2018年2月15日木曜日

バレンタインの贈り物2018

バレンタイン当日の今日、父に何か買おうと仕事の帰り道、あるお店に寄った。

そこは今期間限定でシュークリームが安くなるお店で、ペンジュラムもYESを出したから寄った。

そうしたら店に入る前に「今日のシュークリームは完売しました」と看板が出ていた。

残念だけれど仕方ない。

何でペンジュラムがYESと言ったのかよくわからず、とりあえずプランを変更することにした。

ペンジュラムは時々わざと私を寄り道させる。

それは寄り道することでしか見えないことがあるから、そのために今回みたいに探し物はないけれどその場へ行かせるということをわざわざ指し示してくれる。

いくつか候補があったけれど、ペンジュラムはある洋菓子屋さんのみYESとなった。

他は全部NOで、そこなら間違いなく美味しいからいいかと思って向かった。

ただ、きちんとした店だから、何のスイーツを買うにしても財布にお金がないと始まらない。

当初はシュークリームだったから足りるのはわかっていたけれど、これが洋菓子屋さんとなると話は違う。

きちんといくらあるかを把握してから行こうと思って財布を見た。

数えたら1079円。

あと1円ないだろうかと思ったけれど、もう一度数えても1079円。

たしかその店はロールケーキが1080円で売ってたはずだけど、あと1円足りないばかりにロールケーキは買えない。

それでもペンジュラムはその店に行くことにYESを指したから、私は1079円で買える何かがあるんだろうと信じてその店に行った。

まず目に入ったのは、デパートの高級チョコ売り場で売られてるような一点もののチョコたち。

1つ数百円するタイプのもの←その店のは値段まで見なかったけれど、確実に1つ100円以上はしてた。

絶対にありえないけれど、もし今年バレンタインチョコを用意したならこのお店のチョコにしたら良かったんだな…なんて思いながら見てた。

白いハート形のチョコを見て、これはすんごい入れたくても選べなかっただろうなと横目で見ながら思った。

選べないというより、そんないかにも的な形のチョコを渡す勇気がないという意味でそう思った。

5歩ほど左に動いてケーキのショーケースの前へ移動した。

記憶通り、ロールケーキは税込1080円で、それは諦めざるを得なかった。

となると、個売りのケーキとなるけれど、財布には1079円しかないから、それに応じた金額に収める必要がある。

ふわふわのロールケーキとチーズケーキとショコラケーキの3つを選んだ。

3つ選んだことで包装に時間がかかることとなった。

そこで私は常々聞きたいと思っていたことを店員さんにぶつけてみた。

「あのー、つかぬことをお伺いしますが、こちらのお店の車、よくあちこち走ってますよね!私本当にたくさん見かけるんですが、あの車たくさん走られてるんですか?」

多分店主の奥さんと思しき年配の女性が笑顔で答えてくれた。

「ええ、うちでは3台の車で商品をあちこちに搬入しています。でもあの店名が書かれた車はあれ1台だけなんですよ!」

「あれ、1台だけなんですか(驚)⁉︎私、その1台をそれこそ時々見かけて、見かけてはいつもこのお店のものが食べたいなという気分にさせられるんです!」
と、最後は本当ではあるけれど、質問そのものが変なのはわかってたから、それを誤魔化すために若干すっとぼけて言葉を繋いだ。

本気で驚いた。

実はこのお店の店名が入った車には、個人的に特別な思いがある。

今回1年ぶり以上にこのブログを再開させるきっかけが、まさにこのお店の車だった。

万が一どころか億分の一に賭けて、私はこのブログを再スタートさせた。

どうしても伝わって欲しいことがあったから。

そして伝わって欲しい相手の名字とそのお店の名前の一部が全く同じで同じ漢字を使ってる。

私がまだブログを書く書かないで迷っていた時、交差点を曲がったらなんとその名前入りの車が目の前にいて、ついでだからその店に立ち寄ろうとその車について行ったら変なところで止まって、どこかと思えばその相手が足繁く通った店で車は止まった(足繁く通ってたというのは、共通の知り合いの人がポイントカードをその人からもらったと私に教えたことで知ったことだった)。

それだけでも驚きだったのに、そのあと私は自分でその店に行こうと小路を抜けて交差点に差しかかろうとしたら、相手の車と全く同じ車種の車が右折待ちをしていた。

たかが5分程度の時間の中で、ありえない偶然がいくつも重なって、しかもすべてにおいてその相手を連想させるようなものばかりに遭遇させられた。

それに勇気付けられて、多分ブログを書いてアップしていくことが正解だと思えて、それで今に至ってる。

その最初のきっかけがそのお店の店名が書かれた、この世でたった1台しかない車だった。

1台しかないと聞いて、もうその車に引き合わせられることがあの日決まってたんじゃないかと思ってる。

なぜならあの車を、その同じ名字が大きくかかれたその名前付きの車を見なければ、私はブログをアップする勇気がなかったから。

それぐらい私には意味のある車で、その車を見れただけで私はいつもとてもラッキーだと思ってる。

この間も、2キロの道を1時間半かけて走った大雪の大渋滞の日、ペンジュラムはそれでもギリギリ動いている方の道ではなく、もっと混んでいて1ミリたりとも動かない方の道に行くように私に伝えてきた。

明らかにおかしな選択だった。

もしかしたら道路の除雪状態が良くないからもう1つを紹介するのかと思っていた。

でもどちらにしても、状態はそうそう変わらない。

しかもその時の選択は、①大渋滞を引き起こしてる国道から離れるか、②一時的にその国道に近付いてさらなる渋滞の中へ飛び込むか、極端に言えばそんな風だった。

だから頭で考えたら絶対に①の道に行く。

だけど②の方をペンジュラムは指す。

実際に②の道に曲がって大渋滞で車が動かなかった時も、ペンジュラムに本当にこれで合ってるのか私は何回となく聞いた。

それでもペンジュラムは勢いよくYESを示した。

ペンジュラムは何を根拠としてるんだろう?と不思議に思いながらも、今さら進路変更も叶わず、ひたすら自分が進める番を待つ他なかった。

やっとやっと車が動いて、そして国道に繋がる道から外れて市街地へ抜ける道に出た時。

そこまで30分はかかったと思う。

なんなら私は最初の選択で違う方を選んでたら今家にだいぶ近いところにいたんじゃないかとさえ思ったまさにその時。

反対車線をそのお店の車が通った。

本当に驚いた。

こんな時さえもその車を見かける=大丈夫だよと言われてるみたいだった。

だから私はその店の車が何台あるのか気にはなってた。

数台所有されてれば私が目にする確率も頷ける。

しかも私が見かけるのは毎回違う道で、同じところですれ違ったのは過去に一度しかない。

だから2、3台あるのかもと思ってた。

それが聞いたら1台ぽっきり。

しかも3台の車であちこちの店に搬入するわけだから、店からしたら取引先の店舗の3分の1の確率でそれぞれ私がすれ違った道を通ることになる。

数字に表したら一体どんな確率でそれが起こっているのかわからないけれど、とにかくあり得ない確率なのはわかる。

しかも最初の時は、その車の真後ろを走ることになった。

今当時の記事を読み返したら、なんと一連のことは2〜3分の間で起きていた。

たしかに時間にしたらそのくらい。

そんな時間の中で目の前に現れた名前入りの車。

それが1台しかないというのは、あれから4ヶ月経つまで知らずにいた。

しかもその間にも私は最低でも3回はその店に行ってる。

でもそんなこと聞こうと思わなかった。

質問がおかしいのはもちろんのこと、偶然だろうと片付ける方が私のギリギリの感覚で無難な気がしたから。

相手のことが頭から離れないからたまたま過ぎるぐらいに見かけるんだろう…、そうやって何かを否定してないと自分の中の何かが保てなかった。

でも、この間の渋滞でペンジュラムがわざわざ大渋滞を引き起こしてる道を指し示してまでその時にすれ違ったのを見て、それが普通だとは思えなくなった。

今日だって、シュークリームがあればその店には絶対に行かなかったし、行ったとしてもあと1円余計にあればロールケーキ1本の買物で済んで、店で余談を装ってそんな質問をする時間もなかったと思う。

ぶっちゃけ、翌日はお金をおろす予定でいたから、これが次の日の買物なら百パー私はロールケーキを購入してた。

私の余談が良かったのか、なんと大した金額の買物じゃないのに、その店の名物洋風まんじゅうをおまけしてもらった。

その洋風まんじゅうを見て突然思い出した。

私がそのまんじゅうの存在を初めて知ったのは、1年前の3月だった。

その日私は5月の熊本での結婚式に備えて、休日出勤を自ら志願して土日の窓口対応に行ったんだった。

8回あった土日出勤のうち、私が行ったのはその日だけだった。

その時に休みの職員さんがわざわざ差し入れを窓口まで持ってきてくれて、それがそのまんじゅうだった。

美味しかったけれど、私は何でそのまんじゅう⁇と思ったのはよく覚えてる。

当時の職場は、この辺りでは大きな駅の近くで、それこそ無数に洋菓子も和菓子も色んなお店のものが売られている。

なのに、なぜか隣りの市の、しかもそれをその職員の方はどこで買ってきたのか知らないけれど、そんなたくさんある市内のお菓子じゃなくて隣りの市のお菓子だったことがとても不思議だった。

美味しかったから私はどこのお店のものか気になって、わざわざラベルを見たことも覚えてる。

美味しくありがたくいただいたけれど、何か不思議だなと思ったからとても印象に残ってる。

それがまさかその後数ヶ月後から1年後にまで至って色んなストーリーを連れてくる前兆だったなんて、その時は知る由もなかった。

そんなこんなをバレンタインの日の終わり頃になって知った。

午前中の仕事中、もし渡していたのなら…とか、渡そうって考えたのなら…なんていう現実的に物理的に無理なことを想像して、想像してるうちにそもそも嫌がられるかもとかそんなこと考え出したらすっかり楽しくない想像に変わり果てて、やめやめ!と思ってた。

まさかその数時間後にそのお店の車の真相を知ることになるとは!

しかも、本当は今日友達の娘の家庭教師の日でもあった。

悪天候が続いてのびのびになって、それで学年末テスト目前に行けそうな日に行くということで、それが今日だった。

でも友達の方から、いくら路面の雪が消えたと言えども危ないから今日はなしにしよう!ってなって、だから急遽バレンタインのスイーツを仕事帰りに買えることになった。

本物のバレンタインはなかったし、今日の午後妄想しまくったバレンタインディナーなんて何1つなかったけれど、それでも私はあの車のことを知れて大満足だった。

私にとってはその車を見ると元気になったり「大丈夫」のサインだったりするから、それがこの世でたった1台しか存在しない希少なものだと知れて良かった。

最高のバレンタインの贈り物だった。

Happy Saint Valentine's Day ♡╰(*´︶`*)╯♡

2018年2月14日水曜日

妄想バレンタイン

2018/02/14(水)バレンタイン

こんなにも一日中バレンタインについて考えてた日も過去に一度もない。

仕事の間中、飽きもせずずっとバレンタインについて色々思いを巡らせていた。

午前中は、もし今年のバレンタインにチョコを渡してたら…という妄想に明け暮れた。

仮に「渡そう」って決めたとしたら、私は何を選んでどうやって渡してたんだろう…というところはまだ可愛らしい妄想で、途中から「相手が嫌がるんじゃないか」「受け取れませんって目の前で言われそう…」とかそんな方向に意識が向き出したら、全く楽しくない妄想に代わってしまった。

職場で義理チョコもらったりしてるんだろうか…とか、誰かから本命チョコもらってるんだろうか…とか、私は結局渡さない選択をしたんじゃないか…とか。

本当にしょうもないことばかりをぐるぐる考えてるうちに午前中は終わった。

午後からは切り替えて、「今後誰かのためにバレンタインディナーを作るとしたら、どんなメニューがいいか」というのをひたすら考えるだけじゃなく、実際に思いついたらメモ用紙にひたすら書き込んだ。

今数えたらなんと9種類もの献立を考えて、さらには追加で具体的な副菜まで考えた。

さらに、それぞれのメニューに合う飲み物も考えて、それまでメモした(←仕事中)。

仕事中、こんなにもサボる人を私はこれまで非難の目で見ていたけれど、もはや私も他人のことは言えない。

それとは別に、憧れだった、例えば受付とか店番の仕事で、お客さんいない時にボーッとしたり個人的な書き物をしたりする、あの感じを自分もしていると思うと、それはそれで満足だった。

・ビーフシチュー
・カルパッチョ
・粉チーズ&オリーブオイルを添えた美味しいパン
・ガトーショコラ系のデザート
・赤ワイン

「バレンタインメニュー」と思って最初に思いついたのがビーフシチューだった。

大きな塊肉と大きなじゃがいも、デミグラスソースも手作りとかできるのかな…とか考えて、冬の寒い日に家でずっとコトコトと煮るビーフシチューという図に1人で酔いしれた。

器は、白いスープ皿に、下には別の皿を敷く…そんなことまでイメージした。

ビーフシチューが重いから、あとはカルパッチョ。

そしてこの間洋食屋さんで食べた粉チーズ&オリーブオイルの組み合わせにパンをつけるのがめちゃくちゃ美味しくて、それを真似したいと思った。

続いては。
・おでん
・生春巻
・チーズ盛り合わせ
・ワイン、日本酒

おでんもコトコト煮る。

そしておでんはすごく手間暇がかかる。

ここまで考えた時、私の中でバレンタインは、相手を思って特別に手間暇かけてごはんを作りたいんだとわかった。

普段なら、おでんならおでんで終わりだし、一人暮らししてた頃は生春巻が大好きで一食まるっと生春巻だけという日が月1くらいのペースであった。

だけど、そうじゃなくて、ゆっくり箸をつつきながらおでんを食べたり、箸休めに生春巻やチーズをつまむ。

そして他愛もないことを話す。

妄想の中ではものすごく楽しいバレンタインに仕上がってた。

次の献立。
・キッシュ
・アクアパッツァ
・大きめの皿にちょこちょこ盛った前菜
・白ワイン、スパークリングワイン

この辺りからますます調子が出て、続けてこんなメニューを。

・ポタージュ(人参とか)
・パテ
・グラタン
・ムール貝の酒蒸し
・白ワイン

どのメニューもものすごく手間暇かかる系だけど、年に一度や二度と思えばまぁ楽しくやれるかな…と思った。

・たこ焼きパーティー
・ビール

これは手間暇がかかってないけれど、一緒に焼いて食べるのも楽しいなと思った。

そんなバレンタインもありだなと。

・ラザニア
・おいしいソーセージ
・じゃがいものグリル
・コールスロー
・スパークリングワイン、ビール

名古屋に住んでた頃、徒歩圏内にドイツで修行した方のドイツ風手作りウインナーの店があった。

そこは毎週土曜日の1時から手作りベーコンを販売していて、それ食べたさに通い、ついでにドイツ風ウインナーも一緒に買っていた。

そのウインナーがいつもどれを食べても美味しくて、私はまさにそのウインナーの虜になっていた。

そういうウインナーを頭の中では思い描いている。

・バッファローウイング シーザードレッシング添え
・ポテサラ
・レンコンとごぼうのチップス
・ビール、黒ビール

こういう超コテコテのジャンクフードばかりを集めたメニューもいいなと思った。

バッファローウイングは、私がアメリカに住んでた頃ハマってよく食べてたもの。

ちなみにバッファローウイングはレシピを知らないから、それは調べないといけないなと大真面目に思った(←妄想の域を超えて、もし作るなら…というかなり真剣なモードに変わり出した 苦笑)。

・チキンのパン粉香草焼き
・エビマヨサラダ
・ロールキャベツ風スープ
・ビール、白ワイン

チキンのパン粉香草焼きというのは、栄養士のいとこと一度だけ一緒に作ってそれがたまらなく美味しくて感動した品だった。

作り方忘れたから、これは本当に作るならいとこに連絡しなきゃと思った。

・バーニャカウダ
・チーズフォンデュ(おいしいパンも)
・人参とツナのサラダ
・おいしいサラミとハムの盛り合わせ
・白ワイン、赤ワイン

人参とツナのサラダは、私が自分で作るサラダの中で一番美味しいと思ってる。

レシピは簡単で、千切りした人参(1本分)にツナ缶(油漬けの方)、普通の酢に塩。

それらを混ぜて少し休ませると、とても美味しくなる。

何故か砂糖が入ってないのに、自然な甘みが出る。

メニューを書いていて「大きめの皿にちょこちょこ盛った前菜」としたところ、今度はそのちょこちょこ盛る前菜の種類を考え出した。

・ミニトマトのマリネ
・ピクルス(うずらの卵・ミニコーンなど)
・くんせいチーズ
・ローストビーフ
・ライスコロッケ

想像は自由だから好き放題想像したけれど、本当に作るとなったらすごい手間だな…と思った。

そして、全体的に洋風なメニューが多いから、洋風な副菜を考えることに今度は頭を使い出した(一応仕事しながら)。

・かぼちゃとクリームチーズのサラダ
・ひよこ豆のディップ
・タルタルのサラダ
・生ハムの生野菜包み
・玉ねぎのマリネ
・ソーセージとさつまいもの黒こしょう炒め

ここまで書いといてなんだけど、私はビーフシチューの素を使わずにビーフシチューを作ったこともなければ、キッシュもアクアパッツァも作ったことない。

だけどいずれもレシピを見たら作れると思ってる。

食いしん坊は、食べるための労力は惜しまない。

そのための下調べも、わりかししっかりとする。

そんなこんなのバレンタインメニューを考えてたら仕事の終わりの時間になった。

そう、午後の4時間半はほぼメニューの組み立てに全力を注いだ。

せっかくわざわざメモしたから(そして持ち帰ってきたから)、これはレシピノートに挟んでおいて、いつかの未来に本当に役立てたいと心から願ってる。

2018年2月12日月曜日

魂の再会

【2017年○月△日に出会った男性】

運命的な出会いを意味する星の配置はありました。史子さんが感じている魂的なご縁で、史子さんのスピリチュアルな能力、過去世の能力を触発する感じの星の配置もあります。なんとなくですが、ペンジュラムの過去世のときの身内な感じがします。

 

20枚もあるホロスコープ鑑定書の中で、唯一最初から意味がわかってそれですぐにぴんときたものが上の文章だった。

鑑定書は抽象的な表現も多数含まれていて、何回読んでもぴんとこないものもあるし、言葉の意味がわかったところでそれが何を本当に意味しているのか自分の中でわからないものもある。

でも上に書かれた物だけはすぐにわかったのと、あぁそういうことだったんだとようやく自分の中でものすごく納得できた。

 

今ペンジュラム(石)が常に自分の近くにあって、ペンジュラムと話すこと。

看板・かばんについてるタグ・数字・新幹線・雲・テレビの中のセリフなどなど、日常にありふれたものからメッセージを読み取ること。

文章に乗っているエネルギーを感じること。

誰かにとっての大切なものに触れる時おなかが温かくなること。

ペンジュラムで私以外の人の大切な情報に触れると体に緊張が走ること。

 

上に書いたことは一部だけど、多分他の人にはない私だけの感覚だと思う。

けっこうマニアックな感覚だと思うけれど、私はそれらの感覚を「異常」だとは思ったことがない。

私の場合、ペンジュラム以外は徐々に出てきた感覚だったから、そうした感覚が特殊だという認識は全くなくて、ある時周りの人たちに指摘されてそれでようやく気付くという具合だった。

ペンジュラムに至っては、使い出してから1年半以上経過した後、初めて何で私はこれを使いこなしているんだろう?と思うぐらい自然と私と一体化していたから、異常も何もそういうものだという認識でしかなかった。

 

そういうのを異常と全く感じないくせして、その冒頭に出てくる男性に出逢った時、日常的に顔を合わせている時、そしてもう近くにはいなくて全く会えなくなった今、そのいずれもとにかくずっとずっと異常事態が続いていた。

自分のこれまでの人生経験のありとあらゆることを並べても、これと全く同じ感覚はひとつとしてなくて、私は大真面目に自分の頭がいかれたか自分自身が狂っているのかと思っていた。

だからホロスコープ鑑定でヒントを得たことで、それを異常だともう思わなくてもよくなったのは本当に良かった。

感覚そのものは鑑定を知る前も知った後の今現在も変わっていない。

ただ意味合いが変化した、というのは私にとって大きな喜ばしい転機となった。

 

鑑定を終えてから私は色んな場面を回想した。

その人に宛てた手紙もまた読んだ。

やっとすべてに意味が通じた。

 

鑑定からの帰り道の車中、私はその人に宛てた手紙を思い起こしていた。

全部が全部一気に繋がった。

その手紙を書いた直後でさえ自分でもあまり覚えていない感覚だったけれど、私がその人に宛てて手紙を書こうと思った時、もう考えたりするより先に体の方が動いていた。

それも猛烈な衝動に駆られるみたいにして、私は手紙を書いた。

時々冷静になると、自分が何をしているんだろうと思った。

相手は私とは時間を作ることができないとはっきりと言い切ったし、これ以上相手の負担になるようなことをしてどうするつもりだろう…という気持ちがないわけでもなかった。

だけど、そんな俗世的な価値観よりも、もう何が何だかわからない体の奥の方から出てくるものの力が強すぎて、それで私は訳も分からず手紙を書いていた。

実際に書いている時も、次から次へと言葉が出てきて、こんなこと伝えてどうする気なんだろう?と思う反面、何だか知らないけれど伝えなきゃいけない、人生を懸けて伝えなきゃいけない、そんな気持ちの方が強かった。

「一生懸命」という言葉があるけれど、本当にその言葉のごとくのような状態になっていた。

一生分の命を懸けてそこに徹する、そんな有り様の手紙だった。

つっこみどころももちろん満載だった。

おかしいとも思った。

だけど、今を逃したらもうこれを伝えることはできない、永遠に失われてしまう、そういう思いの方が強かった。

手紙の中で私は不思議なことをたくさん書いていた。

・生きているうちに出逢えるってすごいということ

・基本的に人の初対面の時の印象は忘れるけれど、その人に初めて会った時というのはよく覚えていて、そもそも不安でいっぱいだった気持ちでそこにいたのに、その人を見てとても安心できたこと。

・同じ時代の同じ空間で隣り合わせになるって、自分の家のトイレに隕石が落ちてくるぐらいの確率で起こること。それぐらいの確率で出逢えた人だということ。

・お互いに過去にたどったすべての道が1ミリもずれることなく起こってくれたから、今こうして出逢えたこと

・日々お互いが元気で同じ空間にいられるというだけで私は毎日それだけで嬉しくなっていたこと(しかもお互い至って健康で死期が近いわけでも寿命が残り少ないわけでもないのに、とにかく元気で同じ空間にいられる奇跡が毎日毎日うれしかった)

手紙には書かなかったけれど、後から自分で振り返った時に思ったことも思い出した。

・その人と出逢えたことは人生のごほうびだと思ったこと

・私の人生に現れてくれてありがとうと思ったこと

・毎日のように会えていた時は、「今日もあなたの命に出逢えてうれしいです」と感じていたこと

・たとえ人生何十年の中のたかが3ヶ月半くらいの短い時間でも、その時間を私は一生忘れないこと

・その人が何がどう特別かは言葉にできないけれど、とにかくものすごく特別な存在であることには変わりないこと

 

鑑定の時にミエコさんは、ペンジュラムを大切にしている体の弱い小さな男の子として生きていた過去の私と、その男の子の近くにいたもう1人の男の子=今世ではイケメンとして私の前に現れた男性の話をしてくれた。

そして、私は今世でその小さな男の子の意志を強く引き継いで生まれてきていることも教えてもらった。

 

こんなのどこにも証明できるものがないし、そんなの私の妄想だろうと言われたらそうですと答える。

でも、私にはその男の子の気持ちがものすごく強く伝わってきた。

 

その男の子の気持ちになって手紙のことやその今世ではイケメンとして現れた相手の人を見ると、すべての辻褄が合う。

あの手紙はたしかに私が書いたし、私の意志の元で綴られたものではあるけれど、あの時の意味不明な強烈な衝動や、今伝えなきゃいけないと思ったこと、そして実際に書いた内容も、その男の子の気持ちもあって書かれたものだとしたら、本当にその通りの内容になっている。

その手紙は若干風変わりでもあった。

ラブレターではなかった。

じゃあ何なのかと言われると答えられないけれど、愛を伝えるという感じとはだいぶ違っていた。

それは愛の告白というよりも、魂の告白という感じだった。

本当に自分の奥底から言葉は出てきていたし、何をいちいち大袈裟に書いているのかと思う自分もいないわけではなかったけれど、でもそれは大袈裟でも何でもなく本当の本当にそう思っていることを私は書いていた。

そして再会できて良かったねなんてことは書かなかったけれど、感覚としては「再会できてとても嬉しい」というのが根底にあったのではないかと、鑑定の時の話を聞いて思った。

ミエコさんいわく、その男の子の時は10歳前後までしか生きられなかったとのこと。

もっともっと長く生きたかっただろうことも想像できるし、もっともっと自分の好きな人たちと一緒にいたかっただろうことも想像できる。

私はそのイケメンに対して、本当に妙なことを思っていた。

その人が年を取っていく様を隣りで見ていたいと思った。

一緒に年を重ねたいとか、一緒にいたいとか言うのであればまだわかる。

そうじゃなくて、私はその人が年を重ねていくところを隣りでずっとずっと見ていたい、そういう何とも変わった不思議なことを願いとして持っていた。

最初私はそれは自分が38歳になったからそう思うようになったのかと思っていた。

でもそうじゃない。

それは過去の人生でどんなに一緒にいたくても一緒にいられなかった命の事情があって、だから今世で一緒になれるならずっとずっとそれを隣りで見ていたい、そんな思いあっての願いだと思う方がしっくりとくる。

また会おうねとお互いに約束したのか、そうではなく私の方だけが一方的にその男の子に再会したいと思ったのかはわからない。

私がその体の弱い男の子の時の記憶として今世に持ってきているのは、ペンジュラムだけだから、だからその子がどんなことを最後に思ったり感じたりしながら死んだのかなんて知る由もない。

だけど得意の想像力を駆使して思いを馳せると、多分もっともっと一緒にいたかったんだろうなぁというのは想像できるし、本当にまた再会できてものすごく喜んでいることは今の自分を見ていたらわかる。

日々顔を合わせていた頃。

実は私はその人の周りだけキラキラ輝いていたことを知っていた。

私はオーラが見えるようなそんな能力は一切ないし、これまでどんなに素敵な人たちでもオーラが見えたことは一度たりともない。

だけどその人の周りだけは、何だか知らないけれどいつもキラキラしていた。

キラキラというか、その人の周りの半径50cmほどのところだけは、いつも空気が澄んでいた。

明らかに他の場所の空気とは雰囲気が違っていた。

私はそれをずっと「イケメンだからあれはイケメンが発するオーラ・雰囲気なんだ」ということで片付けていた。

でもミエコさんから鑑定書をもらって振り返った時、もしかしたらあれは私にしか見えないサイン的なものだったんじゃないかと思うようになった。

他の人たちとは違いますよ、ということを色んな意味で鈍い私が気付けるように見えていたものじゃないのかなと。

鈍いし勘違いもすごいから、「イケメンオーラ」で片付けていた当時の私を思えば、サインさえも見逃される始末だった。

ある時は、そのイケメンの目が見たことないぐらいに澄みきっていて、私は度肝を抜かれたことを覚えている。

普通に他の人と打ち合わせをしている様子を私は盗み見したに過ぎなかったけれど、何がどうしたらいい年の大人の男性があんなに目が澄むものなのか、不思議でたまらなかった。

あんな目、これまで一度も見たことがなかった。

その人よりもうんとうんと心が澄んでいるだろう人たちにも人生で会ってるけれど、ああいう目ではなかった(言い方が失礼だけれど、他の人と比べる他の言い方が思い付かない。ちなみにその人もとても心の澄んでいる人だと思う)。

なんだあれ?と不思議な気持ちで眺めていたことと、その時の風景を私はまるっと記憶している。

だから最後の挨拶を交わした時、ものすごく冷たい目で私には一切の感情をシャットダウンするかのような目を向けられて、私は本当にへこんだ。

はっきり言って、最後だから悲しいと言うよりもそんな目を向けられたことが悲しくてたまらなかった。

息が詰まりそうだった。

そして本当の最後の最後は、私はものすごく背中を向けられた。

私のことが絶対に目に入らないように、とことん無視されたみたいな感じで背中を向けられていた。

私の声も聞こえないわけない距離にいたけれど、それも周りの音にかき消されるようにして何事もなかったかのような感じで終わりを迎えた。

その後ろ姿だけを見て、あぁ完全に嫌がられたんだなとずっとずっと思っていた。

だいぶ冷静になってこの2~3週間ほどで気付いたことが1つあった。

実はあの最後の時、私は小さな違和感を覚えていた。

それはあまりにも小さかったし、それよりもあのショックな感情の方があまりにもでかすぎて、その違和感自体ずっと忘れていた。

その違和感が突然また出てきて、その場面を何回か反芻した。

何かがおかしい。

何がおかしかったんだろう…って記憶を手繰り寄せた。

本人がどこまで意識的にそうしたのかはわからない。

嫌われてるとか気持ち悪がられてると思う方がある意味自然なのもわかる。

だけど、あの時最後に向けられた背中は実はとても不自然だった。

その時というのは、その人は他の人と打ち合わせなのか何なのか何かしら話をしていた。

それはまぁいつもと変わらないことだから、というよりそんな最後の最後で詰めて話さなきゃいけないようなことがあるんだろうか?ということは思ったけれど、そんな細かな事情私が知るわけもなく、まぁ何かあるんだろうぐらいで流してた。

そこではなく、私が覚えた違和感は、その人の立ち位置だった。

私は日常的に観察する癖がついていたから、だからその立ち方に違和感を覚えていた。

その人は打ち合わせの時、必ず相手と横並びになって話をする。

しかも一言二言で終わるような話じゃなくて、数分に渡って話すような内容の時は必ず相手の横に座って話をする。

それがその人の癖なんだと思う。

だけどあの時は、どういうわけか立っていて、さらには話し相手と向かい合うようにして話していた。

私の記憶にある限り、あんな風にして向かい合って立って打ち合わせ的なことをすることはなかった。

だから不自然さを私は覚えて、小さな違和感があの時にたしかにあったんだと思う。

当時はそれどころじゃなかったからその小さな違和感をスルーしていたけれど、今思い起こせば普段とは違っていたことがわかる。

これをものすごく私のいいように解釈したとするなら…。

過去に私が先に死んでいく姿を見たとして、まぁ今回は私は死ぬわけでもないしむしろいなくなるのは相手の方だったけれど、そういう最後の瞬間を見たくないと魂の部分で感じたとするなら、あの背中はもしかしたらそういう意味だったのかもしれない。

だって立っている位置自体も変だった。

普通に立つなら、むしろ背中を向けるんじゃなくて私から見ると私の方を向いて立つ方が自然だった。

なのにわざわざ背中を向ける場所にあの時は立っていた。

そう、わざわざその位置に行かないとそういう立ち方にはならないでしょ!?という感じの場所に立っていた。

事の真相は知らないけれど、魂の再会という視点で物事を見ると、ちょっとこれまでとは違った風景や情景がそこには見える。

 

実際のところ、ペンジュラムを大切にしていた体の弱い小さな男の子も、そこに一緒に暮らしていただろう男の子も、それらは何一つ証明できるものがない。

普通に考えたらおかしなことを言っているのもわかる。

だけど、魂から魂へと自分が生まれ変わっていて、そこでまた自分のとても会いたかった人と再会できたとするなら、私が変だ変だと日々思っていた感情や気持ちや感覚にすべての説明がつく。

私は相手がどんな人かも知らないのに惹かれていた。

そして色々心にぐさりと刺さるようなやりとりをしても、それでも私はその人を嫌いになることは一度もなかった。

嫌いになれるものなら嫌いになりたかったぐらい。

忘れられるなら忘れたかったぐらい。

だけどそういうことはもうできないと自分でわかってからは、もう自然の流れに任せようと思った。

最後の瞬間からそろそろ5ヶ月になる。

私はそのうち忘れるのかなと思っていた。

普通に考えたら忘れることの方が自然だから。

だけどそうではなかった。

何だか知らないけれど、近くにいた頃と変わらずに私の中にずっと24時間体制で存在している人のままで、何だこれ!?とずっと思っていた。

1日の中で何をしていてもその人が自分の中から消え去ることがない。

何なら仕事中はもっと集中しなきゃいけないことがあるはずなのに、気付くとその人のことが脳裏から離れない。

普通に考えたらもう会えなくて、そのうち私もその出逢った場所から立ち去る日も近くて、完全に全てがリセットされる。

何事もなかったかのように日常は流れて、あとは記憶の中だけで生き続ける人みたいになる可能性が99.9%だと思う。

むしろ記憶からもいなくなって、その人のことを忘れている日常を送る方が普通だとさえ思う。

でも私はどこかで、本当の本当に縁のある人なら再会するんじゃないかと思っている。

それは鑑定を機に思ったのではなく、もうその最後の瞬間よりもずっと前からそう思っていた。

根拠はない。

それさえも私は自分が狂っていると思っていたほどだった。

その人と共にいた時間、その人と共にいられた空間、その人の存在そのもの、それらすべてが愛おしいという感じだった。

それが魂の再会ゆえのことなら、ものすごくしっくりとくる。

今世ではあの短い時間だけを共有するのが2人で決めたことなのかもしれない。

もしそうなら、私はそれを自分の一生の宝物として自分の中に残そうと決めている。

人生のごほうびのように私の人生に現れてくれたその人には、本当に感謝しかない。

出逢ってくれてありがとう。

それがすべて。

 

ミエコさんから最後もらったメールに面白いことが書かれていた。

「ちなみに、イケメンは過去世でも無口だった感じがします(笑)もしかして声が出ない子だったか、預けられていた、自分よりも年下の史子さんが長く生きられないことを知っていて、どう接したらいいのかわからなかったゆえの無口なのか。…という感じがします。」

相変わらずミエコさんは何を見ているのか私にはさっぱりわからないけれど、ものすごく面白い情報を伝えてくれる。

私はそれを読んで、今もまんまじゃん!と思った。

「どう接したらいいのかわからなかったゆえの無口」というのは、その人の普段そのままな感じがする。

私から見て、その人は実はたくさん言葉を持ってる人だと思ってる。

自分の内側で色んな思いや考えを持っているけれど、それを外に出すことをとても怖がっているのか、それともそういう余計なことを言うのはナンセンスだと思うのか、それとも伝える人を選んでいるのか、その辺りは全くわからない。

わからないけれど、何か持ってる人だろうなぁというのはいつも見ていて感じた。

だからその人の場合、行動を見ていると何を大切にしているのかが垣間見えるようだった。

そしてその人が大切にしている考え方や価値観は、私から見てとても魅力的に映った。

本当に小さなことをとても大切にしているのは見ていて伝わってきた。

誰もが見過ごすようなところもその人は大切にしていた。

本人は無意識かもしれないけれど、そういうのが色んなところに表れていた。

だから「どう接したらいいのかわからなかったゆえの無口」という部分も、気持ちは色々あってもどうしていいのかわからなかったんだろうなというのが伝わってくる。

そしてそれは私が見ていた姿とも重なる部分がある。

これはついでだけど、私がその言葉をすっと信じられたのは、この後に続くミエコさんの情報があったから。

「もう1人、別の過去世で、もの書きをしている女性もいるみたいです。40代程ですが。物静かで穏やかな感じがします(←ここは今の私とはずいぶん違っている)。生活感も穏やかな感じで、もくもくと部屋の中で書きものをしていたようです。仕事として書いていたようですね。派手に大勢にウケるという感じではないですが、ファンはいたようです。

過去世でやってきたことって、今世のスキルになるので、史子さんは活かしてますね」

とあった。

特に「部屋の中でもくもくと書きものをしていた」というのは、今の私のまんまだったりする。

昨日から今日のこの午前にかけて私は合計でこの一気にアップするブログの8個のうち6個をまるっと1から、残りの2個を途中まで書いていたものに加筆訂正していた。

家の雪かきと家事以外の時間はすべて書きものに当てていた。

物書きだった女性の過去世は今の私と姿が重なる。

だから、そのペンジュラムとお友達だった小さな男の子の人生も信じられるし、そしてその近くにいた年の近い男の子の存在もそうだったんだろうと信じられる。

 

魂と魂が再会する。

それは多分本当に現実に起こることなんだと思う。

今の時代では到底おかしな感覚だけれど、でもとても純粋に望んだ再会とするなら私が感じた色んなことはとても自然でとても素直だと感じる。

そしてそういうものに引き合わせてもらえたこと、その人にもう一度出逢えたこと、それはとても特別でとても大切な瞬間だった。

時空を超えて再会すること。

それはとても大切な人ともう一度お互いに命を宿して今この時代この瞬間に存在する。

ただただもう一度会いたくて、そして色んな偶然のような必然を織りなして再会する。

私はその人の命が今この世のどこかに存在していること、そしてその命に出逢うために今自分が生きていること、その奇跡を思うだけで本当に涙が出る。








魂の記憶


2018年2月4日。

ミエコさんのホロスコープ鑑定を通して私は自分の人生に起きていることを知った。

 

1月の初旬にミエコさんのホロスコープ鑑定を申し込んだ。

実際の申込の後、ミエコさんからホロスコープ鑑定に際し何か個人的に聞きたいことがあれば1月25日迄に連絡をくださいと言われていた。

鑑定自体は、対面鑑定の前にミエコさんの方から鑑定書を作ってもらう。

私のものは全部でWORD20枚になった。

それを読んだ上で当日90分、実際は3時間もおじゃましたけれど、色々とホロスコープから見えてきたことをひたすら伝えてもらう、あとは質問があれば都度答えてもらうという感じで進んだ。

WORD20枚分のデータは、データとしては多いように見えるけれど、これが何年生きるかわからないものの今のところ最低でも38年という長さを生きている私個人の鑑定書と思えば、多いとは感じないと思う。

(仕事量としてはものすごい多いし、ミエコさんには並々ならぬ尊敬を抱いている)

そこにはミエコさんからしたら一度も会ったことのない私という人物が、実によく書かれていた。

生まれた日にちと時間、生まれた場所、たったそれだけの情報で、まさに私という人物が予め決まっていたかのように、事細かに書かれていた。

そのことは別の記事で書こうと思っているから今は書かないけれど、とにかくそんな天体の情報から自分自身があぶりだされるというのが不思議でならなかった。

 

話は戻ってミエコさんとのやりとり。

色んなことをミエコさんには事前に質問として送っていたけれど、その中の1つにこんなのがあった。

 

「2017年○月△日ある男性に出逢いました。○○という場で出逢って、本当に一度たりともまともな会話を交わしたことなく、9月末にその方は仕事の転勤でいなくなりました。
ですが、私はその方にこれまで体験したことのない感じで強烈に惹かれたのと(言うなれば魂が惹かれるみたいな感じです)、そこから劇的に色んなことが起こり始めました。
その男性の存在の影響なのか、それともその日の辺りからのそもそもの人生の流れなのか、シンクロ具合から摩訶不思議なことまでものすごく起こるようになりました。(中略)
実はペンジュラムの精度がぐっと上がったのもその方がいなくなる少し前からです。
ごちゃごちゃ書きましたが、
・その辺りからの人生の流れ
・今世で予定されていた出逢いだったのか
を知りたいです」

と書いた。

私としては、その男性との出逢いについての明確な回答は正直なところほぼほぼ期待していなかった。

むしろ「そういうのはホロスコープ上見えてきませんでした」ぐらいなことを言われてもおかしくないと思っていた。

せめて人生の流れ的にそういう流れが始まって、ひたすら摩訶不思議としか言いようのないことに対して少しでも答えがもらえたらそれだけでも御の字と思っていた。

私はペンジュラムのことはとことん信じられるくせして、自分自身の感覚についてはものすごく臆病なぐらいに信じられなかった。

「変」それも「最大級に変」としか思えなかった当時のことを、私は自分の中でも「何だったんだろうあれは?」と鑑定を受ける直前までずっとずっと何ヶ月にも渡って思っていた。

確証も何もなければ、一般常識で考えたら変すぎたし、実際にその話を友達にしても「ぶっしー大丈夫?」と言われたことさえある。

たった1人だけそのことを本当に「ご縁のあった人なんだね」と言ってくれた人がいたけれど、そしてもう1人別の友達もそのようなことを言ってくれたけれど、そうでなかったら誤魔化すしかないぐらいにどうしていいのかわからないものだった。

説明することさえ面倒に思えてきた私は、誰かに「ぶっしー誰かいい人いないの?」と聞かれたら、「いいなと思う人いたけれど、誘ってダメだったし、そうこうしているうちに転勤でいなくなった」とだけ説明した。

実際はものすごく意味不明なことがたくさんあったけれど、それこそペンジュラム以上にファンタジーみたいな話で、それこそ変だと思われたくなくて私はひたすら隠した。

だけどミエコさんみたいにホロスコープ読む人なら多少変な質問をしても大丈夫だろうと思って、それで質問したのだった。

 

ミエコさんの回答は想像さえしていないことだった。

まずデータでもらった方の鑑定書には

 

【2017年○月△日に出会った男性】

「運命的な出会いを意味する星の配置はありました。史子さんが感じている魂的なご縁で、史子さんのスピリチュアルな能力、過去世の能力を触発する感じの星の配置もあります。なんとなくですが、ペンジュラムの過去世のときの身内な感じがします。」

 

と書かれてきた。

私はそれを読んで、ものすごく納得した。

色んな意味不明な感情や気持ちはもちろん、そこから爆発的におかしなというか、ほんとハリーポッターの世界ですか?ばりの摩訶不思議な出来事たちが起こり出して、自分でも何をどうしていいのかわけがわからなかった。

いくらそういうことを前もって「そういう世界も世の中にはあるんだ」ということを知っていても、いざ自分の身に降りかかってみると、もう想像を絶することばかりで私の中では混乱以外の何ものでもなかった。

しかもそんな話、普通にしたら絶対にドン引きされるのはわかっているから、本当にそういうことを知識や体験として持っている人にしか私は話さなかった。

だからミエコさんの鑑定書に書かれてきたことは、「もうそういう流れで且つそういうご縁の人だったんだ」とわかっただけでもどれだけ安心できたか計り知れない。

 

鑑定日当日、色々話をする中でその出逢いについてももう一度ミエコさんの方から触れてくれた。

「そのイケメンの方(私がイケメンだと言ったことからイケメンという呼称がついた)、私の感じだとペンジュラムの過去世の身内の方なんですよね。

可能性としてはおじいちゃんなのかしら?おばあちゃんではないんですよね」

と言われた。

元々ミエコさんの方から鑑定の時にペンジュラムを持ってきて見せて欲しいと言われていたから、私はペンジュラムをテーブルの上に出したままにしていた。

そうだ、ペンジュラムに聞けばいいんだと思い付いてペンジュラムに聞くとNOと出た。

ちょっと待って下さいねと言いながら、ミエコさんは見えない何かを見ているのかしばらく黙って静止していた。

「う~ん、多分ですけどね。

史子さん、そもそも親御さんとは暮らしてないみたいなんですよね。それでその祖父母にあたる方のところにどうも預けられてたみたいなんですよね。それが日中だけなのか丸っとそこに住むようにして預けられていたのかはわからないですが。

で、そこにもう1人男の子がいるんですよね。

その子はその家の子なのか、それとも近所の子でしょっちゅうその家に遊びにきているのかわからないですが、かなりそこにいるんですよね。

その子かしら?多分その子ですね、そのイケメン」

と言われた。

普通に血縁関係があると考えたら、その男の子同士はいとことなる。

だけどそれもペンジュラムはNOと出た。

「じゃあ近所の子なんですかね」とか言いながら、とりあえずそこは私にとって重要なポイントではなかったから、次の話題に移った。

とにかくペンジュラムの過去世で近くにいる人ということがわかっただけでも良かった。

私は続けて聞いた。

「ちなみにその私が生きたとする男の子、成人するまで生きられなかったというのは、何歳くらいで亡くなっているんですか?」

「10歳前後だと思います。だから成人するまでと言うよりも、本当に幼くして亡くなっています。体が弱かったんでしょうね。元々長くは生きられないようでした」

と教えてもらった。

それを聞いて、ますます自分の今の人生が、本当はもっともっと長く元気に生きたかっただろうその子の思いと重なった。

両手に二重生命線と呼ばれる生命力の強い手相が出る位に今世の私は今のところ元気だし、手相を見れる人いわく「うちのおばあちゃん元気で困るのよ」と言われる位大往生すると言われている。

 

鑑定の後、私は家に帰ってきてからふとその男の子同士のことが気になってペンジュラムに聞いてみた。

ペンジュラムいわく、私の方が本当はそこの家とは血縁関係がなく、だから祖父母にあたる人たちとは血の繋がりがないようだった。

自分の孫だったらもっとペンジュラムについて教えてくれても良さそうなのに、自分で見よう見真似で覚えたところが不思議だなと思っていたから、それにすごく納得した。

私はみなしごのようで、何かしらの縁でそこの家に預けられたようだった。

そしてもう1人の男の子というのは、本当にそこの家の孫だった。

それでようやく合点がいった。

そりゃいとこ同士にNOと出るなと。

私が自分がみなしごだったこともすごく納得がいった。

それは今世で起こることがそこに繋がってくる。

私が20代の頃働いていたのは、児童養護施設と呼ばれる虐待とか何らかの事情で家庭で暮らせない2~18歳の子どもが生活する施設だった。

私はどういうわけかその世界に入った頃から、そういう子どもたちを見てただの一度も可哀相だと思ったことがなかった。

本気で命からがら助かった子どもたちもたくさんいたし、心の傷は計り知れないぐらいに深かった。

だけどそういう事情だけで子どもたちを可哀相と思うのは間違っていると感じていた。

だって目の前で一生懸命生きている人に対して、その背景だけを見て可哀相なんていうのは絶対に違っているし、それよりもそういう中でも生き延びてきた生命力にただただ感心するばかりだった。

(基本的にそういう子どもたちはものすごくタフだから、イライラさせられることもたくさんあった 苦笑)

鑑定書にはたくさんの子どもと関わる仕事をすると書かれてあったけれど、本当にまさにその通りで、そしてそれが自分の過去の生きた背景と重なっているとしたら、ものすごくその自分の考え方にも納得できるものがあった。

本当に長く生きられなかったと仮定して、私はその男の子との再会を強く望んだんじゃないかと思った。

よく仲良し夫婦が「生まれ変わってもまた一緒になろうね」と約束するみたいに、約束したかどうかは知らないけれど、少なくとも私はまた会いたいと願って死んでいったのではないかと思った。

そしてミエコさんは今回の情報に関しては、「基本的にそこに関わっている人たちから来ているものですが、今回は史子さん側ではなくイケメン側の方から来ている感じです」と言われた。

もちろんそんなの確証が全くない。

そんなのでたらめでしょうと言われたら言い返す言葉もない。

だけど、非常に堅実な世界で生きている人ではあるから、こんな意味不明なことは言われても信じられないだろうし、そもそもそんなこと考えたりもしないと思う。

だけど、魂の方でそれを覚えていて何とか伝えたいというものがあったと仮定するなら、今回私の方ではなく相手の方から来ているものだというのはなんとなく頷ける。

私は摩訶不思議なことに囲まれたおかげでそういうことに対しても何の抵抗もなく信じられれば、そういうことも本当にあるんだと思えるけれど、そうではない方からしたらせめて何か別の手段で伝えようと思っても不思議じゃない。

そしてこの情報が私の中でずっとずっと説明できなかったことに対しての一番のわかりやすい説明となった。

過去の色んなことに一気に説明がつく。

色々おかしい、とにかく最大級に変と思っていたことたちの説明がつく。

 

本当にその情報に行き着いて良かった。