミリでもこれで良かった~と感覚的にあると楽だよね^^
    楽だよね、というのは、さんごさんに言っているというより、私自身に言っている(笑)。

    ちなみに、最近は何を決めても大切な部分が納得できてない感じで
    非常に調子悪しです(爆)。。。

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