寝る前のブログタイム。
1時間くらいと時間を定めて書くから、書けたらそのままアップしようと思う。
昨日8/20金曜日の仕事中、私はあまりにもやる気が失せて(常にないけれどもその中でもさらにないワースト更新系)、ふと気になって2017年の同じ日が何曜日なのかを調べた。
日曜日と判明。
ということは、北九州にいたんだな…、まだまだ超ルンルンしていた頃だったんだな…と振り返った。
その時にパッと出てきたシーンは、神社でおみくじを引いて、そのおみくじに書かれていたメッセージだった。
「神に感謝したくなるような出会い」みたいなことが書かれてあった。
他にも良きことがいくつか書いてあったと思うけれど、とにかく「まさに!」なことが言葉としてあって、気持ちはさらに加速して超級の幸福感に包まれた。
その後からどんどんドツボにハマる険しい道へと入っていくわけだけれど、その時はまだ目の前にある日々のしあわせをどこまでも味わっていた。
今だから余計とわかるけれど、当時みたいに何もしてなくても「しあわせ」だと心から感じる体験など、人生でそうそうない。
それも1日限定とかじゃなくて、何ヶ月というある程度まとまった時間、毎日継続されていたわけで、あれは本当に人生のご褒美だったなと思う。
*
某手帳に寄せるメッセージの原稿を担当している件で、この数日強烈な体験をした。
久しぶりにメンタルが超落ちたし、受け入れ難い色んなことと何とか折り合いをつけて最後のメッセージをしたためないといけなくて、真面目に「私が今降りたいと言ったら、どうなる?」と今回も誘ってくれたノムに聞いたくらいだった。←締切4日前。
そこをなんとか持ちこたえるために、かなり必死に色々やったけれど、ちょうどそのタイミングで読まれた『星の王子さまの日』の自分が書いたブログを自分も読んでみた。
誰が読んだかなんてもちろんわからない。
わからないけれども、これイケメン上司が読んでくれてたらいいな〜くらいはもちろん思ったけれども、とにかくそんなの抜きにしても自分は読んだ。
自画自賛の何物でもないかもしれないけれど、私は自分が書いた文章もといイケメン上司がいた頃の回想や存在意義なんかを書いたそれを読んで、自分の心が癒されていく感触を相当なレベルで味わった。
自分が体験したことや感じたことを書いただけのシロモノだけど、読んでいくうちに自分が癒されていった。
その中にはやさしい空気や自分が救われた体験談があった。
イケメン上司がそれを実際に読んだ時はどんな心情になったのかは想像もつかないけれど、少なくとも私が読んだら、私はその中に書かれていたものを通して尖(とが)りまくり、やさぐれまくりだった自分の心がそっと包まれるみたいな、いきり立っていたものがなりを潜めたみたいな、そんな感じの心にやさしい変化が訪れた。
もちろん、今の自分を想定して自分を癒すために書いたのとは違う。
だけれど、結果的に自分は癒された。
そして癒された内容を自分が自分の人生で経験できて知っているんだと思ったら、とても誇らしい気持ちになった。
私はその世界を知っている。
そのことだけが自分を支えるのに十分な力を発揮してくれて、なんだかなんとかなりそう…とようやく数十時間越しに思えた。
改めて感じた。
イケメン上司がもたらしたもののすごさを。
本人は全くもって無意識的だったと思うけれども、本人が無意識の中で私側に与える影響は無限大だった。
存在そのものが癒しって、本当に何か神がかった領域だなとつくづく思う。
こうしてこんなにも時間が経っているのに、今もその癒しの力を発揮するってどれだけなんだろうと思う。
*
さっき23時過ぎまで占星術講座をネットで受けていた。
その時にふと「時間が流れたなぁ」なんて感慨深く思った瞬間があった。
そしてすぐさま、イケメン上司と今もこうして謎の接点めいたものを持てている(私側から見て持てているだけであって、イケメン上司側の解釈は違うだろうと思う)、その現実のすごさを思った。
昨日今日近くにいた人じゃない。
4年以上経過して、さらにはその間ずっと何ひとつ個人的なやりとりはない。
私が一方的にブログを書いているだけ。
それがどういうわけか接点となってくれて、でも本当なら繋がらないのが当たり前の相手だと思う。
いつか会えるとかでもない。
ない、ない、ない、全てにおいてない条件が揃いまくりなのに、なぜかブログだけは繋がるためのものとしてこの4年以上続いたし、尚且つ途切れることなく今に至っている。
それって本気の奇跡じゃん!?と思った。
近所のスーパーの夏くじさえ何一つ当たりが出なかったのに、イケメン上司とブログを仲介点として接触じみたことが起こるだなんて、スーパーの夏くじさえ当たらない私が超特大奇跡を体験している。
どこまでそんな幸運的なことがこれから先の未来にも続くかなんてわからない。
いつかは幸運もパタリと止まる可能性は十二分にある。
それでもここまで何だかんだと続いて、なんなら今年はあれから5回目の夏でもういい加減何も残らなくても不思議じゃないのに、こうして細ーく続いている。
そのことも私を大いに励ましてくれた。
色々ダメダメすぎたここ数日だったけれども、確実に私は救われている。
イケメン上司の存在に救われている。
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