2022年10月25日火曜日

東京から日常@新潟

東京出発直前のバス停前にて
モデル:すすき
(次の写真とのギャップを感じてもらうための
ススキ田舎写真)

次に撮った風景写真は池袋東武デパートの
12とか13階くらいの窓から

2日目、横浜某所のショッピングモールの
立体駐車場から
天気悪そうだけれど、天気良かった

3日目は横浜から八王子に電車1本で移動
1本で行けて超絶助かった!
(荷物が多かったから移動が少ないと助かった)

八王子駅前で撮った別の写真
携帯の電源の問題で、景色の写真がすごく少ない
八王子駅近くの写真だけ他より多いけれど
そればかり掲載するのもどうなの…と思って
とりあえずこちらを掲載



スーパー激務だった今週。

金曜日の夜、飲み用のつまみ的なおかずを作りながら「1週間前の今頃は東京にいて飲んでたんだな」と思った。


【東京DAY 12022.10.14()

タロット美術館】


などと書き出して東京の旅の詳細の下書きを始めたけれど、毎日10時間勤務の怒涛の4日間をやる中で、ブログどころではなくなってきて、そして今土曜日の朝を迎えている。


ちなみに1週間前の土曜日の朝の4時前後は、二日酔いの激頭痛で目覚めて、「コロナかもしれない( ̄∀ ̄;)」と心配したものだった。


サイゼリヤで3人で行って、1500ミリのデカンタ白ワインを2本開けた。


だから1人当たり1リットル飲んだという綺麗な数字が普通に出せた。


そしてサイゼリヤは2軒目で、その前にビール2杯とレモンハイ1杯飲んで、そんなすごいアルコール摂取の後に私はサイゼリヤでカードリーディングを始めた。


真面目にそしてカードしている時はアルコールなんて何のそので、1ミリも気になるところがなかった。







そんな日々激務の中、何度も東京での様々なシーンを思い出していた。


今回は、激務だったことがけっこう良い方に働いた。


東京から帰ってきてすぐに「この感覚を忘れたくない」と真っ先に思った。


とにかく心が柔らかくて満たされていて、普段なら至ることのできない境地みたいな感じだった。


「こういう感覚で生きていたい」そんな風に思うところがあった。


で、多忙過ぎる日々は余計なことを考えずに済んだし、帰ったら帰ったで色々家事やら炊事やらをしないと生活が回らなくて、そして東京にいる間に両親が妹家族のいる金沢に行ったから私はまた1人暮らしになって生活そのものもリセットされて、とにかく日常に戻ったものの余計なことをする時間がないおかげでしばらく心の感覚は引き継がれていった。


さすがに2日、3日と経つうちにあの感覚は薄らいで、そして1週間経った今は感覚があったことは覚えていてももうあの感覚を味わうような境地からは外れてしまったことがわかる。


で、何がそんなにも良かったのかなと思った時に、「やさしさ」だと思った。


言葉にするとするなら「やさしさ」。







東京に行く前の3週間とか1ヶ月前とかだったと思う。


友人ノムが「今回のぶっしーの東京の旅って、ぶっしーが新しくなった後に会うわけだから特別なものになると思う」と電話越しに言ってくれた時があった。


ノムが新しいと言ったか今のぶっしーと言ったかはたまた別の言葉を言っていたか記憶が曖昧だけれど、ノムの言葉に猛烈に納得したことは覚えている。


ノムが言ってくれたことは、本当にその通りだった。


これは行く前からわかっていたことだけれど、ノムとノムのパートナー・ミッチーはオカルト体質全開の状態で知り合ったも同然だから2人共は特段新しい私ではじめましてにはならない。


けれども、ぐちお、シオくん、すーさんの3人はみんな5年ぶりの再会なのは同じだけれど、オカルト体質の私として会うのはもうかれこれ知り合って12年近くになるけれど、初めてのことだった。


しかも3人はドミニカ共和国で出会ったわけで、その時はもっと頻繁にお互いに会えていたけれど(すーさんとは仕事の関係でほぼ毎週。ぐちおとシオくんも月1とかでは確実に会ってた)、当時の私はオカルト系は「危ないもの」としてしか認識してなくて絶対に近寄らない徹底ぶりだったから、まずはそんなこと日常の中に全くなかった。


そういう時の自分としか3人とは日常的に会ってないから、長い付き合いになる人になればなるほどカミングアウトもとてもハードルが上がったのはよく覚えている。


そしてたしか2018年頃から自分のこの体質的なものをカミングアウトすることを始めたと思うけれど、3人には早い段階で伝えていた。


最初の何人かの何人に確実に入っていたと思う。


今ならわかるけれども、私が伝える人の人選基準(偉そうな言葉( ̄∀ ̄;)だけれど、便宜上そう言ってるだけ)は「今後も会いたい人」かどうかだった。


今後も会いそう、会えそうな人たちには絶対に言おうと決めてた。


本当にそうしておいて良かったけれど、もしオカルト体質の自分を隠しながら今も人間関係を続けていたのなら私自身がキツかったなと思う。


(ここからは時系列破茶滅茶だけれど、思ったままのことを書こうと思ういちいち断りを入れてもいつものこと…( ̄∀ ̄;)


初日のシオくんとぐちおとの御徒町集合の東京酒場体験の前に、ポンと時間ができた私はタロット美術館に行った。


ぐちおがシオくんと私とそれぞれ連絡を密に取って連絡係をしてくれていて、ある時シオくんが仕事を早く上がれることになって16時から開始できると連絡がきた。


あいにく私は16時から17時半の枠でタロット美術館を予約していたから、その旨そのまま伝えて18時頃から合流できると返した。


そうしたらぐちおから「タロット美術館がパワーワード過ぎて何言ってるか分からなくなった」と返ってきたけれど()、とにかくぐちおもそのまま感じたまま思ったままを私に返せるし私もいつも通りの自分なわけで何ら不自然な感じがない。


もし私が言わなかったのなら「ぶっしー何してたん?」となって、それを適当に「小さな美術館に行ってた」とかモゴモゴと言ったり、「ぶっしーって今何してんの?」と聞かれたとするなら(大体は知られてるから聞かれもしなかったけれど)、「派遣で英訳の仕事してる」と当たり障りのないことだけ話していただろうなと思う。


自分を隠すというか取り繕うというか、そういうことをしないといけなかったとするなら、私は相当に自分がしんどかっただろうなと思う。


まずはそういうことをしなくて済んでとても気持ちが楽だった。


さらには、3人ともが私がカミングアウトした後も何ら変わりなくて、私という人間に単に追加で別のものがあるだけというか、私は私で何にも変わらない、そういう気持ちで一緒に過ごしてくれてたと思う。


そんな風に言われたわけじゃないけれど、そんな気がひしひしと伝わってきた。


シオくんはエリートサラリーマンで(抜擢されての本社勤務になって、今は課長になってる)、ぐちお、私、シオくんの3人の中では一番日本社会にきちんと適応して素晴らしい仕事をしているけれど(ぐちおもきちんと仕事をしているけれど自営業だからシオくんとはタイプが全然違って、自然と一体化した日常)何を隠そうシオくんこそが私にいの一番に「武士俣さんのすることって必要なことだと思います」って当時言ってくれた人だった。


本当に嬉しかったし、シオくんはその当時最初に電話越しに自分の人生についてかいつまんで話して私が何を思ったり感じたりするのかを聞いてくれた人でもあった。


ぐちおもふざけたりはしょっちゅうだけれど、本当に真面目なところは絶対に外さないし静かに見守ったり丸ごと受け止めるみたいな懐の深さがある。


すーさんはあーだこーだと多くを言うことはしないけれど、絶対に否定しないことは黙っていても伝わってくる。


書いてて思った。


当時の私はたしかに言う前はすごく怖かったけれど(相手の反応も読めなければ、オカルト体質が原因で距離を置かれたら嫌だと思ってた)、どこかで私がカミングアウトした人たちは知っても多分関係はそのままでいてくれると思えていたと思う。


そんなことで関係がダメになるような人たちじゃ絶対にない、それを本気で信じていられたから言えたと思う。


そして、5年越しに再会した今回(そもそもカミングアウトするほどの体質に5年前の私は気付いていなかった)、自分が信じた以上の現実を前に本当に嬉しくなった。


みんな何にも変わらなくて、カードリーディングしている時も変わらなかった。


本当に何ひとつ変わらない、色々お互いの人生は変わっても目の前の人間関係はドミニカにいた頃と何ら変わらない、そのことが本当に嬉しくてそして心底ホッとしていた。







2022/10/25()


東京から戻ってきた翌日から毎日残業が続いている。


今週もフル残業DAYになりそうだし、本当に多忙を極めている。


昨日(10/24)仕事のことでイライラした時に、何ならあまりにも酷い状況過ぎて今すぐに改善できることを部長にお願いに行ったくらい(役職就いてる人が諸事情で頻繁に休むのは仕方ないけれども、休むことも関係者全員に言わなければ、休むことで生じる業務の引継ぎもなく、私なんかはモロにその影響を受けて、何なら私の先には会社として1年の中で一番大きなイベントに直結する何十億何百億単位のものが動くから、滞ることだけは非常にまずすぎる)、そんなこんなのことに頭がしばらくいっぱいになっていた時、それがというよりその感覚になってしまったことがとても悲しかった。


私が東京にいる間感じていたのは、「やさしさ」だった。


一応言葉にしているけれど、言葉では言い表すのが難しいほどに感情も感覚も柔らかくて、自分の中で殻が破れて心の一番やわらかいところが前面に出てきて、その感覚で生きていけることにとても感動していた。


社会や周りに合わせていなくて良くって、自分のままで堂々としていられて、言葉もよそ行きじゃなくて自分の言葉で、とにかくカチッと何かピッタリとしている、ハマっているとかそんなことさえ考えなくてもいいくらいにピタッとしていた。


その感覚が日々薄れて日常にかえっていくのは自分でもわかってはいたけれど、昨日怒りを覚えてとうとう上に話に行った時(一応相談できる子に相談して、それはもう黙ったままじゃなくて部長案件で対応をお願いするレベルだと言われて、言われたらそうだなと100%の納得で、だから話に行った)、大切なものはあるはずなのにこんな日常の超絶くだらないことに飲み込まれていることがなんだかとっても悔しかった。


ただ自分で気をつけているというか意図的に、今はニュースやテレビをほとんど見ないで、テレビも見るのは『オモウマイ店』か『サラメシ』の録画か、はたまた別の料理や食べ物番組の録画か放送中のものを見ている。


自分の感覚に少しでも集中したいみたいな気持ちがあって、そもそも考えるような時間もあまりないのだけれど、可能な限りまだあの東京DAYSの感覚に浸ったり振り返ったりしたい。


仕事が激務過ぎだからあんまりしっかりとした時間は取れていないけれど、東京でのことを書けるなら書きたいなと今でも思っている。


備忘録として残しておきたいくらいに素敵で濃密で、本当は1日ごとの旅日記にしたかったけれども、それは難しいならせめて印象に強く残ったことだけでも書いてアップしたいなと思っている(書くのはこれから)。

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