お世話になった人へのプレゼントを探している。
相手の負担にならず普段使いできるもの…と考えて、よく本を読むその人にはしおりにしようと
決めた。
思い出せる限りこれまで5人の人からしおりをプレゼントされたことがある。
1つは若干行方不明中ではあるけれど、残りはすべて現在も活躍中だ。
長いものはプレゼントされてから20年近くが経っている。
ちなみにその20年選手になろうとしているものは、しおり風の誕生日会の招待状だった。
それがとても素敵な紙と手書きの文字とで作られていて、プラスラミネート加工されているから、
しおりとしてぴったりの代物だった(実家に置き去りにしているような気がする行方不明のもの)。
他にももう1人から手作りしおりをもらったことがあって、それはまた別の風合いがあって好きだ。
残りの3つについては、1つはメキシコから、1つはアメリカから、1つは日本の名古屋からと実に
国際色豊かだ。
名古屋からきたしおりは、贈り主からそこに込められたストーリーも聞いているから、さらに素敵さ
が増している。
それぞれのしおりにストーリーがあり、わたしはそれらを思い出す度に甘美な気持ちになる。
使う時はどっぷりと思い出に浸ることはなくても、ふと思い出に浸る時はそれだけで楽しい。
自分がそういう使い方をしているから、本を読むその人にしおりを思い付いたのだった。
我ながらセンスのいい思い付きだと自画自賛したけれど、今日実際に数軒しおりを置いてそうな店
に行ったらものの見事にない。
しおりを置いていないわけじゃない。
置いていない店もあったけれど(しかも大きな文房具売り場を誇るショッピングセンター!)、
置いていたとしてもデザインはマックスで3種類。
しかもそのしおりがどちらかと言えば女性向け。
今回のお世話になってる人というのは年上の男性。
どれもこれもいまいちだった。
中には3000円もするようには見えないしおりもあった。
また個人的に感じたことの1つに、今回見たしおりは全体的に奇抜な形のしおりが多かったけれど
これ絶対に普段しおりを使ってない人がデザインや監修をしているんだろうなぁと思った。
絶対に使いにくそうだし、下手すると持ち運びの途中でしおりが下に落ちそうだ。
しおりがなぜ四角なのか使ってみたらわかる。
四角だと1辺が必ず本の間に上から下まですっぽりと収まるから安定する。
ずるっとしおりが抜け落ちることはまずない。
すごく当たり前のことだけど、これは使ってないと多分わからない。
これまで一度も自分でしおりを買ったことがなかったから気付かなかったけれど、しおりというのは
どこにでも売っているものではないことがわかった。
さらにそれでデザインに優れているもの…となるとさらにハードルは高い。
わたしの手持ちのしおりたちは1つ1つ全く違っていてとても個性的で、さらにはデザインがとても
素敵だ。
どのしおりも、同じものをどこでも見たことがない。
たまたまわたしの元へ運ばれてきたものとは言え、今後もどこかで目にすることはないと思う。
できれば大量生産系よりも、同じものないよねという類いのデザインの方がいい。
明日もう一度探してみるけれど、果たしてお目当てのしおりに出逢えるだろうか…。
2016年5月15日日曜日
2016年5月14日土曜日
甦(よみがえ)るもの
昨日3~4年ぶりに、前職でとってもお世話になった先輩に会ってきた。
まだ当時の職場にいるかわからず、昼下がり先輩が最後担当していた所へ行ってみた。
駐車場には見慣れた車。
歓迎ムードで招き入れてくれ、仕事前の時間を少しいただきおしゃべりし、夜ごはんを食べる約束
を取りつけて一旦は別れた。
絶対にやりたいだろうなぁと思い、夜はオラクルカードと呼ばれるものを持参した。
「オラクル」とは英語でいうところの「予言」に当たるらしい。
基本的な使い方は、その時にしたい質問をしてそのヒントをカードからもらう。
それを持参するにあたり、久しぶりにカード入れのベルベットのような生地の真紅の巾着を出した。
そもそもそのオラクルカードも、自分で購入したのではなく、友達から譲り受けたものだった。
友達はいくつも持っていても自分では使わないから、ぶっしーちゃんの好きなものをあげると
持っている全てのカードのセットを目の前に出し、その中で一番好きなものをいただいてきた。
一番好きなものと言っても中身はどんなか全然知らないために、一番ぴんときたものを選んだ。
そしてカードを保管する用の巾着も一緒にプレゼントしてもらった。
ここ最近は最後いつ使ったのかも思い出せない位に使っていなかったために、巾着にたくさん埃が
付いていた。
ガムテープを適当な長さに切り、巾着についた埃を取り除いた。
ほんの1~2分の作業で巾着はあっという間にきれいになり、ピカピカと光沢を放ち始めた。
ベルベット特有の光沢を取り戻した生地は、本来の持ち味を存分に発揮していた。
一瞬で甦った。
一通りの食事を終えた後、先輩は喜んでカードを引いた。
カードも久々に人に触ってもらってさぞかし嬉しかったことだろうと思う。
しかも、その先輩がどれだけ丁寧にカードを取り扱ってくれるのかを知っているから余計とそう
思えた。
基本的にわたしは、わたしは引かず質問者自身からカードを引いてもらう。
そちらの方がなんとなくより本人の今の状況を反映したカードが引かれるように思うから。
ちなみにカード占いを生業にしている友達いわく、質問者でも占い師でもどちらが引いても基本は
OKと言っていた。
たしかに、その友達からわたしのために引いてもらったカードはこれまで一度も外れたことのない
どんぴしゃのヒントがやってくる。
多分わたしは、質問者自身で引いた方が納得する=わたしが引くことで余計な誤解や異議を
招きたくなくて、それで本人に引いてもらうスタイルを取っているのもある。
昨日の夜も、先輩は実に楽しそうに興味深そうにカードを引いた。
カードの引き方は1つじゃないから、引き方も提案し、そのすべてを試した。
1時間以上カードを引いていたと思う。
カードが伝えてくるメッセージは本当にすごいと思う。
10数文字で書かれた1行の文章で、先輩は「何を言われているのかすぐにわかった」と言って、
その言葉の奥から導いた自分の話を聞かせてくれた。
先輩は興味深そうに話を聞いてくれるもので、わたしが並んだカードから感じたこともそっくりその
まま伝えた。
たった1つのツールが、実にたくさんの会話を生み出し(先輩は、ツールなくても延々とおしゃべり
できる相手ではあるけれど)、そこからさらに深い話に突入していく。
ガムテープで巾着をきれいにした時間を思い返す。
ただぺたぺたとガムテープを巾着に付けては離しを繰り返しただけだった。
見栄えが良くなり、それを好きな人と共有した。
好きな人と共有されたものは、さらにさらに嬉しい気分でいるのじゃないかと思った。
部屋の隅っこで埃をかぶったまま持ち主に放置されているよりも、きれいにされそして本来の使い
方で存分に使われ、そっちの方がものそのものも喜びに包まれるのじゃないかと思う。
まだ当時の職場にいるかわからず、昼下がり先輩が最後担当していた所へ行ってみた。
駐車場には見慣れた車。
歓迎ムードで招き入れてくれ、仕事前の時間を少しいただきおしゃべりし、夜ごはんを食べる約束
を取りつけて一旦は別れた。
絶対にやりたいだろうなぁと思い、夜はオラクルカードと呼ばれるものを持参した。
「オラクル」とは英語でいうところの「予言」に当たるらしい。
基本的な使い方は、その時にしたい質問をしてそのヒントをカードからもらう。
それを持参するにあたり、久しぶりにカード入れのベルベットのような生地の真紅の巾着を出した。
そもそもそのオラクルカードも、自分で購入したのではなく、友達から譲り受けたものだった。
友達はいくつも持っていても自分では使わないから、ぶっしーちゃんの好きなものをあげると
持っている全てのカードのセットを目の前に出し、その中で一番好きなものをいただいてきた。
一番好きなものと言っても中身はどんなか全然知らないために、一番ぴんときたものを選んだ。
そしてカードを保管する用の巾着も一緒にプレゼントしてもらった。
ここ最近は最後いつ使ったのかも思い出せない位に使っていなかったために、巾着にたくさん埃が
付いていた。
ガムテープを適当な長さに切り、巾着についた埃を取り除いた。
ほんの1~2分の作業で巾着はあっという間にきれいになり、ピカピカと光沢を放ち始めた。
ベルベット特有の光沢を取り戻した生地は、本来の持ち味を存分に発揮していた。
一瞬で甦った。
一通りの食事を終えた後、先輩は喜んでカードを引いた。
カードも久々に人に触ってもらってさぞかし嬉しかったことだろうと思う。
しかも、その先輩がどれだけ丁寧にカードを取り扱ってくれるのかを知っているから余計とそう
思えた。
基本的にわたしは、わたしは引かず質問者自身からカードを引いてもらう。
そちらの方がなんとなくより本人の今の状況を反映したカードが引かれるように思うから。
ちなみにカード占いを生業にしている友達いわく、質問者でも占い師でもどちらが引いても基本は
OKと言っていた。
たしかに、その友達からわたしのために引いてもらったカードはこれまで一度も外れたことのない
どんぴしゃのヒントがやってくる。
多分わたしは、質問者自身で引いた方が納得する=わたしが引くことで余計な誤解や異議を
招きたくなくて、それで本人に引いてもらうスタイルを取っているのもある。
昨日の夜も、先輩は実に楽しそうに興味深そうにカードを引いた。
カードの引き方は1つじゃないから、引き方も提案し、そのすべてを試した。
1時間以上カードを引いていたと思う。
カードが伝えてくるメッセージは本当にすごいと思う。
10数文字で書かれた1行の文章で、先輩は「何を言われているのかすぐにわかった」と言って、
その言葉の奥から導いた自分の話を聞かせてくれた。
先輩は興味深そうに話を聞いてくれるもので、わたしが並んだカードから感じたこともそっくりその
まま伝えた。
たった1つのツールが、実にたくさんの会話を生み出し(先輩は、ツールなくても延々とおしゃべり
できる相手ではあるけれど)、そこからさらに深い話に突入していく。
ガムテープで巾着をきれいにした時間を思い返す。
ただぺたぺたとガムテープを巾着に付けては離しを繰り返しただけだった。
見栄えが良くなり、それを好きな人と共有した。
好きな人と共有されたものは、さらにさらに嬉しい気分でいるのじゃないかと思った。
部屋の隅っこで埃をかぶったまま持ち主に放置されているよりも、きれいにされそして本来の使い
方で存分に使われ、そっちの方がものそのものも喜びに包まれるのじゃないかと思う。
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