2019年7月29日月曜日

スニーカーの風景






2019/07/09

車のルームミラーに釘付けになった。

映ったのは小学4年生ぐらいと思しき男の子。

男の子が履いているスニーカーを私はひたすら鏡越しに見ていた。

蛍光の黄色みたいな色。

記憶って凄いなと思った。

一瞬で同じ色だと判断した。

全く同じ色かもしくは限りなく記憶の中にある色と同じだと脳は即座に認識した。




今日の時々雨混じりの曇天とは違って、その夏の日は青空が広がっていた。

私の最大の注目事項は「日焼け対策」と「目指せ会話ゼロ」だった。

誰が何さんかもわからなかった当時、大勢の人たちと一緒に作業する、しかも炎天下の中で作業するなんて何かの罰ゲームかと思った。

用事さえも話さなくていいぐらいの会話ゼロを目指していた。

そんな目論見付きで黙々と作業をしていたら、さっと1人の人がやってきた。

ほんの一瞬だった。

しばらく何が起きたのかを把握するのに呆然とした気がする。

ようやく色々と飲み込めた時に、今度はその足元を探してその人の存在を確認した。

その人が履いていたスニーカーと、今日ルームミラー越しに見えた男の子が履いていたスニーカーとが同じ色だった。

鏡に映る明るい色は、大きさ的に手の指の爪ぐらいの大きさだと思う。

なのに、目に飛び込んできた瞬間から私は目が離せなくなった。

その男の子の足に目が吸い付いて、私はひたすらそのスニーカーの色を目で追った。




今日ぐらい同じ色のスニーカーを見たら、私はこの先の人生でも同じように反応すると思う。

人間の五感の中で嗅覚が一番鋭くて記憶も長期記憶になると聞いたことがあるけれど、それに近いものが今日のスニーカーの色にはあった。

私の中ではもう忘れられないんだと気付く。

車の中の私は、完全に脳内が過去に移動していた。

あの夏の日、ひたすら同じ色のスニーカーを目で追いかけた、あの私になっていた。

体はもうそこにはいないことも、もうその時には戻れないことも知りつつも、それでも私は小さな男の子の足元を目で追うことをやめられなかった。




これをアップできるのは、今から10日から2週間先になると思う。

eat LOVEシリーズの後半戦に入っている。

それは連続でアップしたいから、そちらが終わり次第になる。

今は『愛を食べる』まで書き終わってアップした。(=7/8アップの第9話)

今の私なら、もしかしたらその人をそのまま見ることができるかもしれない。

eat LOVEに出てきたミッチーとノムのやりとりは、まさに私にとってのヒントそのものだった。

今日の昼、ノムから手紙のようなメールがきた。

私が『愛を食べる』の分だけは、ミッチーにも見せて欲しいとお願いした。

つい最近知ったことだけど、ミッチーは全く本を読まないらしい。

ただでさえ長い私のブログを読んで欲しいなんて、普段なら頼まない。

だけど、『愛を食べる』だけは読んで欲しい、あの中にあるものをミッチーとも共有したいと思った。

ノムがそのまま転送してくれたか何かで、それでミッチーも本当に読んでくれて、なんと感想まで伝えてくれたらしいことがメールに書かれてあった。

その中でノムは
【ミッチーが、こんな風に言葉にして返答するって、すごいなー、ってぼくは思った。笑】
って書いていた。

干支が一周する12年以上あの2人は一緒にいる。

多分今年14年目とかだと思う。

そんな長くいる中で、ミッチーが言葉にして返答することにノムは着目してしまうほど、珍しいんだと思う。

なんとなく想像はつく 笑。

私でさえも、いくらノム経由とはいえ、ミッチーから感想をもらえるなんて1ミリも期待していなかったから、驚いた。

私が驚くならわかるけれど、なんでノムまで私みたいに驚くというか注目するのか…。

それは、それだけ珍しいからであって、普段ならミッチーはほとんどそういうことを言葉に出さないんだと思う。

ノムの凄いところは、あの言葉が圧倒的に少ないミッチーを一切変えようとしないところ。

そして2人の歴史がそうさせているのか、今回珍しく言葉での感想を言ったミッチーを見て、それを引き出した私や状況に嫉妬するどころかむしろ「すごい」と言えるところ。

そう思えるだけの余裕をノムの中に感じた。

ノムを見ていると、そのぐらいの気持ちで当時のことも見れたら私も違ったかもしれないなぁなんて思った。

ミッチーかミッチー以上に言葉の少なかったスニーカーの人は、私にはもう理解不能すぎた。

2人とは関係が違うから同じ土俵に乗せることができないのは重々承知しているけれど、それでもノムがいつも一生懸命ミッチーを理解しようとするあの姿に私は感動を覚える。

しかもミッチーは、私みたいな外部の人に対してよりノムに対しての方が多分言葉が少ない。

その代わり、言葉の少ないそのままの自分をノムには見せれるんだと思う。

そうやって理解することが今の私ならできるのかもしれない。




鏡越しに吸い寄せられたその光景を今でも覚えている。

見た瞬間に、目の記憶もだけど、体感の記憶もよみがえってきた。

あぁとため息が出そうになった。

体中の細胞という細胞を使って、私は当時のことを見ていたんだと知った。

目で追いかけてるだけじゃなかった。

無意識に体中の細胞を総動員させてたんだ。

時空があの時、ズレたんだと思う。

太古の昔から自分の中に流れているものが甦(よみがえ)った。

字のごとく、再生されたんだと思う。

今の私にはわからなくても、細胞側というか魂側は記憶している。

この人だよと。

魂繋がりの人と、いつかどこかで死に別れた人とまた再会したよと。

通訳するとそんな感じだったんだと思う。

なぜなら、私は今日の今日まで、体感が伴う視覚の記憶なんて体験したことがなかった。

何かを見て当時を回顧することはこれまでだってたくさんあった。

なんだけど、それは、視覚+心の中の思い出・心に広がる気持ち、みたいな感じだった。

今日のは全然違っていた。

視覚+体感覚、だった。

体の感覚ごとが記憶としてフラッシュバックするなんて、初めてだった。

体感覚が残るという時、それはとても強い感情が伴うからだと私は解釈している。

トラウマなんかを例に取るとわかる。

トラウマは強烈な感情を一気に深い記憶に落とし込む。

トラウマ的なものとは全く違うけれど、感情の強度からいくとそういうものだったんだと思う。

だから、強く記憶に残った。

見ているものは別のものなのに、その先に私は強い体感覚が同時に出てくるわけだから、それはとても強い感情が一緒にセットになっている。





2019/07/29

eat LOVEシリーズを書いている傍らで、時々その時の気持ちを文章に起こしていた。

そういう記事がいくつかあって、そのうちの1つがこれになる。

他に書いたものも思い出そうとすればなんとなく覚えているけれど、私は当時から今に至るまで、この記事のことだけがずっと頭にあった。

さっきまで、他の記事は何を書いたのか思い出せなかった。

これだけが唯一、強く深く記憶に残ったものだった。

2年前のスニーカーも、つい3週間ほど前の男の子のスニーカーもとてもよく覚えている。

そして、その男の子のスニーカーを見て、目が離せなくなった自分の心の動きまでよく覚えている。

一瞬でワープした。

感情ごと心ごと過去の真夏の暑さの日にタイムトリップした。

最近特に強く思うことがある。

2年前の夏も今年の夏も私の中で望んでいることに大差はない。

ないんだけれど、2年前に起こったことは私にとって絶対に必要不可欠ではあったけれど、そこでもう役割的には終わりだったのかもしれない。

私にとっても特別だったように、そのスニーカーの人にとっても色々普段とは違ったんだと思うようになったのは、まだほんのここ数ヶ月のことだった。

ずっとあれは私だけが一方的にあれこれ感じて、相手には何もない、ごく日常の一部で記憶ごと遠くに行って忘れ去られたものだと思っていた。

それが色んなことを経て、今は違う風に感じている。

当時、私はとっても静かにしていたけれど、それでも何かその人も感じるものがあったんじゃないかな…と今は思っている。




今日の昼前、ノムの仕事のお客さんで中国人の人と英語でやりとりする関係で、私も電話待機することになった。

そして、電話する関係で、外に持ち歩くのはガラケーのノムに代わって、ミッチーのスマホと繋げて会話する段取りが昨日の夜整えられた。

色々ぶっ飛んだ話だから、またそこはいつか書くのかもしれないけれど、そんな風にして私はミッチーともLINEで繋がることになった。

ミッチーと繋がる時に、ノムがこんな風に嬉しいことを伝えてくれた。

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ふふふ。こういうことを本人にいうのもあれだけど、みっちーと、ぶっしーと会えてラッキーだねえ。って話してて。ああいう人にはなかなか会えるもんじゃないよって(もちろんミッチーはうなずくみたいな同意なんだけどもね。笑)  だからというか、みんなのぶっしー、くらいに思っているので(勝手にすみません!)、ミッチーとも自然な形でつながってほしいなって最初から思ってた。だから、なんなら、明日のことは2人をつなぐために機会? とか思ってるくらい。笑

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そもそも色々不思議すぎる流れの中で、ミッチーと私とが連絡先交換して繋がることになったわけだけど、それは必要だと神々の審議会に判断されてそのような流れになったんだと思う。

何にも無理がなくて、ビックリするぐらいスムーズに事が運んだから。

ノムであったりミッチーであったりが、どうして私の人生に現れてくれたのか、今少しずつわかり始めている。

レイさんが本当に心を分かち合う友達だとすると、2人はそのニュアンスとは少し違っている。

ノムはいつか記事に書く予定だからさっと言うと、私が自分の感覚を思い出すのに重要なポストに就いている。

ミッチーは、私が子どもの頃の自分を思い出したり、その自分の姿をミッチー越しに見るみたいな不思議な感覚になる時がある。

心通わせるとか自分の感覚を思い出すとかいうのとも違って、自分の心の中の一番柔らかくて繊細なところをミッチーを見ていると思い出せる。

そういう心の作用が私には多分必要だったんだと思う。

だから、ミッチーたちが私の人生に現れて、こんなにも自然に、流れるように繋がれた。

無理強いとかは一切ない。

なるべくしてなった、そういう感じ。

この話はまたの機会にするとして、スニーカーの人の話を。

どういうわけか全く繋がれないそのスニーカーの人を前にした時、これはもう繋がってはならない事情があるんじゃないか…と思うようになった。

スニーカーの人の意図は知らないけれど、気にかけてもらえてるのは知ってる。

それさえもありえない確率を経て起こっていることは重々承知している。

けれど、ノムやミッチーやレイさんのようには繋がっていかない。

こんなに一瞬で繋がれるツールが互いにあるのに、繋がらない。

それが相手の意志だと言われたらそれまでだけど、とにかく繋がらないし繋がれない。

そうした色んな状況を経て私は、繋がってはならない事情が水面下にあるのかもしれない…、そう思った。

これが他にも全く繋がっていなくて2年前にすべてが完了してくれていたのなら、私もそういうものだと、少なくとも今よりも納得できたと思う。

なんだけど、そうではなく、中途半端に繋がって、でも肝心要の本人とは繋がらないというおかしな状況を前にして、さらにはこの3週間ぐらいでミッチーとはこうして繋がったところを見て、私にはまたじわりじわりとボディーブローが効いたパンチが飛んで来ている。

静かに絶望している。

認めたくない状況を前に、静かにそっと「やっぱりダメなんだ…」と思っている。




eat LOVEを書いて、登場人物の3人から感想をそれぞれもらって、自分の書く文章というのは何かしら相手の心に響くと知った。

『奇跡の果実』を書いていた時も感想を色々もらえていたけれど、今回の方がより自分の自然な心の感じを書いていたから、そういう意味ですごく嬉しかった。

その作用を見た時に、もしかして相手が欲しいのはその作用であってそれ以上の何かは何も望んでいないのかもしれない、と思った。

読む分には害がないわけだし、私との面倒ともとれる何かはしなくて済む。

繋がっていく人たちとどうやっても繋がらない人の両方を見て、繋がるのは繋がるのが正解で繋がらないのは繋がらないのが正解なのかもしれない、そんな風に思っている。

繋がりたい、ただそれだけだった。

2年前も今も私が求めているのはそれで、恋人になって欲しいとかそのレベルのことは望んでないと言ったら嘘になるけれど、でもあまりの高望み具合にそれは求められなかった。

友達とまでいかなくても、ごはんを食べに行くぐらいには関係を昇格させたかった。

ミッチーと連絡先を交換できたのはめちゃくちゃ嬉しいことだった。

なんだけど、同時に繋がらない片方ももっと強調されてしまって、なんだか切なくなったのも本当だった。

eat LOVEを書きながら何度も何度も思った。

大切な人たちと囲むごはんがどれだけ幸せで、どれだけ愛に満ちていて、それがどんな奇跡で人生の贈り物なのか。

ものすごくそれを感じた。

私の誘い方がそんな軽々しいものではなく威圧的でものすごい緊張感を伴うものだったのかもしれないけれど、コーヒー1杯も飲み交わせないことが本当に悔やまれた。

スニーカーの色を見て反応するぐらいに、細胞中で当時の景色を私は記憶した。

あれこれ忘れっぽい私が、一瞬ですべて思い出すくらいの勢いで記憶した。

そういう人に人生で何人会えるかって言ったら、もしかしたらその人が最初で最後かもしれない。

ノムもミッチーもレイさんもものすごく記憶に残る人たちだったけれど、3人やこれまで出会った誰かとは全く次元の違うレベルでの圧倒さとインパクトで、細胞なんて普段意識したこともないけれど、本当に身体の中って細胞でできてるんだとわかったぐらいに全身全霊で何かを私は感じていた。

そんな人に出会えても、コーヒー1杯さえ交わせないというのは、神々の審議会が「ダメ」と判断でもしたんだろうか…と思う。

そんな人とコーヒーの1杯も許されない現実は、私には本気できつかった。

そういう人と出会えることさえすごい確率なのに、もう出会ったところで運を使い果たしたとしか思えない。

うわっ…、なんか内容が暗い。

私は素直に「お茶がしたいです」とだけ言えば良さそうなのに、ああでもないこうでもないブツブツ症候群になっている。



自分でも何を書いているのかわけがわからなくなってきた。

このままアップしよう。

こんなの勢いがないとアップできない(汗)。

スニーカー繋がりな写真たち。

きれいな色彩のスニーカーは、名古屋ニート時代に週5くらいの頻度で夕焼けを見にいつも散歩に行って、その時に撮影した1枚。

色は少し加工したけれど、すごい気に入って、LINEのアイコンにしている。

加工はしたけれど、ほぼ当時の風景に近い色にした。

本当にそういう色の夕空だった。

もう1枚は、今のiPhoneに替えたばかりの頃に撮ったもの。

自分の足にちょうどとんぼが止まって、うまくショットが撮れた。

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