2020/05/15
「足りない」にこだわる
寝ぼけた頭は「『足りない』にまつわる」をなぜか「足りないに『こだわる』」と読んでいた。
足りないにこだわるーその響きに逆にうっとりとした。
世間一般では「足りない」に意識を向けるのはあまりよろしくないとされる。
たしかに、何でもかんでも足りないに意識を向けていたらしんどくなる。
だけど、今出てきた「足りないにこだわる」は、私がこの数時間モヤモヤしていたことに対する答えをくれた。
そう、私は「足りないにこだわった」。
足りないと思ったから努力をして、足りないと思ったから今すぐできることを探した。
私の場合は「足りない」が原動力だった。
モヤモヤしたのはまたどうしようもないたった1つの言葉だった。
今、同じ部署に新しい若い子がいる。
4月は私が見ていて、今月からは育休明けで戻ってきた方が中心に見て、私は引き続き彼女から何か聞かれた時に動いている。
来週からは、派遣と大御所役職社員を除く従業員はしばらく全員週4の勤務になる。
それで、その知らせの配信を見て彼女が、現教育担当者と私の2人ともが仕事で来ない日が今後出てくるなら、その前日に課題をくださいとメール連絡してきた。
私がモヤっとしたのは「課題をください」というところだった。
本人に悪気はないし一生懸命やろうとしているのはわかる。
なんだけど、来月も引き続き研修のごとく仕事ではなく課題をするつもりなのかと思ったら、何かが違うと思った。
ちなみに、今月5月というのは、私からすると私の時の1月になるわけで、その頃私はもうバリバリ実践に入っているだけじゃなく、いきなり超危険案件や大量の手順書の英訳が一気に始まって、そしてその合間に細々とした業務も並行してやっていた。
課題も何も、いきなりぶっつけ本番で、そして3ヶ月目にあたる2月は稼働日を数えたら18日で、その間私が担当した英訳は18件あった。
それも1つ終わらせるのに1週間は必要なものも18件中3分の1から半分はあった。
そんな量をこなしていたわけで、課題とか悠長なことを言っている場合ではなかった。
ひたすら実践、実践、実践だった。
そんなこんなのやりとりを思い出して、そしてその時に自分が社会人1年目や2年目の時はどうだったかを思い出していた。
性格や職種、能力の種類の差はもちろんあるけれども、私が今ここに立てるのは本当に色んな人たちからサポートしてもらっての今だということと、そして少なくとも相手の方たちも私に手をかけてもいいと思ってもらえるだけのものを私も持っていたんだろうなぁと思う。
自分が今反対の立場になってみて思うのは、相手の助けになろうと思うにはそれだけの気持ちにさせられることが大事だということ。
2020/05/16
上の文章は金曜の真夜中から朝にかけて書いた。
普通に仕事して、帰り際に同じ部署の人と立ち話をした。
井戸端会議風の話を聞いて、ため息やら呆れるやら、色々とバカらしくなってきた。
色々尾ひれがついているにしても、本人からして「教えてもらえない」「仕事を回してもらえない」という風に見えてるらしい。
ふざけてるのかと思った。
(ちなみに本人は真面目にそう感じてるんだと思う。)
英訳について言えば、育子(子育て中だからいくこ)さんも私も信じられないくらいの赤ペン先生ぶりの添削をしている。
自分がこれまでした歴代の添削で、東大受験をする子並みの英作文の添削をした時くらいに丁寧にしている。
教育のプロ、超人級の英語力を持ったスーパー仕事できる人、心のケアのプロ、根気よく教えることのできる中間管理職、そういう4人にそれぞれ相談してアドバイスもらって、できることはすぐにしたし、やれることはやれる範囲でやってる。
「自分はやってる」なんて言うのは好きじゃないけれど、週5の勢いで残業して(1日10時間勤務)ようやくなんとか納期に間に合わせて英訳を仕上げているのに、その隙間時間で添削したり本人の質問に答えたり課題を用意したり、できることは本当にしている。
さらには彼女の特性もあれこれ家でどういう対応が可能かネットで調べたりまでしている。
もっと言えば、単純に彼女の方が給料ももらってるわけで、全く私なんかは対価に見合わないことをやっているけれども、なんだろう、表面的なことしか見えてない、そこだけ切り取って見て周りに愚痴って、アホらしくて仕方ない。
「怒り爆発」
どうして仕事が回してもらえないのかと考えたことがあるんだろうか。
どうして自分の英訳がそこまで直されるのかを考えたことがあるんだろうか。(ちなみに英訳はほぼ全文直しが必要)
仕事ができないだけじゃない。
できないならまだしも、余計なことまでしてしまうから、何かを任せたらそれをチェックする側はまずはマイナススタートからで、とりあえずマイナスをゼロに戻す仕事まで発生する。
そんな状態だから任せられない。
元々大量の仕事を抱えてる中で何かを彼女にさせたのなら、仕事量が軽減されるのであれば喜んでお願いするけれども、軽減するどころか仕事が増える。
それもありえないくらいに仕事が増える。
今練習段階でそうなわけで、これが本番となればさらに念入りなチェックと修正業務が必要になる。
これが習い事ならわかるけれども、これはれっきとした仕事で、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。
書きながらイライラして、思い出してはイライラしていたけれど…。
来週から私がどんな風に反応するか、自分の反応が未知すぎて、それを見るのが楽しみでもあるなぁと開き直った( ̄∀ ̄;)。
2020/05/17
「足りない」が原動力になってくれてたんだなと改めて思う。
最初今の仕事を引き継いだ時に、ほぼほぼ知識も今の英訳に必要な英語力もなかった。
なんなら前任の人が可愛い雰囲気の子で、質問に同行した際、エンジニアたち男性陣がデレっとまでいかなくても嬉しそうにしていたのは見ていた。
来月からババアが行くよ、と思いながら、それもそれで気が重たかった。
とにかくないないだらけの中でのスタートで、1人になってから自分がやれる気が本当に全くしなかったけれども、やらないといけなくて必死でやるしかなかった。
本気で必死だった。
最初は頼れる人も今ほどにはいなかったから、基本的にGoogle翻訳が一番の相棒でもあった。
今思うのは「足りない」ことが良かったということ。
選択の余地もない中での足りない感覚は、私を超真剣に目の前のことに向き合わせる最高の原動力だったと思う。
あと、今回のことをズルズルと引きずり気味の自分を見て、「自分のために怒る」ことをしようと今は思っている。
金曜の夜の立ち話を聞いて、あれは噂ではなく本当だと思う。
彼女から課題をくださいと頼まれたことの話とも繋がるし、そして何が驚いたって私と上司宛てに差し出されたメールの存在まで周りに伝わっているのだから、紛れもなく単なる根も葉もない噂ではなく本人の話が回り回って私の耳にまで届いた、と判断してもいいだろうと思う。
見えないところで色んな人たちが動いていて、それは見えないにしても、教えてもらえてないとかそんな風に言うのはおかしいと思う。
そもそも自分の能力を棚に上げて、周りが教えないというのも事実誤認だし、じゃあ基礎の足らないところを全部1から説明するのか?って言えばそれもおかしい。
マニアックな単語についての説明ならわかるけれども、私や育子さんが説明しているものは英語の基本中の基本で、例えば受け身がなんだとか、形容詞と副詞がなんだとか、中学で習うようなものも含めての説明も必要に応じてしている。
そんなの本来なら本人が自力で身に付けておかないといけないものなのに、それさえも不十分だから今こんなことになってるわけで、それで色々教えてもらえない、仕事がもらえないとぼやくなんて、本気でおかしすぎる。
そして周りは少なくともやれる範囲でやっているわけで、それを上っ面だけを見て誤認して誤認しているものを周りに言うというのは、失礼にも程があるし、私なんかはもう正直なところ何もしたくない。
そこまで言うんだったら自分でやってと思う。
力になりたいとも思わなくなった。
これまではやれることはやろうという気持ちがあったけれども、本人のその誤った認識を耳にして、自分の持ってる情報や知識を渡しても、それこそ「足りない」と思われるだけで、そんなのやりたくない。
私は私のために怒ろうと思う。
自分はやれることはやっているし、そして周りからも協力してもらってできることはしている。
相手がどう受け取ろうと、自分はやってる事実は変わらないし、それを自分の判断だけで違う風に取られる筋合いもない。
いつか怒って本人に言ってしまうのは避けたいから、だから自分1人の時に自分のために怒りまくろう!、そう思っている。
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