2019年12月8日日曜日

夢2019ー40歳の自分記録

野村浩平 個展「パルス」
↑ノムの個展(12/2〜12/28まで開催。リンク飛びます!)





「ぶっしー、ぶっしーは夢ってある?」

ノムからこんな風に質問がきた。

自分なりに色々感じることがあったから、思いついたまま書いてみたい。





色々思いついたことはこれから書くとして、今真っ先に思い浮かんだこと。

自分が40歳になって、「夢ってある?」なんて誰かから聞いてもらえる大人になれるなんて、想像もしていなかった。

しかも、ノムはふざけてなくて大真面目に聞いてくれてる。

茶化してもないし、ぶっしーあるなら教えてほしいみたいな、本当に興味を持って私に粋な質問を投げかけている。

私も私で「40にもなって、夢なんて言ってないで現実を見たら」なんてことを言うような大人にならなかったのは良かった。

社会的に色々とポンコツ中年でも、世の中の恐ろしい洗脳に侵されず、ある意味超我が道(未知)を行きまくりだけど、それでも心ある大人になれて良かった。





1年8ヶ月、社会から離れてほぼ家にいて、親からも大目玉食らいながらも引きこもりみたいなニートをして、このおかげで、相当色んなことに喜べるようになった。

私はさして興味のない仕事のために、朝は40分ないし30分も前から職場に到着する自分を体験するなんて思わなかった。

週5の弁当にもすごく恐怖を抱いていたけれども、なんと週5毎日弁当を持参できた自分は、ものすごい進化を遂げた気分になれた。

わっぱ弁当デビューできたおかげもあるけれども、私が真面目に弁当を毎日持参するのは約4年ぶりになる。

40過ぎても、自分の苦手なことが少しでもできたことを喜べる自分は何と明るい大人になれたのかと思う(笑)。

こういうハードル低いこと、世の多くの人が普通にできてることが苦手な私には、小さなことができるだけで喜びになる。

本当にどこまでもおめでたい。





ノムに宛てようと思って下書きした箇条書きたち。

・生きていて良かった、
そう思える瞬間を手にすること

・小さなしあわせを喜べる自分でいること

・自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)

・手に入らないものを「他の人に譲る」ではなく、何がなんでも欲しいと思っている自分の気持ちをとことん追求すること
否定しないこと
受け入れること



ノムからの質問とほぼ同じタイミングで手にした「生きてて良かったこと」は最後にとっておきの「夢」として触れる。

小さなではなくそれはとっても大きなしあわせだったけれども、小さなしあわせを喜べる自分の話もそこに付け足して書こう。

だから反対から話をしていこう。





何年も前からずっと取っているメルマガがある。

月に3回来るか来ないかのメルマガだから、ずっとそのままにしている。

ちょうどこれを書き始める前に1通メルマガが届いていて、欲しいものが手に入らない時は他の人に譲るつもりでとか、執着は良くないってあったから、それについて思ったことを書きたい。

私は今回のメルマガの綺麗事を読んで、静かに腹が立った。

人が本気で欲しいものが手に入らない時、それを他の誰かに譲るとか、執着しないとかって、聞こえはいいけれども、そんな気持ちにはとてもなれない。

これは後々「そうかもしれない……」とは少しは思えても、当初から思えたことじゃなく、逆説的に考えて見えてきたこと。

私が小さなしあわせに気付けるようになったり、当たり前のことが当たり前じゃないと思えるようになったのは、自分の人生から大切な人が消えてしまったからだった。

何があろうとも、一番欲しいものが手に入らないというのは本当に強烈で、共に生きる時間、共に生きられなくてもせめて同じ場所にいられる時間が持てないと知って、私はそこからの立て直しが必要になった。

ひとつだけ言えるのは、そういう体験をしたことで私は謙虚さを身につけられたと思う。

何もかもが当たり前ではないこと。

それを知るだけで、本当に何もかも世界が変わると知ったから、私は残りの人生で何を求めていいのかわからなくなった。

他の何でも埋められないし、相手と共に生きる時間がないところから、何を自分が欲しいのかなんて何も思いつくことができなかった。

だから執着しないとか、私の欲しかったものを他の誰かに譲ったと思うとか、私はそんな気持ちには今もなれないし、ならなくていいと思っている。

代わりに、今はその自分をとことん受け止めること、その自分を否定しないこと、欲しいものはやっぱり欲しいと自分に対して言える勇気、そういうものを大事にしたいと思うようになった。





2年前の秋にガラリと世界の色彩が変わった。

私の心は冬眠するように静かで深いところに沈んだ。

もう二度とは訪れない時間に人物に、それを認めるなんてできない自分との葛藤が始まった。

そちらは冬眠気味でも、魂的なこと、この人生のそもそもの設定的なことはどんどん勢いよく起こり出した。

全く心も気持ちもついていかなくても、そちらは待ったなしでなんでもじゃんじゃんやってくる。

そのよくわからない勢いを、私個人の願い側にも少しは回してくれー!!!と思うぐらいに、そちらは快調。

どんなに強く願おうが、どんなにさめざめと泣くくらいに悲しかろうが、そんなのは1ミリとして願いを聞き入れてもらえない。

そういうところからのスタートが今に繋がっているわけで、本当に私は何かをたくさん望んだつもりもなければ、そもそもの生きるテンションも高くはないから、途方に暮れたまま、日常は過ぎていった。

自分がどの程度生きたいとか、明日が楽しみ♪なんてことがない人にも、生きたい気持ちがなくても、朝も明日もくる。

叶わないものはさておいても、そうではない部分で明るく1日を迎えることができるメンタルがある自分ではなかった。

だけど、私の心の姿勢なんて関係なく、来る日も来る日も朝は来てしまうし、その中で生きることになる。

笑えなくても悲しくても生きる。

そのような中で私が身につけてきたものは、他にもたくさんあることに今回気付かされた。





1年8ヶ月ぶりの社会復帰は、これまでとは全く違う様子になっている。

私は自分がこんなにもまるで何事もなかったかのように、社会に復帰できるとは思わなかった。

まだまだお客さん状態でも、それでも日々弁当作って間に合うように家を出て仕事に行く。

1週間毎日睡魔との戦いだったけれども、それでも行く。

自分のそうした行動さえも感動を覚える。

1年8ヶ月の間、時々単発の仕事をしたのは私の目を開かせてくれた。

世の中の色んなことが当たり前ではない、そういう裏の現場をいくつか見せてもらえた。

郵便を正しく届けるのに何人の人たちもが関わっていること。

郵便を仕分けするのに、私たちの目には見えない透明の印を読み解く技術をどこかのメーカーが開発したこと。

大型電気店のディスプレイは、各メーカーの担当者が毎回入れ替えをしていること。

パッと売場を見て瞬時に棚の配置からどの大きさのテレビをどの場所に置くのかを計算、空間をデザインしている様子は圧巻だった。

そして十分お金を支払ってもらっているのに、暑いから少しは水分補給になれば…と3日も連続で毎日お茶と炭酸系のジュースを用意してもらっていたことには本当に感動した。

コンビニ弁当を作る工場のユニホームのタグ付けに行った時は、どう見ても課長や部長と呼ばれる男性ともう1人も係長かなと思しき男性とが黙々と作業をしている姿は、見ているだけで背筋が伸びるみたいな風景だった。

すぐ近くでは工場内で次のお弁当の試作品の試食会のようなものが行われていて、全身真っ白いユニホームに身を包んだ数人の人たちが朝も早くから試食をしていた。

味や見た目の検査をしているみたいで、各自が手書きの用紙にひと口食べては何かしらを記入していた。

ユニホームの洗濯を請け負う大手のクリーニングメーカーでは、どんなにお金や他の待遇を上げても、とにかくドライバーが集まらないことを嘆いていた。

どんなに丁寧にクリーニングをしても、それを最終的に各顧客先の企業に配達に行かないといけないのに、そこがとにかく集まらないとのこと。

まさか誰もコンビニの弁当を食べる際に、裏側では誰かがその弁当を作るユニホームを作っていて、ユニホームはすぐ汚れるから毎日大量にクリーニングに出されていて、それを取りに行ってまたきれいになったら運ぶ人がいて、もちろんその途中には複雑なクリーニング工程を色んな人たちが担っているなんて思いもしないと思う。

最後のお米の仕事はもうただただ尊敬の念しか湧かなかった。

自分が日々食べるごはんを育てるまでに冬の終わりから秋口まで長期に生産者たちは晴れの日も嵐の日も関係なく携わる。

機械の稼働に合わせて稲刈りを行うなんて、今回初めて知った。

天気が良いから刈ろう!って、個人で食べる分の人たちはそうできるけれども、何かしら市場に出す人たちはそうもできない。

天気ではなく機械都合第一で、その次に天気が条件として加味されるなんて、そんなこと私も実際に見るまでは知らなかった。

そうした裏方の仕事を見れば見るほど、色んなことが何一つ当たり前ではないということに気付かされる。





それとは別に、何もしていない自分が社会からは猛烈なダメ出しを食らうことにも私は長いこと納得できなかった。

何かを提供していないと人としての価値がないみたいな社会の風潮は、私にとってものすごく大きな壁だった。

特に、いわゆる高学歴と呼ばれるものを持っていてやれることもいくつかはあるのに、それでも何もしない自分は、本当に単なる社会の異常者みたいに評されて何かしら間違えているとしか思えなかった。

そうこうしているうちに今度はオカルト体質がどんどんパワーアップして、普通の人たちが一生の中で体験もしないような、そういう分野のことが自分の人生に入り込むようになってきた。

自分が望んだとも思えないものもやってきてしまって、私は正直に自分がどこに向かうのかどんどん分からなくなったし、1年半くらいは事の重大さにおののいて、誰かの一生に関わるような瞬間に居合わせるたびにゾッとしている自分がいた。

それこそ逃げるわけにもいかないから、粛々とやってきたものに向き合うしかない。

社会を構成する最小の単位になりうる仕事の裏側も見れば、その社会を構成する一個人の人生のある瞬間も見れば、そのどれもが滞りなく進むなんてのはもう奇跡どころじゃない、超超超有り得ない事なんだとようやく理解できるようになってきた。

そうしたことを知ってからの社会復帰だったわけで、いくら睡魔に襲われそうになっても、色々使えないかもしれない私であっても、企業もその私にお金を支払うわけで、それが数ヶ月と言えども保証してくれるなんて、何とすごいことなのかと今は感じる。

未だにあそこで造られている機械たちがどういう現場で何をするものなのかさっぱりわからないけれども、それで生み出す利益の一部が私のような末端の者を雇う資金面の1つになると思ったら、周りの方たちに足など向けて寝られない。





そうは言っても、ここにくるまでに本当に色々しんどかったし、何もしない自分をとにかくOKに自分の中でする、しかも周りからは全く理解されない中でそうするというのは超絶難しいことだった。

・自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)

それはそうした自分の気持ちから生まれている。

色々カッコ悪いし、言い訳みたいなことは山ほど出てくるし、周りに何をしているのかと聞かれても答えられないし。

そんな自分でも生きること、中には今日生きていることさえも本当に難しい命の問題を抱えてる人たちもいる中で、私は何もないのに自分のわがままみたいな感じで自分の人生を粗末に扱うことにもものすごく罪悪感が湧いた。

とても胸張ってこんな生き方しています、なんて言えなかった自分は、生きてることさえはばかられて自分の中では大葛藤して、どこにも行き着けない自分に辟易とした。

だけど、そういう自分にとことん向き合ったおかげで、とにかく社会の評価などどうでもいいから、自分にだけは嘘をつかないように、自分だけはいつどんな時も目の前で自分の人生を自分のことを見ているから、その自分に対して後ろめたいことは絶対にしないにしようと思った。

それは、例えば「働かない」という社会的に後ろめたいことじゃない。

「働かない自分を超いじめまくる自分」「働かない自分はダメだと超自己否定しまくる自分」をないことにしようとしたり、その自分に仮面をかぶせて社会的に見た目を良くするとかいうことが【自分に対して不誠実】になる。

「自分にだけは絶対に誠実であり続けること
(カッコ悪くても、いい加減でも、時には白い嘘ついたりしても、どの自分のことも自分であることに堂々としていること)」

というのは、カッコ悪いのもいい加減なのも嘘ついたり黙って大切なことを言わなかったり、そういう色んな自分も自分だから、その自分を丸ごと受け止める、自分だけは自分を追い込まないようにする、そういうことを指している。

いきなりは色々できないから、その色々できない自分でいいわけだし、誰が何と言おうと自分そのものに対して低評価な自分でもそれでいいんだと思ったり。

反対に私に対しておかしな評価をしてくる人たち、たとえそれが私を心配してのことでも、私を真っ向から否定してくる人たちに心からのバッシングをしているし(面倒だから言わないけれど心では罵倒している)、そういう自分も自分なんだと今はわかるようになってきた。

とにかくそういう自分も受け入れ出したらとても楽になってきたし、口には出さなくても私は自分がされて嫌なことはいつまでもネチネチと覚えていて、心の中では「あなたとは二度と関わり合いになりたくありません」と思っている人たちもいるし、なんだか真っ黒いものが腹だけとは言わず全身に及んでいると思うけれども、もうそれも自分だからその自分が良いとは思わなくてもせめて否定はやめようと思う。

手にしたいものが入らなくて「それに執着しない自分」ではなく、「そのことにとことん執着している自分」で私はい続けたい。

他の誰かがもしくは社会の多くの人たちが良いとすることを良いとできない自分は本当に色々厄介だし、そういうことが生きづらさの根源のひとつでもあると思うけれども、私はその自分で本当は良かったんだな…と最近は思い始めている。





最近感動したことを書きたい。

1週間前の日曜日、私は人生で初めて会計監査なるものをやった。

資料となるデータが送られてきて、そもそも何をしていいのかもわからなくて、「で、何したらいいの?」と超低次元の質問から始めないといけなかったけれども、私はそこに関わらせてもらって本当に良かった。

何に感動したかというと、それぞれの人たちがそれぞれの得意分野や知恵を出し合って、1つのきちんとしたものを作るプロセスにものすごく感動した。

私含めて4人は4人とも友達ということにはなるけれども、会計監査になった途端、言葉は友達言葉でも中身は超シビアで、少しのことも見逃さずすべて正しく適切に対応することをみんなが徹底していた。

国会の意味不明なやりとりの何千倍と厳しい指摘とそれに対しての本来やるべきことへの是正は、プロ顔負け状態だった。

私は会計監査なるものをそもそもしたことがないから何が普通なのかもわからないけれども、少なくとも外で働く「社会人」的な数々の仕事の現場よりも、ボランティアで構成されたその時の会計監査が、過去最高に一番厳しくて一番きちんとしていた。

数字を扱う仕事は過去にもしたことはあるけれども、そんなの比にはならないぐらいにきっちりしていた。

しかもそんなにキッチリしなければいけないという法律的なきまりのないものに対して、ものすごくきちんとしていたから、そこに臨む人たちとで作る神々しい雰囲気やプロセスに私は心底感動した。

さらに感動したこと。

友達は私の今現在の状況は細かくは知らない。

少なくとも、社会的に肩書を持っていないことは知っている。

当時はニート最終日で、外に向けて堂々と紹介できるものなど何もなかった。

その何もない私の状態で、こうして何か重要な役割を頼まれるというのは、ものすごく名誉なことだった。

何一つ誇れるものなどなくても、そんな大事なことに選んでもらえるなんて、最高の名誉だと思った。

しかも友達の選定基準が素晴らしかった。

☆NOをきちんと言ってくれる人
☆友達の意見になびかず厳正に公正に判断をしてくれる人
☆何かしらの不正や不適切なものがあった場合、それを臆さずに友達に伝えてくれる人

そうしたことをぶっしーにお願いしてもいいと思ってもらえたことは本当に大きな名誉だった。

世に通用する肩書よりも何百倍、何千倍と価値あることのように私には思えた。

そして、社会との関わりを絶ちまくって1年8ヶ月近く過ごした頃に、そのような名誉あることを依頼されたことも大きかった。

何もない自分、何も持っていない自分、そういう自分でも誰かから必要とされるというのはとても嬉しいことだった。

必要としてくれてありがとう!という気持ちでいっぱいになった。

そして会計監査の煩雑さに、二度と会計監査などしたくないという気持ちも同じくらい強く持った( ̄∀ ̄;)←相変わらず。





最後に今回一番書きたかったこと。

冒頭の写真は、ノムの今開催中の個展の案内のハガキ。

ここにはいっぱいしあわせが詰まっている。

そもそも私はノムが私に個展の案内を郵送してくるなんて考えたこともなかった。

ノムから個展の案内状に関して少しだけ相談はされた。

でも私の中では相談だけで、なんなら私にはいくらでも直接メールでも電話でも案内できるから、案内状をノムが送ってくるなんて思ってもいなかった。

ノムは今回趣向を変えて、「案内状」ではなく「お礼状」として案内を出すことに決めた。

印刷の中身は今回の個展の案内でも、ノムはそこにこれまで足を運んでくれたことや個人的なありがとうの気持ちを表すつもりのようだった。

でもそれは本当に他の人たちに宛てるもので私に来るとは思わなかった。

そう聞いていたハガキが私の手元に届いた。

睡魔と戦って仕事開始に伴う生活のリズムも掴めない頃、届いたものだった。

ノムの手書きの短いメッセージは乾いた心にたっぷりの潤いを与えてくれた。

さらに切手が猫ちゃん切手でこれまたすっごく可愛いものだった。

ノムにお礼のLINEをした。

そうしたらこんな風に返ってきた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

こんばんは〜(^з^)-☆  おつかれさま〜!  メッセージありがとう!  あのハガキは、ミッチーが出してくれたんだけど、帰宅したミッチーに「ぶっしーの可愛い切手にしたよ」って言われてた〜。しっかりミッチーの想いもキャッチしてもらえてうれしいよ!

10枚セットみたいな切手で、それぞれ柄が違って。たぶんミッチーのイチオシがこの猫ちゃんだったんだね! かわいい🐈

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


このノムとの小さなやりとりに私はすっかり心を奪われた。

ノムが私にありがとうのお手紙ハガキを贈ってくれたことももちろん嬉しかったけれども、それとは別にノムの恋人であるミッチーもこのハガキの一端を担っていて、可愛い猫ちゃん切手の裏側には別の意図があったなんてさらなる嬉しさがプレゼントされたみたいだった。

しかもこの切手を私はノムが選んだとばかり思っていたから、それがまさかのミッチーセレクションで、さらには種類が色々ある中でのイチオシを私に選んでくれてたなんて、飛び上がりそうなくらいに嬉しかった。

気になって郵便局の記念切手を検索した。

たしかに今限定のもので、全体を見渡すと私のところに来たものが一番可愛い♡と私も思った。

しかもそのことをミッチーがわざわざノムに報告してくれたおかげで、ノム経由で私も知ることができた。

ミッチーのノムへの報告は常々最小限というのはなんとなく話を聞いてて想像できるから、その中でミッチーが私に可愛いのを選んで送ったと報告したことのレア度、レア報告度を想像した。

そうした色々を知った時に、
「生きていて良かった」
と本当の本当に思えた。

そして、そのことたちというのは、たとえ1億円を積んでも絶対に手にできない超スペシャルなものだということにも気付いた。

ノムがミッチーにハガキを託す瞬間…1000円
ミッチーが猫ちゃん切手の中でもイチオシの切手をぶっしー宛てに選ぶ…1000円
ミッチーが帰宅後、ノムに「ぶっしーの可愛い切手にしたよ」と報告する…1000円

とかいう風にどこかに売られているわけじゃない。

そもそもノムに「私にも案内状送って」なんて頼むことさえ発想もしなければ、その日何枚のハガキをミッチーが代わりに出したのかはわからないけれども、その中の1枚が私と知って私にイチオシの切手を選んで貼ってくれるなんて、一生に一度しか起こり得ない。

猫ちゃんの切手だって今回特別な記念切手のようで年がら年中あるのとは違うし、その時に「あ!ぶっしーの分も入ってる。ぶっしーには僕のこのお気に入りを貼ろう!」ってミッチーにそのような発想を持たせるなんて、絶対にできない。

私の全く知らないところで、他の誰かが私に想いを込めた何かを用意してくれる。

そういうやさしさや気持ちは、お金を積んだらとか社会的に有名になったらとか、そういうことで手にできるものでは絶対にない。

ニート生活をするとお金の使い方に関して、大きなテーマのように考える機会が一気に増える。

本当に極限までいった時に、ハッと気付く。

生きていくのにそんなにも必要なものはないし、そして私の場合はここが本当に顕著だけれど、お金というものを使ってまで欲しいものがほとんどない。

物欲がほとんど湧かない。

それは我慢してるとか無理してるとか、はたまた清貧を目指してるとかでも一切ない。

そうまでして手に入れたい、と思えるものがない。

私がここ数年で本気で欲しいと思ったのは、ある人との時間だった。

それが自分の人生に与えられないと知って、そこからが本当の人生の出発地点のようになったと思う。

一番欲しいものが手に入らないしそれは他で代用も効かないと知っているから、私が自分のためにできるのは「手にできないものが人生にはある」ということをひたすら受け入れることだった。

自分の生きる時間はどうやらたっぷりあるのに、少なくともその後から今に至るまで大病もせずに日々生き延びるぐらいの生命力を持ち合わせていたけれども、私には何のありがたみも感じられなかった。

共にする時間はどんなに切望しても手に入らず、それ以上に欲しいものなんか何もない私にとって、すべてのものはまやかしとしてしか目に映らなかった。

心の中ではずっと残像のように相手のことを思っても、相手のいない人生に慣れていくしかない。

これが私のこだわりだと言われたら何も言えないけれども、それでもある1人の人が自分の人生に現れてくれるだけで本当に毎日生きていることが嬉しくて喜びで、夜は夜で1日をものすごく丁寧に振り返って朝は朝で「今日も命がある」と本当に喜びで目覚めるなんて、そんな体験を私は人生でするなんて思ってもいなかった。

私はそれを全身全霊で体感していたから、それがある日突然終わりとなっても自分の気持ちをうまく切り替えられなかった。

そしてその後の脱力感も半端なかったけれども、その後何かを欲しいと思って手にしたものなんか何もなかったんじゃないかなと思う。

色々素敵なことや心温まることはあった。

それでも私の中で、いつも一番欲しいものが手にできない現実が横たわっているから、それ以上に欲しいものとか、何かを手にしたいとか、とにかくそういう気持ちが本当に湧かない。

それはお金に制限がかかるようになったニート生活でさらに顕著になった。

お金という手段で交換できるものに興味のない自分がますますドヤ顔で自分の中に出てくるようになった。

私はむしろ、お金を使ってでも手にできるものに興味を持てるなら、そちらの方がある意味健全な人間生活を送れるから、あった方がいいとさえ思っている。

でも「◯◯が欲しい」っていうのは、欲しいと思って勝手に湧いてくるものとは違う。

何かを欲する気持ちは自然と湧くもので、それを私はもう望んでも手に入らないと知って、そこからは何が欲しいなんて考えたこともない。

究極に欲しいものは手にできないその現実をひたすら受け入れることができるように、いつもいつも気持ちの上では葛藤している。

そんな時間の中で、突然届いたノムからのお手紙とミッチーセレクションの切手だった。

ノムとミッチーと会った時間もものすごく貴重だったけれども、それよりも私が「生きていて良かった」と心から思えたのは今回のハガキの方だった。

それは、色んなことが当たり前じゃないことに私が気付いたからかもしれない。

切手をデザインする誰かがいる。
このタイミングでノムがお礼状的な個展の案内状を送ろうと決める。
お礼状を自分でデザインして用意する。
手書きで温かいメッセージをノムが住所と一緒に書く。
ミッチーがノムの代わりにハガキを送る係になる。
ミッチーが猫ちゃんの記念切手を選ぶ。
10枚シートの中に1番のお気に入りをミッチーが見つける。
ぶっしーにその1番のお気に入りを貼ろう!とミッチーが考える。
郵便局内の色んな工程を経て、無事に私の手元にハガキが届く。

これだけのことが寸分の狂いもなく起こっていた。

どれも小さなことたちかもしれない。

でもその小さなことを誰か1人でも怠ったのなら、今私の手元にはノムからのミッチーセレクション切手付きハガキは手にすることができない。

ミッチーが切手を選んだのは、時間にして10秒くらいのことかもしれない。

でもその小さな時間は、これだけたくさんのしあわせを運んでくる。

そして帰ったら帰ったで、私のいないところでミッチーとノムとで私のハガキの切手話をする。

こんな風に誰かの人生に登場できて、私は不在でもおしゃべりの中に自分も登場できる。

おしゃべりは一瞬で終わるし、それは一生に一度きりの一期一会のトークでも、そうやって誰かの人生に自分がちょびっと登場して、温かい話の中に入れる。

超極上のしあわせだと私はカウントしている。





「生きていて良かった」
そう思える瞬間を手にすること

至福の時間を人生で体験した後、その至福の時間は二度と再現されないと知って、早くも2年が過ぎた。

その後も、感動したことも人のやさしさも色んな良きものを手にできたけれども、それでもやっぱり一番大切に思っていたものが失われた部分はどうにもならずに今に至っている。

その欠落は残りの人生で大ドンデン返しでも起こらない限りは手にすることはない。

そのどこまでも悲しい現実を受け入れつつ、残りの人生は生きていくだろうと思っている。

そこはどうにもできなくても、今回のノムとミッチーの共作によるお手紙をもらって、私は大真面目に「生きてて良かった」と心から感じられた。

欠落した人生のデフォルトでも、それでもまだ生きてる中で「生きてて良かった」と思える瞬間に遭遇できるなんて、私にはものすごい大きな希望になった。

深い闇のところに自分はいるみたいな気持ちによくなるけれども、そんなところに「生きてて良かった」瞬間が訪れるなんて、それは想定外の嬉しい出来事だった。

そして、それに気付けた自分を見て、
「小さなしあわせを喜べる自分でいること」
これが大事だとわかった。

ノムのありがとうハガキもミッチーセレクションの可愛い猫ちゃん切手も、いかにも見落としてしまいそうな小さなものだと思う。

だけど、修羅場みたいなところだけは幾つもくぐり抜けてきただけあって、私は小さなしあわせを喜べる体質になれた。

本当によくここまで心が耐えられてきたかと思う。

色んな形で鍛えられた私の心は、小さなしあわせをさっと見つける能力を身につけた。

元々、お金やモノにそんなに興味のない私は、それで手にできるものよりも、どんなにお金を積んでも手にできないものに重きを置く傾向がある。

「世界にひとつだけ」なんて、私にとって何よりもの最高級品だし、この世の中で一番価値ある価値基準だとさえ思っている。

そういう目で世界を眺めると、しあわせはそこいら中に転がっているし、それを喜べるかどうかは私次第だというのもわかる。

随分と心はやさぐれてはいるけれども、それでも今回みたいに「生きてて良かった」と思える心は持ち続けていたいし、そしてその元となる小さなしあわせを見つけられる自分でもあり続けたいと思う。

書きながらずっと思っていたけれども、今回のノムとミッチーの共演は、全くもって小さくなく、ものすごく大きなスーパースペシャルなしあわせだと思う。

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