2021年6月18日金曜日

心のつぶやきタイム

残業が終わった後の夏の空
2021/06/16


4年前の回想を書きながら、今回はここをなんだか解析してみたくなった。

【これは今となるとたられば話になるけれども、もしイケメン上司が親切なことを私にしてくれなければ私は下手すると最後までイケメン上司のことに気付かなかった気もする。】


魂テーマや魂ガチ計画が人生にもたらされる時、本気の100%全力の1ミリのズレもないことが寸分違わず起こる。


その時もまさにそうで、それまで一度も実施されたことのない駐車場にある倉庫の片付けとやらが行われることになった。


そもそも暑いし、誰が誰さんかなんて全くに近いくらいわからなければ、そんな中でするグループ作業的なことに不安しかなかった。


しかも私も「外で作業する」くらいしか説明を前日に受けてなくて、それ何するの!?状態だった。


いざ始まってみると、何をするのが正解かはわからなくても、とりあえず人目に付かないところでせっせせっせと手を動かしていたら大丈夫そうと途中でわかって、それで私は倉庫の陰に隠れるようにして手を動かしていた。


そんな時に突然イケメン上司は私のところにやってきた。


必要なものを手渡して、それですぐにまたどこかに行った。


イケメン上司のことは、初日に外の張り紙で名前を見た時と中で初めての挨拶を交わした時から名前と顔を一発で覚えて、だから「彼は誰さんだろう?」なんていうことにはならなかったけれども、あまりに突然のことすぎて最初は全く状況を飲み込めずにいた。


今iPhoneの時計に付いてる秒針を見てきたけれど、時間は10秒どころか2、3秒だったんじゃないかと思う、イケメン上司が私のところに来てやりとりした総時間数は。


そのくらい超短い時間というか瞬間がなければ、私はイケメン上司の存在感に気付けなかった。


イケメン上司は他の人たちと比べてわりかし事務所内に滞在している時間も長かったけれども、かと言って余計なおしゃべりは基本誰ともしないし、イケメン上司の席から私の席は死角のようになっていてどちらかが事務所内をウロウロしないと姿は見えなくて、さらに私は慣れない仕事でとにかくかなり気をつけないと色々やらかす心配もあって、周りの人たちを見ている余裕なんか全くなかった。


私は本気で朝のおはようございますと帰る時のおつかれ様です、お先に失礼します、くらいしか言葉を発してなかったから、誰からしてもダンマリな置き物の人状態で、人との接点なんてのはイケメン上司含めて皆無に近かった。


そんな風だったから、イケメン上司の存在そのものは知っていても、だからなんだというようなこともなく、ましてや職場ゆえにそこに色恋的なものを求める気もなければ出会いも期待なんかなくて、ただただ仕事をしに行く場所という認識でしかなかった。


だからあの日、突然のように現れたイケメン上司は、今思うとあれは魂と魂とが引き合わせてくれた瞬間なんだろうと思う。


本当にその2、3秒のやりとりが全てを変えた。


初日こそわからなかったけれども、その頃にはイケメン上司が事務所内のトップだということはわかったし、さらにはそもそも所属する企業が違うから関係者たちはやりとりしても私はそこには一切関わらない仕事しか担当してなかったからイケメン上司と私とは関わりようがなかった。


私はそれで困ることもなかったし、元々余計なおしゃべりをしないイケメン上司とそもそも仕事中も何ひとつ喋らなくて良い状態だった私は、さらには席は互いに死角同士で(言うなればイケメン上司の席が縦長型のコンビニの右奥のレジの場所なら私はそこから直線で真逆の位置にある飲み物が陳列されてる大きな冷蔵庫前通路の中央付近の場所)、そんな風だったから私の中にはイケメン上司はその時までいるのかいないのかと言われると表層の意識では限りなくいないに近かった。


潜在意識ではイケメン上司の声を懸命に聞き取ろうとしていたり、実は存在そのものにものすごい安心感を覚えていたりしたけれども、そのことに気付くのはもう3ヶ月くらい先の話で、当初はとにかく同じ空間の中にいれど全く関わり合いのない人、という立ち位置だった。


事務所内には現場に出る人たちも何人かいて、その人たちも誰が誰かなんてわからなかったけれども、あまり事務所にいない人たちとわりかし事務所にいるイケメン上司との近寄り難さはどちらも五十歩百歩という感じだった。


それくらいにイケメン上司に対しての心の距離感があって、さらには関わる機会もないもんだからますます存在として遠い人で、私はその当時はまさかイケメン上司がその後ものすごく自分の人生に大きな影響を与えてくれる人だなんてその時はつゆほども思わなかった。


職場あるあるだけど、顔と名前は知っていても関わり合いになることはないから、いても空気みたいとかいることさえ普段意識しないみたいな人、そういう人って必ずいるけれども、イケメン上司は当初はそういう感じだった。


そして本当に仕事で絡むことが一切なかったから、どうやっても近付くこともなければ用事も皆無で、さらに人見知り強めのイケメン上司と日々何も喋らない状況ではもっと貝みたいに潜って人見知り発動の私とが話すなんて絶対にないわけで、そんな風に3週間ほど過ごしていたから、だからイケメン上司と私とは接点もなく単に同じ空間にいる人でしかなかった。


しかもそこでは私は個人の社内メールもなければ(今どき珍しいけれど本当に不要だった)、私を示す名札もなく、仕事の質問をする事務の女性たちとしかやりとりがなくて、それ以外はずっとダンマリ静かに黙々と業務をこなすだけだったから、そもそも私が「武士俣」という苗字であることを認識されてるのかも不明だった。(ちなみにどう最初に伝えられたのかは知らないけれども、イケメン上司は初日から私の苗字は知っていた、と後からその証拠となるLINEのやりとりをイケメン上司と個人的に仲良しのSさんから見せてもらった。ちなみにSさんは派遣の人が新しく来るとは知らされていたけれど、それが武士俣という名前の人だとは知らされてなかった模様。)


そんな風だったから、職場での居づらさや居心地の悪さは半端なかったし、そちらと慣れない事務仕事でテンパってて、周りを見る余裕なんて全くなかった。


そのくらいの状況下にあったから、イケメン上司はいてもどうやったって関われない人だったから、私の方もイケメン上司と何か起こるなんて想像さえできなかった。


そんな折に開催された外掃除だった。


それも20年近く?以上?お勤めされてる事務さんが外掃除なんか過去に一度もしたことがないと言っていて、そんな千載一遇な機会がその年の6月の終わりになぜかもたらされて、その時に初めてイケメン上司と小さなやりとりが生まれて、そこでようやく私はイケメン上司の存在を頭の方でもきちんと認識できるようになった。


今思うと、それはイケメン上司だったからそのような反応になったんだと思う。


そもそもは、本当に私のぬけさく的なことが発端となったわけだけど、それは何もイケメン上司ではなくて他の誰かが気付いてイケメン上司と同じことをしてくれた可能性だってゼロではなかったと思う。


今までそんなこと考えたこともなかったけれど、もし同じことを他の人が私にしてくれたとするなら私はどう反応したんだろう…、って今回初めて考えてみた。


単純に誰がしてくれても喜んだと思うしありがとうという気持ちも湧いたと思うけれど、イケメン上司に対して抱いたような感覚にはならなかったって断言できる。


行為そのものは、誰がしてもイケメン行為になる。


だけど、私が反応したのは行為の方というよりもイケメン上司の存在そのものだった。


だから例えばそれが別の行為であったとしても、そのしてくれる相手というのがイケメン上司なら私はその時と同じような感覚になったと思う。


私はイケメン上司にもイケメン上司がしてくれたことも自分の反応にも、とにかく全部に驚いた。


それまで早く終われー!早く終われー!と念じていた人が、そこが瞬時に切り替わって、いきなり急にイケメン上司が気になって気になって仕方なくなった。


その後、もう片方の女性グループと作業交代するまで私は同じように手を動かしながらも、イケメン上司の足元を探して見ていた。


顔はさすがにガン見なんかしてたらおかしいし、いくら帽子をかぶっていたと言えども頭の角度が作業する方向と違えばおかしいし、うっかり目なんか合ったらそれも困ると思って、それで当たり障りのない足元を探して見ていた。


よくよく思ったら、そのシューズを履いていたのを見たのはその時限りだった気がしなくもないけれど、イケメン上司がいなくなった翌年か翌々年、市内で一番大きな図書館の駐車場で車を出す時だったのか何か待っていた時だったのか、サイドミラー越しに小学生の男の子がそのシューズと同じ色のシューズを履いているのが見えて、それを見て当時の風景が一気によみがえって涙が出た時があった。


その色を見て、「あ!あの色だ!」ってすぐにわかったくらい、そうやって細胞に刻むように記憶したんだなと思う。


サイドミラーに映ったスニーカーは豆粒みたいな小ささだったにも関わらず、そんな小さなものが記憶を一気によみがえらせた。


イケメン上司のいた風景は普段とは別の回路で覚えているらしく、小さなキッカケだけで一気にそして鮮明に色んなものが浮かび上がる。


その外掃除の時がイケメン上司を本当に自分でもわかるくらいに意識した初めての時だった。


そして当時は全くわかっていなかったけれども、私にもわかるくらいに魂同士が再会した歓喜の時というのがその時だった。




*




イケメン上司がしたイケメン行為は、当初私の中で「イケメンだから女の人の扱いに慣れていて、そういうことを日常的にスマートにこなしてるんだろうなぁ…」と思った。


それが率直な私の感想だった。


私がそういうことをされるのに不慣れなのは何にも疑問がないけれども、イケメン上司がどうやらそんなに気の利く方ではないと仲良しのSさんが言っていたのを聞いて驚いた。(イケメン上司がいなくなった後、イケメン行動にはどんなものがあるかと2人で仕事中に話が盛り上がって、イケメン上司が実際にしてくれたことを話したら「そんなに気の利く方じゃないと思うんだけど…」とSさんは驚いてそう返してきた。たしかに重いものをさっと持ってくれたりはするけれど、そういう細かいことにまで気付くかな…?とかそんな風に言っていた。)


何せイケメンがイケメン行為をしてくれたわけで、それは別に私じゃなくてもいつの時も必要に応じてまたは場の空気を読んで他の女性たちにも自然にやっている、そう私は思った。


でも、これは仮定でしかないけれども、もしかしたらイケメン上司本人からしても、実はイレギュラーな行為だったのかもしれない。


いつかの人生の時に共に過ごしただろう魂と魂とが今回の人生でもお互いに再会してお互いの存在に気付くには、ある程度のイレギュラーな出来事とイレギュラーな普段とは違う行動が必要なのかもしれない。


私側のぬけさくぶりはイレギュラーも何も普段通りだったけれども…( ̄∀ ̄;)。


それもある意味シナリオとしては必要なわけで、なぜなら私が抜けずにきちんとできていたとするなら、その瞬間こそこの世に現象として表れなかったから、やっぱり私のぬけさくゆえの落ち度は超重要な事項になる。


で、そのぬけさく的なことによってもたらされたイケメンによるイケメン行為は、私にイケメン上司の存在を気付かせてくれた。


これまでみたいに、事務所にいる人とか社内のトップの人とかそういう感じじゃなくて、本当に「!!!!!」となるような圧倒的な存在感を放って、その瞬間からはもうどうやってもそれまでと同じにはならない、もう何にも気付いてなかった過去の状態には戻れない、ここから先はイケメン上司の存在を知らない自分として生きていくことは不可能になる、そんな風だった。


「ここから先はイケメン上司の存在を知らない自分として生きていくことは不可能になる」ってなんだか大袈裟な言い方に聞こえるかもしれないけれど、本当にそうだった。


そしてそれは一瞬の気の迷いとか何か勘違いの上に成り立っているんじゃ!?と自分のことを猛烈に疑ったり否定してみたりしていたけれど、その後長い時間をかけてそうではないことを理解していった。


ちなみに否定も混乱もして当然だと思う。


過去に縁のあった人、それもちょっとじゃなくてかなり深い繋がりのあった人、なんていうのは早々人生で出会えるものじゃない。


もちろん生きているうちにたくさんの人に出会うし、その中の片手で数えるくらいはとても強い縁の人だというのは感覚的にも想像がつくし、実際のスピリチュアル系の学びなんかでもそのように謳われてることが多い。


仮に片手で数えるくらいの人が過去世でも強い縁のあった人だとして、その中でも最高峰のトップオブ魂繋がりの人があるとするなら、イケメン上司が多分そうなんだろう…と思う。


今のところ、こんなにも影響力があって半端ない存在感を放っている人なんて他に出会ったことがない。


その存在感や影響力というのが人智を超えたレベルでとにかく普通じゃない。


そりゃその普通ではない感覚がやってきたら混乱も否定も普通にするよねー、と思う。


言葉にするとわかるけれど、イケメンがイケメン行為を施してくれたからと言って、いきなりその人の存在感が圧倒的な強さで自分の中に迫ってきたり、はたまた喋ったこともない相手が存在しているだけで自分の生きる喜びが引き出されるなんて、はっきり言って尋常じゃない。


いい年した大人がしれっと言うことじゃないし、頭の中大丈夫!?とつっこまれてもおかしくないレベルの話だと思う。


でも本当にそうだし、こういう状態に慣れたは慣れたけれども今でももし誰かに「それって変だよね」とか「頭大丈夫?」と言われたのなら、私はそのように言ってくる人が仮にいたとしてもそれを否定するつもりはさらさらないし、「だよねー!」と自分さえも賛同したくなるところは相変わらずだから、そのように捉えられても仕方ないと思っている。(そもそもあまりにもおかしいと自分でも認識しているから、このブログに書いてるようなことは口頭では絶対に言わない。ツッコミどころ満載すぎるし、そもそも40もだいぶ過ぎた大人がしかも独女がそんなこと言っていたら、世間からは痛々しい目で見られて終わるだろうと思う。それに耐えられるメンタルはさすがにないから、そういうことは人前で決して言わない。)




*




自分の心の機微を書きながら、イケメン上司側にはどんな風に印象として残っているのかな…と思った。


武士俣という苗字のおかげで苗字萌えみたいなことはあったようだけど、そういうことじゃなくて、私という人がどんな風に見えていたのか知りたい。


イケメン上司からしたら私は空気や風景と化していて、本当に私という人が何らかの印象を残した最初は私がごはんを誘った時かもしれない。


外掃除の日も、私側にはものすごいインパクトがあったけれど、イケメン上司からしたらたまたま見たら私に不足しているものに気付いたに過ぎないのかもしれない。


そもそも何でブログを読んでくれたのかそれさえも謎すぎるけれど、例えば私が外掃除の日準備万端で、ごはんなど誘わず、手紙も書かず、ブログも書かず…という実際と真逆のことになっていたのなら、私自体の存在がそもそも何もなく、事務で来ている派遣の人ね、くらいで終わって、ましてや4年も経った今は存在そのものさえ忘れ去られて終わったと断言してもいい。


例えば苗字も武士俣じゃなくて、佐藤鈴木みたいなどこにでもありそうなものなら、名前もインパクトなし、存在もインパクトなし…、もう今頃は全て無し!無し!無し!の一点張りだったこと間違いない。


特別な存在になりたいとかいうようなことは望んでなれるものではないけれども、何かしら私という人がイケメン上司の人生に足跡を残すみたいなのには大真面目に憧れた。


何がどう作用して今のような感じに至っているのかはわからないけれど、どんな風に私というのが映っていたのか、少しの間イケメン上司の目を借りてのぞいてみたい。


「あいつ抜けてるな…失笑」とか「色々やらかしてるよ」とか、ありのままの副音声付きで見たり心の声を聞いてみたいというのは今でも思っている。


そこに至るにはあまりにもハードルが高すぎるけれど、本当の本当に知りたい。





*




また気ままに同じことでも飽きずに書くだろうから、ここは1つピッチを上げてこのブログを書き終えてしまいたい。


ちなみに途切れ途切れで書いているから、どれも書き足りない感があって、またいつか似たようなことをくどくどと書く気がする。


その時はまたその時で、自分のブログなんだから誰にも遠慮せず書きたいように書けばいい、と開き直った。


相変わらずすごいなぁと思う小さな出来事に遭遇したのは、つい2日前のこと。


今週からまた怪しげな風が吹きまくっていて、連日残業をしている。


2日前、残業をした後、私は大きな商業施設に諸々の用事を足しに行った。


大きな商業施設はそこそこお客さんもいたし、店内に流れるBGMや館内放送とかで、そこいら中に音が溢れていた。


次の目的地に向かって歩いていたら、イケメン上司の下の名前が聞こえた。


「えっ!?」


足を止めて、その音のする方を見た。


とある商品の紹介VTRで(VTRって言葉を間違えてる気がする…)、それをしばらく見た。


その中でまた名前が、正しくは名前と同じ音が音声として流れた。


何という嬉しい偶然だろう…と思った。


しかも、その日からどんどん忙しくなって、気忙しく疲れも蓄積されていくことになるわけだけど、そんな折にまるでエールのようにその人の名前が耳に届くって凄すぎるシンクロだなと思う。


プレゼントみたいだった。


しばらくその紹介VTRを見ていてわかったけれど、全部で何分くらいのものかは想像がつかなかったものの、名前が出てくるのはその工程の時だけであとは全く名前は出てこない風だった。


音の情報は多かったし、流れていたものだってたくさんの情報がある中の名前のところは一瞬だったのに、そこだけは切り取られたかのようにきちんと耳に届くってすごいこと。


何かに守られてる、って私が思うのも私が大袈裟なんじゃなくて本気でそう思えてしまうくらいに、いつも色んなタイミングで色んなものが届く。


イケメン上司の意志とは全く関係なくても、私が元気がないとか大変な時は、どこからともなくイケメン上司にまつわる何かしらがふと舞い降りてくる。


それは4年前からずっと変わりなく続いている。


そしてそのパターンの傾向として、私がしんどい時や大変な時、一大事な時ほど、そんな風にしてイケメン上司の名前や何かイケメン上司を表すものが私の元に届く。


仕事はしばらく重たい内容が続いているけれども、その重たい内容が想像していた以上に続く初期の段階でそんな風にイケメン上司の名前を聞けたのはすごく良かった。


元気も出たし、根拠はそれになるけれども「大丈夫なんだろうなぁ」と自然といつものように思えたし、実際に何とか大丈夫になっている。


今書いてて思ったけれども、そういうことの恩恵を私はこの4年という月日の中で数え切れないくらいに受けていて、それが自分の生きることへの支えとなったり自分の人生を信頼する力になってくれてる。


イケメン上司側から見た私が何であっても反対に何でなくても、私側が享受しているものはいつも豊かで無限大で自分の生きる力に直結しているわけだから、それで十分だなと思った。


イケメン上司が何か具体的にしてくれたというのはその4年前の外掃除の時くらいでも、そういうことじゃなくて、ただただ存在してくれてることが私の中の一番大事な根幹の部分を絶対のものにする、本当の意味での生きる力を与えてくれる、他に類を見ないすごいことをしてくれてるわけで、それこそは他の誰も真似ができない。


ここで切り上げて、読み返さずにアップしてしまおう。


もう少しだけ書きたいこととずっと書き途中になっていることがあるから、それらを書き終えるまではしばらくこの内容が続きそうな予感がする。


会うことももうないのに、全く会ってもないのに、それでいてこんだけ情報てんこ盛りって、それも昨日今日だけじゃなくて4年もの間そうだなんてすごすぎる。


それだけで、イケメン上司の魂は今生の責務を果たしてるんじゃないかとさえ思う。


本人は認めなくても、自分の存在だけで誰かを元気づけたり勇気づけたりするって、それって最高にすごい偉業だと私は思っている。


社会の中で色々貢献することが素晴らしいことだという風潮に日本という国はなりがちだけれど、私は社会に貢献することよりも自分が知らないところで自分の存在そのものが誰かの生きる力や心の支えになることの方が何千倍と貢献度が高いと思っている。


イケメン上司はそんなの信じないかもだし受け付けないかもしれなくても、私の方からするとそれが真実になる。


私は4年前の夏の日も今も、いつの時も絶対的なものをイケメン上司の存在から受け取っている。


陳腐な言い方かもだけど、本気でイケメン上司には感謝しかない。


本気で心から感謝している。


ありがとう、といつも思う。


ありがとう、といつも思えるくらいの人に出逢えた私は本当に恵まれた人だと感じる。

2021年6月13日日曜日

4年後の初夏(2021)




色んなシーンを回想して、色んな人たちと日常で接して、外側は色々と目まぐるしくても内側はいつも同じ感じだったりする。

いつの時もその人はいて、もう会えない現実を生きていてもずっとずっと心の中では拠り所にしてみたり追い求めたり呼びかけたりしている。


そういうのが当たり前のように日々の生活に浸透しているから、改めて冷静な目で見つめると本当に不思議だなと思う。


昨日(6/10)の仕事の中で、いつも世話になっているMr.ダンディ、社内でMr.ダンディに逆らう人なんか誰もいないくらいに上の人に、ある仕事がとある部長のところで止まっているから煽ってくださいとお願いした。


そうしたら本当にすぐに仕事の返事が来てあっという間に片付いた。


それのお礼をMr.ダンディにメールしたら

「Fumiko firstで頑張ります」

と返ってきた。


ものすごく嬉しかった。


と同時に、ありえもしないことも思った、その人もそういうこと言ってくれないかな…と。


その人からそういう言葉が出てくることはないだろうってわかっていても、私からするとそういう言葉を私に向けて欲しい人になる。


一事が万事そんな風だから、その人は物理的にいないけれども、常に何かあれば浮上というか、浮上とも違って、言うなれば常にいる中でスポットライトが今強めに当たってるからクロースアップされたというか、そんな風になっている。




*




4年前の出逢った初日の回想は、本人よりも先に本人の名前に出逢うことから始まる。


事務所玄関には、何か緊急時は連絡くださいみたいな内容だったと思うけれど、その貼り紙があって、そこにその人の名前があった。


元々人の名前を覚えるのは苦手だし、なんならその人の名前は武士俣みたいなインパクトの強いものか佐藤鈴木みたいな人口の多い名前かと2択なら後者の方で、名前そのものに強いインパクトはない。


なんだけど、私はどういうわけかその名前だけは一発で覚えて、勝手に年配のおじさんなんかを想像したくらいにして、今思えば人の名前を一発でフルネームで覚えたのはその人が初めてで、今もその人しかそんな人は人生に存在しない。


そういうのも魂の関係っぽいなと思う。


武士俣級な変わった苗字ならまだ印象に残るのもわからなくもないけれど、苗字と名前とセットで記憶にすぐにそして強く残るなんてそんなことこれまでに一度もない。


その時はそんなことよりもその後の勤務初日やこれからしばらく続く事務仕事の方に不安やら心配やらがいっぱいでそこまで印象として強く残ったという感覚はなかったけれど、こうして1年また1年と時間が経過するたびにその瞬間はどんどん濃くなっていってる。


魂コードなるものがあって魂コードを解除する暗号があるとするなら、その人の名前はまさにそうした暗号だったと思う。


だから名前を覚えるのが苦手だろうが、特別に変わった名前ではなかろうが、そんなの関係なしに私の深いところには一気に刻まれた。


だから実際に初めて挨拶をした時に、その人から直接本人の名刺を手渡されて、「えっ!?Σ(꒪◊꒪ )))) ?この人なの?◯◯◯◯と貼り紙にあった人はこの人なの!?」と超ビックリした。


「史子」みたいに「子」がつく名前は私と同年代に多いけれども、その人の名前の一部は言うなれば私の世代ではなくもう少し上の世代に多用されてるものだから、それで勝手に年配のおじさんを想像していたけれど、目の前で名刺を渡してくれたその名前の主は笑顔も声も顔も全てが良いさわやかイケメンだった。


冗談抜きでモデルみたいな体型をしているし、おおよそ名前と本人とがマッチしてない、マッチしてないっていうのも失礼極まりない話だけれど、とにかく名前からは想像さえできないイケメンの登場だった。


基本的にイケメンに全くと言っていいほど興味もないし、イケメンだからなんだということもないけれども、とにかくその人は私が人生で出会った男性たち何百人とか千人以上とかいると思うけれども、その中で1番のイケメンだった。


だから顕在意識と呼ばれる表層の意識の方では、「イケメン」という印象が全てと言っても良かった。


これもさらなる失礼な話だけれど、何度となくその人がもっと普通の容姿とかもしくは容姿に若干難ありとかならもう少し軽く関われる感じになれたんじゃないかな…?なんて想像したこともある。


自分の中でコンプレックスの塊のようになっている自分の容姿について、それとは真逆の人が自分の強い魂繋がりの相手というのも、なんか魂メイトっぽいなと思う。


自分の持って生まれた容姿を周りの人たちからイジられるってどれくらいの人が体験するのかわからないけれども、私の場合小学校1年生に始まり中学卒業するまで相当な数で体験して、それも数相応に人も1人2人からじゃなくて数えられないくらいに、さらには大人になってからもグサリとくる言われ方をされたことが何回かあって、それくらいけっこう強烈な感じで体験しているから、別に私は自分が付き合う人や好きになる人に対して容姿はほぼほぼ求めないし、それは友達や知人レベルでも性格や気が合う合わないは見るけれども、相手にイケメンを求めることはない。


そういう意味でもその人は異例中の異例だった。


だから表層の意識では、こんなイケメンと自分とが何かしら縁があるなんて全く思わなかったし、まさかその人が自分のその後の人生に大きく影響するだなんて当時はつゆほども知らなかった。


単純に、イケメンできちんとした企業にお勤めの人と、色んな意味で自分の生き様をまんま公開した日にはツッコミどころ満載すぎる(実際の仕事の面接でもつっこまれるレベル、それも良い意味じゃなくて悪い意味で)世間では決して良い顔をされない派遣という働き方をしていて+容姿もあららな私が何か繋がっていくなんて、そんなことさえ思うこともないくらいに縁のない人と私は思った。




*




今年の6月9日は、いつも以上に張り切って自分の日付印をあちらこちらに押した。


とにかく今日という日の物理的な足跡、刻印を残したかった。


本当はちょうど仕事始まりの9時に当時を回想したかったけれど、何してたか忘れたもののとにかく慌ただしくてそれどころじゃなくなったのは覚えている。


初日の2日前に顔合わせという名のプチ面接みたいなことをした時は、私の直接の上司となるおじさんと私の教育担当者の事務の女性とあとお茶を出してくれた今も時々会うSさんとが登場して、そういう感じの雰囲気が初日も繰り広げられると思っていた。


ところがいざ実際の事務所内に入ると、そこにいたのはイケメン上司とイケメン上司よりもう少し背を高くした2人とも同じくらいの年頃っぽい男性だった(他にももちろんいた)。


イケメン上司は、事務所の雰囲気とは実にミスマッチで、この事務所にこんなイケメンがいるの!?と思った。


理系に分類される仕事だから、おのずと職場も男性多め(多分企業全体では相当多めなはず)で、女性が来るというだけで多少は期待も上がったのかもしれないけれど、いかんせん到着したのは私で向こう側は何にも感じずに終わったかもしれないけれど、私側はこんなイケメンがこんな田舎町の事務所にいるってすごいなぁと別のことを思っていた。


なにせ本当のイケメンがいたから、私の思考はそちらに気を取られてしまって、今となってはものすごくもったいないことをしたなと思っている。


もっとガン見したり差し障りない挨拶にプラスアルファされたおしゃべりとか、そういうのができたら良かった。


私に向けられた笑顔の回数は2回で、そのうちの貴重な1回がその時だった。


そもそも笑顔の回数さえも数えられるような関係性って関係とも呼べないのが普通だと思う。


当然初日の私は無害だったわけで、無事に笑顔獲得となったわけだけど、本当にその笑顔に自分が救われて心の支えになってるって知ったのはもっともっと後のことだった。


時間が積み重なると、どんどん新しい情報が入ってくるから過去の情報は大事なもの以外抜け落ちていく。


4年経った今、鮮明に確実に残っているシーンは、その日のイケメン上司の存在がほぼ全てと言ってもいい。


初日から普通に通常業務を始めたし、他にも何かしらあったかと思うけれども、今となってはイケメン上司が私の人生に登場したそのシーンと入口前で見たイケメン上司のフルネームを初めて見た時の風景しかすぐには思い出せない。




*




4年近い時間を使って色々知り得たものをもし当時も知っていたのなら、私はもっともっときちんとイケメン上司を見て自分の気持ちも感じて過ごせていたと想像する。


もちろん、そんなこと起こるわけないけれど、過去世で強い繋がりのあった相手と再会するとこんな風になりますよ〜と何でもいいから教えてもらえていたのなら、いくら鈍い私でも気付けたかもしれない。


そういう人に出会ったことがあるという年配の既婚女性に私は合計で3人会ったけれど、そのうちの2人が全くと言っていいほど同じセリフを言っていた。


「会った瞬間にわかるよ、この人は他の人とは全然違う」って。


ちなみにそのうちの1人は、相手の男性も気付いたと言っていた。


その男性凄すぎ!!!と思った。


それはそうと、私の場合は初日に潜在意識や魂レベルでは気付いたんだろうけれども、顕在意識バリバリの人間の私は「すごいイケメンがいる」だの「イケメンは笑顔も決まってる!」だの、細かくはもう覚えてないけれども、とにかくイケメンがクロースアップされすぎて、まさか目の前のイケメンと自分とが何かしら繋がってるなんて1ミリも思わなかった。


そして正味4ヶ月弱しか同じ職場にいられなかったのに、まさかその後4年もズルズルと今みたいな状態になるなんて、人生奇天烈すぎる。


引きこもってようが外出て働いていようが活動の中身に左右されず、他の色んなことも左右されず、とにかくイケメン上司だけは何の変化もなく自分の中にある・いるという何もかもがぶっ飛んだ展開になっている。


魂の計画とやらは本当に今生の社会情勢とか資本主義社会とかデジタル社会とか、そんなの一切合切関係ないんだなとわかる。


そして魂は社会情勢に沿う必要なんか全く無いから、私が貫くつもりもない独身だろうが、専業主婦希望なのになんだかよくわからないことばかり人生てんこ盛りだろうが、とにかく全てにおいて自分の意志とは別のところで全て動くんだなと思う。


イケメン上司と私とが今後の人生で交わるなんて、イケメン上司が一生分の勇気と覚悟とを持って、もちろん私と繋がりたい意志も持って、そして私に連絡してくる以外起こらないわけで、それら全ての条件が揃うなんて魂があと2回3回と転生しても起こりそうにもないことで、だったら私は残りの余生を本当にもう少し自分の気持ちに寄り添えるような形にできないものかと思う。


話が逸れた。


4年経った今は、相手がイケメンだとかイケメンスマイルがいいだとか、そんなことは逆に薄れた。


代わりに、初対面で尚且つその後も会話らしい会話を交わさずに物理的に離れてしまった人だというのに、印象の残り方、印象と言うよりも存在そのものの残り方、その人がいた時間全ての記憶とが他の人たちとは全く違う種類のものだと知った。


名前にしても初めて会った時の表情にしても、こんなにも存在そのものを私の中に残したのは人生でイケメン上司しかいない。


色んな意味で別格すぎた。


当時はわからなかったけれども、今ならわかる。


全部が普通じゃなかったし、この世を生きる感覚とは違う感覚だったなぁ…と今さらながらに思う。




*




自分で書いて公表しときながら何を言うんだ?状態だけれど、イケメン上司シリーズはイケメン上司からして読んでいて面白いんだろうか?とほんの少し気になっている。


ネタがないわけで、もうある時からはひたすら過去のある場面の切り取りと私の今とを組み合わせて書くスタイルで、私の今はきちんと読めば多少の変化はあっても、基本のところは毎回同じだからそんなに面白いものじゃない。


過去の場面切り取りは下手すると何回も使われてしつこいぐらいにリピートしてたりするけれど、そんなのが読んでて面白いものなのか?と思うと、かなり疑問が残る。


イケメン上司は何に心を動かされてるのか全くわからないけれども、何か心が惹かれたり動かされたりするようなものがこの中にあるんだろうか?といつも不思議な気持ちで見ている。


なんならかなり言いたい放題で読むに耐えないところだってあると思うけれども、それでも基本は見てくれてるようで、人の趣味ってわかんないもんだな…なんて思っている。




*




今回久しぶりに思い出した。


当時私は、最初の3週間くらい、「何でこの仕事に行くことになったんだろう?」と毎日仕事をしながら何回も疑問に思った。


30代の私の社会生活は全くもって予測不能な展開がいつの時も続いた。


30歳で就いた正社員の仕事はあまりにもブラック過ぎる働き方で私はすぐに音を上げて、最終的に33歳の時に辞めた。


正しくは10回近く退職願を出して、それで本当に受理されるまでに2年以上かかって、やっと辞められたのがその時になった。


30歳くらいから色んなことがどんどん起こるわけだけど、仕事に関しては全てにおいておかしなことが続いた。


余談だけれど、私が今も派遣という働き方を何の抵抗もなく選べるのは、最初に派遣という働き方をした先がビックリするくらい良い人たち+できる人たちで構成されていて、それは今となればそこがある種特殊だったわけだけど、その時の印象がとっても良かったから派遣ということに何の抵抗もなく入れた。


それはさておき、イケメン上司に出逢う2年くらい前あたりから、本格的に仕事は自分じゃ選べない状況がいくつも続いた。


今の仕事も含めてだけど、その後から今に至るまで5つの職場に行って、1つを除いて実はどれも自分で選べたわけじゃなかった。


募集が出てることさえ知らないもので、派遣会社から紹介されて初めて求人を知って、さらにはその実際に行ったところ以外はいくつも不採用をくらうのが毎回のお決まりパターンだった。


契約、派遣、パート、バイトと働き方も選ばなければ、働き方の希望も一切出さないのに、それでも毎回落ちまくるという世にも不思議なことが何回も起こった。


代わりにどこも行くと決まるか決まらないかのうちに、早々と相手企業なり派遣先からOKが出て即断即決状態だった。


普通の職務経歴書としては私の生き方は最悪ランクになるだろうけれど、これがもし魂視点の生き方経歴書なるものがあるとするなら私の生き方はもれなく花丸百点満点になる。


なぜならば、どの職場に行っても私は特殊な役割が最終的に与えられて、毎回超マニアックな業務に就くのがお決まりパターンで、もしくは人の生き方や組織が組織として動くための見えない部分の調整を観察するまたは関わるみたいなことも回り回ってくるわけで、とにかくヘンテコなことに当たる。


という中で、イケメン上司がいた職場だけが唯一「何で私ここにいるんだろう?」と毎日疑問を抱かずにはいられない職場だった。


置き物のように喋りもしなければ、やったことは資料のコピーとファイリング、入力、伝票の整理くらいなもので、正社員が働かず派遣が責任ある仕事をするみたいなところもけっこうあったから、私はその職場で初めて本来の派遣という社内での立ち位置に相応しい業務を充てがわれていた。


一般的に普通なんだろうけれど、よくわからない不可抗力が働きまくりな私の人生からすると超異彩を放っていて、こんなこと言ったら怒られるけれど、別にコピーもファイリングも入力も伝票整理も私じゃなくていいだろうに何で私がその仕事に選ばれているんだろう?と思った。


だから来る日も来る日も私は、まずは1日中喋らないことがそもそも苦痛だったし、そしてマニアックな業務はしてもコピーとか伝票整理とかは基本ほとんどしたことがなかったから、さらには元来おっちょこちょいでぬけさく気質だから業務の内容的にも苦手で、何でもっと得意で有能な人がいるだろうに、よりにもよって得意ではない私がこれをするんだろう?とかも思った。


しかも職場のすぐ近くは越後平野と呼ばれるところの一画なんだと思うけれども、田んぼだらけで周りには民家と少しの施設や中小企業以外何もないという、仕事の行き帰りにも楽しみのカケラもないような場所だった。


本当にそんな風だったから、何で私今ここにいるの?疑問がしばらくずっと止まらなかった。


そして不慣れな仕事だったから、周りを見る余裕なんかなくて、最初の日に始まってその3週間後くらいにイケメン上司が私にちょっとした(私からしたら特大の)親切なことをしてくれるのだけれど、その3週間くらいは全くもってイケメン上司のことなんか見てもなくて、超もったいないことをしたなと今は思っている。


無意識に声は聞いていたけれども、何せ顕在意識は「何でここにいるの?」やら「この仕事やらかしそう」やらそんなこんなの雑念で忙しすぎて、全くもってイケメン上司の姿が目に入ってなかった。


これは今となるとたられば話になるけれども、もしイケメン上司が親切なことを私にしてくれなければ私は下手すると最後までイケメン上司のことに気付かなかった気もする。


そうしたら逆に普通にしていて、ごはんに誘うとか絶対にしなかったし、当然気まずくもならなかったし、普通に送別会も出たかもしれないし(これはどうしたかはわからない、ただでさえ人見知り状態なのに、何十人と集まるところにはさらに行きにくい)、そして最後も最初と同じようにさわやかイケメンスマイルで気持ちの良い挨拶を終えて、そこで全て終わったと思う。


今みたいにタラタラとブログも書かなければ、本人に押し付けられた手紙だってこの世に誕生しなかったし、とにかく全て今あることとは真逆の現実になったと思う。


そもそもその親切にしてもらったことだって私のぬけさく的なことが発端になるわけだけど、そんなの狙ったわけじゃないし、そもそもイケメン上司も何で気付いてくれたのか知らないけれども、全てにおいて1ミリも狂わずにその通りに物事が起こらないことには私はイケメン上司の存在にはきちんと気付けなかった。


しかもイケメン上司は別に私じゃなくても同じ状況に他の人たちがなっていたのなら同じように親切にしたと思う。


そういう全てのことが重ならないと今に至らないわけで、イケメン上司がいた時のことを思うと人生って本当にすごいんだなと思う。


すごく巧妙に微細なことも見えないところできちんと整えてもらって、それで起こるべくして起こることが起こって、あとは人間である私がどこまで気付けるかどうか…みたいな。


そんな風にもたらされた出逢いが4年前だった。

2021年6月9日水曜日

振り返り2021夏

2021/06/09  雲ひとつない晴天なり
4年前の今日もこんな天気だったと思う



2021/06/01

今日から少しずつ書きためていこうと思う。


5回目の夏を迎える。


4年前、初めてその人は私の目の前に現れた。


きっちりと4年経った今も、当時の最初に出逢った瞬間のことをよく憶えている。






2021/06/02

あ!

い!


職場の長い廊下で、1人の私より確実に年上のおじさんが「あ!」と同じくらいの年頃と思しき女性に向かって言った。


その女性はすかさず

「い!」

と返した。


あ!

い!


「愛だ!」と私の中で繋がった。


2人の男女はニコニコしながらそれぞれの場所へ向かって行った。




*




一度だけイケメン上司とドアの向こうと向こうにお互いがいるとは知らなくて同時にかち合ったことがあった。


たしかその時イケメン上司は、一言驚いて「あ!」と言ったと思う。


もしその時に私が「あ!」「い!」の掛け合いを知っていたのなら、「い!」ってふざけて言ってみたかったなぁと思った。


もちろんそんな関係性にはないから、そんなこと言った日には逆セクハラで訴えられかねないけれど、そういうことをしてみたかったなぁなんて思った。






2021/06/05  真夜中のブログ


本当は1日からコツコツとブログを書く気満々でいた。


だけど、身体がついていかなくて、途中10代に知り合った友達のんちゃんが新潟に来て会えたのもあって、身体疲れてブログ滞った。


6月は私にとって振り返り強調月間なのに(笑)。


書いてはないけれども、振り返りはしている。


最近は最初の日と最初に名前を見た瞬間を何十回と思い出している。


今年はそこがツボらしい。


朝の30分ほどの通勤時間の車の中でもそのシーンを思い浮かべている。


何回思い出しても飽きることもないし、毎回色んな気持ちを味わって堪能している。






2021/06/08  朝の4時、夏の夜明け


とにかく眠くて全くブログが進まなくて、書きたいことが全く書けてない。


でも眠たい…の繰り返し。


昨日7日は、私がイケメン上司のいる職場に初めて足を運んだ日だった。(2017年)


派遣の仕事はいきなり初日とはならずに、顔合わせという名のプチ面接みたいなのが行われる。


そのために行ってきた。


イケメン上司は私の雇用には全く関係ない立場にあるし、厳密に言うとイケメン上司が所属する会社と私が派遣で行った会社とは別会社になるから、1つのオフィスに2つの会社が入っていて、あの狭さがなければ互いに知ることもなかったと思う。


狭いオフィスだったから顔見知りくらいな立ち位置にいられたけれど、これが広いオフィスなら今頃見ず知らずのイケメン上司と見ず知らずの武士俣さんどころか、存在さえ気付いてもらえなかったと思う。


当時は不慣れな事務仕事で自分にできるかどうかの心配しかしてなくて、まさかそこでイケメン上司に出逢うなんて全く予定にさえなかった。


しかもその日はイケメン上司とすれ違ったりすることもなく、本当に簡単な挨拶と仕事始めをいつにするかの相談で終わった。


昨日朝の出勤の車の中で、ふと思った。


今冷静になって考えると多分本当にそうだったんだと思うけれど、私がそこに行った時点でイケメン上司の転勤はほぼほぼ確定していたんだと思う。


初日にイケメン上司含む4人から名刺をもらって、うち3人の名刺を見て「どの人が一番偉いのかわかんないな」と思った記憶がある。


3人とも「長」が付いていて、その上下関係は全くわからなかった。


今だからわかる。


私側の上司はさておいて、イケメン上司と後輩くんは何もそこに2人も役職者を置く必要なんて普通に考えたらない。


2人も役職者を置いたのは、イケメン上司はその当時の現トップでもいつかの転勤は確定していて、そのイケメン上司の後を引き継ぐために配属されたのが後輩くんだったんだと思う。


だから最初から転勤は既定路線で、私が行った頃にはすでに終わりがある程度決まっていたのかもしれないな…と思った。


そんなこと何も知らず、イケメン上司も後輩くんもいつかは転勤する人たちだというのは初日に私の教育係だった女性から説明を受けたけれども、それでも私はそんなすぐにその時がやってくるなんて思いもしなかった。


そう思うと、本当に私が誘ったりなんなりとやってくるのは困った行為だったんじゃないのかな…なんて改めて思った。


今も私は自分が嫌われてるんだか好かれてるんだかわからない。


言うなればそのどちらでもない、が正解なのかな…なんて思っている。


本当にわけのわからない感覚をもたらした人なんだと思う、私というのは。


魂繋がりが強いからそれは仕方ないよ、と言いたいけれども、そんなのこの今の世の中であまりにも可笑しすぎる意味不明な理屈で、その掴みどころもない、ヘンテコな感覚だけがやたらとクロースアップされて、そしてよく掴めないのに距離感や関係性を無視してやってこられるのも困るだろうなぁと思う。


恐ろしすぎてあまりきちんと考えたことがないけれども、理系バリバリ、社会で生きる大人としてきちんとお仕事してやってきた人からしたら、意味不明な感覚がやってきてもなんなんだろう?と思うだけだろうと思う。


私からするとイケメン上司は本当に真っ当に社会で生きている人で、そんな人の前に予測不能な怪しい動きをする派遣の女がウロウロとしていたら……。


そこに快楽を見出す方が難しいことだと誰の目から見ても明らかなこと。


最近のいつかも書いたけれども、これが自分の好みのタイプの女の人から来られたのならそれこそ恋のひとつでも花咲いたかわからないけれども、好みでもなく得体の知れない女の人から来られてもそりゃ困るし無視したり拒否したくもなるか…と思う。


違和感というか変な感覚だけをひたすら与える人なんて、扱いに困っていたんだろうなぁと思う。


自分を卑下してるわけじゃなくて、本当にそんな気がする。


ブログのチェックだって、私と恋仲になりたいとかそういう理由ではなくて、本当に自分じゃ説明もできない感覚を私という人がこの書いて書いて書きまくる特技みたいな趣味みたいなものをたまたま持っていて、それをしてくれるから読むのかもしれないなと思う。


自分の感情や気持ちに向き合うなんて、多分イケメン上司からしたらとても苦手項目だと思うけれど、それがまだ恋みたいな感覚なら受け入れられてもそれとも違うけれど何だろうこれ?みたいな強烈な感覚があれば、そしてそれが何かを知っていく作業をしているのだとすれば、私のこのくどくどと起承転結のない文章は自分を知るのに役立つのかもしれない。


「気になる」種類が違うんだと思う。


イケメン上司が何をどう思っているのかは全くわからないけれども、もし本当に私とどうこうなりたいと思っているのなら今頃連絡の1つも来るだろうと思う。


私が誰かと恋仲になったり結婚したりしたって決しておかしくはないわけで、でもそうでもいいんだろうなぁと思う。


私の考えを述べても仕方ないけれども、相手を失いたくない!と思えば、普通に考えて何かしらアクションを起こすわけで、私はそもそもその対象にはなってないからこんな風なんだと思っている。


そもそも関係と呼べるものがない相手が、もし結婚なんかした日にはもっと関係なんて作れないわけで、要はそれでもいい相手なんだと思う。


いつまで私もこんな風にブログを書くかはわからないけれども、こうしたバーチャルな世界で自分の距離感と立ち位置を守りながら接するのにちょうどいいのが私なんだろうと思う。


物理的に危険や不快感を与えることもしないし、ひょっと目の前に現れる心配もない。


連絡を取ろうものなら煩わしさや面倒くささなんかも色々セットで付いてくるから、それなら今の感じが一番いいのかもしれない。




*




今日の昼間、仕事中猛烈な眠気に襲われて、眠気と戦っていた時間があった。


暇なんてこともないし目の前にやることもあったけれども、眠いものはどうやったって眠い。


そんな時にふとこのブログの書き途中のことを思い出した。


改めて思ったけれども、もし私が勤務初日なりそれに近いくらいの早いタイミングでイケメン上司の転勤を知っていて、もう3ヶ月とちょっとでいなくなるとわかっていたのなら、天と地がひっくり返っても私はイケメン上司に向かって何かしらの行動は何も起こさなかったということ。


色々無謀すぎる行動だったわけで、最初から何も期待していなかった。


相手は冗談抜きのイケメンで女の人に不自由しているとは全く思わなかった。


だからこそ余計にハードルが高かった。


それだけじゃなく、職場の人だし(何かあってもなくても気まずくなる)、そもそも置き物のように何も喋らない私がいきなりごはんに誘うとかどうなんだろう?って話だったし(これは男友達と友達の旦那さんからごはんに誘うのが良いと男性目線のアドバイスをもらった)、色んな意味でハードルは高すぎた。


私はイケメン上司がいなくなってから、イケメン上司が女の子とデートした話とか、その相手だと思うけれども好きな人なんだとか、相手がどんな人だとか(勝ち目など無さすぎて、先に知ってたのなら知った時点で戦意喪失)そういうことを二度三度耳にしたけれど、そういう情報も何にも知らなかったのは不幸中の幸いというか、知っていたのなら誘うとかそんなアホなことはそもそも選択肢にさえしなかった。


私は良くも悪くも何も知らなくて、だからこそ色々と動けた。


面白エピソードというか、当時もそんなことをしてたのか!という話だけれど、私はイケメン上司が転勤すると言ってもそれは早くても年末くらいとかそうでなければ年度末くらいかな…なんて思ってて、ペンジュラムもそんな風に私に言っていた。


今思えば、ペンジュラムはホワイトライならぬ白い嘘をついて私が動くように導いたんだろうなぁと思う。


ペンジュラムは時々わざと誤情報を私に伝えてくる。


正しい情報だと私が本来の道から外れたり違う方に行きかねない時は、そうなってる模様。


すぐにいなくなるともしペンジュラムが教えてくれてたのなら、私は何にもしなかった。


とにかく無謀で無茶苦茶で向こう見ずで、自分でも色々どうかしてると最後の最後まで自分を否定しながら動くという凄いことを私はしていたわけだけど、異動時期を知っていたのなら何にもしなかった。


さらには後々知ったことたちもそうで、とにかく無知であったことが全てにおいて良かったというか魂の願いを叶えるような動きを私自身が自分にプレゼントできたんだと思う。


「自分にプレゼント」って今初めて出てきた。


巻き込まれたイケメン上司は迷惑千万でも、私側は本当にこの世に命を持って誕生して生きることの中にこれらの一連のことが大きな目的としてあったんだと今は思っている。


ふと、私がもしごはんではなくて連絡先を交換したいという自分が当初考えたことをしていたのならどうだったかな…?なんて想像したけれど、それも同じくらいツンケンされて拒否の意志を全面に出されたかな…なんて想像した。


だから上手くいかなかったこと全てが私には必要な体験で、そしてその上手くいかないことたちを結果として得るには動くことが絶対だったんだと思う。


もし転勤の時期を知っていたのなら…検証は、おかげでそのうち午後の眠気から抜け出す素晴らしい薬となった。






2021/06/09  今年も晴天、朝焼けの中


実は上に書いたことの途中から今日9日になっている。


とりあえずアップしてから仕事に行こうと思っている。


「自分にプレゼント」


5年目の朝を迎える今、初めて出てきた言葉だけれど、自分の中でやたらとしっくりときた。


無謀で無茶苦茶で向こう見ずなのは当時も今も変わらないけれども、私は何にも後悔していないってことに気付いた。


結果は思わしくないところもあるけれども、イケメン上司が私のブログにたどり着いて見てくれてるというのはすごいご褒美だったし、そのことに私はものすごく救われてる。


それでいて連絡まで欲しいなんて望みすぎなのかもしれない。


私は今、自分がしていることが自分に返ってくるという体験をしていて、それが自分の生きる力になったり、自分の人生や自分を信じる力になっている。


奇跡が起こることも身をもって体験できたわけで、私のこの色々とわけのわからない人生の中ではスーパー御の字な今を迎えている。


私はイケメン上司から見て何にもなれなかったけれども、自分側はハッピーだったからこれはこれで良し!と思う自分がいる。


何者かになることが全てじゃないし、ブログを取ってしまったのならイケメン上司と私との間は何にもなくなって「無」だけが残ってしまうけれども、それでも本当に何の可能性も見出せなかった当時からしてみたら今はまさかすぎる展開だし、本当に奇跡ってあるんだなと思う。


これを読んでくれるだろうイケメン上司は何を思ったり感じたりするのかは全くわからないけれども、私がここに書いたことは今の私の本音や想いだし、連絡くれたらいいのに!とは相変わらず思うけれども、色々書いていたらそれこそ無茶なお願いというか希望なのかもしれないなと思った。


彼女とかパートナーとかじゃなくて、全くの別枠の人というのを私のためにイケメン上司の人生の中に新設してくれないかな…と思う。


魂メイトみたいな、イケメン上司の人生で1人くらい私ほどなんだかわけのわからないぶっ飛んだ人がいてもそれはそれで面白いかもよ?と控えめにアピールしてみる(笑)。


あと4分で6月9日6時9分になるから、このままアップの準備にかかろう。


こんなゾロ目に合わせて何が面白いのか他の人には全く伝わらなくても私は十分テンションが上がる。


そういうくだらないことでもし少しでも、それは失笑でも苦笑いでもいい、イケメン上司が笑ってくれたのなら最高だなと思う。