2021年3月3日水曜日

41歳の私的記録(真夜中のブログ)

早々と寝たら変な真夜中の時間に目が覚めて、少しネットサーフィンをした。

ネットサーフィンした時に、3人ほどの妊活女性のブログを読んだ。


1人は男性不妊に対して何も治療法もなく、夫婦2人の生活をすると決めた人。


1人はセックスレス夫婦、だけど子どもはいる人。


1人はようやく妊活の末今妊娠中の人。


今なら書けそうと思って書き始めている。


私今41歳で今度42歳だよね?と自分に確認。


自分の年齢を気にかけることがめっきり少なくなって、時々年齢がわからなくなることが41歳のこの1年は時々あった。


年齢を書くとか入力する時は、2020ー1979って引き算して確認してたくらい。


余談はこのくらいにして。


結婚云々よりも年齢が上がる時に毎年思ったのは「子どもを持てないかも」しれないことだった。


自分が妊娠できるとも限らなければ、仮に結婚できても旦那さん側が男性不妊の可能性だってあるし、なんならセックスレスになることもあるだろうし、そういうたらればなんかいくらでもあるにしても、そういうことは全部脇に置いて、とりあえず「子持たず人生」への自分の気持ちをケアすることのこの数年だったなぁと思う。


これは本当にどう説明もできないけれども、私は単純に子どもが欲しいとこれはある程度の年齢になった時から思っていたし、今はまた少し色んな気持ちがあるけれども、とにかく今も今で本当に色んなことが重なって妊娠できるチャンスがあるなら妊娠したい、子どもを持ちたい希望はある。


でもそれは治療したいとかそういうことではなくて、本当に愛ある行為の末に自然妊娠、そういう妊娠がいいなぁと、年齢も考えずに言うとそれが本当の気持ち。


ただ、年齢も上がって、自然妊娠どころか治療してももはや妊娠率が統計上とてつもなく低い年齢域に入った今、単純にあきらめの気持ちが静かに湧いてきた。


これはとても意外なことだった。


本当に時薬(ときぐすり)ってあって、時間というか年齢がそれを可能にしてくれたんだなと思う。


それには色んなことが重なっている。


仕事の話などしたくはないけれども、多分私の人生はいつかの占星術の鑑定で「星にお使いください」というような人生だと言われたように、本当にそのような毛色の濃い人生なんだと思う。


今も今で組織の溜まりに溜まった悪しき慣習のところにことごとくメスを入れるようなことを日々しているけれども(勝手にそういう仕事が回ってくる)、それはもう単なる仕事ではなくて、何か大きな意図が裏側にはあるんだろうなぁと思って日々向き合っている。


別に何をしていようが、結婚もできるし妊娠子育てもできると思う。


だけど私の場合はそうではないんだろうなぁと思う。


元々の結婚願望というか好きな人と一緒に生きていたい願望が強くて、共働き当たり前の時代になっても専業主婦というか家で家事をすることを楽しむ生活に憧れて、それをさせてもらえたら間違いなくそちらに傾倒しそうな自分は簡単に想像できるし、そうではなく普通にフルタイムでも家の中で好きな食器使うとか自分の興味あるレシピを試すとかそんなのを自分の趣味にして生きるとか、そう、間違いなく、今みたいに役割が勝手に回ってこなければ基本やりたくない人間はもっと自分の快楽や趣味嗜好を追い求めたいわけで、そういう自分の性格と人生の抵抗できない流れとを思うと、今みたいな強制力の中でしか私なんかは動かないのはわかるから、子なしパートナーなしなのもなんだか頷ける。


今の年齢に差し掛かると、私が誰かと真剣に向き合うことが怖いように、男の人たちもそういうことが怖い人たちはそこそこいることもわかったし、相手もそういう人だと意外と私は自分はお互いに少しずつ歩み寄ることができるのかもしれないなぁなんて思わなくもないけれど、なんだかそのように人生は動いていない。


何の話をしたかったのかわからなくなってきたから、子持たず人生の話に戻そう。


引きこもりになっていた30代の頃も、私はいつか本当に持てるのなら子どもを持ちたいと思っていた。


だから人様の妊娠出産を聞くたびに何とも苦々しい気持ちを味わったし、自分の中の孤独とか暗い部分とかそういうところを何度も見ることになった。


もし今私に子どもがいたのなら、私は子どもや旦那さんを含めた家族を自分の人生の一番大事なところにおいて、そして子どもと家族最優先の生活を送ったと思う。


旦那さんになる人が転勤族ならそれについていくことにある時からは全く気にならなくなったし(大学卒業してすぐくらいは自分のキャリアとか考えたけれど、協力隊が終わって日本に帰ってきた時には結婚以外にしたいことのなかった私には、そういうことはどうでもよくなった)、今の時代働かなきゃいけないだろうことはわかるし、なんなら相手が働けなくて自分が一家の家計を支えるみたくなったら私はそれを本気でやる人だと思う。


自分の家族が欲しかった、今もそれはものすごく強くあるけれども、とにかく縁あって一緒になれる人を大切にすることをしたかったなぁなんて思う。


そういう感情の中に子どもを持つことも私の中ではすごく当たり前の感覚としてあって、今さらだけれど、時々色んな意味でルートから外れたような自分の人生にものすごく驚くし(仕方ないとも思っているけれども)、何で結婚もしてなければ子どもも持たない人生に自分がシフトしてるのか、単に「わからない」と思う時もある。


とにかく子どもを持ちたい願望のずっと強かった私に、この41歳という年齢になった時に気持ちの変化が程良い形でもたらされた。


自分のこの人生を受け入れ出したこともあるけれども、一番は年齢の方が大きいかなと思う。


もしこれからの1年くらいで、誰かパートナーとなる人が現れて、その人が私との子どもが欲しいとなれば、私は不妊治療も含めて人生の舵を切るだろうと思う。


まぁだけどそんな棚ぼたみたいなことは全く想像もできなければ、1年後の自分が何してるかはわからなくても、ここから先社会と関わるとなれば、相変わらずよくわからない波の中で生きるだろうことの方が妥当な線のように思う。


何の話なのかわからないけれども、私はこれを41歳の今書いて残したかった。


もうじき42歳になる今書いて残したかった。


過去にもこの手の話をやっぱり眠れない夜とかに下書きした時もあったけれども、どれも下書きのまま今に至っている。


下書きは残っているけれども、こういうのは本当に勢いといつもとは違うテンションとが必要になる。


色んなことが重ならないと書けない。


今書けたことの方が奇跡的だなと思う。


自分でもこんなの書いてどうする気でいるんだろう?とも思う。


だけど、30過ぎてからの自分が特にずっと悩んだり考えたりしてきたことの大きなテーマの1つだから残しておきたいと思った。


この気持ちに私はよくぞずっと向き合ってきたなと、そこはとても素直に自分がよくやってきたなと感じている。


結婚妊娠に関しては、周りの人たちの何気ない会話や質問に傷ついたこともたくさんあったし、ある意味引きこもりニートよりもしんどくて悲しいとか辛いとか苦しいとかいうのがあった。


年齢が上がったら、とりあえず周りも「あの人は独身なんだ」という認識が定着するし、触れてはならないと思うんだろうし、とにかくわたし的にはありがたい状況が増えてきた。


元々自分の気持ちとの折り合いだけが必要なテーマではあったけれども、ますます周りも放っておいてくれるから自分の気持ちとの折り合いだけを今後も目指したらいい。


結婚はいつかはするかもしれなくても、妊娠出産子育てはもうやらない可能性が99%と言ってもいい。


それならそうと、自分の中でもさらにあきらめがつく。


そこの折り合いがついていくのは、寂しい気持ちがないということはまだなくても、何となく明るい方の気持ちが出てきている。


年齢ってすごいなと思ってる。


なんとなく、例えばあともう1年して43歳になろうとしている自分が今と大して変わらない生活を送っていたのなら、ますます明るいあきらめと気持ちの切り替え量が増してると思う。


更年期というものを体験するかもしれないし、どう考えても妊娠よりも更年期体験談の方が年齢的に近いわけで、それはそれでまたあまり歓迎してはないけれども、せめてせめて自分の気持ちだけはきちんとケアしておきたいなぁと思っている。


気分にムラがあっては自分も周りも滅入るから、気持ちはある程度健やかに保てるように自分の中で術を持っておきたいとそれだけは常々思っている。


寝よう。


また様々な重たいものが数時間後に控えている。


そこに向かうエネルギーを旦那さんとか子どもに注ぎたくても注げない今の人生、心惜しいとはやっぱり思うのは仕方ない。

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