「私たちがしてきた選択が1つ1つ積み重なって、私たちを引き合わせたんだよ。
生きるっていうのは、誰かと心を通わせること
人との関係が生きてるってこと」
『君の膵臓を食べたい』(アニメ版)
*
いつか録画した『君の膵臓を食べたい』のアニメ版を土曜日に見た。
話題作としてタイトルだけ知っていた私は変なタイトルだと思っていたけれど、その意味もわかった。
上のセリフは、その時に出てきたもの。
主人公の女の子が一緒に過ごす男の子に向かって言ったセリフだった。
2人がたまたま出会っているわけではなく、それぞれが同じ学校に入学するとか、片方が本が好きだとか、文庫本スタイルの日記帳を持ち歩くとか、あとの細かいところは忘れたけれども、とにかくそれぞれがそれぞれの選択を重ねた結果、今目の前で2人が出会って、目の前にお互いがいる、そんな感じの言葉だった。
そのセリフを聞いて、真っ先にイケメン上司と自分とが出逢えたことが思い浮かんだ。
イケメン上司がどうしてその職場なのかはわからないけれども、少なくとも進路選択の時点で理数系を選んで、おそらく理数系の学校に進学して、超就職氷河期と言われた世代だからどの程度の会社に応募したかは知らないけれどその中で今の企業に採用されて自分も入ると決めて、そうしたイケメン上司個人の選択の積み重ねがあの時あの場所にイケメン上司を連れてきてくれることになった。
入ってからはまた会社の裁量で転勤が決まって、本人は全く希望もしてなかったかもしれないけれど、とにかくその会社に所属していること、ものすごく抵抗があったとしても自分に出された辞令を受けて新潟に引越してくること、とりあえず2017年の秋のはじまりまでは新潟に留まること、そうした1つ1つの選択肢がイケメン上司の意思によって選択されないといけない。
会社の事例には背けないでも、行く気はないけれど出てしまったからにはしょうがないでも、とにかくどんな気持ちや感情が内面で渦巻いていたとしても、とにかく新潟という地にいることを決断してもらわなければ、私はイケメン上司と出逢うことはできなかった。
私側も私側で、なんだかよくわからなかったけれども、あれよあれよと新潟に戻ることに決めて、仕事もとりあえずの仕事を始めたら契約が切れて、さらには突如紹介されたイケメン上司がいる職場の仕事だった。
あの時もし九州にいる友達の結婚式が行われなかったとするなら、私はそもそもそんなにすぐ仕事をしようなんて考えたかわからない。
私の後に契約切れとなった人が教えてくれたのは、自分都合ではない会社都合の解雇の類いに分類されるらしく、雇用保険を1年受給できて1年まるまる休んだということだった。
もし私もそうと知っていたのなら、私なんかはそちらに流れただろうなと思うし、それはすなわちイケメン上司がいる職場にも行かなかったと断言できる。
さらに言うと、友達もどういうわけか結婚して子どもが2人も生まれてから結婚式を挙げた。
子どもの年齢を考えれば、すでにその時に結婚5年目くらいに入っていたと思うけれど、友達もタイミングをずいぶんとずらしてから結婚式を挙げた。
とにかくそういう色んな要素が重なり合わないと、私がつべこべ文句も言わずにすぐにイケメン上司がいる職場の仕事を引き受けたいなどと言うわけがなく、本当に絶妙すぎるタイミングで行くことになった。
職場には新入社員1年目ないし2年目くらいの男の子も配属されていた。
その子を見て、イケメン上司も全国各地いくつかの土地に配属されたんじゃないのかなと思った。
事業の内容からして、全都道府県に事務所があってもおかしくないから、イケメン上司が新潟に来る可能性たるやどんな確率だったんだろうと思う。
いつだったか、イケメン上司の同期だという男性が事務所に来たことがあったけれど、その人なんかは逆にイケメン上司の役職で配属されたことがなくて初めて事務所に入ったみたいなことを言っていた。
とにもかくにも、イケメン上司と私とが同じ時期に同じ職場に居合わせるには、数えきれないほどの選択肢をくぐり抜けて、そしてこれ以上ないくらいのタイミングでカチッとはまらなければ、出会うことさえできなかった。
本当に「奇跡」と呼べる現実をあの時の私は手にしていた。
*
5年前のピッタリ今日、2017年の6月29日に私はイケメン上司の存在を意識できるようになった。
雷に打たれたことはないけれど、「雷に打たれる」とはまさにそういう感覚を言うんじゃないかと思う。
仕事に行き出して3週目くらいだったんだろうか、イケメン上司はわりかし事務所にいたから名前と顔はきちんと覚えていたし(あんまり覚えていないけれど、その時が初めて見たという人もいたと思う)、事務所内の相関図や人間模様はよくわからなくても、とにかくイケメン上司は「◯◯さん」ということは初日からきちんと知っていて、でも当時はとにかく毎日だんまりでほぼ何も喋らずに1日を過ごすこととスーパー不慣れな事務仕事とでイケメン上司の存在そのものをきちんと意識していたのとは違った。
イケメン上司もイケメン上司で余計なおしゃべりもしないし基本的に仕事以外の時は静かにしている人だったから、いるのは知っているけれども…という感じだった。
学校のクラスでみんないると知っていても1人1人を丁寧に思い浮かべて「あの人がいる、あの人もいる」なんてことはしない、だからいるってわかっていても超意識的にいると認識してない、あの感じに近い。
だから5年前の今日という日、本当に突然「!」と言葉にできない衝撃を受けて、そこで初めてイケメン上司という人が「職場の人」から「すんごい存在感のある◯◯さん」に変わった。
私にはもったいないぐらいのイケメン行為をイケメン上司からプレゼントしてもらえたわけだけど(イケメン上司はプレゼントした気もなくて単に気付いたことをしただけに過ぎなかったと思う)、その前とその後とで本気で見えている世界がガラリと変わって、そのくらいすごい瞬間をイケメン上司からもらった。
*
本当は書こうと思っていたことがあるけれど、なんとか今日中にアップするには時間がなさすぎる。(今22:16)
書こうと思っていたことは、イケメン上司に出逢う前の世界に戻れる選択肢があったとして、私が戻りたいかどうかという話。
答えは戻りたくない。
そしてこの5年もだしこの先にもっと大変なことが起きたとしても、反対にイケメン上司の存在を知らなければ大変さは一切伴わない穏やかな暮らしが保証されていたとしても、それでもイケメン上司を知らない前の世界には戻りたくない。
その理由も細かく色々あるから、そのことをいつものようにツラツラと書き綴る予定でいたけれど、今日はもう時間的に厳しいからまた今度かなと計画変更。
私が今日6月29日という日にこだわっているのは、あわよくばイケメン上司もその日のことを思い出してくれないかな…という目論見があるから。
だからなんだと言われそうだけど、もしかしなくてもそんなにも特別視しても何にもならないことも百も承知だけど、それでも私にとってはとてつもなく特別で、その瞬間があったからこそ自分の中の色んなことが一気に変わって癒されて生き返し並みに息を吹き返して、そして今日もこうして生きている。
他の何にも代えられないものすごく特別なことが5年前の同じ日に起こって、私にとっては後世大事にする瞬間になった、そのことを押しつけのようでもイケメン上司の脳裏にも一瞬でも紛れ込めたらいいなと思う。
だから今日にこだわって書いている。
(そして今23時過ぎた(꒪ꇴ꒪〣))
*
今日は朝から晴れだった。
朝焼けを拝んで、職場に着いたら空の写真を2枚ほどパシャリと撮って、残業して19時10分頃ようやく会社を出たら夕焼けがとてつもなく綺麗で、とにかくすごく癒される空模様だった。
5年前の今日も暑過ぎるくらいに晴れ渡っていて、イケメン上司は日焼けした顔を見た事務さんから「日焼け止め塗ってあげたのに」くらいなことを言われたくらいに焼けて(私はよくわからなくて盗み聞きだけ)、まぁとにかく暑い暑い日だった。
その日の空模様はもうそんなにもはっきりとは思い出せないけれど、今日も当時に負けないくらいの青空で夏日だった。
仕事から帰る途中、空が本当にきれいで、金色に赤に黄色にオレンジにピンクに青に紺に…と色んな色たちが勢揃いしていて、この世のものとは思えないくらいに空が澄んでいてとってもきれいだった。
写真よりも実物の空はもっともっときれいで幻想的でもあった。
私がやたらと空の写真を撮ってブログにアップするのにはわけがある。
iPhoneも私のカメラの腕も何にも変わってないけれども、イケメン上司と出逢った後から私の目に映る景色が確実に変わった。
正しくは、色彩がとても鮮明になって透明度が増した、と言うと一番感覚として近い。
自分の感覚の証拠も兼ねて私は空や風景の写真を撮っている。
写真や素材、私の腕がパワーアップしたんじゃない。
本当に感覚が整えられて余計なくもりや澱(よど)みみたいなのが大幅に減少して、代わりにあのきれいな写真が撮れるくらいに何かが私の中で変わった。
そしてその私の中のものを変えたのは、他の誰でも何でもない、イケメン上司になる。
そういうことまでも私や私の人生を変えてくれたのがイケメン上司だった。
今日という日は、私にとって人生革命の日、そんなタイトルが似合う日になっている。
色々書きたかったことはまた後日書きためてからアップしたいなと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿