気付いたら1週間以上何もアップしてなくて驚いたΣ(꒪◊꒪; )))) !
自分じゃ書いてるつもりだったのに、さっき最後にブログアップしたのはいつだろう?と思って見てみたら12日、8日も前になっていた。
自分ではこの間4つの下書きをそれぞれ思いついたタイミングで書き始めていて、今はその4つを行ったり来たりしているもんだから、かなり書いた気でいた。
実際はどれも途中でアップしてないうちに8日も経っていたなんてビックリした。
その中の1つが、初級占星術講座の時の先生、桐吉謳子先生から鑑定を受けた時の話で、ブログの下書きは終わってないものの、鑑定のビデオを見てそれをノートに書き下ろしている作業をしていて、それがもう10数ページ以上に上るもんだから、かなり書いた気でいた。
なんなら朝早く起きて、仕事に行く前の1時間弱とかにテープ起こし的なことをしていて、そんなのをほぼ毎日のようにしていたから、自分ではかなり書いた気でいたのは仕方ない。
たしかに書いたは書いた。
ただどれも中途半端というだけで。
いきなり初雪で大雪になっていることも手伝って、今は基本引きこもり体制になっている。
家にいる時間、やたらと書き物をしている。
まさに冬にふさわしい過ごし方だと思う。
明日月曜日からまた年末に向けて仕事が忙しくなる。
のんびりとマイペースに大型の仕事に取り組んでいたら、突然金曜日の仕事が終わる少し前の時間に、年内にその仕事を終わらせて欲しいと言われて、ゲー( ̄ཀ ̄;;)な感じになった。
来週はまた静かに緊張しまくりな変な生活ペースになるんだろうなぁなんて思う。
1年この仕事をやってみてわかってきたことだけれど、残業が続いて1日10時間仕事が連日の日常になってる時の方が、めちゃくちゃ疲れてはいるんだろうけれど、体はあまり寝ようとしない。
神経が昂(たか)ぶって、妙に落ち着かなくて、結果ショートスリーパーになる。
そして疲れているはずなのに、普段以上に体が動くから驚く。
反対に残業もないのんびりモードの時は日々20〜22時くらいが寝落ちタイムみたくなって、気付くとウトウトと寝ていて、起きたらムクリと起き上がって布団をきちんとかけて寝直している。
そのまま夜中に覚醒する時もあるけれど、まぁその辺りは適当に臨機応変にしている。
のんびりモードの時の方が時間はあっても逆に何もできていないことが多い。
1週間前(12/11)に個人鑑定を受けて、昨日(12/19)WEBでの占星術講座を受けて、さらに来週というか今週の土曜日(12/26)に諸事情で2回に分けることになった個人鑑定の2回目を受ける。
ひたすら星、星、星ざんまいの日々を通過している。
結果的に今が鑑定や講座を受けるベストタイミングなんだと思う。
鑑定も講座もどちらも面白い感じに着地しているし、講座についてはこれから月1で来年の11月まで受けるけれど、それも今後どんな風に自分の中にあるものが変化するのか見るのが楽しみになっている。
講座については自分が寝落ちするかと思うくらい最初は全く興味が湧かずどうしようかと思ったけれど、後半になって面白くなってきたのと、いかにも自分らしい物の見方を始めて、それで視点が変わったのとで最後はこれでいいんだなと思った。
講座の中である1人の人のケーススタディが紹介された。
それを占星術的に読み解くと…みたいなものが講座の趣旨だからそれはそれでいいとして、そのどこの誰かも知らない人の人生模様をまるっと赤の他人として聞いていた時に思った。
そのホロスコープの主の人は、とある個人的な問題で悩んでいて、それで鑑定を受けたようだった。
聞いていてたしかに酷い状況だとは思ったけれど、そもそもの向かう対象が違うように感じた。
本人は問題に向き合っている風ではあるけれど、その問題は抱えていてももちろん苦しいけれど、たとえ本人が望む形に終着しても決してしあわせな結末にはならないだろうなぁという内容だった。
「同じだけ自分の時間とエネルギーを使うとして、そのことに向き合うことは自分をしあわせにしてくれるものなの?」
私の中にある視点は、本当にシンプルだった。
色々湧いてしまう感情や許せない気持ちはどうやってもすぐになんか消えないし、どうしても時間はかかる。
私はそれを捨てなさいとも思わないし、気が済むまでやるしか落ち着く方法がないだろうことも想像がつく。
なんだけど、そこまでやり切ったとして、その後何が残るのかな?と思った。
自分の中でやりきれない感情は行き場を失わないように自分の中でとにかくきちんと扱うことは絶対的に大事になってくる。
その感情が行き場を失うと、後々もっと面倒くさいし、自分にとっての苦しさや辛さも増す。
だからそこに向き合うこと自体は良いと思う。
だけど、同じ向き合うにしてもどう向き合いたいかは考えなきゃいけないことだと思う。
自分に向き合うだけ向き合っても、自分が擦り減るだけならそんなの自分いじめみたいで余計にしんどい。
向き合うなら本当に自分にやさしいやり方や自分がそうしたことに向き合った後「これをやりきって良かった」と感じられるような手段を選ばないと、自分が逆に可哀想な気さえした。
その相談者的な人の視点は、全然しあわせなものは微塵もなくて、というか自分で自分のしあわせをわざと摘み取って絶対に自分をしあわせにしない方法を自ら選んでいるように私には映った。
そう思った時に、自分が興味あるのは、そういう生き方のセンスや自分との付き合い方であって、占星術そのものではないんだなとわかった。
それはわかりきっていたことだけれど、改めてそういう状況を目の当たりにしてそんなことを強く感じた。
あと10日ほどで2020年も終わるけれど、とりあえず手持ちの4つはアップしたいなと思っている。
いつも思うけれど、どうして年を越えての持ち越しは嫌なんだろう…(苦笑)。
新年さわやかに迎えたい気持ちはわかるけれど、別に持ち越しても大丈夫なのになぁなんて思う。
とりあえず1にも2にも、突然知らされた締切の仕事を終わらせてしまいたい。
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