未来写経
2022/08/14
片付けをしていたら出てきた引用文
「切手を貼って出す。便りを届ける。きっとそれは温かい息。吹き込めば吹き込むほど、自分も温まる。届けた想いは僕を運んでくれる。温かく、静かで、幸せな場所へ。」
『世界から猫が消えたなら』川村元気(著)
妹たちが帰省するのに合わせて部屋の片付けをしていた時に、写真にあげた紙たちが出てきた。
少しだけ読んで、「まるで未来写経だな」と思った。
「吹き込めば吹き込むほど、自分も温まる。届けた想いは僕を運んでくれる。温かく、静かで、幸せな場所へ。」
このブログのことみたいだと思った。
同じようなことをグルグルと飽きもせずに書いているように見えてるかもわからない。
でも私はいつの時も毎回新鮮さとあたたかさとしあわせ感を感じながら書いている。
そして引用文にあるように、「静かな場所」へと自然と入っていく。
時々仕事の昼休み中にもブログの下書きをする。
景色は自分が使うパソコンや各種資料が目の前にあって、暗い中でもそこが職場だというのはわかる。(昼休みは全フロア消灯するルール)
けれども、書いている10分20分の時間は私は確実に別の場所にいる。
身体はたしかに自分のカオスな席に着いているけれども、書いていると静かなところに自分がいるのがわかる。
ひっそりとしている静かじゃない。
静けさというか、静謐な感じがある。
心に鍵をかけられるとするなら、書いている時というのはその鍵が開けられて、その先の自分しか知らない場所に入っていく感じ。
見たり聞いたりはしないけれども、感じることはできる。
そしてその「感じる」は、静かで何も遮るものがなくて自分がどこまでも真っ直ぐで素になれる、そういう感覚を感じ取る場所。
ちょっとした中毒性もありそうだけれど(笑)、セラピーなんかを受けたことがある人ならわかってもらえそうだけれど、本題に入るために体をリラックスさせて意識が必要な場所へと運ばれる、そういう穏やかな状態みたいなところがある。
少なくともここ何十回と書いているイケメン上司にまつわる話の時は、この感覚を毎回味わう。
書いている内容とかはあまり関係ないみたいで、とにかく心はそういう感覚を味わう。
だから、いつかの写経もどきで書いておいた文章がまるで今の自分の日常の中の感覚や体験と通ずるところがあるなんて、読んで驚いた。
だからこの文章を書くとするなら「未来写経」だなと思った。
未来を予測して選び取った言葉ではなかったけれども、結果的に小説の中に出てきた言葉とまるで同じような体験を私もするようになっていた。
書いていた当時はそんなこと知らなかったわけで、本当に驚いた。
あと、毎回新鮮なのは本当で、私自身は全く飽きないし(元々何かハマると何回でもリピートできる性格)、毎回違う感覚や回想が出てくるから真面目に新鮮。
イケメン上司も含めて読む側の人からすると、「また同じこと書いてる」と見えてるかもわからない。
でも私側は毎回少しずつ違うし、たとえ同じような感覚が出てきてもそれもそれで新鮮だし、ある意味とても上手く機能していると思う。
もはやどんな領域に自分がぶっ飛んでいるのかもわからないけれども、ブログを書いている時はとても心穏やかで楽しい時間だから、それは日常の中では他にない感覚で、だからこそ新鮮に感じるのかもわからない。
*
気になって、その文章を書き写したのがいつなのか、紙をめくって確認した。
当時は日付印を押すことを毎回楽しみの1つとしてしていたから、上手くいけば残っているはず!、そう思ってめくった。
2016 08 10となっていた。
そんな時期に書いた記憶がないけれど、2016年8月10日といえば、名古屋から新潟に戻ってきて引きこもり3ヶ月目の頃、そして新潟で初めて仕事をする3週間ほど前の頃になる。
家も両親が建て替える前の古い家の頃で、今と同じ2階の東側の部屋で名古屋から持ち帰ってきた木のテーブルの上で書いたんだろうなと思う。
名古屋にいた頃、何がきっかけで本格的に始めたのか忘れたけれど、読んだ本や雑誌で気に入った言葉を見つけると、とりあえず付箋を貼っておいて、あとからそのページをルーズリーフに書き写すことをしていた。
それは20代の頃小さなメモ帳から始めて、ドミニカにいた時もして、30歳以降名古屋にいた時はメモ帳じゃ間に合わなくてルーズリーフに切り替えた。
小さなサイズのルーズリーフではあるけれど、それで数百枚、1000枚までいかなくてもそれに近い枚数の書き写しをした。
元々は20代の前半とかに読んだエッセイの中でそれをされている人のエピソードが紹介されていて、それいいなと自分も真似した。
30歳以降は、それだけじゃなくて自分の心を癒すことも目的としてやっていた。
あと、当時は打算も働いて、そういう言葉を書き溜めておけば、いつか何かに使えるかもしれないというのもあった。
特に深い意味もなければ、未来を予想したのとも違う。
何か深く心に残って、それで当時はルーズリーフに転写したに過ぎなかったと思う。
それを書いた1年後、本当に自分も手紙を書くことになるだなんて思ってもいなかった。
*
私が手紙を書いたのは、下書きが2017年の9月9日、本チャンが翌日の10日だった。
届けたい一心だった。
届かないのはわかってた。
負け試合と言うのは変だけれど、勝算は全くなく、超行き当たりばったり、自分でも何をしているのかと思った。
今振り返ってみても、人生の中で一番意味不明な行動と一番ずば抜けた行動力だった。
受け付けてもらえないんじゃないかというのは、あまりに無我夢中で今でも断言はできないけれど、一番心配したことじゃなかったかなと思う。
届くかどうかはわからない。
でもとりあえず、「届ける」ための形が必要で、その形として私は咄嗟(とっさ)に手紙を選んだ。
もし当時社内メールが与えられたとしたらどうしたかはわからない。
当時の私は社内メールさえなかったから、書く手段としては手書きの手紙しかなかった。
形は何であれ何かこう、「これだけは今しか届けられない」とだけははっきりと思った。
魂からの発令だったと今でも思っている。
内容が伝わるかどうかも心配する余裕がなかった。
とにかく受け取ってもらえること、そこが第一関門だった。
【吹き込めば吹き込むほど、自分も温まる。】←冒頭の小説の言葉。
「無」から生み出すものは、基本的に私はどんなものでも素晴らしいと思っている。
だって「無」と「有」には大きな差があって、無はどこを切り取っても存在していなくて、でも一度「有」になったらそれはこの世のどこかに存在している。
自分の書いた手紙は今も自分で読み返せるような代物ではないけれど、でも息を吹き込んだ結果「形」を持てることになって、そしてその形はイケメン上司の元に届けられることになった。
内容や形態やらはさておいて、存在できたことが私の中では素晴らしくそして尊い。
自分の中で偉業ということではなくて、イケメン上司の元へ形を伴っていくことができた、というところが素晴らしい。
この記憶力が他に活かせたら本当に良いと思うけれど、私はイケメン上司に合計で4つの有形物を渡した。
最初は、滅多に電話を取らない私が取って、出たらイケメン上司宛ての電話で折り返しを希望されて、それでその相手の連絡先の電話番号をメモした紙。
どう考えても捨てられたと思うけれど、その日の昼休み明けだったか、まだイケメン上司の机の上にメモ用紙が無造作にポンと置かれていたのを見て、なんだかとっても嬉しくなったのを覚えている。
今考えると、あの日、イケメン上司の机の上は綺麗だった!
普段はすごいことになっていたけれど(雪崩が起きそうな具合。そしてこんな風に他人のことなど言えないくらい、今の私の机の上もスーパーカオス。雪崩も時々起きている…)、その時は机の上が綺麗で、とにかくメモ用紙だけがやたらと際立って見えるくらいにはっきりと見て取れた。
何であの日あの時、机の上が整然としていたのかはわからない。
でもまるで私にメモ用紙が「きちんと置かれているよ」とアピールするために、机の上が整っていたんじゃないかと思うほど。
この記憶力、凄すぎる(笑)!
2つ目は電話越しに伝言を頼まれたメモ。
今考えたら後にも先にも、当時の職場で電話で伝言を、それもやたらと長い伝言を受けたのはその時だけで、これで私はイケメン上司の名前も呼べるしメモ用紙も手渡しできるー!!!と超ハイテンションになったのに、事務さんから「私が渡しておくね」と預かられてガックシきた、というもの。
ところがそれを事務さんがイケメン上司に本当に手渡すという段になって、たまたま私はそのシーンを横目でガン見できるおいしい瞬間に立ち合えて、これは実際がどうだったのかわからないけれど、イケメン上司は少なくともそのメモ用紙をガン見していたように私には見えた。
数秒で読み終わるような内容だったと思うけれど、とにかくイケメン上司はじっとメモに目を落としている風だった。
隣りで事務さんが説明している間も、イケメン上司は事務さんのことは見ずにずっとメモ用紙を見たままだった。
というのは私から見た状態だったけれど、魂マジックでやたらとスローモーションみたくなって長くその状態が続いたように見えていただけかもしれない。
それもどう考えても用件さえわかれば要らないメモだから、イケメン上司が私に超気があってどうしてもそれを記念に取っておきたいみたいな強い意志でも働かなければ、今この世に存在などしていないと断言できる。
3つ目はごはんに行きませんかと誘うメモ←自爆テロの元になったもの。
これは想像するのが恐ろしいから、どうなったのかはあまり考えたことがない。
そして4つ目の札束だったら悶絶しそうなくらいに嬉しい厚さの重たい手紙。
もちろん札束じゃなくアラフォー女が押し付けてきた手書きの手紙で重いったらこの上ないシロモノだったと思う。
これはなんとなくイケメン上司は今も持っているんじゃないかなと思う。
名刺も持ってないし他に何も手渡せるようなものがなかった私にとって、たとえ押し付けたものでも(そう、あれは渡したと言わず押し付けたがとても正しい)何かしら有形物を生きているイケメン上司にバトンを渡すように渡せた(正しくは押し付けた)ことは本当に良かった。
今みたいにもはやどこに住んでいるのかもわからず、当然日常生活の中で手を伸ばせば届くみたいな場所にいない今、もうそれをしたくてもできない。
当時は色々余裕がなかったけれど、この事実は私をあたためてくれる。
息を吹き込んだものが形となってイケメン上司の元に届いた(押し付けた)という、自分が自らの手で作った現実に自分が今あたためられている。
そしてこれはたられば話でしかないけれども、もし手紙を渡さずにずっと黙ったままだったのなら、最後は円満に挨拶ができたかもわからないけれど、代わりに今みたいにブログを見つけてもらって見てもらう現実はなかったんじゃないのかと思う。
円満な挨拶も欲しかったけれども、それよりも今の現実の方が何十倍も私にとっては良い。
全くしゃべらない仕事だったから、自分の内面をこのブログでベラベラと書くように話すことなんか絶対になかったから、私は自分が好きこのんで書いているだけでもこうして見てもらえることで自分が何を考えたり思ったりしているかを知ってもらえて本当に良かったと思っている。
色々と私が強烈だったんだと思うけれど(こちらも必死で、強烈だったのかどうかを振り返ったのはイケメン上司がいなくなったうんと後から)、もし大人しく静かに粛々と日々仕事をしているだけだったら、そもそもイケメン上司から見える世界に私はいたんだろうか?とさえ疑問に思う。
仕事の絡みもなければ接点もない、私は置き物のように黙って仕事をするだけで存在感など無いに等しかったと思うけれど、その私の声に耳を傾けてもらえるきっかけは、あの厚さだけではなく中身も色々重たい、ゲッΣ(꒪◊꒪; )))) となる手紙だったんじゃないのかなと思う。
そして、もし手紙を書かずにいたとするなら、ブログも書かなかった気がする。
手紙である程度の道筋を作って(当時はもちろんそんな気などさらさらなかった。あまりにも目の前のことに必死で、先々のことなんか何にも考えられなかった)、手紙の後1ヶ月するあたりからこのブログが稼働されて、そしてそこから足掛け5年、今ある現実に至っている。
そして、手紙はそれっきりでもその後を引き継ぐかのようにこのブログがあって、そこに『吹き込めば吹き込むほど、自分も温まる。』(引用:冒頭の川村元気さん)ことを私は自分の身を持って体験している。
そう、ブログに自分の意志を吹き込めば吹き込むほど、自分があたたまっている。
イケメン上司がどうなっているのかは未知数でも、少なくとも私側はあたたまっている。
とかいう現実をまるで予想したかのように、私は小説の一節をルーズリーフに書き記した。
もちろん、そんなことは一切想像なんかしなかった。
そして書いたことも忘れていたし、そんなフレーズが心に留まったことも覚えていない。
まさかそれを書いてから6年後に言葉と再会して、その言葉通りの現実を自分が体験するだなんて、本当に凄すぎる。
色々消せない過去だらけだけれど、イケメン上司側にもせめて何かしらあたたかいものが届いているといい。
インパクトだけがすごすぎて何にもあたたかさなどないかもしれない。
それでもどこかしら1箇所だけでもあたたかい風がイケメン上司に向かって吹いてくれたのなら御の字だなと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿