この年末年始は、子どもを産んだばかりの妹の家(東京)経由で新潟に帰った。
今回は正味5日間だけの年末年始の休暇で、実家に戻ってからは買い物以外ひたすら家にいた。
実家にいたのは大みそか~3日の昼過ぎまでで、本当に慌ただしい正月だった。
今実家には父と母の2人しかいないから、父と母の生活スペースの茶の間にしか暖房器具を
置いていない。
わたしの寝る部屋には当然何もなく、極寒の地だ。
息を吐くだけで白い煙がむくむくと立ち上がる。
たかが数日の滞在しかも夜寝る少し前の時間のためだけに、自分で寒い物置からストーブを
持ち運び、さらには給油するとなるのはものすごく面倒だった。
しかも今回はわたししか帰省せず、妹2人もいない。
そこでわたしは、夜寝る以外は茶の間で過ごすという手段を採ることにした。
我が家の茶の間は和室の6畳だ。
「リビング」ではなく「茶の間」という言葉がぴったりな雰囲気だ。
今時の家事情を考えたら、とっても狭い。
狭いけど落ち着く。
当然、父も母も1日をそこで過ごす。
母とわたしがごはんを作ったり、買い物に出たり、または風呂やトイレ以外は3人ともがその
茶の間に居座る。
年季の入った座布団を枕にして、3人が思い思いにゴロゴロする。
箱根駅伝を見ながらうたた寝をしたり、相棒を見ているはずがいつの間にか眠りに落ちたり。
おなかが空けば、茶の間の掛け時計の下にあるスーパーの袋を探ればお菓子がある。
父も母もお菓子好きで、しょっぱいものも甘いものも両方完備している。
ストーブには常にやかんがかかっているから、お湯はいつでもある。
1日に何杯もコーヒーを飲んだ。
新聞も雑誌もある。
すぐ隣りの部屋には漫画がたくさんある。
まさに寝正月に相応しい環境だった。
帰りのバスに乗ってすぐ、あの寝正月の日々がとてつもなくすごいものだと気付いた。
1日のうち15~16時間、父と母と一緒にいた計算になる。
大の大人が、しかもそれぞれ趣味も嗜好も違う3人が同じ屋根の下どころか同じ部屋の中に、
しかもものすごく狭いスペースにずっと一緒にいたのだ。
でも全然ストレスになることもなく、お互い気ままに過ごしていた。
互いが空気のようで、でも話したい時は誰かが突然口を開き話し始める。
そしてまた話が終わったりテレビが見どころに突入すると、3人が3人とも一斉に黙る。
すごく楽チンだったし、滞在中の正月の夜は、わたし一人で3人分の夕飯をこしらえたけど、それ
さえも全然気にならなかった。
24時間体制に近い位の時間一緒にいても、お互いがお互いのペースで動けて休めるって、しかも
それにストレスを感じないって、本当にすごいことだと思った。
帰ってきた日から1週間以上も経過してしまったけれど、父と母の姿がバスの窓の向こう側から
見えなくなってすぐに思い浮かんだ言葉だった、「しあわせ寝正月」。
一般的に「寝正月」という言葉は、なんだかだらしない雰囲気で、あまり良い意味で使われている
感じが全くしない。
でも、今回の帰省でわかったことは、寝正月こそ相手を選ぶものだし、そして本気の寝正月を
しようと思ったらそれは相手との関係性が寝正月の質そのものにもろに表れる。
本気の寝正月を共有できる家族で良かったなぁと心底思った今年の正月だった。
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