昨日10月2日は人生で初めての日にち間違いを起こし、
日にちが1日ずれているとも知らず現地に赴き、
その後も色んな経過を経て負のスパイラル開始。
撃沈しまくった。
そこからほんの数時間で一気に回復するに至るわけだけど、
どうして回復できたのか、わたしなりに考えてみた。
ここ数年読み漁った感情系を扱った書籍によると
おおよそ2つの感情を癒すプロセスが記されている。
1、感情と自分を切り離すこと
2、感情にどっぷりつかること
ちなみに、怒りについて調べたどこかの心理学者によると、
怒りそのものは90秒しか本来持続しないものらしい。
それ以上持続する時は、過去の何かしらの体験がその怒りによって呼び覚まされ、
さらに怒りが増幅しているらしいとのこと。
この数年の間、わたしは意図的に1の感情を切り離すことも試したし、
2の感情にどっぷりつかることもした。
両方してみて思うのは、
私の場合は、感情にどっぷりつかる方が回復が速いこと。
実際、怒りや焦りや悲しみという、いわゆるネガティブな感情を持つとき、
わたしはそこから抜け出す技術的な術を知っていても、
そんな術を使う余裕はまったく無い。
どこまでもネガティブになり、どこまでも暗く、どこまでもじめじめしてしまう。
昨日の出来事は、なぜあんなにも撃沈したのか色々理由はあったけど、
結果的にとにかく自分の湧き出る感情に抵抗しなかったのが良かったと思う。
正しくは、抵抗しなかったではなく、抵抗「できなかった」だ。
ずっとその感情にひたっていると、
ある時臨界点のようなものが訪れるんだと思う。
要は、24時間ずっと1秒も休むこともなく怒り続けたり、
悲しみ続けたり、焦り続けたりという風にはできない。
トイレに行きたくなったり、
ごはんを食べたくなったり、
または別の何かをしたくなる瞬間がある。
その時に、たとえそれが短い時間であっても負のスパイラルから一瞬抜ける。
切り替えのうまい人はもっと上手にやるんだろうけれど、
わたしなんかは本当にその辺がいまだもってうまくない。
だけど、なんだかよくわからないけど治まったという体験はたくさん積み上げた。
よくわからないけど治まったという時は、
たいてい何か別の欲が出てきて、そちらにエネルギーが流れた結果、
元々の負のエネルギーが緩和された感じだ。
ネガティブと付き合うのがいまいちうまくない私が唯一うまくやれることは
「気づく」ことだと思う。
「おなかは体に良いものを欲している」と気づく。
「今ごはんのための買い物に行きたい」と気づく。
そういうことでいい。
さっきの負のスパイラルとは違うものに気づくと何かが変わり始める。
追伸:昨日の出来事の詳細は『撃沈から回復するまで~実際のプロセス~』に書きました。
2013年10月3日木曜日
撃沈から回復するまで~実際のプロセス~
(注)この文章、細かく書いているので長いです。
長いけど、どう撃沈して、そしてどう回復したのか、記録として残すために書きました。
********************************************************************************
昨日朝から行きたくもない講習に出かけた。
半強制的に参加するもので、ドレスコード付きというやっかいなものだった。
現地ビルに到着しているにも関わらず、なんと高層エレベーター朝の時間帯は1Fに停止せず、
そうとは知らない私はそこで数分のロス。
途中でようやく2Fにまわらなければいけないことに気付き移動。
すでに受付終了時間5分前を切っていた。
エレベーターを乗り継ぎする途中、トイレに行きたくなった。
だけど、トイレに行く時間はない。
受付終了時間ジャストにしか到着できない時間になっていた。
2時間なんとか乗り切れるだろう・・・と予想して、ようやく会場に到着。
受付の方に「今日の講習にきました」と言って名前を名乗る。
イスに腰掛けてお待ちください、ということでイスに座って待っていた。
1、2分後、受付の方がくる。
場所に案内されるのかと思いきや
「あの~、今日は何の約束でいらっしゃいましたでしょうか?」
と聞かれる。
その時に、講習の案内状をかばんから取り出し、受付の方に見せた。
それを見て受付の方が
「それ、今日ではなく明日のものですね・・・
申しわけないですが、明日の朝もう一度来ていただいてもよろしいでしょうか」
と本当に申し訳なさそうに言われた。
この時の私は、どこにぶつけていいのかわからない怒りに満ち溢れていた。
さすがに受付の人にあたるわけにもいかず、
そこはひとまず平然を装ったつもりで、一言謝りとわかりましたと言って退散した。
色々抜けている私だけど、
こういう日にちを間違えるミスは恐らく過去に一度も経験していない。
こういう時の感情の体験も初めてであれば、
自分に怒っているのか何に怒っているのかわからない感情でぐるぐるしていた。
深呼吸でおさまるものではない感情の渦にのまれていた。
とりあえず、気を取り直そうと、
ついでにやろうと思っていた郵便局の口座に入金しようとATMに入った。
おばあさんの先客が一人。
最初は普通に待っていたつもりが、そのおばあさんどうも紙幣と小銭をどこかに振り込みしたいらしいようだった。
入金するまでも色々と操作があり、
ひとつひとつ声に出して操作をしていた。
さぁ入金という時に、入金の仕方がわからず、紙幣だけ入れて小銭を入れるタイミングを逃し
結局入金失敗して、最初からの操作になった。
さきほどの怒りがまだ健在だったところにこのおばあさんの入金失敗は、
火に油を注ぐ形になった。
心のイライラの声が、私の独り言として音声となって私の耳に届いた時、
もうこれ以上待っているとさらに怒りが増長するだけだと思いその場を去った。
次の気を取り直す作戦が必要となった。
とりあえずトイレに寄り、
その後少しでも楽しいことをしよう!ということで、
いまだかつて見たことのない閑散っぷりの大型書店に行った。
朝のすがすがしい空気が漂っている店内。
本でも見たら気が良くなるかも・・・と期待も高まる。
ところが。
この作戦も、最初の怒りが減るという意味では功を成したけど、
その怒りが別のものに変わったという結果になってしまった。
手に取った本がどういうわけか
「ネガティブ思考」チェックなるテストがあって、
気になってそのままテストした。
本によると6タイプのネガティブがあるという。
質問に答えて、自分がどの内容にどれほどマッチするかを見るのだけど、
解説に
「各項目5個以上『はい』がついたら、それはあなたが持っているネガティブのタイプです。
2項目以上に5個以上の『はい』がついた方は、その両方をきちんと読みましょう」
というような形になっていた。
私は全6項目に5個以上の「はい」が登場し、
ということは、すなわちネガティブ全制覇したことになり、
これも一気に気を滅入らせた。
各項目の解説がさらにいちいち気に障る形で、
本での気分転換失敗に終わり店をあとにした。
そんなこんなのうちに少し早いけど、ランチタイム突入。
ランチに行こうかとその辺り一帯をぐるぐると回った。
30分ほど歩いたら気は晴れてきたけど、ランチするのも面倒になり、
ここはもう家に帰ろうとバスに乗った。
家の近くのバス停で降りた。
ここからだ。
本格的に撃沈したのは。
空は雲ひとつない秋晴れで、申し分ない天候だった。
いつもの見慣れた街並みだ。
なのに、私は心がどんよりと重く、一体私は自分の人生がどこにむかっているのかと思った。
前日、父と妹にそれぞれ別々に今の私を疑うというか否定すると言うか
そんな言葉もあった。
(父親は心配で、妹は多分私ではなく本人の言葉にならない怒りが私に向いていたと今は思う)
私はどこまでいっても自分の未来に繋がる今のことが決められなかった。
どうしたいのかわからない。
(↑この「どうしたいのかわからない」も先述のネガティブチェックのひとつの質問に含まれていた)
焦りはしても答えは出ない。
どんどんどんどん落ち込んだ。
落ち込みは頂点に達し、
ごはんを作る気力はなく、
ジャンクフードと発泡酒という組み合わせでお昼を済ませた。
ジャンクフード+お酒の組み合わせは、ストレス大の私の兆候。
こういう時はひたすらぐるぐるするだけで、
一抹の光すら見つけられない。
食べたら横になって、読みかけの本を少し読んだ。
不安は不安のまま、
行き場を失った怒りは怒りのまま、
気付いたら私は寝てた。
一度電話が鳴って起きたけど、
電話を切ってからもまた寝た。
3時間くらい寝ただろうか。
起きたら、少しだけすっきりしていた。
もう今朝のそもそもの日にち間違いは仕方のないこととどこかであきらめ、
こんな日は嫌だけど過ぎたことはやり直せないからとなんだか納得し、
すこし胃が重たいことに気付いて夜は何か体にいいものを作りたいという意欲が湧いた。
日用品の買い出しの用事も思い出して、
夕方買い物に出た。
夕焼けの色がすっかり秋の色になっていて、
木々の葉っぱのあいだをすり抜ける風が心地よくて、
起きてぼーっとしていたこともあってやっと少し楽になっていた。
夜は、油揚げの焼いたもの、大根サラダ、大根の葉入り納豆ご飯を食べた。
その後、どういうわけか夏くらいからほぼ毎日のようにやっている写経をやり出した。
これだけできれば上出来だった。
その時に、この1日の出来事をブログにアップしようと決めた。
そして今こうして書いている。
長いけど、どう撃沈して、そしてどう回復したのか、記録として残すために書きました。
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昨日朝から行きたくもない講習に出かけた。
半強制的に参加するもので、ドレスコード付きというやっかいなものだった。
現地ビルに到着しているにも関わらず、なんと高層エレベーター朝の時間帯は1Fに停止せず、
そうとは知らない私はそこで数分のロス。
途中でようやく2Fにまわらなければいけないことに気付き移動。
すでに受付終了時間5分前を切っていた。
エレベーターを乗り継ぎする途中、トイレに行きたくなった。
だけど、トイレに行く時間はない。
受付終了時間ジャストにしか到着できない時間になっていた。
2時間なんとか乗り切れるだろう・・・と予想して、ようやく会場に到着。
受付の方に「今日の講習にきました」と言って名前を名乗る。
イスに腰掛けてお待ちください、ということでイスに座って待っていた。
1、2分後、受付の方がくる。
場所に案内されるのかと思いきや
「あの~、今日は何の約束でいらっしゃいましたでしょうか?」
と聞かれる。
その時に、講習の案内状をかばんから取り出し、受付の方に見せた。
それを見て受付の方が
「それ、今日ではなく明日のものですね・・・
申しわけないですが、明日の朝もう一度来ていただいてもよろしいでしょうか」
と本当に申し訳なさそうに言われた。
この時の私は、どこにぶつけていいのかわからない怒りに満ち溢れていた。
さすがに受付の人にあたるわけにもいかず、
そこはひとまず平然を装ったつもりで、一言謝りとわかりましたと言って退散した。
色々抜けている私だけど、
こういう日にちを間違えるミスは恐らく過去に一度も経験していない。
こういう時の感情の体験も初めてであれば、
自分に怒っているのか何に怒っているのかわからない感情でぐるぐるしていた。
深呼吸でおさまるものではない感情の渦にのまれていた。
とりあえず、気を取り直そうと、
ついでにやろうと思っていた郵便局の口座に入金しようとATMに入った。
おばあさんの先客が一人。
最初は普通に待っていたつもりが、そのおばあさんどうも紙幣と小銭をどこかに振り込みしたいらしいようだった。
入金するまでも色々と操作があり、
ひとつひとつ声に出して操作をしていた。
さぁ入金という時に、入金の仕方がわからず、紙幣だけ入れて小銭を入れるタイミングを逃し
結局入金失敗して、最初からの操作になった。
さきほどの怒りがまだ健在だったところにこのおばあさんの入金失敗は、
火に油を注ぐ形になった。
心のイライラの声が、私の独り言として音声となって私の耳に届いた時、
もうこれ以上待っているとさらに怒りが増長するだけだと思いその場を去った。
次の気を取り直す作戦が必要となった。
とりあえずトイレに寄り、
その後少しでも楽しいことをしよう!ということで、
いまだかつて見たことのない閑散っぷりの大型書店に行った。
朝のすがすがしい空気が漂っている店内。
本でも見たら気が良くなるかも・・・と期待も高まる。
ところが。
この作戦も、最初の怒りが減るという意味では功を成したけど、
その怒りが別のものに変わったという結果になってしまった。
手に取った本がどういうわけか
「ネガティブ思考」チェックなるテストがあって、
気になってそのままテストした。
本によると6タイプのネガティブがあるという。
質問に答えて、自分がどの内容にどれほどマッチするかを見るのだけど、
解説に
「各項目5個以上『はい』がついたら、それはあなたが持っているネガティブのタイプです。
2項目以上に5個以上の『はい』がついた方は、その両方をきちんと読みましょう」
というような形になっていた。
私は全6項目に5個以上の「はい」が登場し、
ということは、すなわちネガティブ全制覇したことになり、
これも一気に気を滅入らせた。
各項目の解説がさらにいちいち気に障る形で、
本での気分転換失敗に終わり店をあとにした。
そんなこんなのうちに少し早いけど、ランチタイム突入。
ランチに行こうかとその辺り一帯をぐるぐると回った。
30分ほど歩いたら気は晴れてきたけど、ランチするのも面倒になり、
ここはもう家に帰ろうとバスに乗った。
家の近くのバス停で降りた。
ここからだ。
本格的に撃沈したのは。
空は雲ひとつない秋晴れで、申し分ない天候だった。
いつもの見慣れた街並みだ。
なのに、私は心がどんよりと重く、一体私は自分の人生がどこにむかっているのかと思った。
前日、父と妹にそれぞれ別々に今の私を疑うというか否定すると言うか
そんな言葉もあった。
(父親は心配で、妹は多分私ではなく本人の言葉にならない怒りが私に向いていたと今は思う)
私はどこまでいっても自分の未来に繋がる今のことが決められなかった。
どうしたいのかわからない。
(↑この「どうしたいのかわからない」も先述のネガティブチェックのひとつの質問に含まれていた)
焦りはしても答えは出ない。
どんどんどんどん落ち込んだ。
落ち込みは頂点に達し、
ごはんを作る気力はなく、
ジャンクフードと発泡酒という組み合わせでお昼を済ませた。
ジャンクフード+お酒の組み合わせは、ストレス大の私の兆候。
こういう時はひたすらぐるぐるするだけで、
一抹の光すら見つけられない。
食べたら横になって、読みかけの本を少し読んだ。
不安は不安のまま、
行き場を失った怒りは怒りのまま、
気付いたら私は寝てた。
一度電話が鳴って起きたけど、
電話を切ってからもまた寝た。
3時間くらい寝ただろうか。
起きたら、少しだけすっきりしていた。
もう今朝のそもそもの日にち間違いは仕方のないこととどこかであきらめ、
こんな日は嫌だけど過ぎたことはやり直せないからとなんだか納得し、
すこし胃が重たいことに気付いて夜は何か体にいいものを作りたいという意欲が湧いた。
日用品の買い出しの用事も思い出して、
夕方買い物に出た。
夕焼けの色がすっかり秋の色になっていて、
木々の葉っぱのあいだをすり抜ける風が心地よくて、
起きてぼーっとしていたこともあってやっと少し楽になっていた。
夜は、油揚げの焼いたもの、大根サラダ、大根の葉入り納豆ご飯を食べた。
その後、どういうわけか夏くらいからほぼ毎日のようにやっている写経をやり出した。
これだけできれば上出来だった。
その時に、この1日の出来事をブログにアップしようと決めた。
そして今こうして書いている。
2013年9月17日火曜日
動いたらわかる
動いたらわかる・・・
それを体で感じるために今まで止まっていたのかと思った。
動いてやってきた答えは、
「どれもこれもはずれ」だとか
「ぴんとくるものがない」だとか
要は、
結果そのものは、
欲しい答えも欲しい方向性も
ないままには変わりない、
けど、
そのはずれだのぴんとこないだのがわかった。
そう、それがわかった。
当たり前だと言われたら、そうです・・・とか細い声で返事するしかない内容だけど、
これ、私にとっては大大大進歩!!!
「祝★おめでとう」並みの結果だ。
本当に自分が動けなくなってしまった数か月前。
自分が今
食べたいのか
食べるとしたら何を食べたいのか
眠たいのか
トイレに行きたいのか
お風呂に入ってさっぱりしたいのか
誰かに会いたいのか
ひとりでずっとこのまま放心したいのか
とにかくそういうことが何にもわからなくなってしまった。
外に出ても心は晴れない。
人に会っても余計と混乱することもあった。
まじめにこの先どうするつもりなんだろう・・・なんて考える余裕すらなかった。
「助けて」だの「話を聞いて」だのそういうことを言えないのは相変わらずだった。
その状態からどうやって今日のように動くまでに至ったのかはまた別の機会に書こうと思う。
次の瞬間のことが何ひとつ決められずにもがきまくっていた時。
周りのアドバイスはひとつとして気持ちは楽にもならなければ、
簡単に「○○あるよ~」なんて言われても
「働かないでどうやって食べるの?」と親が激怒しようが、
やばい、動けない、つぎ?次なんてわからない、
そんな感じだった。
だから、今日色んなはずれを目の前で見ながら
そのはずれた感覚とか、なんか違うんだよねと自然に納得してる自分とか、
ものすっごく新鮮だった。
そうしたら、
言葉の通り
「天空から贈り物」(笑)がやってきた。
名古屋の観光名所?テレビ塔(東京タワーのような形)の塔の頂上にどういうわけか
生きる喜び
と点灯されていた。
4年ほど名古屋に住んでいて
「生きる喜び」とライトアップされたテレビ塔は初めて見た。
相変わらず色々決まらないままでも、
「『答えが出ない』のが今の答えなんだ」とすとんと受け取れるようになったら
それもありだな~なんて思えるようになった。
ずいぶん楽になったものだと思う。
それを体で感じるために今まで止まっていたのかと思った。
動いてやってきた答えは、
「どれもこれもはずれ」だとか
「ぴんとくるものがない」だとか
要は、
結果そのものは、
欲しい答えも欲しい方向性も
ないままには変わりない、
けど、
そのはずれだのぴんとこないだのがわかった。
そう、それがわかった。
当たり前だと言われたら、そうです・・・とか細い声で返事するしかない内容だけど、
これ、私にとっては大大大進歩!!!
「祝★おめでとう」並みの結果だ。
本当に自分が動けなくなってしまった数か月前。
自分が今
食べたいのか
食べるとしたら何を食べたいのか
眠たいのか
トイレに行きたいのか
お風呂に入ってさっぱりしたいのか
誰かに会いたいのか
ひとりでずっとこのまま放心したいのか
とにかくそういうことが何にもわからなくなってしまった。
外に出ても心は晴れない。
人に会っても余計と混乱することもあった。
まじめにこの先どうするつもりなんだろう・・・なんて考える余裕すらなかった。
「助けて」だの「話を聞いて」だのそういうことを言えないのは相変わらずだった。
その状態からどうやって今日のように動くまでに至ったのかはまた別の機会に書こうと思う。
次の瞬間のことが何ひとつ決められずにもがきまくっていた時。
周りのアドバイスはひとつとして気持ちは楽にもならなければ、
簡単に「○○あるよ~」なんて言われても
「働かないでどうやって食べるの?」と親が激怒しようが、
やばい、動けない、つぎ?次なんてわからない、
そんな感じだった。
だから、今日色んなはずれを目の前で見ながら
そのはずれた感覚とか、なんか違うんだよねと自然に納得してる自分とか、
ものすっごく新鮮だった。
そうしたら、
言葉の通り
「天空から贈り物」(笑)がやってきた。
名古屋の観光名所?テレビ塔(東京タワーのような形)の塔の頂上にどういうわけか
生きる喜び
と点灯されていた。
4年ほど名古屋に住んでいて
「生きる喜び」とライトアップされたテレビ塔は初めて見た。
相変わらず色々決まらないままでも、
「『答えが出ない』のが今の答えなんだ」とすとんと受け取れるようになったら
それもありだな~なんて思えるようになった。
ずいぶん楽になったものだと思う。
2013年9月12日木曜日
自分と付き合っていく
人生の大半を悩むだのうじうじするだのということにたくさん費やしていた私。
コーチングとNLPに出逢って、
かなりな数の過去の苦(にが)くて痛くて苦しいものが解放されたのと、
「観念」と呼ばれるものを見つけたりそれを自分の好ましい内容に書き換えたりと、
まぁ色々とやった。
色んな変化は起きたし、
自分の中で軽くなったものも増えてはきているように感じるけど、
それでもまだ心の具合が悪く本当に寝込むというかひたすら布団にもぐって現実逃避する日もあれば、
日長1日ネットゲームをして現実逃避をする日もあれば、
もう未来のことなんか何も考えたくない、決めれない、どうしていいかわからない・・・
なんてことは相変わらずある。
ひとつ何かに打ち込むと、それが終わった時に燃え尽き症候群になりやすい自分のパターンもだいたいわかってきた。
見たくない自分も、
できたら今のことはなかったことにしようと思う自分も、
弱い自分も他人をうらやむばかりで行動しない自分も、
方向性を見失うと突然動けなくなる自分も、
まぁとにかく色んな自分をこの4年ほどひたすら見ているように思う。
これまでも当然24時間365日自分と一緒にいるわけだから見てないわけはなかったけど、
こんな自分は自分であって欲しくないとか、
いやいやこんなんじゃだめでしょうと得意の自分討ちや、
見えても見えてないふりを通すとか、
まぁあれこれもがいていた。
さぁ観念書き替えました!
潜在意識も大きく変化したと感じるくらいの変化も自分の中に湧きおこりました!
あぁこれからは明るい未来へまた一歩近付くのか!?
と期待がむくむくと湧き出て、
一瞬夢を見るけれども、
あぁはかないこの夢。
また、最初に書いたようなよく見ている「自分」に遭遇。
今日からやるぞ~!となったのではなかったのか!?
あれだけワクワクしていたのに、あのワクワクはどこへ消えたのか!?
書き出すといくらでも書き続けられそうだからここで一度やめる。
そんな自分に何度も裏切られた気分にさせられながら、
ある時から私の目標とする自分像を変更した。
寝込む自分が時々登場しても
もうすべて投げ出したい気分になる自分になっても
動けなくて焦ってばかりいる自分でも
そんな自分と共存しながらとにかく進んでいくというのがいいなぁと。
アメリカの有名な誰かが(名前は忘れた)、
人前で話すことをとても苦手としていて、彼はある日スピーチのレッスンを取る。
彼が目指したのは、
スピーチが上手になることでも、
緊張せずに壇上に立つことでもなかった。
彼が目指したのは、
足が震えながらも人前で話せるようになりたい、
というものだった。
とっても有名な方(名前は度忘れしたけど)の言葉で、
えぇ~!!あんなすごい人でもそんな風だったのかと思って妙に親近感を覚えたエピソードだった。
だから、私も、
寝込む私も、
ぐずぐずで何でも先延ばしにする私も、
焦ったりぶれたりする私も、
自分の中でなかったことにしたいと思うありとあらゆる自分をもってでも
「あぁ私前に進んでるじゃん♪」
と思えることを目指したいと思ってる。
ちなみに、自己啓発だの精神世界だの読むと、
「○○になりたい」という言い方は実現性に乏しく、
「自分は○○だ」と言い切りの言い方がそういうセルフイメージを育ていつかそういう自分になる、
と言う風によく書かれている。
一時期はそれにかなり気を遣った。
1年近くそんなことをノートに書き連ねて望ましいセルフイメージ育てに励んだ。
それはとても効果的な方法だから、色んな書籍でもメンタルトレーナー系の人が紹介しているのだと思う。
だけど、私にはどうも合っていないようだった。
言い切りの形にして文章を書いても書いても、
現実は真逆にいって、
何がどうしたら私の人生こんなことになるんだ!?と何度も嘆いた。
やっても報われないようで、なんなんだこれは!?と怒りすらも感じた。
じゃなくて、
「私は○○になりたい」
と書く方が、私にはしっくりとくる。
今の現状、そうなっていない自分をきちんとわかった上での
「○○になりたい」だから
かえってその表現の方が自分に寄り添ったように感じる。
これは個人の感覚の問題だから、
もしかしたら「言い切りの形」推奨派の人たちからは「そんなではだめだよ!」とお叱りを受けるかもだけど、
ある時だけ関わる個人にどう思われるかより、
今この瞬間自分といて居心地がいいかどうかの方が私には重要だから、
あぁ自分の感覚を優先して大丈夫だとやっと最近そう感じられるようになってきた。
たとえ、それが多くの成功者と呼ばれる人たちが推奨する方法とは反対でも。
ついでに言うと、結果はいまいちでも色々試してみたのは良かった。
何が合ってる合わないというのがだんだんとわかってくる。
いきなりはわからないけど、やっていくうちにあぁこれはいいなぁと感じたり、
効果的と色んな人が絶賛する割には私にはいつまで経ってもぴんとこない、
自分がおかしいのか!?と変に落ち込んだりしながらも
合う合わないがわかるようになっていた。
靴に似ているかもしれない。
靴を買ってしばらくは自分の足に馴染むかどうかわからない。
はいていくうちに馴染むものもあれば、
はいてもはいても靴ずれを起こすものもある。
自分に合うか合わないかは、
その靴が自分の足に合うか合わないかを知るように、
それだけは自分にしかわからない。
100人いて99人が絶賛する方法でも
たった一人の私がぴんときていなければ違うということ。
やっとそれをそういうこともあるんだ・・・と受け入れ出した私。
コーチングとNLPに出逢って、
かなりな数の過去の苦(にが)くて痛くて苦しいものが解放されたのと、
「観念」と呼ばれるものを見つけたりそれを自分の好ましい内容に書き換えたりと、
まぁ色々とやった。
色んな変化は起きたし、
自分の中で軽くなったものも増えてはきているように感じるけど、
それでもまだ心の具合が悪く本当に寝込むというかひたすら布団にもぐって現実逃避する日もあれば、
日長1日ネットゲームをして現実逃避をする日もあれば、
もう未来のことなんか何も考えたくない、決めれない、どうしていいかわからない・・・
なんてことは相変わらずある。
ひとつ何かに打ち込むと、それが終わった時に燃え尽き症候群になりやすい自分のパターンもだいたいわかってきた。
見たくない自分も、
できたら今のことはなかったことにしようと思う自分も、
弱い自分も他人をうらやむばかりで行動しない自分も、
方向性を見失うと突然動けなくなる自分も、
まぁとにかく色んな自分をこの4年ほどひたすら見ているように思う。
これまでも当然24時間365日自分と一緒にいるわけだから見てないわけはなかったけど、
こんな自分は自分であって欲しくないとか、
いやいやこんなんじゃだめでしょうと得意の自分討ちや、
見えても見えてないふりを通すとか、
まぁあれこれもがいていた。
さぁ観念書き替えました!
潜在意識も大きく変化したと感じるくらいの変化も自分の中に湧きおこりました!
あぁこれからは明るい未来へまた一歩近付くのか!?
と期待がむくむくと湧き出て、
一瞬夢を見るけれども、
あぁはかないこの夢。
また、最初に書いたようなよく見ている「自分」に遭遇。
今日からやるぞ~!となったのではなかったのか!?
あれだけワクワクしていたのに、あのワクワクはどこへ消えたのか!?
書き出すといくらでも書き続けられそうだからここで一度やめる。
そんな自分に何度も裏切られた気分にさせられながら、
ある時から私の目標とする自分像を変更した。
寝込む自分が時々登場しても
もうすべて投げ出したい気分になる自分になっても
動けなくて焦ってばかりいる自分でも
そんな自分と共存しながらとにかく進んでいくというのがいいなぁと。
アメリカの有名な誰かが(名前は忘れた)、
人前で話すことをとても苦手としていて、彼はある日スピーチのレッスンを取る。
彼が目指したのは、
スピーチが上手になることでも、
緊張せずに壇上に立つことでもなかった。
彼が目指したのは、
足が震えながらも人前で話せるようになりたい、
というものだった。
とっても有名な方(名前は度忘れしたけど)の言葉で、
えぇ~!!あんなすごい人でもそんな風だったのかと思って妙に親近感を覚えたエピソードだった。
だから、私も、
寝込む私も、
ぐずぐずで何でも先延ばしにする私も、
焦ったりぶれたりする私も、
自分の中でなかったことにしたいと思うありとあらゆる自分をもってでも
「あぁ私前に進んでるじゃん♪」
と思えることを目指したいと思ってる。
ちなみに、自己啓発だの精神世界だの読むと、
「○○になりたい」という言い方は実現性に乏しく、
「自分は○○だ」と言い切りの言い方がそういうセルフイメージを育ていつかそういう自分になる、
と言う風によく書かれている。
一時期はそれにかなり気を遣った。
1年近くそんなことをノートに書き連ねて望ましいセルフイメージ育てに励んだ。
それはとても効果的な方法だから、色んな書籍でもメンタルトレーナー系の人が紹介しているのだと思う。
だけど、私にはどうも合っていないようだった。
言い切りの形にして文章を書いても書いても、
現実は真逆にいって、
何がどうしたら私の人生こんなことになるんだ!?と何度も嘆いた。
やっても報われないようで、なんなんだこれは!?と怒りすらも感じた。
じゃなくて、
「私は○○になりたい」
と書く方が、私にはしっくりとくる。
今の現状、そうなっていない自分をきちんとわかった上での
「○○になりたい」だから
かえってその表現の方が自分に寄り添ったように感じる。
これは個人の感覚の問題だから、
もしかしたら「言い切りの形」推奨派の人たちからは「そんなではだめだよ!」とお叱りを受けるかもだけど、
ある時だけ関わる個人にどう思われるかより、
今この瞬間自分といて居心地がいいかどうかの方が私には重要だから、
あぁ自分の感覚を優先して大丈夫だとやっと最近そう感じられるようになってきた。
たとえ、それが多くの成功者と呼ばれる人たちが推奨する方法とは反対でも。
ついでに言うと、結果はいまいちでも色々試してみたのは良かった。
何が合ってる合わないというのがだんだんとわかってくる。
いきなりはわからないけど、やっていくうちにあぁこれはいいなぁと感じたり、
効果的と色んな人が絶賛する割には私にはいつまで経ってもぴんとこない、
自分がおかしいのか!?と変に落ち込んだりしながらも
合う合わないがわかるようになっていた。
靴に似ているかもしれない。
靴を買ってしばらくは自分の足に馴染むかどうかわからない。
はいていくうちに馴染むものもあれば、
はいてもはいても靴ずれを起こすものもある。
自分に合うか合わないかは、
その靴が自分の足に合うか合わないかを知るように、
それだけは自分にしかわからない。
100人いて99人が絶賛する方法でも
たった一人の私がぴんときていなければ違うということ。
やっとそれをそういうこともあるんだ・・・と受け入れ出した私。
『時間が解決します』の新しい解釈
色んな書籍や著名人なんかが
「時間が解決します」
と悩みに対して回答しているところをよく見る。
いつだったか、あるお坊さんが
「1年前の今日の悩みが何だったかなんて誰も憶えていないでしょう・・・」
と言っていたことに、それもそうだ!と合点がいったこともある。
なので、「時が解決する」という意味は、
なんとなく時間や日常を重ねていくうちに悩みが薄れていく
という風にずっと解釈していた。
その解釈もありだと今も思っているけれど、
それとは全く別の解釈がふとこの間私の元におとずれた。
数年経ってもいまだに傷のような存在で残っているもの。
先日、歩いている途中にふとそのことを思い出した。
もっと言うと、銀行の窓口で用を足すために、
馴染みのない町をうろうろとさまよいながら銀行をひたすら探していた。
そんな時、突然、過去から今へと延々私の中で何度も繰り返されているものが思考の中ににょきっと出てきた。
「忘れる」という素晴らしい機能が人間に備わっていても、
忘れたくても忘れられない光景や瞬間がある。
その時もまたそれを思い出したわけだけど、
いつもと違ったのは、過去の自分が今の自分を癒したことに気づいたことだった。
2年3年と経過した出来事ではあるけれど、
いつもどこか消化不良で、
だいぶ痛みや傷なんかは薄らいだようには感じるけど、
あぁもう多分一生付き合っていくものなのかな・・・とあきらめに似た気持ちもあった。
これまではそんな風にしか思えないことだった。
ところが、その銀行探しに奔走していた時、
なぜかその2年3年と辛い時期を通り過ぎてきた自分に対して
「あぁ~本当によくがんばったなぁ~」
という気持ちが初めて沸いた。
渦中にいる時は、ちっとも進まない感じの自分に
うんざりしたり憤慨したり虚無感のようなものを覚えたり脱力したりと
何度も何度もいやになった。
時間がどんどん過ぎても、全く進んだ感じのしないあの日々は、
楽しいことがあっても根底がしんどいような感じは決して消えてくれなかった。
そう、ずっとそんなことを繰り返していた自分が、
今になって本当にがんばっていたんだなぁと初めて思えた。
あんな辛かった日々をよくぞここまで通り過ぎてきたなぁと振り返ったら
時の中で私が積み重ねたものがようやく見えた。
大元の出来事は変えられない。
もう起きてしまったことだからどうにもできない。
自分の感情や思いを変えるというのも、この場合に限っては困難極まりなくあきらめた。
もう無理に変えたりするのではなくなるようにしかならないといつからか開き直った。
開き直ったり落ち込んだりしながら2年3年と過ごした。
未だに癒えきれない傷は傷のままだ。
自分でもそっとしておくかふたをするしかないと感じることもある。
それでもたしかに、その事が私の身に起こってからも、
私はこれまで毎日を生きてきたわけで、
大きなことはやっていないかもしれないけれど、
ただただその傷を抱えながらも生き続けたということがすごい勲章のようになってた。
「時が解決する」
というのは、単純に時が経過して悩みや心配や不安が薄れるという意味だけではなく、
ある瞬間から抱えてしまったそれらと共に自分が歩んだ軌跡を見て
「あぁ~自分がんばったなぁ~」
という過去の自分の積み重ねがある日とても大きなものになっていたと気づくことも含まれるように今は感じる。
「時間が解決します」
と悩みに対して回答しているところをよく見る。
いつだったか、あるお坊さんが
「1年前の今日の悩みが何だったかなんて誰も憶えていないでしょう・・・」
と言っていたことに、それもそうだ!と合点がいったこともある。
なので、「時が解決する」という意味は、
なんとなく時間や日常を重ねていくうちに悩みが薄れていく
という風にずっと解釈していた。
その解釈もありだと今も思っているけれど、
それとは全く別の解釈がふとこの間私の元におとずれた。
数年経ってもいまだに傷のような存在で残っているもの。
先日、歩いている途中にふとそのことを思い出した。
もっと言うと、銀行の窓口で用を足すために、
馴染みのない町をうろうろとさまよいながら銀行をひたすら探していた。
そんな時、突然、過去から今へと延々私の中で何度も繰り返されているものが思考の中ににょきっと出てきた。
「忘れる」という素晴らしい機能が人間に備わっていても、
忘れたくても忘れられない光景や瞬間がある。
その時もまたそれを思い出したわけだけど、
いつもと違ったのは、過去の自分が今の自分を癒したことに気づいたことだった。
2年3年と経過した出来事ではあるけれど、
いつもどこか消化不良で、
だいぶ痛みや傷なんかは薄らいだようには感じるけど、
あぁもう多分一生付き合っていくものなのかな・・・とあきらめに似た気持ちもあった。
これまではそんな風にしか思えないことだった。
ところが、その銀行探しに奔走していた時、
なぜかその2年3年と辛い時期を通り過ぎてきた自分に対して
「あぁ~本当によくがんばったなぁ~」
という気持ちが初めて沸いた。
渦中にいる時は、ちっとも進まない感じの自分に
うんざりしたり憤慨したり虚無感のようなものを覚えたり脱力したりと
何度も何度もいやになった。
時間がどんどん過ぎても、全く進んだ感じのしないあの日々は、
楽しいことがあっても根底がしんどいような感じは決して消えてくれなかった。
そう、ずっとそんなことを繰り返していた自分が、
今になって本当にがんばっていたんだなぁと初めて思えた。
あんな辛かった日々をよくぞここまで通り過ぎてきたなぁと振り返ったら
時の中で私が積み重ねたものがようやく見えた。
大元の出来事は変えられない。
もう起きてしまったことだからどうにもできない。
自分の感情や思いを変えるというのも、この場合に限っては困難極まりなくあきらめた。
もう無理に変えたりするのではなくなるようにしかならないといつからか開き直った。
開き直ったり落ち込んだりしながら2年3年と過ごした。
未だに癒えきれない傷は傷のままだ。
自分でもそっとしておくかふたをするしかないと感じることもある。
それでもたしかに、その事が私の身に起こってからも、
私はこれまで毎日を生きてきたわけで、
大きなことはやっていないかもしれないけれど、
ただただその傷を抱えながらも生き続けたということがすごい勲章のようになってた。
「時が解決する」
というのは、単純に時が経過して悩みや心配や不安が薄れるという意味だけではなく、
ある瞬間から抱えてしまったそれらと共に自分が歩んだ軌跡を見て
「あぁ~自分がんばったなぁ~」
という過去の自分の積み重ねがある日とても大きなものになっていたと気づくことも含まれるように今は感じる。
2013年9月10日火曜日
負のスパイラルから抜け出す方法その1『5分自由時間』
「1日五分でも、好きなこと、楽しいことをやってみましょう。
そこから人生は飛躍的に変わっていきます。」
~本田 健~
私という人は、一度負のスパイラルに陥ると、どんどん深みにはまっていくタイプだと思う。
自己啓発系のポジティブシンキング系は毒のようにしか私には映らないし、
落ち込んでいる時ははっきり言って何もしたくない。
布団に入って目を閉じてひたすら耐える、
なんていうことをこの人生の中で何度繰り返したかわからない。
あと、根っからの面倒くさがりと熱しやすく冷めやすいのと
基本的に「目標」なんていう言葉も内容も大嫌いな私。
自分が納得できないことは、頑として動かない。
頑固で融通が効かないことも付け加えたい。
そんな私が、実際に納得できて、納得できた分行動できて、そして本当にその通りになった経過をここでお話したい。
上に書いた本田健さんの文章。
その本を読んだ当時の私の生活は今思い出しても恐ろしい。
通勤・帰宅含めて、朝の7時過ぎから夜の12時までずっと仕事をしていた。
その当時、盆正月ゴールデンウィーク含めて年間52日しか休みがなかった。
1年と言うのは52週。
盆は約1週間、正月は3日、ゴールデンウイークは4日、の休み。
合計14日。
52-14は38。
そう、52週に対して38日の休みということは、
すなわち数週間休みなしでぶっ通しで働く時ももちろんあった。
なぜ仕事を辞めないのか、周りから当然不思議に思われた。
私は何回退職届を提出したのかわからない。
10回までいかなくても、それに近い数で出していた。
受理されないどころか相手にもされなかった。
逃げ出したら・・・と言われたこともたくさんあった。
だけど、人相手の商売、会社には迷惑をかけてもいいと思っていたけれど、
私が目の前で見ている子どもとその保護者にだけは迷惑はかけられないと思って
それだけは踏ん張った。
冗談でも、「ぶっしー(私)、自分から大変な道選んでるじゃん!」
と笑って言われても私は傷つくばかりで笑えなかった当時。
そんな時に出逢った言葉だった。
1日5分すらもどうやって捻出するのか・・・と当時の私は思ったけど、
それと同時にその5分すらも捻出できない自分の人生はなんなんだ・・・
とも虚しくなった。
とりあえず。
毎日はできなくても、ちょっと余裕のある時だけがんばってみようか・・・
ということで、私はその「5分自由時間」を決行した。
具体的には何をしたかというと。
大嫌いな会議の後、自分の勤務地へ移動する時。
電車からバスに乗り継ぐ地点があった。
乗り継ぎのところの近くにある中規模の書店に5分だけ立ち寄るというものだった。
元々本屋さんに行くのは好きで、
なんてことはない、
ちょっとのぞいて気になった本があったら1ページ2ページと眺めてすぐにバス乗り場に行く。
私がやったことはそれだけだった。
はっきり言って、それをしたからと言って、
行きたくない仕事に行きたくなることもなかったし、
好きなことの後にすぐ現実に引き戻されて余計と落ち込んだ日もあったし、
その時すぐに何か劇的な効果があったかと言えばそうではなかった。
だけど、今振り返ると、確実にその5分自由時間が私にもたらしたものは
その後今に続く人生の転機となっている。
今の私が振り返って思うことは。
この5分自由時間を自分に与えることは
私の中の小さな成功体験になった。
5分だけでも負のスパイラルから抜けられた自分。
好きなことをすることを自分に許せた自分。
そんな感じだろうか。
ちなみに、それを初めてから1年くらいだろうか。
年間52日の休みから
「平日1日休み+土曜日午後から日曜日休み」
という勤務体系がなんと会社からオファーがきた。
上司からは退職届を一切受け取ってもらえず、
なんだったら、辞めさせるわけにはいかないと親にまで連絡すると脅されていた当時。
社内における前例は恐らくなかったのではないかと思う。
なぜなら、私がそうなってから、
数名の社員の方から個人的に連絡がきて
「どうやってそのやり方を採用してもらえたのか」
と具体的戦略を問われた位だったから。
話がそれた。
本田健さんの伝えてくれた
「1日5分でも、好きなこと、楽しいことをやってみましょう」
これ、絶大な効果を発揮することが実体験を通じてわかった。
そして、長い目で見ると、負のスパイラルを抜け出す素敵な方法に変わっていたりもする。
負担が少ない上に、5分間は楽しいという保証あり。
個人的に超おすすめ★★★★★
そこから人生は飛躍的に変わっていきます。」
~本田 健~
私という人は、一度負のスパイラルに陥ると、どんどん深みにはまっていくタイプだと思う。
自己啓発系のポジティブシンキング系は毒のようにしか私には映らないし、
落ち込んでいる時ははっきり言って何もしたくない。
布団に入って目を閉じてひたすら耐える、
なんていうことをこの人生の中で何度繰り返したかわからない。
あと、根っからの面倒くさがりと熱しやすく冷めやすいのと
基本的に「目標」なんていう言葉も内容も大嫌いな私。
自分が納得できないことは、頑として動かない。
頑固で融通が効かないことも付け加えたい。
そんな私が、実際に納得できて、納得できた分行動できて、そして本当にその通りになった経過をここでお話したい。
上に書いた本田健さんの文章。
その本を読んだ当時の私の生活は今思い出しても恐ろしい。
通勤・帰宅含めて、朝の7時過ぎから夜の12時までずっと仕事をしていた。
その当時、盆正月ゴールデンウィーク含めて年間52日しか休みがなかった。
1年と言うのは52週。
盆は約1週間、正月は3日、ゴールデンウイークは4日、の休み。
合計14日。
52-14は38。
そう、52週に対して38日の休みということは、
すなわち数週間休みなしでぶっ通しで働く時ももちろんあった。
なぜ仕事を辞めないのか、周りから当然不思議に思われた。
私は何回退職届を提出したのかわからない。
10回までいかなくても、それに近い数で出していた。
受理されないどころか相手にもされなかった。
逃げ出したら・・・と言われたこともたくさんあった。
だけど、人相手の商売、会社には迷惑をかけてもいいと思っていたけれど、
私が目の前で見ている子どもとその保護者にだけは迷惑はかけられないと思って
それだけは踏ん張った。
冗談でも、「ぶっしー(私)、自分から大変な道選んでるじゃん!」
と笑って言われても私は傷つくばかりで笑えなかった当時。
そんな時に出逢った言葉だった。
1日5分すらもどうやって捻出するのか・・・と当時の私は思ったけど、
それと同時にその5分すらも捻出できない自分の人生はなんなんだ・・・
とも虚しくなった。
とりあえず。
毎日はできなくても、ちょっと余裕のある時だけがんばってみようか・・・
ということで、私はその「5分自由時間」を決行した。
具体的には何をしたかというと。
大嫌いな会議の後、自分の勤務地へ移動する時。
電車からバスに乗り継ぐ地点があった。
乗り継ぎのところの近くにある中規模の書店に5分だけ立ち寄るというものだった。
元々本屋さんに行くのは好きで、
なんてことはない、
ちょっとのぞいて気になった本があったら1ページ2ページと眺めてすぐにバス乗り場に行く。
私がやったことはそれだけだった。
はっきり言って、それをしたからと言って、
行きたくない仕事に行きたくなることもなかったし、
好きなことの後にすぐ現実に引き戻されて余計と落ち込んだ日もあったし、
その時すぐに何か劇的な効果があったかと言えばそうではなかった。
だけど、今振り返ると、確実にその5分自由時間が私にもたらしたものは
その後今に続く人生の転機となっている。
今の私が振り返って思うことは。
この5分自由時間を自分に与えることは
私の中の小さな成功体験になった。
5分だけでも負のスパイラルから抜けられた自分。
好きなことをすることを自分に許せた自分。
そんな感じだろうか。
ちなみに、それを初めてから1年くらいだろうか。
年間52日の休みから
「平日1日休み+土曜日午後から日曜日休み」
という勤務体系がなんと会社からオファーがきた。
上司からは退職届を一切受け取ってもらえず、
なんだったら、辞めさせるわけにはいかないと親にまで連絡すると脅されていた当時。
社内における前例は恐らくなかったのではないかと思う。
なぜなら、私がそうなってから、
数名の社員の方から個人的に連絡がきて
「どうやってそのやり方を採用してもらえたのか」
と具体的戦略を問われた位だったから。
話がそれた。
本田健さんの伝えてくれた
「1日5分でも、好きなこと、楽しいことをやってみましょう」
これ、絶大な効果を発揮することが実体験を通じてわかった。
そして、長い目で見ると、負のスパイラルを抜け出す素敵な方法に変わっていたりもする。
負担が少ない上に、5分間は楽しいという保証あり。
個人的に超おすすめ★★★★★
2013年9月9日月曜日
気持ちのいい対応
PILOT社のペンで10年以上愛用しているものがある。
持ちやすさと書きやすさを気に入っていて、何度もインクを取り換えてはせっせと使っている。
ところがここ最近、3本ほど連続でインクの具合が悪い。
出たり出なかったりしている。
こんなことこの10年で初めてで、私はとうとうお客様相談室にメールを投稿した。
クレームというよりも、とにかくこれからも長く使いたいペンだから、
インクの出が悪いことが毎回のごとくストレスでは困ると思って問い合わせすることにした。
なんと翌営業日に返事がきて、そして商品を一度送って欲しい旨書かれてあった。
送料やその他の対応もきちんと明記してあってとっても感動した。
クレーマーではないけれど、
自分の日常使いするものでストレスとなるような不具合が出る時は
私は基本的に問い合わせる。
今朝は、総務省の某国民調査の対象になったけれど辞退したいと申し出た。
膨大な調査用紙の記入があり、それを毎月1回1年間通しでやることになっていた。
調査自体は多少わずらわしさもあるけれど、
やってみたら面白いかもしれないというものだった。
だけど、私が気に入らなかったのは、
合計12回の調査に対し、ボールペン1本で全てを済ませようというところだった。
お金が欲しいと言っているのではない。
調査を委託された会社には必ず委託料が総務省から支払われているはずだ。
なのに、そこからさらに依頼する個人宅には無償でお願いするというやり方。
そのやり方に私は違和感を抱いた。
辞退を申し出た際理由を聞かれたから、そのまま理由を伝えた。
ちなみに、最初オペレーターの人はマニュアル的な対応をされていた。
ところが、私がなぜ納得できていないのかを説明したら、
ボールペン1本の事実は知らなかったようで、
私も依頼される側であればそれに納得できないだろう・・・
と非常に個人的な感想を言われて、それはそれで感動した。
主旨の違う2つのものではあるけれど、
ちいさなことでも丁寧にかつ誠実に対応されるととても気持ちがいい。
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