2019年2月23日土曜日

奇跡の果実(17)オルゴナイト





(前回『(16)空飛ぶ種』より)
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話はまたすごい飛ぶけれど、私はこれを書きながらすごいことを思い出して、1人で「あーーーーーー!(◎_◎;)!!」となってた。

「サニワ」と書きながら思い出したことがあった。

そして、それを思い出したら、また色んな点だった出来事たちが全部1つの線で繋がった。

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最初に本題に入る前に、前回の題名『空飛ぶ種』の経緯を少し話したい。←まだアップして数分。

最初、「繋ぐ」とか「ツナグ」にしようと思った。

だけど、私からするとSさんの知人の方は全く知らない方だから、繋いだ感じが私の中で全くない。

ボツになった。

続いては、最近お世話になりまくりの類語辞典をネットで開いて、「繋ぐ」の類語を見てみた。

やっぱりピンとこなくて、次は「新たな奇跡の果実」と頭の中にやって来た。

だけどそれもまたしっくりこなくて、果実だから実り、実りということは種が植えられて…とか考えて、次はこんな風に検索した。

「種が飛ぶ」

何か引っかからないかと思ったけれどいまいちで、そのうち「空飛ぶ種」がひらめいた!

これすごく良い(((o(*゚▽゚*)o)))!!と思った。

種が勝手に飛んで行って、飛んで行った先で新しい果実を実らせる。

まさにその通りの話で、私、自分のネーミングセンスに酔いしれそうだった(o´艸`)。

という、自分に酔いしれたアホ話はこれぐらいにして、ここから下が本題。



私はOさんから頼まれたことをSさんにこんな風に話した時があった。

「『さ』なんとか、なになに『わ』?さとわ?ごめんなさい言葉忘れたんですけれど、とにかく判断する役みたいなのを頼まれたんですよね、Oさんに」

Sさんはその話に即座に反応して、
「ぶっしーちゃん、それ『サニワ』じゃない?」
と私に聞いてきた。

私は「そうかもしれません。なんかそんな感じでした」と答えた。

「ぶっしーちゃん、それってすっごいことだよ!!!サニワって確か『審判』の『審』に『神様』の『神』って漢字が入るんだよ。今度調べてみて!
それって要は、神から来ているものを審査するみたいなお役目で、本物を見極める能力があって初めて任されることなんだよ!ぶっしーちゃん、Oさんにそれ頼まれてるんだよ!!!
さすがぶっしーちゃんだね!
もう本当にピッタリの役だと思う!!!」

Sさんは興奮気味に説明してくれた。

私は嬉しいの半分、そんな重要なこと頼まれてるなんて全く思ってなかったから、責任の重たさ半分だった( ̄∀ ̄)。

その時にSさんはこうも言った。

「ぶっしーちゃん、私『オーラの泉』で見たよ!武田鉄矢もサニワで、本物を見極める力がどうとかって出てくるから、ぶっしーちゃん、武田鉄矢の分のオーラの泉を見てみて!」

そう、この話、Sさんでなければ絶対に知らない情報だった。

サニワは『審神者』と書く。

そして、これは前世療法を1年近く調べまくっているSさんだからこそどハマりして見ている『オーラの泉』から得た情報だった。
(Sさんは「審神者」については、それ以前から知ってる風だった)

ちなみに私はその後オーラの泉をYouTubeで見たけれど、自分がそんなに崇高なものをする者なのかどうかも怪しいし、そもそもその意味もどうでも良くなって途中で見るのをやめた。

それよりも、その役割が来たからこそ、私は自分のペンジュラムに関してOさんに見てもらった話と、その時の会話を思い出して、そもそものこの一連の流れの始まりがペンジュラムにあったことを思い出して、1人で腰抜かすぐらいにビックリしてた。



このサニワの話が大事だったのは、私にはもっと別の重要な意図があった。

サニワでもはにわでも何でもいいけれど(←本当に罰当たりだと思う( ̄∀ ̄;))、私はOさんに頼まれた査定役の重大さの方が、Oさんに話を出された時何よりも引っかかった。

Oさんが今後おじいちゃんの家族に依頼されて、新潟に本当に来ることになったら、その時は私も助手として出向くことになる。

Oさんはその時は感覚を全開にして霊視をする予定で、その状況というのは本当に危険らしくて、それでOさんの霊視の内容を私が客観的に見て内容を吟味・判断するらしい。

やるのは構わないけれど、さすがに内容が重たいし間違えたらまずいのはわかった。

しかも私はペンジュラムでおじいちゃんを見つけることができなかった。

だけど、Oさんの霊視を判断する際、私はどう考えてもペンジュラムの力が要る。

Oさんの様子や言葉で判断はできても、霊感的なものは私は一切ないから、それを判断することはできない。

となると、やっぱりペンジュラムは要る。

そうした色々を考えて、私はOさんに聞いた。

私のペンジュラムが何に繋がっているのかを。

そう、私が聞いたのは、「何に繋がっているのか」だった。

Oさんに私が質問した時に、「聞いておいた方がいいんですか?」と言ったら、どちらでも武士俣さんの好きずきですと言われた。

正直に言うと、私は聞くのが怖い気持ちもあった。

知りたいよりも怖い方が強くて、さらに言うとOさんが私のペンジュラムに関してあまり良い風に解釈してないことも知っていたから、余計と聞きたいとは思わなかった。

ちなみにOさんが私のペンジュラムをあまり良い風に言わないのは、波動的に多分好ましいかどうかと言うとそうではないだろうことと、そもそも自分の感覚ではなく違うものに頼ることに対して良く思ってないだろうことと、まぁ色々ごもっともな理由があってのことだと私は解釈している。

そういうことも知っていたから、余計と積極的に聞きたいことではなかった。

ただ、今回は、Oさんの霊視に関しての客観的な判断を任されるとなると話は違う。

普段はペンジュラムが何と繋がっているのかを知らなくても困らないけれど、今度は山で行方不明になったおじいちゃんの捜索に関する件と再度関わるかもとなった時、「知りません」じゃまずいなと思った。

だから、私は恐る恐るOさんに聞いたんだった。

もう一度言う。

Oさんに聞いたのは、「何と繋がっているのか」だった。

今年に入ってからのブログにも少し書いたけれども。
(参照:『ペンジュラムの物語2019』←リンクを貼ってないので飛びません)

Oさんが言った最初のことは、
「アメリカ人の10歳ぐらいの金髪の男の子で…
そばかすがあって…
ペンジュラムを使ってるのかな…
使ってるというよりペンジュラムで遊んでる感じですねー、
そんなのが見えます」
だった。

前の時のブログにも書いたけれども、私は度肝を抜かれた。

今からちょうど1年前、私は人生で初めてのホロスコープ鑑定を受けに行った。

その時の鑑定士さんがこれまた特殊な体質な方で、必要に応じて相手の魂や過去世に関する情報をキャッチする人だった。

「必要に応じて」と言うのは、鑑定士さんの方で情報を下さいと言ってもらえるものではなく、そこに関わる人たち(私の時は、私ともう1人イケメン)の間で魂レベルでの合意があって初めて鑑定士さん側に情報がもたらされるとのことだった。

そして、その方こそ私に初めてペンジュラムに関して「過去世でも使われてましたね」と言ってくれた方で、そしてその時は「男の子で体が弱くて10歳ぐらいまでしか生きられなかったみたいなんですよね…。ペンジュラムは自分の大切な一部、友達のように大切にしていました」と教えられた。

1年越しにまたペンジュラムについて、今度は霊視ができるOさんからも似た情報が寄せられて本当に驚いた。

これはサニワの話が出なければ、絶対に私は確かめないことだった。

そういう特殊な役割をするとするなら、ペンジュラムが繋がる先を知りませんではまずいと思ったから聞いただけで、それ以上の意図なんかなかった。

ちなみにOさんいわく、「この世のものではないものと繋がっている」とのことで、結局何に繋がっているのかはわからなかった。

そして、Oさんは私に「持たない方が武士俣さんらしさが出ます」とも言ってくれた。

けれど「私は手放さない」、瞬時にそう思った。

もしかしたら将来的にほとんど使わない日が来るかもしれなくても、持たないことはない。

ずっとお守りのように持ち続けるとは思う。



……そんなことを思い出していたら、「うっそ、うっそ、うっそー!(◎_◎;)!(◎_◎;)!(◎_◎;)」ということに気付いた。

私がそもそもペンジュラムを使って山で行方不明になったおじいちゃんを探して欲しい、とお願いされること自体、とてもおかしいことだと思う。

じゃあ何でそんなことになったのか…と言えば1年前にさかのぼる。

1年前の私は、毎週のように通い詰めていたお店があった。

2018年の年明け、妹が「これ買ってきたんだよ」と言って見せてくれたものは、最初何かと思った。
(写真1枚目の左側の物体)

「オルゴナイトって言うんだって」と言って紹介された長さ3センチほどの円すいの物体は、たしかに綺麗ではあったけれど、「で?何これ?」状態だった。

妹は場の浄化をしてくれるグッズだと私に説明した。

家庭内不和で今にも離婚しそうで子どもはケガや入院が絶えなくて…という妹の友達のお姉さんの家が、オルゴナイトをいくつか家に置いただけで劇的に色んなことが改善されて、その妹の友達の彼氏がその家に遊びに行った時「まるで別人の家みたいなんだけど、どうしたの?」と言っていたとのことだった。

私はそんなこと絶対にないとは思わなかったけれども、反対にこの妹が別の友達と買いに行った物体を見て、「これそんなにすごいの?」と半信半疑だった。

しかも健康食品の店に売っていると言って、値段は700円、余計と怪しいと思った。

私は食いつかなかったけれど、もう1人の妹が「こっちにいる間に買いに行きたい!」と言って、それで私しか当然車を出せる人がおらず、それで1月5日に妹と2歳になったばかりの姪っ子とを連れて買いに行ったのが最初だった。

その日も私は自分は買うつもりがなかった。

店に着いて現物を見たら気が変わった。

一目見て、「これ買おうかな…」と思ったものを持ち帰った理由は、うちから30キロ以上離れてるから、もう自分じゃ来ないなと思って、それで買ったに過ぎなかった。

単純に、それを買うためだけにもう一度そこまで行くのが面倒だった。

だから、その面倒くささを思って、じゃあ今もう買ったらいい!、しかも新年初の買物が開運グッズなんて幸先良い!、とものすごく適当な理由で買った。

まさかその後、10回以上買いに行くなんて思ってもいなかった。

そんな風にして出迎えたオルゴナイトだった。

軽い気持ちだったのに、私は2週間くらいして自分の考えを大きく変えることになった。

まずは持っていたパワーストーンの色が変わった。

頭のおかしな人みたいな話だけど、本当に変わった。

艶が出て色が濃くなって模様がはっきりとした。

先月妹がインフルエンザで新潟に帰って来た時、そのパワーストーンを久しぶりに見て
「えっ(´⊙ω⊙`)?これどうしたの?いつからこんなにマットな感じになったの?」
と度肝を抜かれてビックリするぐらいに色が変わった。

オルゴナイトとずっと一緒にしてたらこうなったと妹には説明した。

石の色が変わるぐらいだから、これは絶対にいい!と当時の私は思って、その後2人の友達にプレゼントしようと2回目は1人で買いに行った、大寒波のさなか。

その2人の時はかろうじて「なんとなくこれかな…?」と思って買ったけれども(ペンジュラムにももちろん聞いた)、それ以降はもう1人別の友達と今私の手元にある最後のオルゴナイト以外はもう全く私にはどれを見ても差なんか一切わからなかった。

最初にプレゼントした1人が、名古屋の頃からお世話になっているSさんで、Sさんは即座にオルゴナイトを気に入って、それでSさん経由でものすごい数の人たちの分をお願いされて買いに行くようになった。

途中、私がピンときた人2人には連絡を取って、二度一緒に買いに行った人たちがいる。

妹と合わせて同行した人は3人だったけれど、私は妹含めて目の前の人を見てもその人にどれが合ってるかなんて全然わからなかった。

本人がこれどう?と聞いてきたって私にはわからなくて、都度都度ペンジュラムで聞くしかなかった。

合計で37個のオルゴナイトたちの購入の現場を見たけれども、私はパワーストーンの知識も皆無だし、オルゴナイトは見てもわからない人だから、頼まれた人たちのものはすべ
てペンジュラムに聞くしかなかった。

これがすごく不思議で、ペンジュラムは私さえもどこの誰かも知らない人の分をすべてピンポイントで選んでいく。

どの人の分も1つしかYESが出ない。

写真の中に同じ風に見えるオルゴナイトが3つある。(写真4枚目の3つ並んだオルゴナイト)

これは実際に買った分だけど、それぞれの人たちにそれぞれのものが行っている。

私には見た目もだし中身もだけど、差がない。

私にはわからない差でも、ペンジュラムはその微細な感覚ですべてを拾ってくる。

左の持ち主には左のものを、真ん中の持ち主には真ん中のものを、右の持ち主には右のものを、とペンジュラムが指定した通りにしないとペンジュラムは即座にNOを出していた。

基本的に、Sさんも頼まれてる時点で、Sさんが事情を知る人と知らない人とがいて、知らない人の分に関してはSさんも後日談として話を聞いて、そしてその聞いた分を今度は私に教えてくれて、それでピッタリのものが行ったことを私も知れた。

ちなみに知っている人の分に関しても、Sさんは「新潟の子がペンジュラムでピッタリのものを選んでくるから、それに任せていたら大丈夫!」と説明してくれていた。

だから、保育園内の場の浄化に使いたいと希望された特殊なケース1人だけを除いては、全員一任されて具体的なその人の状況とかは何も知らずに、ペンジュラム1本で選んでいた。

驚くぐらい、各自にピッタリのテーマや効能のオルゴナイトが行き渡った。

何でその人には間違えてそれが行ったの?なんて人は1人としていなかった。



話は戻して、2回目にお店を訪れた時のこと。

妹と行った日は、家族経営されてる中のお母さんが店番をされていて、オルゴナイトに関しての質問をしても「娘が担当しているものだからわからない」と言われていた。

お母さんいわく、娘さんはほとんどお店に立つことがないとのことだった。

友達2人分のオルゴナイトを買った時もお母さんが店番をされていて、レジで精算する時に「これすごくいいですね!!」と感想を言っていた。

そうしたらそれを聞いた娘さんが奥から出てこられて、私に挨拶をされた後、オルゴナイトの話を色々聞かせてくれた。

それがミキさんとの最初の出会いだった。

当時のブログより抜粋。


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私は娘さんに会うまでてっきり娘さんが作っているのかと思いきやそうではなく、娘さんの整体・マッサージのお客さんの1人が作っていて、それで娘さんから施術を受ける時に毎回オルゴナイトを持ってくるということがわかった。

娘さんは単に委託販売という形で関わっているだけということもその時初めて知った。

ネットで見るとオルゴナイトは誰でも簡単に作れるというようなことが書かれているけれど、実際はそんなことはなく、材料ももちろんだけれど、それ以上に制作する場所自体も相当きちんと設定しないといけないようだった。

場の浄化はもちろんのこと、その繊細なエネルギーを受け止められるような状態にすることが常に求められるようだった。

値段もネットで見ているものたちに比べると半額近い値段でびっくりしたと言ったら、制作者の方はオルゴナイトを生業にはしていなくて、だからオルゴナイトで儲けようというようなことは一切考えていない、だからオルゴナイトそのものもものすごく純粋な状態に仕上がっているんだと思いますと教えてもらった。

オルゴナイトを作る時、その人の意思やその人が持っているエネルギーはそこには一切入れないとのこと、代わりに自然の中にあるエネルギーを余すことなくその中に入れ込むことを徹底しているらしい。

そして私が一番感動したのはここだった。

オルゴナイトがその持ち主のところに着いたら、初めてその個々のオルゴナイトがその人に合わせて力を発揮するように設定している、というところ。

だから店に置いてあるからと言ってオルゴナイトが働いているわけじゃないとのことだった。

さらに娘さんから「どうやって友達の分を選んだんですか?」と聞かれたから、私はこの人になら言っても絶対に大丈夫と思ったから、「ペンジュラムを使って選びました」と答えたら娘さんは即座に納得された。

そして少しだけ私が普段からどんな風にペンジュラムを使っているのかという話をしたら
「過去で使われていましたね^^」と笑顔で返された。

娘さんの言う「過去」は「過去世」の過去。

たったこれだけの情報でそういう言葉をさらりと口にする娘さんを見て、ただ者じゃないなと感じた。

私もその少し前にホロスコープ鑑定でペンジュラムを過去世で使っていたことを教えてもらったばかりだったから、そんな風に言われたことにただただ驚いた。

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今思えば、この後の展開も今に繋がっていたんだなぁと思った。

Sさんの昔からの長い付き合いの大切な友人の1人が保育園の園長先生をされている。

園内の浄化目的のために1つオルゴナイトをオーダーされて、私もといペンジュラムが選んだものを1つ送ったらとても気に入って、さらに大きなオルゴナイトを園内に置きたいからそれを製作者の方にオーダーメイドできないか相談して欲しいと言われていた。

それでミキさん経由で製作者の方に聞いてもらったら、なんとオルゴナイト製作は無期休止状態でオーダーは受けられないという回答が返ってきた。

残念過ぎたけれど仕方なかった。

それにプラスして、オルゴナイトそのものも製作しない=お店にある在庫分のみがその方の作られる最後のオルゴナイトということで、私はそこからまたせっせと個人的に欲しいと頼まれた方たちの分と、私個人がどうしてもプレゼントしたいと会える当てもないくせしてあげたいと思っていた人の分とを買いに行った。

すごい余談だけど、私が個人的に買った分は今も手元にあるけれど、この分だけが唯一自分以外の人の分で見た瞬間に「その人の分!」とわかったものだった。

そしてその時店やネットで見たパワーストーンの効能を見てもなぜそれがその人の元へ行くのかさっぱりわからなかったけれど、そのさらに数ヶ月後、なんと私は、当時どハマりしたホロスコープの独学の先に、そのパワーストーンの新たな効能を知ることになった。

記憶が曖昧だけど、絶版のホロスコープ本を探すのにブックオフ巡りをしていて、そこでパワーストーン事典的なものを見つけて、その中で知った気がする。

その新たな効能を見て、私はものすごーーく合点がいった。

もうこれ以上ないぐらい、その人にピッタリの効能のオルゴナイトを私はなんと見ただけで瞬時に判断していた。

今思うとテレパシーとしか思えないv( ̄∀ ̄)v

それはそうと、残り数少ないオルゴナイトを見ていたから、去年の3月中旬以降に頼まれた分は、そもそも物が確実にあるのかどうかも怪しかった。

そんな折に私は、有給消化も兼ねて1週間ほど姪っ子がいる金沢に遊びに行っていた。

帰ってきたらもうないかもしれない…と思った私は、なんと遠隔でオルゴナイトをペンジュラムで選ぶという新しい手法を用いた。

まずはお店に電話して、オルゴナイトの残りの数を聞いて、どういう配列になっているのかを聞いて一旦電話を切る。

その配列を適当な紙に書いて、ペンジュラムで1人1人の分を選ぶ。

確定したらまたお店に連絡して、左から2番目と4番目と…という感じで取り置きしてもらうようにお願いした。

そう、本格的な遠隔ペンジュラム作法を私はその時に発動させていた。

その後も私は2〜3回に1回はミキさんとお店で顔を合わせるようになった。

だから、ミキさんも私のその新たなペンジュラムの使い方を店番係の息子さんや男性経由で知られていた。

その時すでに30個以上のオルゴナイトが私経由で旅立っていて、そして今度はその渡った方たちから続々と色んな奇跡のストーリーを聞くようになった。

パワーストーンの知識ゼロで選んだ人が選んできたとは思えないぐらいに、いや実際はペンジュラムが選んでいるから私は単なるペンジュラムのおかかえ運転手と補佐役でしかない感じだったけれど、とにかくあちこちで起こっているストーリーの展開が異常なほど凄いものたちが集結していた。

私1人だけでは到底起こせないレベルの奇跡が起きていた。

それで私はあまりにもたくさんの奇跡を知ったのとそれのお礼も兼ねて、製作者の方にその方が作られたものたちが今どんなストーリーを紡いだのかそれを伝えたくなった。

ミキさんにお願いして、その方に私が直接会えないか打診してもらった。

それで会えることになったのが4月の桜の時期も終わった頃だった。

実はこれ、本当の本当に大事な流れだった。

もし、オーダーメイドを受けてもらえたとするなら、私はオルゴナイト作家さんに会うことは絶対になかった。

店にあった書面の説明書を見て、その方が素性を明かさないようにしているのはわかった。

だから、そうしたイレギュラーなことがいくつも起こってくれないと、私はその方に会うなんていう発想にはそもそもならなかった。

オーダーメイドの分も、私は園長先生とオルゴナイト作家さんを繋げるところだけやって、あとは2人で直接やりとりすればいいと思っていた。

だけど、その方が無期延期で製作活動を休止されたことで、事はガラリと変わった。

そして、その方に会えるとなったことが、半年後、山で行方不明になったおじいちゃんをペンジュラムで探して欲しいという話にまで繋がっていくわけだから、今振り返ると驚きの他の何物でもない。

オルゴナイト作家さんにお会いした時、オルゴナイト製作中止の事情の1つに、フラメンコの発表会が絡んでいると知った。

9月にフラメンコの発表会があって、その時は先生の縁故でスペインからフラメンコの巨匠を呼んで本場のフラメンコも観れるという話だった。

すごい興味があったけれども、フラメンコと聞いただけで頭の中は諭吉がはねを付けてパタパタと飛んでいく姿が思い浮かんだ。

1枚じゃ済まないでしょう?諭吉さん?などと思いつつ、「すごい興味あるんですけど、差し支えなければ、その発表会のチケット代を聞いてもいいですか?」と聞いた。

そうしたら「たしか2000円で、指定席だと2500円になるって言ってたと思います」と返ってきた。

私は耳を疑った。

もう一度聞いても聞き間違いではなく、私はその時期になったらまた誘ってください!とお願いした。

それで夏ぐらいに連絡が来て、友達と2人分を自由席でお願いした。

その時も、500円差なら最初から指定席でも良かった。

だけど、ペンジュラムはどちらでもいいと言い出して、一緒に行く友達もペンジュラムを持っているから友達のペンジュラムにも聞いてもらって、そうしたら自由席と出たから自由席でのチケットをお願いしたに過ぎなかった。

そうしたら、オルゴナイト作家さんからはオルゴナイト購入のお礼ということで指定席のチケット2枚が送られてきた。

9月のフラメンコ発表会当日を迎えた。

運転が苦手な友達と私は、都市部へ車を出すことはやめようとなって、高速バスで向かった。

会場に着いてみると、なんとミキさんとお店で何回かお会いしたミキさんのお母さんが私たちの席の隣りにおられた。

オルゴナイト作家さんの配慮だったようで、私たちは4人並んでフラメンコ鑑賞をした。

帰りの段になって、私たちがバスで来たと知ったミキさんは、私たちに私たちが乗った地元のバス停まで一緒に車乗って行きません?と声を掛けてくれた。

私たちはありがたく便乗し、約1時間近く車の中で色んなことを話した。

その時にミキさんが、個人的にどうしてもはっきりと知りたいことがあると言って話したことがあった。

合ってるかどうかはわからないけれど、私ペンジュラムで見ることはできますと言って、それで車内でミキさんの質問の答えを出した。

それが本当に合っているかどうかはわからないけれど、ミキさんはその答えにとても満足されていた。

それから約2週間後、ミキさんから私にfacebookのメッセンジャーにメッセージが入っていた。

知人で山で行方不明になった家族を捜索している人がいて、そのご家族から私のペンジュラムで居場所を特定することはできないかと相談があった旨書かれていた。

私はそのメッセージをもらう直前に、東京でiPhoneの画面が使えないぐらいに割れたから、機種変をしたばかりだった。

だからそれは1ヶ月半近く読まれずにずっと放置されていた。

その1ヶ月半後、フラメンコの帰り道にミキさんが話していたミキさん主催のイベントがあって、それについて詳細を確認したくて11月の初めにミキさんに連絡を取ろうと思って、私はそこでようやくメッセンジャーを新しいiPhoneでダウンロードして開いた。

そうしたら、その遭難された方の話をそこで初めて知った。

そこから先がこの『奇跡の果実』シリーズに繋がっていく。

ミキさんと山で行方不明になったおじいちゃんのご家族のAさんとは長年の付き合いで、Aさんは「私は本当にミキさんをお姉さんのように慕っているんです」と言っていたぐらい、ミキさんのことを人生の師のごとく話されていた。

そのミキさんのご推薦が武士俣さんだったわけで、まぁ武士俣さん、猫をかぶったのか?と言わんばかりの好評価をいただいてのペンジュラムを使っての捜索のお手伝いに繋がっていった。

だから、看板も宣伝も一切出してない、なんなら引きこもり気味の私に、まさかの白羽の矢が当たった( ̄∀ ̄)。

1年前の1月から4月ぐらいまでは、私はオルゴナイト活動と物との対話の趣味に大忙しだったわけで、まさかその活動が死者の霊魂とコンタクトを取ることをはじめとするこの一連の流れに繋がっていくなんて、想像すらできないことだった。

そして、あのオルゴナイト活動こそ、私に本当の意味でペンジュラムを他人のために使うことを教えてくれた大切な活動だった。

当時の写真を冒頭の写真に載せたけれど、例えば3枚目の同じに見えるオルゴナイト3つ、あれは先に話した通り、それぞれの持ち主が決まっていた。

私にはみんな同じにしか見えなかったけれど、ペンジュラムはそれぞれの人たちにどれがいくのかきっちりと指定していた。

4枚目の写真は、遠隔で金沢から電話で私が選んだものたち。

例えば一番右と左から2番目の透明に緑がかったもの、あれは同じパワーストーンが入っているかと思いきや全く別のものが入っている。

私にその目利きなどできるわけもなく、ペンジュラムに言われるがままにそれぞれの人たちに送った。

どれもこれも全員ピッタリのものが旅立っている。

金沢で実物も見ずにペンジュラムはそれぞれの人たちにピッタリのものを選び抜いていたわけで、しかもその時のBGMは『おかあさんといっしょ』か『アンパンマン』だったと思うけれど、そんなの関係なしにペンジュラムは淡々といつも通りに私に聞かれるがままに答えていた。

5枚目の最後の1枚には全く別の新しいストーリーがある。

そこに至るまでも他の出来事があった。

途中で書いた、今も私の手元にある他の人向けへの最後の1つのオルゴナイトが、これから話すことを最初に私に教えてくれた影の功労者だった。

そのオルゴナイトは、私に「ペンジュラムを使って物と対話する」ことを教えてくれた最初の先生だった。

それを本人の手に渡るまでにどう保管するかを検討した時のこと(2018年3月)。

私が良かれと思って最初設定した保管方法に、いきなりNOが突き付けられた!(◎_◎;)。

それでどういう置き方だとオルゴナイトがOKするのかを探る必要が出てきた。

オルゴナイトの意志なのか未来の持ち主の意志なのかは知らないけれど、そのオルゴナイトはものすごく細かなリクエストがあった。

そのオルゴナイトの置き場を定めるのに、私は8時間労働の後、家に帰ってきてから、ドタバタと部屋中の荷物を色んな位置に移動させてどういう置かれ方が良いのかをひたすら実験した( ̄∀ ̄)。

オルゴナイトは親指の第1関節ぐらいの大きさ、今高さを測ったら3センチだった。

それを8畳間の部屋の中、 部屋の中の物も移動させながら、そのワガママお坊ちゃま気味なオルゴナイトの声をひたすらペンジュラムで聴くという、本当に滑稽な作業に私は精を出していた。

そのおかげで私は「物の声を聴く」という新しい趣味をペンジュラムで覚えた( ̄∀ ̄)。

それがあったから、その後に購入したオルゴナイトに関しては、私はそれぞれのオルゴナイトにどういう風に普段持ち主から持ってもらいたいのかを聞いた。

保管方法や保管場所、お手入れの方法など、それぞれのオルゴナイトは全く別のことを言ってきた。

そのうちの1つだけは、すごい不思議なことを言っていた。

死んだ家族なのか生き別れの家族なのかは知らないけれども、大切な人から受け継いだ物と一緒にする、というようなことをオルゴナイトが指定してきた。
(どうやってそのことに行き着いたかは、話が長くなるから割愛。一言で言えば「ひたすらYESになるまで細かい質問を重ねる!」)

内容があまりにも微妙過ぎたから、私はSさんに出てきたままの内容を口頭で伝えて、変な誤解とか生むと嫌だからSさんから上手に相手の方に説明して欲しいとお願いした。

当然、Sさんも私もそれが何を意味しているのかなんてその時は知らなかった。

オルゴナイトが持ち主の女性の元へ届いた後、Sさんはその方から「ちょっと見せたいものがあります」と言われて会ったとのこと。

やけに大きな荷物を持ってこられて何かと思えば、亡くなったお祖母さんの形見の帯だった。

それが見事にその方の元へ旅立ったオルゴナイトの色とピッタリ重なっていた╰(*´︶`*)╯♡。

本人も大層喜ばれて、ずっと使い道がなかったその帯を、オルゴナイトを入れる袋に生まれ変わらせると言われていたとのこと。

ペンジュラムが私に言っていた「その引き継いだ物と一緒にすると、そのオルゴナイトはますますその人を守る力が強くなる」という意味がよくわかった。

こうしたやりとりも含めて37回私はオルゴナイトと人とをペンジュラムで結んだわけで、そこには色んな人たちの色んなストーリーが関わっていた。

帯の方みたいに、私なんかはさっぱり知らないどこかの誰かと、その方のお祖母さんの形見と、それらをすべて見越してその人専用のオルゴナイトをペンジュラムは選んで、さらにはそのオルゴナイトの普段の身に付け方までペンジュラムは指定してきた。

ここでは書かないけれども、他にもオルゴナイトにまつわる色んなストーリーがあって、それぞれの人たちは非常に喜ばれていた。

だから11月にペンジュラムで山で遭難した人をペンジュラムで探す依頼を引き受けられた。

ペンジュラムは山で行方不明になった方やそのご家族の力に必ずなってくれる、私はそれを本当に信じられたから、だから引き受けられた。



「サニワ」というたった一言で、これだけのことを思い出した。

私は自分のペンジュラムが大好きだし、本当に自分の一部だと思っている。

いつもこうした何か他の人のためにペンジュラムを使う時、二人三脚だなと感じる。

私が全く持っていない知恵や情報でも、ペンジュラムはどこそこから引っ張ってくる。

そして、相手のためにいつも全力を尽くしてくれる。

おじいちゃんの件は間違えない方が当然良かったわけだけど、それでも私はペンジュラムが色々してくれたことは私1人では絶対にできないことばかりだったから、1つも後悔していない。

そして力の及ばなかったペンジュラムと私とで、本当に申し訳なかったです、と私はものすごく納得して心から謝ることができた。(謝って済む話ではないにしても)

私が自分の専門外に手を出したことに気付かせてくれたのもペンジュラムだったし、少なくともペンジュラムが出した答えに関してはもう私の方ではそれ以外はなかった。

何十回と質問をして、質問も同じことを聞くにしても違う聞き方をして、それで整合性が取れているかも全部確認した。

現地でも、地図から読み取った情報と同じところにしか反応が出なかった。

それでも間違えたのはもう仕方ない。

ご家族の気持ちを入れずに言えるとするなら、本当に私は仕方ないと思っている。

やるだけのことをやって結果ダメだったことは、それは敗北や失敗ではなくて、「結果」だと私は受け止めている。

そしてこれは私個人のことだけど、そんなこんながあったことで、Oさんからサニワの話が出され、さらには私も意を決してペンジュラムが何と繋がっているのかを聞いた。

聞いたら、私の過去世と思しき男の子のことを真っ先に言われた。

そして、いつか近い未来に、私はその男の子の自分に会いに行けると思う。

Sさんが前世療法を習ったタイミングで、私は私で自分とペンジュラムを知ることになる。

手元にある最後のオルゴナイトの謎も解けると思う。

書いていて何の話をしているのかわからなくなるけれど、実はこれだけたくさんのストーリーが後ろに隠されている。

そして、何が出発点なのかいつもわからなくなる。

私が冒頭のあたりで「このサニワの話が大事だったのは、私にはもっと別の重要な意図があった」と言ったのは、こうした見えない部分の事情がたくさんあったからだった。

1年前に私のところにやってきたオルゴナイトは、こんなところまで私を連れてきてくれた。

そして絶大なる影の功労者のもう1つのオルゴナイトも、スーパーアシストをしてくれてる。

ワガママお坊ちゃま風吹かしてるけど(o^^o)、本当にすごいヒントをくれた恩人とか師にあたる。

色々助けられているなぁといつも思う。

こういう諸々を含めて、魂のご縁たるものは凄いなぁと感じる。




【写真説明】
1枚目:オルゴナイト(左)とペンジュラム(右)


2枚目:オルゴナイトと「マット」と妹に称されたパワーストーン(ラリマール)

※ラリマール[日本での通称:ラリマー]は、ドミニカ共和国原産の天然石。
余談だけど、本当にこの石と同じぐらいに綺麗な青色をしたカリブ海の海の近くの小さな町でしか産出されない石。
町の人口は数千人規模だと思う。
それぐらい小さな町の小さな鉱山みたいなところでしか発掘されない石だと聞いた。
私も石から削る作業を一度だけ工房でさせてもらったけれど、私がした時は野球ボール大ぐらいのコンクリート片みたいな石を削って、それで中から出てくるのが10円玉2〜3枚重ねたぐらいの大きさの写真みたいな青色の石が出てくる程度。
産出量は極めて少ない。


3枚目:私には区別がつかない同じパワーストーンが入ったオルゴナイト3つ


4枚目:オルゴナイト活動の一環。遠隔で金沢からペンジュラムが選んだオルゴナイトたち


5枚目:ペンジュラムが繋いだ、オルゴナイトと形見分けの帯

3枚目4枚目のオルゴナイトたちと比べて見たらわかるかと思うけれど、オルゴナイトの色は本当に色んな種類があった中で、その方に渡ったものがその色で、そしてお祖母さんの形見である帯の色とシンクロしてたなんて、凄すぎる確率だと私は思った。

それを察知していたペンジュラムの底力は計り知れない!

(5枚目の写真が残されたままなら、ご本人からもOKが出たということ!
今確認してもらっていて、まだ返事来てないけれど、次の記事たちが詰まっているから先に出すことにした。NGなら、その時点で写真を引っ込める予定。
良い話だから、多分OKして下さると私は勝手に思っている( ´∀`))

2019年2月22日金曜日

奇跡の果実▷ウラ話⦅11⦆人間交差点






>>>2019/02/20
乙女座満月(スーパームーン)

『奇跡の果実』シリーズをひたすら書いている。

本当は1月中に終わらせる予定でいたけれども、2月に普通に延び、さらには3月に入っていきそうな予感がしてならない(  ̄Д ̄;)。

昨日から今日にかけて、3人の方からブログ掲載の件に関して了承を得た。

これから登場予定のギフテッドのAくんとお母さん、そして私がどハマりしている動画の方。

動画の方のサイトや人物に関しては、奇跡の果実シリーズが終わったらきちんと正式に紹介しようと思う。

ギフテッド親子組に関しては、ものすごい協力をもらっている。

しかも、2人とも二つ返事で自分たちのことを開示することに関して快諾してくれている。

ものすごく有難い。

2人の具体的な話なくしては、これから先のストーリーに精彩を欠いてしまう。

私が今ひたすら書いているその理由は、書けば書くほど、その時には見えていなかったストーリーや重要なファクターに気付くから。

実際に書いている最中に気付くこともとても多い。

多分、普段だったら見過ごす。

だけど、今回は見過ごさずに1つ1つを拾い上げることが大事なんだと思う。

細部に宿っていることこそ、あとあとすごく大切な流れを運んでくることも珍しくはない。

早ければ今月中にある程度終わりが見えてくると思う。

その時に私が何に気付いて何を感じるかはわからない。

中にはずっと継続して読んで下さっている方たちもいる。

そういう方たちの中にどんな新しいストーリーが生まれているのかも個人的にはとても気になる。

いずれにせよ、これは最後まで大事に温め続けたい、そして私の持ってる最大限の力で言葉を通じて発信していきたいと思っている。



>>>2019/02/21

1組の親子の話がある。

もう1日か2日すると、書く予定になっているもの。

私は当初その話に関しては良いところだけを抽出して書こうかと思った。

美談に仕立てたかったわけではなく、親子の人生の話だから、あまり詳細に書くのもどうかと思ったから。

いくらアルファベットで名前は伏せられているとは言え、あまり赤裸々に書くのもどうかと思って、それで良い部分だけを書こうと思っていた。

私の中で変わったのは、子ども側とやりとりした時だった。

この子がその話の主人公の1人、ギフテッドの子になる。

ギフテッドの彼、Aくんは、自分のことを表に出すことを全て快諾してくれた。

Aくん側の事情は世間的には決して明るいものじゃない。

むしろ、周りは影でこそこそ本人のいないところで色々言うような感じのものになっている。

それでもAくんはそれを出すことを構わないと言ってくれた。

私が具体的に書きたいことを列挙して念押ししたけれど、それでも問題ないと言い切った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

特に書かれて困ることは無いので、なにを書いて頂いても大丈夫です!

全てお好きなように書いてください!✌️

(私が詳細を説明)

全部大丈夫です!✌️

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして、その話とは別に英語の添削も返した。

彼は正真正銘のギフテッドなだけじゃない。

とにかく、人間性が素晴らしい。

その素晴らしい人間性が彼の書く英作文に表れている。

私はお母さん側にも、お母さん自身が語られた言葉を私に出させて欲しいと思った。

お母さん自身が自分の子育てに関してずっとずっと猛省していたことがある。

それに対しての1つの明確な答えが今回の話に繋がっている。

お母さん側は当然抵抗や心の痛みが生まれると思う。

でもだからこそ私は逆に出したいと思った。

それはお母さんを苦しめたいからじゃない。

お母さんが今度は自分のしたことに対してずっと抱え込んできた自分自身の中の痛みを解放して欲しいから。

お母さん側が「ひどいことをした」と思っていることがある。

たしかにそれだけを切り取ったらそういう風な解釈になっても無理はない。

だけど、そうじゃない。

真実は今はっきりと目の前に表れていて、私はそれを第三者的な立場で見ているから、その真実を私の視点で伝えたいと思っている。



>>>2019/02/21

今日1人の短期間の英語の勉強のお手伝いが終わった。(↑上のギフテッドのAくん)

そして明日もう1人の子どもの英語の家庭教師が最終日となる。

よく思い出したら、その子は私が大人になってから初めて抱っこさせてもらった赤ちゃんだった。

15年前、友達の中では初めて子どもを産んだその友達のところに何回か遊びに行かせてもらって、毎回私はその小さな小さな赤ちゃんを抱っこした。

だから2年前の冬、中学生になったその子と再会した時は、思わず手が伸びて頭を撫でて、こんなに大きくなったんだと涙が出そうになった。

まだ小学校1年生ぐらいの時だったかな?

子ども3人を連れて旦那さんが友達を迎えに来た日、「お父さん、お母さんの友だちにあいさつしなきゃだよ!」と言ってその子がお父さんを店内にまで連れてきたことがあった。

うちらみんなで大笑いしながら、「超しっかり者になったじゃん!」と言いながらその子を見たのが多分最後だった。

だから大きくなったその子の姿に本当にビックリした。

ベラベラとたくさん喋るタイプの子じゃないし、2年間見ててもさほど自分のことはそんなに喋らない子だった。

基本的に私が話を振って、そうすると本人もようやく喋る、そういうタイプの子だった。

いかにも第一子という感じの子。

本当にすれてなくて真っ直ぐで純真で、そしてものすごいマイペース。

マイペースだけど、コツコツと積み重ねることが自分のペースで出来る子で、それがその子の強みにこれからもずっとなっていくんだろうなぁと思って見ている。

今日公立高の倍率が出たと言って友達が言っていて、なんとその子の受験する学校は110人落ちる。

新潟県馬鹿なのかと本気で思っているけれども、急激なクラスの削減でここ2年3年は、この辺りの上位3校で300人近い子どもの不合格者を出している。

っていうか、教室余ってるでしょ?と思う。

各校もう1クラスずつ増やしてもまだそれでも180人近い子が不合格になるという異常事態を県はどう見ているんだろう?と思う。

この辺りは私立はその3校とは比べ物にならないぐらい低いから(←しかも2校しかない)、そんなに前途ある子どもたちを私立に回すとはどういう神経なんだろうか?新潟県教育委員会!、と大真面目に思って見ている。

話が逸れた。

その子の家庭教師も終わるというこのタイミングで、私は友達に自分のことを話そうと決めた。

かれこれ25年の付き合いになるし、実家にも東京の学生時代のお姉ちゃんと住んでたアパートにも旦那さんの実家にも色々伺っている仲ではあるけれど(旦那さんのお母さんからは「武士俣さん」と名前まで覚えてもらっている 笑)、なんならこのお義母さん経由で私は見合いの話までもらって人に会ったぐらい!

それぐらいの付き合いの友達ではあるけれど、私は自分のぶっ飛んだオカルトワールドの話は一度もしたことがない。

友達がどうこうというのではなく、私も普通にわかる、そういうことに少しでも興味のある人とない人。

友達はない人なのは見ていたらわかる。

そして、仕事に子育てに本当に忙しいから、それどころじゃない。

私はこの友達にはきちんと軌道に乗るまでは言わない気でいた。

余計なことを言って関係がおかしくなるのも嫌だと思っていたから。

でも、今は気持ちが変わって、きちんと話しておきたいと思った。

理解して欲しいとかじゃなくて、とにかく私の口から伝えること、それが私は大事だと今は思っている。

ましてやこれから先も付き合いが続くとなれば尚更のこと。

第三者から伝えられるなんてことだけは避けたいと思った。

私だったらショックだから。

なんでそんな大事なこと話してくれなかったの?って思うから。

だから、理解云々ではなく、その友達との関係を私がどうしたいかなんだというのがはっきりとわかった。

はたから見て私が意味不明な状況、ましてや田舎では丸っと世間のレールからは思いっきり外れているわけで、結婚もしなければまともな職にも就かない、ましてや無駄に高学歴みたいな。

色々突っ込みどころ満載過ぎる。

私だってこの先自分がどうなるかなんて全然わかんないけれども、もうオカルトワールドは避けれないし、死ぬまで何かしらはやっていくことになるのは確定したも同然だと思っている。

とにかく伝えること、それだけだと思っている。

私の中身なんていうのは、世の中の9割の人たちからは後ろ指差されるものだと思っている。

だから理解して欲しいなんて、そんなすごい無茶苦茶なことは相手には求めない。

わからない人にはわからない世界だと思うから。

だけど、私がたとえ何であったとしても、1対1の人間関係の中で私がどれだけ相手と真摯に向き合えるか、そこだけしか私が相手に伝えられるものはないんじゃないかと思っている。

そしてそこだけは私が外したくない。

だから、昨日友達には、子どもの家庭教師が終わったら私の仕事の話をしたいから少し時間が欲しいとお願いした。

友達は快諾してくれた。

そうしたら今日の午後、友達は仕事中(笑)に私にLINEをくれた。

「ブッシーの大事な話ゆっくり聞きたいから、来月お昼ご飯でも食べに行きませんか?」

「明日でもいいんだけど、邪魔が入りそうな気がして( ̄^ ̄;)」

私はこの友達の言葉がめちゃくちゃ嬉しかった。

もう、わかってもらえなくても、私が大事な話をしようとしてることだけでもわかってもらえたことが本当に嬉しかった。

私にはそれで十分だった。

だから私は明日友達にペンジュラム見せたり他にも怪しげなものたちを持参して見せようと思っている。

コソコソとしているよりも堂々としている方が、私はその友達に対して自分がそのままでいられる、そう思えた。

自分の決断が本当に良かったと思っているし、そして何よりも友達が耳をきちんと傾けてくれようとしているそのことに何よりも私が救われている。



【写真解説】
前のズタボロiPhoneから写真のデータを一部持ってきた。

これから数回に分けてアップしていこうと思う。

本当は3枚以上載せたいけれど、私のiPhone操作力だと4枚目を貼ると誤作動が起きる(  ̄Д ̄;)。

写真が消えたり本文が消える∑(゚Д゚;)!

相変わらず、すごい機械音痴を発揮して、普通には起きないだろうエラーを体験している。

だから3枚ずつ。
→【追記:4枚いけたかも!?】



[1枚目タイトル:iPhone広告]

2014年7月11日付になっている。

朝のバス停にて。

当時買ったばかりの人生初スマートフォンの広告をいつも仕事に行く時に乗っていたバス停で見つけて、1枚パシャリと撮ったもの。

私は水色。

まさかそのiPhoneが最後、死者の人とコンタクトを取ったシンボルになるとは、この時予想できるはずもなかった。

本当にまさかの出来事だった。



[2枚目タイトル:ツインタワー]

今はだいぶ名古屋駅前の景色も変わったと思うけれど、2014年の夏にせっせと通っていた当時の職場。

上のiPhone広告のバス停から毎朝通っていた職場。

ツインタワーと呼ばれる右側のタワーの上から何階か忘れたけれど、40何階みたいなところが当時の派遣先だった。

派遣開始から1週間くらいの時、ビル全体の避難訓練があって、20分ぐらい延々と階段を1階まで降りた。

降りてる時は良かったけれど、翌日からきっちり1週間、歩けないかと思ったぐらいの筋肉痛になってすごい辛かった( ̄ཀ ̄;;)。

ビルも綺麗だしオフィスも綺麗だったけれど、中に入ってる人たちはなかなかすごい人間性の人が多くて、私は毎日ビックリすることがあった。

例えば、コピーとか共用機器なんかは、普通は列に並んで順番に使うものだと思うけれども、その会社の男の人たちはバカなのか、平気で順番を追い越して割り込んだりする、しかも無言でΣ(゚д゚lll)。

いつだったかは、事務の正社員の女性の誕生日だった。

私と変わらないぐらいで、だから30代前半、そのぐらいだったと思うけれど。

何が驚いたって、高島屋のデパ地下で彼女のために購入された高級菓子、しかも好みとかうるさい人だから買った人たちはすごい気を遣って用意したのに、「えー?これ?私◯◯の方が良かった!」と真顔で言っていて、私は開いた口が塞がらなかった。

一生文句言ってろ( *`ω´)と思った(激怒)。

とにかくそういうチンチクリンな、人間としてどうなのそれ?みたいな人たちが後を絶たなくて、すごいカルチャーショックを受けた会社だった。

自分がいた係のところは穏やかな人たちで構成されていたのが唯一の救いだった。

そのオフィスと最後に新潟の田んぼだらけの中にポツンと現れた倉庫みたいな事務所とを比べた時、施設はどう考えてもツインタワーに軍配が上がるけど、人は断然倉庫のような事務所の人たちの方が良かった。

男性が多いのは両方のオフィスに共通していたけれども、そしてその会社も全国展開の会社で本社は東京にあるところも一緒だったけれども、人は断然倉庫事務所の方が比べものにならないぐらいに良かった。

もちろん会社だからお気楽な人間関係とはいかなくても、そこに流れてる空気は良かった。

ヒーラーのOさんが当時の上司のことを、「空気清浄機みたいな人」と比喩したけれど、本当にそうだったと、写真の整理をして思った。

ツインタワーの時と比べたら失礼なぐらい、本当にきれいな清らかな空気を出されていた。

異動に伴って、その上司の後輩が次を継いだけれども、やっぱりその時とも違っていて、本当に場の空気がピンと整うのはその人の時だった。

口数少なくて静かな人ではあったけれども、何を醸し出してるのか、本当にきれいにする、その場の空気を。(机は雪崩が起きそうなぐらいの惨状になっていたけれども( ̄∀ ̄))

今ちょうど書いていて曇りだった空から太陽が顔を出して陽が差し込んできた!

あの曇りから陽の光が入ってきたちょうど切り替わりの空気感とでも言えばいいんだろうか、その人が放ってたのはそういう空気感だったから、それが事務所全体に浸透していた。

事務所の雑多さとか男臭い感じとかは関係なくて、空気感は断然そちらの方が数千倍きれいだった。

最初それは私の色メガネでそう見えてるのかと思っていたけれども、ヒーラーのOさんがどうやって視えてるのか知らないけれど、その空気感について触れていたことであれは私の気のせいではなく本当にそうだったんだとわかった。

空気清浄機って言われて嬉しいかはよくわからない言葉ではあるけれど、私からしてすごい高評価の言葉だと思って聞いていた。

私は自分の持ち物や様々なものに対してのダメ出しとは違うけれども色々指摘を受けていたこともあって、Oさんが掛け値無しで褒めちぎるようにその空気感について話していたのは、「本当に良いんだろうな!!!」と私は思った。

だから、その人が場全体の空気をきれいにしていた人だったから、あの倉庫みたいな雑多な事務所は、本人の机の上がどうなっていようが、やっぱりきれいで澄んでいる空気が流れていた。

机のことをからかってるみたいな言い方したけれど( ̄∀ ̄)、ちなみにその人はめちゃくちゃ仕事できる人で能力のすごく高い人だった。

周りの人たちからもそう言われていたから(本人の耳に届いてなさそうなのが残念ではあったけれど)、私の主観ではなく本当に力があったからこそ私も見ていてそれがわかったんだと思う。

ちなみにツインタワーは、メッキが剥がれるとえらいことになるから、だから建物だけでも立派にしておかないといけなかったのかもしれない(´ε` )←毒吐き。



[3枚目タイトル:事務所内]

ツインタワーと比較するための写真を探したら、出てきたのがこれ( ̄∀ ̄)。

事務所の外観はあまりにも特徴がありすぎるからやめた。

社内の写真なんてほとんどないわけで、唯一出しても差し支えない写真がこれだった。

当時一番仲良くしていた女性の机。

最後の日に、お世話になったお礼として、その人が好きなプロレスのブロマイド的なハガキとフィギュアをプレゼントした。

あまりにも机が可笑しいことになっていたから、写真を撮らせてもらった。

「超テンション上がります☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
超癒されます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」
とキャアキャア言っていた。

今本人に写真送りつけて、これはずっと最後までその状態だったのかを聞いたらそうだという回答があって、今は毎日使う鏡の脇に飾ってるとのこと。

この後、4枚目のフィギュアたちの今の写真まで送られてきた!笑

今も健在で現役バリバリに活躍されていた!



[4枚目の写真タイトル:BUSHI]

3体中2体のフィギュアは上の女性がご本人で購入されて、右のものは私がプレゼントした。

ガチャだったから、何が出るかわからなくて、出たら同じものだったという(T_T)。

どっちが私がプレゼントしたものかわかるように何か印を付けてくださいということになった。

で、プロレスファンから絶大な人気を誇る私の苗字「武士俣」にちなんで「BUSHI」と入れた。

武士俣なんてそもそも珍しいから苗字について聞かれないなんてことがまずないけれど、私が初対面の人と会う時、それが仕事とかの公の場でも絶対に話題にのぼるぐらいの話題提供率ではあるけれど。

この仕事で仲良くしていた女性ほど、私の苗字を絶賛した人はいなかった。

「もうプロレスファンなら絶対になりたい苗字ナンバーワンですね!」ぐらいまで言わしめた苗字( ̄∀ ̄)。

その方いわく、プロレスの選手でBUSHIという人がいるらしく、私でも萌える(♡´艸`)♡のにそのファンならもっと萌えますね、絶対になりたいですよ!と言っていた。

多分人生の中で、私の苗字をこんなにも気に入って絶賛してくれた人はその方が最初で最後だと思う。



今回のタイトルを『人間交差点』にしたのは、ここに登場している人たちとのやりとりの甘酸っぱさみたいなのを書きながら感じていて、その1つ1つって小さなやりとりでも
こうして振り返るとその時その時のことがとてつもなく胸に沁みる。

人と人とが交差する点は、その時はそれが日常でも、もう気付くとそこにはいない自分、そこには二度と戻れないことがわかる。

明日もあさっても毎日が普通にあるわけじゃない。

その時その場にしかない瞬間がある。

人と人とが同時に同じ場所に居合わせて、何かを共有する。

それは小さなものであっても、後生ずっと残ることもある。

小さなことが今こうして胸に迫ってくると、その特別さや大切さがより一層際立ってくる。

その1つ1つが本当にやさしくて心の奥に何か大切なものを届けてくれる。

2019年2月21日木曜日

奇跡の果実(16)空飛ぶ種

私ももし霊視とかができるなら聞いてみたい。

おじいちゃんがOさんと私の電話中に現れたその時、その後から今に至るまでの色んなことは計画済みだったの?って。

私は少なくとも、その時にその後起こる色んなことを1つとして想像できなかった。

おじいちゃんの登場は、私の知らない誰かの人生にも大きな希望をもたらすことになった。

思ってもみなかった展開に、私は心底驚いた。

今日2/21現在、すでにその知らない誰かの物語は完結している。

あっという間に事は動いた。

私はもちろんその展開を知って、このタイトルを『奇跡の果実』にしたわけじゃない。

『奇跡の果実』はその名に相応しく、色んな果実をつけて、そして色んな人たちに奇跡の物語を届けている。

もはや物語の方が一人歩きをして、色んな人たちの元へ果実をプレゼントしている状態。

今日はその中の1つの奇跡の果実の話。



Oさんから、おじいちゃんとおじいちゃんの家族を結ぶために共同作業した際、私に対してのあれこれ納得のいかなかったことを伝えられたことは、(14)と(15)のところで話した。

それで私は数年ぶりに怒りを大爆発させて、冷静な判断ができなくなっていた。

その時に、名古屋の頃からお世話になっているSさんから色々相談に乗ってもらったことも書いた。

そのSさんとの電話の時にSさんから聞かれたことが今回の奇跡の果実の発端だった。

それは1月の17日か18日のことだった。

その時まで、Sさんとはずっとすれ違いで電話できなくて、だから私はおじいちゃんの霊魂が現れてそれでOさんと共同でご家族向けにその旨案内するために動いていたことは言っていなかった。

それらしきことはちょっとだけこのブログには書いていたけれども、詳細は書いていなかった。

だからSさんは何も知らないかと思いきや、私のブログを読んでくれていて、ブログに書かれている範囲で知ってくれていた。

大元はOさんとのおじいちゃん一家に向けてのやりとりの相談だったけれども、Sさんから「ぶっしーちゃん、1つお願いできるか確認したいんだけど」と電話越しに切り出された。

「あのね、Oさんいるでしょう?Oさんがされる霊視って言えばいいのかな?死者の方からメッセージを下ろしてもらうそれ、他の子も頼めないか、ぶっしーちゃんからOさんに聞いてもらえる?」

私は二つ返事ではいと答えて、聞いてまた連絡しますとSさんに言った。

Sさんには、Oさんが言われていた注意事項だけ予め伝えて、それだけは今回の依頼者の方に先に伝えてくださいとお願いした。

ちなみに注意事項というのは、Oさんいわく、死者の方の魂と繋がる際、必ずしも繋がるとは限らないということ。

霊界側も必要と判断しないと死者の魂がこちらの人間界には下りてこないらしく、いくら生きている側が望んでもその要望に応えられるかどうかはその時になってみないとわからないと言われていた。

Sさんの話はこうだった。

Sさんはその日たまたま仕事が急遽休みになった。

そんな時に見知らぬ番号から連絡が入って電話を取ってみると、2〜3年ほど前にある講座で一緒になった方からだった。

Sさんはその電話自体をそもそもすごい不思議がっていた。

Sさんは、何かしらの不具合があると携帯電話がよく壊れる人で、この何年かの間で何回か電話を替えている。

番号が変わる時ももちろんあって、その時は当然連絡先がそのまま途絶える人もいる。

今回連絡が来た人は、そういう意味で本当なら繋がりようがなかったはずなのに何故か繋がった、と言っていた。

ちょうど休みで空いていたから、そのままランチをしようということになって、それで急遽ランチをすることになったらしい。

これ休みに今日ならなかったら、そもそもランチも出かけられなかったんだよね、と言われていた。

その時に相手の方から話を切り出されたようだった。

相手の方は、子どもの頃にご両親が離婚されて、姉は父に自分は母にそれぞれついていって一家がバラバラになったらしい。

大人になってからはお父さんとも時々やりとりはしていたようだけれど、この1年ぐらいの間で最後は孤独死されたようだった。

あまりに腐敗が凄すぎて、警察側の配慮で家族の誰もお父さんの最期を見届けることはできなかったらしい。

普通なら誰かしら家族が本人確認をするけれど、あまりにもご遺体が酷い状態だったらしく、警察もDNA鑑定か何かで照合をしてそれで終わりになったようだった。

両親の離婚によりなのか別の理由なのかで姉とは不仲で、お父さんの死後、お父さんに関して全くやりとりができずに数ヶ月が経過。

その方はお父さんに最期どうしても聞きたかった質問が2つ3つあったらしく、それで全国各地のそういった死者の方とコンタクトが取れる人を探して、ようやく東北の方だったかの人を見つけたようだった。

ただ、子どもを1人にして家には置いてはいけないとのことで(1人で留守番はまだ年齢的に厳しいんだと思う)、行くのは春休み、2人分の交通費と宿泊費を出して行くんだみたいな話をされていたとのこと。

それを聞いたSさんは、私がブログでOさんを通じて山で行方不明になったおじいちゃんの霊魂とやりとりしていることを思い出して、それでOさん側はどう返事するかは知らないけれども、聞いてみるねと言って帰ってきた、と話してくれた。

Sさんはしみじみと、こんなことってあるんだね、と言っていた。

要は、本来なら連絡を取り合うような相手ではなかったのになぜか繋がって、繋がったらこういう不思議なご縁が生まれようとしている…、それをSさんはすごくびっくりしながら話されていた。

しかも、そんなことを私が知るわけもなく、私は私でOさんからおじいちゃんの家族への対応の仕方であれこれ言われて憤慨していたから、Sさんにその件でその日の夜にLINEに質問を投げかけた。

今回だけは自分一人で抱え込んで判断するのは非常にまずい、相手に迷惑をかけると思って、それでSさんに連絡を取った。

だから、Sさんとその方がランチで会った半日後には、Sさんと私が電話することになった。

そもそも電話も予定していたものでは全くなかった。

私がOさんからの指摘のあれこれにとにかく全く納得がいかないどころか、数年ぶりに怒りのスイッチが入って、怒り全開となった。

普段なら私は1人で自己完結をするけれども、今回はOさんと私だけのことじゃなくて、おじいちゃんのご家族を巻き込んでのことだから、そのままにはしておけなかった。

話が少し脇道に逸れるけれども、私がそこまで動いた理由がきちんとある。

Oさんから、Oさんがおじいちゃんのご家族とやりとりして、もし本当にOさんが新潟に来て捜索のための霊視をする時は、私に「サニワ」をして欲しいと言われた。

Oさんの説明はこうだった。

霊視で捜索に協力するとなると、Oさんは自分の感覚を全部100%開いて霊界とやりとりをするらしい。

それはとても危険な行為らしく、感覚だけで全部判断するから、客観的に見てそれが正しいかどうか、判断を誤ってないかどうかを第三者から見てもらわないといけないらしい。

その部分を私にやって欲しいとのことだった。

霊感のかけらもない私がしていいのかどうかはさておいて、状況的にご家族も受け入れられてOさんも頼める人となると、消去法で私しかいないわけで、しかも私はペンジュラムでおじいちゃんの居場所を特定することはしたけれどそれで失敗もしているから、せめてもの罪滅ぼしでそれは必要があればボランティアでやりますとはOさんに言ってあった。

それが春以降捜索再開の時に本当に必要となった場合、私はもう一度Oさんと共同作業をすることになる。

Oさんだけなら私の怒りに関しては1人で何とかしたけれど、事が事だったから、おじいちゃんのご家族も関係していて、2人の考え方が揃ってないのはまずいと思った。

本当に私が間違っていておかしいのであれば私は自分を改めないといけないし、そうではなくOさんが何か違っているとするならまたそれは話し合う必要があると私は当時判断した。

ちなみにこの全く相容れないOさんと私の考え方は、最終的に「適材適所」という素晴らしい案で解決することとなった。

Oさんは霊視を担当、私はご家族への細々とした対応や配慮の部分を担当、そうすることでお互いが自分の役割がはっきりするし、ぶつかることもなく、むしろ相乗効果が期待できるやり方に落ち着いた。

話は戻って、1月の17日か18日のSさんとやりとりしていた時のこと。

その時はまだOさんとのやりとりに関しては何にも解決はしていなかったから、私はこれは第三者の意見が必要だと思った。

Sさんはそういうことに関して、個人の感情を一切挟まずにそのことを冷静沈着な目と心で話を聞いて、そして的確な判断をしてくれる。

私が間違っていたらそれも指摘してくれるし、そこに関わる人たちにとって何が大切かを見極める審美眼を持っている。

しかも、色んな立場での経験もあるから、臨機応変に立場を変えての視点から物事を眺めたり、もしくは高い視点から全体像を眺めてそこから細部を見て必要な部分が何かを判断したり、そういうことが損得勘定抜きで真っ直ぐにできるから、私も安心して話ができる。

それで私の対応のあり方とOさんが感じた私のあり方で納得のいかなかったところをそうとは言わずに、あくまでも色んな人的対応に関しての一般的な質問をSさんに投げかけて答えを待つことにした。

そうしたら逆にSさんから電話が来て「ごめんね、何を聞かれているのか、何となくはわかるんだけれど、全然違うことを答えても悪いからどういうことを聞こうとしているのか教えてもらってもいい?」と返ってきた。

それでSさんと私は電話することになった。

だから、当時の私は、そんな別の人とOさんを繋げるためにやりとりをしたのではなく、私側の事情を何とかしなくてはいけないからSさんと電話したに過ぎなかった。

それがまさかのタイミングで、SさんはSさんで、その知り合いの方がOさんの力を必要とする件で私に連絡を取りたがっていたところだった。

こんな風にして、まさかのタイミングで色んなことが繋がって、最終的にはSさんとOさん、そしてSさん経由でSさんの知人の方とOさんが繋がった。

すでにSさんの知人の方はOさんと実際にお会いして、亡くなったお父さんからのメッセージを無事もらえたとのことだった。

しかも、他のお客さんもOさんのサービスを受けることになって、それらを同じ日に合わせてOさんを愛知の方に呼び寄せてセッションをしたとのことだった。

自分たちが東京に行く代わりとして、受ける方たちでOさん1人の交通費を折半して来てもらったようで、その方は仕事の合間を縫って子どものことも心配せずにセッションを受けることができ、さらに当初高額な交通費と宿泊費がかかる予定のところ、それに比べたら格安の値段で済んでとても喜ばれていたとのことだった。

そうやって、必要なものたちはどんどん私の知らないところで繋がっていって、新しい奇跡の果実をもたらしていた。



Oさんにも聞かれたけれども、Oさんがおじいちゃんの霊視の一部を失敗したにも関わらず、どうしてSさんがOさんを紹介することを了承されたのか、ここで触れておきたい。

Sさんがまず何よりも大事にしているのは、必要な人と人とを繋げることで、繋がった人にとって大切なものをきちんと体験するなり手にするなりすることだった。

Sさんがいつも大事にしているのは、「目の前の人にとっての1番」の部分になる。

だからそこに個人的な私情とか想いは一切はさまない。

目の前の人にとってのベストなら、そのベストのためにSさんは私も含めて色んな人たちのために尽力する。

今回の場合で言えば、Sさんの知人の方は、亡くなられたお父さんと繋がることを求めていた。

それはその知人の方にとったら、残りの人生において本人が絶対的に必要としていて、そのためならお金も時間もいとわないぐらいに望んでいたことだった。

Sさんは少なくとも、私のブログからOさんの霊視力は知っていたし、そもそもそれ以前にも私がOさんの話をSさんに時々していたから、Oさんの能力そのものを冷静に判断して評価していた。

私がOさんとのやりとりで(怒りながら)相談した時も、私は最後にこんな内輪の話を聞かせてしまって、それでもSさんがOさんと他の人たちとを繋げていく意思に変わりないかどうかを確認した。

Sさんは、ぶっしーちゃんの話はぶっしーちゃんの話だし、他の人たちの件は他の人たちの件で別物だから、ときっぱりと分けて考えてくれた。

おかげで、Oさんの力を必要としてくれる人と人とが繋がった。

そして、その時に言われた。

「Oさんを自信を持って他の人に紹介できるのは、ぶっしーちゃんの紹介だからだよ!
ぶっしーちゃんは、絶対に変な人とは繋がらないから、そしてそのぶっしーちゃんが本物だと判断した人でしょう。
だから私も大丈夫ってわかるの」

そう言われてとても嬉しかった。

同時に私も気付かされた。

Oさんに限らず私も今後色んな形で人と知り合っていく際、必要な情報を私が持っている時はきちんと相手に差し出そうと。

その情報をどうするかは相手次第であっても、私自身は少なくとも「伝える」「(情報を)共有する」ところまではやりきろう、そう思った。



内容は割愛するけれども、その当時はもっと別の流れがあった。

当初はそれを書く予定でいたけれども、流れはこの2週間ほどで別の流れに入っていったからこの部分はだいぶ内容が変わった。

結局残ったのは、本当に必要な流れだけだった。

そう、もう時の流れは個人の力ではどうにもならないぐらいに、本物は確実に残る道を、不必要なもの・まがいものは淘汰される道をひた進んでいる。

そして残らなかった方の道は、現時点では消えて無くなる方向に事は動いているから、今回はカットした。

それは残ってはいけなかった、ということだと思うから。

で、少なくとも、本当に必要なものは確実に残っているし、私の知らないところでも新しい奇跡の果実を実らせている。

その事実が全てだから、私は見たまま聞いたままのことを伝えるのが私にできることのすべてだと思って、それで今回は淘汰されつつある方に関してはそのままそっとしておくことにした。

多分そちらはもう復活しないと思うけれども、もし復活することがあれば、その時にまた記事にしてこのブログでお披露目したいと考えている。



話はまたすごい飛ぶけれど、私はこれを書きながらすごいことを思い出して、1人で「あーーーーーー!(◎_◎;)!!」となってた。

「サニワ」と書きながら思い出したことがあった。

そして、それを思い出したら、また色んな点だった出来事たちが全部1つの線で繋がった。

本当はそれもここに書こうと思ったけれど、それ書くとめちゃくちゃ長くなるからその「あーーーーーー!(◎_◎;)!!」となったことは、次の記事で書いてアップする予定。

2019年2月20日水曜日

奇跡の果実(15)自分の資質と才能

おじいちゃんのご家族Aさんと会った翌日に、Oさんからそれまで私とやりとりしていた時に溜め込んでいた納得できなかったあれやこれを箇条書きにしたものが送られてきて、それで私が怒った話を前回はした。
(前回=『奇跡の果実(14)愛のプレゼント』)

名古屋にいた頃からとてもお世話になっているSさんに今回も助けられ、そして大切な色んなことにも気付かせてもらった。

今日はもう1つ別の側面で気付かされた大切なことの話をしようと思う。

今回は私の話しか出てこない。

ひたすら武士俣史子分析話になる。

興味がある奇特な方だけどうぞ(♡´艸`)。



Sさんから話を聴いてもらって落ち着いた私は、今度はOさんが言ったことのどの部分が引っかかっているのかを見始めた。

得意のノートを出してきて、私は1つ1つ紐解いていった。

私がなぜに今回そこまで力を入れて動いていたのか、Oさんが言うようにおじいちゃん家族に対して腫れ物に触るかのごとく動いていたのか、その理由を見ようと思った。

書き出してみて驚いた。

驚いた理由は後ほど説明。

以下がノートに書いたこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・今回はスタート地点が違うこと。
→通常ならお客さん側が興味を持ってサービスを申し込んでくるところ、今回は私たち側からの提案だということ。
イコール、相手はそもそも興味すらない状態からのスタートだったということ。
(注:おじいちゃんの霊と繋がったと言い出したのはOさんと私で、ご家族からそういう依頼があったわけでは一切ないところから全てが始まっていた)

・相手は田舎に住む一般的な人たち。
しがらみや保守的な考えも強い地域。
基本的にスピリチュアルな知識もなければ興味もない。

・そもそも私自身が秋にペンジュラムで捜索の手伝いをした時に失敗している。

・さらにはOさんがおじいちゃんの霊視をした際の情報3つと実際のおじいちゃんとが異なっていた。(←家族に会う前にLINEにて確認した)
すなわち、Oさんの霊視も間違えていた、ということだけが家族の記憶に残っている。

・家族は半信半疑どころか、ほぼ疑って話を聞いているだろうことは予想がつく。

・そういう人たちにそもそも興味を持ってもらって、おじいちゃんや家族を繋げる、互いのメッセージ・願いを伝え合う場を確実に作ることが、当面の最大の目標。

・それらを踏まえて、通常の対応ではいけない、まず家族をその土俵に乗せるための特別な配慮が必要。

・おじいちゃんと家族を繋げるためにはOさんの霊視力が必要不可欠。

・家族向けに、Oさんの霊視力を受け入れるための準備が必要。

・Oさんを手段とするなら、そもそもその手段を受け入れられるように配慮が必要。
その配慮の一環として、今回は目で見える紙ベースの「資料」が必要。

・ただでさえ怪しさ満載なところに、余計な不安や疑いをそこに投入したくない。
そういった不安や疑いを極力排除して、本当に大事なこと(=おじいちゃんとご家族が互いにやりとりすること)に集中できるよう、場を整えることが現時点では何より大事。

・相手のことは変えられないから、私たちが相手のレベルに合わせて、要は自分たちを変えて、できることをやっていく。

・Oさんが言われたことは私もそれには同感だし、それでいいとは思っている。但し、それは私たちの考えであって、家族の考えではない。
今回は、家族側の意向に合わせることが大事。私たち側の意見は完全に脇に置いて、相手の望むところを最優先にして対応する。

・腫れ物に触るかのごとく私が対応している件に関して
→他の人たちのケースと比べて大切とか重要ということではなく、ご家族の背景に合わせて特別な配慮が必要だからそうしているだけ。
特別視しているのとは違う。

(注:スピリチュアルな観点から言うと、どんな問題にも優劣はつけないし、誰かのことを特別視することもしない。公平平等のような考え方を基本軸にしている。
もちろん、対応は臨機応変に、特別配慮が必要な時はそれをするのが私からすると当たり前)

・今回は相手からの依頼ではないから、とりあえず細かいところに関しては、相手の方たちがそこに余計な感情を抱かないようにすることが大事。
どういう在り方だと安心するのかは人によって違うけれども、基本的にそこがわからない時は世間一般的な基準に合わせて身なりや格好を整えることが大事。
(注:「余計な感情」=疑い、拒否、猜疑心、詐欺を疑うなど)

・相手のニーズを見極める。

・私が最大限したいのは、目の前の人たちを大事にすることだけ=生きてらっしゃるご家族に関しては、その人たちの生活を守る、もしくは脅かさないことが私には最大の配慮だと思っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上のことたちにプラスして、もっと細かい今回のケースならではの特殊な配慮や準備が必要だったわけで、ノートにはまだまだ他にもいくつか大切なポイントを私は書いている。

私が驚いたのは、自分自身の気付く力とその量・スピードだった。

私は基本的に、自分は感覚人間だと思っている。

理論的に考えるとか、筋道に沿って手順や順番を組み立てるとかいうことがとても苦手だと思っていた。

実はそうじゃなかった。

瞬間的に、最終ゴールが何かがわかって、そのために何をしないといけないのか、しかも細部に至るまで目が行き届いてどんな細かな配慮が必要なのか、それら全部を感覚で瞬時にわかる体質だと初めて知った。

「私って天才(o´艸`)!」と自画自賛した。

たしかに感覚人間だけど、私の場合は細かなところまでパッと感覚で理解する、でもそれは単なる感覚じゃなくてきちんと理論理屈があってそれを理屈抜きで感覚でキャッチできることに初めて気付いた。

ちなみに上に書いた【ノートに書いた内容】は、時間にして1〜2分ほどで全部をキャッチしていて、当時はそれを軸にして私はひたすら動いていた。

だから、私が感覚で捉えていると思うのも無理がないわけで、まさか私もそんなに深い内容をそんなに瞬時に自分がキャッチしてるだなんて、今回分析するまで知らなかった。

だから相手ができない・気付かないのではなく、私が出来過ぎ+気付き過ぎなんだとわかった。

昔受けた「ストレングスファインダー」というテストの結果が脳裏をよぎって、私はその結果資料をクローゼットの段ボールから探し出して見つけてきた。

『さあ、才能(自分)に目覚めよう』という書籍があって、それを購入すると表紙の内側にアクセスコードみたいなのが書かれていて、それをネットで入力して約180問近い質問に答えると、自分の上位5つの資質がわかるようになっている。
(興味を持った方がいられたら、コードは1回きりしか使えないので、本は必ず新品で買ってください!)

資質は全部で34種類ある。

2010年の12月に受けた当時は、全然自分の強みがピンとこなかったけれども、今回その意味が初めてよくわかった。

私の資質で1番強いとされるのが「戦略性」。

ちなみにそれ以降は、
・コミュニケーション
・共感性
・最上志向
・ポジティブ
とある。

当時、コミュニケーションや共感性よりも戦略性が上なのが私には理解できなかった。

でも、今回のOさんとのやりとりを経て、私は自分の「戦略性」たるものが何を指すのかはっきりとわかった。

そして私自身の中の最大の強みとして出てきただけあって、すごく自然に普段からできてることに初めて気付いた。

「戦略性」の結果より(テスト結果をそのまま引用)

【戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。
他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる?では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。
そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解ることで、あなたは道筋を選び始めます。
行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。
そして、選ばれた道ーーすなわちあなたの戦略ーーにたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。
これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。】

2010年に受けた頃は、「?」が頭に浮かんだけれど、今読むとすっごいしっくりくる。

学習できるスキルではない、というのはよくわかる。

なんなら、本人ですら、そんな細かな配慮をしながら瞬時に判断して道筋を組み立ててその通りに動いていたなんて知らなかった。

そして、絶対にそのように動くよう、余計な邪魔とかが入らないように、隙間を縫うようにして作戦を立てる。

だから、Oさんからの指摘のおかげで、私はこれまで当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではなく、むしろ人よりも秀でてできていることに気付いた。

これは大きな発見だったし、そして約8年前に受けた強み発見テストの結果の意味をようやく理解・自覚できるところにまで来た。

このOさんの指摘により、他にも気付けた強みは下の通り。

・何が大切かを見極める目
・先を見通す力
・相手のニーズに合わせて対応できること
・(上に合わせて)相手に合わせたオリジナルの資料が作れること
・相手のニーズを最優先にして動けること(=自分の考えや価値観はその場でいくらでも捨てて、相手に合わせた対応ができる)



上の強みとは別に、今回の一連のことをSさんに相談したことで、私の長年の大きなコンプレックスも解消された。

「ぶっしーちゃんはね、一般の人たちをずっと相手にしていたでしょう?それがあるから、ぶっしーちゃんのその対応ができるんだよ!」

Oさんから指摘されたことは、別にOさんは間違っていないし、むしろ私がおかしいのかと思ってしまったりもした。

どちらが良い悪いということではなく、Sさんは私だからこその強みを教えてくれた。

Sさんいわく、私が誰かと向き合う時、その接し方や距離の取り方、話し方、見通しなんかがすごく良いとのこと。
(もう少し別の言い方をSさんはしてくれたけれど、何せ1ヶ月も前のことだから言葉を忘れた( ´Д`;)←それよりも「1ヶ月も経って今ここまでしか書けてない」ことに気付いてガックシ( T_T))

それは、私がずっと一般の人たちを相手に仕事をしてきたからこそ培われたものだとも言ってくれた。

私のコンプレックスの1つに、スピリチュアルな分野に携わるのはいいけれども、そういう分野でのキャリアがあまりにもないことだった。

有料で受けてもらえたお客さんは両手で数えるほどしかおらず、そしてこれまでだっていくらでも始めようと思えば始められたはずなのに、その間私は何をしてたって派遣の仕事を転々としていた。

ちなみに今は、本当に中途半端に始めなくて良かったと思っている。

けれども、32〜39歳(2018年)の秋までの間、ほぼずっとそれは気になっていて、さらに言えばOさんの方がそういう仕事のキャリアとしては断然長いし上なわけで、私は自分の在り方が間違えているのかもしれない…、と最初は思った。

でも、Sさんの一言、「一般の人たちを相手にしてきた」でハッとした。

私の場合、カウンセリングでもコーチングでもない、本当に何をどうしたらこんなことになる?というような内容のものによく当たっていた。

対面・電話問わず、本当によく当たっていた。

塾の保護者懇談の時に、本当に子どもの勉強のことだけを話していた家庭は半分以下だったと思う。

家庭内の様々な事情に始まり、「そんなことってあるんですか?」というような話は後を絶たず、しかも保護者からしても私から先に話が誰かに伝わる心配がないから、ぶっちゃけトークをされていく傾向が全体的に強かった。
(色んな教室を巡回する上司いわく、私が担当していた教室は色んな意味でかなり特殊だったらしい)

離婚、家庭内不和、病気、障害、裁判、遺産、軽犯罪、家庭内暴力、失業による生活苦…、と本当に色んな話を聞いていた。

おかげで、色んな人たちの色んな人生を聞けるようになっていた。

その時その時の私がどんな風に反応したのかなんてもう全部忘れたけれど、多分黙って話を聞くことしかしなかったと思う。

せいぜい何か言ったとしても「それは大変でしたね…」ぐらいなもので、あとは子どもへの配慮が必要そうなものは「私の方で何か普段気をつけること、気にかけた方がいいことはありますか?」ぐらいだったと思う。

そして名古屋にいた頃は、特に周りの人たちの男性率がかなり高くて、私は定期的に会う3人の女性以外はみんな男性ばかりということも手伝って、ますます普通の会話や普通のコミュニケーションが大事だった。

年齢も職業も色々だったから、とにかくその時その人に合わせて話をすることがとても大切だった。

いつかはコーチングの練習のために30人ほどの人たちからマンツーマンで自分の人生を語ってもらった時があって、そういう時に出てくる話の多様性とそれぞれの人たちの人生の大切なものを教えてもらえた。

表には出てこないその人だけの人生の物語がある。

本当に聞かなければわからないことばかりだった。

派遣で4つのコールセンターと1つのすごい特殊な電話担当とを経て、それらも私の想像していた電話の仕事とはだいぶ違っていた。

中には人生相談並みの内容が含まれていたこともあったし、命からがら系の状況下にあって超特殊な対応が必要だったり。

あくまでも、ごく一般的なコールセンターで、「命の相談電話」的な電話とは全く違う。

だけど、なぜかそういう電話にやたらと当たって、当然そんなのマニュアルにはないから毎回その時その時の上司のところに走って対応の仕方を相談した。

私が表面上対応するものは、電気系の修理受付、クレジットカード関連、車のローン、国管轄の申請書であって、命の相談電話じゃない。

だから、一般的な対応力は育まれたけれど、スピリチュアル系のことはさっぱしだった。

色んなスピリチュアルやコーチング系の人たちのブログを見ては、自分は何をしてるんだろう?とよく思っていた。

何かをやろうとしない自分、派遣に逃げ込む自分…、そんな風に当時は思っていたから、本当に苦しかった。

途中からは「私はそういうことをやらない人なんじゃないか」と思った時期も数年あったから、別の道を探さないといけないなぁ…と思った回数も数知れずだった。

そこにプラスして、「30代+独身+不安定な仕事」という肩書のおかげで、社会からの冷たい視線や腫れ物に触りますみたいな感覚にかなりな回数耐えた。

普通なら結婚して子育てをしている、もしくはキャリアを積み上げてる頃なわけで、それらに逆らっているとしか思えない私の生き方は異端なんてものじゃなかった。

途中ニートしたり引きこもりもしたりするから、より一層周りの人たちの腫れ物に触る感は半端なかった。

そういうことを気にしない素晴らしい人たちももちろんいたけれども、一般的な社会では完全にアウトローで、色々とやりにくさや居心地の悪さはおなかいっぱいになるほど体験した。

そんな風だったから、おかげで「一般社会」の感覚は相当鍛えられた。

そして、今思うのは、その一般社会の感覚を身につけておいて本当に良かったということ。

これは私個人の持論だけど、現実的な職務だろうが、スピリチュアルな内容だろうが、相手は人に変わりないから、あくまで人相手だということ。

今回の山で行方不明になったおじいちゃんとその家族とのやりとりを経て特にそう思った。

相手は人なんだということを絶対に忘れちゃダメだということをものすごく学んだ。

そして相手の状況や状態は千差万別だから、やっぱりそれをきちんと見極めて対応するのが大事だと思った。

これは福祉の勉強と現場でよく言われていたことだけど、とにかく「状況査定・人物調査」を徹底すること、それを基に1人1人に合わせた対応を組み立てること、個別化を図ることの大切さをずっと教えられてきた。

そうした1つ1つの積み重ね、当時にしたら「これして何になる?」と思っていたことたちが、今ここに来てとても役立つようになった。

仮に私がこれから活躍できたとしても、とても遅咲きなのは間違いない。

それでも、私はこの40歳になるまでに重ねてきた1つ1つには、今となればもう感謝しかない。

焦らず見切り発車しなくて良かったし、さんざん一般社会でやりとりをしていたから、最初に書いた戦略性なんていうのもすごい鍛えられた。

今はもう後悔していない。

後悔どころか、これで良かったと思っている。

そして、今回のSさんの一言が、私に本当の自信を与えてくれた。

一般社会で積み重ねてきたものは、普通にスピリチュアル業界でも通用する。

むしろそれがないと、とても痛い人になってしまう。

だから、そうしたものたちを長い時間をかけて一歩ずつ一歩ずつやってきたことに、今はそれで良かったんだと心から思えるようになった。

最初はOさんの指摘に激怒していたけれども、結果的に自分の強みを知って、さらには自分のコンプレックスだったものも解消されていった。



この『奇跡の果実』シリーズを通して私が学んだことの1つに「自分の才能に気付くこと」と「自分の才能を受け取ること」が挙げられる。

自分のことは常にそうだから、「みんなもできるでしょ?」とか「こんなの普通」とか「できて当たり前じゃない?」となりやすい。

普通に見過ごす。

見過ごすどころか、そういうことが才能だとも思わない。

挙げ句の果てには、無駄に周りの人たちにイライラする。

無駄に人にイライラするというのは、自分の中ではそれが普通で、それができないもしくは気付かない人を見て、自分と同じレベルのものを求めてそれでそうできない・気付かない人にイライラする。

才能は持っている本人が気付かずにいるのはもったいないのと、そして何より自分が悲しんでいる気がした。

自分の才能たちが「気付いてね」とずっとコールを出してる、そんな感じがする。

そして気付けば気付くほど、自分の持っているものはさらに伸びていく。

がんばって伸ばすのではなく、気付く力が増すから自然と伸びていく、そんな風に私は見ている。

そして、自分の才能に1つ気付くと、また別の才能や資質にも気付けるようになってくる。

そう、私が自分を受け入れ始めたから、それに伴って才能や資質たちにも目が行きやすくなったり、気付きやすくなったんだと思う。

そして、私のこの気付きは本当に大切で、この後私が自分ができることを知ることにより、それが他の人たちの役にも立つということを経験することになる。

1つ前のブログにも書いたけれど、この件に関しても、最初は不都合が生じていた。

私はOさんから言われた諸々のおかげで怒りを爆発させ、手の付けようがなかった。

Oさんの指摘は私からして全く筋が通ってなくて、何を言っているのかと思っていた。
(ちなみにOさんから見ても、私の言っていることは過剰過ぎておかしかったと思う)

でも、色々と冷静に見て、ノートに細かな分析も書き出し、そしてSさんに相談したことで最終的に私が得たのは、自分の強みと資質、私が人生で一番大切にしているものだった。

ちなみに私が人生で一番大切にしているのは、「人」。

だから、私の中にある基準値において、相手が私や私の大切にしている人たちを大切にしてくれてないと感じると、私はブチ切れる。

Oさんとの間に生じた不都合は、自分の才能や資質、人生で一番大切にしているものに気付くための大切なプロセスに生まれ変わり、それらを受け取った先には、さらに別の人たちに届ける大切なメッセージが待っていた。

別の人たちに届ける大切なメッセージはまた次回以降詳しく書く。

この話、どこまで引っ張る!?と言わんばかりに、まだまだ話はこの後も続いていく。

不都合というか不快でしかなかったものは、それらに向き合ったら特大のプレゼントに姿を変えて私の前に現れた。



久しぶりに風呂の中で読書をした。

吉本ばななさんの『人生の旅をゆく 3』、多分もう図書館への返却日は過ぎてる気がするけれど、まだ返さずに読んでいる。

「その人たちがそのままでいるお店がいちばん楽。
その人はその人しかいないから、つまりその人を極めたものが店…」
(159ページより引用)

その部分を読んで、気付いた。

私は私を極めるしかないということ。

誰かの真似ができないように、私は私に与えられているものをひたすら極める、それしかないんだということ。

私は私でしかないし、それ以上にもそれ以下にもなれない。

その私を残りの人生でひたすら極める、それが私が私にしてあげられること全てなんだと思った。

評価は他の人たちに任せておけばいい。

私のことを良いと思ってくれる超奇特な人たちもいれば、私が絶対にダメだという人たちも当然いる。

それは私が勝手に決められることじゃないから、そんなところを気にすることに力を割いても仕方ない。

私はひたすら私を極めていくしかないし、私に内蔵されてるこのマニアックなものたちは私しかそれの取扱説明書を持っていない。

その取扱説明書も書面では存在してなくて、ひたすらトライ&エラーで自分で探っていくしかない。

私だけがそうなんじゃなくて、本当はみんなそうなんだと思う。

まだまだ色んなことを決めかねていてフラフラしているけれども、それを読んでより一層覚悟が決まった。

自分を生きること
自分を極めること
自分を知ること

もうそれしか人生でできることはないんだって。



最後に超余談だけど、私個人としてはとっても大事なこと(T ^ T)。

書いていて感じたこと。

私のその天才的な才覚や感性は、とても限定的な場面でしか発揮されないということ(T ^ T)。

ふと思った。

それだけの見通しが一瞬で立つ、そういう力があるにも関わらず、例えばこれが恋愛や結婚とか、お金の運用とか、そういった現実生活に役立つ分野では丸っと力が排除されたかのごとくなくなる( ̄ω ̄;;)。

例えば、100%同じ量でくれ!とは言わないから、せめて10%ほど恋愛に向けられてもいいんじゃないかなと思う( ̄∀ ̄)。

そうしたらもう少しうまく立ち回れたかもしれないし、今頃私は人並みに家庭を持ち専業主婦をしていたかもしれない( ̄∀ ̄)。

あれだけ計算できるくせして、これが誰かをごはんに誘うとかいうことになると、この目利きみたいなことは全く働かず、むしろ元々のできないところや不器用さがさらに目立って玉砕みたいな(T_T)(T_T)(T_T)。

一生に一度、しかももしかしたら残りの人生で二度とはやらないかもしれないごはんに誘う作戦、あのたった1回にこの力が少しでも加わらなかったのかと思うと残念で仕方ない。

当時の自分を振り返るとよくわかる∑(゚Д゚)!

あの超スピーディーな頭の回転は一切なくて、私は3週間ぐらいああでもないこうでもないと悩んで、人にも相談して、何かもうすべてがおかしいと思ったけれども、もうどうにもできない私には計算などなくそのまま行くしかなかった。

こういう時に計算して動ける女の人たちが本気で羨ましい。

こんなこと暴露するのもどうかと思うけど。

当時、家が建て替え中で仮住まいにはプライベートなスペースがなかった。

小さなメモを相手に渡すことを考えた私は、その下書きを図書館でした。

帰ろうと車に乗って、一応「下書きあるよね」という軽い気持ちで大きな筆入れの中を見たら、あるはずのものがなかった。

((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))
((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))

顔面蒼白でカバンの中身を全部出して見てみたけれども、どこにもなく。

まさか!?とは思ったけれども、あんなメモ用紙を落としてきたらシャレにならないと思って、意を決して図書館に戻ってカウンターの人に聞いた。

「あのぉ…、小さなメモ用紙で個人情報とか書いてる紙とか届いてないですか…?」

目は間違いなく泳いだ。

図書館の人がニコニコしながら「あ、届いてますよ」と言われた時のぶっ倒れそうな感覚は今思い出しても具合悪くなりそう( ̄ཀ ̄;;)。

相手には全く関係ない話だけど、その人は自分のところに回ってきたものがそんなすごい黒歴史を持ったブツだとは想像さえしていないだろう…(T_T)。

本当に、どうしたらあの抜群の戦略性が私の中から引き出されるのか、私自身も不思議で仕方ない。

というか、その100分の1でいいから、肝心要なことに、私の個人の人生に回してくれーーーー!!“(°ω°;;)੭ꠥ⁾⁾と思う。

とにかく、気付いたことは、私の最初に書いたような能力は、人相手の時、しかも仕事限定にしか働かない模様Σ(゚д゚lll)。

奇跡の果実* Lesson2『不都合の裏の世界』


>>>2019年1月31日  6:28

これをどのタイミングで公開するのかわからないけれど、自分なりの大切な備忘録として残したい。

年明けに、Oさんを通じて亡くなった方の霊魂、おじいちゃんとやりとりしてから、私の見えている世界は凄まじい勢いで変化している。

その細かなことたちは今『奇跡の果実』シリーズで書いているから割愛するけれど、中でもとりわけ大きく変わったのは、世界の見え方だった。

奇跡の果実シリーズの中には色んな人たちが登場してきて、そして各自とのやりとりや関わり合いもちょっとだけ紹介している。

それ以前の私は、自分側のストーリーしか見えなくて、だからひたすら毎日の日常には自分の人生の視点しかなかった。

映画やドラマなんかだと、例えば同じ時間帯のそれぞれの人の場面を流すことがある。

例えば、男女のロマンスがテーマなら、同じ時間の男性側の出来事と、同じ時間の女性側の出来事、それらを交互に見る。

私たち視聴者は、両方を交互に見て、「あぁここでこんな風に重なるんだね」みたいにそれぞれの重なりを知ることができる。

今私に起きているのは、そういうことにとても近い。

これまでは自分だけの部分しか見えてなかった。

それが今は相手の部分、もしくは自分に関係することでも自分以外のところで起きていること、それらがどう現実の中で重なり合っているのか、まるで映画を見ているみたいに見えることが増えた。

それは、今回の一連のことで、時間が未来から過去に向かって流れていることを確信できるきっかけがいくつかあったのと、そしてもう1つ、本当に世界が守られている、私たちが守られているということがわかってきたから。

【守られている=(私たちが考える)悪いことが起きない】という意味じゃない。

色んなことは起こってくるけれども、それでもそれら1つ1つはどれも必要があって起こっているし、たとえそれが人間側にとって不都合の何物でもないような出来事や結果だったとしても、それでも守られている。

特に、不都合にしか見えない出来事や結果の意味合いが大きく変化した。

その不都合は、普通ならそうではない反対の方がありがたいと感じるものだったりする。

例えば今回なら、一番良いのは、秋に私がペンジュラムを使っておじいちゃんの居場所を特定した時、それがそのまま当たって本当におじいちゃんが見つかることだった。

おじいちゃんが見つからなかった、なんていうのは誰にとっても全くありがたくないし、不都合にしか見えない。

それが都合が良いなんて、普通に考えたら誰も思わない。

私だってそんな風に思っていない。

だけど、それは物事のある一側面で、それは事実そのものであるにも関わらず、もう一方の側面ではそこに関係している1人1人がきちんと守られている。

例えば、今回のことにより、私はたくさんの大切なことを直に学ぶ機会、それらを実体験を通じて理解する機会に恵まれた。

これはもう尋常ではないレベルのことで、そうしたことに気付けば気付くほど自分側が守られていることにも気付く。

「ペンジュラムで見つけられなかった、失敗した、終わり!」じゃなくて、「その先に広がる大切なストーリー」を今見せてもらっている。

これはもう私たち人間側が考えうる状況を遥かに凌駕している。

絶望的であっても、必ず違うストーリーが同時進行している。

それは私だけじゃなくて、誰でも。

今回はたまたま他の人たちのストーリーも目にしたからこそ、特にその部分の思い、「何かにみんな守られている」という思いが強くなった。

そんなの普段思えないことの方がたとえ多かったとしても、本当はそうじゃない。

絶望や失望、虚無感なんかを感じている裏側で、同じだけのプラスのものがすでに用意されている。

そのプラスにいかに気付くかで人生の質もずいぶんと変わってくると思う。

どう考えても私なんかはこれからもあれこれやらかすと思う。

それでも絶対に守られてるんだろうなぁと、それも私が何にも頼れないすがれない自分でなんとかするしかないとネガティブな気持ち一辺倒で過ごす時もそうなんだろうと思う。



昨日(1/30)の車の中で感じた。

私は、ギフテッドと気付いた男の子のお母さん側の人生におけるテーマと思しきものを、その時から見て24時間以内のどこかで気付いた。

多分そのお母さんのテーマに違いないと思う。

私は少しずつ、相手の何かをキャッチしている時の感覚的な特徴がわかるようになってきた。

だから、多分今回も私の思い込みとかじゃなくて、本当にそのお母さんのテーマをお母さん側の潜在意識なり魂なりからもらっていると思う。

その情報が私にダイレクトに伝わってきている、そう感じた。

今回のは多分ご本人にとってとても大きなテーマで、相当気持ち的に厳しいものや重たいものを体験することにはなると予想している。

だけど、私ははっきりと気付いた。

これ、その人を悪い方向に向かわせるために起こっているんじゃないって。

それは大切なメッセージに本人が気付くための、そのためのものなんだって。

だから全て大丈夫、悪いことには絶対にならないし、きちんと大切なメッセージを本人の元へ運んでくれるから大丈夫、そう思った。

絶対に大丈夫と思っているし、多分私の今思っている感覚で当たりなのか、やたらとゾロ目を見た。

至る所で見た。

そして空気が澄んでキラキラとしていた。

車の中にいるから外気に直接触れているわけでもないのに、キラキラとしていた。

過去の人生で何回か体験したキラキラの感じと似ていた。

「大丈夫、絶対に大丈夫」

そう感じながら私は車を右折レーンの方に寄せた。



>>>2月19日 夜23時過ぎ

上のギフテッドのお母さんの話は、この後2回ないし3回の記事の後に書いてアップする予定。

私が当時感じた
「これ、その人を悪い方向に向かわせるために起こっているんじゃないって。
それは大切なメッセージに本人が気付くための、そのためのものなんだって。
だから全て大丈夫、悪いことには絶対にならないし、きちんと大切なメッセージを本人の元へ運んでくれるから大丈夫」
これはその通りになった。

悪いどころかめちゃくちゃ良い風に事は運ばれていった。

20年ぐらい抱えていたものが、スコーンと外れた。

外れたことで、もっとその人自身もギフテッドの男の子の方にも良い変化がどんどん出てきている。

とにかく、言いたかったのは、一見重たいこと・悪いことに見えることでも、その裏側では大切なことがきちんとあって、そしてそれに向き合うとその大切な方の展開が実際に人生に流れ込んでくる!ということ。

昨日アップした前世療法がその最たる例だと思う。

簡略して言うと、こうなる。

私にとってはものすごくハードルの高い、逃げれるものなら逃げたい、やらなくて済むならやりたくない話をある人にしなければいけなかった。

1時間半、私にとってのお守りオルゴナイト2個を手に握りしめて、もう1つのお守りの名刺を目の前に置いて時々触りながら電話に臨んだ。

このことで、名古屋でお世話になっているSさんの前世療法の話をもっと深く知ることになった。

そして、Sさんの前世療法の話が進むにつれて、私自身の前世を見る機会に関しても、すでにそちらに向かって水面下では物事が動き始めている、と思われる。

私にとって、その当時の前世を知ることが、私の生涯において大切なメッセージを得ることになるだろうと思う(これは未来の話)。

ちなみにSさんは早速前世療法の予約を入れた、と私に今日教えてくれた。

それは、私にとっても、大切なメッセージに近付いてるよのサインだった。

大切なメッセージ、大切な人に出逢うための、私にとっても他の何にも代えられない大事なものになっている。

そう、最初は絶対に向き合いたくない話がスタートだった。

だけど、そこに向き合ったらもっと大切なものが人生の方にやってきた。

私の人生の中でも1、2を争う大切なこと、そこに近付くようになっていた。



冒頭の写真は、ギフテッドの男の子からつい最近もらったLINEのスタンプ。

大事なのは手で作られたハートマーク(♡´艸`)

ガチャピンとムックのスタンプを返したけれど、本当なら私もハート付きのスタンプを返したかった(涙)。

それしたら本当の嫌がらせになっちゃうから、大人として適切な対応をした( ̄∀ ̄)。

そうそう、昨日奇跡的にiPhoneから写真をブログにアップできる方法を知って、それでこれからは時々写真も入れ込むことができるようになった٩((*^o^*))و

私にとってはハートマークの方が萌え萌えだったけれども、その子がくれたハートマーク付きのスタンプの言葉の方が、この一連の全てに言えることだから、スクリーショットを撮って今回アップした。


感謝するぜ
   これまでの
       全てに!!!

2019年2月18日月曜日

奇跡の果実▷ウラ話⑩ルノルマンカードと前世療法



ねずみ・手紙+狼・きつね




>>>2019/02/13

「ルノルマンカード」のウラ話。

ルノルマンカードがプレゼントされると知って、私はルノルマンカードの予習でもしようかと当初考えてた。

でも即座にそれは止めることにした。

「細かい意味を知らない=自由に発想できる」

そう思ったから、あえて何も調べずに来たもの勝負でいくことにした。

わからなくなったら絶対にネットで調べるし、そして一般的に知れ渡ってるルノルマンカードの意味や専門知識は後からいくらでも自分の中に取り込むことはできる。

何も知らないからこそ発想できる、自由な私オリジナルの紐解きは、今しかできない。

そう思ったから、何も調べなかった。



このやり方は大いに功を奏した。

最初に到着した日(2/11)、私は私向けにカードからメッセージをもらった。

ネズミ、狼、きつね、山。

私向けのメッセージは、どれも「凶」カードに分類されるものだった。

中でも、私の第一印象「きつね」とは、「小賢しい、騙す、ずる賢い」…、そういうことなんだろうか?と思った( ̄ཀ ̄;;)。

すでに、ねずみも狼も出てきた中で、きつねも一般的な解釈ではなく、自分だけの解釈をまずは試みることにした。

私は下調べをしてこなかったから、まずはカードをじっと見ることを徹底した。

【わからない時はカードをじっと見る】

これを私のスタンダードにしようと思った。

するとヒントがくる。

カードの絵柄から私が感じることをそのまま見ていったらいい。

私が最初に感じたのは、
・このきつね賢そう
・そして良いものたくさん持ってる
(巾着を持っていて、色々自分にとって価値あるものを集めた模様)
・木霊たちがいて、森の精たちから守られている
・マント・ベルトを身につけている=自分を良く見せる方法を知っている
・自信に満ちている
・◯◯◯…おじいちゃんを思い出す(※)
(※おじいちゃん=山で行方不明になったおじいちゃんで、私がペンジュラムで探して欲しいと頼まれ、さらに正月明けにおじいちゃんの霊が出てきて意思疎通を図った人物)

ガイドブックよりーー
・予期せぬことを行う人
・思いもよらない発想力のある人
・既存の概念を打ち破る人
・教える人
・一見悪く見えることでも運命の輪が回っている
・どんなことも事実と受けとめるまでは注意深く見守る
→事実を手にするまでは注意深くいる
・周りの人たちから理解を得られるまで時間がかかるけれど、きちんとしていることなら理解が得られる

そういう上の情報を知った上で、カードの中のきつねをもう一度見た。

「好き(♡´艸`)♡」と思った。

このきつね、可愛い♡

本当に賢そうなだけじゃなく、自分で選りすぐった良いものをたくさん持っていそうだし、理知的だし、オシャレして自分を良く見せる方法を知っているし、「自分にとって良い」の基準がしっかりとあってその良いもので自分の周りを固める、そんな風に見えてきた。

顔も凛々しいだけじゃなくやさしげな目元が良い。

自分の意志をしっかりと宿してそうな目をしている。

俄然きつね株が上がった♡(((o(*゚▽゚*)o)))♡

すかさず、ペンジュラムを出してきて、「ねぇねぇ、この解釈で合ってる?o(^o^)o」と聞いたら、「YES」が出た!!

念のため、小賢しいとかずる賢いとか騙す人とかいうのも当てはまっているかを聞いたら、NOが出た( ̄∀ ̄)!

あと、「教える」というのが1つキーワードであった。

これはガイドブックのきつねの説明文の中に「teach」が出ていて、ガイドブック上はあまりよろしくない意味だけど、私にはteachその言葉自体がポンと目に飛び込んできた。

私は最初自分が教わる人という意味で捉えていた。

でも、ガイドブックをよく読むと、「きつねが教える」という感じになっていて、きつね=私とするなら、私が教える人になる。

「あ!」となった。

ねずみ(カードが私のところに来た理由)、手紙+狼(カードが私に伝えたいメッセージ)の流れを汲むとこうなる。

ネガティブなことも含め隅々まで目を行き渡らせ、そこから大切なヒントやメッセージを受け取る。プラスもマイナスも両方を手にして、そこから生きていくのに大事なエッセンスを抽出し、循環させていく。

それらの流れの先に「きつね」がいるわけで、きつねはそれを教える役を担う。

そして、私のところに来たルノルマンカード本体の性格として、「庭」のカードが出ていて、それは【人々との交流・分かち合い】を指す。

 全てのカードと一緒に読み解くと、きつねとしての自分、きつねとしてどうやってこのカードと付き合ったらいいかのヒントがわかる。



後日、ルノルマンカードと天体や星座を組み合わせた一覧のようなものをネットで見つけた。

ルノルマンカードは全部で36種類ある。
(私のは男性カード・女性カードが各2枚ずつあるから、全部で38枚)

それぞれのカードには、繋がりのある天体又は星座が割り当てられている。

36枚中、唯一きつねだけが「天王星」と関連している。

ガイドブックにあった
・予期せぬことを行う人
・思いもよらない発想力のある人
・既存の概念を打ち破る人
これこそが、まさに「天王星」の特徴という感じ。

私の場合、自分のホロスコープでも、天王星がすごく強く影響している配置になっている。
(太陽も月も【天王星+海王星+冥王星】と角度を取っているから、とにかく個人ではなく宇宙のエネルギーを司ると言われるその3天体たちと関係してるだけあって、人生そのものもかなりはちゃめちゃな感じになっている←本人の意志関係なし( ̄ཀ ̄;;))

ふと、その少し前に読んでいた石井ゆかりさんのホロスコープ関連の記事の中にあった「天王星」についての説明を思い出した。

【天王星は「自由と改革の星」「革命の星」などと言われますが
「理によって分解する」
という動きのイメージがあります。
機械を分解する、みたいな感じです。
理論の「理」は「ことわり」と読みます。
ものごとをひとつひとつ割って、わけて考える、ということだと思います。
くっついた全体の状態では解らないものが、
分解して1つ1つ見て行くと解る、
ということです。】

引用元:『2019/01/28ー2/3 全体の空模様』石井ゆかり 筋トレ週報
(http://weekly.hatenablog.com/entry/2019/01/25/193000_1)

こうした特徴を私が持っているとカードたちから言われているみたいですごく光栄だった。

そして同時に、私の第一印象がヘビとかねずみじゃなくて良かった!と心底思ったv( ̄∀ ̄)v。



《「きつね」についての追記》
きつねの表情をもっとよく見たら、若干?かなり?ドヤ顔をしてる気が( ̄∀ ̄)。

特に、「自分は良いものを集めてやったぜ!」的なドヤ顔感が半端ない。

もしや…と思って、ペンジュラムに「このきつね、ドヤ顔してる?」と聞いたらYES。

私の顔は((((;゚Д゚)))))))ってなりかけたけど、YESを9割確信しながら、もしかしてNOになるかもよ?と思って、続けての質問。

「もしや、このドヤ顔・得意げなところ、私もそうってこと?」

「NOになーれ!」と念じるも、ペンジュラムはすぐにクルクルとYES側に回った。

2回3回と聞くけれど、毎回きれいにYES。

往生際悪く、続けて聞いた。

「ネタでしょ、これ?ブログ書くためにネタとして、わざとYES出してるでしょ?」

今度はきれいにNO側にクルクルと回った。
((((;゚Д゚)))))))



>>>2019/02/16
カードに私がハマっている理由の1つに、自分の潜在意識を見ることが含まれている。

人間の意識は、自分たちで普段認識できる【顕在意識】と認識できない【潜在意識】の2つで構成されている。

顕在意識:潜在意識=1〜5%:99〜95%
そんな風に言われている。

ちなみに私が一番しっくり来た割合は、「1:無限大」だった。

それぐらい、私たちは自分自身で潜在意識を認識できない。

だけど、実際は潜在意識にある方が強いわけで、現実に現れる現象だとか、何かが起きた時に感じる感情とかは、潜在意識側のものが反映されている。

例えば、痩せたいのに痩せられないなんていう私みたいな人は、痩せたい【顕在意識】よりも痩せない【潜在意識】の方に何かメリットがあるからで、痩せないとされている。

話は戻してカードの話。

私は自分の潜在意識を見ていくための手段、内観・内省するためのツールとして今はカードを使っている。

毎朝1枚引く。

正しくは、2種類のカードをそれぞれ1枚ずつ引く。

昨日は、
「揺らがずにあること」×「太陽」
が出た。

太陽の方の絵柄は、王子様が眠っていただろうお姫様を助けに来たみたいな図柄になっている。

「素敵な男性が現れてハッピーエンド(♡´艸`)」
みたいな読み解きをしたいのは山々だけど、そんな読み方をしては多分私の場合は何も意味を成さない。

私はそれを見てこう思った。

「自分の中の男性性と自分の中の女性性とがお互いに気付いて1つになる
自分の中でバラバラだったピースが1つになる」

だから2枚合わせて、
「自分の中でバラバラだったものが1つになって状況が好転していく兆し。その時に大事なのは、周りの状況や周りの人たちではなく、自分自身に目を向けて自分が揺らがずにあること」
こんな風にして読んだ。

しかも太陽のカードの方の束の一番下は、「庭」のカードが出て、そこからは人との交流とか、自分自身の持っているものを他人と共有するという意味がある。

(※ルノルマンカードを持っている方がいたら、私の解釈は全くあてになりません( ̄∀ ̄)。あくまでも私の持っている『Fairy Tale Lenormand』カードの絵柄を見ての私独自の解釈です。)

朝引いた時に、少なくとも夜にはある人に連絡を入れないといけないのは知っていたから、それに対してのヒントだと私は受け取った。

そう、揺るがない自分でいること、自分の気持ちに集中すること、自分の中の気持ちを1つにすること、それでいいんだという風に自分に言い聞かせた。

その後、なぜか色々気乗りしなかった私は、恋してます(♡´艸`)♡並みにどハマりしているカードリーディングをされる方の動画を見た。

なぜかそういう気分だったから、そうした。

それ見て私は朝からティッシュを何枚も使うぐらいに鼻水垂らして泣くわけだけど、そこですごいシンクロが起こった。

もちろん動画で使うカードも、何が出てくるのかも、私は見るまで知らない。

だけど、それがこの3日ほどで出てきたすべてのカードと一致して新しい見解が私にもたらされるとは、想像さえしていなかった。

動画の中では4種類のカードが使われていた。

そのうちの1種類が私が持っているカードと全く同じもので、そしてそのうちの2種類が最近私がプレゼントしてもらった「ルノルマンカード」と呼ばれる種類と同じタイプのカードだった。

何が驚いたって、当日出たカード・前日出たカード・前々日出たカードの3枚が、その動画の中でも見事に同じものが出てきて、その3枚を合わせた読み解き方をそのタイミングで聞けたことだった。

まず動画で最初に提示されたのは、私と全く同じカードのもので「人生の目的」と題されたカードだった。

「これ昨日出たやつじゃん!」と思った。

続けて、おととい出た「塔」と当日出た「太陽」のカードが画面上に現れた。

実は「塔」のカードに関しては、私は前々日に出た時に面白いメモをノートに書いている。

「tower(塔)の解釈、課題だなと思った。時間の経過と共に、ヒントが来そうな気がする」

私は自分の持っているルノルマンの「塔」のカードをどう解釈していいのかよくわからなかった。

絵柄もじっくりと見たし、ガイドブックももちろん見た。

なんなら、他の方が解釈されてる「塔」の意味も調べた。

とにかくいまいちしっくり来ない。

しかも、その日もう1枚自分用に引いたものと組み合わせるとさらに一層意味がわからなくて、私はその日、カードのメッセージを読み解くのをやめた。

ちょうど他の占い師さんが書かれているブログで、「解釈をどうしていいかわからない時は、あえて答えを出さずにそのままにしておく」みたいなことを言っていたのを読んだのもあって、私もそれでいいかと思った。

そうしたら、動画の中で説明がきた。

「堅苦しさからの解放」

来たーーーーーー(*⁰▿⁰*)!!

一番しっくり来た。

そう、この場合の「塔」は堅苦しさで、まさに私が話をしなきゃと思っていることに関してのヒントそのものだった。

「堅苦しさ」が私の姿勢としてあって、それは必要なこともあれば、反対に手放した方がいいこともある。

今回は、私が私自身に向けているものに関しての堅苦しさは外してあげて、対相手に向ける姿勢は堅苦しいままでいい気がした。

なぜなら、私自身に対しては、もう散々苦しいパターンも生きづらくなるパターンも経験していて、それは今手放していいところまで来ましたよ!というサインだと思った。

どうでもそのやり方でなくていい、別の方法で試すことも可能だよと言われているように感じた。

その一方で、相手に対しては堅苦しさを外してはダメだと思った。

なぜなら、私が堅苦しさを外してしまうと、おそらく相手は私が軽く話してしまうことでその軽さを取ってしまう危険がある。

「危険」と書いたのには理由がある。

普通なら「可能性」と書く。

だけど、「危険」とあえて書いた。

なぜなら、軽く採られてしまうと、事の重大さにも気付いてもらえなければ、また相手は無意識に私が傷付く言葉をバンバン言ってきそうで、それは絶対に避けたかった。

だけど、私が厳しい態度で臨めば、少なくともそこはきちんと汲み取れる人だから、絶対に軽くは採らない。

だから、堅苦しいまま話すのでいいんだと思った。

何を行う時もそうだけど、相手がいる場合、2つの態度がある。

1つは相手に向けての自分の態度、もう1つは自分自身に向けての自分の態度。

相手に向けてのものは臨機応変に変える必要があるけれど、自分に向けてのものはもう堅苦しさだけをずっと持ち続けなくてもいいんだと、今回一通りの話し合いが終わって感じた。

自分に対して、がんじがらめになるほどの厳しさや堅苦しさはもう持たなくても大丈夫だと感じた。

元々の性格にそうしたものがあるから、それは必要な時にまたいつでもその自分のやり方を復活させることができる。

でも、今から先は、それ以外のもう少し柔らかいやり方ややさしさを自分自身に許してもいいんだと気付いた。

そしてその「堅苦しさの脱却」が、自分の人生に何か新しい風を吹き込んでくれると思う。

堅苦しさとはなんぞや?というのはそれぞれの人によって違うし、私も私でそこは自分に問いかけていかないとわからない。

だけど、カードの素晴らしいところは、そうしたヒントを与えてくれるところ。

例えば、「自分の心の中を見る」というヒントよりも「自分の堅苦しさに気付く」というヒントの方がより具体的でわかりやすい。

で、自分で読み解けなくても、自分がわかる形でどこからともなくヒントはやってくるから、それをいつでもキャッチできるように自分の耳や目、心を澄ましておけばいい。

ちなみにコツは、「忘れること」♪( ´θ`)ノ

「ヒントください」と心の中で願ったら、あとは忘れる。

忘れた頃にどこからともなくやってくる。

今回の私はyoutubeだったけれども、本やテレビ、電車やバスのつり革広告、看板、新聞、人との会話など、色んな形でやってくる。



>>>2019/02/18
『(13)1ヶ月早い誕生日プレゼント』より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

物事の細部、人生の細部に宿っているメッセージに私が気付いていく、私に気付かせていくためにやってきてくれた。
そこには必ずメッセージがある。
そのメッセージを他の人たち、自分の大切な人たちと取り交わす。交換する。
それは良い悪いに関係なく。
そして私が良いと思って集めたものを、今度は私が周りの人たちに教えていく、広めていく。
困難や大きな障壁がやってきたとしても、そこを突破する道も用意されているし、知恵も道中にきちんとある。
そこを抜けたら、しあわせとか本当の自分の願いに気付いていく。
それらすべてのつながりの中にヒントや答えがある。
虹のような明るい扉を開ける鍵を持っているし、それは常にあるから大丈夫!
大事なのは、気付くこと!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この文は、ルノルマンカードが届いた日、私自身向けに引いたカード7枚すべての意味を継ぎ足してそれで1つのメッセージにまとめたもの。

上の文の「虹のような明るい扉」は、あれから2〜3日後に新たなヒントが来た。

「虹のような明るい扉」は、絵柄を見て私が言った言葉。

ねずみ・狼・きつねの3トリオのカードの次に来るのが「鍵」のカードだった。

だから、その3つのカードから受け取ったメッセージを元に、私は何かの扉を開けるんだろう、最初はそう解釈した。

後日、私はルノルマンカードの解説をしているサイトで、各カードが対応する天体もしくは星座を知ることになった。

鍵が対応するのは、天体「キロン」だった。

魂の傷やテーマを表すとされるキロン。

あぁと感嘆の声が出そうだった。

私がこのカードから伝えられてるメッセージ
・私のところに来てくれた理由(ねずみ)
・カードが今一番伝えたいこと(手紙+狼)
・カードから見た私の第一印象(きつね)
この3つの先には、私の人生そのもの、魂の道に繋がっていくんだとわかった。

私はカードを手にした瞬間、確信していた。

これが私のこれからの相棒になることを。

絵柄を見てガイドブックを見たらわかる。

私にしか読み解けないメッセージがある。

同じカードを持っている人たちは世の中に他にもいるけれど、私と同じ読み解きは多分誰もできない。

私の読み解き方は、私のこれまでの人生すべての中で培ってきた色んな情報を足しての内容になる。

ルノルマンカードの読み解きで、天体や星座までセットで読み解いている人はまずいない。

それだけじゃない。

例えば「魂のテーマ」として意味を引っ張ってくるとするなら、それが一体何を指すかは千差万別の解釈になる。

私の場合は、このカードが私の何か大切なものと繋がっていく、それだけはわかった。

そしてその大切なものは、唯一無二のもので絶対に譲れない、ということがわかる。

通常の「鍵」というキーワードから「唯一無二のもので絶対に譲れない」なんていうメッセージはどうやっても引っ張って来れない。

でも私にはそのメッセージが来る。

さらに、何に繋がっているのかは知らないけれども、私の手元にあるルノルマンカードは、私に何か古い記憶を思い出させるような懐かしい感じがする。

そんな風に思っていたら、昨日(2/17)名古屋にいた頃からお世話になっているSさんと話して、面白い展開に突入出来そうな話がやってきた。

Sさんはかれこれ1年近く前世療法に興味を持っていて、「それ受けてきたんですか?」並みにベラベラと解説できるぐらい動画をひたすら見て、調べ物も半端なくしている。

私もいつか動画を教えてもらって見て「面白い」とは思ったけれども、私は興味はそこまで湧かず、それ一度きりしか見ていない。

普段なら興味のあることはすごい速さで申し込むSさんが、前世療法だけはずっと温存していて、そんなにも興味を持っていたと知ったのはつい最近だった。

話を聞いていてわかる。

Sさんがなぜ前世療法にすごく意識が向くのか、なぜそんなにもこだわるのか、なぜそこまで徹底して調べてとことん準備して、そして今ようやく申し込むフェーズに入ろうとしているのか。

異常なほど慎重に進めているから、それがSさんの人生のテーマ、魂のテーマにものすごくリンクしているのは感じた。

Sさんは、最終的に講座受講をしようと考えていて、その時は私にモニターをして欲しいと声を掛けてくれた。

私は二つ返事で「やりたいです!!」と答えた。

Sさんが話してくれた前世療法はすごく興味深かった。

今生ですごく縁のある人は、その前世療法の中で登場してくるらしい。

いつか生きた前世の人生の中に、前世療法を通じて入っていけるらしい。

そこに行くと、景色や時代、名前、家族構成なんかもわかるらしく、例えば当時の家族の顔をよく見ると今の家族の誰かの顔だったりするらしい。

しかも、自分で指定して特定の前世に行けるとのこと。

私もその動画を一度見たからわかるけれど、受けてる人は完全に違う世界に意識が飛んでる。

そしてその違う世界で見えるものを口にして、そこから何かしら今世の自分に向けてのメッセージを受け取っている。

私は自分の準備が整ったタイミングでその前世療法のモニターをさせてもらうことになると思う。

見に行くのは決めている。

ペンジュラムを自分の大切な友達のようにして持っていた小さな男の子のところへ行く。

10歳ぐらいまでしか生きられなかったというその男の子に会いに行く。

私がそこにこだわるのには理由がある。

そこに行ったら多分会えると思う人がいるから。

今世、私の目の前に職場の上司として現れた男性が登場するかと思う。

もう今生では二度と会わない人なのかもしれない。

それさえも全部覚悟して、私はそれでも見に行きたい。

その人にもう一度きちんと会いたい。

どうしてその人と出逢ったのか、それをきちんと見届けたい。

今世まで引っ張ってきてでも絶対に出逢った理由がある。

1年前の3月末に仕事を辞めて、4月からぷー太郎になって、そして気付けばそろそろ1年経とうとしている今。

社会的にはぷー太郎でも、私個人の人生はこれまで生きてきた中で一番濃密で色んなことがあった。

ペンジュラムで山で行方不明になった人の居場所を探すとか、失敗して2ヶ月後ぐらいに今度はその方の霊魂がやってきてメッセージを伝えてくるとか。

それ以外にも本当にありえないぐらいに不思議なことや不思議なご縁満載の時間だった。

今もその流れを汲んでいて、相変わらず摩訶不思議なことたちは色々やってくる。

単純にこの1年近い時間で起こったことの方がインパクトも大きいし、記憶にも強く鮮明に残る。

だけど、私の中でそれよりもずっと長く濃く残っているのは、その上司の方だった。

その人と初めて顔を合わせた日、その後脳内お花畑のような毎日の中で見ていたその人の姿、人生の中で一度も感じたことのない不思議な気持ちや感覚になった瞬間(←一応仕事のやりとり)、最後にあいさつした時、そして最後の最後に見たその人の後ろ姿、その全部がすごい濃さで残っている。

私の片想いとかいう次元のレベルじゃない。

不思議な感覚は、その人も一度は感じたんだと思う。

ある時、仕事の探し物をしているその人に声をかけたら、普段のその人からはとても想像できないような反応をしていたから、相手にはどんな風に私やその場面が映っていたのかは知らないけれど、とにかく尋常ではない空気が流れていた。

そうした1つ1つが私の記憶には深く刻まれた。

そしてその人が私の人生からいなくなった後から今に至る1年半近い時間の中で、私の人生には信じられないぐらいに色んなことが起こりまくっている。

さすがにここまで来ると、私個人の力だけでこんなことになっているとは思わない。

絶対に何か違う力とか流れが入り込んでの今のような状況になっているのは間違いない。

色々あった1年半で、私の見える世界の中にその人の姿はもういなくなってしまったけれども、数々の重要な局面の時には必ずその人が何かしらの形で関わっている。

本当にこれは生涯で一度しかありません的な、そして緊張感や難しさを伴う場面になればなるほど、ふとした時にその人だとわかるサインが来たり、他の人たちの口からその人の話が出されたり。

本当に不思議な存在感を放っている。

転勤でいなくなってしばらくの時は、気のせいかと思った。

たまたまの偶然が重なってるだけかもしれない…、だから変に意識を持ってますますドツボにはまらないよう、勘違いをしないよう、色々と心の中で制止した時もあった。

だけど、どんどんどんどんそういうことは重なり続けた。

挙げ句の果てにはその人のことを全く知らない霊視ができるヒーラーのOさんから、その人の特徴をいきなりいくつも言われて度肝を抜かれたのが去年の夏だった。

その人がいなくなって1年が過ぎようという頃だった。

Oさんの前でただの一度も話題にさえ出したことないのに、こんな意味不明なことが起こるんだと唖然呆然とした。

Oさんから今度対面で会う時に、その人が私にとってどういう意味合いの人なのかを教えてもらう話にはなっていた。
(電話やメールでは伝えられない、伝えるとするなら直接会う時、とOさんから言われた)

だけど、Sさんの前世療法の話を聞いて、私の気持ちが変わった。

Oさんとか第三者から聞くのではなく、私自身がある時の前世に立ち戻って、そこで何があったのかを見てこようと。

その人と私とはお互いに共通しているだろう何かが過去にあって、何をその時に感じて、そしてどうして今生もう一度出逢うことになったのか、私は自分の目で確かめたい。

相手の口からは何も語られない以上、私は相手の側の景色を見ることは決してない。

前世療法を受けたからと言って、何かその人と私との今現在の関係が変わるとも思っていない。

だけど、何か1つでもいい、私はその人と自分のことについて、自分がわかる手がかりが欲しい。

本当に意味不明な超オカルト最前線みたいな世界が自分の人生にどんどん入り込んできて、私の人生そのものがかなり特殊なのはわかった。

死ぬその時までそうだろうから、そこはもう覚悟を決めている。

逃げるともっと面倒なことになりそうだから、そこはもう引き受ける、来たものはとにかくやる、その気持ちは出てきた。

その人がいなくなってから1年半ほど経った今、たった1つだけ確信が持てるようになったことがある。

私のこの色んなことを根底で支えているのは、その人だということ。

ペンジュラムの機能がどんどんバージョンアップする時もそう。

私自身の感覚がどんどん開いて色んなことがもっとわかるようになる時もそう。

誰か他の人に対してやさしい気持ちになれる時もそう。

色んな人たちの大切な人生の節目に居合わせることになる時もそう。

それら全ての瞬間瞬間にその人の存在は常に私の中にあって、そして色んな形で助けられている。

言葉もほとんど交わしたことのない、その人のこれまでの人生がどんなかも知らない、好きな人や好きなものが何かも知ることもない、生きている毎日の中で一番遠くにいて交わる気配もない、そんな人なのに、私にははっきりとわかる、その人が本当に本当にとても深いところでの繋がりがある人だということ。

だから、せめて、本人の口から何も語られることがないのであれば、私は自分がそのいつかの時代のどこかの場所で生きていた自分に会いに行って、そしてそこにおそらくいるだろうその人にも会いに行こうと思う。

Sさんいわく、前世療法を受ける本人はわかるらしい。

その登場人物たちを見て、それが今世の中でどの人たちなのかを。

私はその人が転勤でいなくなる前に、それはそれは長い手紙を書いて渡した。

あれは渡したとは言わず、押し付けたが正しい。

相手が私に突き返すことができないようなやり方だった。

その時、私は手紙を書いて良かった。

そして、押し付けてきて良かった。

色々言葉にできなかったことを紙とペンを使って伝える、愛の言葉を1つも言わずにひたすら自分の中から出てきた言葉を綴り続けたあの時間は、生涯を通じてあの時1回きりだった。

完全な私1人の自己満足だけど、あの時とにかく訳もわからずペンを走らせて良かった。

今も手元に下書きがあるけれど、本当にこの手紙は何だ?と思う。

今だからわかる。

あの時、それこそ言葉通り全身全霊で、魂が魂からの叫びを書き綴ったんだと思う。

理屈では絶対に説明できないものだった。

言葉での説明も限界があった。

だけど、理屈や言葉を超えたところにその気持ちみたいなのはあって、それは伝えなきゃダメだと思った。

今を逃したら二度とその時は来ない、そう思った。

手紙の最後をその人への「ありがとう」で締めくくっている。

出逢ってくれてありがとう、私の人生に現れてくれてありがとう、今日も生きているそのことにありがとう、たくさんの喜びと奇跡をありがとう、そういうありがとう全部を足したありがとうだったと今になって思う。

私はSさんから話を聞くまでは、前世療法に全く興味がなかった。

むしろ超否定派だった。

前世なんか知ってどうすんの?と思っていた。

Sさんに聞いて変わった。

言葉にならない想いがあるとするなら、それは魂が繰り返し繰り返し色んな人生を生きてきた中で得たもの。

それを聞きに行く、その時その時の自分や大切な誰かに会ってくる、そういう感じがした。

私が前世療法を受けたからと言って、ガラリと何か生活が変わるとか、生き方のヒントを手にするとか、そんないかにも三次元的なメリットを手に入れるのが目的で受けるのとは違う。
(多分私はメリットも欲しい人だから、我欲丸出しで受けると思うけれど)

でもそういうことじゃなくて、例えば昨日と同じような今日を生きるにしても、何か自分の中で「これは大事にしたい」とか「これって自分にとって大切なんだ」とか、そういうのがわかるかもしれないし、今目の前にある人間関係の縁のすごさに気付くのかもしれない。

それは何を手にするのかは知らないけれど、少なくとも私は自分の中で何かしらが欲しいんだと思う。

その人と私が出逢った意味でも何でもいい、何だったら意味なんてなくて「また会えたね」とかいう軽いものでもいい、何でもいいから自分が感じられる決定的な何かが欲しい。

今生、別々の世界に生きるのは仕方ないにしても(←私はそんな風には割り切れないけれども)、せめて、本当にせめて、私側が何か心で心の奥深いところで感じられるものが欲しい。



実は、前世療法は怪我の功名だった。

そもそもは、つい数日前、オルゴナイト2個を1時間半近く握りしめて電話したところに端を発する。

その電話のために、私はそのさらに数日前、Sさんから前世療法の話を聞かせて欲しいとお願いして聞かせてもらった。

もしSさんが、フラワーアレンジメントと言えばフラワーアレンジメントだったし、薬膳カレーと言えば薬膳カレーだったし、ヨガと言えばヨガだった。

私からして、Sさんがピンポイントで話す内容の中身は、それがSさんの残りの人生を賭けて取り組むことなら何でもありだった。

だから、私が話を聞いたのは、「前世療法」ではなく「Sさんが残りの人生を賭けて向き合いたいもの」だった。

それが、たまたま前世療法だった。

だから、前世療法ありきではなく、あくまでもSさんの人生の話を聞くのが私の本当の目的だった。

しかも、Sさんの残りの人生を賭けて向き合いたいもの、この話を聞くにも大元はSさんと別の共通の知り合いの人とでのやり取りがないとこんな風にはならなかった。

共通の知り合いの人とSさんとの話が良からぬ方向に着地し、そしてそもそもの紹介者が私だったから、それでそれぞれのフォローなり話なりをきちんとしなきゃダメだと思って話を聞いた。

Sさんの話を聞いた上で、共通の知人に連絡を入れて話をしようと思った。

だから、そもそものSさんと知人とのやりとりが上手くいっていたのなら、私は登場することもなければ、そんな大切な話にズカズカと入り込んで首を突っ込むこともなかった。

そういう幾つもの事柄が重なって、それでやっと私は前世療法についてSさんから聞く、その段階に初めて立てた。

Sさんと昨日話した時、Sさんはすっごい真剣に話を聞いてくれたし、私が過去に話していたこともよく覚えてくれていた。

「背中の話、覚えてるよ。切なかったから覚えてるよ」

この一言がどれだけ私に癒しをもたらしただろう。

Sさんは、本当に私の人生のすべてを大事にしてくれる。

些細なことも、本当に大切に話を聞いてくれる。

私が経済的に立ち行かなくなって親を頼って新潟に帰るとなった時のこと。

不採用は続きまくって訳の分からないことになっても新潟にだけは絶対に帰りたくないという気持ちでいた当時の私に、Sさんはいつだったか言ってくれた。

「ぶっしーちゃん、誰か大切な人に出逢うために新潟に帰るんだね」

そんな言葉、Sさん以外誰も言わなかった。

そして、Sさんのその考えに触れて、私にはマイナスにしか見えなかった新潟に帰ることも、実は別の意味があるのかもしれないと少しだけ思えるように当時はなった。

だから、その心が少しでも軽くなることを伝えてくれたSさんには今でもめちゃくちゃ感謝している。

Sさんの予言通りになった。

上司が異動してから1年半近くが経った今、そこにプラス40歳目前+独身+仕事超絶不安定という状況下で、普通に1年半前にいなくなった人、そして普通に考えて二度と会えない人が忘れられないなどと、いくら何でも私は大きな声でそんなことを赤裸々には告白できない。

言われた側も反応に困るだろうし、私もどう話したところでおかしいことは百も承知だから、わざわざ空気をざわつかせる又は凍らせるような話を自らは振らない。

だからSさんにも余計なことは言わなかった。

Sさんはそういう話も全然OKな人だけど、私の方がためらわれてあえて話には出さなかった。

だけど、Sさんの受け答えはどこまでもやさしくて、そして言ってくれた。

「前世療法、ぶっしーちゃんがする時の話が本当に楽しみ♪」

私の体験をこうして一緒に楽しみに待ってくれる人がいるのはすごく心強い。

ますますSさんの前世療法を受ける時が楽しみになった!!!

もう本人には二度と会えなくても、前世療法という私の中でしか体験できない世界の中であっても、私はやっぱりその人にもう一度会いたい。

たとえそれがわずかな時間であっても(カウンセリング入れてトータル3時間と聞いたから、いいところ1時間〜2時間だと思う)、そこでしか見れない私の魂の歴史の中にその人が出てきたらそれはめちゃくちゃ嬉しいことだなと思った。

今回の途中の振り返りシーン、ティッシュ30回ほど使ったから、本当に前世療法を受ける時はティッシュボックス持参して行こう、そうしよう!