色んな書籍や著名人なんかが
「時間が解決します」
と悩みに対して回答しているところをよく見る。
いつだったか、あるお坊さんが
「1年前の今日の悩みが何だったかなんて誰も憶えていないでしょう・・・」
と言っていたことに、それもそうだ!と合点がいったこともある。
なので、「時が解決する」という意味は、
なんとなく時間や日常を重ねていくうちに悩みが薄れていく
という風にずっと解釈していた。
その解釈もありだと今も思っているけれど、
それとは全く別の解釈がふとこの間私の元におとずれた。
数年経ってもいまだに傷のような存在で残っているもの。
先日、歩いている途中にふとそのことを思い出した。
もっと言うと、銀行の窓口で用を足すために、
馴染みのない町をうろうろとさまよいながら銀行をひたすら探していた。
そんな時、突然、過去から今へと延々私の中で何度も繰り返されているものが思考の中ににょきっと出てきた。
「忘れる」という素晴らしい機能が人間に備わっていても、
忘れたくても忘れられない光景や瞬間がある。
その時もまたそれを思い出したわけだけど、
いつもと違ったのは、過去の自分が今の自分を癒したことに気づいたことだった。
2年3年と経過した出来事ではあるけれど、
いつもどこか消化不良で、
だいぶ痛みや傷なんかは薄らいだようには感じるけど、
あぁもう多分一生付き合っていくものなのかな・・・とあきらめに似た気持ちもあった。
これまではそんな風にしか思えないことだった。
ところが、その銀行探しに奔走していた時、
なぜかその2年3年と辛い時期を通り過ぎてきた自分に対して
「あぁ~本当によくがんばったなぁ~」
という気持ちが初めて沸いた。
渦中にいる時は、ちっとも進まない感じの自分に
うんざりしたり憤慨したり虚無感のようなものを覚えたり脱力したりと
何度も何度もいやになった。
時間がどんどん過ぎても、全く進んだ感じのしないあの日々は、
楽しいことがあっても根底がしんどいような感じは決して消えてくれなかった。
そう、ずっとそんなことを繰り返していた自分が、
今になって本当にがんばっていたんだなぁと初めて思えた。
あんな辛かった日々をよくぞここまで通り過ぎてきたなぁと振り返ったら
時の中で私が積み重ねたものがようやく見えた。
大元の出来事は変えられない。
もう起きてしまったことだからどうにもできない。
自分の感情や思いを変えるというのも、この場合に限っては困難極まりなくあきらめた。
もう無理に変えたりするのではなくなるようにしかならないといつからか開き直った。
開き直ったり落ち込んだりしながら2年3年と過ごした。
未だに癒えきれない傷は傷のままだ。
自分でもそっとしておくかふたをするしかないと感じることもある。
それでもたしかに、その事が私の身に起こってからも、
私はこれまで毎日を生きてきたわけで、
大きなことはやっていないかもしれないけれど、
ただただその傷を抱えながらも生き続けたということがすごい勲章のようになってた。
「時が解決する」
というのは、単純に時が経過して悩みや心配や不安が薄れるという意味だけではなく、
ある瞬間から抱えてしまったそれらと共に自分が歩んだ軌跡を見て
「あぁ~自分がんばったなぁ~」
という過去の自分の積み重ねがある日とても大きなものになっていたと気づくことも含まれるように今は感じる。
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