2021年1月15日金曜日

占星術紀行2021【後編】

勢いがあるうちに占星術紀行2021の後編を書こうと思う。

時系列はちゃめちゃだけど、とりあえず近々のものから。







3連休の2日目、久しぶりに占星術系のブログをいくつか開いて読んだ。


これには色んな気持ちが湧きまくった。


3年前ないし2年前に気に入って読んでいたブログのいくつかを遡って読んだ。


1人の方は今も文句無しに大好きな感じだった。


直近のブログも2つ3つきちんと読んだ。


正しくは「読めた」。


色々と発展してる風ではあったけれど、根っこの部分が変わらない。


言うなれば人柄的なところが変わってなくて、その実直さが文章から伝わってきてとても良かった。


その後、最後に読んだ人は、今回読む前の最後の時(2、3年前)にも大きな違和感を覚えた人だけれど、今はどうなんだろう?と怖いもの見たさで見てきた。


違和感は大当たりだった。


むしろ、もっと酷くなっていた。


読んでいてザワザワとするし、違和感が半端ない。


悪い人ではないし、間違ったことをしているのとも違う。


確実にその方の教えや知恵によって救われる人もいるだろうから、否定を前提としてこれを書いているのとも違う。


だけど、読んでいて私が大事にしているものと真逆のもの、なんなら私からしてガラクタ級に低い位置にあるものをプンプンと漂わせていて、それが苦手で仕方なかった。


まずは、講座も個人鑑定も桁違いの値段設定にドン引いた。


自分の提供するサービスに高い値段を付けられることが自己肯定感が高い証拠だとは私は思わなかった。


この辺りもちょいちょい勉強の合間に教えてもらったりしたことの1つで、本当に労働力・専門力に対して見合った価格で高くなっている場合と、そこそこの力はたしかにあってもそちらではなく、プロデュース力や高い値段設定にしてあたかもそれが価値あるもの、入手困難なものと顧客に思わせて高い値段設定にしている場合とがあって、その人の場合は私からすると後者だった。


私のこの嗅覚的なものも何なのかと思うけれども、その辺りの嗅ぎ分けはけっこう鋭い方だと思う。


言葉が刺さらない。


代わりに値段だけが「高っ!」と悪目立ちしている。


本当に心から書いたもの、もちろんその宣伝文句だって心を込めて何回も書き直して書いたとは思うけれども、肝心の心が自己顕示欲とかそういう類いのものに押されている。


だから「私は〇〇できます」アピールは半端ないし、お客様の声的なものに対しても、相手を自分よりも下に見ている。


選民意識もけっこう強い。


そもそも何でそんなにお金がいるの?と思った。


私が知る中でも個人鑑定料は一番か二番に高い。


もう1人は、なぜに高いのかと思ったけれども、よくよく読んだら2人か3人事務方の人を雇っていて、その人たちにもお給料を払うとなればそこそこの値段設定にしないと回らないよねとわかった。


でも今回の人は間違ってなければ個人事業主で、誰も雇っていない。


しかもオンラインが主だからさらに場所代とか固定費的なものが相当省かれると思われる。


じゃあその異常な高さの鑑定代やら講座代は何なのかということになる。


お金を儲けてはいけないとかいうことを言いたいのとは違う。


私が違和感を覚えるのは、人の人生や深い部分を触るのに、そこにつけ込んだような立ち位置を取って、さらには値段も高くして価値あるものに見せている、本人がどこまで意識できてるのかは知らないけれど、とにかくイマイチ中身が伴っていない、専門知識やオカルト系の力もあるのはなんとなくわかるけれども、とにかく違和感が先にくるぐらいだから何かが狂っているわけで、関わる人=お客さんをどこか鴨のように思っていないのかなと思う。


色んなセラピーや個人セッション、講座の類いのものを見てきたからこそ、半端ない熱量のものとそうでないものとの違いは感覚的にわかる。


「この人、お金とか地位や名誉が欲しいんだな」とあからさまの人もいれば、熱意ある風に見せかけておいて本人さえも自覚できないくらいに実はそういうのを求めてしまっている人もいる。


前者もどうかと思うけれども、後者に関しては非常に痛々しい。


そんな風だから発言や内容がズレてくる。


その人はズレてはないけれど、かと言って言葉に力がない。


元々力のある人だとは思ったけれども、ある時から力よりも自己顕示欲的なものが前に出てきて、そこからはそちらがどうしても目立って言葉がそれと引き換えに弱くなった。


熱量のある、きちんとそこに何かを宿らせることのできる文章を書ける人だったけれど、今はその面影さえ探すことが難しい。


ああはなりたくない、の典型的な見本だった。


そしてもっと言うと、絶対に相手から搾取するようなやり方はしたくないし、そして選民意識も極力持たないように気をつけたいと思う。


選民意識的なものも私もないわけではない。


同業というか心の癒し系なんかの人たちと接するとわかる。


あ、この人全然わかってないとか、この人力無いとか。


だからって自分がすごいなんて思わないけれども、それでも自分はそうしたことを感知するほどに鍛えて良かったと思う時はある。


だけどこれが一般の人相手だと違う。


相手と私との差は、生きる方向性の差とか職業の差だとしか思わない。


だって私に機械のことを専門的に開発しろなどと言われても絶対に無理だし、トイレ掃除をはじめとする掃除を専門でする人たちには本当にいつも頭が上がらないし(大学でアルバイトでやったけれども私は好きではなかったし、ずっとはやり続けられない)、コンビニは行く度にレジの人の客のマルチな要望に対してテキパキと対応するなんて神業だといつも思って見ている。


山崎パンの短期のアルバイトにも行ったことがあるけれど、あれは過去にした全ての仕事の中で一番難易度が高かった。


ある時は自分はベルトコンベアの機械と機械の間に立って、両脇をものすごい速さで流れてくるランチパック(パン)の検品をする係に充てがわれて、すっごい大変なのにやってもやっても時間が過ぎなくて泣きそうだった。


山崎パンには全部で1ヶ月も行かなかったと思うけれど、私はそこでの強烈な仕事の数々はいくらでもブログに書けそうなくらい、本当に凄まじい仕事だった。


あの仕事は私はこれから先も絶対に自分がやらないのはわかっているから、あれをしている人たちには一生頭が上がらない。


世の中には本当に色んな仕事があって、それらのどれか1つでも無くなると、途端に世の中や経済が回らなくなるものはいくらでもあって、だからどの仕事にしても基本的に尊い。(人を欺いたり騙したり傷付けたりする仕事は別)


だから、自分が何かができて偉いとか上だなんてとてもじゃないけれど思わないし、そんなおごり高ぶったら最後は終わりだなとさえ思っている。


その人の文章からは、指導者的な自分が上で受講する人たちが下として見ていることが伝わってくる。


どこか自分を教祖様みたいな感じにしている気がする。


絶対にそんな風になりたくもないし、人の深い部分を触るなら尚更のこと、どこまでもフラットに自分が他の誰かより上でも下でもないという意識だけは常に持ち続けたい。


他の誰かというのはそれが誰であっても、私が体験していない人生を体験している人になる。


誰かの人生と自分の人生を天秤にかけて、相手を上とか下とかで計るのはどう考えてもおかしい。


その教祖様みたいに振る舞っている人は、星読みが他の人たちよりもできるだけであって、その他の人たちは他の人たちそれぞれにしかできない星読み代わりの何かがある。


文章が本当に読めないものになっていた。


どの文章も「宣伝」にしか見えず、じゃあ宣伝を取っ払ったら何が残るかというと、言葉ではなく違和感だけだった。


そんなのは私が良い悪いを判断するのはとってもおかしいとわかっているけれども、こんな状態で社会的に成功しても何になるんだろう?と思う。


虚構の成功、自分の持ってるものにわざわざ仮面をつけて何になるというんだろう


そんなことを思った。







新年一発目の松村潔先生のキロンにまつわる占星術講座は凄かった。


その存在を知った時から、初級講座の時のクラスメイト、ノムにもそれ一緒に受けよう!と声をかけて、さらには講座の後電話でシェアしようというのも約束を取り付けた。


2時間の講座は非常に濃密ではあったけれども、私は途中途中集中力が切れて、ちょうど除雪にやってきたブルドーザー2台の共演を窓から眺めたり(本当に初めて見る2台での共同作業で、講座そっちのけでそれを見ていた)、途中疲れてちょっと横になってもいいかな〜となって畳にゴロンとなってそのまま少しの間寝落ちした( ̄∀ ̄;)


だからノムと終わった後に電話でシェアした時に、その寝落ちしていた時に出ただろう話を聞いて心底驚いた。


松村先生は、今日の参加者は122人いて、その中の2人くらいはキロンに特化した星読みをする人になるんじゃないかと言ったらしい。(私も後で聞き直して、本当にそう言ってた)


ノムからそれを聞いて本当に驚いた。


なぜなら講座を受ける前、約1ヶ月前に初級講座の時の桐吉先生から鑑定を受けた時からキロンについてもっと学びたいと思った。


そして本当にするかどうかはさておいても、英語で書かれたキロン専門書を何冊か取り寄せて読んでもいいかもしれない、と思ったくらいだった。


日本と違って英語の占星術書は占星学と呼ばれるだけあって、専門が分かれた本が数多く出ている。


キロンも多分にもれず、キロンに特化した本が何冊かあるのは知っている。


そして、英語のキロン本はヒーリングもセットで書かれているものがあったのはタイトルを見て知ったのが何冊かある。


そんなマニアックなことをこっそりと考えていたわけで、それを松村先生が講座中にキロンに特化した星読みの話をしていたなんて、偶然にしては出来過ぎだと思った。


さらにノムは続けた。


「2人って聞いて、それ僕とぶっしーって思ったよ。僕はセラピーをするとかまでいかなくても、心の癒しとかいうことには興味があって、それを何かしらの形、絵なのか文なのかはたまた星読みなのかはさておいても、2人って聞いてとにかく僕とぶっしーって思ったんだよねえ」


ノムの言葉もとても嬉しく、そしてそれが実現したら本当にいいなぁなんてほんわかした気持ちで聞いていた。


次の日ノムとLINEでやりとりした際、私がその部分を寝落ちして聞き落としたことについてもこんな風に伝えてくれた。


「キロンの話、やはりちょうど寝落ち?してたんだね。それもまた意味がありそうっていうか、意味深🤔  

「寝落ちして聞き直すことで、その部分がより強調されるかんじするね。アンダーラインっていうか、太字っていうか🧜‍♂️


ノムに言われてハッとした。


寝落ちはどのタイミングでもおかしくなかったけれども、その話の時に合わせるかのように寝落ちしていた。


なんだかよくわからないところでのシンクロ具合がすごい。







松村先生の講座は非常にパワフルで、ノムは終わった後の電話の第一声で「なんかまだ頭がボーッとする」と言ったくらいに、私もボーッとするというか意識の状態が通常とは違う感じを感じていた。


キロンの情報は思ったほどの情報量ではなかったけれど(単に私の期待値と違っていただけで、実際にはかなりな情報量)、1つだけすごい印象に残ったことがあった。


これもまたすごい不思議な体験だった。


最初の1時間20分は先生がひたすら喋る講座だった。


その後チャット形式で受講者から質問を受けて、先生がそれを読み上げて答える、質疑応答の時間になった。


私は前々から気になっていたキロンのとある読み解き方を質問した。


他の天体はまだその読み解き方で読むことはできても、キロンは同じ読み方では意味が通じないというか、私の中で「だから何?」ってなるから、それについて質問した。


私が質問したのはあくまでも手法だった。


それに対しての先生の答えが想定外過ぎたのと、それこそが本当に私にとっての何よりもの指針になる言葉を先生は預けてくれた。


先生は

「『傷』とは何か、その意味を考えること」

をまずは答えとして言われた。


その答えだけで、脳天が突き抜けるくらいの衝撃が私には走った。


そしてその補足説明をする中で先生が言われたのが「傷が可能性になる」ということだった。


私にはその2つの言葉だけで全ての点と点とが繋がった。


感覚としてわかる。


傷はある一定のレベルで癒されると、傷は傷とは別のものになる。


体験とか経験という言葉が今パッと出てきたけれど、確実に傷だけではなくなる。


そしてそうなると、傷を傷にしなくて良くなる。


傷の定義が変わると自分の中の傷との付き合い方や持ち方も変わるし、おおよそ軽くなってくれるから傷みが和らいだり和らがなくても別の楽しみを人生で見出せたりする。


そして、傷が可能性になるのはものすごくよくわかる。


傷というのは想像してもらえるとわかるけれど、放っておきたくてもチクチクしたりズキズキするから無視もし続けられない。


切り傷で大したことなくても、ヒリヒリするなぁと感じれば傷口を見たり絆創膏や薬を塗ったりする。


これは体の傷の方だけど、心の傷は目に見えないからわかりづらいし厄介な部分が多分に有るけれど、そこを自分の中で受け入れ始めると確実に傷は何か別のものになる。


そして、それが可能性になるその原理はわかる。


松村先生が説明してくれた可能性の定義とは違うけれども(超マニアックすぎて、あの講座では意味が通じても一般社会では全く通じない内容だった)、でもそれが可能性と言われるものの由縁がよくわかる。


これは桐吉先生の鑑定の時に言われたけれど、私というのは自分が体験した数々の傷とそれに伴う癒しとを自分のためだけじゃなく人のためにも使うようになるとさらに自分の中の癒しが進むというようなことを言われた。


それはものすごくよくわかる。


自分で言うのもおかしいけれど、私がしてきた体験や手法を人に教えたり伝えたりするととても喜ばれることが多い。


そして私は絶対に自分でやって効果があったとわかるものしか相手には伝えないから、自分の言葉で自分の実体験や学んだことをかなりわかりやすく伝えているんだと思う。


それは自分が自分の傷にひたすら付き合って、たとえ過去のものでも自分が消化なり手放せるところまでやれるだけのことはやって、そこから得たものだからこその伝えられる何かだし、相手に喜んでもらえると私も元気になる。(ちなみに搾取とか利用されてると感じると一気に嫌になるから、その時は適当にフェイドアウトしている)


松村先生のこの傷の定義と可能性の話は、私がもしあの日あの時質問しなければ絶対に出てこなかった話だった。


何かに導かれるように松村先生の言葉を聞くことになって、そしてその言葉を引き出している大元は紛れもない私の質問だった。


他の人たちがどう感じたかは知らないけれど、私の質問の時だけ松村先生の言葉の次元が別のものになった。


他の質問(全部で26個あったから私のものを引いて25個)は具体的な読み解き方だったり手法だったりしていた。


私の質問はぶっ飛んだものでは決してなかったけれど、先生の答えは傷の定義だとか可能性とかいう占星術からは離れた話で、それは私の質問の時にしかそんなことは起こらなかった。


あの時だけどういうわけか答えの視点がガラリと変わって、占星術の話というよりも「心の傷」に対する見えない世界からのヒントみたいだった。


それを聞くことができて良かった。


そしてそのことが何よりも私の深い部分に残った。







他の質問者の方たちの質問を聞いていて気付いたことがあった。


手法や知識を具体的に聞く内容ばかりで、当然先生の答えもそちら寄りになっていた。


それはそれで大事なことだから良いとして、私はそうした内容もあまり興味がないとわかった。


これは去年からずっと書きたいと思ってまだ1行も書いていないことだけど、去年私が過去に書いた占星術の記事に2人の人たちからコメントがついた。


そのやりとりをした時にとても強く思ったことがある。


自分の人生や性格と、生まれた時のホロスコープ上に刻まれている特定の天体なりアスペクトと呼ばれる天体と天体が織り成す角度とを組み合わせて、「太陽が〇〇だから、こういう傾向があります」なんていうのは、私にはさっぱり読み解けないし、そして興味もない。


要は、知識を追い求めることに興味がない。


知識を知っても、それは生きづらさや心のキュッと硬くなったものを何とかはしてくれない。


自分の人生の設定を知ることは大切だとは思うけれども、星の情報は心の苦しいところの緩和剤とはならない。


コメントの中で、どちらの人もそういう専門的な解釈を求めていて、正直な気持ちとしてそれって何になるんだろう?と思った。


もっと酷い言い方をすると、「それ知ってどうするの?」と思った。


知っても今の苦しい気持ちは絶対に無くならないよ、とさえ私は感じた。


頭でどんなに理解しようとしても無理だよ、とは言えなかったけれど、私の本音はそうだった。


他の人たちの質問はその2人のコメントと似ていて、勉強するという意味ではとても良い題材だったけれども、そしてそれはそれで良いけれども、やっぱり知ったところで知識にはなっても心の中のものを和らげたり埋めたりしてくれるものとは違う。


ますます私の追い求めたい方向性が、星の専門的知識ではなくて、心や自分を楽にする方法なんだと思った。







冒頭の駄々書き状態のとあるサイトを見た時に、別のサイトで今も好きな内容と書いた方のサイト。


そちらは思わぬ展開になった。


なんと、そのサイトを辿るうちに見つけたキロンにまつわる誘導瞑想の会みたいなのを見つけて、それに申し込んだ。


名前もすごい。


「惑星探索会」


最初見た時に「怪しい、怪しすぎる」と思った。


しかも説明も最小限すぎて何を言っているのかよくわからなかった。


一体何をする会なんだろう?くらいに思っていた。


だけど、ブログの発信者のヒプノセラピーと呼ばれる退行催眠療法の体験記を読んだら、その人が提供するものを受けてみたくなった。


その方の色んなところで受けてきた数々の体験記が本気で凄かった。


前世療法も私は相も変わらずどこか否定的な先入観みたいなのを持っているけれど(前世を知っても今現在の問題は解決されない、とか)、その方の体験記を読んだらガラッと変わった。


まさに私が求めているセラピー本来の姿と、そして私が苦手とかそこは違うんだよねーなどと思うポイントまで一緒だった。


そして数々の過去世を知ることでその人が得ていく感覚がとにかく素晴らしくて、その良さを知っている人が誘導してくれるものなら大丈夫と確信した。


仮に合わなくても、何が合わないのかを後から検証することができるし、確実に何かを得られることがはっきりとわかる。


遠隔セラピーを受けたこともあるし、反対に自分も電話越しで相手の抱えているものを軽くするお手伝いもしたことがあるから、zoomで受けることへの抵抗もない。


対面でも効果が出ないものは出ないし、反対に非対面(電話やzoom、メールなんかの遠隔)でも効果の出るものは出る。


本と同じ感覚を想像してもらうとわかりやすいかもしれない。


単なる文字の羅列だし筆者が書いている時と読者が読んでいる時のタイミングは確実にズレているけれど、感動する本は感動して泣いたりなんかまでする。


距離や時間を飛び越えて、いくらでもそれぞれの固有の人や物体が発生するもの(波動でも振動でも空気感でも)に反応するものには反応する。


呼応すると言ってもいいかもしれない。


だから、心配しなくてもzoomで何かしらは感じることは間違いない。


私は当初惑星探索会には全く興味がなかったけれども、その方の体験記を読んで俄然その方の個人セッションが気になってそのページを探していたら、個人セッションの代わりに惑星探索会を見つけた。


それも私が今最も注目する惑星「キロン」の探索で超興味を持った。


いつ12月に受けた桐吉先生の個人鑑定の内容をブログに書くかは未知すぎるけれど、その時からとにかく自分のキロンが気になって仕方ない。


そして自分の傷をもっともっと知りたい、そう思っている。


自分の傷のケアが自分で相当なレベルまで1人でできるから、傷を見るのはそんなには怖くない。


それよりもそれが何かキーになっているだろうし、それこそが私に何か大切なメッセージを伝えてくれるとさえ思っている。


とにかく知りたい。


それをまた1つ知ることで自分の中で色んなことが繋がるだろうし、人生のなぜどうして案件がもう少しわかりやすくなるような気がしている。


そんなものを知る1手がかりになるような気にさせてくれる惑星探索会で、私はすでにさっさと申し込んだ。


ノムにその話をしたら、私なんかは勘もいいだろうからそこから他の惑星に表れているメッセージなんかも手にする手段を知れるんじゃないかと言ってもらえた。


自分のためにそれを活用できるとさらにいいなぁと言われて思った。


ちなみに同じ日に、キロン惑星探索会(午前)と松村先生の占星術単発講座(午後)があって、体力が持つかなぁという心配はしている。


どちらも普段使わない回路やエネルギーを使うし、松村先生のも探索会もとっても強いエネルギーで為されるだろうから、かなりハードはハードだと思う。


でもどちらも自分の楽しみで受けるから、何とかなるんじゃないかなと思う。







何を今さらだけど、1つだけプチ表明。


「惑星探索会」は名前を出すかどうか迷った。


すごい失礼な話だけれど、私も名前を見てドン引きしたし、私がそれなら一般的な目線ではさらなるドン引きが当たり前のように思う。


でも申し込んだのは事実だし、自分が興味あるのも事実だし、そして興味ある自分も自分の一部なのは間違いない。


自分の中にあるものを曝け出すのは相変わらず緊張する。


だけど、そういう自分を隠しながら生きるのは息苦しい。


そしてある時から開き直った。


そういう自分を開示して、それでもいいと言ってくれる人たちとだけ繋がっていくことが私の人間関係なんだということ。


そういうのが苦手な人も当然いるだろうし、そういう私を受け入れて欲しいとは思っていない。


受け入れてくれる人がいたのなら、本当に恵まれたことで、そちらの方が人生のオマケだと思っている。


このブログを通じて、私はこういう人間ですと発信し続けて、知っていて欲しい気持ちもあるけれど、それとは別にこんな私とでも接点を持ちたいですか?と声にならない声も同時にある。


私は自分がこうした世界がとても苦手で懐疑的だったこともあって、相手はどうなんだろう?と思うことは多々ある。


ましてや普段白黒はっきりとした世界に生きている人からしたら、私は超ぶっ飛んだ人だろうし、異次元の超おかしな人として映っているかもしれない。


だから嫌なら離れるだろうと変な覚悟を持って書いている。


さんざん書いた今、初めて気付いた。


テーマにしているキロンだけれど、こういう自分をカミングアウトすることもキロンの持つ癒しになるんじゃないかなと。


私のキロンはざっくり言うと

・自分の持っているもの、容姿、資質などなど自分にまつわるもの全てに対してのコンプレックス

・オカルト体質な自分へのコンプレックスとオカルト体質を使っていくことへの抵抗

・女としての自分へのコンプレックス

(これはキロンだけの問題じゃないけれど、キロンとセットとなることでさらに強烈且つ強力になっている)

が主たるテーマになっている。


だから、こういう自分を開示することは、自分への癒しにも繋がっているように感じた。


余談だけれど、この3つをそれとなく桐吉先生の鑑定の時に言われて、それらが自分の人生の何を指すのかすぐにピンときたし、特に女としての自分へのコンプレックスなんかグサグサと包丁が自分に刺さるみたいな漫画の絵状態だった(苦笑)


人として気持ち悪がられるよりも女という自分の持って生まれたものに対して気持ち悪がられたことの方が私には強く重たいものとして残ったし、そして気持ち悪がられたり全然モテないとか女として見てもらえない日常があるにも関わらず性的に不当な扱いを受けたりして(それも複数回)、そのギャップとそれを体験してしまう自分や自分の人生もなんなのかと思った。


そんなこともキロンなのかそれ以外の天体との兼ね合いなのか、とにかくこれまでの人生であったから、傷の中でも超特大の傷なのは自分でもわかっているし、色々一筋縄でいかないのもわかる。


この辺りになると手に余るほどの傷や痛みが溢れんばかりになってしまうから、自分でも正直なところ何をどうしたらいいのかそんなにはよくわかっていない。


ただわかるのは、傷を少しでも和らげられたらいいなぁというのと、残りの人生で上手に付き合う術を手にしたり、それを抱えていても大丈夫な自分を作ることができたらスーパー御の字だと思っている。


話が逸れたけれど、そんな風にしてキロンと繋がる、自分の中の爆弾的要素を少しでもやさしく自分で包むことができたのなら、そこそこ良いところに自分が着地できるように思う。


何も復習などしてないまま、全12回の占星術講座の第2回目が明日土曜日にある( ̄∀ ̄;)


初級講座から相変わらず何も進歩しないこのマイペースな感じ…( ̄∀ ̄;)


真夜中の覚醒時じゃないと書けないようなことまで書いたから、このまま読み返さずにアップしてしまおう。

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