素敵な気遣いの炭酸飲料
テレビのおじさんより
こんな風に雲から放射するように
太陽の光が洩れるこの現象を
何年か前に友達から
「天使の階段」
と呼ぶと教えてもらった。
2019.6.5 の夕空
おじさんのお仕事の手伝いの後に見た空
ー2019.6.7の下書きより
3日間の家電量販店でのテレビ入れ替え作業の手伝いが終わった。
最後、担当者のおじさんから
「本当に助かりました。ありがとうございました。また機会がある時は是非ともお願いしたいです。本当にありがとうございました」
と挨拶された。
それも1回ではなく、上のセリフを3回ぐらい言われて、最後私が見えなくなるまでおじぎをされていて見送ってもらった。
普段なら車に乗り込んだら携帯を見るけれども、あまりに申し訳なさすぎて、私はそそくさと車のエンジンをかけて道路の方へ出た。
前回の単発の仕事の時もそうで、初日も2日目も、課長級のおじさんも私と年が変わらないだろう中間管理職的な男性も、車からわざわざ降りてきて「ありがとうございました」と数回おじぎをしながら挨拶をしてくれた。
この3人のおじさんたちは、本当にそうしたことが自然にできていて、そして冗談抜きで感謝してくれてるのがわかった。
私だってお金をもらうわけだから、そんな風にかしこまっての挨拶は本来なくても問題ないけれども、というよりない方が当たり前だとさえ思うけれども、その3人は全然違っていた。
本当にきちんとされていた。
年賀状の時もだし、ゴールデンウィークの某量販店の時もだけど、「お疲れ様でした」とか「ありがとうございました」とは言われても、本当に気持ちがそこにはないのがわかる。
特に量販店の時は、作業の進捗だけ聞かれて終わったから、私は「えっ?それしか言うことないの?」と毒づいたぐらいに、拍子抜けした。
感謝して欲しいというよりも、色んなことを当たり前に思っていて、それはすなわち私の働きも他の誰かの働きもあって当たり前みたいな、そういう空気が漂っていて、これははっきり言って労働者のモチベーションを下げる。
とかいう現場も見ていたから、だから余計と3人のおじさんの挨拶の仕方が本当に飛び抜けて良くてめちゃくちゃ感動した。
これは私が勝手に思ったことだけれど、3人のおじさんたちは現場の仕事の大変さを知っていて、さらに自分たちだけでは到底回せないのもわかっていて、その部分を一緒にやってくれるわけだから、「ありがとう」の言葉があれだけ丁寧な形で出てきたんだと思う。
それは言葉を変えると、普段きちんとやっていることの現れだと思う。
普段見えてない部分もやっているからこそ、そうした目に見えない人の目に触れないところも丁寧にやっているからこそ、見えている風景で、そして感謝の言葉にさっと繋がっていくんだと感じる。
そういう人たちの仕事ぶりを見て、日本の経済も日常生活も潤うんだとよく伝わってきた。
テレビ入れ替え作業が終わった日、車の中で過去の仕事で関わった人たちのことを思い出して、猛烈に腹が立ってきた。
唯一、人生の中で「人間関係」を理由に辞めたところだった。
冗談抜きでトイレに行く時間すらない仕事だった。
やってもやっても終わらなくて、毎日夜寝る夢の中でもうなされるように仕事をしていた。
少しでもおかしければ厳しく注意を受けるだけじゃなく、私が全くしてもいない仕事に対して濡れ衣を着せられて罵声を浴びたりとか、本気で意味がわからなかった。
さらに、私のところにはしょっちゅう超危険案件が回ってきて(←意図的に回されてくる)、社員案件を私がして、派遣案件を社員がするというおバカな仕事の在り方が慢性的にあった。
しかもそれは、私が自分の元々担当していた案件を99%まで仕上げてあと1つで終わるというタイミングでのチェンジを言い渡され、私はなんと社員案件を1からやり、なんならやり方がわからないから当然時間がかかるわけで、それもまたすごい怒られながらやるという、今考えればパワハラやモラハラの類いだよねと思う。
当時のことを思い出した。
感謝は全くされない。
・GM
・時給
・自分の労働力を感謝してもらえることで気持ちよく働けて、さらに役立っている感が良かった
・まじめにきちんとやるのが私の美意識
それを抵抗なく受け止められたのは最近
2019.12.14
上の続きを書いてアップしよう。
最後の部分に書いたことの続きはこんな風だった。
・GM
GMというのは、当時の職場のフロアマネージャーみたいな、そのフロアに含まれるいくつかの部署の統括の人だった。
あれからそろそろ4年になるけれども、私はたった一度きりのGMとの面談の時間を今でもはっきりと覚えている。
GMだけは、本当に唯一真っ直ぐに私を評価して見てくれていたとその時に初めて知って、それだけで本当の本当に自分自身が救われた。
今だったらわかるけれども、私は周りの人たちにとって非常に煙たい存在というか、憎たらしい存在だったのだろうと思う。
仕事は真面目にやっていたし、自慢していいことだと思うけれども、私は色んな現場で鍛えられたおかげで顧客対応が多分普通の人たちより上手い。
当時の部署は、お客さんに対しては主にクレーム対応が本当に一番の仕事みたいなところがあったから、色々際どい内容を話さないといけなかった。
しかも対応が長期化する案件のお客さんは、たいがい難しい内容、それはすなわちお客さんにとって不利益や不具合を受け入れてもらわないといけないことの交渉事が多かった。
それを私はすべてノークレームでやり遂げて、途中で当然お客さんも納得いかないからしのごの言われるけれども、それでも根気よくひたすら話を聞いて、謝れるものは謝ったけれどもできないことはできないときっぱりと伝える、それだけをひたすら繰り返して、最後はお客さんも納得して事は終わっていた。
場合によっては逆に怒ってすみませんと言われたり、最後まできちんと対応してくれてありがとうと言われたり、とにかくお客さん対応に関しては私は人間的なやりとりをかなりさせてもらっていた。
多分そういうことも周りは面白くなかったんだと思う。
しかも、色々嫌がらせをされても(←実務に支障をきたすレベルの嫌がらせ)、それでもしれっとした顔して仕事をしていたし(心の中はその場で泣きたいぐらい嫌だった)、そういう時の私は仕事と割り切って絶対に自分を曲げずに与えられたものに対してやりきるから、そういうのもイライラさせたのかもしれない。
私は今でもその当時の人たちを人としてどうかと思うし、これがもし友達レベルなら私は真面目に怒る。
そんなことして、何になるの?と。
人として最低だよと。
そんな中にいて、私の評価はひたすら右肩下がりで少しのミスは大叱責、他人のミスも私のミスに転嫁されて、常におかしな風が吹きまくっていた。
新しく着任されたGMは、1年以内の離職率が異常に高いその部署のテコ入れのために、まずはフロア全員と面談をした。
私は1ヶ月未満以内で辞めることが決まっていた頃で、そんな私と面談なんかしても何の得もないだろうにと思った。
その時にGMから、私の働きぶりをものすごい評価された。
しかも一体いつ見ていたのかと思うくらいに、本当に見てくれていたことがわかる言葉で評価してくれて、短い面談中に3回は残って欲しいと打診された。
私がはいと返事をしたのなら、間違いなくGMは自分の権限を使って私を残すための手続きを会社と派遣会社と双方に掛け合う気でいたのはわかった。
でも私は話は本当にありがたいしそのように見てもらえたことにも心から感謝していると伝えた上で、この状況では続けられないことを理由に丁重にお断りした。
それはそうと、そうやって誰か1人でもきちんと正当に私の働きを見てくれていたことは本当に嬉しかったし、それ1つで私は自分のそこでの働きすべてに対して肯定された気持ちになれた。
どうリンクしたのかはわからないけれども、テレビの入れ替え作業をした時のおじさんとのやりとりが、以前の仕事のGMとのやりとりを思い出させた。
・時給
そのGMとやりとりした職場は、過去最高の時給だった。
それは今でも変わらない。
ただこの時に思った。
いくら良いお金をもらってもそれだけではやっていけないこと。
ちなみにそれだけもらっても私の中では安いと感じていた。
夜毎日毎日夢の中に仕事のことがそっくりそのまま出てきていた当時は、すべておかしなことになっていた。
いつか終わりがくると知っていても、それでも体も心もいつも悲鳴をあげていたし、仕事そのものは面白いものでも、いかんせん人間環境が劣悪すぎて洒落にならなかった。
助けてくれる人たちもいたけれども、それに太刀打ちできない数人の嫌がらせがその上を行っていた。
しかも自分は辞めるからいいけれども、たとえ嫌がらせをしてくる人たちであっても、その人たちがいないことには仕事が回らないことも知っていたから、その人たちがそこに居づらくなるようなことはしたくなかった。
誰かがしないといけないわけで、自分はそれができないわけだから、だからせめてその人たちが居づらくなるものを残すのは絶対にしないにしようと決めていた。
GMには個人名は出さず、実際にあった事柄で私が困った実務面の話だけ出した。
個人的な嫌がらせとかは全部口を閉じたし、他の上の人からもこっそり聞かれたけれども、私はそこだけは最後まで沈黙を貫いた。
そうだ、お金の話をしていたんだった。
ふと今出てきたから話をすると。
仕事をせずにお金の見通しも立たなければ本当に何十円どころか数円単位しか手元にお金がないなんてこともかなりあったけれども、私はそれよりも確実にお金が入ってきていた当時の方が別の角度ではしんどくて辛かった。
お金も大事だけれども、それ以上の何か別の大事なものが失われようとしていた。
派遣会社の担当者の厚意で高待遇にしてもらっていたけれども、もうそれさえも自分の中ではありがたくてもそれ以上に譲れないものが出てきてしまった。
(←急遽行く予定だった人がキャンセルした仕事だったゆえ、派遣会社も幹部クラスの人が対応しないといけない求人になってしまって、それで私の最初の担当者は総括責任者みたいな人だった。私側の当時仕事と本を書くことと二足のわらじでいこうとしていたことを知って、「これが僕ができる武士俣さんへの応援の形です」と言って、その人の権限で最初からありえない時給にしてもらっていた。)
過去に塾で働いていた時は超ブラックな働き方でお金と労働が全く見合っていないと思ったけれども、それよりもその派遣の仕事の方がやばい感じがした。
何がやばいって、今思うと、自分の存在理由が否定されてるみたいな、そういう状況が耐えられなかったんだと思う。
自分もふざけてとか怠けて何だかんだと言われるのはいいけれども、真面目に取り組んできちんとしているのに、それを認められないどころか否定されてさらに嫌がらせを受ける。
それが耐えられなかったんだと今になって思う。
あの時、お金ではなく、自分を取ることを選べて本当に良かった。
ちなみに、さらなる余談だけど。
人生塞翁が馬とはよく言ったもので、災い的な出来事が福と転じたのは、そのさらに1年半後ぐらいだった。
その時の事件簿が最終的に私を人生で一番と呼べる出逢いに導いてくれた。
真面目に人生のご褒美としか思えない日々を、私は短い時間ながら手にすることになった。
だから今でも当時のことは苦い思い出ではあるけれども、意外にも私は嫌とは思っていない。
その後のことが人生の数々の難たちを肯定できるぐらいに素晴らしいものだったから、神仏ご先祖様、八百万の神でも、もう何でもかんでもに心から感謝したくなった。
ついでに言うと、当時は占星術界で一番恐れられている冥王星(公転周期248〜9年)の影響を一番受けていて、それは誰しもが体験する中年の危機的なものだけれども、その冥王星が司る「破壊と再生」がまさに起こっていた。
ことごとく破壊されて、その後一番影響の強い時に再生のフェーズが私の場合はスタートしたわけで、今でも当時の色んなことは神がかり的な奇跡だったと強く強く思っている。
・自分の労働力を感謝してもらえることで気持ちよく働けて、さらに役立っている感が良かった
・まじめにきちんとやるのが私の美意識
それを抵抗なく受け止められたのは最近
最後の2つはまとめて書く。
そんなこんなを経て、冒頭のテレビのおじさんとの仕事は、たとえ今日はじめましての出会いで人生の中の3日間だけの超限定的なお仕事ではあったけれども、それでも自分の労働力を感謝してもらえて、本当にありがたい限りだった。
しかもたとえ素人でも人の手がないことには成り立たないし完了させることさえできないものだったから、そのように自分の労働力が役立つとはっきりとわかることはとっても気持ちの良いものだった。
で、その時にかなりはっきりと意識したのが、「まじめにきちんとやるのが私の美意識」というものだった。
嫌がらせを受けていた時も、真面目にきちんと取り組むことを私は良しとしたし、某量販店でおつかれさまも言われなかった時も任されたことはきっちりとやった。
それが自分の美意識に関わっているというのは、なぜかニートのように引きこもっていた時に気付いた。
今も今で会計監査なるものをお願いされてど素人未経験者がやっているけれども、この間その友達に私の働きぶりをものすごく褒められた。
私はすべてを紙に印刷して、iPhoneでは写真データを出して、写真データと手元の印刷した紙にあるデータとを全部突き合わせている。
それを数百件分すべてやって、さらにはデータの照合の後はひたすら電卓叩いて数字の合う合わないを見て、さらに入力ミスとかがあればそれをスクリーンショットして手でiPhoneの画面をタッチしてマーカー引いたり、何がどう違うのかを言葉におこして説明して、関係者に送っている。
友達は私のそのやり方、徹底的にやりこむ姿をそれはそれはものすごく助かったし本気で凄いと言ってくれた。
私はそもそも要領も良くないし、基本的に真新しいことは何もかもが鈍臭い。
自分のその欠点というか仕事の上で迷惑となりそうなものが何かを知っているから、それをカバーすべくやれることはやるし、その時にせめて最善は尽くそうとそれはオール1の子どもの時から鍛えられたおかげで、そういうことは黙々とやれる。
速さや要領の良さや効率化なんかはもう下のレベルなのはわかっているから、せめて自分が努力して何とかできる部分は努力するのは全く嫌じゃない。
面倒に感じてもやらなきゃどうにもならないとわかれば、さっと切り替えてやる。
そういうことを長いこと子どもの頃からやっていて、それは人の目を気にしてやっていたかと思えばそういうわけでもなく、自分自身がそれを後天的かもしれないけれど、良いものとしていることに気付いた。
だから単発の仕事でもきちんとやらないと気持ち悪いし、基本的にサボることができない。
それって実はめちゃくちゃすごい強みだと知った。
そして、その真面目なところやきちんとすることは、自分が自分に対して大切にしたいと思っている行為なんだとこの1年ぐらいで初めて気付いた。
自分自身が後ろめたくなるような仕事の仕方は好きじゃない。
だから自分が満足するようにやる。
それを、その短い時間のテレビのおじさんも、他の単発の1日だけの仕事の2人のおじさんたちも、今回の会計監査の友達も、みんなそれぞれ私の働きを良い風に捉えて、さらに心からのありがとうを言ってもらえて、それは本当にすごく嬉しいことだった。
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