「みなさんに通り一片の金太郎飴的な星読みをして欲しくないのです」
初級占星術講座の時に先生が口酸っぱくしてよく言っていた言葉だった。
例えば、牡羊座なら後ろを振り向かず前進あるのみみたいな性格とか、魚座ならみんなロマンチストで優しいとか。
星や天体の性質なんかを占星術では「象意(しょうい)」と呼ぶけれど、象意は数限りなくあるし、猿のひとつ覚えみたく1つのものだけ読み解いて、それをずっと使い回したり全ての人やその星座全てに当てはめて考えるのは良くないと先生はいつも言っていた。
それのことを金太郎飴を使って先生は喩えていて、金太郎飴みたいにどこを切っても全て同じようなそういう読み方をして欲しくないと私たちに何度も何度も訴えていた。
その言葉を聞かなかった回なんてなかったし、それさえも1回の講座につき何回も聞くというのが定説だった。
これまであまりその言葉を思い出したことはなかったけれど、今回先生の言葉を思い出すとあるブログに行き着いた。
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占星術の絶版本を引き続き探している。
探している時に、その本を紹介するブログに行き着いた。
そしてそのブログに書かれていた魚座の火星についての解釈が実にしっくりといかなかった。
もちろんその解釈もありだけれどそれだけではないし、そして私が最大に引っかかったのは、その偏った読み解き方+人間の意識・心理についても不十分すぎる見解で、その状態で人に星読みと心理ワーク的なものを提供していることだった。
そんなのは私が気にすることではないし、その人によって救われる人も確実にいるだろうから本当に余計なお世話としか言いようがないけれど、その内容があまりにもお粗末で私の中には怒りに近い感情が湧いた。
全くもって自分の方が変だと感じるけれど、やっぱり釈然としない。
ちなみに魚座の火星については、行動しようと思ってもなかなか動けないとあった。
火星というのは♂の記号になるけれど、記号を見てわかるように外に向かう男性性のエネルギーが強く、個人の行動力なんかと強く関わる天体になる。
に対して魚座というのは、水の性質を帯びた星座で、火星という火のエネルギーに対して魚座という水のエネルギーがその火を水で掻き消してしまう、だから魚座の火星は思ったことをなかなか行動に移せない、みたいな解釈をその人はしていた。
ちなみに私の火星も魚座火星だけれど、火星単体で見ても行動に移せないとかいうそういう魚座火星とは違う。
この私の魚座火星のサビアンシンボルは、「騎手」となっていて、全身全霊で飛び込むことを良しとする性質がある。
たしかに今の仕事なんか見ていてもまさにそれで、とにかく全身全霊で飛び込むことを第一として動かなきゃいけない場面なんかは日常茶飯事にあるし、たしかにインドア派且つ静かにひっそりとしていたいけれども、そうも言ってられず外に出て自分が矢面となって交渉しなきゃいけないことも止めど無くある。
色んなことが複合的に絡み合って、思ったことを行動に移せない魚座火星のままでなんていられない状況が、今たとえ火星の年齢期(36〜45歳頃は火星期と呼ばれて、火星の力を重点的に鍛える時期とされている)だからということだけじゃなく、人生を通じてそうなっている。
だから魚座火星を理由に思ったことを行動に移せないなんて決めつけてしまうその人の言葉にすごい違和感を覚えた。
さらには、「思ったことを行動に移せない」ということを心理学的に読み解いてもこれまたおかしい。
思ったことを行動に移せないのは、色んな心理的要因が考えられる。
例えば、失敗するのが怖いとか、こんなことして周りにどう思われるんだろうとか、そもそも動かなきゃとわかっていても動きたくないとか。
とにかく理由は1つじゃないし、潜在意識と呼ばれるところの見えない意識の部分で何を思っているかが多くの個人の行動の範囲を決める。
自分で認識できる方の意識を顕在意識と呼ぶけれど、それは個人の持つ意識全体の3%程度でしかなく、残りの97%以上は潜在意識で構成されている。
私のダイエットなんかすごくわかりやすいけれど、「痩せたい、痩せなきゃ」と頭では思っていても、痩せないどころか太るのはまさに潜在意識側で別の意識が働いているからだと思う。
余談だけれど、顕在意識と潜在意識の比率で私が一番しっくりきたのは
「1:無限大」
だった。
潜在意識というのはそれくらい大きな影響力を持っている。
ここからさらにマニアックな話をするけれど、この「行動に移す・移さない」ということに関してもう2つ言いたいことがある。
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「思ったことを行動に移せていない」という言葉に対しての認知の仕方について、これはNLP「言語神経プログラミング」と呼ばれるものとコーチングを習っていた時に習ったこと。
例えばわかりやすく「英語力を伸ばしたい」と思っていてもそれをなかなか行動に移せなかったとする。
これはみんなあるあるだと思うけれど、英語力を伸ばしたいと思っていても「何もしていない」と本人が認知していたとして、その時は「英語力を伸ばしたいのに、それに向けて何もしていない」と自分のことを見ていると思う。
でも例えばの話。
その本人が、英語の参考書を本屋で見てきたとか、ニュースでアメリカ大統領演説がそのまま流れていてそれを聞き取ろうと思って耳を傾けたとか、それだってれっきとした「英語力を伸ばすための行動」だけれども、本人の中ではそんなのして当然とか大したことないとかなっていたのなら、実際は動いているのにも関わらず動いていないことになる。
だから、自分の行動をどこまで「動いたこと」「行動力」として認めるかによって、見える景色や自己認識は全く違ってくる。
そして例えば、本当に何もしていなかったとする。
英語力アップのための行動は何もしていない。
けれども旅行が趣味でとにかく各地の行き先を徹底的に調べ上げることは自然としてしまうとか。
例えば料理は大好きで暇さえあればクックパッドを見て色んな料理を試しているとか。
それは何かと言えば、英語は「やらなきゃいけないこと」だけれど実際には「やりたくないこと」だから動かない可能性もある。
旅行の調べ物やレシピ試しの試作料理なんかは、反対に「やりたいから自然とやる」スタイルになっているわけで、さらに言えば旅行や料理は個人の領域や趣味の領域でお金を稼いでいる分野でなければそれはすなわち価値がないみたいな、日本の超偏った社会的潮流なんかも加味するとますます「行動できていない自分」の像が強まってしまう。
だから、「行動できていない」と思っていても実際には何か行動できていることもあるし、それはどういう風に自分自身や周りを捉えたり、言い方好きではないけれど評価したりするかで、全く違うものになる。
またもや余談だけれど、昨日面白いことがあったから1つ例を挙げたい。
「英語力をつけたい」というのは、多くの社会人、それも海外とやりとりする会社なんかの会社員の人たちに多い願いの1つだと思う。
私が今行っている派遣先の会社もそうで、海外にもいくつか拠点があるし、海外向けに機械を大量に出荷していることもあって、とにかく英語力を日常的に求めれらることが人によってはけっこう出てくる。
年の頃は同じくらいと思われる20代の男の子2人がいる。(実際にはもっとたくさんいるけれど、とりあえず今例に出すのは2人)
2人とも私が派遣ゆえに最初の頃は私の指摘することを半信半疑みたいな感じで見ていた。
まぁそれは想定内だから良しとして、その時に1人のAくんの方は明らかに私の能力を下方修正しているのはわかった。
そのAくんが私の英訳がおかしいと見た目だけの問題で言ってきたことがあった。
たしかに4つほど訳す中で1つだけ他とはスタイルが違っていたけれども、それはそうでもしないと名詞だけがいくつも並んで相手には伝わらないから、私は途中でofなりinなりの前置詞を使って伝わるようにしたものだった。
それにダメ出しを食らった。
まぁいいやと思って、私は伝えるだけのことは伝えて、あとは本人がどう選んでもいいように本人任せにした。
その時に英語的におかしいというAくんの指摘から、英語知ってるんだなぁと思って英語を色々知ってるんですねみたいな返しをしたら(普通の会話の中で)、Aくんは途端にモゴモゴとして「今は勉強している時間がないですけど」と言っていた。
まぁたしかに超忙しいのは見ていてわかるから、そうかと思ってその場は終わった。
一方のBくんも、最初のやりとりの時に私がどうしても英語が変で既存の英訳を直したいと言ったことで、かなり嫌がられた。
それって誰かがきちんとチェックして訳したものじゃないんですか?と聞かれたけれど、その時の私は会社の暗黙のルールがわからなさすぎて答えられなかった。
後日になって、Bくんには私の英訳もだけど誰もチェックできる人がいないから、実は誰か訳した人が1人で英訳を決めてそのまま採用されてる可能性も高いことをコッソリ言いに行った時がある。
細かくはよく覚えていないけれど、Bくんはその時以降何を思ったのか、小さな英訳を私に頼むことを始めた。
そして先日Bくんは他の人たちなら100%英訳依頼をしてくる内容のものを、なんと自力で英訳してきてそれを私に見て欲しいと言ってきた。
それだけでも本当に凄かった。
そんなことしてきた人はBくんが初めてだった。
100人近い男の人たちが同じフロアにいて、そこまでしてきたのはBくん以外にいない。
その中でどうしても1つだけ私も単語がわからなくて、その日に限って私の英語の師匠のMr.ダンディもトムさんもそれぞれ不在で捕まらなくて、誰にも聞けないから、とりあえずの内容で出した。
週明けてからMr.ダンディに確認したら、Mr.ダンディがBくんの行動力を褒め称えて、それを私にBくんに伝えるように言ってきた。
だから私はその後Bくんに実際にMr.ダンディに頼まれた通り直接Mr.ダンディが褒め称えていたことを伝えに行った。
Bくんはものすごく喜んでいた。
社内で誰も逆らえないくらいにMr.ダンディは有言実行のトップの人ゆえに、基本的にみんな直立不動で対応しているし、私が頼んでも塩対応でも(←みんな間違えてるのが、私の頼み事ではなく会社のお偉いさんの頼み事又は社運がかかったものだということ)、Mr.ダンディが一言言えば瞬く間にみんな動いて速攻用意するというそんな人から褒められたわけで、本当に嬉しそうな顔をしていた。
で、昨日(1/22)のこと。
Bくんは私のところに今度もまた自らの力で長文を訳してきたものを持ってやってきた。
それがまた素晴らしい出来で、Bくんにすごいね!!!と大絶賛したし、反対に「何か英語を特別に習ったりしたの?」と聞いたら、学校でやった程度でしかないと言っていた。
それを聞いてますます凄いと思ったから、思った通りの言葉を返した。
Bくんは照れながらもまたがんばります!と言って帰っていった。
それ見た時にBくんは確実に英語力が伸びるだろうなぁと思った。
Bくんはまた次も何かあれば自力で訳してくるだろうと思う。
それはAくんもBくんも与えられている環境は同じで、かたや指摘するだけで自力では何もしない人と、かたや私たちに頼んだ方が早いだろうにそうせずに時間を作って自力で英訳をする人とでは全く違う。
確実に何でも自分のチャンスにして、どんどん力を付けていくのは間違いなくBくんだろうと思う。
Bくんの本来の仕事は英訳ではないけれど、Bくんはそうやって自分の英語力を伸ばす努力をしている。
何でもそうだけれど、本人がやろうと思えばいつからだって始められるし、そして今の話で言えばそうやって私をじゃんじゃん利用したらいい。
使えるものはどんどん使えばいいわけで、私はそんな風に使ってもらえるのは嬉しいし、私にできることがあるのならできることはいくらでもしますと思っている。
Bくんのしていることはもう立派な「行動」だし、それこそが英語力を伸ばすものになっている。
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話を戻して、「思ったことを行動に移せていない」ことのもう1つの理由。
魂的な人生の設計に見合っていないものの時はストップがかかる。
それは人間的な視点からすると、「気が乗らない」とか「面倒」とかいうことかもしれなくても、それさえも大事な感覚で、本当に進まなきゃいけない道があるとするなら、他は退路となるように道が何かしらの理由で閉ざされる。
だからやらなきゃいけないことが他にあるならいくら英語力を高めたいと思ってもそうはならないだろうし、動かないのであれば実は深い人生の目的においては動かないことが正解の場合だって往々にしてある。
とまぁ色々と書いたけれども、これだけ色んな要素が組み込まれて物事というのは成り立っているわけで、もちろんここに書いたことだってごく一部でしかないわけだけれど、そんな中で「魚座火星だから、思ったことを行動に移せないところがある」なんていうのはいかに短絡的かと思う。
そして、それが単なる個人の領域だけでそう思っているのならいいけれど、その人はそれで色んな心理や占星術サービスを提供している。
むしろ、見えない部分のことを提供するのが主で、こんなに浅い人から何かを受けても響かないなと思った。
気になってメニューを見たらこれまたビックリな仰天価格で、値段だけ見たらすごいプロみたいだけれど、中身はスカスカすぎてしょうもない。
毒吐きはこのくらいにして、先生が何十回と伝えてくれていた「金太郎飴的な解釈をしないこと」の意味が本当にこういうことを言うんだとわかった。
自分で言うのもなんだけれど、私は占星術の方はあんまり得意ではなく、かなり偏った見方をするけれども、それでもそこまで偏らないのは他のことをたくさん学んできたからだと思う。
私は元々自分のことや自分の人生を理解したくて、それで自分の内側を見るいわゆる内省的なことを始めて、それは1番の理由は色々ありすぎることと自分の社会への不適応感がすごくて、少しでも生きづらさを減らせるのであればなんでもするから!!!な感じで始めた。
魂だの潜在意識だのと、そういう見えない意識部分を色んな形で学んで自分でも理解しようと努めて、そしてそれらがある程度できた段階で占星術を知った。
だからこそ、占星術の知識だけではなく、例えば「思っていることを行動に移せない」ということがあるのなら、色んな視点で見ていくし、そもそもの1つ1つの言葉やその捉え方を小さな単位にかみ砕いて、その小さなことを見てみたり、反対に全体を包括して見て何が見えるかを見たり、手を変え品を変え状態で色々見る。
12月から全12回で受け始めた占星術講座の方でも、とにかく先生は金太郎飴的な解釈にならないように色んな事例を色んな見方で見れるように教えてくれてる。
似たような傾向でも少し違うだけで1人1人全く違うし、そして先生が実際に関わった人だとその人がどういう人生を歩んでいる人なのか少し説明がついていて、それが実にバラエティーに富んでいる。
本当に色んな人生や色んな人がいて面白い。
何の話なのか着地点がわからなくなってきたけれども、またいつものごとく妙なスイッチが入って、真夜中の3時くらいから今まで書いてしまった。
トップの金太郎飴はフリーで使える画像で、探したら出てきた。
こういうのだってどこかの誰かが作って提供してくれてるわけで、とってもありがたいなぁと思う。
どう終わらせていいのかわからないから、ここでおしまい(。•̀ᴗ-)✧
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