2022年6月22日水曜日

夏至近くのつれづれ

道の駅入り口前にある木の葉っぱ
初夏の緑色と空の水色が
本当はもっともっときれいだった。



2022/06/19()

10日後の29日を思い浮かべて書き始めよう。


最近のペースだと書き始めてから1週間から10日後にアップする感じだから、それを見越して今から書き始める。


明日は月曜日で仕事が始まる。


行く前から記憶がすっぽりと抜け落ちているから、朝行ったら「今日は何するんだったかな?」とその確認から始めないといけない。


仕事は次から次へと忘れるから、とにかくメモと付箋が欠かせない。


本当に興味のカケラもないことがよーくわかる。


一方で、イケメン上司の記憶は驚くほどの正確性で保たれている。


なんだかんだと書けていない2つの内容も何ヶ月も繰り越しているのにしっかりと頭の中にある。


今も書こうとしているテーマを2つとも即答できる。







2022/06/20()


朝目覚めてからボーッとした頭で、突然5年前の外掃除の日の光景が浮かんだ。


月曜の朝はどうやったってテンションなんか上がらないけれども、その光景は月曜の朝だということを掻き消してくれるくらいにいきなり朝から和んでしばらくその感覚に浸り切った。


イケメン上司側から見えた景色を想像してみる。


少なくともイケメン上司が私の元にやってきた時というのは、私は貨物列車の貨物を再利用したみたいな倉庫の影に隠れるようにして外掃除をしていた。


8割がたの男性陣は誰が誰さんなんてわからなかった当時、何かの拍子に用事の確認とかで話さないといけないような状況は避けたくて、とにかく私は周りから背を向けるようにして目の前のところを黙々ときれいにしていた。


イケメン上司はいつから私の存在に気付いて、そしていつから私の準備不足の状態に気付いたのかはわからない。


長さ的に新幹線の車両1台分はありそうなところで、そこに貨物列車みたいな倉庫が2つくらい並んでいて、色々死角がたくさんあるようなところだった。


私はとにかく目立たないようにひっそりとしたところにいたから、そもそもいつイケメン上司が近くにいて、そしていつイケメン上司が私の抜けさくぶりに気付いたのかわからない。


しかもイケメン上司は気付いてくれたけれど、他の人たちは誰も気付いてなかった風だったし、当の本人である私なんかも全く気付いてなかった。


イケメン上司はどういうわけか気付いて、必要なものを持ってきて私の目の前に差し出した。


言葉が少ないイケメン上司はその時も何か色々言ってくれたとかいうようなこともなく、突然差し出されたか「良かったら使ってください」くらいだったか、あまりにも突然すぎてそして一瞬すぎて、私は最初ぽっかーんだった。


イケメン上司の前でもアホ面をさらしたかもわからない。


状況を飲み込むのに数秒を要して、そしてジワジワと色んな感情が広がった。


え?えっ?えっーーー(°°)」⁇


あれ?えっ?何?どうした?


くらいに頭の中は突然忙しくなって、どうして?何で?と色々理解が追いつかなくて色んな疑問だけが言葉にならないまま出てきた。


その瞬間、ありとあらゆるものが天変地異と言わんばかりに何かが大きく変わった。


当時は色んなことに目一杯で気付かなかったけれども、あれはまさしく大きく次元なり世界の色彩なりが変わった。


とかいうのは私側の景色だけれど、イケメン上司側はどうだったんだろう。


突然イケメン上司の視点が気になって、気にしたところで何もわからないけれど、それを気にしながらも当時を反芻するだけで明るい気持ちになれた月曜日の朝だった。








(ここからは書いているのは6/21火曜日)


月曜日の朝、車の中で、当時イケメン上司の職場に行く前に行っていた派遣先の上司を訪ねた時のことを思い出していた。


そしてそれを当時付き合いのあった子から非常識という意味でありえないということも言われたことを。


たしかに表面だけを切り取ると、私はとても非常識な行動を取ったのかもしれない。


ちなみに彼女の言い分としては、派遣社員が元の派遣先の上司に何で自分が切られたのかその理由を直接確認するのは完全なる違反行為だとのことだった。(こうして言葉にすると、本当に本来ならアウトなことだと思う)


これは当時もだし上司にもその彼女にも同じことを説明したけれども、まず私は切ってもらえて良かったことを最初に伝えていて、切ってもらわなければイケメン上司と出逢えなかったから私には切ってもらうことが何よりも大切だったこと、それをとにかく丁寧に伝えて、さらには派遣社員として聞いてるのではなく1人の人間として聞きたくて聞いてるというような主旨も言ったと思う。


私はその上司なら話せる範囲で教えてもらえるだろうとなんとなく想像しながら会いに行った。


当時の仕事も関係しているけれど、表面は派遣の事務仕事だったけれども、中身は私が辞める頃にはずいぶんと変わっていて、他人様の人生の公にできないようなところにまずは事前調査という形で踏み込んで、調査の結果本来なら権利をもらえる立場にあるのに本人がそれを知らずにいるから、その権利獲得のために話をして本人にそのために動いてもらわないといけないことがあるからそれを促すということをしていた。


本人にとって確実にメリットになるもの、これは100%そうだと言い切れるくらいのメリット、例えるなら、お金がもらえるからあなたそのために手続きしてください、くらいのメリットがはっきりとしているものだからこそ、そのためにあくまでも申請は本人からになるから動いてもらわないといけなかった。


メリットの説明とそのための行動促進というのは、本当ならやる必要のある仕事とは違った。


本質的なことを言えば、「やる」ことが正解でも、今の世の中は色々トンチンカンすぎるからやる方がおかしいというようなものだった。


例えるとするなら、公共交通機関で座れた方が楽だろう高齢者や妊婦さんなんかを目にした時に、本質的に言えば「席を譲る」ことが好ましくて正しいことだとしても、それをさっとできる人がどれだけいるだろうか?というような感じに近い。


それのもっと深いもの、誰かの人生のある側面に関わるもので、それを手にできるとするなら本人はとても助かる確率が高い、99%は助かるだろうと予想される、そんなものだった。


その上司はそこに切り込んで行って、本当に世のため人のためとなることを大真面目にやれるように体制を時間をかけて整えて、そして私以外の人はみんな「そんなことをして」ととても批判的だったけれども、私はそれがいかにすごいことで本当にそれこそが本来あるべき形でもし実行できる状態があるのならつべこべ言わずやるのが筋だと思っていたから、ちなみにそのことに関して私は大学の頃から20代にかけて専門的な基礎知識もあったからこそそれがどれだけ実現するのが難しくてもやれるなら絶対にやった方がいいことも知っていたから、私はそれをやるのは全くいとわなかった。


だからそれをやる私というのは、当時は他の賛同者がいなくて40人以上いる人たちの中で1人だけで、賛否両論というより超否定されながらも事前準備をこれ以上ないくらいにして、いざという時のフォロー体制も上司と相談して作って、そんなこんなのかなり変わった業務を私はしていた。


そういう特殊性を帯びた仕事だったから自分で言うのもおかしいけれど、私を切ることの方が上司にすると実現化を確実にしてくれる一番で唯一の担当者を失うわけで、上司も言ってはいたけれど、私を残せるものなら残したかったと言っていた。


ちなみに私がやって問題なくいけたことが立証されたから、のちに別の人たちがそのことを引き継いで上司の目指すものが本当に実現され続けたとのことだった。


ここには書ききれないくらいにたくさんの、精神論じゃないけれど本当に大人が真面目な顔して「どうしたら物事は良くなっていくのか」というような類いの話し合いをたくさん積み重ねた、そんな上司だったからこそ私は個人的に聞きに行けると判断した。


契約の細かいことはどうでもよくて、上司の意図や思いを聞けたのなら、私がそのタイミングで契約終了になって、そしてイケメン上司がいるところに行ける、その道筋を少しでも知れるのならそれこそが私の欲しいものだった。


そんなことを朝の車の中で思い出していた。


具体的な言葉は忘れたけれども、上司は私が次の職場でとても大切だと感じる人に出会えたことを祝福というか、それを聞けて本当に良かったみたいなことを言ってくれた。


その職場は1回限りのプロジェクトだったから、今はもうプロジェクトチームもなければオフィスも解約してなくなった。


だからその時にしか行けない、たった一度きりのチャンスを当時の私はきちんと掴んで、そして自分の身にどんなことが起きていたのかを知れたことは本当の本当に良かった。


言うなれば一言「不可抗力」としか言いようがない。


今はさらにそう思うけれど、魂のテーマに沿っているものになればなるほど、人間側で決められることなんか無いに等しいと思う。


不可抗力がいくつも働いて、ありえないことがいくつも重なって、そしてようやくどうしても叶える必要のある出来事が引き起こされる。


イケメン上司が望んだかどうかはさておいて、私側はそうしてまで引き起こしてもらえたイケメン上司との出逢いだと思っているから、今でもそのことにはとっても感謝しているし、本当にイケメン上司が私の人生に登場してくれて本気で良かったと心底思っている。







2022/06/22()


昨日火曜日の夜、何か爆発したかのように「会いたい、会いたい、会いたい」となった。


夏至も関係したのかはわからない。


季節の節目だったから何か自分の気持ちも開いたのか、どうにもならないってわかっていても会いたいと思う気持ちはビックリするくらいに素直にスルリと出てきて、夜布団の中で相当悶々としていた。


イケメン上司の名刺を目の前にかざして、穴が開くほどにイケメン上司の名前を見た。


見たって何も変わらないけれど、とにかく名前だけを見た。


名刺に印刷された名前は、漢字の集まりでしかない。


それは誰の名前でもそうなる。


その名前ひとつがものすごく特別なものになるのか、はたまた単なる漢字の集まりになるのかは相手次第だなと思いながら、単なる漢字たちが単なる漢字じゃなくて意味のあるものにそして名前を見ているだけで色んな気持ちが湧くものになっている。








道の駅の駐車場でイケメン上司の後輩くんを見かけたという話を前のブログに書いた。


一体何台の駐車場なのか気になって、翌日仕事中に道の駅のホームページを見て確認したけれど、何台なのかはわからなかった。


ざっと見積もって、一番大きな駐車場だけでも60台は停められる気がする。


道の駅建物の入口に近くて停めやすいことを重視して選んでいるけれど、今回停めたところは滅多に停めたことがない列だった。


そもそも普段行かない場所で、普段停めない位置で、さらにはそんなところに行った日のとある時間ピンポイントで後輩くんを見かけるとはどんな確率だろうと思う。


その確率を掘り下げれば掘り下げるほどありえないことがわかって、もっと言えば、誰かと人生の中で知り合ってお互いに佐藤さん鈴木さんとわかるくらいになるってどれだけの確率で起こっているんだろうと思った。


イケメン上司を街角で見かけるなんて絶対に起こりえないけれど、後輩くんを見かけたことで物事が起こる確率に掛けてイケメン上司と出逢えた確率のすごさに改めて感慨深さと驚きに似た気持ちが湧いた。







2022/06/22()


一番起こって欲しくない、怖いと思っていたことが、現実になりつつある空気が最近漂いまくっている。


イケメン上司がブログを見ることをやめようとしているのか、とうとうそんなことが真面目に起ころうとしているんだと日に日に実感が増している。


そもそもアップしてない私のブログを毎日見たところで目新しくもなければ、ある種時間の無駄とも言える。


彼女ができたとかできそうとか、仕事が激務とか、何かしら大きな変化があったとか、またはシンプルにこのブログに飽きたとか、理由は色々想像してみた。


私の方は受け入れ難い気持ちもあれば仕方ないと思う気持ちもある。


っていうかこれまでが奇跡的だったんだとも思うし、信じたくない気持ちもある。


深刻になると生活に差し障るから、あまり深く思い込みの方に傾倒しないように気をつけてはいる。


とうとう魂的なテーマに関しての強力な助っ人みたいな、私の中のものを引き出す係が不必要になって今みたいになってるのかもしれない。


私には確実に必要な存在でも、イケメン上司からすれば百害あって一利なしと言ってもいいような状況が今日まで超奇跡的に継続して(継続してもらったと言う方が適切)、もう本当の本当に潮時なのかもしれない。


今日仕事中に「となれば、いいかげん延び延びになっている2つの(イケメン上司に関わる)記事を書いてしまおう、そしてアップしよう。届くかどうかもわからないけれど、書きたい気持ちがあるのなら書いてしまおう」そう思った。


覚悟はいつの時も大なり小なりしていたから、まだそこまで実感していなくても、仕方ないとあきらめる気持ちもけっこうある。


とりあえず今回は(も)読み返さずにこのままアップしよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿