1週間の間に2人の人に会った。
太朗さんと花子さんとしよう。
知り合ってからの期間は、若干太朗さんの方が長い。
それぞれ最初の出会いは別々だし、太朗さんと花子さんは知り合いじゃない。
最初に太朗さんと2人でお茶をし、
後日花子さんと2人でお茶をした。
花子さんとの再会は、実に3年半ぶりだった。
花子さんから突然連絡が来て、会うことになったのだ。
それぞれと話すことは、基本的に違う。
仲の深さもだし、話す内容も全然違う。
だけど、太朗さんと花子さんと共通して、
「(ぶっしーは)これからどうするの?」と私に聞いてきた。
関係の深さの違いで答える範囲も違っていたけれど、
共通して私が答えたのは、
「どんな選択をするにしても、新潟から遠くないところ」
というものだった。
新潟は、両親が住む土地であり、私の生まれ故郷だ。
太朗さんはなぜか私のその答えにすごく感嘆し、
「今日一番良かったのは、ぶっしーが『○○という所(国内某所)には住めない、
今後もそこに移住するつもりはない、
なぜなら(両親のいる)新潟から遠いから』と言ったこと。
今日一番その言葉がすーっと心に染み入った」
と帰り際言っていた。
太朗さんは私がぽかんとしてしまう位に、そのことを何度かつぶやいていた。
はじめ、私は太朗さんが言ってくれたことの意味合いが全然わからなかった。
だけど、この太朗さんの発言が本領を発揮したのは、花子さんと会った後だった。
花子さんにも同じことを私は伝えた。
でも、それは私の独り言のように、どこにも行き着かず、
私の答えを聞いているのか聞いていないのかも判別できないまま、
さらに別の質問を花子さんはいくつか重ねていた。
私の1つ1つの答えは、花子さんにとってどうでもいいようだった。
ふと、太朗さんの言葉を思い出す。
ぶっしーがこれからどこで何をするにしても、気になるんだよね、
(どんな生き方をするか)気になるんだよね。
上の言葉は1回だけ太朗さんが口にしたものだった。
人と比べるのは良くないと言われるけど、
比べるからこそ見えてくる幸せもある。
花子さんが求めていたものは、
花子さんの私利私欲を満たす上で私がそれをできる人間かどうかを見極めること。
ビジネスライクと言えばいいだろうか。
だから、利用価値のない私の、私的な発言はどうでも良かったんだろう。
あくまでも、花子さんにプラスとなるもの、
それも「お金」や「人脈」という見える形で私が貢献できるかどうか。
3年半ぶりに会った花子さんは、
当時と何一つ変わっていなかった。
変わっていたとするなら、
さらに私利私欲を自分の不安を消すために必死に満たそうとするその度合いだろう。
花子さんとはもう次はない。
この間会ったことが今生の別れだと私は思ってる。
たった1つだけを見て、そこに心を動かされる。
その体験も素晴らしい。
時には、一度ですぐにわかったらいいのに・・・と欲をかくこともある。
そして、今回のように2つ以上のものがあって、
その中で「これがいい!」と心で感じ取るもの、
その体験も素晴らしい。
私は最初、太朗さんが私に何回も伝えてくれていたことの意味や、
そこに乗っている気持ち的なものはわからなかった。
太朗さんがきちんと見えていたモノが私には見えなかった。
でも花子さんと会って(ちなみにその後悶々とする)、
どんな私であってもそれを気にかけてくれる人がいる、
親でもないのに親のように見守ってくれる人がいる、
それって超幸せなことじゃないか!
と2日以上時間が経過してから気付いた。
花子さんみたいな人も世の中に確実に存在するけど、
太朗さんみたいに損得勘定なしに他人と交わろうとする人も存在する。
太朗さんみたいな人がいる限り、私は自分が救われる。
どんなに真っ暗闇の中さまようことになったとしても、救われる。
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