2021年8月12日木曜日

名前ジンクス

7月最後の土曜日に出かけた美術館

北欧の布展
写真撮影OKの展示だった

クマのおなかの中のりんごがかわいらしい

実は一頭一頭手描きのデザイン

雲がほとんどない真っ青な夏空の日だった



2021/08/09(昼休み

ブログをアップしなかった3週間弱の時間、おきまりのように「名前ジンクス」が発生していた。


「名前ジンクス」なんていうダサめのネーミングは私。


何かというと、毎日のようにイケメン上司の苗字なり名前なりをあちらこちらで見ることになる。


探してはない。


なんだけど、パッと付けたテレビの向こうや新聞や広告、とにかく色んなところに出てくる。


名前は漢字になると、どちらかというとふみこが「文子」ではなく「史子」という若干珍しめの漢字になるように、イケメン上司の漢字もそんな風になる。


名前の音自体は珍しいものではないけれども、漢字は珍しい組み合わせだと思う。


そんなレア風吹かした感じの名前の漢字をここ何回か見た。


流行りの名前という感じでもない。


理由なんてわからないけれども、とにかくオリンピックが始まる前あたりからちょいちょい見かけることが増えた。


苗字は全国的に多い苗字だとは思うけれども、それでもそんなに頻繁に出てくるものじゃない。


なんならこの間、少し遠出をするのに食べる店を探していたら、「ここ良い!行ってみたい!」となった店の名前に、その苗字がドンと入っていた。


そこには行かなかったけれども、いつかは行ってみたい、そう思っている。


私の好きな激レアメニューを提供している、新潟県内ではおそらく2軒あるうちの1軒だから、そこはいつかタイミングを見て行こうと思う。


とにかくそんな風にして、イケメン上司の名前とやたら遭遇する日々が続いている。





2021/08/10(夜寝る前の布団の中


今日という日は、時々起こる、怒涛の納期襲来デー。


そして、未だかつて経験したことのない右脇腹から背中にかけての激痛で、鎮痛剤を2回飲んで何とか仕事をやり切ったという。


内臓から来るものなのか、筋とかを痛めて来ているものなのか、それさえもわからない痛みで、真面目にあまりにも最初は痛すぎて早退しようかと思った。


仕事は、痛みのおかげでそこまで怒りの沸点に達することがなくて済んだけれども、きちんとやらない誰かが確実にいて、その尻拭いが回ってきただけじゃなく、私のところはもう延期ができなくて、通常1日かけてやる仕事を私が終わり次第業者に依頼する案件ゆえに2時間半でやりきるという、冗談抜きで酷すぎる有り様だった。


絶え間ない痛みと意味不明のドタバタ劇とで、本当にグッタリとした。


体と心が悲鳴を上げてる時間を通り過ぎた後、帰りの車の中でしばらくボーッとしながら走り始めた。


もう外は真っ暗で、夏というよりも秋の訪れという感じだった。


またその話か、と思われそうだけど、本当のことだから続けて書く。


忘れてしまったけれども、とっさに頭の中では昼間の時間帯になっていて、そこでイケメン上司の働いている姿が思い起こされた。


その時は超具体的だったのに、今は何の動きをしていたのかさっぱり思い出せない。


でもたしかに、よく見ていた姿がふわーっと出てきた。


その中の1つ、大雨の日、雨合羽着て何かしらの作業をしていた時があって、もっともっとよく見ておきたかったな、と思った気持ちと、きちんと見れてなかったわりにはかなりハッキリとした輪郭で記憶に残っていることを思い出した。


遠いけれど、パッと思いつくまでの時間が計測不能なくらいに短くて、だから遠いんだか近いんだかわからなくなる。


(ここからは8/11、休みの日の朝)


昨日は心身共々、年間トップ5に入る限界値に達していて、色々弱りきっていた。


そして仕事から解放されてようやくひと息ついた時、記憶の行き来する先にはイケメン上司の姿があった。


思い出そうとしていたとかじゃない。


心が本当に憔悴しきっていて、不安やらやるせなさやらそんなのでいっぱいいっぱいになっていた時に、スルリと出てきたのがイケメン上司だった。


心のお守りとか心の栄養剤みたいだなといつも思う。


(ここからはお盆休み初日8/11の夜)


明日から5歳の姪っ子と両親(ジジババ)が金沢から新潟に帰ってくる。


妹夫婦は2日後に、姪っ子だけ先に帰ってくるという異例の事態。


うんち拭き係などのお願いもされたけれど(消去法で私に回ってきた)、そんなことよりも夜お母さん(妹)なしで寝れるのかしら?という疑問。


明日から怒涛の日々が始まるから、とりあえずこのブログをアップしようと思う。





2021/08/12()姪っ子との格闘前の優雅な朝


備忘録として書いておこう。


どこかの記事にもちょっと書いたけれど、今2年前に友人ノムから誘われて書いた某手帳の来年版の原稿を書いている。


どういうわけか、2年越しにその名誉ある係が回ってきた。


今回も自由にメッセージを書いている。


その中でイケメン上司にまつわる心の機微や自分の日常にあるものも言葉にした。


他の人が読んでも誰もわからないけれども、私が読むとそれが何かわかる。


唯一私しかわからない、自分の足あとをそこに残した。


イケメン上司との出逢いがなければ絶対に書けないものを書けるというのは、すごくうれしいことで、2人の関係性がどうだとかは思いっきり無視して書けるのも良かった。


書籍として出るものだから、未来永劫「形」として残る。


年齢を重ねて今とは違う人生を歩んでいても、いつかの未来にそれを読んだら今のことを思い出せる自信がある。


どんな風にこれから先の人生が進んでも、イケメン上司のことは永久保存版的な思い出になるのは確定しているから、だから認知症にでもならない限りは記憶に残ると断言できる。


メッセージは自由に書けるから何を書いても基本良い。


その中でイケメン上司にまつわるものを入れ込んだことは生涯残り続ける。


そこに託した数百字は、いつか誰かの手元にも届いて、その中の何人かはその内容に何かしらの影響を受けるだろうと予想される。


そんなことを意図してイケメン上司と出逢えたわけではないけれども、そういうものをもたらす人と出逢えたことは本当に奇跡だと私は思う。


たったひとつの出逢いがこれだけ誰かの人生に影響して、そして私の知らないまた誰かの人生にもその流れが届くってどれだけすごいんだろう。


いかにも魂案件という感じだけれど(今は書けないけれど、来年以降タイミングを見てまた手帳の裏側についてはあれこれ書きたいと思う)、魂案件だけあって物事の動き方も影響力も半端ない。


まさか片田舎で派遣している何の肩書きもない42歳独身女が書くものが全国の書店に並ぶなんて、普通に考えてありえない。


もちろん私の魂的テーマとかぶっているんだろうけれど、その中には見えないところで影響力を及ぼす人が別にいて、それらの重なりがここまでの大きなものに発展するなんて、人生どこで何があるかわからない。


会えるわけでもなく、やりとりもなく、本当にないないだらけの中で、必要なことはどんな風にも起こってくるし、見えないところでの力のもらい方は相変わらず半端ない。


とかいうことをやっている2021年の夏。


イケメン上司がいた夏を初めての夏とすると、今年が5回目の夏になる。


5回目の夏も新しい形でイケメン上司がチラホラと登場している。


ある意味とっても斬新だけれど、これもこれでありかと思ったり、いやいやそういうのじゃなくて普通にやりとりできる関係を強く希望してるんだけどなと思ったり、そのあたりは相変わらずなまま。


これからギャング襲来に備えて心身共々用意&休息をしよう。


追記:名前ジンクスは今も毎日継続中。

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