2013年9月12日木曜日

自分と付き合っていく

人生の大半を悩むだのうじうじするだのということにたくさん費やしていた私。

コーチングとNLPに出逢って、
かなりな数の過去の苦(にが)くて痛くて苦しいものが解放されたのと、
「観念」と呼ばれるものを見つけたりそれを自分の好ましい内容に書き換えたりと、
まぁ色々とやった。

色んな変化は起きたし、
自分の中で軽くなったものも増えてはきているように感じるけど、
それでもまだ心の具合が悪く本当に寝込むというかひたすら布団にもぐって現実逃避する日もあれば、
日長1日ネットゲームをして現実逃避をする日もあれば、
もう未来のことなんか何も考えたくない、決めれない、どうしていいかわからない・・・
なんてことは相変わらずある。

ひとつ何かに打ち込むと、それが終わった時に燃え尽き症候群になりやすい自分のパターンもだいたいわかってきた。

見たくない自分も、
できたら今のことはなかったことにしようと思う自分も、
弱い自分も他人をうらやむばかりで行動しない自分も、
方向性を見失うと突然動けなくなる自分も、
まぁとにかく色んな自分をこの4年ほどひたすら見ているように思う。

これまでも当然24時間365日自分と一緒にいるわけだから見てないわけはなかったけど、
こんな自分は自分であって欲しくないとか、
いやいやこんなんじゃだめでしょうと得意の自分討ちや、
見えても見えてないふりを通すとか、
まぁあれこれもがいていた。

さぁ観念書き替えました!
潜在意識も大きく変化したと感じるくらいの変化も自分の中に湧きおこりました!
あぁこれからは明るい未来へまた一歩近付くのか!?
と期待がむくむくと湧き出て、
一瞬夢を見るけれども、
あぁはかないこの夢。

また、最初に書いたようなよく見ている「自分」に遭遇。

今日からやるぞ~!となったのではなかったのか!?

あれだけワクワクしていたのに、あのワクワクはどこへ消えたのか!?

書き出すといくらでも書き続けられそうだからここで一度やめる。

そんな自分に何度も裏切られた気分にさせられながら、
ある時から私の目標とする自分像を変更した。

寝込む自分が時々登場しても
もうすべて投げ出したい気分になる自分になっても
動けなくて焦ってばかりいる自分でも
そんな自分と共存しながらとにかく進んでいくというのがいいなぁと。

アメリカの有名な誰かが(名前は忘れた)、
人前で話すことをとても苦手としていて、彼はある日スピーチのレッスンを取る。
彼が目指したのは、
スピーチが上手になることでも、
緊張せずに壇上に立つことでもなかった。

彼が目指したのは、
足が震えながらも人前で話せるようになりたい、
というものだった。

とっても有名な方(名前は度忘れしたけど)の言葉で、
えぇ~!!あんなすごい人でもそんな風だったのかと思って妙に親近感を覚えたエピソードだった。

だから、私も、
寝込む私も、
ぐずぐずで何でも先延ばしにする私も、
焦ったりぶれたりする私も、
自分の中でなかったことにしたいと思うありとあらゆる自分をもってでも
「あぁ私前に進んでるじゃん♪」
と思えることを目指したいと思ってる。

ちなみに、自己啓発だの精神世界だの読むと、
「○○になりたい」という言い方は実現性に乏しく、
「自分は○○だ」と言い切りの言い方がそういうセルフイメージを育ていつかそういう自分になる、
と言う風によく書かれている。

一時期はそれにかなり気を遣った。

1年近くそんなことをノートに書き連ねて望ましいセルフイメージ育てに励んだ。

それはとても効果的な方法だから、色んな書籍でもメンタルトレーナー系の人が紹介しているのだと思う。

だけど、私にはどうも合っていないようだった。

言い切りの形にして文章を書いても書いても、
現実は真逆にいって、
何がどうしたら私の人生こんなことになるんだ!?と何度も嘆いた。

やっても報われないようで、なんなんだこれは!?と怒りすらも感じた。

じゃなくて、
「私は○○になりたい」
と書く方が、私にはしっくりとくる。

今の現状、そうなっていない自分をきちんとわかった上での
「○○になりたい」だから
かえってその表現の方が自分に寄り添ったように感じる。

これは個人の感覚の問題だから、
もしかしたら「言い切りの形」推奨派の人たちからは「そんなではだめだよ!」とお叱りを受けるかもだけど、
ある時だけ関わる個人にどう思われるかより、
今この瞬間自分といて居心地がいいかどうかの方が私には重要だから、
あぁ自分の感覚を優先して大丈夫だとやっと最近そう感じられるようになってきた。
たとえ、それが多くの成功者と呼ばれる人たちが推奨する方法とは反対でも。

ついでに言うと、結果はいまいちでも色々試してみたのは良かった。

何が合ってる合わないというのがだんだんとわかってくる。
いきなりはわからないけど、やっていくうちにあぁこれはいいなぁと感じたり、
効果的と色んな人が絶賛する割には私にはいつまで経ってもぴんとこない、
自分がおかしいのか!?と変に落ち込んだりしながらも
合う合わないがわかるようになっていた。

靴に似ているかもしれない。

靴を買ってしばらくは自分の足に馴染むかどうかわからない。
はいていくうちに馴染むものもあれば、
はいてもはいても靴ずれを起こすものもある。

自分に合うか合わないかは、
その靴が自分の足に合うか合わないかを知るように、
それだけは自分にしかわからない。

100人いて99人が絶賛する方法でも
たった一人の私がぴんときていなければ違うということ。

やっとそれをそういうこともあるんだ・・・と受け入れ出した私。

0 件のコメント:

コメントを投稿